「僕のことをよく知らない小学生でも、レッズでプレーする選手の話となれば、耳を傾けてくれます。このクラブをさらに大きくしていくためには、もっと地域貢献のための活動をしていく必要性を感じました。レッズの選手である僕にはできることがあるなと思っています」
「正直、浦和レッズというクラブが、サッカー以外の部分で地域に貢献している実感を持てていなかったんです。コロナ禍の状況もありますし、対面のファンサービスなどもできないですし、いまひとつピンときていませんでした。
「レッズ先生」の企画にも前向きに取り組んだ。3月に高校の先輩でもある武田英寿が同じように「レッズ先生」として小学生向けに授業する姿を見て、イメージを膨らませた。
「同じようなことは言わないようにしようと思いました。僕は青森山田中学、高校の6年間で学んだことを話そうと。まず必ず伝えたいことをメモし、深く掘り下げていくようにしました。準備らしい準備ではないんですけどね。僕は考えすぎてしまうと、言葉に詰まってしまうので」
「苦手なことから逃げずに取り組み、克服していくことの大切さについて、話をさせてもらいました。僕自身、中学校2年生のときに青森山田高の黒田剛監督から同じことを言われて、実践してきました。『ウイークポイントをどれだけなくしていけるかが大事だ。このままでは、キミはプロになれないよ。うまいだけの選手で終わってしまう』と。
「スポーツだけではなく、『苦手な教科にも取り組んでみようと思った』という反応を聞き、一番伝えたいことが伝わって、良かったと思いました」
「『浦和レッズを世界的なチームにすること』。入団を決めたときから、ずっと思っていることです。僕はもともと海外志向がなくて、このレッズで活躍して、もっと大きなクラブにしたいという思いを持っています。
(取材/文・杉園昌之)