ワールドカップイヤーの1998年、浦和レッズは希望に満ちていた。
「10年にひとりの天才MF」「日本サッカー界が生んだ最高傑作」と謳われる小野伸二を獲得したからだ。
1月28日に浦和市内のホテルで行われた新スタッフ・新加入選手会見。まだ高校卒業前の小野は、凛とした表情で胸を張った。
「自分に厳しく、開幕1軍を目指します」
ホルスト・ケッペル監督の1年での退任にともない、ヘッドコーチから昇格した原博実新監督は「後ろ(DF)が4人で前(FW)が3人。中盤の真ん中に小野を置くことを考えている」と明言。実際、3月21日に行われた1stステージ開幕戦のジェフ市原戦で、小野はスタメン起用された。
ゴールデンルーキーがスタンドを沸かせたのは、早くも3分。左サイドからのFKをインステップでファーサイドへ一直線に蹴り、チャンスを作る。さらに5分、11分にはタッチライン沿いのスペースへオープンパスを送り込む。その直後、左サイドの裏に抜け出すアイトール・ベギリスタインに向けて、ノールックのスルーパスを送ると、スタンドからどよめきが起きた。
デビュー戦ながら小野はフル出場を飾り、3-2の勝利に貢献。18歳のプレーぶりに、駒場スタジアムのスタンドで目を光らせる人物がいた。日本代表の岡田武史監督だ。
この視察の6日後、岡田監督は4月1日に行われるアウェーの日韓戦に向けたメンバーに小野を初選出するのである。
代表選出の翌日、3月28日に行われた2節の横浜フリューゲルス戦で、小野は早くもプロ初ゴールをマーク。チームも2-0と勝利し、開幕2連勝を飾った。
小野の活躍もさることながら、サポート体制も万全だった。
元スペイン代表のベギリスタインが左サイドから攻め込めば、前年11月に加入した現役ユーゴスラビア代表の闘将、ゼリコ・ペトロヴィッチ(元監督)がボランチに入り、後方から支援。もうひとりのボランチには静岡学園高から加入3年目の石井俊也が頭角を現し、汚れ役を買って出た。
前線ではエースの福田正博(元コーチ)が負傷のため、1stステージとナビスコカップの全試合を欠場したが、代わってチャンスを得た大柴健二がブレイク。岡野雅行との「雑草コンビ」で前線をかき回すのだ。
原監督は攻撃的で美しいサッカーを標榜した。それがひとつの形となったのが、アウェーで戦った8節の鹿島アントラーズ戦だった。
GK:①土田尚史
DF:②山田暢久、③西野努、⑤ネイハイス、㉒城定信次
MF:⑥ペトロヴィッチ、⑪ベギリスタイン、㉑石井俊也、㉘小野伸二
FW:⑩福永泰、⑬大柴健二
これが、この試合に臨んだ先発メンバーだ。開始直後に先制点を許したが、カウンターから福永泰(ユースコーチ)のゴールで同点に追いつくと、後半に入って小野、大柴、ベギリスタインが連続ゴールを決めて突き放す。前年97年にはナビスコカップと天皇杯の二冠を獲得した強豪を4-1で叩きのめすのだ。
12節を終えると、フランス・ワールドカップのためにリーグ戦が中断。レッズからは岡野と小野が日本代表に、ペトロヴィッチがユーゴスラビア代表に選出された。岡野は第2戦のクロアチア戦に、小野は第3戦のジャマイカ戦に途中出場し、ペトロヴィッチは4試合に出場する。
中断期間にアルフレッド・ネイハイスがドルトムントに移籍したため、イタリア人DFジュゼッペ・ザッペッラを獲得した。
1stステージは7位に終わったレッズだったが、8月22日に開幕した2ndステージでは開幕6連勝を達成する。福田が戻ってきたこと、福永が好調を維持していたことが大きく、若き両サイドバック、山田暢久(元ユースサポートコーチ)、城定信次(ジュニアユースコーチ)のオーバーラップも光った。
もっとも、小野をAFC U-19選手権に送り出した10月には清水エスパルス、鹿島、柏レイソルに3連敗。念願のステージ優勝は逃したものの、ラスト2試合で意地を見せる。16節の京都パープルサンガ戦に福田、小野、ベギリスタインのゴールで3-1、最終節の名古屋グランパス戦は大柴とベギリスタインのゴールで2-1と勝利。95年シーズン以来のステージ3位に輝くのだった。
Jリーグ・1stステージ:7位
Jリーグ・2ndステージ:3位
ヤマザキナビスコカップ:予選リーグ敗退
天皇杯:ベスト8
ベストイレブン:小野伸二
新人王:小野伸二
(取材/文・飯尾篤史)