その瞬間の感情を、伊藤敦樹は今も大切に心の中にしまっている。
小学6年生のときに味わった、天にも昇るような幸せな気持ちである。
「ジュニアユースの合格通知が家に届いて。親から聞いたときは本当に嬉しかったです」
実家は浦和駒場スタジアムから徒歩10分。家族ぐるみで浦和レッズのサポーターだったというから、少年の喜びようが目に浮かぶ。
もっとも、ジュニアユース時代が充実していたとは言いがたい。
中学2年時にレッズOBの岩瀬健監督(現大宮アルディージャ監督)のもとで「止める・蹴る」の大切さを学び、チームメイトから刺激を受けて成長を遂げたものの、中心選手にはなれなかった。
それどころか、中学3年になってもなかなか試合に絡めない。
「悔しい思いのほうが強いですね。中3のときに全国優勝を経験できたのが、数少ない良い思い出というか」
そんな伊藤に、サプライズが待っていた。レッズユースへの昇格が決まったのである。
「嬉しさよりも、驚きのほうが大きかったです」
当時は、レッズの前指揮官である大槻毅が育成ダイレクター兼ユース監督を務めていた。その大槻が「センスがあるし、これから身長も伸びるはず。可能性は十分ある」と、伊藤のポテンシャルを高く評価し、昇格を決めたのだ。
その言葉を裏付けるように、大槻は1年生の伊藤をAチームに抜擢し、伊藤も1年生ながら大槻の期待に応え、プリンスリーグで奮闘した。
しかし、高校2年になって歯車にわずかな狂いが生じてしまう。
「当時の僕は線が細くて。それで大槻さんから『もっと増やすように』って体重を設定されていたんです。その体重を割ると練習に参加できないんですけど、メキシコ遠征のとき、長距離移動とか、食事が合わなかったりで体重が減ってしまって。それを誤魔化したら、大槻さんに見抜かれて」
成長期においては、身長を伸ばすほうに栄養が取られて痩せてしまうことがあり、そのまま練習を続けていると、今度は身長も伸びなくなってしまうケースがある。
そのため、体重増加を促しながら、練習をコントールをするという意図が指揮官にあったのかもしれない。本当の理由は定かではないが、伊藤が嘘の申告をしてしまったのは事実だった。
「大槻さんから『こういうことで信頼を失うんだよ』と言われて、練習に参加できない時期が少しあって。それを機に試合にもあまり絡めなくなり、1年の頃にあった自信も薄れていって……」
狂った歯車は元には戻らず、高校3年になっても主力にはなれなかった。
「実力不足なのも分かっていたので、悔しかったですね。試合に勝ったけど、自分は出られなくて、泣いたときもありました。トップ昇格の天秤にすら乗っていないことも感じていたので、大学でサッカーをやろうと切り替えました」
ところが、第一志望だった法政大のセレクションに落ち、続いて桐蔭横浜大の練習に参加したものの、芳しい返事はもらえなかった。
「周りはどんどん大学が決まっていくのに自分だけが決まらなくて、焦りというか、不安を感じるようになって」
そんな伊藤に手を差し伸べてくれたのは、大槻だった。
「どうしてもレベルの高いところでサッカーがやりたかったので、いろいろ自分でも調べて、流経(流通経済大)は関東1部だし、プロ選手もたくさん輩出していたので、大槻さんに『流経に行きたいです』って相談したんです。そうしたら大槻さんが流通経済大のコーチと知り合いで紹介してくれて。その方も僕のことを知ってくれていて、練習参加させてもらって、合格したんです」
絶対に浦和レッズに戻る――。
たしかな決意を胸に、大学サッカーに飛び込んだ伊藤は、1年時から頭角を現していく。
U-19全日本大学選抜EASTに選出され、アジア大学サッカートーナメントに出場。優勝を果たすとともにMVPに選出されると、帰国後に流通経済大のトップチームに昇格する。
この頃、伊藤にとって憧れの存在だったのが、当時4年生で、卒業後に川崎フロンターレでプロとなり、この1月にポルトガルへと旅立った守田英正だった。
「練習や練習試合でボランチのコンビを組ませてもらうことがあって。ヒデさんはボールを奪えるし、ボールを失わないし、全体的にズバ抜けていた。キャプテンではなかったんですけど、チームをまとめる力もあって、目標の存在でしたね」
ある日、伊藤は守田からこんな言葉を掛けられた。
このままいけば、お前はプロになれるよ――。
そのひと言が、伊藤の自信をさらに膨らませた。
「ヒデさんがどこまで本気で言ってくれたのかは分からないですけど、嬉しかったです。それにヒデさんは大学卒業後、1年目から試合に出て、あれだけのパフォーマンスを見せた。身近な人がJリーグで活躍したので、自分が4年になったときのイメージがしやすかったです」
大学2年になると、新しいチャレンジが待っていた。レッズからやって来たコーチの天野賢一から「左サイドバックとして使うから」と告げられたのだ。
「もともと守備が得意だったわけでもないし、なんで自分がサイドバックなんだろうって。正直、あまり乗り気ではなかったですね」
だが、伊藤が任されたのは、従来のサイドバックではなかった。攻撃の際にはピッチの中央に潜り込み、攻撃の組み立てにも絡む、いわゆる「偽サイドバック」。このときの経験が現在、リカルド ロドリゲス監督のもとで「ポジショナルプレー」に取り組むうえで、大きなアドバンテージとなっている。
さらに大学3年後期には、センターバックにコンバートされる。
「サイドバックになったときよりはポジティブでした。センターバックのほうが縦パスを入れられるし、サイドバックのときよりもゲームメイクがやりやすい。それに、チーム事情で、自分がやらざるを得ない状況でもありましたから」
センターバックでプレーすることによって守備力が高まり、後方からのビルドアップのコツも身についた。これらも今、ボランチをこなすうえで、おおいに役立っている。
もっとも、プロになったらボランチで勝負したい、という気持ちを抱えていた伊藤は、大学4年の春、新たに着任したコーチに相談をした。
そのコーチこそ、現役時代にレッズに所属し、19年秋まで湘南ベルマーレを率いた曺貴裁(現京都サンガF.C.監督)だった。
「曺さんと面談する機会があって、『今年はボランチをやりたい』って伝えたんですよ。そうしたら曺さんが『まだセンターバックとして成長できる部分がある。センターバックを極めてから、ボランチに戻ったほうがいいんじゃないか』って。そこで、遠藤航さんの話をしてくれて」
18年夏にレッズから欧州へと羽ばたき、現在、ドイツのシュツットガルトで活躍する遠藤は湘南時代、曺の教え子だった。湘南時代も、レッズ時代も3バックの一角でプレーしており、海を渡ってからボランチとして大成した。
「曺さんが『航は今ではボランチとしてドイツであれだけ活躍しているけど、センターバックとして経験を積んで、センターバックとしての能力も本当に高いよ』って。それで、よし、自分も今年1年はセンターバックを極めようって」
大学4年の20年6月25日は、伊藤にとって記念すべき日となった。
大学進学の際に心に誓った目標――レッズへの加入内定が発表されたのだ。
さらに、秋にはレッズに合流することも決まった。当時、レッズを率いていたのはアカデミー時代の恩師である大槻監督だ。指揮官も成長した教え子との再会を楽しみにしていた。
しかし、伊藤がレッズに合流することはなかった。
9月2日に行なわれた天皇杯の茨城県予選決勝。流通経済大と筑波大の一戦は、1-1のタイスコアながら流通経済大が20本前後のシュートを放ち、相手を圧倒したままゲーム終盤を迎えた。しかし85分に決勝ゴールを許し、天皇杯の出場権を逃してしまう。
「曺さんがコーチに就任してから積み上げてきたものがあったし、実際にずっと押し込んでいたのに、負けてしまった。しかも自分の目の前の相手にシュートを決められて……。自分はキャプテンでもあったので、このままチームを離れることが成長に繋がるのかなって。それで中野(雄二)監督に、チームに残りたいと伝えたんです」
レッズの理解も得てチームに残った伊藤は、関東の大学王者を決める11月のアミノバイタルカップに、流通経済大の一員として臨む。
前年に関東1部から降格したため、流通経済大は2部だったが、駒澤大や桐蔭横浜大、早稲田大といった1部のチームを下して優勝に輝くのだ。
「1部の相手に対して自分たちのやってきたことが通用したし、相手を圧倒できた。もちろん、レッズに合流していたら、どうなっていたか分からないですけど、大学に残ってみんなと一緒に戦って、成長を実感できた大会でした」
年が明けた1月18日、伊藤は真新しい真紅のユニフォームをまとってレッズの新加入選手記者会見に出席した。その背中には「17」の数字が輝いていた。
流通経済大4年時にはセンターバックながら10番を背負っていたが、それとは別に50人を超える同学年のなかで付ける個人ユニフォームの番号には17番を選んでいたという。
「もともと7番が好きで、ユース時代は3年のときは7番、2年のときは17番を背負っていたんです。レッズでもマネージャーの方から『何番がいい?』と聞かれたので、『選べるなら7か17がいいですね』と伝えて。ただ、30番台になると思っていたら、『17番になったよ』って。1年目からこんな良い番号をもらえるとは思わなかったので嬉しかったです」
もちろん、レッズの17番が重い番号だということは、理解している。
「自分のなかでも、レッズの17番と言えば、長谷部誠さんのイメージが強いので、ファン・サポーターの方々もそうだと思います。そのイメージを塗り替えるくらいの活躍をしたいです」
沖縄キャンプでは、的確なポジションに立って最終ラインからボールを引き出し、素早くターンして縦パスを入れるなど、新監督の戦術をいち早く理解し、プレーで表現した。
阿部勇樹とボランチのコンビを組む機会も多く、指揮官から高く評価されているのは確かだろう。新加入選手記者会見で目標として掲げた「開幕スタメン」を狙える位置にいるのは間違いない。
「リカさんのサッカーは、自分の持ち味が出しやすいスタイル。自分でも手応えはあるので、このままコンディションを落とさず、開幕スタメンを狙っていきたい」
レッズでのスタメン定着の先に見据えるのは、日本代表や欧州挑戦だろうか。
浦和レッズの新時代の象徴へ――。
現代的な大型ボランチには、果てしない可能性が広がっている。
(取材/文・飯尾篤史)