「新井純平(元浦和レッズユース)が『やろう』と声がけしてくれて。あの大会は僕にとって、高校時代までの一番の思い出。すごく懐かしくて、幸せな時間でしたし、A代表に入っている選手、海外でプレーしている選手もいるので刺激を受けたというか。みんなとより高いレベルでまた一緒にやりたいと、改めて思いましたね」
「拓実は当時からすごい選手でしたけど、ひとつ上の(12年の)U-19代表には呼ばれなかったんですよね。でも、今ではA代表の主力になって、ビッグクラブでプレーしている。凄いですよね。喜田も去年、キャプテンとしてJリーグで優勝した。純粋に尊敬できるというか」
「サッカー人生って、いろいろな出会いや運に左右されることがある。そういう意味では、この9年でみんな、いろんな出来事があったんだろうなって……。でも、さらに9年経ったとき、どうなっているのか、すごく楽しみでもありますけどね」
「そこからU-15日本代表の道も開けていったんですよね。今度は代表で吉武(博文)さんに、ポゼッションサッカーを深く教えてもらった。野田さん、吉武さんと出会ったことで、足元の技術が自分の武器になった。プロになる前にそうした指導者と出会えたことはすごく大きかったと思います」
「1年でJ1に復帰したあとも、主力選手のケガが相次いで、開幕戦から出場できた。運がいいと言ったら、その選手たちに失礼ですけど、巡ってきたチャンスを掴んだと思っているし、どこにチャンスが転がっているか分からないなと。もちろん、監督の安達亮さんが、多少のミスには目をつぶって使い続けてくれたので、すごく感謝しています」
「神戸で5年間プレーして、チャレンジしたい気持ちが膨らんでいたし、神戸以外のチームで活躍する自分の姿を見てみたいとも思った。最後は(17年の)ACL決勝を見て決めました。このチームで、この雰囲気の中で、やりたいなって」
「(18年に)天皇杯のタイトルを獲れたのは移籍したことの成果のひとつだし、(19年に)ACLで決勝まで勝ち進むという経験も、負けてしまった悔しさも含めて、移籍したからこそ。それに、移籍1年目の前半戦はまったく試合に出られなかった。そういう難しさも、移籍しないと経験できないものでしたから」
「堀(孝史)さんのときはメンバーが固まっていて、入る隙がなかった。今じゃないな、と冷静に受け止めて、我慢しようと。ただ、大槻(毅)さんになって最初の試合でメンバー外だったときは、さすがに苦しかった。監督が交代してチャンスだと思っていた矢先だったので、メンタル的にきつくて」
「気持ちが入っていて、ゴールも決めることができた。やっぱりチャンスはどこにあるか分からないなって。(オズワルド・)オリヴェイラさんになってからもしばらく出られなくて、先が見えない状態だったんですけど、出られない選手たちと『今は耐えて頑張ろう』と励まし合っていました。
覚悟を決めて来たので、他のチームに行くという選択肢はなかったし、試合を見ていて、自分だったらこうしていたな、っていう場面がいくつもあったので、出たらやれるという自信もずっとあった」
「あのときは正直、納得いかなかった。ただ、当時はまだ若かったな、って今では思うし、悔しさを力に変えないといけないとも思っています。あれで鍛えられたというか、相当なことがない限り、気にしないようにもなりました」
「誰が見てもJリーグトップクラスの選手たちが争っていて、そこにキャンプの途中からトミーが入って来た。トミーは最初、慣れていなかったから、食い込んでくることはないかなと思っていたら、中断期間中にレッズのサッカー、日本のサッカーに適応して、能力の高さを証明した。5人で2枠を争うのは相当厳しいですけど、自分が中心となって1年間戦いたいと思っています」
「僕より年上は1個上のヤマ(山中亮輔)だけ。ヤマは声を出して鼓舞するタイプではないし、ポジションもサイドなので、そういう意味では自分が出場したときはディフェンスリーダーにならないといけない。トミーも橋岡もまだ若いので、いかに気持ち良くプレーさせてあげるか、を意識しています。
トミーは本当に吸収力が高く、どんどん成長している。自分も助けられているので、偉そうなことは言えないですけど、いかにトミーを助けるかを考えるようになりましたし、責任感はすごく出てきました」
「充実したシーズンにする。そう誓ってスタートしました。その意味では、ここまで全試合に起用してもらって、順調に来ています。だからこそ、今のこのポジションを手放したくない。危機感はすごくあります。毎試合100%の力で戦って、どんな試合でも自分の良さをコンスタントに出さないといけないと思っています」
「自分が目指している場所にはまだ辿り着いていない。オリンピックでは相当悔しい思いをした。あの悔しさを晴らすには、もう一度あのユニホームを着て活躍するしかない。もちろん、レッズで活躍することが一番ですけど、その先の目標として、あのユニホームを着て戦う自分を見たいし、後押ししてくれた人たちにも見せたいという気持ちがあります」
(取材/文・飯尾篤史)