苦しんだ先に歓喜が待っていた。
2018年12月9日、浦和レッズは仙台と天皇杯決勝を戦った。
「今年1年、やってきてよかったなって思えた。苦しい時期もあったけど、そうした苦しさも無駄ではなかったんだなと思えました」
この年、キャプテンに就任した柏木陽介は埼玉スタジアムで喜びを噛みしめた。
シーズン途中に指揮官に就任したオズワルド オリヴェイラ監督は「このスタジアムで、この素晴らしいサポーターの前で優勝でき、自分を抑えられないほど、うれしいです」と顔をほころばせた。
FW:⑨武藤雄樹、㉚興梠慎三
MF:③宇賀神友弥、⑩柏木陽介、⑯青木拓矢、⑮長澤和輝、㉗橋岡大樹
DF:⑤槙野智明、㉒阿部勇樹、㉛岩波拓也
GK:①西川周作
3−5−2で臨んだ浦和レッズは、相手の猛攻にさらされた。開始2分にファーストシュートを打たれると、その後も主導権を握られてしまった。ただ、指揮官のもと築き上げてきた冷静なゲームコントロールと粘り強い守備で、徐々にリズムを取り戻すと、13分には右CKを獲得した。
キッカーの柏木はショートコーナーを選択。武藤とのパス交換から、ペナルティーエリア手前にいた長澤にボールを預ける。長澤が間髪入れずに上げたクロスは、相手にクリアされてしまったが、そこに走り込んだのが宇賀神だった。クリアボールを迷うことなく右足でボレー。インフロントで完璧に捉えたシュートは、美しい放物線を描くと、まさに仙台ゴールに突き刺さった。
次の瞬間、埼玉スタジアムが歓声に包まれる。それは、苦しんできた、もがいてきた1年の鬱憤が、歓喜として爆発したかのようだった。
振り返れば、険しいシーズンだった。
前年途中から指揮を託された堀孝史監督のもとスタートしたが、リーグ開幕5戦を終えて2分3敗と勝ち星なし。順位も17位に沈んでいた4月2日、クラブは堀監督との契約解除を発表した。
育成ダイレクター兼ユースの監督だった大槻毅が暫定ながら指揮。その初陣となった4月4日のルヴァンカップ対広島戦で、スーツを着込み、髪をオールバックにして登場した大槻監督からは、強い覚悟と戦う姿勢が感じられた。
さらに大槻監督は、リーグ戦を3勝1敗で乗り切り、17位だった順位を9位まで盛り返し、後任であるオズワルド オリヴェイラへとバトンを引き継いだのである。
ただし、就任から連敗を喫するなど、鹿島アントラーズで3連覇を成し遂げた名将も、シーズン途中のチーム再建は困難を極めた。それでもJ1第12節の川崎フロンターレ戦では、前年度王者を相手に、興梠の2ゴールで初勝利を遂げ、クラブとしてJ1通算400勝という節目を飾った。
W杯による中断期間中に組織の構築を進めると、その後も乱高下しながらではあったが、5位でフィニッシュ。シーズン序盤の成績を考えれば、十分に軌道修正したと言えるだろう。
そこには、15得点を決めたエースの興梠、その興梠と2トップを組んで7得点を挙げた武藤の決定力と、第22節の磐田戦でハットトリックをしたファブリシオの爆発力など、攻撃陣の奮起もあった。
そうした1年の苦悩が報われた天皇杯決勝だった。浦和レッズとして12大会ぶり3度目の優勝を決めるゴールを挙げた宇賀神は、次のように語った。
「浦和レッズのレジェンドであるヒラさん(平川忠亮/トップチームコーチ)が引退する特別な年に、優勝カップを掲げることができた。ヒラさんに安心して『託した』と言ってもらえるようなゴールだったと思います」
平川が、筑波大を卒業して浦和レッズに加入したのが2002年。そこから17年間、浦和レッズ一筋でプレーした。その功績は、セレモニーに用意された獲得トロフィーの数が、ファン・サポーターが掲げたメッセージの数が物語っていた。
「自分を信じてパスを出してくれた仲間、自分のクロスを信じてゴール前へ走り込んでくれた仲間、自分のミスを何度もカバーしてくれた仲間、数多くの仲間に助けられて、ここまで来ることができました」
平川はそう引退セレモニーで語った。彼がクラブに残したのは、ともに戦う仲間を信じる気持ちであり、その後ろにいる人たちのために戦う姿勢だったのではないだろうか。指導者という立場に変わった今もなお、その哲学はクラブに受け継がれている。
J1リーグ:5位
YBCルヴァンカップ:プレーオフ敗退
天皇杯:優勝
(取材/文・原田大輔)
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