「ドイツに行きたいと思うようになったのは、大学1年生のときなので2012年ですね」
「安藤梢さんや熊谷紗希さんがドイツでプレーしていたことが大きかったですね。それとU-20W杯でドイツ代表と試合をしたときに、自分の思うようなプレーが全くできなかったことのふたつですね」
「抽象的な表現ですけど、日本人は技術が高くてうまいと言われていますよね。止めて蹴るといったボールの扱いに長けていて、判断力も優れていると。でも、それができないくらい相手のスピードも速ければ、パスの距離感も、パワーも、何もかもが違ったんです」
「自分では相手を交わしたと思っていても、まだ相手の守備範囲の中にいた。他にも、自分ではファールだと思っていても、相手からしてみたら、何でもないプレーだったりして」
「なでしこジャパンの活動で、ヨーロッパの選手たちと対戦するときには、常にそこを意識するようになりました。なでしこリーグでも間合いやスピードが違うので、常にそこを意識すれば、自分のレベルも上がるのではないかと感じていたんです」
「だから、海外に行きたいと、いきなり自分の心が突き動かされたわけではなくて、6年半を掛けて準備して行ったという気持ちだったんです。ドイツでやれるだけのレベルを目指して6年半、積み重ねてきたんです」
「このレベルでやれるところまでは持っていくことができたなと感じました。もちろん、探り探りなところもありましたし、いちから自分を認めさせなければならない状況でもあったので、チャレンジするところと、バランスを考えながらのプレーでしたけど」
「フライブルクも1位のヴォルフスブルク相手にいいサッカーをしていたんですけど、GKとの一対一を決めきれずに負けたんです。トップとの差は最後のところだなと感じました」
「結局、自分がピッチで何ができるかなんですよね。極端なことを言えば、たとえしゃべらなくても、ピッチで見せることができれば、みんな信頼してくれるし、認めてくれる。1年半の間では、レッズレディースで準備して行ったこともあって、スピードの速いサッカーにも球際の強いサッカーにも負けることなく、成長することができました。ボディコンタクトでもバーンって飛ばされるようなことはなかったんですよ」
「レネ・ヌーディングというセカンドGKがいたんですけど、彼女から、27歳になるので、今後、サッカーを続けていくかどうか分からないと言われたんです」
「実力はあるんだから、他のチームに移籍して続ければいいじゃない。それこそ海外に出るのもひとつの選択肢じゃない?」
「自分は代表に選ばれているわけじゃない。冷静に考えて、サッカーと仕事の比率を変えていかなければいけないと思っているの」
「私もどちらかというと、親から将来のことを考えて生活していきなさいと言われて育ったんです。だから大学にも進学して、大学院も出た。サッカーをやめた後のことも考えながら選手を続けているんですけど、ドイツにはそういう選手しかいなかった」
「テスト勉強でも、私、見るよりも書くことで覚えるタイプなんですよね。ドイツ語も書かなければ覚えないというか。サッカーもそれと一緒で、試合を経験すればするほど、引き出しが増えるんです。あっ、このパターンはあのときに似てるなって」
(取材/文・原田大輔)