試練の1年目だった。現役時代に2度制覇しているAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の決勝で完敗した光景は、鮮明に記憶に残っている。浦和レッズの平川忠亮コーチは、自らの無力さを痛感した。
「まだまだ勉強が足りないと思いました。もっと何かできたのではないかって。選手たちに笑顔でタイトルを取らせてやるために、僕自身コーチとして成長しないといけません」
国内のリーグ戦でも残留争いに巻き込まれ、J1リーグで14位と低迷。2019年の締めくくりも不本意なものとなった。2018年限りでスパイクを脱ぎ、指導者として新たなキャリアを歩み始めたばかりではあるが、コーチとしての責任をひしひしと感じている。
「浦和は国内一流の選手たちが集まっています。素晴らしいチームになるはずです。言い訳はできません。コーチを務めている以上、ピッチでスペシャルな選手たちをうまく踊らせないといけなかった」
選手時代と変わらず、朝から練習場に通ったが、時間の過ごし方は全く違った。3月14日、浦和レッズユースのコーチから急きょトップチームに抜てきされ、見よう見まねでスタート。些細なことも勉強になった。オズワルド オリヴェイラ前監督が円陣を組んで指示を出しているときだ。ルイス コーチから「こっちに来い」と促され、監督の後ろにすっと回った。
「ここから選手たちの顔を見るんだって」
練習中の掛け声でも、コーチは意識するポイントが違った。トレーニングの強度を高めるためにあえて熱のこもった指示を出し、選手たちを煽ることも求められた。
「選手のときには気が付かなかったことですね。そういえば、そういうことをしていたコーチもいたなと」
最も大切なのは指揮官の意図を理解し、サポートし続けることだという。
「監督の目指すサッカーを支えるのが一番の仕事です。練習一つとってもそう。監督、コーチがひとつにならなければ、チームはバラバラになります」
選手時代は監督の指示通りに動くだけではなく、自ら考えてプレーを選択することもあった。指導する立場になると、そうはいかない。ひとつの方向に導いていくのが監督であり、それに協力するのがコーチングスタッフの役目である。陣頭指揮を執るリーダーが、2人、3人いるとチームはまとまらない。
「個性の異なる選手たちに監督の求めることを落とし込むのは簡単ではないですね。彼らに納得してもらえるように話さないといけません」
コーチ1年目の苦労が言葉ににじむ。それでも、浦和で17年間プレーしてきた経験は、大きな財産である。昨季までともに戦ってきたメンバーが多く、コーチになってからも選手たちからは「ヒラさん、ヒラさん」と慕われていた。後輩たちとの距離感はあえて変えず、今季はコーチングスタッフと選手の架け橋になる役割も果たしていた。
当初は指導しながら戸惑うこともあったが、トライを繰り返すシーズンだった。コーチングの課題は、しっかり認識している。
「同じメニューを課しても、選手によって理解度は異なります。すぐにできる選手ばかりではありません。時間がかかるのは悪いことではないです。丁寧に落とし込めば、爆発的に力を発揮する選手もいますから。すべての選手に監督の意図を理解させ、能力を引き出さないと。できない選手をできるように促すのが僕らの仕事です。それを考えると、僕はまだコーチではなかったと思います。指導力をもっとつけないと」
謙虚に足元を見つめ、年下や同年代のコーチにも助言を仰ぎ、一歩一歩進んでいる。選手時代の華やかなキャリアにあぐらをかくことはない。
「僕は年を取ったルーキーなんで(笑)。勉強することは多い。選手経験を積んでいるだけでは通用しない世界です」
何事も初めからうまくいくものではない。浦和レッズでのサッカー人生を思い返せば、プロ1年目に悔しさを味わっている。2002年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝で鹿島アントラーズに0-1と惜敗し、涙に暮れた。それでも、その敗戦を糧にして研さんし、翌年には同大会の決勝で、苦杯をなめさせられた宿敵に4-0と圧倒して、初タイトルを奪取した。浦和とともに歩んできたコーチは、2020年シーズンに向けて、チームとともに成長することを誓う。
「どん底からはい上がっていくのがレッズの良さ。そうやって、僕も何度もチャレンジしてきました。また一からやり直します」
シーズンオフはヨーロッパに出向き、オーストリアのザルツブルクやスペインのエイバルなどの試合や練習などを視察するという。まずはコーチとしての足場を固めることに注力する。
そして、いつの日か浦和レッズで指揮を執ることを目標にしている。指導者としての大きな夢に向かい、来季も地道にコツコツと学び続ける。
(取材/文・杉園昌之)
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