GK出身で、現役時代にはブラジルでプレーした経験もある。浦和レッズには2007年に加入し、レディースやアカデミーの各カテゴリーでコーチ・監督を務めてきた。トップチームでは大槻 毅監督をはじめとするコーチングスタッフと選手たちを繋ぐ橋渡し的な役割を務め、理論家としても知られる工藤輝央コーチの思いを聞いた。
(取材/構成・飯尾篤史)
監督と選手の橋渡しが僕の役割
もともと僕は、読売クラブの下部組織出身で、GKをしていたんです。同期には今、横浜FCの南 雄太選手がいました。彼は静岡学園高に進学したので、一緒にトレーニングを積んだのはジュニアユースまでですが、ポジションを争っていました。
個人的に南米への憧れが強かったので、ユース卒業後、ブラジルに渡ったんです。ブラジルには2年間いましたが、パルメイラスに所属し、2軍とU-20のチームにいました。そのときチームメイトには、のちに浦和レッズの一員となるエジミウソンがいたんです。エジと一緒にベンチを温めていましたね。
帰国したあと、某Jクラブと契約するチャンスが訪れかけたんですが、メディカルチェックで引っかかってしまって。手首の骨を折って曲がっていたんです。それで気持ちを切り替えて、指導者になりました。
最初は、現役時代にお世話になった方から紹介された広島朝鮮高でGKコーチを務めた。当時、3年生に今、FC町田ゼルビアの李 漢宰選手がいました。その後、縁あって岡山の作陽高でも指導させてもらいました。このときは今、サンフレッチェ広島の青山敏弘選手がいましたね。その後、大原学園JaSRAで3年間、指導したんですけど、そのころに受けたB級ライセンスの講師が以前、レッズにいた村松 浩さんでした。そのムラさんに誘っていただき、レッズでお世話になることになったんです。
最初はレッズレディースで主にGKを担当するコーチを務めました。ちょうど、今、なでしこジャパンに選出されている池田咲紀子が中学2年生だったかな。FWからGKにコンバートされた直後だったんですが、彼女を指導しました。その後、ジュニアアカデミーで浦和の地域の子供たちを指導したり、ジュニアのコーチになり、今回、U-17日本代表にも選ばれた鈴木彩艶も指導しました。
彼らのキャリアの初期の大切な時期に携わらせてもらえたことは本当にありがたかったです。
レッズに入って3年目かな、ジュニアの4年生のグループを立ち上げることになり、GKコーチだけではなく、全体を見させてほしい、と手を挙げたんです。今、中学3年の子たちなんですけど、すごく良い経験をさせてもらいました。その後、ジュニアの監督、ジュニアユースの監督もやらせていただき、GKコーチだけでは見えないものや、逆に、全体におけるGKの役割の重要さもあらためて学ぶことができました。
これまで本当に多くの指導者の方々から学ばせてもらいました。
レッズでは、トップチームの練習を見せていただき、土田尚史さんのGK理論に影響を受けました。今は柏レイソルにいる岩瀬 健さんからも多くの刺激をもらいましたし、レディース時代には最初に一緒に仕事をさせていただいた永井良和さんからは勝負師の采配を、ムラさんからはチーム作りのいろはを学ばせてもらった。
作陽高の野村雅之監督からは大人数をまとめるマネジメントのところを、広島朝鮮の高 隆志監督には教育的側面を、そして、もちろん、大槻毅監督からも常に刺激をもらっています。
大槻さんは、良い意味で、考え方が人と違うんです。頭の回転も早いし、発想力もある。例えば、相手のセットプレーをまとめたビデオをコーチングスタッフで見ていて、2、3シーン見たら、「こういうのもあるんじゃない?」って言うんです。すると、本当にそういうシーンが出てくる。試合のダイジェストを見ていても、「こういう展開になっていくんじゃないか」と言うと、本当にそうなる。予言しているわけではなく、これまで数え切れないほどの映像を見てきたから、読めるんでしょうね。
ひらめきも多くて、例えば、トレーニング内容が直前で変わることもある。選手たちは気づかないと思いますが、僕らは事前に準備していたものとは違うから、心の中で驚いています。練習の雰囲気などを察して、アレンジしているんだと思います。
僕の役割は、大槻さんをサポートし、監督と選手の橋渡しをすることがメインです。アウェーの日の居残り組のトレーニングを見るのも、僕の重要な任務です。
試合日はスタンドからの情報をベンチのコーチングスタッフに伝えることが多いですが、ACLではベンチ入りの人数が多いので、僕もベンチに入ることができます。ベンチにいると、スタンドからの「We are REDS」コールの迫力が凄くて、本当にパワーになるな、ということがあらためて感じられました。ぜひ、これからも熱いサポートをよろしくお願いします。
(工藤輝央)
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