試合中にプレーが切れればすぐに周囲と確認作業を行う。ある試合ではキックオフ直前、右隣の橋岡大樹に身振り手振りで指示を与えた。
トレーニングの合間にも彼の周囲には笑顔が溢れ、ユース年代ながらプロ契約しているチーム最年少の鈴木彩艶は、最もかわいがってくれる先輩として真っ先に彼の名前を挙げた。
今、埼玉スタジアムでも大原サッカー場でも浦和レッズの中心には岩波拓也がいる。
ラインを統率して守備陣をコントロールし、鋭い縦パスやサイドチェンジでチャンスの起点になる。21節 サガン鳥栖戦から先発に復帰すると、自身の連続先発出場試合数はチームの連続無敗試合数と一致している。
だが、岩波にとっての2020年はここまで、喜びよりも苦しみの方が大きかった。
フォーメーションも戦術も一新したシーズンで岩波は、開幕、そして新型コロナウイルスの影響で中断したシーズンが再開した後も、カップ戦を含めて7試合続けて試合開始のホイッスルをピッチ上で聞いた。
その機会は突然失われた。7節 横浜FC戦。岩波の姿はピッチになかった。メンバーにすら入っていなかった。
「なんか……ちょっと……」
当時のことを思うと、それまで淀みなく流暢に出続けていた言葉が詰まった。
「不満というか、納得できない部分もありました」
試合に出られなくなったことを不満に思わない選手はいない。誰もが次の試合でピッチに立とうと日ごろのトレーニングから奮闘している。それはレギュラーも、シーズンで一度もピッチに立っていない選手も変わらない。
連敗はしたが、自身の感触、手応えは悪くなかった。連敗している以上、チームが何かを代えるという選択をするのは妥当。だが、自分が外されるとは思ってもみなかった。
それでも、思い直してみる。キャンプからメンバーをほとんど固定することなく、様々なメンバーで開幕まで準備を進めてきた。いつ誰が突然、試合に出られなくなるか分からないのが今シーズン。それは客観的に考えれば分かっていたはずだった。キャリアを重ねてきたことで「それもこの世界」ということも分かっていたはずだった。
そして、思い出した。4年前、リオデジャネイロオリンピック。岩波は予選から戦い続け、本戦のメンバーにも選出された。だが、一度も試合のピッチに立てなかった。ただ一人だけ――。そういう大会ではGKを代えることは少なく、『フィールドプレーヤーだけ』ということは珍しくないが、岩波はGKも含めて18人の中で唯一、試合に出られなかった。
「あの屈辱に比べればたいしたことはないな」
屈辱が岩波を選手として大きくした。あの屈辱があったからこそ、今もう一度、踏ん張り直すことができた。
もう一つ、自分がもがき苦しんでいる中、隣には頼もしい先輩がいた。
「周りの選手を見ていてもそうですが、大輔君も難しい状況が続いている中で、同じポジションとしてすごく尊敬できる部分が、そういう面に関してもあります」
自身の4年前にオリンピックに出場し、日本代表で戦った経験もある鈴木大輔。彼もまた開幕2試合で先発フル出場しながら、出場機会を失っていた。
それでも鈴木(大)はトレーニングで一切手を抜かなかった。不満を漏らすこともなかった。尊敬する先輩のそんな様子を見ていて、自分がやらないわけにはいかなかった。
若いころはもしかするとそれでも難しいこともあったかもしれない。だが、今は違う。先輩を見ながら、自分も与えられた練習を100パーセントやり切ることを意識していた。やり方を変えるのではなく、とにかく自分の力を全て出すことだけに日々、集中していた。
16節 北海道コンサドーレ札幌戦で、リーグ戦10試合ぶりに先発出場する。19節の横浜FC戦を前半のみで交代すると、再びベンチに座る試合が続いたが、一つの壁を乗り越えた当時は冷静に自己分析できていた。
「パスの精度が悪かったですよね。途中の相手に当たったり、ボールが大きくなったり。自分の中ではらしくないというか、許せないようなミスがありました」
技術の問題ではない。当時の岩波が武器を失いかけた理由。それは試合勘、そしてメンタルにあった。
「久しぶりの試合ということで大きなミスをしたくないという気持ちがありました。積極性がなかったと思います。自分の得意なプレーを慎重にやりすぎたということはありました」
だから再び出場機会を得た際には、思い切ってプレーしようと思った。自分のプレーができずにまた外されるくらいなら、思い切りプレーした方がいい。
「失うものはない」
そう考えると、ミスを恐れなくなった。もちろん試合勘はすぐには戻らない。3試合ぶりに先発出場した21節 サガン鳥栖戦ではPKを与えてしまった。西川周作のビッグセーブにより事なきを得たが、満足できるプレーができたわけではなかった。
「『これでいける』という手応えは全然なかったですね。トミー(トーマス)が出場停止になって試合に出たので、次の試合はまた……という気持ちがありました」
ではなぜ、出続けられたと思うのか。
「チームが結果を残したからじゃないですかね。チームに感謝ですね」
23節のベガルタ仙台戦はチームにとって3試合ぶり、岩波にとっては再び先発に復帰して初めて迎えた埼玉スタジアムの試合だった。
2試合続けてフル出場したことで試合勘も戻りつつあった。29分、興梠慎三がボールを下げると岩波はワンタッチでサイドチェンジのパスを送る。汰木康也がピタリとトラップして突破すると、チャンスが生まれた。
スタジアムのファン・サポーターは声を出すことを禁止されているが、スタンドが沸いたことが分かった。スタジアムの温度が上がった気がした。気持ちが良かった。
「自信を持ってサイドチェンジを打てるようになれた部分が一番ですね。それが大きいかなと思います」
岩波が先発出場すると同時に、チームは結果が出るようになってきた。たとえばホーム3連戦を全て落とすなど勝てなかった時期と今、岩波自身もベンチから戦況を見つめていた時期とピッチで戦う今では立場が違うが、チームの変化を感じている。
「勝てない時期は少し難しそうにプレーしていたなと思いますが、今はみんなプレーに自信が出てきましたし、試合をするのが楽しそうだなと後ろから見ていて感じます。みんなが躍動していると思います」
岩波自身はどうなのか。
「そうですね、今は楽しいですね、やっぱり」
26節のサンフレッチェ広島戦から27節の横浜F・マリノス戦までは2週間空くが、チームはアウェイ4連戦の真っ只中。岩波にとっても経験のないことだが、今はむしろワクワクしている。
「その4試合目がヴィッセル神戸戦です。アウェイ4連戦の最後が地元なので、すごく楽しみにしています。神戸でアウェイ4連戦を勝利で締めてホームに帰ってくる。それが理想ですね」
神戸戦を終え、埼玉スタジアムに戻ってくれば今季のリーグ戦も残り5試合。佳境を迎える。
「今年のスタートでACLという目標を立てていて、その可能性もまだ残していますし、対戦相手を見ても上位が多く並んでいます。勝ち点3以上の価値がある試合が続くし、チャンスだと思います。シーズンが終わったときにACL圏内にいれば今年の目標が達成できるので、この時期にその可能性をまだもって戦えるということはすごくいいことだと思います。楽しみですね」
チームメイトと分け隔てなくコミュニケーションを取り、チームを明るくする岩波が、試合を終えるたびに、そしてリーグ最終節の札幌戦を終えたときに満面の笑みを見せられるのか。
結果は誰にも分からない。それでも岩波はピッチで自身の特長を発揮し、周囲とコミュニケーションを取りながら守備の改善を図り、そして最高の結果を出すために全力を尽くしていく。それは分かっている。
(取材・文/菊地正典)