浦和レッズの歴史をひもとくこの企画。今回はJリーグ誕生の前年、前哨戦となるナビスコカップが開催された1992年をプレイバックする。浦和レッズはいかにして誕生し、記念すべき最初の公式戦をどう戦ったのか――。
若いファン・サポーターには新鮮な驚きがあり、昔からのファン・サポーターにとっては懐かしい情景がよみがえるはずだ。
若い方々の中には知らない人も多いかもしれないが、浦和レッズの前身である名門・三菱重工サッカー部は東京で活動し、国立競技場や西が丘サッカー場をホームスタジアムにしていた。
日本初のプロサッカーリーグ誕生を3年後に控えた1990年夏。プロリーグ参入を決めた三菱は、サッカー部を一般消費者に近い三菱自動車に移し、日本サッカーリーグ(JSL)最後の2シーズンを戦った。
プロ化にあたり、当初は江戸川区をホームタウンに、江戸川区陸上競技場をホームスタジアムとして検討していた。
この計画がスムーズに進んでいたとしたら、東京レッズになっていたかもしれない!?
だが、スタジアム改修の交渉が難航し、最終的に浦和市(現さいたま市)をホームタウンにすることが決定。1992年3月31日には市内でクラブ名、活動理念、エンブレムを発表し、4月1日から「三菱浦和フットボールクラブ」として活動を開始するのだ。
最初の公式戦は、Jリーグの前哨戦として9月に開幕するナビスコカップ。飛躍を誓う新生・浦和レッズは大型補強を敢行した。
日産(現横浜F・マリノス)からFW柱谷幸一(元GM)とDF田中真二、NKKからMF望月聡、東芝(現北海道コンサドーレ札幌)からMF堀孝史(元監督など)、NTT関東(現大宮アルディージャ)からGK田北雄気を獲得。さらにペルーのデポルティボ・アエルからMFエドウィン・ウエハラ、アルゼンチンのロサリオ・セントラルからDFトリビソンノを迎え入れた。
この精鋭たちと、若きエースFW福田正博(元コーチ)、FWオスバルド・エスクデロ(エスクデロ競飛王の叔父)、MF名取篤(現育成/スカウト)、MF広瀬治(元ユース監督など)、GK土田尚史(現SD)といった主力選手たちとの融合を託されたのが、“浦和レッズの父”――森孝慈監督(故人)である。
1967年に早稲田大学から三菱重工に入社した森は、JSLで2度の優勝を経験。日本代表として64年の東京五輪と68年のメキシコ五輪に出場し、メキシコ大会での銅メダル獲得に貢献した日本サッカー界のレジェンドだ。
81年に日本代表監督に就任し、85年には韓国との一騎打ちを制すればワールドカップ出場…というところまで迫ったが、惜しくも敗退。その後、三菱重工サッカー部の総監督を務め、プロ化に向けても尽力した。
1992年9月、いよいよナビスコカップの幕が上がる。
全10チームによる総当りのグループステージが行われ、上位4チームが準決勝に進出するというレギュレーションだ。
ホームの埼玉県大宮公園サッカー場で行われた初戦の相手はジェフ市原。記念すべき初の公式戦のスターティングラインナップは、こんな顔ぶれだった。
GK:①土田尚史
DF:②田中真二、③トリビソンノ、④村松幸典
MF:⑤望月聡、⑥名取篤、⑧佐藤英二、⑨福田正博
FW:⑦エスクデロ、⑩尾崎加寿夫、⑪柱谷幸一
試合は2度のリードを許し、65分に望月の、82分に柱谷のゴールで追いついたものの、延長Vゴールを奪われて惜敗してしまう。
だが、2節ではサンフレッチェ広島を3-2と撃破。4節からは鹿島アントラーズに3-2、横浜フリューゲルスに2-1、横浜マリノスに2-1と3連勝。いずれも複数スコアで打ち勝った。
この得点力の高さはどこからくるのか?
その秘訣は、森監督の採用するフォーメーションにあった。「もう一度、見に行きたいと思わせるようなサッカーをしないといけない」とは森監督の弁。福田、柱谷、エスクデロを前線に並べる3-4-3の布陣を採用し、攻撃に厚みをもたせたのだ。
エスクデロが鋭い突破で相手の守備網を切り裂き、エースの福田とベテランの柱谷が次々とネットを揺らす――。
さらに話題となったのが、浦和サポーターの存在だ。
スタンドでは真紅の大旗が揺れ、発煙筒まで飛び出す加熱ぶり。スタンドの熱狂度は10チーム中トップクラスで、熱いサポーターはたちまち評判となった。
4勝4敗で迎えた9節のグループステージ最終戦。準決勝進出を懸けてガンバ大阪と対戦した浦和は36分、ウエハラのパスを柱谷が決めて先制。だが、前半終了間際に追いつかれる。後半は浦和が一方的に攻め込み、エスクデロが、福田がゴールに迫るが、スコアを動かせない。
決着がついたのは107分、CKのこぼれ球を福田が決め、激闘にピリオドを打った。
最終結果は勝点25の5位。4位の鹿島と同勝点だったが得失点差で及ばず、準決勝進出はならなかった。
だが、攻撃的なサッカーは、翌年のJリーグでの躍進に大きな期待を抱かせるものだった。
さらに、年末の天皇杯でも準決勝に進出。三浦知良、ラモス瑠偉らを擁するヴェルディ川崎に敗れたものの、2-2でPK戦にまでもつれ込む接戦を演じ、新生・レッズは確かなインパクトを残すことに成功した。
[成績]
ナビスコカップ:グループステージ敗退
天皇杯:ベスト4進出
(取材/文・飯尾篤史)