通過点——。
4月18日、アウェイで行われたJ1第10節・セレッソ大阪戦で西川周作がJ1通算500試合出場を達成した。
「いろいろな方におめでとうという言葉を掛けられましたが、僕自身は500試合という実感は、まだありません。500試合は通過点の1試合だと思っていましたし、特別に思い入れがあるわけでもありませんでした。楢﨑(正剛)さんがGKとして出続けた試合数を目標としてやっていますので、500試合はひとつの通過点として、みなさんに見ていただけたらと思います」
2005年にデビューした大分トリニータで118試合、10年から4年間在籍したサンフレッチェ広島で135試合、そして浦和レッズでは、14年から今日まで247試合を積み重ねてきた。
浦和レッズでは、リーグ戦を欠場したのはわずか1試合のみ。19年にAFCチャンピオンズリーグ決勝を戦うため、連戦だったJ1第30節の鹿島戦でベンチになった。その試合、チームが0-1で敗れたこともあり、当時、語ってくれた言葉が強く印象に残っている。
「チームが試合に負けたなかで、何も自分ができないことが非常に悔しくて、あの試合は今後も忘れないと思います。自分自身は、もっと、やれたと思うし、そこは監督の判断ですけど、自分の思いは伝えました」
34歳という最年少でJ1通算500試合出場を達成しながら、そこを通過点と語るのは、今なお成長したいという飽くなき思いにある。
やはり19年に話を聞いたときには、当時キャリア15年目を迎えていたにもかかわらず、シュートを打たれるときの“構え”を変え、よりボールに目線を合わせるため、重心を低くするようにしたと明かしてくれた。
GKにとって、重要なシュートセーブにおける“型”を変える作業は、決して容易なことではなかっただろう。
20年にインタビューをしたときには、筋トレの量を増やして、体脂肪率を2%ほど落としたと教えてくれた。フィールドプレーヤーではないとはいえ、アスリートである。筋力を増やし、体脂肪を落とすトレーニングも決して簡単なことではなかっただろう。
本人は、「おかげで身体が軽くなりました」と、爽やかな笑顔を向けてくれたが、そのすべては、やはり、自分を向上させるためだった。
迎えた今シーズンも、ビッグセーブでチームの窮地を救えば、鹿島アントラーズ戦(J1第7節)の78分に、明本考浩を走らせたレーザービームのようなロングフィードをはじめ、攻撃にも貢献している。
もともと足元の技術に定評のある西川だが、他の試合でもたびたび、キックで魅せているのは、リカルド ロドリゲス監督のサッカーにおいて、自分の強みを発揮しようとする意欲の表れだろう。
いつだったか、西川はこう言っていた。
「結果がすべての世界ではありますけど、やはり楽しむことと、こだわり続けることが大事かなと思っています」
自分で蓋をしなければ、成長し続けられる。だから、500試合も西川にとっては通過点なのであろう。
そうやって、自分自身に向き合い、こだわり続ける西川は、成長を胸に、501試合目のピッチに臨む。チームを勝利に導くために——。
(取材/文・原田大輔)