2018年12月13日。スロベニアの首都、リュブリャナ。
ズラタンは早朝のカフェで、凍り付いた窓の向こうを眺めていた。
ホットワインが静かに湯気を立てる。
マグは3つ。J1浦和のチームメートである阿部勇樹と興梠慎三が、それぞれのリズムで香りと味をめでていた。
特に会話もない。
3人には、それが無性に心地よかった。
ワインが身体の芯を温めたら、旧市街の道に出る。
ズラタンはゆっくりとした英語と、片言の日本語とで、中心街に点在する史跡のいわれを説明する。
通訳を交えれば、説明はもっとはかどるかもしれない。
しかし彼らには、時間と手間をかけた意思疎通自体が、何よりも楽しいものに思えた。
乾杯を"お預け"にして
「ものすごく、幸せな時間だった」
ズラタンは目を細めて、そう振り返る。
昨季、浦和レッズは天皇杯を制した。
12月下旬にFIFAクラブワールドカップ出場を控えた鹿島が勝ち残っていたため、通常は元日に決勝を行う大会が、12月9日に決勝を行う変則日程になった。
いつもよりも早いオフの到来。しかも、優勝という最高の形で締めくくった。
ズラタンと阿部、興梠は示し合わせて、3日後にはヨーロッパ行きの飛行機に飛び乗っていた。
せっかくだからと、優勝を祝う乾杯は到着まで我慢した。
イタリアと地続きのスロベニアは、実はワインどころでもある。
「スロベニアの冬は寒く、雪も多い。だから本当は観光にあった季節じゃないんだ。でも、そんなことはどうでもよかった。あのふたりが来てくれたんだから」
自宅に招き入れ、20時間越しの祝杯を掲げた。
行ってみたいな、いつかは
その1年前。
阿部はLINE NEWSの企画で恩師イビチャ・オシムさんを訪ねて、同じ旧ユーゴ圏のボスニア・ヘルツェゴビナに降り立った。
旧市街のカフェで軽食をとることになったときのことだ。
通訳の千田善さんがメニューを説明しようとするのを制して言った。
「ブレク!ブレク食べたいです」
千田さんは不思議がった。
「あれ、阿部ちゃんそんなことまで予習してきたの?」
「いえ、ズラが教えてくれたんです。サラエボに行ったらブレクだと」
渦巻き状のミートパイ。確かに美味しく、食べ応えがあった。
「やっぱり、ズラの言う通りでしたね!あいつ、ボスニアに行くと言ったら、すごく喜んでくれて、親切にいろいろ教えてくれたんですよ」
「そうだ、このロケの合間に、リュブリャナまで行くのって難しいですか?ズラがちょうど帰省しているし」
同じ旧ユーゴ圏だが、乗用車で向かえば5時間ほどはかかる。
そう告げられ、阿部は肩を落とした。オシムさん詣では、現地滞在2日未満の強行軍だった。
「それじゃさすがに難しいですね。でもやっぱり、ズラの家には行ってみたいな。いつかは、きっと」
いいよ、オレが航空券を予約する
翌2018年、天皇杯決勝直前の練習。
ウォームアップのためにランニングしている最中、興梠は何となく阿部に聞いた。
「阿部ちゃんはこのオフ、どうするの?天皇杯の日程が変わって、だいぶ時間できたじゃん」
「オレ?オレはさ、ズラの家に行くよ。決勝終わったらすぐに」
「えっ?そうなの?オレも行きたいけど…」
「なら行こうよ!」
「ホントに?ちょ、ちょっと待ってね、すぐにヨメさんに確認するから」
練習が終わるとすぐに、妻に電話した。「いいじゃん、行ってきなよ」と快諾してくれた。
すぐに阿部に「オレも行くよ!」と申し出た。
「でも、どうすればいいの?」
「大丈夫だよ。オレが慎三の分も航空券の予約するから」
スロベニアに行くならどういう旅程をとればいいか。ずっとリサーチを重ねてきた。
そんな阿部にとって、航空券の予約などはお手のものだった。
すぐ戻るつもりだった
リュブリャナの旧市街。3人は再び、カフェでワイングラスを傾けていた。
話題はズラタンの今後のことについて。
浦和加入から4年がたったこのオフ、ズラタンは浦和レッズとの契約が満了になり、退団することが決まっていた。
実績はある。関東圏のクラブが獲得に動くのではないか、という話はあった。
だから、オフを過ごしたら、ズラタンはすぐに日本に戻るつもりだった。
家族は慣れ親しんださいたま市での暮らしを続けさせる。そう考えていたから、浦和のみんなへのあいさつは、いつでもできると思っていた。
自分のサッカー用具も、浦和レッズのクラブハウスに置いたままだった。
阿部が笑った。「マネジャーの水上さんが、ズラのスパイクはチームで一番くさいと言っていたよ」
すごく、日本人っぽいなと
ズラタンの荷物は、それから1年たった今もまだ、浦和レッズのクラブハウスに残されている。
今回は特別に、強化部スタッフの水上裕文さんが中身を見せてくれた。
段ボールは3つ。ほとんどがスパイクとトレーニングシューズだ。
しかしその大半は未使用のもの。使った形跡のあるスパイクは、1足しかなかった。水上さんは言う。
「どうですか。この履き込み方。プロの選手で、ここまで履くやつには会ったことがないです」
アッパーは擦り切れ、分厚いプラスチックのソールも真っ二つに割れている。
ここまで履き込めば「スパイクがチームで一番くさい」というのも道理だ。
「ここまでひとつのものを大事に使う。あいつ、日本人より日本人っぽいんですよね」
契約メーカーが用具を入れて送ってくる段ボール箱の片付け方も、水上さんの目を引いたという。
「箱をそこらへんに雑に積んで置いておく選手が多いので、僕らが片付けてあげたりするんですが、ズラはその必要がまったくなかった。いつも、段ボール箱を丁寧にたたんで、重ねて片付けていたんですよね。そこらへんも、すごく日本人っぽいなと」
オレの給料を回してくれ
12月、あっという間に日は傾いていく。スロベニアも日本と同じだ。
来季の話をひとしきりすると、カフェテーブルを囲む3人の間に、しんみりとした空気が流れた。
「もう少し、一緒にやりたかったな」
それ以上は言わなかったが、3人の脳裏には、同じことが浮かんだ。
それは、退団時の「秘話」だった。
スロベニア渡航の数週間前。
興梠はクラブの強化スタッフと、来季の契約についての話し合いを始めていた。
自分のことよりも心配なことがあった。「ズラはどうなるの?」
言いよどむスタッフの様子で悟った。契約更新はされないのかー。
「ズラは腰痛から復帰したばかり。この状態で契約が切れてしまったら、手を挙げてくれるクラブはないかもしれない。せめてあと半年でも、契約してあげることはできないんですか?」
クラブ側も、興梠が言いたいことはよくわかった。ズラタンを思う気持ちは同じだ。
ただやはり、強化部はすべての選手をフェアに扱わないといけない。静かに首を振るしかなかった。
興梠はなおも食い下がった。
「そこを何とか、お願いします!オレの分の給料を回してくれればいいから!」
とめどなく流れる涙。感謝の気持ち
それからしばらくして、ズラタンは強化部との話し合いに臨んだ。
おそらく、契約が更新されることはないだろう。覚悟はしていた。
予想は当たった。しかし、強化部から聞かされたのは、契約満了の方針だけではなかった。
興梠から強化部への「申し出」について、ズラタンはその場で知ることになった。
そこまでに、自分のことを思ってくれているのかー。
気づけば、声を上げて泣いていた。
とめどなく涙があふれた。懸命に嗚咽をこらえて、頭を下げた。
「そこまで思ってもらえるだけで十分です。今まで本当にありがとうございました」
数週間後。天皇杯決勝仙台戦の後半ロスタイム5分。
途中交代で1点リードのピッチに入ったズラタンは、興梠からキャプテンマークを手渡された。
チームメートからの「はなむけ」だと察した。また、感極まりそうになった。
だが、これはあくまでタイトルのかかった試合で任された重責だと、気持ちを引き締めた。
脳裏に描かれた、新たな選択肢
阿部、興梠のスロベニア滞在は、3日間に及んだ。
別れの日。「日本で待ってるよ」。そう言って去る2人の背中を見ながら、ズラタンは今後について思っていた。
レッズでは、本当にいい思い出をたくさんつくることができた。
16年のルヴァンカップでの優勝。17年のアジア制覇。そして18年、キャプテンマークを巻いての天皇杯優勝。
ピッチ外でも思い出は多かった。
平川忠亮、李忠成、柏木陽介の3人が札幌旅行に出かけると聞いて、通訳も連れずに同行した。
「やっぱりここは男気じゃんけんでしょ」
3人が言うのに従って、いくつもの店を回った。ラーメン、ジンギスカン、海鮮居酒屋、スープカレー。
ズラタンが負けたのは1か所だけ。しかし、一番高いすし店だった。
3人は腹を抱えて笑っていたっけ。思い出していると、自然と笑みがこぼれていた。
そして脳裏には、ひとつのプランが描かれつつあった。
美しい思い出をそのままにするためには、レッズを最後にキャリアを終えるのも、いい選択肢なのではないかー。
チームを鼓舞した「伝説の一言」
2019年シーズン。
ズラタンが日本に戻ってくることはなかった。
スロベニアにとどまったまま、現役生活にピリオドを打った。
そして、自分がサッカーを始めたアマチュアクラブで、指導者としてのキャリアをスタートさせた。
そして11月。およそ1年ぶりに来日し、埼玉スタジアムでレッズの試合を観戦した。
翌日にはクラブハウスを訪れ、所属する選手たちと旧交を温めた。
「ズラと言えば、あのコメントですよね」
ズラタンの広い背中を見ながら、チーム付きの広報担当がポツリと言う。
2017年11月、ACL決勝。浦和レッズはアルヒラルとの初戦を1-1で終えた。
敵地での引き分けという結果は上々だったが、終始押し込まれる展開だった。
しかし、試合後に取材を受けたズラタンは、はっきりと言い切った。
「彼らは浦和レッズの真の姿を知らない。次の試合、アルヒラルの選手、スタッフ、サポーターはそれを見ることになる」
赤く染まったスタンドの大声援は、選手の力を何倍にもする。
だから言いきれた。次は必ず勝てる。
この言葉は、アルヒラルの実力を見せつけられ、不安を抱いていた選手、サポーターを勇気づけた。
そして、ホームスタジアムの力を思い出させた。予言通り、チームは第2戦を1-0で勝って、10年ぶりのアジア制覇を果たした。
少年の頃、日本に行くと予言されたら…
今も語り継がれるコメントには、意気消沈しそうなチームメートを鼓舞する意味合いがあったのだろうか。
「いや、そんなことはないよ。思ったことを率直に言っただけで」
練習見学後、取材ルームに現れたズラタンは、そう言い切る。
「初戦の内容もあって、相手がなめてかかってくるんじゃないかと思っていた。何より、自分たちのファン、サポーターがどんな存在なのかを、僕は知っていたから」
「スタジアムが必ずフルになるであろうこと、それが何よりの力になることも分かっていた。だから、第1戦が終わると同時に、勝てると確信した。それで、ああいうコメントをしたんだ」
素晴らしい思い出だ。ズラタンはそうつぶやく。
「サッカーを始めたころに、あなたは将来日本という場所でプレーをすることになりますと予言されたら、そんなの嫌だと答えたかもしれない。日本に来たばかりのころも、こんなに長く暮らすことになるとは思わなかった」
「でも、今はとにかく、いい選択をした自分をほめてあげたい」
大丈夫。必ず勝つ
通訳も連れずに日本人選手と一緒に旅行をしたり、母国に招待したりする外国人選手は、なかなかいない。
なぜそこまで、チームに溶け込めたのか。
「相性はあるかもしれない。日本人のキャラクターは好きだし、他人からも『君はすごく日本人的だ』と言われることも多い」
「ただ一番はやっぱり、郷に入りては郷に従え、という言葉の大事さに気づいたからこそだと思う。日本は日本。スロベニアはスロベニア。今いる場所を大事に、ポジティブに過ごすことは大切だ」
「おかげで、スロベニアに戻った後、僕も家族もスロベニアの暮らしに慣れるのがすごく大変だったんだ(笑い)。とにかく、日本ではアメイジングな時間を過ごさせてもらったよ」
最後に、ACL決勝の展望を聞いた。
アルヒラルは前回対戦した時よりも、さらにチーム力を上げている。
ズラタンは一瞬、遠い目をした。
そして迷いなく、日本語で言い切る。
「ダイジョウブ」
脳裏には、赤く染まるスタンドと、勇躍する元同僚たちの姿が思い浮かんでいたのだろう。
親指を立ててみせる。大丈夫。浦和レッズは真の力をみせ、必ず勝つ。
ズラタン・リュビヤンキッチ
1983年12月15日、ユーゴスラビア(現スロベニア)リュブリャナ生まれ。NKドムジャレ(スロベニア)、ヘント(ベルギー)をへて、2012年にJ1大宮に移籍。15年から浦和でプレー。16年ルヴァン杯、17年ACL、18年天皇杯とチームのタイトル獲得に貢献した。スロベニア代表でも活躍し、通算48試合に出場し6得点。10年のW杯南アフリカ大会では3試合に出場し、1得点を挙げた。18年限りで浦和を退団し、そのまま現役引退。現在はリュブリャナのアマチュアクラブで指導者として活動している。
【写真・動画=浦和レッズニュース編集部、取材・文=塩畑大輔】
※この記事は浦和レッズニュースによるLINE NEWS向け特別企画です。