オズワルド・オリヴェイラ監督が契約解除となった翌日、報道陣が多く集まった練習場で宇賀神友弥は、やるせない思いを口にした。
「苦しんでいるチームを助けることできなかった。それが一番の心残り」
昨季までは不動の左アウトサイドとして、16年のルヴァンカップ、17年のACL、18年の天皇杯と3年連続でタイトル獲得に貢献。それが、今季はピッチの外からチームを眺めるばかり。4月24日の全北現代(韓国)戦からACLとJリーグを含めて5試合連続でリザーブ。J1の13節時点でリーグ戦で先発したのは6試合のみ。ACLでもグループステージ突破を懸けた大一番の北京国安(中国)戦(○3-0)は、ビブスを着たまま仲間の奮闘を称えた。大卒1年目から浦和で定位置を確保し、赤いユニフォーム一筋で10年目。ほとんど休まずに左サイドを走り続けてきたが、いま先発落ちしている現実をしっかり受け止めている。
「率直に言うと、悔しい。試合に出られないことがこれほどまでにつまらないなんて……。あらためて、感じています」
それでも、練習に向き合う姿勢は変わらない。
「いつ来るか分からないチャンスのために常に100%で準備している。ベンチでも自分がピッチに入れば、ここは修正できるなと思いながら見ています」
難しい境遇に陥っていても、仲間のために助言することも惜しまない。
「同じポジションで試合に出ているヤマ(山中亮輔)にもアドバイスをしています。これまでも何度もやり取りしてきた。いまのレッズはヤマからチャンスが生まれているし、あいつのパフォーマンスは間違いない。活躍してくれるのはうれしいですし、それは、チームのためだから。そのヤマを超えたときの自分を想像するとわくわくするんです」
強がりでもなく、建前でもない。宇賀神も同じように、かつて浦和の先輩から助言を受けてきたのだ。2011年後半から2012年前半にかけて出場機会が激減した時期、同じポジションで試合に出ていた平川忠亮(現トップチームコーチ)から掛けられた言葉が忘れられないという。「いつまでも、俺が試合に出ているようではダメだぞ」と。そこで、ライバルの先輩から助言を受け、切磋琢磨して互いに成長してきた。いつしかポジションを奪ったときも、相談に行けば、同じように成長を促すような意見をくれた。あのころから心に誓っていた。
「ライバル関係にあるチームメイトにもアドバイスできる選手になろうと思っていました。それができない自分がいたら、そんな情けないことはない。選手として、男としてね」
再び先発の座を奪い返す自信は持っている。20代前半に苦しんだときは、いかにして試合に出るかを考えて、試行錯誤したが、31歳のいまはもう迷うことはない。
「自分のプレースタイルができ上がっているので、とにかく自分の良さを100パーセント出すことだけを考えています。それが試合に出るための近道になる」
頑なに自分を曲げないわけではない。監督が代われば、求められることも多少なりとも変わる。それに応じた仕事をこなすつもりだ。むしろ、柔軟性を持ち、同じ左サイドの山中からも学んでいる。ボールの置きどころ、前へ前へ向かう攻撃的な姿勢は見習うべきところだという。ポジションも左サイドだけにこだわることはなく、今季起用された右サイドでのトライにも意欲的。
「監督が使ってくれるポジションで活躍するのがプロサッカー選手だと思う」
シーズン序盤は右サイドでの連係に戸惑い、ずれがあったのは事実。見える景色が変わったからではない。3バックの左を務める槙野智章との連係が体に染み込み過ぎたせいか、ほかの選手と組んだときにギャップが生じていた。
「周囲を生かして、自分も生きるのが持ち味なのに、右サイドではそれができていなかった。いままでは、槙野に頼って守備をしていたところがあったんだと思います」
ただ、シーズンが進むにつれて順応してきた。苦労していたコンビネーションも向上。右サイドで鈴木大輔、岩波拓也と組んでも、安定して守れる手応えをつかんでいる。5月26日の広島戦では0-2の後半から右アウトサイドで途中出場し、鈴木大輔とプレーした。結果的に試合の流れを変えられず、2点を追加されて0-4の大敗。リーグ戦で4連敗を喫したが、気迫あふれるタックルで戦う姿勢は示した。
「広島戦のファーストプレーは意図的に激しくいきました。ピッチの外から見ていて、一番足りない部分と思っていたから。まずは自分が示さないといけないなって。いまの浦和にはそれができる選手が少ない。サッカーは不思議なもので、闘志あふれるプレーは伝播します。あいつが行っているなら、俺もやらないといけないという気持ちになる。では、誰が口火を切るのか。誰かがやらないと始まらない」
むろん、いつもうまくいくわけではない。あの日のようにチームに火がつかないまま終わることもあるが、宇賀神は戦うことを止めない。それこそが、真骨頂。ジュニアユースからユースまでアカデミーで育ち、流通経済大を経由し、再び赤いユニフォームに袖を通した。誰よりも浦和のエンブレムの重みをひしひしと感じている。
「クラブの歴史を背負いながらプレーしているんで。僕みたいな選手がピッチに立ち続けないといけないのは分かっています。ファン・サポーターがすごい力を与えてくれることも知っているから。昔から見てきたし、昨年の天皇杯もそうだった。僕はほかのチームから来た選手よりも、何十倍もそれを理解しているつもりです」
熱血漢で知られる大槻新監督から求められるのも、その戦う姿勢だ。昨季も指導を受けており、十分に分かっている。だけど、あえて言う。
「大槻さんよりも熱い気持ちでやりたい」
チームの窮地を救うために、いま浦和の男は燃えている。
(杉園昌之)
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