試合会場に向かうバスの中、槙野智章がバッグからおもむろにタブレットを取り出し、イヤホンを耳にさす。
動画の再生ボタンを押すと、流れ出したのは、浦和レッズや槙野自身の名場面の数々だ。スタッフが作ってくれたモチベーションビデオである。
どのシーンも胸にグッとくるものばかりだが、なかでも槙野の感情を高ぶらせるのが、2012年12月1日のJ1リーグ最終節のふたつの場面だ。
スーパーロングFKを叩き込んだシーン、そして、試合後のインタビューで残留を宣言したシーン――。
「試合後のインタビューで、『来シーズンも一緒に戦いましょう』と言ったら、スタンドからすごく歓声が沸いた。それが、めっちゃ嬉しくて」
ミハイロ・ペトロヴィッチ監督を招聘したこの年、槙野はサンフレッチェ広島時代の恩師を慕い、ドイツのケルンから浦和へと戦いの場を移した。
だが、すべてのサポーターから歓迎されたわけではなかった。
ケルンとの契約期間を残しており、期限付き移籍での加入だった。そのため、またヨーロッパに戻るんじゃないか、どうせ腰掛けだろう、などと思われていたのだ。
それだけではない。お笑い要素を含んだゴールパフォーマンス、コスプレ、拡声器を使った盛り上げ方……。槙野の広島時代の振る舞いを、快く思わない人たちもいた。
槙野は今でも鮮明に覚えていることがある。加入してすぐのことだ。
「男性サポーターの方に『ここは、おまえみたいなお祭り男が来るところじゃない。お遊びクラブじゃないんだ。俺はおまえのこと、応援しないからな』って言われたんです。それはけっこうショックでしたね」
覚悟はしていたものの、シーズンが開幕してからも、スタジアムで自分の名前をコールしてもらえなかった。
一方で、槙野は必死だった。腰掛けのつもりなどまるでなかった。本気で浦和を強くしたいと思っていた。なにより、浦和でプレーを続けたくても、活躍しなければ、完全移籍で獲得してもらえないのだ。
「『このクラブを変えたい』なんて大口を叩いていたけれど、ケルンでの1年間ほとんど試合に出てなかったから、とにかく必死でした」
その結果、槙野はリーグ戦33試合に出場し、6ゴールをマークする。チームも最終節での勝利で3位に浮上し、AFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。そして、感情が高ぶった槙野は、試合後、残留を宣言するのだ。
「でもね、そのあと、強化部の方にめちゃくちゃ怒られたんです。実はまだ、交渉がまとまってなかったんです。でも、僕はレッズでプレーしたかったから、言っちゃった(笑)」
完全に勇み足だったが、この残留宣言に対し、サポーターは槙野に最高のプレゼントを贈る。その後に行われた天皇杯のゲームで、槙野のチャントを作り、披露したのだ。
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「これもめちゃめちゃ嬉しかったです。浦和の太陽、浦和のエースもいいけれど、浦和の漢って、カッコ良くないですか。しかもある日、サポーターの方から『“男”じゃなくて“漢”という字を使っている意味を理解してほしい』と言われたんです。僕はそれを『男の中の男』という意味だと受け取った。そういう称号を与えてもらったんだと思うと、さらに誇らしくなりました」
ところが、ある日を境に、槙野のチャントも、「槙野コール」も、スタジアムで聞かれなくなってしまう。2014年春のことだ。
「あのころはかなり苦しかったです。あのとき僕は、正義感からSNSで発信した。間違ったことをしたとは思わないけど、それで多くの人に迷惑を掛けたのも事実。そうしたら、その後コールされなくなってしまって」
「やっぱり、声援を受けると元気付けられて、苦しいときでも踏ん張れたりするものなんです。だから、応援してもらえなくて辛かった。正直、あのころは、また自分の名前をコールしてもらえるように、必死でプレーしていました」
そうした槙野の想いが通じるまでに、しばらくの時間を要したが、7月23日の徳島ヴォルティス戦の試合中、ついに「槙野コール」が解禁された。
その瞬間、槙野は嬉しさのあまり、思わずゴール裏を見つめた。
「試合後、ロッカールームで、みんなから『今日、槙野コールされたじゃん」って言われて、『え? されてた?』ってとぼけたけど、本当は嬉しくてたまらなかった(笑)。テレビ画面を通しても聞こえたみたいで、親からも連絡がきましたからね」
それから5年が経ち、槙野は闘争心あふれるプレーで、理解者を増やしてきた。もちろん、今でも厳しい意見を言われることもある。だが、それも自分の財産だときっぱりと言う。
「若いころは、ヨイショしてもらうのが心地良かった。でも、今は違う。サポーターはレッズのことを愛しているからこそ厳しいわけで、僕もサポーターの気持ちが分かるようになった」
「それに、今もSNSで厳しいコメントをいただきますが(笑)、『よし、やってやる!』って僕の原動力になっている。ファンは大事、厳しい方たちも大事。それはレッズに来て、気づかせてもらったことです」
2017年にはアジア王者に輝いた。準決勝の上海上港戦と、決勝のアル・ヒラル戦。あのときほど、ファン・サポーターを心強く感じたことはないという。
ホームで行われたアル・ヒラルとの第2戦。スタジアムを彩った壮大なビジュアルサポートも、モチベーションビデオの中に収められている。
2018年夏には、日本代表の一員としてロシア・ワールドカップに出場した。浦和に完全移籍を果たしたときに心に誓った「このクラブからワールドカップに出る」という目標を達成した瞬間だった。
若いころはDFでありながら、攻撃のことばかり考えていたが、今は身体を張って無失点に抑えることが何よりも嬉しい。気がつけば、お祭り男は、闘う漢へと変貌を遂げていた。
「自分はこうありたい、っていう理想像がレッズに来て変わったのは確か。浦和レッズはこうあるべき、っていうサポーターのみなさんの考えに影響されて、自分が変わっていったんでしょうね」
そう語った槙野は、さらに、こう続けた。
「そういう意味では、僕はレッズサポーターに大人の漢にしてもらったんです」
(取材・文/飯尾篤史)
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