「桜」と聞いて、「出会い」や「新生活」と阿部勇樹は連想した。
フットボール本部強化担当である水上裕文とは、2007年に浦和レッズへ加入してからの付き合いになる。公私ともに意気投合したふたり。それもまた出会いのひとつと言えるのだろう。選手とスタッフという垣根を越え、信頼し合うふたりの思い出と、「春」になり新生活をはじめる人たちへのメッセージをもらった。
——「桜」から連想されることとして、阿部選手は、「出会い」や「新生活」を思うと言っていましたが、ふたりの出会いについても聞かせてください。選手とスタッフという間柄ですが、意気投合するきっかけはあったのですか?
阿部
浦和レッズに加入してからですよね。
水上
一番最初はホテルで出会いましたね。
阿部
忘れられないですよ。すごい怖い人がいるって思ったんですよ。季節は冬だったんですけど、サングラスに黒い革ジャンを着ていたんです。これはやばい人がいるなって(笑)。
水上
僕はそのときマネージャーをしていたんです。ジェフ千葉から阿部勇樹が加入することになって、いついつにホテルに来るから、その後、彼が住む家とかを探すサポートをしてあげてくれと言われていたんです。
阿部
そうでしたっけ? 僕の記憶だと、その日に食事に連れて行ってもらった覚えがある。実は、水さん(水上)とは話したことはなかったんですけど、浦和レッズに来る前から知ってはいたんです。ここまで交流があるとは思っていなかったですけど、浦和レッズに来た当初、水さんと坪井くん(坪井慶介)によくしてもらったのが大きかったんですよね。他にも知っている選手はたくさんいましたけど、ふたりには特にお世話になった。
水上
一緒に山口まで行ったりね。
阿部
それ、比較的、最近のことじゃないですか。坪井くんの試合を見に行ったときですよね。今は、水さんの仕事も変わって忙しくなったので、それほど頻繁にというわけではないですけど、以前はよく食事にも行っていました。僕からしてみたら、お兄ちゃんみたいな存在なんです。僕には姉と兄がいるんですけど、水さんはちょうど、その姉と兄の間にいるみたいな感じ。あれ、自分って4兄弟だったかなって思うくらい(笑)。
水上
この人は人見知りが激しいんですよね(笑)。自分が新加入選手のサポートをする業務を担当していたということで、浦和の街並みや特徴についても伝えるようなこともしていましたけど、坪井と阿部のふたりが仲が良かったということもあって、なぜか僕にちょっかいを出してきたんですよね(笑)。
阿部
僕にとっても、サッカーだけでなく、サッカーから離れたところでも、坪井くんがいたことは大きかったんですよね。
——正直、阿部選手は取材するこちら側としても人見知りの印象があります。
阿部
それは僕もあると思ってます(笑)。
——それだけに選手同士ならいざ知らず、スタッフとこれだけ意気投合しているというのが、ちょっと意外というか……。
阿部
取材のときは人見知りしますけど、スタッフとはよく話すんですよね(笑)。
水上
この人は、基本的に気を遣うタイプなんです。だから、スタッフのことを労おうと、スタッフがいるエリアに来て、机に座って話しかけていたりしますからね。そうそう、選手で唯一だと思うんですけど、クラブの会議にも出たことがあるんです。
管理職の人間だけが出席する会議があったんですけど、選手として、みなさんがどういった話をしているのかを感じてみたいということで、練習がない時間にわざわざ来て、会議に参加したんです。
阿部
一度だけですけどね。会議でどういったことを話しているかが知りたかったんです。練習が終わった後ということもあって時間があったので、端のほうで聞ければいいなと。そう思っていたら、しっかりと席が用意されていて焦りましたけど(笑)。
水上
年々、クラブのことに興味を持ってくれているんだなというのは感じます。クラブスタッフと頻繁に話してくれている姿を見てもそうです。スタッフって、自分たちからはなかなか選手に話しかけられないところがある。だから、逆に選手から来てくれたり、声を掛けてもらえると距離は縮まりますよね。
例えばですけど、阿部選手は、スタジアムの売店でアルバイトをしてくれている人たちの納会にも顔を出してくれるんです。スタッフの忘年会とかではなく、アルバイトをしている人たちだけが集まる納会にですよ。選手が来て、直接、「1年間、ありがとうございました」と言ってくれる。
僕らが労うよりも、何倍も大きな感謝が伝わると思っています。他にも、最終戦が終わると、グラウンドキーパーさんのところに行き、「ありがとうございました。みなさんのおかげで1年間、無事に戦うことができました」と感謝の言葉を伝えてくれるんです。
阿部
でも、そうしたきっかけを与えてくれたのも水さんなんですよね。いろいろな形でクラブを支えてくれている人がいるということを教えてもらった。僕は埼玉スタジアムのピッチでプレーさせてもらっていますけど、ピッチを整備するのはすごく大変なことだと思うんです。日頃から水を撒いたり、芝の長さを揃えたり、大変な思いをしながら整備してくれている。
それはスタジアムだけでなく、ここ大原サッカー場も一緒。僕は練習場に来るのが早いんですけど、すでにグラウンドキーパーの人は来ていて、芝の手入れをしてくれている。そうした姿を見ると、感謝の気持ちは自然と沸いてきますよね。
——アルバイトをしてくれている人たちも含めて、多くの人たちに支えられてプレーしていることを感じるということですね。
阿部
浦和レッズが大きなクラブだということもあるとは思いますけど、いろいろなところで関わってくれている人が本当に多いとは感じますね。
水上
Jリーグは創設して30年も経っていないですけど、こうした選手がいることを見た若い選手たちが、また育っていくことで、歴史になり、発展していくことにもつながっていくと思うんですよね。
今、プロ1年目や2年目の選手は、阿部選手のそうした姿を見て、もっと大きなことや違ったことをしようと思ってくれるかもしれない。それが人間形成という部分においても、プラスになると思う。僕は接していて感じていますけど、感謝の心を忘れない選手が、ここ浦和レッズにはたくさんいる。さらに増えていけばいいなと思います。
——この春から新生活や新しいことに挑戦しようとしている人もいるかと思います。彼らにアドバイスを送るとしたら?
阿部
新しい環境に入ってチャレンジするといことは簡単ではないと思いますけど、マイナスなことやネガティブなことばかりを考えてしまうと先には進めない。逆にその状況を楽しんでやる。すべてがマイナスではなく、すべてがプラス、ポジティブにできるのではないかなと。
どのスポーツでも、どの職業でも、チャレンジと言っていいのかは分からないですけど、何かを目指して進んでいくことはすごく大切だと思うんです。きっと近くに、見本や模範となる先輩たちもいるとは思いますし、その中で自分らしさ、自分にできることをやっていってもらえればと思う。
僕も2007年にここに来たときには、新しい環境ということで緊張しました。
特にこれといったことをやったわけではないですけど、応援してくれている人たちに認められなければという思いでプレーしてきた。
加入したばかりのころ、ある試合で2得点を決めて、その後から応援してもらえるようになったときは、受け入れてもらえたなと思ってうれしくなりましたからね。そうだ。偶然にも、その時期が、ちょうど桜の咲く、今くらいの時期だったことを覚えています。自分自身も、この季節になると、新しいことにチャレンジする重要性を思い出しますよね。
——新加入選手を迎える立場も長くなりました。
阿部
そうですね。今年もキャンプで若い選手と長期間一緒になりましたけど、「いつもどおりに過ごして」と言いったんですよね。年上だからと気を遣って、これやらなきゃというのではなく、いつもどおりでいてほしいなと。そのほうが僕も過ごしやすい。
あとは普段どおりじゃないと、その選手が本来、どういう人なのかって見えてこないじゃないですか。肩肘張らずにいつもどおり過ごしてもらったほうが、どういう人なのか、こっちも分かるかなと。
——最後になりますが、リーグ再開を待ちわび、応援してくれているファン・サポーターにメッセージをお願いします。
阿部
うずうずしているのはファン・サポーターも、僕ら選手も同じだとは思います。でも、自分自身も、健康には気をつけなければいけないと思っているので、それを忘れずに過ごしてもらいたいですね。うずうずしたこの思いは、シーズンのどこかで必ず爆発させられるときが来ると思うんです。そのときには、浦和レッズに関わるすべての人たちで思いをひとつにし、また爆発できるように、今は力を蓄えておいてもらえればと思います。
水上
選手たちもストレスを感じているとは思います。試合が中断している中でコンディションを落とすわけにはいかず、一方で明確な目標を設定できない中で淡々とやるしかないわけですからね。彼らにとっては、自分たちが練習でやってきたことをピッチで表現することが仕事。それを披露できないストレスは、どうしてもあると思うんです。
コーチやスタッフもそれは一緒。私はクラブのスタッフとして働いていますけど、もっと広い世界、社会においても、みなさん一緒なんだなって感じています。在宅勤務の人もそう、子どもがいる親もそう。さらには子どもたちもそうだと思います。みんながストレスを抱えているとは思いますが、この状況が終息したときには、いろいろなことができるはず。桜はまた来年も咲くんです。今は我慢して、また来年、みんなで綺麗な桜を見られる日が来ればいいなと思います。
(取材/文・原田大輔)
(空撮・塩畑大輔)