シーズン前には1年間戦い抜けるように選手たちを鍛え上げ、シーズン中にはフィットネスのトレーニングを受け持ちながら、選手一人ひとりのコンディションを管理する。そんな縁の下の力持ち的な存在がフィジカルコーチだ。浦和レッズでその役目を担当する「グリさん」こと石栗 建フィジカルコーチの横顔に迫る。
【石栗 建】
僕は筑波大時代、大槻(毅)監督とセンターバックでコンビを組んでいたんです。僕のほうが彼より1歳年上ですが、僕は浪人しているので、彼とは同級生。
大槻監督だけじゃありません。GKを務めていたのは1学年上で、今分析担当をされている山田栄一郎さん。FWで、紅白戦などでよくマッチアップしたのが、今ヘッドコーチを務めている上野優作でした。
浦和レッズという日本一のビッグクラブで、大学時代の仲間と一緒に仕事をするなんて、当時はまったく想像できませんでした。大学時代の仲間も「まさか大槻とグリがレッズで一緒に仕事をするとはなあ」と、驚いていると思います。
大学時代、僕はスポーツ医学を学んでいました。最初は教員になりたかったんですけど、大学院に進んでから、指導者としてサッカーに携わりたいという想いが強くなっていったんです。
そんなころ、ゼミとサッカー部の先輩で、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)のユースでフィジカルコーチをされている方が辞めることになり、そのポストを紹介していただいた。それが僕のフィジカルコーチのキャリアの始まりで、98年のことでした。
02年にはコンサドーレ札幌に移るんですけど、そのきっかけを与えてくれたのが柱谷哲二さん。その前年、柱谷さんがS級ライセンスの研修でヴェルディに来られた。そこで僕のトレーニングを見て「来年、札幌に行くかもしれない。チャレンジしたいなら、やってみない?」と声を掛けてくれたんです。
03〜08年は再びヴェルディでフィジカルコーチを務めさせていてだき、(オズワルド)アルディレスさん、ラモス(瑠偉)さん、柱谷さんのもとで働きました。
09年、10年は再び札幌に移り、石崎信弘さんと仕事をしました。石崎さんはかなり激しいトレーニングを積んで、タフなチームを作る監督だったので、ケガ人を出さないことに気を使いましたね。
浦和レッズで仕事をすることになるのは、11年、12年と清水エスパルスで(アフシン)ゴドビ監督と一緒に戦ったあとのことです。
浦和の強化スタッフだった大槻監督が「一緒に仕事をしないか」と誘ってくれたんです。ちょうどゴドビ監督との信頼関係も深まってきた時期だったので、一度は断ったんですけど、大槻がわざわざ清水まで来て、熱心に誘ってくれた。
僕の妻の実家は浦和で、妻の家族は浦和レッズの熱烈なサポーターだったんですね。そうした縁もあるし、同級生と一緒に仕事ができるのも幸せなことだな、と考えるようになって、浦和にお世話になることにしました。
こうして13年から大槻監督のもと、ユースのコーチを務めさせてもらいました。役割としてはフィジカルコーチも兼ねたコーチ。フィジカルだけを見るのではなく、コーチとしてサッカーの専門性を磨き、その上に自分の専門分野であるフィジカルを積み上げるという点で、とても貴重な経験になりました。
これまで浦和はトップチームにフィジカルコーチをあまり置いていなかったので、自分がトップに関わるということは想像していなかったんです。ところが、(オズワルド)オリヴェイラ監督になってフィジカルコーチを置くことになり、任命していただいた。そうした幸運に感謝しつつ、責任も非常に感じています。
フィジカルトレーニングというと、「辛い」「キツイ」というイメージがあって、実際に辛かったり、キツかったりするわけですが、鬼軍曹みたいに選手をしごくのではなく、笑顔を見せながら、「一緒に頑張ろうぜ」という雰囲気を作ることを心がけています。
浦和で仕事をさせてもらうようになって7年目に入りました。このクラブに対して愛着があります。大学時代の友人であり、僕をこのクラブに誘ってくれた大槻監督には本当に成功してもらいたいし、彼の成功が自分にとっての成功。大槻監督とともに喜びを味わい、それをみなさんとも分かち合えたら、こんなに幸せなことはないと思っています。
(取材/構成・飯尾篤史)
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