下位に沈んでいたチームは、わずか1年で3位へと躍進する。新たなる指揮官がもたらした創造性あふれるサッカーによって――。
前年を15位で終えた浦和レッズは2012年、ミシャことミハイロ・ペトロヴィッチ監督に未来を託した。広島で約6年間指揮を執り、実績を残していた指揮官は、就任会見で次のように抱負を語った。
「私のサッカーはすごく複雑だ。私が考えるサッカーは、運動量が多く、そのなかでも考えながら走ること、考えながらコンビネーションを発揮していくこと、それが噛み合わなければならない。そのため、ある程度の時間が必要だと思っている」
ミシャサッカーの代名詞でもある3-4-2-1システムと独特の戦術を活かすべく、クラブも補強に動いた。広島でミシャの指導を受けていた槙野智章を1.FCケルンから期限付き移籍で獲得。さらに2010年夏にレスターへと移籍した阿部勇樹を呼び戻したのである。
いまでは、可変システムという言葉も一般的になったが、ミシャが掲げる3-4-2-1システムは、攻守において配置が変わるため、高度な戦術理解と阿吽ともいえる連係が求められた。指揮官も就任会見で語っていたように、戦術が浸透するには時間を要するため、当初は少なからず懐疑的な目も向けられていた。
開幕戦の相手は、ミシャの古巣である広島だった。同じサッカーを標榜するミラーゲームとなったが、0−1というスコア以上に、チームとしての完成度を見せつけられた。
ただし、広島時代にミシャのもとでプレーしていた柏木陽介と槙野、さらには戦術理解度の高い阿部の復帰は、チームにとって大きなアドバンテージとなった。
第2節では前年王者の柏をいきなり打ち負かす。さらに圧巻だったのは、難敵である鹿島にアウェイで勝利した第5節だった。当時の3-4-2-1の布陣は以下のメンバーである。
FW:⑯ポポ
MF:⑦梅崎司、⑧柏木陽介、⑩マルシオ・リシャルデス、⑬鈴木啓太、⑭平川忠亮、㉒阿部勇樹
DF:②坪井慶介、⑰永田充、⑳槙野智章
GK:⑱加藤順大
開始2分に先制点を許すも、わずか1分後に華麗な連係を見せる。後方からスイッチとなる縦パスが入ると、柏木が反応。ゴール前のスペースに走るマルシオ・リシャルデスに絶妙なラストパスを供給したのである。5分にはやはりコンビネーションから、ポポが追加点。さらにPKで1点を加えると、3−1で逆転勝利。これにはミシャも、「五分五分の展開ではあったが、勝利に値するプレーができた。良い内容のサッカーができている」と、大いなる手応えを示した。
試合を重ねるたびに、ミシャサッカーの代名詞であるパスワークには磨きがかかっていった。肝となるボランチでは、阿部と鈴木が文字通り舵を取った。運動量に加え、突破力が問われるWBでは梅崎と平川が見せた。シャドーと呼ばれる2列目では柏木が躍るように相手を翻弄。徐々にボールを支配できる時間帯も長くなっていった。
第10節からはリーグ戦11試合負けなし。第14節でG大阪に勝利すると、3位に浮上した。ただし、そのシーズン、引き分けが二桁の「10」を数えたように、勝ち切れない試合も多かった。特に指揮官を悩ませたのが、1トップ、いわゆるフィニッシャーの存在である。
シーズン序盤は、デスポトビッチやポポが起用されたが、思うような結果を残せなかった。そのため、ときには原口元気が前線で起用される試合もあったほどだ。この年のチーム最多得点は、マルシオ・リシャルデスの9得点。明らかに1トップを担える人材が不足していた。
優勝した広島とは、第32節で再戦。41分には梅崎が、61分には鈴木がゴールを決めると、2-0で完封勝利。開幕戦では完成度の違いを見せつけられたが、1年間積み重ねてきたことで、同じサッカーを標榜する相手を凌駕できるまでに成長していた。3位でシーズンを終えると、4年ぶりにACL出場権を獲得したのである。
最終節となった第34節の名古屋戦。埼玉スタジアムには、ファン・サポーターにより人型のビジュアルボードが描かれていた。2012年シーズンをもってチームを去ることが決まった田中達也への感謝だった。表現されていたのは、2003年にナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で優勝した試合で、彼がゴールを決めたときのシルエットだった。
浦和レッズに加入して12年。得意のドリブルで魅了し、ゴールで歓喜をもたらした背番号11は、5万人が見守るなか、チームメイトに胴上げされると宙を舞った。
Jリーグ:3位
ナビスコカップ:予選リーグ敗退
天皇杯:4回戦敗退
(取材/文・原田大輔)
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