起源は戦前の「名士列車」
JR西日本が、2020年春から運行する「新たな長距離列車」の列車名を「WEST EXPRESS 銀河(ウエストエクスプレスぎんが)」に決めました。
この列車は「低価格の長距離列車」として計画されたもの。国鉄時代に製造された電車を改造し、昔懐かしい寝台車をほうふつとさせる2段式フルフラットシート「クシェット」(営業上は普通車指定席扱い)も設けられます。
列車の「銀河」といえば、かつて東京と関西を結んでいた寝台急行「銀河」を思い起こす人が多いかもしれません。「ウエストエクスプレス銀河」と同様、車体全体が濃い青色で塗られた寝台客車を使用し、車内には2段または3段のベッドが並んでいました。
東京と関西を結んでいた寝台急行「銀河」(画像:photolibrary)。
「銀河」の歴史は、戦前に運行されていた東京~神戸間の夜行急行までさかのぼります。鉄道省編纂『汽車時間表』1930(昭和5)年10月号によると、このころ東京~神戸間を走っていた夜行急行は3往復。所要時間は12時間半くらいでした。
このうち、下り神戸行き「17列車」と上り東京行き「18列車」は、運賃が非常に高い1等車と2等車のみ連結。最も運賃が安い3等車はありませんでした。いまなら東北・北海道新幹線「はやぶさ」を、グランクラスとグリーン車だけで運転するようなもの。高額な運賃を払える華族や財界の著名人など、「名士」と呼ばれた富裕層しか乗れない列車で、「名士列車」と呼ばれていました。
夜行急行は戦時体制への突入に伴い廃止されましたが、戦後の1947(昭和22)年6月、東京~大阪間を結ぶ夜行急行が運転を開始し、1949(昭和24)年9月には3往復体制に。このとき、3往復中の1往復に、夜の星空をイメージさせる「銀河」という愛称が付けられました。
国鉄の急行列車に愛称が付けられたのは、これが初めて。また、車両は1等車と2等車だけで構成され、「銀河」は戦前の「名士列車」を受け継ぐ存在となったのです。運転区間も、のちに戦前と同じ東京~神戸間に拡大しました。
新幹線の整備で徐々に衰退
もっとも、当時の日本は復興の緒に就いたばかり。「名士」と呼ばれる富裕層も経済的に苦しかったようで、1等車と2等車だけの「銀河」車内は閑古鳥が鳴いていました。そのため、運転開始からわずか9日後には3等車も連結されるようになりました。
東京~大阪間の夜行急行は東海道新幹線の開業で徐々に縮小した(画像:photolibrary)。
東京と関西を結ぶ東海道本線の夜行急行は、その後も高度経済成長にあわせて増強されます。1961(昭和36)年10月のダイヤ改正時点では、毎日運転の夜行急行だけでも、東京~神戸間を結ぶ「銀河」と、東京~大阪間の「明星」「第2なにわ」「彗星」「月光」「金星」「第2よど」の計7往復が運転されていました。このうち「銀河」「明星」「彗星」は寝台車だけで編成を組む、寝台専用列車です。
こうして黄金期を迎えた東京~関西の夜行急行でしたが、1964(昭和39)年10月に東海道新幹線が開業すると、長距離を移動する客の多くは昼間走る新幹線にシフトしました。この結果、東京と関西を結ぶ夜行急行は徐々に縮小。1975(昭和50)年3月には、東京~大阪間を結ぶ「銀河」1往復だけになってしまいました。
翌1976(昭和51)年2月、「銀河」にちょっとした転機が訪れました。濃い青色に白い帯を入れたデザインの寝台車、いわゆる「ブルートレイン」の特急用寝台客車が「銀河」に導入されたのです。
これは寝台特急に新型の寝台車が導入され、それにより余った従来の寝台特急客車(20系客車)を「銀河」に転用したため。“お古”ではあるものの、急行に「ブルートレイン」が導入されたのは、これが初めてでした。
低価格の夜行バスやホテルが追い打ち
その後の「銀河」も、寝台特急の余った車両でサービスの改善を図るようになりました。1985(昭和60)年3月には、20系より新しい14系客車を導入。B寝台の幅は52cmから18cm拡大して70cmになりました。続いて1986(昭和61)年11月には24系25形客車に置き換えられ、それまで3段式だったB寝台が2段式に。寝台の天井が高くなりました。
「ウエストエクスプレス銀河」のイメージ(画像:JR西日本)。
国鉄が分割民営化されてJRが発足した1987(昭和62)年4月時点では、「銀河」の所要時間は東京~大阪間で9時間弱。下りは東京駅を22時45分に発車し、大阪駅には翌朝の7時43分の到着でした。東京駅で東海道新幹線の新大阪行き最終列車に乗り遅れても、「銀河」を使えば翌朝の新大阪行き始発列車より早く大阪に到着できるという、便利なダイヤだったといえます。
しかし、東海道新幹線のさらなる高速化や、低価格の夜行バス、ビジネスホテルの普及などにより、「銀河」の利用者は徐々に減少。2008(平成20)年3月に廃止されました。そのような列車の愛称が12年の歳月を経て、低価格を武器にした夜行列車として復活することになるわけです。
もっとも、「ウエストエクスプレス銀河」の運行区間は、京阪神~山陰、山陽方面の予定。愛称も「西日本エリアを宇宙に、各地の魅力的な地域を星になぞらえ、それらの地域を結ぶ列車」(JR西日本)という意味が込められているといい、直接的には東京と関西を結んでいた「銀河」にちなんでいるわけではありません。
ちなみに、JR東日本の釜石線(岩手県)では、2014(平成26)年から「SL銀河」というSL列車が運転されています。こちらは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が由来です。
【画像】「寝台列車風」な「ウエスト銀河」車内
「ウエストエクスプレス銀河」に設置される2段式フルフラットシート。昔懐かしい寝台車をほうふつとさせる姿だが、営業上は普通車指定席として扱われる(画像:JR西日本)。