新幹線高速化の「宿題」は国鉄からJR各社へ
平成の30年間は、新幹線が大きくスピードアップした時代でした。
1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線は、世界で初めて最高速度210km/hで営業運転を行い、斜陽産業と思われていた鉄道を復権させるほどの大きな衝撃を与えました。それからわずか2年後の1966(昭和41)年、続く山陽新幹線の検討にあたっては、最新の技術を取り入れ、将来的な260km/h運転を可能とする規格に決定。さらなるスピードアップの検討は、東海道新幹線開業当初から動き始めていました。
東海道新幹線開業時の0系電車の営業最高速度は210km/hだった(2011年10月、恵 知仁撮影)。
しかし皮肉なことに、新幹線があまりにも成功してしまったため、輸送力増強と騒音対策を優先しなければならなくなり、さらに国鉄の経営悪化が重なったことで、新幹線の速度向上は長らくストップしてしまいます。
そのあいだにフランスの高速列車「TGV」が1981(昭和56)年に最高速度260km/hでデビューし、世界最速の座を奪われます。一方で東海道新幹線のスピードアップは開業から22年目の1986(昭和61)年11月、210km/hから220km/hと、ほんのわずかしか実現しませんでした。東北・上越新幹線はそれよりも速い240km/hでしたが、かつての山陽新幹線の目標速度にも届きません。
1987(昭和62)年3月に国鉄が分割民営化し、「新幹線高速化」という宿題はJR各社に引き継がれます。
昭和時代のスピードアップ研究が平成時代に結実
平成時代に入り、JR東日本は1990(平成2)年3月、上越新幹線の大清水トンネルの下り勾配という非常に限定した区間ながら275km/h運転を開始。JR東海は1992(平成4)年、東海道新幹線に新型の300系電車を投入し、270km/h運転の「のぞみ」がデビュー。JR西日本は1997(平成9)年に500系電車を使用して山陽新幹線で300km/h運転を始めるなど、それまで止まっていた時が動き出したかのように、次々とスピードアップが実現していきました。
JR西日本は500系電車を投入。山陽新幹線で初の300km/h運転を開始した(2011年10月、恵 知仁撮影)。
その後、東北新幹線は2013(平成25)年に320km/h化、東海道新幹線は2015(平成27)年に285km/h化を達成。1989(平成元)年と比べて、東北新幹線は+80km/h、東海道新幹線は+65km/hの速度向上を果たしたことになります。
「さすが民営化効果」と言いたくなるところですが、それは半分正しく、半分誤りです。それまで国鉄が手をこまねいていたわけではなく、試験車両を用いた速度試験で1972(昭和47)年には286km/h、1979(昭和54)年には319km/hの速度記録を樹立するなど、新幹線の高速化に向けた研究は古くから行われていました。平成に実現したスピードアップの基礎は、昭和の時代に築き上げられたものだったのです。
山陽新幹線が全線開業した1975(昭和50)年、東京~広島間の新幹線のシェアは95%近くにも達していました。しかし、これをピークに東海道・山陽新幹線の利用者数と平均乗車キロは減少を始めます。航空機利用が一般化するにつれて長距離旅客は徐々に航空シフトを強めました。東京~広島間の新幹線のシェアは1980(昭和55)年には85%、1985(昭和60)年には70%まで低下。国鉄の旅客収入の3分の1を占める稼ぎ頭であり、命綱でもある東海道・山陽新幹線の競争力向上は大きな経営課題となりました。
スピードアップには立ちはだかる壁
国鉄は1980年代半ばに、2段階の新幹線高速化計画を描いていました。まず既存の設備と車両を小改造して、早期に山陽新幹線の260km/h化と東北新幹線の270km/h化を達成、次に地上設備の更新と最新技術を採用した新型車両の導入により、1990年代半ばに東海道新幹線の260km/h化と山陽新幹線、東北新幹線の300km/h化を達成するという構想です。前者が山陽新幹線の「グランドひかり」計画、後者が「のぞみ」計画の源流になりました。
「のぞみ」用車両として登場した300系電車。270km/h運転が可能で、東海道新幹線の最高速度が一気に50km/hも向上した(2011年10月、恵 知仁撮影)。
計画はJR各社に受け継がれ、平成に改元された直後の1989(平成元)年3月、東京~博多間を最速で結ぶ「グランドひかり」専用車両として、最高速度275km/hでの運転が可能な100系V編成がデビューします。しかし、騒音基準をクリアできず、スピードアップは220km/hからわずか+10km/hの230km/h(山陽新幹線区間)に留められました。本格的な速度向上は1992(平成4)年の「のぞみ」誕生まで待たねばなりませんでした。
新幹線スピードアップの最大の障壁となったのが、260km/h以上の速度域で発生する騒音でした。新幹線の騒音には、構造物から伝わる振動や、モーターや車輪の回る音、パンタグラフと架線(線路の上の電線)の摩擦音やスパーク音など、様々な箇所に発生源がありますが、これらのうち線路と車両下部から発生する騒音は、防音壁や防音材の設置で早くに解決しました。
しかし防音壁で完全に囲うことのできない車両の上部、特にパンタグラフや車体の空力音(風切り音)は速度の6乗で大きくなることから、車体形状そのものの空力学的特性を改善しない限り、騒音を抑制することはできないことが分かってきたのです。
コンピューターの進化がスピードアップの強力な後押しに
平成の新幹線速度向上はここから大きな発展を遂げます。コンピューターシミュレーションの進化で最適形状を検討することが容易になり、車両の先頭形状や台車カバー、パンタグラフ周辺は空力音を抑制し、トンネル突入時に発生するドーンという騒音の原因となる微気圧波も低減する形状に改められました。
最初の目標は高速運転時に騒音を基準値以下に抑えることでしたが、新幹線の「商品力」は速達性だけではありません。到着までの数時間を過ごす車内の快適性、乗り心地も非常に重要な要素です。
「のぞみ」に使われた300系電車は270km/h運転と引き換えに、非常に揺れが激しく乗り心地の悪い列車になってしまいますが、これもトンネル内で車両側面を流れる空気が渦を作り、パンタグラフがある車両や最後尾車両の車体を揺さぶっていることが分かってきます。
後の車両では、先頭車両としてトンネルに突入する時だけでなく、最後尾になった時も空気の影響を受けにくい形状になり、さらに揺れを吸収するアクティブサスペンションが搭載されました。新幹線は高速化だけでなく、より快適さを求める方向にも進化を遂げてきたのです。
新元号「令和元年」となる2019年の5月に落成するJR東日本の次世代新幹線試験車両「ALFA-X(アルファエックス)」は、2030年の北海道新幹線札幌延伸に向けて、営業速度360km/h化を実現するための試験を行います。2005(平成17)年に製造された試験車両「FASTECH 360」が果たせなかった360km/h営業運転という「平成の宿題」を新時代に達成できるのか、いま新たな時代が幕を開けようとしています。
【写真】360km/h運転を目指して造られた「ネコ耳」新幹線
JR東日本の試験車両E954形「FASTECH 360 S」は、緊急ブレーキ用として「ネコ耳」のような空気抵抗増加装置(扇形の抵抗板)が搭載された(2008年7月、恵 知仁撮影)。
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