cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_4cfee70dceae_進むか"地方交通のキャッシュレス化"ICカード以外の方法も 4cfee70dceae 4cfee70dceae 進むか"地方交通のキャッシュレス化"ICカード以外の方法も oa-trafficnews 0

進むか"地方交通のキャッシュレス化"ICカード以外の方法も

「Suica」登場から18年 未導入の事業者も多い


 鉄道やバスにおける現金以外の運賃決済方法として、ICカード乗車券が広く使われています。そのおもなものであるJR東日本の「Suica」が誕生したのは、2001(平成13)年のこと。いまでは「Suica」をはじめ全国10の交通系ICカードで相互利用も可能です。

関東自動車の車両(新塗装)。栃木県最大のバス事業者だが、同社ではICカードを導入していない(画像:関東自動車)。

 一方、地方の鉄道やバスにおいては、こうした交通系ICカードに非対応というケースも少なくありません。たとえば、茨城県内で路線バスを運行する茨城交通では、独自のICカード乗車券「いばっピ」を導入していますが、上記の交通系ICカードとの相互利用は不可。栃木県最大のバス事業者である関東自動車では、ICカードを導入していません。

 しかし2019年1月以降、関東自動車はスマートフォンを利用した「QRコード」決済サービス「PayPay」と「LINE Pay」を、いずれもバス会社としては日本で初めて導入。関東自動車と同じ「みちのりホールディングス」傘下の福島交通も3月27日(水)から、岩手県北バスは4月1日(月)に「PayPay」の取り扱いを始めました。

「QRコード決済などはこれから活発になるうえ、インバウンド(訪日観光客)に対応する観点からも、グループ各社においてキャッシュレス化を積極的に進めていきます」(みちのりホールディングス)

 いずれも、いまは窓口における乗車券などの購入に利用が限られていますが(岩手県北バスの仙台空港~花巻線ではアテンダントによる乗車券の車内販売でも利用可)、みちのりホールディングスは「技術的に可能になれば」としつつ、これを路線バス車内における運賃決済へ導入することも、キャッシュレス化のひとつの手段と考えているそうです。

バス車内のQRコード決済導入には課題も


 すでに、一部のバスではQRコードによる運賃決済が導入されています。九州の西日本鉄道では2019年2月、インバウンド利用を想定して中国のQRコード決済サービス「アリペイ」と「ウィチャットペイ」に対応する決済端末を、高速バス佐賀空港~福岡線に導入。降車の際に運転手へ申し出たうえで、「アリペイ」「ウィチャットペイ」のアプリ画面で表示される支払いコードを運賃箱上の読み取り端末にかざし、決済ができるようになりました。

 現在、経済産業省でも交通事業者向けに、QRコード決済を含むキャッシュレス決済の普及について検討を進めています。同省のキャッシュレス推進室によると、「ICカードは大がかりなシステム構築が必要ですが、QRコード決済は、極端にいえばQRコードが印刷されたシールを貼るだけでも導入でき、利用者のスマホひとつで決済が完結します」とのこと。ICカードと比べ、導入コストの面ではかなり有利だそうです。

西鉄「佐賀空港~福岡線」におけるQRコード決済端末の設置イメージ(画像:西日本鉄道)。

 ただ、バス車内におけるQRコード決済の普及には課題も。西鉄の佐賀空港~福岡線は、大人片道運賃が1130円(佐賀空港~高速基山)と1650円(佐賀空港~福岡市内)の2通りしかなく、運賃の違いにも比較的容易に対応できますが、一般的に路線バスの運賃は、より細かく乗車距離に応じて変動します。その運賃変動への対応が課題になると、経済産業省でも想定しているものの、まだ方針は策定していないといいます。

バス車内のQRコード決済導入には課題も


 経済産業省 キャッシュレス推進室によると、地方交通のキャッシュレス化においてQRコード決済は「あくまでひとつの手段」とのこと。「(これまで国土交通省が推進している)ICカードの普及を転換していくわけではなく、地域に合ったシステムを導入していくことでしょう」と話します。

 みちのりホールディングスも、ICカードを含めたキャッシュレス化の展開には「地域性がある」といいます。関東自動車については、宇都宮地区で整備が進められているLRT(路面電車)との共通利用を図る観点からも、JR東日本が2018年9月に構想を発表した「地域連携ICカード」の導入を検討しているそうです。

JR東日本が開発している「地域連携ICカード」の利用イメージ(画像:JR東日本)。

 JR東日本はこの「地域連携ICカード」について、「1枚のカードで地域交通に必要な独自サービスを提供しながら『Suica』の既存インフラを活用できる」ものとし、システム投資を大幅に抑えられるとしています。みちのりホールディングスは、「街なかでどのような決済方法が普及しているかも含めて、地域性を考慮しながらキャッシュレス化の検討を進めていきます」と話します。

 ちなみに、「交通系」ではなく、いわゆる「商業系ICカード」を路線バスに導入する動きも存在。そのひとつがイオンの「WAON」です。北海道の帯広市や釧路市、京都市などで「WAON」に対応した路線バスが運行されており、バスの乗車でも、「WAON」加盟店における買い物でも、「WAON」ポイントが貯まります。



【写真】「交通系」じゃないICカード利用可のバス


北海道のくしろバスなどでは、イオンのICカード「WAON」による決済端末が一部路線で導入されている(画像:FIG)。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_e8de554d75f6_JRバス"ドリーム号"が50周年! 50%引CPや"平成令和号"運転 e8de554d75f6 e8de554d75f6 JRバス"ドリーム号"が50周年! 50%引CPや"平成令和号"運転 oa-trafficnews 0

JRバス"ドリーム号"が50周年! 50%引CPや"平成令和号"運転

西日本ジェイアールバスのドリーム号50周年記念ロゴ(画像:西日本ジェイアールバス)。

 西日本ジェイアールバスは2019年4月12日(金)、ジェイアールバス関東と共同運行する夜行高速バス「ドリーム号」の50周年を記念したキャンペーンの詳細を発表しました。

 京阪神と東京を結ぶ「ドリーム号」は、国鉄時代の1969(昭和44)年に日本初の夜行高速バスとして登場し、2019年6月10日(月)に50周年を迎えます。それを記念し、次のようなキャンペーンが実施されます。

50周年記念割引で運賃50%オフ


 6月10日(月)から7月10日(水)までの月~木曜日に出発する京阪神~東京線夜行バスのうち、3列・4列シートが普通運賃の50%に割引されます(大人運賃のみ設定)。4列シートの「青春エコドリーム号」は2000円から、3列シートの「ドリーム号」「グランドリーム号」、および「プレミアムドリーム号」のスーパーシートが3000円からです。

 なお、「ドリームルリエ」と「プレミアムドリーム号」のプレミアムシートは対象外。販売席数に限りがあるほか、払い戻しの制限などがあります。

「平成ドリーム令和号」特別運行


 4月30日(火)出発、5月1日(水)到着の「ドリーム号」は、平成から令和へと時代を越えて運行することにちなみ、4月30日出発の「ドリーム号」最終便(平成最後の「ドリーム号」)が「平成ドリーム令和号」として運行され、記念品が進呈されます。大阪発「平成ドリーム令和2号」は、大阪駅23時50分発、東京駅7時57分着。東京発「平成ドリーム令和1号」は、東京駅23時50分発、大阪駅8時29分着です。

 なお、この「平成ドリーム令和号」は、ジェイアールバス関東が5月17日(金)から京阪神~東京線に導入予定の「スカニア製ヨーロピアンスタイル2階建てバス(アストロメガ)」で運行されます。

 西日本ジェイアールバスは、2020年春までの約1年間、「ドリーム号」50周年を記念した様々な取り組みを実施するとしています。



【写真】昭和の初代「ドリーム号」と現行車両


左が1969年に運行を開始した初代「ドリーム号」(画像:西日本ジェイアールバス)。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_0bc24923dfee_国道357号東京港トンネル"東行き"6月開通 双方向つながる 0bc24923dfee 0bc24923dfee 国道357号東京港トンネル"東行き"6月開通 双方向つながる oa-trafficnews 0

国道357号東京港トンネル"東行き"6月開通 双方向つながる

国道357号「東京港トンネル」。東行きトンネルが2019年6月3日に開通する(画像:関東地方整備局)。

 国土交通省関東地方整備局は2019年4月12日(金)、国道357号「東京港トンネル」の東行きを6月3日(月)23時に開通すると発表しました。

 国道357号「東京港トンネル」は、東京都港区台場と品川区大井を結ぶ首都高湾岸線「東京港トンネル」の並行一般部で、海側にあたる西行きトンネルは2016年3月に開通済み。今回、内陸側にあたる東行きトンネルが開通することで、国道357号は羽田空港から千葉市までのあいだが東行き・西行きともつながります。

 開通区間の長さは約1.9km、車線数は2車線です。関東地方整備局は、「東京臨海部の移動性の向上と共に、空港・港湾拠点と東京臨海部のアクセス強化・向上が期待されます」としています。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_dfb11cf5e52d_能登の「線路を走る郵便局」訪問 鉄道郵便車、将来復活は dfb11cf5e52d dfb11cf5e52d 能登の「線路を走る郵便局」訪問 鉄道郵便車、将来復活は oa-trafficnews 0

能登の「線路を走る郵便局」訪問 鉄道郵便車、将来復活は

能登半島のローカル駅で保存


 旅客列車を使って旅客と貨物を一緒に運ぶ「貨客混載輸送」が、全国で広がりを見せています。これまで混載する貨物は、宅配業者の荷物が中心でしたが、明知鉄道(岐阜県)では2019年3月から旅客列車で郵便物を運ぶ取り組みが始まりました。

能登中島駅で保存されているオユ10形郵便客車(2019年3月、草町義和撮影)。

 旅客列車を使った郵便輸送は、これが初めてではありません。かつては郵便物を運ぶための専用車両(郵便車)があり、旅客列車などに連結されて全国各地の鉄道路線を走っていました。いまでは線路の上を走る郵便車の姿を見ることはできませんが、能登半島を走る、のと鉄道の能登中島駅(石川県七尾市)には、かつての郵便車が保存されています。2019年3月26日(火)、同駅を訪ねました。

 JR七尾線の特急列車の終点、和倉温泉駅(七尾市)からのと鉄道の普通列車に乗車。3つ目の能登中島駅で下車すると、ホーム前方の脇に青色の車体が見えました。側面中央の下には「オユ10 2565」の文字が。全国各地の国鉄線を走ったオユ10形郵便客車です。「オ」は車両の重量(32.5t以上、37.5t未満)を、「ユ」は郵便車を表しています。

 郵便車は旅客列車に使われている客車や電車、ディーゼルカーと同じ形に見えますが、窓は非常に少なく、通常の旅客車両とは異なる独特なデザインです。一部の窓には赤色の郵便記号(〒)が取り付けられていて、郵便車であることを示していました。

 能登中島駅のオユ10形は、車内も入れます。平日は9時から15時まで、駅員に申し出れば誰でも見学が可能。土休日は、のと鉄道の観光列車「のと里山里海号」を利用すれば見学できます(穴水14時30分発「のと里山里海4号」を除く)。ほかにオユ10形の見学を含んだバスツアーもあります。

電車やディーゼルカータイプの車両も


 実際に車内に入ったみたところ、郵便物を置くスペースのほか、細かく区切った書棚のような棚もあります。おもな郵便局には、郵便物を手作業で発送先別に仕分けするための棚がありますが、それと同じ。単に郵便物を運ぶだけでなく、郵政職員による仕分け作業も行われていたのです。「線路を走る郵便局」といえます。

小樽市総合博物館にある合造車のキハユニ25形(2003年5月、草町義和撮影)。

 こうしたこともあり、郵便車の多くは旅客用の鉄道車両に準じた構造を採用。オユ10形のように機関車にひかれて走る客車タイプのほか、自力で走れる電車やディーゼルカーの郵便車も製造されました。郵便物の輸送量が少ない路線では、郵便用スペースや荷物室、客室など複数の設備をひとつの車両にまとめた車両(合造車)も使われています。

 鉄道を使った郵便輸送は、日本初の本格的な鉄道が開業した1872(明治5)年から行われていました。しかし戦後の1970年代に入ると、郵便輸送の主力は飛行機やトラックにシフト。郵便車を使った鉄道郵便輸送は1986(昭和61)年までに終了しています。

 このころ使われていた郵便車はほとんど解体されました。保存車も能登中島駅のオユ10形や、小樽市総合博物館(北海道)にある合造車のキハユニ25形ディーゼルカーなど、ごくわずかしか残っていません。

 明知鉄道の貨客混載輸送は、これまでトラックで運んでいた、岐阜県恵那市内の恵那郵便局から明智郵便局向けの郵便物などを旅客列車で運ぶもの。郵便物を入れた専用ボックスを客室に搭載しており、郵便車を連結するわけでも、車内で仕分け作業を行うわけでもありません。

 貨客混載はトラックの運転時間が減るため、従来より二酸化炭素の排出量が減るほか、トラックドライバーの労働環境改善につながるといいます。この取り組みを機に鉄道郵便輸送が見直されて定着すれば、将来的には郵便車の復活につながるかもしれません。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_8f7225c0c395_"夜行急行の旅"再び 秩父鉄道12系客車で三峰号運転 重連も 8f7225c0c395 8f7225c0c395 "夜行急行の旅"再び 秩父鉄道12系客車で三峰号運転 重連も oa-trafficnews 0

"夜行急行の旅"再び 秩父鉄道12系客車で三峰号運転 重連も

2018年12月に実施したツアー第1弾の様子。秩父駅に停車中。

 秩父鉄道と日本旅行は2019年4月12日(金)、かつての夜行急行列車を再現したツアー「あの時の感動をふたたび 重連電機・12系客車夜行急行の旅」を開催すると発表しました。

 秩父鉄道の12系客車(外観は赤茶色)と電気機関車2両で夜行座席列車を再現し、当時の感動をよみがえらせようというもの。ツアーは6月22日(土)の夜から翌23日(日)の朝にかけて実施されます。2018年12月に開催された第1弾の内容をグレードアップさせ、羽生駅(埼玉県羽生市)までの運転や機関車2両を連結する重連運転が加わっています。

 ツアーの集合・解散は熊谷駅(埼玉県熊谷市)です。列車は、臨時急行「三峰51号」として熊谷駅を22日(土)22時00分ごろに出発し、普段は客車列車の営業運転がない熊谷~羽生間を1往復します。同区間の編成は「電気機関車+客車+電気機関車」です。

 列車は熊谷駅に戻ると編成を「機関車+機関車+客車」に組み替えて、三峰口駅(埼玉県秩父市)へ。路線の終点・三峰口駅は午前2時55分ごろに到着し、駅そばや鉄道グッズ販売、撮影会が行われます。

 列車は再び折り返して3時40分ごろに三峰口駅を出発。熊谷駅には朝5時半ごろに到着します。

 ツアーでは、2種類のオリジナルヘッドマークを掲出。また、途中の熊谷駅や三峰口駅では機関車の付け替え(機回し)を行います。また、深夜帯は車内照明が減光されます。参加者には記念硬券が進呈されます。

 最少催行人員は150人です。旅行代金は1万円(子ども8000円)、窓側から2席の占有だと1万8000円(同1万6000円)、1ボックス(4席)占有だと3万4000円(同3万1000円)です。

 旅行商品の申し込み受付は4月16日(火)15時から、日本旅行の「鉄道の旅」または大阪法人営業支店のウェブサイトで行われます。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_901edcdaf3ae_飛行機ファンが目指す聖地「デスバレー」 行き方と撮影地 901edcdaf3ae 901edcdaf3ae 飛行機ファンが目指す聖地「デスバレー」 行き方と撮影地 oa-trafficnews 0

飛行機ファンが目指す聖地「デスバレー」 行き方と撮影地

世界中の飛行機ファンが集う灼熱の荒野


 アメリカ合衆国カリフォルニア州にあるデスバレー国立公園。モハベ砂漠の北に位置する乾燥した土地で、1913(大正2)年には世界最高気温 摂氏56.7度を記録した場所です。年間降水量は50mm程度で、非常に硬い大地は水がほとんど浸透せず、まとまった雨が降った際には鉄砲水を含む洪水被害が発生する場所でもあります。

デスバレーの一部は、アメリカ軍機が飛び交う訓練空域でもある。写真はアメリカ空軍のアクロバットチーム「サンダーバーズ」仕様のF-16戦闘機(武若雅哉撮影)。

 このデスバレーの一角に、「ファーザー・クロウリー・オーバールック(Father Crowley Overlook)」と呼ばれる場所があります。通称では「レインボーキャニオン」や「スターウォーズキャニオン」などと呼ばれていますが、この場所こそが、世界中の飛行機ファンを引き付ける戦闘機撮影ポイントなのです。

 このデスバレーはアメリカ軍の訓練空域と重なっています。そのため、近隣のエドワーズ空軍基地などから訓練のために飛び立った戦闘機などが、途中にあるこの谷に立ち寄る時に、間近を通過していく姿を見ることができるというわけです。

「低空飛行の航空機に注意」との看板(武若雅哉撮影)。

デスバレーへの道中、周辺は文字通り荒野でクルマも少ない(武若雅哉撮影)。

デスバレーに向かう最中にはガードレール無しの断崖も(武若雅哉撮影)。

 この撮影ポイントへは、ロサンゼルスから車で約3時間、ラスベガスからは約4時間の距離です。その途中にもいくつかの小さな町がありますが、行程のほとんどはひたすら何もない荒野です。

 それでは、デスバレーに行って撮影するにはどういったプランが良いのか。具体例を挙げながらいくつかご紹介しましょう。

プラン1、強行日帰り行程


「デスバレーで撮影したい! だけど時間があまりない」という人は、強行日程ではありますが、日帰りコースをご案内します。

デスバレーの撮影ポイント「ファーザー・クロウリー・オーバールック」周辺の光景。「オーバールック」は、日本語で言えば「見晴らし台」といったところ(武若雅哉撮影)。

 デスバレーに近いもっとも大きな街はロサンゼルスです。ここからレンタカーを借りて出発したとします。北に伸びるルート5を北上すると、ロサンゼルスの外れで14号線とぶつかります。ここから北東に向けて進路を取ります。その後、395号線、178号線を経て北上を続けると東西に走る190号線に到着します。そこはすでにデスバレー国立公園内で、ここの190号線を西に向かうと山を登り始め、やがて前述の撮影ポイント「ファーザー・クロウリー・オーバールック」に到着します。ここまで約3時間です。アメリカ軍の訓練の内容にもよりますが、昼前から谷を通る戦闘機などの姿を見ることができるので、できれば夜明け前にロサンゼルスを出発したほうが良いでしょう。

 日によっては、昼前から昼過ぎまでに3から5機くらいが谷を通過していきますが、これも訓練内容によって変化するため、せっかく行ったのに1機も飛んでこないこともあれば、1時間に数機が飛んでくる場合もあるそうです。

「ファーザー・クロウリー・オーバールック」の駐車場(武若雅哉撮影)。

地名の由来でもある、かつてこの一帯で活動していたクロウリー神父の顕彰碑(武若雅哉撮影)。

駐車場のトイレ。携帯を落としたら二度と拾えない深い穴が掘られている(武若雅哉撮影)。

 日帰りコースでの注意事項は「せっかく来たから」と長居することです。実は、このデスバレー周辺の道路に街灯はありません。車の交通量も少ないのですが、それゆえに事故を起こしてしまった場合、携帯の電波も通じない暗闇に包まれた砂漠のど真んなかで、まったく身動きが取れなくなる可能性があります。そのため日帰りコースの場合には、15時前には帰路についたほうが良いでしょう。日が沈むと、身の危険を感じるほど暗くなる場所でもあるのです。

プラン2、ちょっと余裕がある場合


 実はデスバレーの撮影ポイントから車で15分ほどの距離に、「パナミント・スプリングス・リゾート」という場所があります。まさに砂漠のオアシスのような場所で、ここにはレストランと売店、そして宿泊施設があります。

 もし時間に余裕があれば、この「パナミント・スプリングス・リゾート」を拠点に撮影をしても良いでしょう。簡易的な常設テントから、しっかりとした個室まで用意されており、ここに宿泊するのであれば、日没近くまで撮影することができるほか、18時くらいまで戦闘機が飛ぶ音を聞くことができます。数日滞在できれば、「まったく撮影できなかった」ということもないでしょう。筆者(武若雅哉:軍事フォトライター)が訪れた日の数日前には、すでに退役したとされるステルス戦闘機F-117の飛行目撃情報などもありましたので、場合によってはレアな戦闘機などを見ることができるかもしれません。

 また、キャンプ好きな人には、断然テント泊をオススメします。なぜならば、周囲に大きな街が無いため、夜には満天の星空を眺めることができるほか、テントサイトの脇ではたき火が可能で、食材を持ち込めばバーベキューをすることもできます。何もさえぎるものがない夜空を眺めながらの食事は、その日の疲れを優しく癒してくれることでしょう。

撮影ポイントにて、飛んでくる戦闘機を待つ海外の同志(武若雅哉撮影)。

デスバレーの案内板(武若雅哉撮影)。

撮影ポイントへは舗装されていない道を数百mほど進む(武若雅哉撮影)。

「パナミント・スプリングス・リゾート」はデスバレー国立公園を東西に走る経路上にあるため、昔から旅行者の休憩場所として使われてきたそうです。そのため、飛行機を見る目的外の利用者も多くいますが、そういったほかの旅行者との情報交換交流も面白いかもしれません。

デスバレーに行く上での注意事項


 デスバレーは非常に乾燥した土地です。草木もほとんどなく、湧き水もありません。湿度は日本と比較して非常に低く、湿度10%台のときもあるといいます。地元の人によると「観光客の中で最も多いトラブルは脱水です。水は1日2リットル程度、飲む必要があります」と答えてくれました。実際に筆者が訪れた感想としては、汗をかかないので自覚症状は無かったのですが、肌がパリパリに乾燥したため、気が付かないうちに脱水症状になっていたのだと実感しました。

 また、ガソリンスタンドも日本のようにどこにでもあるわけではないので、燃料タンクが半分になったら給油するように心がけます。そうしないと、何もない荒野の真んなかで立ち往生する可能性もあります。先ほども述べましたが、多くの場所で携帯電話は通じませんので、交通量の少ない道でクルマが通るのを待つことになりかねません。

 もしパンクしても、日本のようにJAFを呼ぶこともできません。そのため、スペアタイヤは必須ですし、タイヤ交換にも慣れておかないと困ったことになるかもしれません。

デスバレーは澄んだ空気のため、遠くの航空機もよく見える(武若雅哉撮影)。

 移動距離が長く、何も無い一本道をひたすら進んだ先にある「デスバレー」ですが、日本では見ることができない戦闘機の谷抜け撮影もさることながら、それ以外にもスケールの大きい土地ならではの地形の変化なども楽しむことができるため、飛行機ファン以外にもオススメな観光スポットでもあります。



【動画】デスバレー名物、眼下に眺めるアメリカ軍機の低空飛行

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_8a663a6df268_【平成と乗りもの】時代を映す高速バス 30年で乗客も変化 8a663a6df268 8a663a6df268 【平成と乗りもの】時代を映す高速バス 30年で乗客も変化 oa-trafficnews 0

【平成と乗りもの】時代を映す高速バス 30年で乗客も変化

2019年4月15日 20:03 成定竜一

バブル期に成長した高速バス、当時の利用者は?


 高速バスは「平成」を通じて大きく成長しました。年間利用者数はおよそ1億1500万人と、航空機(国内線)の約9300万人を上回る規模になっています(2015年度)。何がそうさせたのか、30年間を振り返ります。

「平成」が始まった1989年は、「高速バス開設ブーム」の真っただ中でした。4年前の1985(昭和60)年に全国で249系統1866便しかなかった高速バスは、この年に772系統2952便、1991(平成3)年には1093系統3670便へと急増します。この時期に全国で高速道路の延伸開業が続いたうえ、バブル経済のなかで人の移動が活発だったことが背景にあります。

1990年に運行を開始した西鉄の東京~福岡線「はかた号」。奥は、同じく東京~福岡間を結ぶ「オリオンバス」(2016年9月、中島洋平撮影)。

 路線の起点と終点それぞれで、各地域の路線バスを運行する会社どうしの「共同運行」が定着した点も、高速バスの成長を促しました。地方の乗合バス事業者が都会の事業者と手を組み、容易に高速バス事業へ参入できるようになったのです。地方の乗合バス事業者は、不動産開発や小売業など様々な生活関連産業も展開する「地元の名士企業」ですから、彼らが自ら東京や大阪への高速バスを開業したことで、地方部において高速バスの認知が進みました。わが国の高速バスは、まず「地方から都市への足」として成長したのです。

 たとえば、福岡~宮崎線「フェニックス号」は、平成が始まる前年の1988(昭和63)年に開業。この区間は鉄道だと遠回りで時間がかかるため、バスが一気にメインの交通機関へと躍り出ました。平成を迎えた開業翌年には、週末になるたび、宮崎県の若者たちがショッピングなどのため高速バスで福岡へ向かうようになり、「フェニックス族」と呼ばれるようになります。バブルの真っただ中、テレビでは「トレンディドラマ」が生まれたこの年、地方の若者の都市志向は大変強く、新しい商業施設の開業が続いていた福岡に(ほかの地方の若者は東京や京阪神に)憧れたのです。

 1990(平成2)年には、いまも国内最長クラスの距離を走る東京~福岡線「はかた号」が開業します。所要時間が15時間(当時)と長いため認可を渋る運輸省に対し、バス事業者は何度も試走し、乗務員の健康状態をチェックするなど説明をして重ね、ようやく路線免許が下りたといいます。しかし、この直後から高速バス業界は、「攻め」から「守り」に転じます。

「大都市~大都市」路線が急成長したワケ


 1990年代前半のバブル崩壊以降、東京湾アクアライン(1997年)や明石海峡大橋(1998年)の開通にともなう新路線を除けば、全国的に見ると新規開業はひと段落します。多くのバス事業者が自社エリアの中心市街地に多く保有していた不動産の価格が、バブル崩壊後に下落し経営を圧迫していたのです。高速バス事業でも、車両のグレードダウンなど弱気な施策が目立ちました。

 2000(平成12)年には道路運送法が改正され(施行は2002年)、高速バス分野への新規参入が自由とされました。一方、高速バス運行に不可欠な停留所を、新規参入者が確保するのは大変困難で、事実上の参入障壁として残ります。その結果、新規参入は福島~仙台間など一部の事例にとどまりました。「大手運送会社らが高速バス事業に参入してくるのでは」と戦々恐々だったバス業界は胸をなでおろしますが、2006(平成18)年ごろから新しい変化が起こります。

高速ツアーバスとしてスタートし、乗合バスに移行した「JAMJAMライナー」東京~仙台便(2018年12月、中島洋平撮影)。

 それが、「高速ツアーバス」と呼ばれる事業モデルです。募集型企画旅行(バスツアー)という形態を採りながら、実質的には都市間移動サービスを提供するもので、法的には旅行会社が貸切バスをチャーターするという形態。したがって停留所は必要なく、既得権は関係ありません(利用客には「〇〇銀行前」などと「集合場所」を指定)。2002(平成14)年に容認された直後はニッチ商品に過ぎなかったものの、2005(平成17)年末に大手旅行予約サイトが「高速ツアーバス」の取り扱いを開始したことを機に、急成長を始めます。

「高速ツアーバス」は、従来の高速バスが苦手としていた「大都市と大都市を結ぶ路線」の市場をウェブマーケティングによって開拓し、成功を収めます。たとえば首都圏~仙台間の高速バス(高速ツアーバスを含む)輸送人員は、2006(平成18)年からの6年間で5倍以上に伸長しました。

「豪華」も「格安」も 制度変化が促した多様化


 しかし、「高速ツアーバス」は問題も抱えていました。価格の安さを売りに集客したい一部の旅行会社が、貸切バス事業者へのチャーター代を削減したり、繁忙期に無理な増便を強要したりして、バス運行の法令遵守がおろそかになる点が指摘されました。また、貸切バス事業者のなかにも、運転手の待遇が悪く離職者が増え、経験の浅い運転手に法令の上限を上回る長距離乗務を指示するような、安全意識の低い者もいました。またそもそも、準拠する制度が乗合バス事業者と異なる点が、かねて業界内で問題視されていました。

 筆者(成定竜一:高速バスマーケティング研究所代表)も委員を務めた国土交通省「バス事業のあり方検討会」で足掛け3年におよぶ議論の末、「高速ツアーバス」は制度上、従来の高速バスに合流することになりました。それが「新高速乗合バス」制度です。新制度発表直後の2012(平成24)年4月には、高速ツアーバスが群馬県内の関越道で乗客7人死亡という、重大な、大変痛ましい事故を起こしました。以前から指摘されていた問題が顕在化した事故といえ、制度一本化の期限は前倒しされました。

ウィラーの3列シート「リボーン」。同社も高速ツアーバスからスタートした事業者のひとつ(2017年1月、中島洋平撮影)。

 こうして、2013(平成25)年夏以降、運行面では国による厳格な管理が行われるようになりました。一方で運賃設定などの営業面では、「既存」の高速バスにも「高速ツアーバス」同様の柔軟な制度が適用され、レベニュー・マネジメント(繁閑に応じた運賃変動)が行われるようになり、ウェブ予約比率の向上もその動きを後押ししました。

 ウェブ上で比較しながら予約する環境が生まれたことで、車両面では、個室タイプなどの超豪華座席が登場する一方、夜行便でも4列シート・トイレなしという格安便も人気となり、多様化が進み現在に至ります。そうしたなか、衝突被害軽減ブレーキ(いわゆる「自動ブレーキ」)といった安全装置の装着義務化も着実に進みました。

通勤や外国人旅行者の移動手段にも


 2019年現在、高速バスは毎日1万5000便が運行され、年間輸送人員は1億1500万人と、航空国内線を2割ほど上回るまでに成長しました。ただ、その内訳には変化が見られます。「高速バス開設ブーム」に沸いた平成初期は、首都圏~北東北や京阪神~九州など長距離の夜行路線が目立ちましたが、近年は新幹線網の拡充や航空自由化(LCCの台頭)の影響を受け、長距離夜行市場が縮小しています。

 それに代わり、おおむね片道250㎞、所要4時間以下の短・中距離が市場を大きく伸ばしています。なかでも、千葉県木更津市、袖ケ浦市周辺から東京湾アクアラインを経由して東京都心へ向かう路線や、山形~仙台間などでは朝ラッシュ時に3分間隔などと頻発し、鉄道に代わる通勤需要も取り込んでいます。1台当たりの定員が少なく、高頻度で運行できる高速バスは、所要時間のうえでも自宅から大都市の目的地まで鉄道と大差ない場合も。乗客は、夜行便では若年層が中心ですが、昼行便では老若男女、出張客らも多く見かけます。

「佐野プレミアム・アウトレット」に乗り入れるジェイアールバス関東の東京~佐野線(2018年12月、中島洋平撮影)。

 乗客の変化という面では近年、新しい動きも生まれています。インバウンド(訪日外国人)の急増です。彼らの旅行形態が、貸切バスを使う団体ツアーから、高速バスや鉄道を乗り継いで旅行するFIT(個人自由旅行)に変化しているのです。富士五湖や高山、白川郷といった中部地方の山間部、九州の湯布院など、鉄道の利便性がそれほど高くなく、「日本らしさ」が残っている地域への路線が人気です。また日本人観光客のあいだでも、大都市郊外からテーマパークやアウトレットモールへ直行する路線の利用が増えています。

 平成の終わりを迎え、かつての「フェニックス族」のように、憧れの都会へ焦がれるように高速バスへ飛び乗る若者は減ったように感じます。当時の若者が親の世代となり、大型ショッピングモールも続々と開業したいま、若者にとって地方はほどほどに住みやすく、昔ほど「逃げ出したい土地」ではなくなっているのでしょう。入れ替わるように、地方出身で都市に住む当時の若者世代が、親の介護などのため高速バスで地元に向かう姿が見られます。この「30年後のフェニックス族」こそ、「平成」日本社会の変化の象徴かもしれません。



【写真】平成30年間で驚異的に増便 関東の「本数最大路線」


京成バスなど3社が共同運行する東京~鹿嶋線「かしま号」。平成30年間で6往復から88往復まで増便。通勤にも使われている(2016年10月、中島洋平撮影)。

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小田急が複々線化跡地に"世田谷代田キャンパス"をオープン

地域内外の人がつながる場に


 小田急電鉄は2019年4月13日(土)、小田急小田原線の世田谷代田駅(東京都世田谷区)から徒歩2分の場所に、複合施設「世田谷代田キャンパス」をオープンしました。

鉄道跡地に誕生した複合施設「世田谷代田キャンパス」(2019年4月13日、伊藤真悟撮影)。

 小田急線の代々木上原~梅ヶ丘間を地下複々線化したことで発生した鉄道跡地を利用。地下化によって地域内の交流が活発化している世田谷代田の“コミュニティハブ”としてさらなるにぎわいを生み出すこと、また地域内外の人と人がつながる場になることを目指すそうです。

 施設は地上2階建てで、1階にはカフェレストラン「CAFE HELLO」と、世田谷区内にメインキャンパスを持つ東京農業大学のアンテナショップ「農大ショップ」が出店。「農大ショップ」では、東京農大オリジナルグッズや、農大卒業生の酒蔵でつくられた日本酒や味噌を販売します。

 2階は、東京農業大学がオープンカレッジ(市民講座)を行う施設「東京農大オープンカレッジ」です。健康や食、環境、生き物をテーマとした講座が開かれます。

 開業初日の4月13日(土)には、地域と連携したイベント「世田谷代田マーケット」を開催し、先着150組にフルーツをプレゼントしたほか、このイベント限定ショップも出店。産地直送の食品などを販売しました。またこの日、日本酒の試飲会や「東京農大オープンカレッジ」での記念講演会も行われています。

 小田急電鉄 生活創造事業本部開発推進部の向井隆昭さんは、「今年8月には地域の祭りの会場としても使っていただく予定です。将来的には世田谷代田から下北沢付近までの線路跡地を使って、イベントを実施したいです」と話しました。

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戦車のエンジンと燃費、安全と実用性で紆余曲折の100年

2019年4月12日 18:39 月刊PANZER編集部

戦車はどのようなエンジンを積んでいるの?


 昨今(2019年現在)の自動車業界を見ると、電気自動車、ハイブリット車、低燃費車と、エコを売りにしたクルマが次々と登場しており、そのように燃費を抑えて長距離走行する技術を進歩させるため、各メーカーは研究に余念がありません。現在、そしてこれからも「燃費」は、ユーザーがクルマを購入するうえで最も考慮するテーマのひとつでありつづけるでしょう。

演習でタンク車から燃料補給するイギリス軍の「チャレンジャー2」(左)。車体後部にドラム缶をふたつ付けている(画像:イギリス国防省)。

 では、戦車の燃費はどうでしょうか。何十tもの巨体を動かすエンジンを搭載しているのですから、少なくとも燃費が良いイメージを持つのは難しいでしょう。

 そもそも、戦車はどのようなエンジンを積んでいるのでしょうか。

様々な英戦車に搭載、ロールスロイス製「ミーティア」(月刊PANZER編集部撮影)。

米M4シャーマンのガソリンエンジンは航空機用の星型が原型(月刊PANZER編集部撮影)。

旧日本陸軍八九式中戦車搭載、三菱製ディーゼルエンジン(月刊PANZER編集部撮影)。

 戦車の歴史から見ると、多種多様な戦車が登場した第2次大戦時は、ガソリンエンジンが主流でした。軽量・小型・高出力のエンジンを求めた結果、航空機用のレシプロエンジン(ピストンがシリンダー内で往復復動するエンジンのこと)を基にして戦車用エンジンとして流用するケースが多かったためです。しかし、戦車用ガソリンエンジンは燃費が悪く、被弾時に燃料タンクに引火すると火災が発生し、多大な被害が生じるといった問題がありました。

 一方、ディーゼルエンジン搭載戦車も、数少ないながら存在しました。ディーゼルエンジンは軽油が燃料ですが、ガソリンエンジンと比べると燃費がよく、なおかつ引火し難いのが特徴です。ただし、エンジンが大型化しスペース効率に劣る、そして振動や音が大きいという欠点もありました。

 それでも上述したメリットを鑑みて、1935(昭和10)年ごろには、日本の八九式中戦車(空冷ディーゼル)とポーランドの7TP軽戦車(水冷ディーゼル)が相次いで登場しており、第2次大戦に入ると、ソ連や日本の戦車はディーゼルエンジンが主流になっていました。

 そして、戦後は燃費の良いディーゼルエンジンが注目され、今日にかけて戦車用エンジンの主流となっています。

ソ連T-64戦車のディーゼルエンジンは水平対向のため低い(画像:月刊PANZER編集部)。

1944年夏、ガソリンエンジン交換作業中のティーガーI重戦車(画像:ドイツ国防省)。

給油中のティーガーI。ドラム缶脇の兵士が手動ポンプを回す(画像:ドイツ国防省)。

 そうしたなか、ソ連は戦後、ジェット機と同じガスタービンエンジンの研究・開発を進め、後にT-80で搭載しています。アメリカも、主力戦車のM1「エイブラムス」にガスタービンエンジンを採用しました。またスウェーデンのStrv.103(通称「Sタンク」)やフランスの「ルクレール」は、ディーゼルとガスタービンの長所短所を補完しあうために、あえて両者の複合型(ハイブリッド・エンジン)を搭載しています。

ディーゼルとガスタービン、それぞれの特徴と気になる燃費


 先にも記した通り、現用戦車のエンジンはディーゼルが主流となっていますが、アメリカとロシア、戦車大国ともいえるこの両国は、戦車用エンジンにガスタービンを採用しています。

 ロシアについてはガスタービンを採用する一方でディーゼルも併用していますが、アメリカはガスタービンに一本化しています。ここでディーゼルとガスタービン、それぞれの長所と短所を比較してみましょう。

小型だが燃費は非常に悪い米M1戦車のAGT1500ガスタービン(画像:アメリカ海兵隊)。

米M1戦車はジェット機と同じ航空燃料を用いる(画像:アメリカ陸軍)。

演習にてタンク車から給油中の英ウォーリア歩兵戦闘車(画像:イギリス国防省)。

 まず、ディーゼルエンジンですが、前述のように燃費が良い、燃料となる軽油自体がガソリンよりも安いといった利点があります。また、燃料となる軽油はガソリンなどと比べて引火しにくいため、被弾時の火災に対する危険性が低く、その点では安全性が高いともいえます。

 ガスタービンエンジンは、ディーゼルエンジンよりも軽くて高出力なのが特徴です。また、ジェット機やヘリコプターと燃料を共用できるといった利点もあります。しかしながら「燃費が非常に悪い」ところが短所です。

 アメリカのガスタービンエンジンを搭載するM1「エイブラムス」の場合、整地での燃費が約0.24km/Lといわれます。これはディーゼルエンジンを搭載するドイツの「レオパルト2」が、同じ整地での燃費で約0.46km/Lなので、半分程度です。ちなみに、市販のトヨタ「プリウス」現行モデルは、カタログ燃費(JC08)が39km/Lですので(グレードE)、M1「エイブラムス」と比較すると約162倍もの燃費差といえるでしょう。

 これはロシアでも同様で、初めてガスタービンエンジンを制式採用したT-80は、あまりに燃費が悪く、なおかつトラブルが多かったため、のちにディーゼルエンジンに換装したT-80UDというタイプが登場しました。さらにそののち、ロシアで開発されたT-90やT-14といった新型戦車は、ディーゼルエンジンを搭載しています。

 このように世界的に見ると、ガスタービンはまだまだ少数派です。転じて日本の国産戦車は、戦後も一貫してディーゼルエンジンを搭載しています。自衛隊発足時に供与されたM24、M4A3、M41といったアメリカ製戦車はガソリンエンジンでしたが、それらはいまでは全て退役しています。

戦車への燃料補給、実際のところは?


 それでは戦車への燃料補給は実際、どのようにして行われているのでしょうか。

90式戦車の10ZG32WTディーゼル。V型10気筒で最大1500馬力(月刊PANZER編集部撮影)。

演習にて、携行缶に給油中の自衛隊員。携行缶の容量は20L(月刊PANZER編集部撮影)。

演習にて、給油中の90式戦車(月刊PANZER編集部撮影)。

 陸上自衛隊の場合、各駐屯地に給油所があり、戦車もここを利用することは可能ですが、燃料をがぶ飲みする戦車は給油に時間がかかるため、何両も連なって向かうと混雑の原因になります。

 そのため、パーク(駐車場)で給油する姿がよく見られます。各駐屯地には「燃料集積所」という場所があり、そこには緊急時や災害派遣に備えて必ず一定数、燃料が入ったドラム缶(1缶あたり200リットル)が用意されています。ここにまずトラックで向かい、軽油が入ったドラム缶を必要数荷台に搭載し、パークに戻ります。その後、ドラム缶を下ろし、人力で戦車のそばまで転がし、手動ポンプで給油します。

 手動ポンプは種類にもよりますが、おおむねハンドル1回転で1リットル汲み上げるようにできており、単純に考えてもドラム缶を空にするまでハンドルを200回転させることになります。

 ちなみに各部隊で保有する戦車には、常に一定量の燃料が入っているように管理されており、燃料タンクが空の状態になることはほとんどありません。部隊では隊員が常時、部隊が装備する全車両の稼動状況を把握しており、適時適切な燃料補給を行っているからです。

 このように、「たかが給油」と思うかもしれませんが、軍用車両への給油は多くの人員が関わって実施されています。



【写真】ドラム缶かついだ74式戦車、偽装中


演習で車体後部に増槽としてドラム缶を搭載した陸自74式戦車。車体に取り付けられた植物は偽装用のもの(月刊PANZER編集部撮影)。

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北九州市内にも「連節バス」西鉄が導入 全長18m超

北九州市内に導入予定の連節バス、デザイン案(画像:西日本鉄道)。

 西日本鉄道は2019年4月9日(火)、北九州市内に導入予定の連節バスについて、運行を担当する西鉄バス北九州と北九州市が車両デザインが決定したと発表しました。

 連節バスは、車体がふたつ以上つながっている大量輸送が可能なバスで、西鉄側は今回、メルセデス・ベンツ製の「シターロG」を2台導入。その全長は約18.2mに及びます。

 車両デザインは市民投票によって選ばれ、2679票を獲得した北九州市のデザイン制作・広告会社「ハーティブレーン」のデザイン案が採用されました。“北九州市の文化や伝統を身近に”というコンセプトのもと、江戸時代から続く特産の「小倉織」をモチーフに、市内各地の「まつり」、市花である「ひまわり」と「つつじ」など北九州市の特色を表しつつ、洗練されたデザインが評価されたそうです。

 今後、4月23日(火)に一般車両への影響や走行環境の最終確認のための試走を行い、必要な改善を図ったうえで、2019夏の導入を目指すとのこと。現在のところ、小倉~黒崎(砂津~黒崎バスセンター)間で5~8往復、小倉~戸畑(砂津~戸畑駅)間で1往復の運行を検討しているそうです。

 連節バス導入の導入は、北九州市における「拠点間BRT(Bus Rapid Transit)」形成の一環。連節バスを基幹的なバスとして定時性・速達性を向上させ、既存の路線バスとの乗り継ぎ強化を図るなどして、人口減少、高齢化社会に対応した公共交通ネットワークの再構築に取り組むとしています。西鉄ではすでに、福岡市内の博多港国際ターミナルと博多駅、天神などのあいだで「都心循環BRT」として連節バスを運行しています。

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