cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_08af4f970c73_【平成と通勤電車】今では当たり前の座席・設備いつから? 08af4f970c73 08af4f970c73 【平成と通勤電車】今では当たり前の座席・設備いつから? oa-trafficnews 0

【平成と通勤電車】今では当たり前の座席・設備いつから?

座席はくぼみやポールで区切り付きに


 平成初期の通勤電車は、その多くが鋼製の車体でした。それから30年、たとえばJR東日本の在来線の一般形電車は、新潟にわずかに残る国鉄時代製造の115系電車を除き、すべて銀色のステンレス車両に置き換えられています。私鉄を見回しても、東武8000系、西武新101系、小田急8000系など鋼製車体の電車は数少なくなりました。とはいえ電車の変化は車体の素材だけではありません。平成の時代に大きく変わったのは、むしろ車内設備の方かもしれません。いまでは当たり前の光景、いつからそうなったのでしょうか。

平成初期は首都圏のJR各線を走っていた103系通勤形電車(画像:photolibrary)。

 通勤電車の座席といえばいまも昔も、ロングシート(通路を向いて座る長い座席)ですが、その造りはかつて、スプリングが中に入った「ベンチシート」が主流でした。路線や車両によってふわりと沈んだり、硬めながらしっかり支えたりと、座り心地にも個性がありました。

 昔のシートには一人分ごとの区切りはなく、せいぜい背の部分に着席箇所の目安になる柄を付けていた程度でした。そのため、好き勝手に座っていくと7人掛けのところに6人しか座れないこともしばしばで、「座れない」という苦情が寄せられていました。

少しずつ広がった座席の幅


 そこで営団地下鉄(現・東京メトロ)は1991(平成3)年以降の新造車から、JRも1993(平成5)年にデビューした209系電車から、座面がくぼんでいる「バケットシート」を採用。縦方向の手すりであるスタンションポールの区切りも加わると、「座席は詰めてお掛かけください」の定員着座マナー放送はすっかり聞かなくなりました。ただバケットシートの座り心地はお世辞にも褒められたものではなく、クッションもない板のような座面でしたが、試行錯誤が重ねられて近年は随分改善されました。

 もうひとつの変化は、座席一人分の幅です。ロングシートの座席幅は、当時430mmが主流でしたが、日本人の体格向上によって「座席が狭い」という声が増えてきたため徐々に広げられていきます。1993(平成5)年デビューの209系や営団地下鉄06系は450mm、2000年代に入ると東急6000系や東京メトロ10000系、JR東日本のE233系は460mmを採用。近年の関西では特急車のシートに匹敵する470mm幅を確保したロングシートも登場しています。

 どの時間帯であれ、できることなら電車は座って利用したいもの。特に始発駅で並んで待っている人からすると、座席の定員数は死活問題です。進行方向に座席が並ぶクロスシートを採用すれば座席数を最大限に増やせますが、通路が狭くなり乗降に時間がかかるため混雑する通勤路線には向きません。

 昭和末から平成初頭にかけて、バブル経済が空前の好景気をもたらし、鉄道利用者数が大幅に増加。輸送力増強によって減少しつつあった混雑率が足踏み、路線によっては悪化してしまったのです。乗降に時間がかかって列車が遅延すると輸送力も減るため、混雑は悪化します。そこで車両側面のドアを増設して乗降できる個所を増やすことで乗降時間を短縮しようというアイデアが登場します。

平成時代に普及し、消えていった「多扉車」


 営団地下鉄は1990(平成2)年、日比谷線で特に混雑する前後2両を5扉とした新型03系電車を投入。翌年、京王電鉄も全車5扉の6000系車両を増備しました。一方JRは1991(平成3)年から山手線の11両化に着手し、増結する車両はラッシュ時間帯に座席を収納できる6扉車としました。この車両は当初「いすなし電車」「荷物扱い」とセンセーショナルに取り上げられましたが、横浜線、京浜東北線、中央・総武線など各路線に広がっていきました。東急電鉄も2005(平成17)年から田園都市線に6扉車の導入を開始し、最終的に1編成あたり3両が組み込まれました。

 こうした「多扉車」は、ラッシュ時間帯には乗降時間の短縮効果を発揮しますが、日中は座席の少ない座りにくい電車として不評でした。平成初頭に200%を超えていた東京圏主要区間の平均混雑率は2003(平成15)年には170%台まで低下。2000年代後半からホームドア整備の機運が高まり、導入に向けて車両のドアの数や位置をそろえる必要も出てきたことから、JRは2007(平成19)年に登場したE233系から6扉車を廃止し、いまでは中央・総武緩行線にわずかに残るのみとなりました。東急も田園都市線にホームドアを設置するため、すべての6扉車を2017年までに4扉車に置き換えています。混雑に対応するための「多扉車」は平成に普及し、平成のうちに消えていった時代のあだ花でした。

 平成の時代に変化を遂げた座席といえば、優先席もそのひとつです。平成の初めまで「シルバーシート」と呼ばれていたこの席は、1973(昭和48)年の敬老の日から国鉄中央線の両先頭車両に設置されたもので、やがてほかの線区や私鉄・地下鉄にも広がっていきました。

 シルバーシートは当初、高齢者と障害者を対象とした座席でしたが、妊婦や乳幼児連れの人などを含む座席を必要とする人のための「優先席」に変わっていきます。1993(平成5)年に京王電鉄がシルバーシートを「優先席」に改称すると、1997(平成9)年にJR東日本も倣い、各社が続きました(東武鉄道などのように当初から「優先席」と呼称していた事例もある)。

フリースペースも「当たり前」に


 当初一部の車両にしか設置されていなかった「優先席」は、営団地下鉄では1996(平成8)年、JR東日本では1997(平成9)年ごろから全車両に拡大。2003(平成15)年からは車端部の向かい合った座席の両方が優先席となり、この「優先席エリア」では「優先席付近では携帯電話の電源を切り、優先席以外ではマナーモードに設定する」という関東鉄道会社の携帯電話利用統一ルールが制定されました。

リニューアルされた東京メトロ南北線9000系の1次車(2016年8月、恵 知仁撮影)。

 もうひとつが「車いすスペース」です。通勤形車両で最初に採用したのは1981(昭和56)年に登場した京都市営地下鉄10系電車といわれていますが、本格的に普及したのは平成に入ってからのことでした。1991(平成3)年に開業した営団南北線9000系電車は、東京の地下鉄では初めて車いすスペースを設置して登場し、以降の車両では標準装備となりました。東急電鉄は1992(平成4)年から既存の車両を改造して車いすスペースの設置に着手。JRも1993(平成5)年の209系量産車から設置を開始しました。2000(平成12)年に成立した「交通バリアフリー法」では、1列車に1か所以上の車いすスペースを設けることが義務付けられ、広く普及していきます。

 2010年代に入ると「車いすスペース」は、「シルバーシート」が「優先席」へと拡大したのと同様に、ベビーカーや大きな荷物を持つ人も使える「フリースペース」として再定義されるようになりました。現在では、1両の四隅のうちひとつをフリースペース、3つを優先席に設定するスタイルが主流となっています。東京メトロでは2014年以降に製造または大規模改修を行った車両、東急電鉄では2016年以降の新造車両、JRもE235系からこの配置を採用しています。



【写真】フリースペースの進化版「パートナーゾーン」


西武鉄道の40000系電車に設けられた「パートナーゾーン」。中央に簡易座席、壁面に腰当て、大型窓には手すりが用意されている(2017年2月、恵 知仁撮影)。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_7932399f0fec_空港で遠隔操作ロボが利用者を案内 JALがトライアルを実施 7932399f0fec 7932399f0fec 空港で遠隔操作ロボが利用者を案内 JALがトライアルを実施 oa-trafficnews 0

空港で遠隔操作ロボが利用者を案内 JALがトライアルを実施

 JAL(日本航空)は2019年4月19日(金)、羽田空港におけるアバターロボットの活用について、トライアルを実施すると発表しました。

人型の遠隔操作ロボット「JET」。操作者の声はボイスチェンジャーを経て利用者へ伝わる(画像:JAL)。

 操作者がVR技術を使って人型の遠隔操作ロボット「JET」を動かし、利用者を空港スタッフに代わって案内するもの。羽田空港の国内線第1旅客ターミナル2階にあるJALスマイルサポートカウンター付近で、4月22日(月)から24日(水)の10時より11時、14時より15時まで、トライアルが行われる予定です。

 JALは今後、国内外の空港で様々な案内業務を想定したトライアルを行い、「JET」の活用方法について検証するとともに、操作性の向上や案内業務以外への活用を目的とした機能強化を実施。2020年からの一部実用化を目指すとしています。

 また出産や子育て、介護などにより在宅勤務を行う社員が遠隔で業務することも可能になることから、サービス品質の向上とともに、社員が働きやすい環境作りにも貢献できる技術として、JALは検証を進めていくそうです。



【図解】空港での「JET」トライアルのイメージ


JALが羽田空港で実施するアバターロボット活用トライアルのイメージ(画像:JAL)。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_9f9d6ec2a031_小田急「天皇陛下御即位記念乗車券」発売 限定5000セット 9f9d6ec2a031 9f9d6ec2a031 小田急「天皇陛下御即位記念乗車券」発売 限定5000セット oa-trafficnews 0

小田急「天皇陛下御即位記念乗車券」発売 限定5000セット

「天皇陛下御即位記念乗車券」のイメージ(画像:小田急電鉄)。

 小田急電鉄は2019年4月18日(木)、「天皇陛下御即位記念乗車券」を5月1日(水・祝)に発売すると発表しました。

 硬い厚紙を用いた横長のD型硬券に鳳凰や菊、桐をデザインし、A4判ふたつ折りの専用台紙が付きます。乗車券は新宿から130円区間、370円区間、500円区間の3枚。価格は1セット1000円です。5月1日(水・祝)朝6時半から31日(金)までの期間、新宿駅西口地上特急券売り場、町田駅西口特急券売り場、小田原駅、藤沢駅で、計5000セットが販売されます。

 1人5セットまで購入可。支払いは現金のみです。購入時に券番号の指定はできません。乗車券は5月31日(金)まで1回限り有効です。小田急電鉄は「期間・数量限定ですので、この機会にぜひお買い求めください」としています。



【画像】記念乗車券の台紙


「天皇陛下御即位記念乗車券」台紙のイメージ(画像:小田急電鉄)。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_d2af50db57b9_オオシマツツジ満開の伊豆大島へ! 東海汽船が母の日ツアー d2af50db57b9 d2af50db57b9 オオシマツツジ満開の伊豆大島へ! 東海汽船が母の日ツアー oa-trafficnews 0

オオシマツツジ満開の伊豆大島へ! 東海汽船が母の日ツアー

 東海汽船が創立130周年プレ企画の第7弾として、「伊豆大島・母の日スペシャル感謝ツアー」を実施します。

 伊豆大島に咲く準固有種の「オオシマツツジ」が満開の時期に、その鑑賞と絶景露天温泉を楽しもうという日帰りツアーで、特典として椿油のミニボトルがプレゼントされます。

伊豆大島のつつじ園(画像:東海汽船)。

 出発は5月14日(火)から17日(金)までの限定で、代金(税込)は大人6000円、子ども5000円。東京・竹芝から伊豆大島までの往復船賃、島内行程中のバス代、昼食代、入浴代、旅行傷害保険料、諸税が含まれています。各出発日とも135名の募集です。

 ちなみにオオシマツツジは、一般のヤマツツジと比べて花が大きく、鮮やかなピンクが特徴だそうです。



【写真】伊豆大島の「絶景」という露天風呂


大島温泉ホテルの露天風呂(画像:東海汽船)。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_abd9937a6a53_房総スカイラインと鴨川有料道路、4月21日から無料開放 abd9937a6a53 abd9937a6a53 房総スカイラインと鴨川有料道路、4月21日から無料開放 oa-trafficnews 0

房総スカイラインと鴨川有料道路、4月21日から無料開放

房総スカイライン有料道路と鴨川有料道路の位置(画像:千葉県道路公社)。

 千葉県道路公社の管理する房総スカイライン有料道路(10.0km、普通車300円)と鴨川有料道路(5.1km、普通車210円)が、2019年4月21日(日)午前0時から無料開放されます。

 両道路は、内房と外房を短絡するルートとして利用されてきましたが、4月20日(土)をもって料金徴収期間が満了に。2013年2月から無料通行措置が続いていた房総スカイライン有料道路とともに、鴨川有料道路も4月21日(日)から無料開放されます。

 これに伴い、両道路の管理は、千葉県道路公社から千葉県に変更。回数券の払い戻しは、鴨川有料道路管理事務所(君津市)と千葉県道路公社(千葉市中央区)で行われます。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_045fb632bcaa_東京23区の"閑散駅"5選 利用者が少ないのにはワケがある? 045fb632bcaa 045fb632bcaa 東京23区の"閑散駅"5選 利用者が少ないのにはワケがある? oa-trafficnews 0

東京23区の"閑散駅"5選 利用者が少ないのにはワケがある?

周りは住宅、周りは川…様々な閑散駅


 東京23区にはおよそ950万人もの人々が住んでいます。そのなかにある駅は、新宿駅を筆頭にいずれの駅前も人と人が行き交う雑踏を思い浮かべるかもしれません。しかしなかには、利用客が少ない駅も少なからずあります。

 東京都が公開している「東京都統計年鑑」から最新の2016年度のデータに基づき、23区内で乗車人員が少ない「閑散駅」トップ10のなかから5駅を訪れてみました。なお、都電荒川線や東急世田谷線といった軌道路線(路面電車)は省いています。

【第9位】亀戸水神駅:1日平均乗車人員1973人(東武亀戸線)


亀戸水神駅。改札口から反対側のホームへは構内踏切を渡る(2019年3月、河嶌太郎撮影)。

 まず紹介するのは、江東区亀戸にある東武亀戸線の亀戸水神駅です。マンションが建ち並ぶ住宅街にある駅です。にもかかわらず、この駅の1日平均乗車人員は1973人しかいません。なぜでしょうか。

 そう思い、JR総武線に接続する隣の亀戸駅に歩いて向かうと、なんと8分ほどで着いてしまいました。ここに“マンション街の秘境駅”たる理由があるように思います。都心方面に向かう場合、150円払って電車を待って1駅間だけ乗るのと、総武線の亀戸駅にそのまま歩くのもそこまで変わらないというわけですね。一方、反対方向は多くが東武スカイツリーライン(伊勢崎線)に接続する曳舟行きで、北千住方面へ向かう際は便利かもしれませんが、使う機会は限られそうです。

【第8位】足立小台駅:1日平均乗車人員1907人(日暮里・舎人ライナー)


 続いては、足立区小台にある日暮里・舎人ライナーの足立小台駅です。荒川と隅田川に挟まれた細い陸地にある駅で、駅付近には家電量販店やホームセンター、スーパー、マンションなどがありますが、そもそも陸地の幅が260mほどしかないため、土地が少ない状況。1日あたりの乗車人員は1907人です。

新宿や羽田空港から近い所にも閑散駅が


【第5位】南新宿駅:1日平均乗車人員1649人(小田急小田原線)


南新宿駅(2019年3月、河嶌太郎撮影)。

 1日平均173万人が乗車する世界最大のターミナル駅、新宿。そこからわずか700mほど離れた場所に、都心の“秘境駅”こと小田急線の南新宿駅があります。駅の改札はひとつだけで、駅前のメインストリートも幅2m半ほどしかない一方通行の道。駅周辺の目ぼしい施設はコンビニエンスストアが1軒あるのみで、ほかは空き地を利用したコインパーキングが目立ちます。遠くには高層ビルも見えますが、そこから歩いてくる人の数はわずか。「ここは本当に新宿からひと駅の場所なのか」という感覚に陥ります。

 ラッシュ時でも、1時間に片方で各駅停車だけが7本ほどしか停まりません。

【第2位】整備場駅:1日平均乗車人員1011人(東京モノレール羽田空港線)


 都心から一気に、神奈川県境近くの大田区羽田空港一丁目にある東京モノレールの整備場駅へとやって来ました。駅を出てまず目に入るのが平屋の廃墟です。整備場区域に入ろうとする車両の監視小屋と思われますが、いまは使われておらず、ガラスが割れ、錆びています。

 ほかにも駅周辺には航空会社の建物が建ち並んでいるものの、老朽化している印象も否めません。というのも、その中枢は3駅隣の新整備場駅に移っているからです。かつてはこの整備場駅の隣の羽田駅(移転し現在は天空橋駅)に空港の旅客ターミナルが直結していましたが、1993(平成5)年、ターミナルが沖合に移り、整備拠点もあわせて移った経緯があります。

 整備場駅の1日平均乗車人員は1011人で、23区閑散駅ランキングでは2位。新整備場駅の1日平均乗車人員は1775人で、6位です。

2016年度の利用最少駅はその後、激変!


【第1位】市場前駅:1日平均乗車人員781人(ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線)


市場前駅(2019年3月、河嶌太郎撮影)。

2018年9月に開場した豊洲市場(2019年3月、河嶌太郎撮影)。

市場前駅改札付近。外国人の利用者も多い(2019年3月、河嶌太郎撮影)。

 さて、東京23区閑散駅ランキングの1位に輝いたのが、江東区豊洲にある、ゆりかもめの市場前駅です。1日平均乗車人員も、2位の整備場駅より200人以上少ない781人。整備場駅ですら“廃墟感”があったので、いったいどんなところなのかと胸を高鳴らせながらゆりかもめに乗り換えます。しかし、いざ市場前駅に着くと、大勢の人が降りていくではありませんか。

 理由はほかでもない、2018年9月に開場した豊洲市場によるものです。駅名の「市場前」というのもこれを見込んで2006(平成18)年に付けられたものですが、開業13年目にしてついに実態が伴った格好です。改札は人がひっきりなしに行き交っています。外国人も少なくありません。手旗を持った添乗員の姿もあり、新しい一大観光地に様変わりしていることがうかがえます。

 2016年度の統計では、この市場前駅が23区閑散駅の1位になりましたが、2018年度の統計以降、閑散駅ランキングに異変が起こることは間違いないでしょう。整備場前駅が1位に繰り上がりそうです。

 なお、ゆりかもめの駅には閑散駅が多く、トップ10には3位に日の出駅(1121人)、4位に船の科学館駅(現・東京国際クルーズターミナル駅、1622人)、7位に有明テニスの森(1816人)、10位に新豊洲駅(2060人)がランクインしています。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_57fb4a8e1557_「幸福の招き猫電車」東急世田谷線に復活! 「猫感」を強化 57fb4a8e1557 57fb4a8e1557 「幸福の招き猫電車」東急世田谷線に復活! 「猫感」を強化 oa-trafficnews 0

「幸福の招き猫電車」東急世田谷線に復活! 「猫感」を強化

猫耳」が加わった「幸福の招き猫電車」のイメージ(画像:東急電鉄)。

 東急電鉄は2019年4月19日(金)、世田谷線で「幸福の招き猫電車」を5月12日(日)から復活させると発表しました。

「玉電」の愛称があった玉川線が1969(昭和44)年に廃止され、残った三軒茶屋~下高井戸間が世田谷線として運行を開始してから今年で50年を迎えます。「幸福の招き猫電車」は2017年9月の玉電開通110周年記念イベント時に登場。今回、世田谷線50周年記念企画の一環として復活します。

「幸福の招き猫電車」は、世田谷線沿線にある、招き猫発祥の地ともいわれている豪徳寺(東京都世田谷区)の招き猫を300系電車にデザイン。つり革も招き猫型で、床面は猫の足跡が施されています。前回運行時と比べて車体前面に“猫耳”が新たに描かれるなど、より「猫感」がパワーアップするといいます。

 運行終了時期は未定です。5月11日(土)・12日(日)には沿線の商店街などと連携したイベント「世田谷線フェス」が予定されています。

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広瀬すず、羽田に現る!『なつぞら』がJAL特別塗装機に

羽田発の帯広行きから


 JAL(日本航空)が2019年4月19日(金)、羽田空港の格納庫内で、NHKで放送中の連続テレビ小説『なつぞら』の特別塗装機を披露。主演女優の広瀬すずさんも出席しました。

JAL『なつぞら』特別塗装機のお披露目イベントに出席し、そのモデルプレーンをプレゼントされた広瀬すずさん(2019年4月19日、伊藤真悟撮影)。

 特別塗装機となったのはボーイング737-800型機(JA346J)で、機体の中央からやや後ろ側に、青い空と広瀬すずさんが大きく描かれています。

「飛行機に自分の顔がこんなに大きくラッピングされるなんて、人生でこれが最初で最後なんだろうなと思い、すごく光栄です」
(広瀬すずさん)

 JALは「平成30年北海道胆振東部地震」の復興支援へ継続的に取り組んでおり、その一環として、北海道を舞台とする『なつぞら』の特別塗装機を就航させたものとのこと。特別塗装機が国内線に就航し、日本各地を飛ぶことで、北海道の観光需要を喚起し、人や物の交流促進にも努めるといいます。

「なっちゃん(広瀬すずさんの役名)のように、この飛行機は日本各地を元気に飛び回ります。飛行機を見て、ドラマを見て、皆さんが元気になって、北海道に来ていただきたいです」(JAL 本田俊介執行役員)

 このJAL『なつぞら』特別塗装機は、4月19日(金)の東京(羽田)発の帯広行きJAL579便より国内線で運航を開始。羽田と新千歳、伊丹、福岡、鹿児島、沖縄を結ぶ路線などで、9月まで運航される予定です。

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cat_8_issue_oa-trafficnews oa-trafficnews_0_507c8e4037e7_【平成と航空】時代は規制から競争へ LCCは次なる課題も 507c8e4037e7 507c8e4037e7 【平成と航空】時代は規制から競争へ LCCは次なる課題も oa-trafficnews 0

【平成と航空】時代は規制から競争へ LCCは次なる課題も

「価格競争」のスタートラインに立った平成元年


 日本の空における平成30年間をあえて一言で凝縮すれば、「規制の時代が過ぎ去り、競争の時代が確立された時期」といえるでしょう。

2012年、関西空港を拠点に就航したピーチは、外国の航空会社を親会社に持たない和製LCC(2014年2月、恵 知仁撮影)。

 昭和が終わる前の15年間は、国によって3つの航空会社がガチガチに事業分野を決められていました(いわゆる「45-47体制」)。ざっくりと、次のように分けることができます。

・JAL(日本航空):国際線と国内幹線
・ANA(全日空):国内幹線とローカル線、近距離国際チャーター
・東亜国内航空(のちのJAS〔日本エアシステム〕):国内ローカル線(将来的に国内幹線)

 このなかで、いかに自分の権益を広げるかに各社が躍起となっており、ANAは少しでも長い距離の国際チャーターであるハワイを目指す一方、JALは香港線の中継地であった鹿児島~成田間の空席を埋めるだけという理屈で、ANAの領域である国内主要ローカル線への参入を狙うなどしました。「フィルアップライト」なる言葉が使われ、その認可を巡って国とANAがやりあったものですが、いまでは死語になっています。

 このような規制によって、航空会社に対する利用者の選択の幅はないに等しく、また航空運賃も全社単一、すなわち航空会社コストを積み上げて4~5%のマージンを乗せたものを運輸省が認可する方式となっており、誰が運航していても国内航空運賃は同じだったのです。「一物一価の法則」は完全競争のもとでの経済理論(自由競争下において最終的に価格はひとつに帰結する、とするもの)ですが、皮肉なことに当時の完全規制下(非競争)の航空業界でも(政府の管理によって)そうでした。このような環境では、消費者が「競争の利益=安い価格」を享受することはできないのも道理です。

 他方、1989(平成元)年は航空運賃の10%部分を占めていた「通行税」(ぜいたく税といわれ、鉄道のグリーン車やA寝台車にも課税されていた)が、消費税3%導入にあわせて廃止された年で、消費者が多少なりとも航空運賃の値下げで飛行機を身近に感じ始めたスタートラインという見方もできます。平成の終わりとともに、その消費税が10%になり元の鞘に収まるのは皮肉ではあるのですが。


規制緩和で登場した新規5社、いばらの道をたどる


 名実ともに「型にはまった」昭和末期の航空業界でしたが、米国の規制緩和の波は日本にも及び、政府は平成に入って次々と従来の航空行政の規制を緩和することになります。「運賃自由化(認可から届出へ)」「路線競合の推進(事業分野規制の撤廃)」「羽田発着枠の開放」に顕著な効果が見られ、「大手の6~7割の運賃」を掲げる新規航空会社が、1998(平成10)年から続々と日本の空に就航したのです。

 スカイマークは羽田から福岡、エアドゥが新千歳、スカイネットアジア(ソラシドエア)が宮崎へ飛び始め、話題性と相まって急速に日本の空が賑わい、これら新規航空会社は運賃の割安感から徐々に消費者を引きつけ始めます。それぞれのエアラインが「地元」を持つこともあって、地方の人々に「たまには飛行機に乗ってみよう」という、列車から飛行機へのシフトが起こったことは間違いないでしょう。

 しかしながら、これが大手2社の危機感を煽ることに。大手2社は新規会社の運航する時間前後の運賃だけを引き下げて、露骨な価格競争を仕掛けたり、オペレーション面で新規会社を支援していた整備や運航の委託料金を引き上げ、コスト圧迫を強いたりするなどの行動に出ます。新規会社には航空会社の経験者が乏しく、これを受け入れざるを得ませんでした。

1998年に就航したスカイマーク。2015年の経営破綻を経て、再上場を狙う(画像:スカイマーク)。

 結果、新規航空会社は体力勝負に耐えられず相次いで経営が頓挫(エアドゥは2004年に民事再生申請、スカイマークは2006年にIT会社による救済合併、スカイネットも同年に産業再生機構による救済支援)。日本の空における主導権争いのプレイヤーは、JASを吸収統合したJALと、エアドゥやスカイネットを救済支援しコードシェアで囲い込んだANAとの2社体制に戻る状況となりました。

 ただ、利用者にとって再び売り手優位となる「非競争の時代」になることが憂慮されたものの、政府の規制緩和基調が続いたことで、2006(平成18)年にスターフライヤーが北九州へ就航。2008(平成20)年にはスカイマークも黒字化して就航路線を拡大するなど、「第3極」としての新規航空会社が再び存在感を増し始めます。

 利用者にとってもこの頃は、「潰れたり起き上がったり」したどの新規エアラインがいいのか、わかりにくい感覚があったかもしれません。しかし、大手以外の5社が日本各地を拠点に運航し、大手も「早期割引運賃」や「マイレージサービス」で利用者メリットを提供するなど、飛行機が「ちょっと身近で楽しい乗りもの」として認知されてきた時期といえるのではないでしょうか。

LCC登場 「大阪人が威張れるもん」になったピーチ


 そして航空業界は、平成の後半に激動の10年を迎えます。日本航空(2010年)とスカイマーク(2015年)の破綻、それに相前後したLCCの誕生です。

 詳しい時系列を踏まえた分析は省きますが、2012(平成24)年は、ピーチ・アビエーション、エアアジア・ジャパン(第一期。現バニラ・エア)、ジェットスター・ジャパンが相次いで関空、成田を拠点に就航し、「日本のLCC元年」となりました。

ジェットスター・ジャパンは、2019年3月現在で日本のLCCとしては便数が最も多い(2014年5月、恵 知仁撮影)。

 特にピーチは外国の航空会社を親会社に持たない和製LCCながら、関西空港会社や地元自治体と密に連携し、緻密なオペレーションやコスト低減策を講じるなど、欧州ライアンエアー元首脳のアドバイスを軸にLCC運営の王道を進みつつ、関空のバジェットターミナル(使用料が比較的安価なターミナル)を独占使用し、若い女性をターゲットに様々なサービスやブランディングの手を打ちました。

 可愛いらしいピンク系のロゴ、キャッチ力のある激安運賃、大阪弁アナウンスや機内でのたこ焼き販売といった、ピーチの地元色あるサービスはたちまち「大阪人のちょっと威張れるもん」になり、「こらいっぺん乗らなあかん」と、LCCの生命線である新規需要を掘り起こしたのです。

空港を、地方を、旅行の仕方を変えていくLCC


 ピーチが関空を拠点に快走する一方、「成田組」は色合いが異なりました。エアアジア・ジャパンは出資元であるANAとエアアジア(マレーシア)の協調がうまくいかず、2013(平成25)年にはANA100%出資のバニラ・エアに移行。ジェットスター・ジャパンはJALとジェットスター(オーストラリア)の後押しを受けて路線拡大は順調に実現したものの、就航後2年で200億円の赤字を計上し、親会社群からの多額の資金注入を受けて運航を継続するという苦しい経緯をたどりました。

 他方、2015(平成27)年に稼働した成田空港の第3ターミナルは、LCC利用の若者が目につくようになります。空港ターミナルの風景を、一見してショッピングモールのようなカジュアルなものに変えたのも、まさにLCC効果といえるでしょう。

 このようにLCCが促した利用者の若年化は「航空券の買い方」も変えつつあり、スマホを駆使して安い航空券やツアーを比較し購入するメタサーチ(比較サイト)や、オンライントラベルエージェント(OTA)の利用が一気に上がったと考えられます。また、これらLCCが国内路線を展開することで、地方の空港・自治体が誘致活動を活発化させ、観光地の旅館やレストラン、店舗に「元気」をもたらしました。国土交通省の調査によると、LCC利用者の50%がLCCの効果として「旅行回数が増えた」と回答しているように、ほかの交通機関からの転移や旅費の節約以上に、新規需要の喚起効果をもたらしたといえます。

予想を上回るLCCの好調を受け、第3ターミナルの拡張が予定されている成田空港(画像:成田国際空港)。

 さらに日本の空港や街なかの風景を変えたのが、インバウンド(訪日旅行者)の急激な増加です。日本のLCC就航以降、成田や関空、中部そして地方空港が海外LCCの誘致合戦を繰り広げており、「観光立国ニッポン」を現実のものにしつつあるのです。

 日本側のピーチ、バニラ、ジェットスター・ジャパンはアジア国際線にも進出していますが、当初の予想以上に外国からの利用者の比率が高まっています。内外エアラインが運ぶ外国人の個人旅客者が徐々にリピーターとなり、クチコミでいろいろな体験が拡散することで「日本人が知らない日本の観光スポット」が次々に開拓されている状況です。

日本LCCに待ち受ける厳しい現実 鍵は「羽田」に


 日本のLCCは中国系の春秋航空日本、マレーシアのエアアジア本体が再進出した第二期エアアジア・ジャパンも参戦し、黎明期から成長期に入り、旅客シェアも10%を超えるに至りました。しかし、LCCで50%のシェアを占めようとするアジア全体の航空市場を見ると、まだまだその存在感は薄いといわざるを得ません。経営面でも確固とした黒字体質を築いたのはピーチのみであり、「80%の席が埋まって初めて収支が償う」ビジネスモデルには厳しい将来が待ち受けます。

 その根源は、日本の旅客需要の7割を占める「羽田=首都圏市場にLCCが参入できない」ことにあります。それ以外の日本の航空市場でLCCが果たす役割は飽和状態に近づきつつある一方、2020年に実施される羽田空港の発着枠の増加は、ほとんどが国際線の拡大に充てられ、国内線に新規参入の余地はありません。これで日本LCCの将来があるといえるのでしょうか。

 いまやJAL、ANAの経常利益は1500億円を超え、平成初期の規制下と比べると2ケタ増しの数字です。両社の経営努力は尊重するものの、これを達成できている要因は緻密な収入管理と、それを支える座席供給コントロールにあると考えられます。閑散期の機材を小型化し、「いつでも座席が取れにくい」状態を作り出すことで運賃レベルを高く保つことができているからこそ、損益分岐点を低く保て、利用率がそれを超えれば急速に利益額が高まるという、固定費が高い航空事業の典型的な成功事例を作り出しているのです。しかしその利益は「高い運賃を払わざるを得ない消費者・利用者」によって支えられており、その源泉が「羽田空港にLCCを入れない」という市場そのものの支配といえます。

「現実に羽田の発着枠がないから、それはやむを得ない」とされますが、筆者(武藤康史:航空ビジネスアドバイザー)は違う考えを持っています。羽田に発着枠がないのは「管制能力が十分に発揮されていない」からであり、管制官組合の「安全を旗印とした発着数の抑制にある」からだと思うのです。それは羽田と同規模の欧米における主要空港の発着数と比較しても歴然です。

バニラ・エアは2019年度末をめどにピーチと経営統合する予定(画像:photolibrary)。

 筆者は、その解決策は「羽田空港の管制民営化」にあると考えます。管制に詳しい国交省OBに聞いても「優秀な管制官とテクノロジーを羽田に結集し、あらゆる手段を講じて高密度管制を実現すれば、いまのままでも30%以上の発着数増は可能」といわれます。それを実現するには、羽田の管制を公務員から民間経営に移行する(高スキルを持つ管制官を羽田に集中配置し高額給与でインセンティブを与える仕組みを作る)ことが最良だと考えます。この原資は、発着枠が増えて空港使用料やPSFC(旅客施設使用料)の増収が得られる国および空港運営会社から、地元対策費や、ネガティブな影響が懸念される成田空港へのエアライン誘致対策に要する資金も含めて回収すれば、十分に賄うことができます。

 国交省が特に忌み嫌う話題ではありますが、2020年の「東京オリンピック・パラリンピック」以降、LCCを含む新興キャリアの事業拡大を支え、真の長期的発展につなげられるのは、羽田を軸とする首都圏以外になく、世論・行政の「タブーなき議論」がいまこそ求められていると、筆者は強く考えます。

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戦艦なぜ消えた? 主役は空母に 理由は"航空機優位"以外も

2019年4月18日 19:00 月刊PANZER編集部

「ど」えらい(関西弁)から「超ド級」ではありません


 とても凄いことを表わす、「超ド級」という言葉がありますが、元々は海軍用語です。

「ド級」の語源となったイギリス戦艦「ドレッドノート」(画像:アメリカ海軍)。

 そもそも「ド級」というのは、イギリスが20世紀初頭に建造した「ドレッドノート級」という戦艦のクラス(型、級)を指す言葉で、それを超えるレベルということで「超」がつき、「超ド級」という言葉が生まれたのです。ドレッドノート級でも、登場当初は「それまでのすべての軍艦を陳腐にする」とまでいわれたようですが、超ド級はそれを超えているわけで、21世紀のいまもこうして言葉が残るほどのインパクトを、当時の人々に与えたのであろうことは想像に難くありません。

 それでは、ドレッドノート級は何が凄かったのでしょうか。

 それまでの戦艦は、様々な口径の艦載砲を備えることで、近距離から遠距離まで対応できるようにし、なおかつ速射性に優れた(すなわち時間単位あたりの撃てる弾数が多い)小口径砲と、射程と威力に優れた大口径砲をあわせ持つことで、敵艦を打ち負かそうとしていました。

 しかし、このように大中小と各種口径を揃えるということは、逆にいうと射撃統制を難しくし、なおかつ補給や整備性も悪化させる欠点を有しています。

 それに対しドレッドノート級は、艦載砲の口径を単一の大口径に統一することで、射撃指揮をとりやすくし、さらに速力を重視して、同年代の戦艦よりも10%以上、速度に優れる長所を有していました。

 これにより、敵艦よりも有利な位置にいち早く展開し、遠距離から高い命中精度で大口径砲を撃つことができ、仮に自艦が不利な状況に陥っても、足の速さによっていち早くピンチを脱出することができるという、画期的な艦だったのです。

大艦巨砲主義の衰退と航空戦力の台頭


 このドレッドノート級は1906(明治39)年に就役しましたが、同時期に建造中だった他国の戦艦を含めて、従来艦を一気に旧式化させ、他国もあわててド級と同じレベルの戦艦を揃える必要に迫られました。

 そして他国がド級と同レベルの戦艦を揃えたころに、イギリスが再び優位に立とうと開発したのが「オライオン級」という新型戦艦です。これが当時のイギリスメディアによって「スーパー・ドレッドノート」と呼称されたことで、日本において「超ド級」と訳され、定着したのです。

「ド級」を越える戦艦として建造された「オライオン」。「超ド級」の語源(画像:アメリカ海軍)。

 このように、20世紀初頭は「戦艦の時代」でした。事実、1914(大正3)年から1918(大正7)年にかけ行われた第1次世界大戦では、海戦の主役は戦艦でした。このころの戦艦はまさに国力の象徴で、自国の強さを見せつける外交的な存在でもあったといえます。

 しかし時代は移り変わり、その後起きた第2次世界大戦を経て、2019年のこんにちでは戦艦(Battle Ship)を保有する国はありません。

 最後の戦艦となったのは、アメリカ海軍のアイオワ級ですが、1991(平成3)年の「湾岸戦争」への参加を最後に全艦が退役し、その後、戦艦は、建造はおろか運用もされていません。

世界最大の戦艦として建造された日本海軍の「大和」(画像:アメリカ海軍)。

世界で最後に建造された仏戦艦「ジャン・バール」。1949年竣工、1961年退役(画像:アメリカ海軍)。

1991年の「湾岸戦争」にて米戦艦「ミズーリ」の主砲斉射。同艦は世界最後の退役戦艦(画像:アメリカ海軍)。

 では2019年現在、往時の戦艦のような、国を代表する海の主役は何になるのでしょうか。それは航空母艦、いわゆる空母です。

 1941(昭和16)年12月8日、旧日本海軍の空母6隻は、350機以上の艦載機を載せハワイ沖へ到達、真珠湾へと攻撃を仕掛け、戦艦4隻を撃沈、そのほかの艦艇の多くも大破させます。当事者であるアメリカをはじめ、多くの国々に空母の凄さと有用性を見せつける結果となりました。

 さて、その「空母の有用性」とは何なのでしょうか。そのポイントとしては以下の3つが挙げられます。

 ふたつ目の要素は「汎用性、柔軟性」です。航空母艦は英語で「Aircraft Career」といい、直訳すれば「飛行機運搬船」となりますが、運ぶ飛行機、いうなれば搭載する航空機の種類によって、さまざまな使い方ができるのです。

 たとえば、特定エリアの制空権(一定空域において味方の航空機が自由に行動できる状態のこと)を確保したい場合には、制空戦闘機を多めに搭載して出航し、敵国本土を叩く目的ならば攻撃機を、揚陸作戦ならばヘリコプターや「オスプレイ」のような輸送機を多めに搭載するなど、それぞれの目的に合わせて柔軟に艦載機の数や種類を変更することで、幅広く運用することができます。

 また艦載機の搭載武装も、目標が敵航空機であれば空対空ミサイル、艦船であれば魚雷や対艦爆弾、対艦ミサイルといった具合に、潜水艦なら対潜ロケットや対潜爆雷、魚雷など、陸上目標なら爆弾や空対地ミサイル、ロケット弾などといったように、積み替えることができます。

 これは海上で、砲撃戦主体の船として生み出された戦艦とは大きな違いです。戦艦は強力な艦砲を多数装備するとはいえ、それを魚雷やミサイルに積み替えることはできません。仮にミサイルを搭載したとしても、その巨大な艦砲を外すことはできず、場合によっては無用の長物を載せたままとなるのです。

 戦艦は大口径の大砲を有していますが、その射程はせいぜい40kmほどです。しかし、それが空母であれば、艦載機の存在によって、200km以上先の目標に向けて狙いを定めることも可能です。もちろんこの距離は、洋上だけでなく内陸部にも向けることができるため、敵艦艇だけでなく敵地奥の陸上目標に狙いを定めることもできます。

 しかも第2次世界大戦後、航空機はジェット化され、より速くより遠く飛べるようになりました。現代の艦載機であれば、1000km以上も先の目標に対して攻撃することも可能です。しかも、より大型の爆弾やミサイルも積めるようになっています。

 複葉から単葉へ、レシプロ(ピストン)エンジンからジェットエンジンへ、航空甲板という狭い空間でも運用可能な航空機の登場により、空母は大発展を遂げたのです。

1986年7月、補給艦(中央)から同時に給油を受ける「ミズーリ」(手前)と「キティホーク」(画像:アメリカ海軍)。

訓練で併走する米仏の空母。原子力空母を保有するのはこの2国のみ(画像:アメリカ海軍)。

2017年7月、演習で併走する日米印の艦艇。手前が海自「いずも」(画像:アメリカ海軍)。

 まずひとつ目は「艦載機の存在」です。

1980年1月の「キティホーク」の飛行甲板。戦闘機、攻撃機、早期警戒機、対潜ヘリなど様々な機体が並んでいる(画像:アメリカ海軍)。

空母の有用性、具体的にはどのあたり?


 こうした理由から、空母は戦艦に代わって「海洋の覇者」となっていき、現代においては空母の有無が、各国の海軍力のひとつの目安といわれるまでになったのです。

 現在、原子力空母を有しているのは、アメリカのほかにはフランスのみです。そのほかに、軽空母も含めた通常動力型空母を保有している国は、イギリスやイタリア、インドなど5か国のみです。

 そうしたなか2017年には中国が、ロシアから購入した中古を改造した空母「遼寧」を就役させ、「中国海軍躍進の象徴」として大きな話題を呼びました。まだ艦載できる戦闘機は多くないといわれていますが、それでも東アジアで、正規空母を保有する国は中国のほかにはないため、大きな脅威であることに間違いはありません。

 現代の空母は、かつて砲艦外交において戦艦が果たしたような、象徴的な役割も担っているのです。



1945年9月2日、降伏文書調印のため戦艦「ミズーリ」に立つ日本側代表団。戦艦は外交のツールでもあった(画像:アメリカ海軍)。

WW2中、アメリカがほぼ1週間に1隻ずつ50隻も大量建造したカサブランカ級護衛空母(画像:アメリカ海軍)。

中国が初めて手にした空母「遼寧」。中国海軍の象徴的存在(画像:統合幕僚監部)。

 当時は、年に50%ともいわれるハイパーインフレが起こっており、また空母の場合、艦載機やそのパイロットを考慮しないと戦力としてカウントできないので、一概にこれだけで有用性を問うのは難しいかもしれませんが、それでも多くの国が、戦艦の建造より空母に力を入れた理由のひとつが、このような経済的理由だったといえるでしょう。

 さらに戦艦の場合は、前線で直接的に敵艦とやりあうため、砲弾や魚雷に耐えられるような重装甲、そして敵艦の装甲を撃ち破れるだけの大口径砲を搭載しようとすると、建造にも高い技術力と相応のノウハウが必要です。しかし空母の場合は、ある程度後方から航空機を発着艦させるため、それなりの発着艦支援装置は必要ですが、艦自体にはそこまで高い建造能力を必要としないため、戦艦と比べれば短期間での大量建造が可能です。ゆえにアメリカは、太平洋戦争中に正規空母16隻、軽空母9隻、護衛空母118隻もの大量建造ができたわけです。ちなみに、同時期にアメリカが建造した戦艦はわずか4隻(ほかに、戦前に起工、戦中に竣工したのが4隻)だけでした。

大和型戦艦と同時期に建造された翔鶴型空母の「瑞鶴」(画像:アメリカ海軍)。

 3つ目のポイントはその「経済性」です。第2次世界大戦当時、日本の国力を結集して建造した戦艦「大和」の建造費が、当時の価格でおよそ1億4000万円、現在の価値にすると約3兆円弱になるそうです。同じころ建造された空母「翔鶴」「瑞鶴」の建造費はそれぞれ約8000万円ですから、「大和」の約半分の値段で建造できたわけです。

実はお安い空母、その理由


アメリカ海軍戦艦「アイオワ」の、一斉に火を噴く50口径40.6cm砲。この主砲のほか、1990年の退役までにはトマホークやハープーンなどのミサイル類も搭載した(画像:アメリカ海軍)。

【写真】まさに超ド級の大迫力、戦艦「アイオワ」の主砲斉射

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