座席はくぼみやポールで区切り付きに
平成初期の通勤電車は、その多くが鋼製の車体でした。それから30年、たとえばJR東日本の在来線の一般形電車は、新潟にわずかに残る国鉄時代製造の115系電車を除き、すべて銀色のステンレス車両に置き換えられています。私鉄を見回しても、東武8000系、西武新101系、小田急8000系など鋼製車体の電車は数少なくなりました。とはいえ電車の変化は車体の素材だけではありません。平成の時代に大きく変わったのは、むしろ車内設備の方かもしれません。いまでは当たり前の光景、いつからそうなったのでしょうか。
平成初期は首都圏のJR各線を走っていた103系通勤形電車(画像:photolibrary)。
通勤電車の座席といえばいまも昔も、ロングシート(通路を向いて座る長い座席)ですが、その造りはかつて、スプリングが中に入った「ベンチシート」が主流でした。路線や車両によってふわりと沈んだり、硬めながらしっかり支えたりと、座り心地にも個性がありました。
昔のシートには一人分ごとの区切りはなく、せいぜい背の部分に着席箇所の目安になる柄を付けていた程度でした。そのため、好き勝手に座っていくと7人掛けのところに6人しか座れないこともしばしばで、「座れない」という苦情が寄せられていました。
少しずつ広がった座席の幅
そこで営団地下鉄(現・東京メトロ)は1991(平成3)年以降の新造車から、JRも1993(平成5)年にデビューした209系電車から、座面がくぼんでいる「バケットシート」を採用。縦方向の手すりであるスタンションポールの区切りも加わると、「座席は詰めてお掛かけください」の定員着座マナー放送はすっかり聞かなくなりました。ただバケットシートの座り心地はお世辞にも褒められたものではなく、クッションもない板のような座面でしたが、試行錯誤が重ねられて近年は随分改善されました。
もうひとつの変化は、座席一人分の幅です。ロングシートの座席幅は、当時430mmが主流でしたが、日本人の体格向上によって「座席が狭い」という声が増えてきたため徐々に広げられていきます。1993(平成5)年デビューの209系や営団地下鉄06系は450mm、2000年代に入ると東急6000系や東京メトロ10000系、JR東日本のE233系は460mmを採用。近年の関西では特急車のシートに匹敵する470mm幅を確保したロングシートも登場しています。
どの時間帯であれ、できることなら電車は座って利用したいもの。特に始発駅で並んで待っている人からすると、座席の定員数は死活問題です。進行方向に座席が並ぶクロスシートを採用すれば座席数を最大限に増やせますが、通路が狭くなり乗降に時間がかかるため混雑する通勤路線には向きません。
昭和末から平成初頭にかけて、バブル経済が空前の好景気をもたらし、鉄道利用者数が大幅に増加。輸送力増強によって減少しつつあった混雑率が足踏み、路線によっては悪化してしまったのです。乗降に時間がかかって列車が遅延すると輸送力も減るため、混雑は悪化します。そこで車両側面のドアを増設して乗降できる個所を増やすことで乗降時間を短縮しようというアイデアが登場します。
平成時代に普及し、消えていった「多扉車」
営団地下鉄は1990(平成2)年、日比谷線で特に混雑する前後2両を5扉とした新型03系電車を投入。翌年、京王電鉄も全車5扉の6000系車両を増備しました。一方JRは1991(平成3)年から山手線の11両化に着手し、増結する車両はラッシュ時間帯に座席を収納できる6扉車としました。この車両は当初「いすなし電車」「荷物扱い」とセンセーショナルに取り上げられましたが、横浜線、京浜東北線、中央・総武線など各路線に広がっていきました。東急電鉄も2005(平成17)年から田園都市線に6扉車の導入を開始し、最終的に1編成あたり3両が組み込まれました。
こうした「多扉車」は、ラッシュ時間帯には乗降時間の短縮効果を発揮しますが、日中は座席の少ない座りにくい電車として不評でした。平成初頭に200%を超えていた東京圏主要区間の平均混雑率は2003(平成15)年には170%台まで低下。2000年代後半からホームドア整備の機運が高まり、導入に向けて車両のドアの数や位置をそろえる必要も出てきたことから、JRは2007(平成19)年に登場したE233系から6扉車を廃止し、いまでは中央・総武緩行線にわずかに残るのみとなりました。東急も田園都市線にホームドアを設置するため、すべての6扉車を2017年までに4扉車に置き換えています。混雑に対応するための「多扉車」は平成に普及し、平成のうちに消えていった時代のあだ花でした。
平成の時代に変化を遂げた座席といえば、優先席もそのひとつです。平成の初めまで「シルバーシート」と呼ばれていたこの席は、1973(昭和48)年の敬老の日から国鉄中央線の両先頭車両に設置されたもので、やがてほかの線区や私鉄・地下鉄にも広がっていきました。
シルバーシートは当初、高齢者と障害者を対象とした座席でしたが、妊婦や乳幼児連れの人などを含む座席を必要とする人のための「優先席」に変わっていきます。1993(平成5)年に京王電鉄がシルバーシートを「優先席」に改称すると、1997(平成9)年にJR東日本も倣い、各社が続きました(東武鉄道などのように当初から「優先席」と呼称していた事例もある)。
フリースペースも「当たり前」に
当初一部の車両にしか設置されていなかった「優先席」は、営団地下鉄では1996(平成8)年、JR東日本では1997(平成9)年ごろから全車両に拡大。2003(平成15)年からは車端部の向かい合った座席の両方が優先席となり、この「優先席エリア」では「優先席付近では携帯電話の電源を切り、優先席以外ではマナーモードに設定する」という関東鉄道会社の携帯電話利用統一ルールが制定されました。
リニューアルされた東京メトロ南北線9000系の1次車(2016年8月、恵 知仁撮影)。
もうひとつが「車いすスペース」です。通勤形車両で最初に採用したのは1981(昭和56)年に登場した京都市営地下鉄10系電車といわれていますが、本格的に普及したのは平成に入ってからのことでした。1991(平成3)年に開業した営団南北線9000系電車は、東京の地下鉄では初めて車いすスペースを設置して登場し、以降の車両では標準装備となりました。東急電鉄は1992(平成4)年から既存の車両を改造して車いすスペースの設置に着手。JRも1993(平成5)年の209系量産車から設置を開始しました。2000(平成12)年に成立した「交通バリアフリー法」では、1列車に1か所以上の車いすスペースを設けることが義務付けられ、広く普及していきます。
2010年代に入ると「車いすスペース」は、「シルバーシート」が「優先席」へと拡大したのと同様に、ベビーカーや大きな荷物を持つ人も使える「フリースペース」として再定義されるようになりました。現在では、1両の四隅のうちひとつをフリースペース、3つを優先席に設定するスタイルが主流となっています。東京メトロでは2014年以降に製造または大規模改修を行った車両、東急電鉄では2016年以降の新造車両、JRもE235系からこの配置を採用しています。
【写真】フリースペースの進化版「パートナーゾーン」
西武鉄道の40000系電車に設けられた「パートナーゾーン」。中央に簡易座席、壁面に腰当て、大型窓には手すりが用意されている(2017年2月、恵 知仁撮影)。