cat_11_issue_oa-toyokeizaionline oa-toyokeizaionline_0_ljifmjmupnen_芦田愛菜「信じる」が中国人も称えるほど深い訳 ljifmjmupnen ljifmjmupnen 芦田愛菜「信じる」が中国人も称えるほど深い訳 oa-toyokeizaionline 0

芦田愛菜「信じる」が中国人も称えるほど深い訳

2020年9月11日 11:30 東洋経済オンライン

先週、主演映画「星の子」の完成報告イベントで「信じる」ことについて聞かれた芦田愛菜さんのコメントが日本だけでなく、中国の人々からも反響を得ています。

中国版ツイッター・Weibo(微博・ウェイボー)の日本関連情報を紹介するアカウントが、イベントの動画を投稿。すると、「愛菜ちゃんの言葉に感銘を受けた」「どんな経験を積めばこんな発言ができるのか」「16歳で話すことか?」などの称賛が続出しました。

それを受けた『スッキリ』(日本テレビ系)でも特集を組んで芦田さんのコメントをフィーチャー。MCの加藤浩次さんだけでなく、教育学・コミュニケーション論が専門の齋藤孝さん、哲学者の小川仁志さん、日本文学研究者のロバート・キャンベルさんらが称えていました。

MCからコメンテーター、言語や哲学の専門家まで全員が「愛菜ちゃん」ではなく、「芦田さん」と敬意を表していたことからわかるように、その言語能力は本物。ここでは人間関係やコミュニケーションに関する2万組超のコンサルを行ってきた経験を踏まえて、年齢も国境も超えた芦田さんの言語能力を掘り下げていきます。

1分10秒に渡る丁寧なコメント

まずはイベントで芦田さんが「信じる」ことについて聞かれたときのコメント全文を挙げてみましょう。

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

芦田さんは1つの質問に対して、約1分10秒に渡る丁寧な受け答えを見せました。何度か「何だろう」と考えながら言葉をつむいでいたことから、あらかじめ準備したコメントではないでしょう。あくまで自分の言葉で語っている上に、聞く人のことを意識して、筋道立てた話し方をしていたことに驚かされます。

次にコメントの細部を見ていきましょう。

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに」というコメントには、言葉の意味を深く考えずに使う人がほとんどの中、芦田さんは常に1つ1つの言葉を考えた上で使っている様子がうかがえます。これは日々、仕事や学校などで勉強を重ね、本を読み続けた積み重ねによるものであり、だから芦田さんは、あらぬ誤解を招くような失言をすることはないのでしょう。

また、「その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』」というコメントには、類いまれな客観性がにじみ出ています。

これも芦田さんが生まれながら持っているものではなく、「理想を抱き、誰かに期待した」という実体験で自ら得たものでしょう。「理想通り、期待以上」と喜んだ体験もあれば、「こんな人だと思わなかった」と失望した体験もあるなど、「日ごろ人と向き合って一喜一憂し続けてきたから、客観性を身につけられた」としか思えないのです。

「揺るがない自分」になる唯一の方法

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」

「『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』」「その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる」というコメントから感じるのは、圧倒的な優しさ。

今回のコメントを「まるで哲学者だ」と称える声が多かったのですが、芦田さんの本質は「自分の立場だけでなく、相手の立場からも見てみる」「自分を受け入れてもらうより、まずは相手を受け入れようとする」という優しさにあります。

実際、約1分10秒に渡るコメントは、終始「どう話したら聞いてくれる人がわかりやすいか」を考えながら話しているように見えました。哲学者には似た思考回路の人もいるでしょうが、芦田さんのように「目の前の人に対して優しさを見せられる」とは限らないのです。

人間が圧倒的な優しさを得るために必要なのは、日ごろから人や物事と向き合い、考え、悩み、努力するなど、試行錯誤を繰り返しながら生きること。芦田さんの「『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』」というコメントから、自分自身を受け入れようとしてきた様子が伝わってきますし、だから他人を受け入れる優しさを得られるのでしょう。

「語彙力」よりも優先させたもの

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

このコメントは人間全体を指しているだけでなく、芦田さん自身に言い聞かせているようにも見えました。当然ながら芦田さんも完璧な人間ではなく、「『自分も他人も信じようとしているのにできない』などと揺れてしまうときもあるのでは?」と感じさせたのです。

しかし、芦田さんは揺れるだけで終わらせず、向き合って考え続け、「私はこうありたい」という姿を追い求めているのでしょう。地道に知識と経験を積み上げ、努力の成果を実感することで、自分の理想像に近づいていく……これはビジネスパーソンにも通じる思考回路であり、「自分の理想像に近づくほど、どんな人や状況に対峙しても、まずは理解しようとする」という圧倒的な優しさにつながっていくものです。

また、今回のコメントを見た人々から、芦田さんの語彙力を称賛する声があがっていましたが、はたして本当にそうでしょうか。芦田さんの語彙力に疑いはないものの、ある意味それは「努力すれば大半の人が得られるもの」であって、彼女の本質ではありません。驚異の読書量で知られる芦田さんなら、もっと豊富な語彙力を生かしたコメントにすることもできたでしょう。

彼女はあえて語彙力を駆使せず、わかりやすい言葉を選ぶことに終始しました。芦田さんのコメントから、「持ち前の語彙力をどう使うか」ではなく、「どう言えばわかりやすいか」を第一に考えている様子がうかがえるのです。

おそらく日ごろから、「難しい言葉を聞かせて語彙力を見せつける」のではなく、「理解しやすいようにわかりやすい言葉を重ねていた」のではないでしょうか。やはり芦田さんは単なる勉強家でも、語彙力を誇示したい自信家でもなく、人を思う優しさがベースにある人なのです。

芦田さんは、まだ16歳の高校生であり、百戦錬磨の大人たちとは経験の差がありますが、そこは女優という職業柄でカバー。主にフィクションの世界で他人になり切ることが仕事の女優は、「もし自分や相手がこんな性格で、こんな状況に置かれたら……」などとイメージして、自分の価値観から離れることに長けているのです。

たとえば、「もし信じていたものが間違っていたら……」「もし最愛の人に裏切られたら……」などと本気で考える機会が次々に訪れるため、脳内に人間の多様性がインプットされていくのでしょう。

映画『星の子』は、「あやしげな宗教を信じる両親のもとで育った少女が、徐々に自分の置かれた世界に疑問を抱きはじめ、葛藤しながらも成長していく」という物語。芦田さんは、この少女のような難役を演じるたびに本気で向き合って考え、自分の中で消化することで、現在の人間性を養っていったのでしょう。

最後に、今回のイベントで1つだけ気になったのは、芦田さんがコメントしたあとのやり取り。芦田さんのコメントが終わったとき、予想以上の深さがあったからか、現場が静まり返りました。そんな空気を察した大森立嗣監督が「難しいよ……」と笑いを誘うようなツッコミを入れ、芦田さんは微笑みながら「(熱弁してシーンとさせてしまい)すいません」と謝ったのです。

さらに、司会者から話を振られた共演の永瀬正敏さんが、「(芦田さんは)しっかりしてるでしょ。『これ以上の答えはないんじゃないか』ってくらい」と笑いを交えつつ称えていました。

人間性が豊かになるほど訪れる孤独

このやり取りを「大人たちが笑いを誘う言葉でフォローした」とみるか。それとも、「芦田さんのコメントについていこうとした大人がいなかった」とみるか。イベントとしては前者の対応で間違っていないのでしょうが、後者の感があったことも否めず、芦田さんの孤独を感じてしまったのです。

事実、日ごろコンサルをしていると、「人間性が豊かな人ほど、その片鱗を見せると周囲の人々が戸惑い、結果的に孤立してしまう」というケースは少なくありません。これは芦田さんのような、考え続け、成長し続ける人の宿命とも言える現象であるものの、本人にとっては寂しさを感じるものです。「人間性が豊かになり、成長を重ねた結果、周囲との話が噛み合いづらくなり、孤独を感じてしまう」という点では、企業のトップに近い感覚と言えるでしょう。

年を追うごとに人間性が豊かになり、成長を重ねていく芦田さんにとって、「信じることとは?」という質問は決して難しいものではなかったはずです。しかし、あれだけ丁寧に話しながらも、周囲とのギャップが明らかになってしまいました。だからこそ芦田さんに、よき理解者や手本となる人がいることを願ってやみません。

(木村 隆志 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者)

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Webサイト刷新の75%が失敗に終わる残念な訳

2020年9月11日 08:10 東洋経済オンライン

ある大手電機メーカーの話だ。この会社は近年、Webサイトのリニューアルを実施した。新しい中期経営計画に沿って、新ターゲット・新コンセプトを掲げた肝入りのプロジェクトだった。

だが、結果は大失敗。デザインは「今風」に変わり、一見すると成功したかに思われたが、もともと多数のユーザーが訪れていたページを一括で削除してしまったのが原因で、全体の訪問者数が激減するという取り返しのつかない大損害を被ってしまった。

訪問者数や成約数、最終的には売り上げを増やしたいという狙いで、Webサイト全体のデザインの大幅な刷新に踏み切る企業や団体は少なくない。こうしたリニューアルには300万~1000万円程度のコストと、1~3カ月間の作業時間を要する。決して小さい投資とは言えないが、実はWebサイトリニューアルの75%は失敗に終わる。ここで言う失敗とは、リニューアルでWeb経由の売り上げが増えないばかりか、むしろ逆効果でしかないケースを指す。

拙著『デジタルマーケティングの定石~なぜマーケターは「成果の出ない施策」を繰り返すのか?』でも詳しく解説しているが、Webサイトリニューアルが失敗する最大の理由は、大半が明確な目的がなく始まることにある。経営者や事業責任者の「気分」でリニューアルプロジェクトが始まり、現場メンバーは無意味な泥沼作業に疲弊し、結果的に莫大なコストをかけて売り上げを毀損する。

「残り25%も微増」という調査結果

私が取締役を務めるWACULが実施した調査「Webサイトはリニューアルによって改善するのか?」によると、Webサイトをリニューアルした20社のうち、Webサイト経由の反響(「購入」や「問い合わせ」など)が増えた企業は5社(25%)にすぎず、横ばいの企業は3社(15%)、減った企業は12社(60%)だった。

リニューアルには多額のコストを投じるため、その投資を回収できない横ばいも失敗とみなせば、合計75%の企業でリニューアルが失敗していると言える。

調査サンプル社数は決して多くないが、莫大な投資であるリニューアルにおいて、これだけの企業が失敗しているというのは異常な事態であり、リニューアルという行為自体に大きな問題が潜んでいることは明白だ。


さらにリニューアルに成功した25%の企業について、Webサイト経由の反響はどれほど伸びたのだろうか? 同調査結果から、Web経由の反響獲得率の伸びは、最大でもわずか1.23倍にすぎないことがわかっている。

1.23倍の改善で、300万~1000万円程度のリニューアル費用を回収できるかどうかは、企業の収益構造やWebサイトの規模による。ただ、Webサイト改善の世界では、主要1~2ページを直すだけでも2倍以上の改善効果を見込めることが少なくない。リニューアルの費用対効果は、決して高いとは言えないだろう。

Webサイトリニューアルにおいて、最も重視されるのは表層的な「デザイン」の刷新である。

先述のとおり、リニューアルの大半は、経営者や事業責任者の「気分」でスタートする。彼らにとってWebサイトリニューアルは「儀式」の1つだ。「新しく社長に就任する」「新しい経営戦略を打ち出す」「DX(デジタルトランスフォーメーション)に注力している感を出す」など、「新しい感」を出したくなったときにまずテコ入れされるのがWebサイトである。

「新しい感」を打ち出す際に、彼らがいちばん気にするのは、表層的なWebサイトの「デザイン」である。今のWebサイトからどれだけ変わった感じを出せるかがすべてであり、それ以外のことは考えていない。しかしこの「新しい感」を出すリニューアルは、壮大な自己満足にすぎない。

表層的なデザイン変更(フォント変更、カラー変更、イメージ画像変更、既存コンテンツ配置変更、ページレイアウト変更)しか行っていないリニューアルはほとんど失敗する。

少し冷静に考えればわかるが、Webサイトに訪れる顧客は「変わった感」などに一切興味がない。リニューアル直後にアンケートを取ればわかるが、大半の顧客はデザイン刷新に気づきすらしない。

リピーターの多いECサイトであれば気づく可能性もあるが、これはどちらかといえばネガティブな反応になりがちだ。使い慣れたWebサイトが破壊され、斬新さやトレンドを追求した「おしゃれ」なWebサイトは顧客の離反すら招く。

顧客が興味を持つのはコンテンツのみ

Webサイトに訪れる顧客が興味を持つのはコンテンツのみだ。目的のテキスト情報や画像情報さえ見つかればいいので、それ以外のデザイン要素には目もくれない。むしろデザイン要素など一切気にすることなく、スムーズに目的地に到達できるデザインこそが目指すべき理想だ。もちろんあまりに古くさいデザインでは、企業としての信頼を失いかねないが、最低限のビジュアルさえ担保できていれば問題ない。

Webサイトリニューアル時には「全ページデザイン統一」という、ユーザー不在の無駄な作業が発生することがある。せっかくWebサイトのデザインを変えるからには、全ページ新しいトーンでそろえたいという、まさに「自己満足」以外の何物でもない作業だ。

Webサイトは運用の中で変化するものであり、デザインのバリエーションが時間の経過とともに多様化することは避けられない。全力で成果を出そうと新しい取り組みにチャレンジし続けるならば、ガイドラインを整備しようが、Webサイト管理システムを導入しようが、古くさいデザインルールなど守れるはずがない。

Webサイトリニューアルという機会に、全ページデザインを統一したところでどんな意味があるのだろうか。当然のことながら、大半の顧客はデザインの違いに気づかない。

古いページはそのまま放置すればよい。古いページは、できる限り削除しないほうがいい。なぜなら古いページでも、そのページに訪問するユーザーが少なからずいるためだ。

筆者はWebサイトのリニューアルによって、集客に貢献していた優良なページがバッサリ捨てられてしまい、訪問者数が激減してしまうという大惨事を何度も見てきた。長年積み重ねて作られてきたページは紛れもなく価値ある資産であり、自己満足のために失ってよいものでは決してない。どうしてもデザインが気になるなら、ヘッダー(ページの最上部)と、フッター(ページの最下部)だけ差し替えれば十分である。

「ゴール誘導強化」と「コンテンツ増強」が成功の鍵

大半のリニューアルは失敗に終わることを解説してきた。それではWebサイトはどうすれば改善できるのか? 成果の出るリニューアルとはどのようなものなのか?

先の調査結果より、「構造改革」のみを行ったリニューアルでは、サンプル数は少ないながら100%の企業が成果を出していた(3社中3社)。ここで言う構造改革には「ゴール誘導強化」と「コンテンツ増強」が含まれる。

Webサイト経由の反響を増やしたいのであれば、当然ながら購入や問い合わせなど「ゴールへの誘導強化」が不可欠だ。商品を簡単に選べる検索導線強化、問い合わせフォームへの最短動線強化などは成果の出やすい改善である。しかし「新しい感」を出そうとするあまり、多くのリニューアルは「ゴール」よりも「ポエム」を重視する。顧客の読まない、当たり障りのない「ポエム」は、ゴールへの導線を阻害し、Web経由の売り上げを損なう。

顧客の求めるテキストや画像を追加する「コンテンツ増強」も、Web経由の売り上げに貢献する。顧客にとって価値あるページが増えれば、そのページに直接訪問するユーザーが増える。言うまでもなく、価値あるページは閲覧した顧客がゴールに到達する確率も高い。

このようにWebサイトを含むデジタルマーケティングには、成果を出すための定石が存在する。大きな投資を意思決定する前には、必ずこうした定石を理解しておいたほうがいい。

(垣内 勇威 : WACUL取締役CIO、WACULテクノロジー&マーケティングラボ所長)

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cat_11_issue_oa-toyokeizaionline oa-toyokeizaionline_0_8mwaspqk72jg_「都市封鎖」武漢の作家がつづったあの日の真実 8mwaspqk72jg 8mwaspqk72jg 「都市封鎖」武漢の作家がつづったあの日の真実 oa-toyokeizaionline 0

「都市封鎖」武漢の作家がつづったあの日の真実

2020年9月11日 08:00 東洋経済オンライン

新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるため、中国・武漢市が封鎖された2日後、武漢在住の著名作家・方方が自身のブログ上で武漢の実情を伝える日記を書き始めた。その真摯な筆致は、不安を抱える多くの中国人の心に響き、読者は“億単位”とも言われた。一体、封鎖下の都市で何が起きていたのか。『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』より、封鎖直後の混乱した様子を綴った冒頭部分をお届けする。

残酷な現実が目の前に広がっていた

1月30日(旧暦1月6日)
彼らに責任転嫁の余地はない

今日は快晴だ。いちばん気持ちのいい冬の趣がある。この季節を楽しむには最高の日と言えるだろう。しかし、感染症が人々の心を傷つけている。せっかくの絶景なのに、鑑賞する人はいない。

残酷な現実が依然として目の前に広がっている。起床後、情報に目を通した。ある農民は真夜中に、市内に入ることを拒まれたという。どんなに頼んでも、見張り役が通してくれなかった。寒々とした深夜、農民は結局どこへ行ったのだろう。とても心が痛む。感染症防止の措置は、もちろん正しい。だが、情け容赦のない対応はまずいと思う。

どうして、役人はみな1枚の通達文書で教条的に動くのか? 見張り役の1人がマスクをつけて、農民を空いている部屋に案内し、ひと晩泊めてやればいいではないか? また、父親が隔離されたために5日間、1人で家にいた脳性麻痺の子供が餓死したというニュースもあった。

感染症は、無数の世相を暴き出す。中国各地の官僚の水準も暴き出す。さらに、私たちの社会の病巣も暴き出す。その病気は、コロナウイルスよりも恐ろしく、もっと長期に及んでいる。しかも、治癒(ちゆ)が見通せない。医者がいないし、治そうとする人もいない。そう考えると、とても悲しい。

数分前に、友人が教えてくれた。私たちの職場の若い同僚が、発症2日目で呼吸困難になり、感染が疑われるという。しかし、確認がまだなので、入院もできない。とても誠実で真面目な若者なのだ。彼の家族のことも、よく知っている。ただの風邪で、コロナ感染ではないことを願うばかりだ。

中国新聞社のインタビューを見た多くの人から連絡があり、私の発言を褒めてくれた。じつは、当然ながら削除された部分もある。仕方ないことだ。しかし、いくつかの言葉は残しておく価値があるだろう。自分の傷を癒すという問題について、私はこう述べた。「いちばん重要なのは、感染者と亡くなった患者の家族だ。彼らの境遇は悲惨で、傷は深く、一生立ち直ることが難しいかもしれない。政府による特別なケアが必要だと思う……」

深夜に立ち入りを拒否された農民、1人で家に取り残されて餓死した子供、助けを求めても得られない無数の市民、そして喪家(そうか)の狗(いぬ)のように毛嫌いされて流浪している武漢人(多くの子供も含む)のことを考えると、この傷が癒えるまでにどれだけ長い時間がかかるかわからない。国全体の損害については、言うまでもないだろう。

「ヒトーヒト感染はない」専門家は問題を甘く見ていた

昨日から今日にかけて、ネットで話題になっているのは、武漢にやってきた専門家たちの言動だ。彼らは何不自由ない生活を送り、問題を甘く見ていた。軽率に「ヒト─ヒト感染はない」「予防も制御もできる」と人々に語る時点で、すでに大きな罪を犯しているのだ。

もしも良識があるなら、もしも苦しんでいる庶民の現状に目を向けるなら、罪悪感を抱くのが当然だろう。もちろん、湖北省政府の高官は、住民の安全を守る責任を担っている。現在、住民は不安を覚えているのだから、彼らに責任がないはずはない。感染症がここまで広がったのは、きっと複数の要因が合わさったからだ。

彼らに責任転嫁の余地はない。ただし、いまは彼らが気を引き締め、贖罪(しょくざい)の意識と責任感を持つことを望む。引き続き湖北の住民を率いて、苦難を乗り越えてもらいたい。そうすれば、人々は許しを与えてくれるだろう。武漢が持ちこたえられるなら、全国も持ちこたえられる。
私の肉親は、ほとんど武漢に住んでいる。幸い、いまのところ全員が健康である。だが、いずれももう老人だ。上の兄と兄嫁は70を超え、私と下の兄も70が近い。私たちが元気であれば、国に協力していることになる。

姪は今朝、母子ともどもシンガポールに帰り着くことができた。彼らはリゾート地で、隔離生活に入る。洪山(ホンシャン)区の交通管理局に深く感謝したい。姪は昨日、「シンガポールの航空機は早朝三時に飛び立つので、今夜早めに空港に到着願いたい」という通知を受け取った。交通機関は止まっているし、上の兄は車の運転ができない。姪たちには空港までの交通手段がない。

任務は私に回ってきた。上の兄が住む華中科技大学は洪山区にある。私は洪山区の交通管理局に問い合わせた。私の車は通行可能だろうか。交通管理局には私の読者がたくさんいた。彼らは、こう言った。あなたは家で創作を続けてください。この任務は私たちが引き受けます。こうして昨夜は、肖(シアオ)という警官が姪たちを空港まで運んでくれた。家族全員が彼らの援助に、心から感謝した。緊急のときには、やはり警察に頼るのが安心だ。姪とその息子の安全は、私が今日、唯一うれしく思えることである。

今日はもう正月六日、都市封鎖から8日目になる。そこで、言っておかなければならない。武漢人は生まれつき楽天的で、日常の秩序も回復してきているが、それでも武漢の現状は依然として厳しい。
夜は、粟(あわ)のお粥を食べた。しばらくしたら、ランニングマシンで少し運動しよう。そのあと机に向かい、とりとめのない記録を続けることにする。

1月31日(旧暦1月7日)
媚びへつらうにしても、節度をわきまえてほしい


今日は正月七日、うららかな晴天と言っていい。これはよい兆しだろうか? これから1週間が、感染症との闘いの鍵を握る。専門家の話によると、感染した人は正月一五日までに、ほとんどみな発病するという。そこが転換点になる。だから、もう1週間頑張ろう。それ以降は、ほとんどの感染者が隔離され、未感染者は外出を許される。自由のときが来るのだ。そうではないか? 都市封鎖から現在まで、私たちはもう9日も閉じこもっている。山場は過ぎた。

ベッドから出る前にスマホを見ると、大変うれしい情報が届いていた。私たちの職場の若者は感染していなかった。今日は、まったく元気になっている。昨日は下痢をして、薬を飲みすぎたらしい。バカな子だ! 感染症が終息したら、おごってもらおう。みんなを驚かせたのだから。ひとしきり笑ったあと、すぐに別の情報を見た。

発病後、入院を待たされていた友人が亡くなった

私たちがよく知っている省歌舞団の友人は、発病後ずっと入院を待たされていた。ところが、受け入れの知らせが届いてすぐ、亡くなったというのだ。また、何人かの湖北省の役人が感染し、死亡者も出ているらしい。ああ、いったいどれだけの武漢人が、この災難の中で一家離散の憂き目に遭っているのだろう。現時点で、責任を認めて謝罪した人はいないが、責任転嫁の文章は無数に存在している。

命ある人は、誰に怒りをぶつければいいのか? ある作家は記者のインタビューに対して、「完勝」という言葉を使っていた。まったく話にならない。武漢はこんな状態なのだ! 全国がこんな状態なのだ!

何千何万の人たちが不安に怯えている。病院のベッドで、命の危険に向き合っている人もいる。無数の家庭が、すでに崩壊している。勝利がどこにある? 完全がどこにある? 同業者だから罵倒(ばとう)するのは申し訳ないが、頭を使って物を言え! いや、上層部の歓心を買うために、彼らは頭を使っているのだ。

幸い、すぐに別の作家が批判の文章を発表した。厳しい言葉で、詰問を重ねている。それで私は、良識ある作家もたくさんいることを知った。現在、私はもう湖北省作家協会主席ではないが、1人の作家ではある。私は湖北の同業者に、ぜひ忠告しておきたい。今後おそらく、功績を称える文章や詩を書くことを要求されるだろうが、筆を執(と)るまえに数秒考えてほしい。功績を称えるべき対象は誰なのか。媚びへつらうにしても、節度をわきまえてほしい。私は年老いたとは言え、批判精神は衰えていない。

午後はずっと慌ただしく料理を作り、夜、娘のところに届けた。娘は日本へ遊びに行って、22日に帰ってきた。家に着いたのは夜中の12時だった。帰国してすぐに都市封鎖に遭い、家には何も食べるものがない。私は旧暦の大晦日と元日に、少し食べ物を届けた。

数日がたち、娘は「もう耐えられない、テイクアウトの食品を買いに行く」と言い出した。私も娘の父親も、外出に強く反対した。そこで、また私が料理を届けることになったのだ。娘の家は私のところから遠くない。車で行けば十数分で着く。警察に尋ねたところ、通行は可能だという。ご飯とおかずを用意して、配達に行った。まるで、「紅軍に食糧を送る」ような気分だ。団地の中には入れないので、私たちは門のところで受け渡しをした。私の家族の次世代は、娘だけが武漢に残っている。面倒を見てやらなければならない。

門の前は第2環状道路で、普段なら車と人であふれている。しかしいま、車の交通量は少なく、通行人はもっと少なかった。大通りには新年を祝う電飾が見られたが、脇道は店舗が閉まっていて薄暗い。軍人運動会〔訳注:第7回世界軍人運動会が2019年10月に武漢で開催された〕のときには、通り沿いの家々に光の帯が飾られ、点滅を繰り返していた。

「われわれも生活していかなければならない」

あのとき、私は賑やかすぎる光景を見て、少々うんざりしてしまった。だがいまは、ひっそりとした道に車を走らせていると、明るい街灯が心を慰めてくれる。まったく、隔世の感がある。

小さいスーパーはまだ開いていた。道端には野菜を売る露店もある。私は道端で野菜を買い、さらにスーパーでタマゴと牛乳を買った(タマゴは3つ目のスーパーで、ようやく買えた)。店を開けていて感染が怖くないかと尋ねると、店の人は悠然として、「みなさんと同じで、われわれも生活していかないとならないんでね」と答えた。

そうだ。彼らも私たちも、生きていかなければならない。そういうことだ! 私はいつも、こういう働く人たちに敬服する。ときどき彼らと言葉を交わすと、何とも言えない心の安らぎが得られる。例えば、あの武漢が最も混乱していた数日、外は冷たい風が吹き、雨が降っていた。それでも、がらんとした通りには必ず清掃員がいて、風雨の中で一心不乱に道を掃除していたのだ。彼らを見ると、気持ちが落ち着かない自分が恥ずかしくなる。突然、心が静まるのだった。

(方方 : 作家)

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ディズニー実写「ムーラン」公開がざわつくワケ

2020年9月11日 05:40 東洋経済オンライン

Netflix、Amazon プライム・ビデオ、Huluなど、気づけば世の中にあふれているネット動画配信サービス。時流に乗って利用してみたいけれど、「何を見たらいいかわからない」「配信のオリジナル番組は本当に面白いの?」という読者も多いのではないでしょうか。本記事ではそんな迷える読者のために、テレビ業界に詳しい長谷川朋子氏が「今見るべきネット動画」とその魅力を解説します。

忠実にリメイクすることにこだわらなかった

ディズニー映画の最新作『ムーラン』が9月4日からディズニー公式動画配信サービスDisney+(ディズニープラス)で独占配信されました。すると、待ち兼ねたファンの間でアニメ版との比較からその公開方法に至るまで、世界中でざわざわと議論が巻き起こっています。注目されるその理由とは何でしょうか。

「年老いた父の代わりに娘のムーランが男装して従軍し、武功を立てて故郷に帰る」。中国でいにしえより語り継がれるこの伝説が本作のインスピレーションの源です。ディズニーはすでにこれをもとに長編アニメ化した作品があり、公開した1998年当時、世界興収3億ドルを超えるヒットの実績を作っています。

90年代のアニメ映画を続々とリメイクし、『美女と野獣』や『アラジン』など10億ドル以上稼ぐ実写版の成功例もある流れから、ディズニーは人気作『ムーラン』も実写でリメイクするに至ったという背景があります。

ただし、実写版『ムーラン』は新しいアプローチで作品化することに挑戦したといわれています。村の少女から男装の兵士に、そして戦士に、さらに英雄になっていくムーランの旅路を描くことは変わらないものの、アニメ版を忠実にリメイクすることにはこだわらなかったのです。

そのことで、アニメ版のヒロイン像に共感した人ほど実写版にがっかりしている様子です。主に「ムーランが歌わない」「ムーランの守護竜ムーシューがいない」ことが挙げられています。ミュージカル要素がないことで、ドラマチックにムーランの心情を伝えられていないのは確か。ムーシューがいないことで、緩急をつける効果のあるコメディ要素も確かに欠けています。とはいえ、いずれもアニメ版と比較した場合の印象の違いによるものです。それだけで評価が左右されてはもったいなくも思えます。

魔女役に投影したリアリティーのあるこじらせ女子

信頼度の高い作品レビュー集計サイト アメリカ・Rotten Tomatoesを見ると、公開日から初の週末を迎えた直後の9月7日時点での作品への全体の評価は78%とまずまず。評論家の間でも厳しい意見はあるものの「現代を生きる人にも共感できる女性のエンパワーメントと自己実現のストーリーに集中したことが成功した」といった意見が目立ちます。

なかでも、ニュージーランド出身の女性監督ニキ・カーロの起用が成功の要因と考える見方に賛同できます。カーロ監督の代表作はニュージーランド版『風の谷のナウシカ』とも言われる2002年の映画『クジラの島の少女』。マオリの伝統文化のなかで運命に立ち向かう少女の姿を描き、アカデミー賞をはじめとする世界の賞レースで注目された監督とあって理想とする人物だったようです。ディズニーが実写版で狙いたかった、リアリティーのあるムーラン像を描くのに最も適した監督と判断したからです。



劇中のムーランからは無敵のマーベル系スーパーヒロイン感もありましたが、実際にひとりの少女の青春物語として捉えることもできました。なお、そのムーラン役は中国で人気のある女優リウ・イーフェイが起用されています。日本版声優は元宝塚男役トップスターの明日海りおが抜擢されています。

実はムーラン以上にリアリティーを感じる女性の姿もありました。実写版で初めてキャラクター化された魔女シェンニャンです。国際派女優コン・リーが演じています。日本版声優は演技派女優として評判の小池栄子。今回、声優としても本領発揮しています。

シェンニャンはファンタジー映画らしく鳥に姿を変えることもできる魔女なのですが、その魔力ゆえに人々から疎んじられて、国を追われ、ありのままの自分を受け入れてもらえる場所をさまよっていた過去を持ちます。そして、たどり着いた先は名俳優ジェット・リー演じる皇帝を殺害しようともくろむ男のもと。

彼に手を貸すことで自分の居場所を取り戻そうとするも、葛藤する彼女のそのこじらせ加減が妙に共感できます。むしばまれている状況がより現実的で、こじらせ女子代表といったところ。そして、ディズニー映画ですから、そんな女子にも着地点を見いだしてくれるシェンニャン最大の見せ場は必見です。

「製作費2億ドル」ロケ中心の超大作

製作費2億ドル(日本円で210億円)とも言われる超大作であることは中国の唐朝(618〜907年)を含む中国王朝時代の建築をはじめ、衣装、小道具を事細かに再現したビジュアルからも一目瞭然。宮殿や巨大な玉座の間を作り上げたセットもあります。鑑賞中、中国の花鳥風月にうっとりできます。ロケ地は中国本土をはじめ、カーロ監督の地元であるニュージーランドも選ばれながら、可能な限り撮影をスタジオではなく、ロケーションで行われています。グリーンスクリーンを使った合成ではなく、実際の環境でカメラを回すことを優先したためと言われています。

だからこそ「映画館のスクリーンで観たかった……」という声も漏れ聞こえています。もともと映画館で公開される予定だったわけですが、コロナのパンデミックの影響で、本国アメリカでの公開日が延期された後、最終的に下した決断によって、Disney+で世界配信になったという経緯があります。視聴条件はDisney+会員であること、これに加えてプレミアアクセス料金も追加で必要です。計3750円(税抜)が現段階ではムーラン鑑賞に必要になってきます。

12月4日以降はDisney+会員であれば、追加料金なしで視聴できることも発表されていますが、それでも話題の今観るべきか迷うところです。家族を連れて映画館で観ることを想定すれば、鑑賞チケット代にポップコーンと飲み物代を加える分よりも割安かもしれません。もちろん単純に「高い」という声もあります。

Disney+は昨年11月からアメリカでスタートしたばかりであるのにもかかわらず、世界ですでにNetflixに次ぐポジションを押さえています。ディズニー作品はキッズ層のリピート視聴が多く見られることに特徴があり、それが強みとなっているのです。そのためこれを踏まえた価格設定が行われていると推測しています。

業界内では価格設定以上に関心があるのは、公開方法そのものについてです。ほとんどのハリウッドのスタジオがコロナ禍によって、劇場ファーストを崩した戦略を試したようにディズニーも『ムーラン』をDisney+で別料金の条件を加えて独占配信したわけです。ただし、これは「1回限りのイベント」という断り付き。ディズニーCEOのボブ・チャペックはアナリストに対し、「新しいビジネス・ウインドー・モデルを検討しているわけではまったくない」と、答えていることが報じられています。

経営陣が上手のかわしを見せる一方で、『ムーラン』の話題はまだまだ尽きません。主演女優のリウ・イーフェイが香港の民主化デモで警察側を擁護する発言を昨年したことで、アジアの一部でボイコット運動が起きているのも事実です。ここにきて、エンドロールも物議を醸しています。中国政府が少数民族を弾圧しているとして問題視されている新疆ウイグル自治区の当局などに謝意を表したことで批判の声が高まっているからです。今『ムーラン』にはアニメ版との比較やDisney+での配信といった想定内の議論を超える、視聴体験と作品論の盛り上がりが求められていそうです。

(長谷川 朋子 : コラムニスト)

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韓国のFランに通う学生がかえって幸福な理由

2020年9月11日 05:35 東洋経済オンライン

翻訳文芸書『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著、斎藤 真理子訳)やドラマ「梨泰院クラス」が日本国内でもヒットするなど、韓国の若者の“生きづらさ”への関心が高まっている。若者たちを取り巻く過酷な現実を緊急レポートした『韓国の若者』の著者・安宿緑氏によれば、実際、希望する職を得られず、アルバイトも奪い合いという格差社会のなか、特に地方大学生の苦しみは深く、もはや「逃避」を選んでいるという――

日本では低い学力でも入れる大学を、偏差値のランキング表の末端とされる「Fランク」から採って、「Fラン大学」などと揶揄することがある。韓国では似たような呼び方に「地方の雑多な大学」、略して「地雑大」という呼び方が存在する。

そして未来のない「地雑大」に通い、自堕落な生活を送る若者の姿を赤裸々に描くのが、韓国のポータルサイト「NAVER」で連載中の人気ウェブ漫画「復学王」(未邦訳、キアン84作)だ。

学業そっちのけで、飲み会とセックスに明け暮れる主人公と友人たち。携帯電話で通話しながら授業をする、やる気のない教授。そして高校の延長のごとく、後輩に絶対服従を求める先輩。「勉強しないなら出て行け」と老教授に叱られれば、大挙して学生が教室を出ていく。そこで描かれる殺伐とした情景を前に、彼らに明るい将来が待っているとは微塵も感じられない。

未来のない「地雑大」生とその逃避

漫画には、社会の"頂点"であるソウル近辺の大学とは真逆の"底辺"である地方大学の事情が克明に描かれており、「勉強ができれば『チーズ・イン・ザ・トラップ』、できなければ『復学王』」という言葉も生み出した。なお「チーズ・イン・ザ・トラップ」とは、美男美女揃いの名門大学生らによる青春群像を描いたラブコメディドラマだ。

啓明大学校のチェ・ジョンリョル教授は自身の論文『"復学王"の社会学』(未邦訳。のちに韓国国内では書籍としても刊行)を通じて、地方の青年たちの内面世界を分析した。

それによれば、地雑大生の多くは「学力がないため、首都圏の大学に行けなかった」と自己認識している。また、「ひとたび競争社会に出れば敗北が決定づけられており、痛めつけられるだけであることも知っているため、世俗的成功より、家族の幸福を価値観の中心に置く」という。

彼らに共通するのは「適当主義」である。適当主義者は高望みせず、競争を避け、限定的な人間関係から逸脱しないように振る舞う。自己啓発やスキルアップに勤しむソウル近辺の大学生の「没入主義」とは相容れない存在だ。

日本でも地域に密着し、自己完結して一生を終える層を「マイルドヤンキー」などと揶揄していた。そう考えれば、国を問わず、地方での生存方式として普遍的なものなのかもしれない。

チェ教授は同論文で「地方大生はこうした狭い行動範囲から脱却すべき」と主張していたが、韓国の地方居住青年たちの幸福度は、絶望的な外的要因と比べてさほど低くないという見方もある。

韓国統計庁によると、20、30代の人生の主観的満足度は2003年の調査時には2.97点だったが2011年に3点台となった後、2015、2017年も続けて3点台をキープ。また2012年の東アジア社会調査資料では、韓国の20、30代の主観的幸福度は日本の「さとり世代」よりも高かった。

全北大学校のイ・スンミ教授は、とある地方の1都市の若者を対象とした調査で、所得、住居、雇用労働、社会的関係および活動、健康、自由裁量時間の6つの尺度から多次元貧困度を分析している。その結果、住居と自由裁量時間を除く4つで観測された貧困率は特に全体として高かった。そのうち、40.9%の若者が「貧しいながらも幸福と感じている」ことが明らかになっている。

若者たちの「適当主義」は不幸なのか

イ教授もまたチェ教授と同じく、この結果にあまりポジティブな評価をしていないようだ。

イ教授は、若者たちがよりよい未来を捨てる代わりに私生活の安寧を重視し、近しい人間関係やコミュニティへの参加を通じて承認を得たり、自己慰安をしたりする構図からは「解決策は生まれない」という見解を示した。そして「貧困青年たちにとっての幸福は(中略)与えられた状況を諦念的に受容することに近い」とまで言い切っている。

しかしそもそも、最初から若い世代の人生に存在しえない現実に対して諦念的、つまり「諦めている」という評価を下すのは正しいのだろうか。

あくまで個人的な感想ではあるが、取材を通じて「韓国の中高年は、上から目線で若者論を語りがち」という印象を強く感じている。特に現在の競争社会の基盤を築き、階層固定化を招いた1950~1960年代生まれの価値観と、今の若者のそれには大きな隔たりがあるように感じられた。 

ハンギョレ新聞は、若者に対する硬直化したまなざしに一石を投じる企画を行っていた。

同紙が郊外の満19~23歳100人にインタビューした結果、69人が「地域格差や学閥差別などに挫折して傷ついた姿を見せながらも、自分の未来が現在よりよくなるだろうと楽観」していたという。これについて同紙は自らの取材姿勢を「不幸な現実に希望を失った若者という特定の姿ばかりに注目しようとした慣性のせい」と振り返り、「メディアがソウルの主要大学の若者たちを過剰代表する慣性のように、挫折ばかりを展示するのも違う形の一般化である」と書いた。

抑圧的構造は確かに存在する。ただし、その構造をどう御していくかは千差万別であり、その結果として「適当主義に逃げ込む」というのも、まっとうな韓国の若者の生き方だといえるのではないだろうか。

高い「若者の精神疾患罹患率」

一方、抑圧的構造に置かれた韓国の若者の生態をよく知る30代の韓国人男性は「特に地方では、精神疾患への罹患がよくみられる」と話す。

実際、韓国の19~29歳の精神疾患罹患率は、ほかの世代と比べて群を抜いて高い。

韓国健康保険審査評価院が2019年に発表した「直近5年間のパニック障害、不安障害、うつ病、躁うつ病患者の現況」によると、それぞれの疾患の増加率はすべて20代が1位であった。2018年に診療を受けた20代は20万5847人で、2014年の10万7982人に比べて90.6%も増加していることがわかった。しかも、2014年からは年に約25%ずつ増加していることも明らかになった。

読者もおそらく推察されるとおり、この原因について同調査は「若者を取り巻く環境、すなわち就職難と激しい競争、負の二極化とマルチギャップ、過度のストレス、環境など」と分析している。青春のほとんどを勉学と就職活動に費やしたのに、「それなりの就職」ができなければその場で負け、という極端すぎるゲームが精神を蝕むことは想像に難くない。

加えて根本的な問題として、韓国社会が「他者評価によって成り立っている」点も見逃せない。これも私見ではあるが、取材を通じて、自己決定の選択肢が「社会的承認を得られるかどうか」を前提としているようにたびたび感じられた。

「自分がどうしたいか」よりも「親が認め、他人が羨むこと」を優先させた結果、空洞化する自己。それを埋め合わせる何かを、韓国の若者は強く求めているのかもしれない。

(安宿緑 : ライター、編集者)

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注目アップルイベントでiPhoneは発表される?

2020年9月11日 05:30 東洋経済オンライン

アップルはアメリカ太平洋夏時間の9月15日午前10時(日本時間9月16日午前2時)から、イベントを開催することを告知した。例年この時期にはiPhone、Apple Watchなどを発表する「Special Event」が、アメリカカリフォルニア州クパティーノにある本社Apple Parkで開催されてきたが、新型コロナウイルスの影響で、オンラインでの開催として案内された。

イベントの様子は過去開催分を含めアップルのウェブサイトで視聴できる。

2020年6月にオンライン開催された世界開発者会議は、2時間あまりの基調講演をビデオ配信で行った。それまでイメージしていた基調講演の配信、すなわち、カメラの前にCEOが登場してプレゼンテーションを流す形式を徹底的に覆す、驚きに満ちた映像体験だった。その映像もアップルのサイトで公開されている。

ストリーミング映像サービスApple TV+で映像制作チームを組織したアップルが、本社Apple Parkの施設をフル活用し、コロナ禍の「本気のオンラインイベント」を見せつけた格好だ。

今回のイベントは、その上がりきった期待値に応え、あるいは上回るような体験になるのかどうか、注目だ。

ロゴの秘密

例年のイベントの招待状にはキャッチフレーズが添えられており、2018年9月のイベントは「Gather round.」、2019年9月のイベントは「By innovation only.」だった。しかし今回は「Apple Event」(スペシャルは含まれず)と呼称され、キャッチフレーズも付与されていない。



今回はアップルロゴが青いグラデーションの一筆書きで描かれたデザインが採用された。

招待状のロゴは新製品にまつわるデザインが施されてきた。例えば2018年のイベントでは、開催地である本社Apple Parkのイラストが金色で描かれていた。その年に登場したiPhone XS・iPhone XS Maxには、それまでのブラック、シルバーに加え、ゴールドが用意された。

2019年のロゴは液体のような透き通った素材が緑、青、黄色、赤、紫に塗り分けられたデザインで、その年登場したiPhone 11のカラーバリエーションを反映したものとなった。

そうした経緯を考えると、今回の青い一筆書きのデザインからは、iPhoneの上位モデルに青系の新色が用意されたり、一筆書きということでApple Pencilに関係する新製品、つまりiPad製品の新作を予測することができる。その中には、iPad向けクリエイティブソフトウェアの披露も含まれるかもしれない。

クリエイティブソフトウェアで知られるアドビは、アメリカ時間10月20日~22日まで、クリエイティブの祭典「Adobe MAX 2020」をオンラインで開催することを発表した。その中には、iPad用のIllustratorに関するセッションが用意されており、今回のイベントのデモでも使われることになるだろう。

もう一つ、ロゴにまつわる秘密がある。前述のイベントページで青いロゴを、iPhone、iPadからタップするとARコンテンツが読み込まれ、カメラが起動し、身近なテーブルの上や床に、青いイベント用のアップルロゴを置くことができる。

しかもそのロゴはアニメーションになっており、するするとほどけてイベント開催日である「9.15」の文字に変わり、またほどけてリンゴマークに戻る、という演出が施されている。ディスプレーでの表示が前提の動きが変化するロゴは、先頃発表された2028年のロサンゼルス五輪でも採用されており、トレンドをしっかりおさえたデザインだ。

アップルを取り巻く環境

イベントの発表内容の前に、現在のアップルを取り巻く環境について振り返っていこう。

2020年1月下旬から中国で新型コロナウイルスの感染拡大が明らかとなり、アップルは2月1日には、中国国内のすべてのオフィスと直営店を閉鎖する対応を打ち出した。アメリカや欧州への感染拡大前に、新型コロナウイルス対策を迫られていたことになる。

中国の春節明けから、廉価版iPhone SEの製造を立ち上げる予定だったがこれも遅れ、例年3月末にイベントを開催して春の新製品を披露するはずが、結局iPhone SEは4月16日に発表され、4月24日発売、日本国内では5月11日の発売となった。

しかし新製品の発表は毎月行われてきた。通常であれば、本社に世界中から記者を集めて、iPhone SEの発表イベントを3月に開催する際、iPad Pro、MacBook Airの新モデルも発表していたはずだ。主要製品が3つも登場するなら、イベントとして十分成立すると考えられるからだ。

4月のiPhone SEに続いて、5月にはMacBook Pro 13インチのメジャーアップデートがアナウンスされた。また8月に入って、iMac 27インチも新モデルが登場した。いずれもウェブサイトでの発表にとどまった。

これまでうまくいっていた活動をそのまま実行できない2020年、特に世界中でロックダウンが起きた4〜6月にあたる2020年第3四半期決算は、ネガティブな数字が予測された。しかしふたを開けてみると、すべてのエリア、すべての製品・サービスのカテゴリーで売上高が上昇し、特にリモートワークやオンライン学習需要で、iPad 31%、Mac 21.6%の売上増を記録した。

さらに、オンラインでのコミュニケーションに移行したことから、出張費が削減され、オペレーションコストはむしろ下がった、と決算発表で発言があったほどに、アップルは「新しい日常」のネガティブ要因を吸収し、事業を拡大させたことになる。

株式市場では、ニューノーマル銘柄としてGAFAをはじめとするテクノロジー企業や電気自動車のテスラに注目が集まり、アップルは時価総額を2年で倍の2兆ドルに乗せ、4分の1の株式分割も行った。

iPhoneは出ない?注目の新製品は?

さて、9月15日のイベントで、アップルは何を発表するのか。

例年9月のイベントでは、新型iPhone、新型Apple Watchを軸に、2019年はiPad(第7世代)が発表されてきた。例年通りであれば、iPhone、Apple Watchに「プラスα」が用意されることになるのだが、今回の発表ではiPhoneが登場しない可能性が高い。すでにアップルは、2020年第3四半期決算発表の電話会議で、iPhoneが例年より数週間遅れることを認めている。

例年、第4四半期決算にiPhoneの初速の売り上げを計上できるタイミングで発表し、在庫が十分整ったタイミングで年末商戦を迎える、という算段だった。しかし10月に発表・発売が延びる場合、2020年第4四半期への計上ができなくなるインパクトがあったので、アナリストが参加する電話会議で、iPhoneの遅れを報告したと考えられる。

そのため、もし9月15日のイベントでiPhoneの新モデルに言及したとしても、例年のように、発表の週末に予約開始、翌週末に発売というスケジュールでは進行しないだろう。もっとも、今回のようなオンライン製品発表会が常態化するのであれば、プレスを集める準備などが要らないため、必要に応じてオンライン発表会を開催すればよいのだ。むしろ製品発表のスケジュール上の自由度は高まったといえる。

今回発表しないのであれば、10月の最適なタイミングで改めて発表会を開催することになる。ただし、iPhoneの発表スケジュールを先延ばしするにも限度がある。10月20日までに発表もしくは発売していなければ、11月3日投開票の大統領選挙の日程にかかってしまうし、11月3日以降に発売日を設定するとしても、11月26日の感謝祭翌日から始まるアメリカ最大のホリデーシーズン商戦に、製品が間に合わなくなってしまうからだ。

iPhoneに関しては公式に遅延が発表されているが、Apple Watchについては特に遅れるとの言及はない。ただし、Apple Watchにもセルラーモデルがあるため、iPhone同様、製造の過程でのテストが必要になることから、販売スケジュールに多少の影響があるかもしれない。

今回のApple Watchで期待したいのは、バッテリー持続時間の向上だ。2015年の登場当初から、Apple Watchのバッテリーライフは1日(18時間)だった。人は6時間前後睡眠を取るはずで、起きている時間の活動を計測・サポートするApple Watchにとっては、切り捨ててもいい時間だった。

しかし現在ベータ版が配信されているApple Watch向け最新OS「watchOS 7」には睡眠計測機能が備わっており、現在のバッテリー持続時間では睡眠前、睡眠後にも充電が必要になってしまうため、他社製のスマートウォッチやスポーツトラッカーに比べるとユーザー体験が悪い。最新モデルが出るならば、バッテリー持続時間を少なくとも24時間、できれば40時間程度まで延ばしておく必要がある。

品薄の状態が続くiPad

一方、2019年9月のイベントで刷新されたiPadは、オンライン学習の需要を捉えて急成長しており、日本のGIGAスクール授業やアメリカの新学期シーズンも相まって、オンラインストアでも納期まで10日前後、品薄の状態が続いている。

現在、さらに納期が延びているのがミドルレンジとなるiPad Airだ。アップルのオンラインストアでは、最短でも9月24日~10月以降の納期が示されている。現在のiPad Airが発表されたのは2019年3月で、すでに1年半が経過しているのに、だ。



近年、iPadラインナップ全体として、1年半程度のモデルチェンジがサイクルとなっていることから、iPad Airがそろそろモデルチェンジを迎えてもよさそうだ。これはiPad miniにも言えることだ。

現在のiPad Airは、半年前までiPad Proを名乗っていた10.5インチでホームボタンを備える筐体を採用し、アクセサリーなどもそのまま利用できる形で登場した(参考記事:アップルが「iPad Air」とminiを刷新の深いワケ)。そのパターンを踏襲するなら、現在のiPad Pro 11インチモデルのデザインを採用し、価格を抑えた新モデルとして登場するのではないだろうか。

(松村 太郎 : ジャーナリスト)

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この先「会社員の給料」、格差はここまで拡がる

2020年9月11日 05:25 東洋経済オンライン

わずか半年ほどで世界を震撼させ、経済活動や社会活動をいっきに停滞させ、世界中の人々の生活をどん底に陥れようとしている「コロナ・ショック」。
しかし、「コロナ・ショック」は日本にとって、必ずしもマイナスばかりではない。むしろ、経済的な側面よりも、日本人の価値観や働き方を大きく変え、日本という国が真に豊かで、幸せな国になるための好機と捉えている――。
『現場力を鍛える』『見える化』など数多くの著作があり、経営コンサルタントとして100社を超える経営に関与してきた遠藤功氏は、「この『コロナ・ショック』は、ビジネス社会における『プロの時代』の幕開けになる」という。
「コロナ・ショック」を見据え6月に集中執筆した『コロナ後に生き残る会社 食える仕事 稼げる働き方』を緊急出版した遠藤氏が、「日本企業の『報酬格差拡大』がもたらす3変化」について解説する。

失業者は増えているが「引き抜き」も増えている

新型コロナウイルスの影響で、雇用情勢は悪化している。コロナ影響による雇い止めは全国で5万人を超え、7月の完全失業率(季節調整済み)は2.9%と前月から0.1ポイント上昇した。経済活動の再開ペースは遅く、雇用の悪化は今後さらに進むと見られている。

その一方で、「プロ人材の引き抜き」も増えている。ファミリーマートはマーケティング全般の最高責任者であるチーフ・マーケティング・オフィサー(CMO)に足立光氏を起用すると発表した。足立氏はローランド・ベルガー時代の私の同僚で、マーケティングのプロである。日本マクドナルドの上席執行役員CMOとして業績を回復させた立役者として知られている。

足立氏に限らず、「高度専門性を持つプロ人材」は引く手あまたである。先日も、ある大手企業の経営幹部から「外部からチーフ・デジタル・オフィサー(CDO)を採用したいが、いい人はいないか」と相談を受けた。CDOの需要は急速に高まっているが、それに見合う人材は明らかに不足している。そうした「高度専門性」と「経験」「実績」を兼ね備えた人材は、引っ張りだこである。

コロナをきっかけに、日本企業を支えてきた「年功序列」の報酬制度や「横並び人事」は崩壊し、「実力主義」「結果主義」に移行することは間違いない。日本企業における「報酬格差の拡大」はどのような変化をもたらすのか。ここでは、そのなかの主な「3つの変化」をみていこう。

1つめは、「『プロとアマ』の報酬格差が広がる」ことである。

日本企業でも「報酬格差」は当たり前になっていく

【変化1】「プロとアマ」の報酬格差が広がる

多くの日本企業は「変革」に迫られている。コロナの影響で、市場が縮み、「これまでのビジネスモデルのままでは通用しない」のは明らかである。

その変革を推進する人材が「内部」にいればよいが、残念ながらこれまでの成功体験に染まった同質的な人間だけでは、変革を進めることは困難である。

これまで内部人材にこだわってきた日本企業も、その方針を転換し、変革に必要な高度専門性を持つ人材は「外部」から積極的に起用するようになってきている。

例えば、トヨタ自動車は「総合職の採用に占める中途採用の割合を中期的に5割にする」と発表した。実際、自動運転技術の開発子会社を2019年に設立したが、その会社が新たに採用する社員の半数以上は日本国外から採用するという。

トヨタが外部人材の採用を強化すれば、それはドミノ倒しのように波及する。トヨタに人材をとられた会社は、その穴を埋めるためにほかの会社から人材を引き抜かざるをえなくなる。こうやって、「日本における人材流動化」は急速に高まっていくだろう。

こうした高度専門性を持つプロ人材を採用するには、これまでの給与体系とは異なる「市場価値に即した報酬」を支払う必要がある。例えば、富士通やNTTドコモは、年齢に関係なく「年収3000万~5000万円」を支払える制度を開始した。

こうした動きはIT業界にとどまらない。明治安田生命は、ITや資産運用など10分野の専門人材には執行役員に相当する「年収3000万円」を支払う人事制度を新設する。

同じ会社に勤めていて、同じ年齢なのに、かたや5000万円もらう人がいれば、かたや500万円の人もいる。こうした「報酬格差」が日本企業でも当たり前になっていくだろう。「会社の変革をリードする市場価値の高いプロ人材」と「決められた仕事しかできないアマチュア人材」の報酬格差は間違いなく拡大していく。

2つめは「プロとアマ」だけではなく、「『プロの中』での報酬格差が広がる」ことである。

プロになることが「成功」を意味するわけではない

【変化2】「プロの中」での報酬格差が広がる

日本のビジネス社会にも「プロ化」の波が押し寄せ始めている。ビジネス社会で勝ち抜こうとするのであれば、「高度専門性を備えたプロ人材」を目指さなければならない。

それでは、「プロになれば安泰」かといえば、けっしてそうとは言えない。むしろ、プロになることは「生き残るための最低限の条件」にすぎない。

現実を見れば、プロとアマの差以上に、「プロの中での差」のほうが大きくなる

それは、「プロ化」が根付いているプロスポーツの世界を見ればわかる。

例えば、サッカーJリーグの平均年棒は、J1では約3500万円だが、J2・J3では300万~400万程度にすぎない。平均で見ても、10倍の差がある。

J1における日本人最高年俸(2020年)は、酒井高徳選手(ヴィッセル神戸)の「1億4000万円」。J2・J3でプレイする選手の30倍以上だ。もちろん、海外のトップリーグで活躍する選手はさらに高額の報酬を手に入れている。

また、ヴィッセル神戸でプレイするアンドレス・イニエスタ選手の年俸は「32億5000万円」。

これは例外としても、イニエスタ選手の元同僚で、2020年1月に引退したダビド・ビジャ選手の年棒は「3億5000万円」。J2・J3の選手たちのほぼ100倍である。グローバル基準と比較すると、さらに桁違いの差になる。

こうした報酬格差はビジネスの世界でも当たり前になっていく。日本企業は即戦力を求めている。ファミリーマートに引き抜かれた足立氏のように、他社で実績を上げた「人材の市場価値」は確実に高まり、活躍する機会はますます広がっていく。

プロになることが成功を意味するわけではない。「プロとして結果を出し、より上の世界で成功をつかむかどうか」が試されている。

3つめは「『エッセンシャルワーカー』の報酬格差も広がる」ことである。

【変化3】「エッセンシャルワーカー」の報酬格差も広がる

コロナ禍において、止めることができない企業活動の最前線を支える「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人たちの重要性が再認識されている。

病院や介護の現場のみならず、製造現場や鉄道、物流の現場、さらには土木や建設、小売りなどの現場で必死に働く人たちがいるからこそ、私たちの社会生活は保たれているのは間違いない。

在宅勤務やリモートワークの広がりが進みつつあるが、完全にリモートワークに移行できる仕事は全体の3分の1程度にすぎず、3分の2の仕事はリモートワークに向かない、もしくは不可能な仕事だと言われている。

「エッセンシャルワーカー」が社会の土台であることは、ポストコロナにおいても変わることはないが、それではその世界で報酬格差が広がらないかといえば、そうではない。

「エッセンシャルワーカー」には2つのタイプの人材がいる。1つめのタイプは、「マニュアルワーカー」だ。決められたルーチンワークをマニュアルどおりにこなすだけの人たちである。

こうした人たちは、やがてロボットやAIなどの新たなテクノロジーによって代替されていく。例えば、バスやトラックのドライバーは、自動運転の普及によってやがてなくなっていく仕事だろう。

2つめのタイプは「ナレッジワーカー」と呼ばれる人材だ。単に目の前の作業をこなすだけでなく、知恵を出し、創意工夫しながら付加価値を高める仕事ができる人たちを指す。日本企業が誇る現場力を支えるのは「ナレッジワーカー」である。

「ナレッジワーカー」はロボットやAIによって代替することはできない。むしろ、ロボットやAIを活用し、現場が生み出す価値を最大化することができる貴重な人材だ。彼らは「単なるエッセンシャルワーカー」ではなく、「クリエイティブ・エッセンシャルワーカー」と呼ぶべき存在である。

日本企業はプロ人材に対する報酬水準を高めるだけでなく、代替性が低く、会社の財産である「ナレッジワーカー」に対する評価を高め、報酬水準を高めることが不可欠である。

日本企業における報酬格差はプロ人材に限った話ではない。企業の現場を支えるエッセンシャルワーカーの世界においても、適正な報酬格差が広がっていくだろう。

「悪平等」から「公平な競争社会」へ

「報酬格差が拡大する」というと、「それは社会の秩序を乱す」とネガティブな反応を示す人はいまだに多い。確かに、一部のアメリカ企業のようにCEOが社員の平均年収の100倍以上もらうような不当な格差はけっして好ましいとは言えない

しかし、これまでの日本企業の多くは、「悪平等」だったとも言える。やってもやらなくても報酬は変わらない、結果を出しても出さなくても差がつかないというのでは、誰も頑張らないし、新たな挑戦をしなくなる。

これまでの「悪平等」主義から脱却し、「公平な競争社会」へと移行することが、日本企業が競争力を取り戻すための必須条件である。

(遠藤 功 : シナ・コーポレーション代表取締役)

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東大生が見た「頭が柔らかい人、硬い人」の習慣

2020年9月11日 05:20 東洋経済オンライン

「『自分の頭で考える』って、どういうことなんだろう?」「頭が良い人とバカな自分は、いったいどこが違うんだろう?」

偏差値35から東大を目指して必死に勉強しているのに、まったく成績が上がらず2浪してしまった西岡壱誠氏。彼はずっとそう思い悩み、東大に受かった友人たちに「恥を忍んで」勉強法や思考法を聞いて回ったといいます。

「東大生は『生まれつきの頭の良さ』以前に、『頭の使い方』が根本的に違いました。その『頭の使い方』を真似した結果、成績は急上昇し、僕も東大に合格することができたのです」

頭の良い人は、頭をどう使っているのか? 「自分の頭で考える」とは、どういうことなのか? 「頭の良い人」になるためには、どうすればいいのか? 

そんな疑問に答える新刊『「考える技術」と「地頭力」がいっきに身につく 東大思考』が発売1カ月で10万部のベストセラーとなった西岡氏に、東大生に学んだ「頭を柔らかくする思考習慣」を解説してもらいました。

東大入試には「なぞなぞ」みたいな問題が出る

「頭が柔らかい人」って、憧れますよね。

思考が凝り固まった「頭の硬い人」よりも、やはり物事を柔軟に考えられて、いろんなアイデアを生み出すことができる「頭の柔らかい人」のほうがいい。多くの人がそう考えると思います。

でも実際に、「頭を柔らかくしたい!」と思っても、どうしたらいいのかわからないですよね。

実は東大入試では、頭が硬いと解けない問題が出題されることが多いです。東大は受験生に「頭の柔らかさ」を問い、その問いに正解した「頭の柔らかい人」が東大生になれるのです。

僕はもともと、そういう「頭の柔らかさ」が必要な問題が大の苦手で、東大入試に2回も不合格になった人間です。でも、東大に合格した友人たちに「頭の使い方」を教えてもらい、それを日常に取り入れることで、何とか東大に合格しました。

では、東大生はどうやって「頭の柔らかさ」を身につけているのでしょうか? 今日は東大の実際の問題を引用しながら、ご紹介したいと思います。

まず、多くの方が勘違いされているのですが、東大入試では重箱の隅をつつくような、難しくて細かい知識を問う問題は出題されません。それどころか、見る人によっては「なぞなぞ」のように感じてしまう問題が多く出題されているのです。

「ええ? 本当?」とお考えの人もいると思うので、実際に東大の問題を見てみましょう。

「頭の柔らかさ」が問われる東大の入試問題

2007年時点で、世界の鉛消費量は鉱石から生産された量の2.2倍になっている。このような現象がなぜ生じているのかを答えなさい。【2011年 東大地理第2問 一部改変】

生産量の2倍以上が消費されるというのは、よくわからない現象ですよね。生産された量以上に消費されるなんてありえるのでしょうか? そしてこの問題に答えられるような「頭の柔らかさ」を持つためには、どうすればいいのでしょうか?

結論から言うと、頭の柔らかい人とは「いろいろな目線」で物事を見る人のことだと僕は考えています。「1つの見方」に凝り固まってしまうのではなく、「複数の見方」で物事を見るようになると、頭が柔らかくなるのです。

例えば上の問題。「生産側」から考えれば、つくった以上のものが消費されるというのはありえない現象です。しかし「消費側」から考えると、自ずと答えは見えてきます。

僕らは、同じものを何度も消費することがあります。僕の祖母はよく昔使っていた服の生地を使ってハンカチをつくってくれますし、会社でも一度使った資料の裏紙にコピーすることがあるのではないでしょうか。消費側から見れば、そういう「リサイクル」は当たり前のことです。

そう考えれば、携帯電話やPCがリサイクルされ、もう一度その中の金属を利用することがあることに思い至ります。「鉛」は機械から回収されて、僕らはそれを2回、3回と繰り返して使っているのです。だからこそ、生産された量の2倍以上が消費されるという現象が起きるのです。

こんなことは、教科書や参考書には書いてありません。与えられた情報をもとにその場で考える「頭の柔らかさ」が求められているのです。

こんな問題もあります。

明治期には、砂糖の消費量が増加した。このような食生活の変容をもたらした要因は何か、答えなさい。【2003年 東大日本史第4問設問B 一部改変】

多くの人は「え? 鎖国が終わって西洋風の文化が入ってきたから、砂糖も多く用いるようになったんでしょ?」と考えると思うのですが、それは「消費側」の話でしかありません。実はそれ以上の理由があるのです。

西洋風の文化が入ってきたからといって、砂糖そのものがなければ食生活が大きく変わることはありません。実は鎖国が終わったことで、海外から砂糖を輸入できるようになったのです。特に砂糖の一大生産地である台湾を領有した1895年(明治28年)以降、砂糖の輸入はますます増えました

このように、「消費側」だけでなく「生産側」の事情も書けていないと、この問題は点数が取れません。こんなふうに、「いろいろな角度から物事を見る」思考を、東大は求めているのです。

そして、これこそが頭が柔らかい人の特徴なのです。逆に1つの見方にこだわって、一方向からのみ見てしまっていると、「頭が硬い人」になってしまいます

何か意見を言ったときに、こちらの側に立って考えてくれないで、自分の立場の主張だけをする人って、頭が硬い人という印象がありますよね。

それに対して、「頭が柔らかい」と言われる人は、「あなたの考えもよくわかります」と相手の立場に立ったうえで、いろいろなことを考えてくれる人のことを言うのではないでしょうか。いろいろな方向から物事を見て、いろいろな立場に立って考えられることこそが、「頭が柔らかい人」の特徴なのです。

「頭を柔らかくする」東大生の習慣

では、このようにいろいろな角度から物事を見られるようになるには、どんなことをすればいいのでしょうか?

東大生にインタビューして見えてきたのは、「あえて自分と反対の立場になってみる」という思考習慣です。

例えば、何かの論題に対して賛成の意見を持っているときに、あえて反対の意見を考えてみます。「社内のオンライン推進」という議題があったときに、あなたが賛成しているのであれば、あえて逆のことを考えて「社内のオンライン推進を反対する人って、どんなことを考えているんだろう?」「どんな理由で、反対しているんだろうか?」と真剣に思考するのです。

これは東大生の中ではポピュラーな勉強法です。東大の入試問題などでも「この意見に賛成か反対か選んで答えなさい」という問題がよく出題されるのですが、その過去問を解くときに、あえて自分の本当の立場とは逆の立場で問題を解く訓練をしていたという学生は非常に多いです。

また、「逆の立場」というのは「賛成・反対」だけではありません。世の中にはいろんな立場の対立があります。急進派と穏健派、右派と左派、大人と子ども、読み手と書き手、生産者と消費者、問題を解く人と出題する人……

人は通常、どちらか一方の立場にしか立てないものです。しかし、だからこそ、自分の今の立場と反対側の立場で真剣に考えてみるのです。

レストランに入ったときにお客さんとしてではなく、そこで働く人や経営者の立場に立って考えてみる。本を読むときに、その本を書いた人の気持ちになって考えてみる。話すときに、聞く人の気持ちを考えてみる。ニュースに怒りを覚えたら「何かどうしようもない事情があったんじゃないか」と考えてみる。

普段からそんなふうに考える習慣がある人は、頭が柔らかい人になれるのです。

東大入試でも、この思考プロセスを推奨している問題があります。

次の文章は、数年前の東京大学入学試験における、日本史の設問の一部と、その際、受験生が書いた答案の一例である。当時、日本史を受験した多くのものが、これと同じような答案を提出したが、採点にあたっては、低い評点しか与えられなかった。なぜ低い評点しか与えられなかったかを考え、(その理由は書く必要がない)、設問に対する新しい解答を5行以内で記せ。(1983年 東大日本史第1問)

「点数を低くつけなければならなかった理由を考えなさい」。すごく型破りな問題ですね。

なんでこんな問題が出題されたのかを考えると、問題を解く受験生に対して、「出題者」「採点者」の側に立って問題を解くことを推奨したのだと解釈できます。受験生の反対側にいる、採点者の立場で考えることができるかを問う問題だったのです。

他にも、「最近は頻繁に市町村合併が行われているが、それによって困る立場の人のことを考えて答えなさい」とか「この学説に対する反対意見を答えなさい」とか、そんなふうに「逆の立場」で物事を見る姿勢を求める問題がかなり多く出題されています。

日常のあらゆることの「裏側」を考える

自分以外の立場に立って物事を考えてみるのは非常に難しいですが、だからこそ普段からこれを意識しておけば、硬かった頭がどんどん柔らかくなっていくと思います。

僕もはじめはこの思考が身につかず、例に挙げた入試問題も解けない、頭の硬い人間でした。そんな中で心掛けたのは、「反対側はなんだろう?」と、日常のあらゆることの「裏側」を意識することでした。

例えば「70%の人が効果を実感している!」と書かれている広告を見たら、「逆に30%の人は効果を実感していないんだよな」と考えてみるのです。情報をそのまま受け入れるのではなく、あえて真逆の情報として受け入れてみて、そのうえで「じゃあ、どうして30%は効果を実感しなかったんだろう?」と裏側を深掘りして考えていくわけです。

同じ情報も、見方によって見えるものがまったく違ってきます。そのことを普段から意識すると、どんどん頭が柔らかくなっていくと思います。

いかがでしょうか? 「頭が硬い」とお悩みの方は、ぜひ少しでも参考にしていただければ幸いです!

(西岡 壱誠 : 現役東大生)

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リニア提訴を前に露呈、静岡県の不都合な真実

2020年9月11日 05:10 東洋経済オンライン

リニア中央新幹線南アルプストンネル静岡工区(8.9km)の建設に反対し、大井川流域の住民がJR東海を相手に、工事差し止めを求める訴訟を近く、静岡地裁に起こす。「62万人の命の水」と「南アルプスエコパーク」を守る訴訟と位置づけ、法的根拠に川勝平太静岡県知事の主張がそのまま盛り込まれる。

「リニアに反対しない」と言う川勝知事だが、原告側証人として法廷に立つ可能性も出てきた。「リニア中止を叫ぶ」静岡県民の輪が広がれば、JR東海にはこれまで以上に厄介の種が増える。国土交通省に対応を任せるだけでは「静岡問題」解決は遠のくだろう。

JR東海は「環境に影響なし」と立証できるか

訴訟を準備する市民団体が9月5日、原告団への参加を呼び掛ける「学習会」を静岡市で開いた。約90人が参加した学習会で、西ヶ谷知成弁護士は「大井川の水量が減ることによって生活権が侵害され、南アルプスの自然環境を享受する権利も失われる」とリニア工事で侵害される住民の利益を守る訴訟だと説明した。

まさに、訴訟と同じテーマが県環境保全連絡会議地質構造・水資源、生物多様性の2つの専門部会で議論されてきた。2年以上の議論は平行線をたどり、膠着状態の打開を図るため、国交省提案の有識者会議に議論の場を移したが、いまだに解決の糸口は見えない。南アルプスを貫通するリニアトンネル工事によって、大井川の水量減少、大幅な地下水位低下による自然環境への影響をJR東海は認めている。JR東海が、住民の生活権や環境権の侵害がないことを裁判で立証するのは容易ではないだろう。

この日は、2017年9月、国を相手取り、リニア工事差し止めを求めた行政訴訟の原告団長、川村晃生・慶応義塾大学名誉教授が甲府市から駆け付け、「川勝知事が頑張ってくれているいまこそ、リニアをストップさせる大きなチャンス。62万人の命の水は、静岡県民すべての問題」と、川勝知事との“連帯”を訴えた。

県がJR東海の環境アセスメント(環境影響評価)に厳しい批判を続けているだけに、川村氏らは川勝知事の主張が住民サイドに立つと高く評価してきた。行政訴訟に有利に働くよう、メディアの注目を集める川勝知事の発信力に期待したいのだろう。



訴訟に向けた「学習会」のメイン講師は、県の地質構造・水資源専門部会委員を務める地質学者、塩坂邦雄氏。7月末に開催された合同専門部会を受け、県が8月13日、国交省へ送った意見書を塩坂氏は資料として配布した。JR東海が環境アセスメントで使用した水収支解析方法、生物多様性への影響への疑問点を指摘し、「南アルプスの地質構造や断層の考え方がJR東海はわかっていない」、「環境アセスメントは“環境アワスメント”で初めから事業ありきのものだった。もう一度、環境アセスメントをやり直すべき」など約1時間にわたって持論を展開した。まさに、今回訴訟の理論的裏付けを担う存在感を発揮した。

塩坂氏は個人的な立場で講師を引き受けたのだろうが、県専門部会委員がリニア反対につながる発言を繰り返しただけに、「県もリニア反対訴訟を応援している」と参加者の多くが勘違いしたかもしれない。

県はリニア反対の横断幕を放置

実際に、県は反リニアを応援しているようにも見える。



金子慎JR東海社長が川勝知事を訪問、準備工事の再開を要請した6月26日のことである。川勝、金子「対談」の1時間以上前から、「南アルプスに穴をあけるな」などびっくりするような横断幕や手書き看板が静岡県庁玄関前に現れた。静岡市議や運動家らがマイクを握って、「リニア反対」を連呼、金子社長の到着を待っていた。県では、メディア対応に県職員を当てたが、派手な横断幕や「リニア反対」連呼にまったく対応しなかった。

県庁敷地内を管理する担当課長に聞くと、「金子社長訪問は大々的に報道されていたので、リニア反対の人々が来るおそれはあったが、あまり度を越えなければ問題ないと考えていた」と回答。県庁内を巡回する警備員による注意等もなかった。金子社長を出迎えた派手な横断幕はまるで静岡県が「リニア反対」をひそかに応援しているかのように映った。

もっと驚かされたのは、川勝知事の「手記」である。8月12日から14日まで3回にわたって、「手記」を朝日新聞静岡地方版に連載した。連載の3回目では、新型コロナを経験している現実を踏まえ、リニアに対する6つの疑問点を書いた。

(1)コロナ禍問題は「東京問題」であり、東京一極集中からICT(情報通信技術)を活用する地方への多極分散が望ましい。いまや「スーパー・メガリージョン(リニアが約1時間で結ぶ京浜・中京・阪神の7000万人巨大都市圏)」は必要ない。

(2)リニアのトンネル工事は南アルプスの自然環境破壊であり、リニアを取るのか、南アルプスを取るのかならば、「南アルプス」を優先すべき。

(3)リニアの電力源は原発を前提にしているが、福島第一原発事故などで原発依存モデルは崩壊した。リニアの莫大な電力源は確保できるのか?

(4)「南アルプストンネル」避難路の出口は南アルプス山中、季節によっては死を覚悟しなければならない。

(5)超電導コイルに必要な希少金属は世界中で取り合いであり、超電導磁石の原料は確保できるのか?

(6)リニア計画の審議会答申前に行われたパブリックコメントでは73%が否定的だった。コロナ禍の中でリニア計画の根本的見直しの声が各界から上がっている今こそ、政府はリニア計画の見直しを行うべきである。 

(1)から(6)には静岡県の水問題や環境問題とは無関係の内容も含まれている。これを読めば、川勝知事の「リニアに反対しない」は口先だけで、「反リニアの急先鋒」と言ってもおかしくないだろう。

過去の事例はどうだった?

今回のリニア裁判同様に、環境権、人格権の侵害を訴え、事業差し止めを求めたのは、1982年4月の長良川河口堰反対訴訟だ。地域住民20人が、水資源開発公団を相手取り、工事差し止め訴訟を提起した。「科学裁判」の様相を呈したが、12年後の1994年に岐阜地裁は訴えを棄却する判決を出した。

判決では植生を復元し、魚道を設けることで環境への重大な影響を避けられるとし、河口堰が公共の利益をもたらすなどと判断した。当初は流域の漁業関係者を中心とした利害を伴う反対運動だったが、補償の同意が得られると、1988年から本体建設工事が始まった。市民団体らによる「無駄な公共事業」「環境破壊」のシンボルとしてマスメディアが連日取り上げ、大きな社会問題に発展した。

実際には、河口堰の「治水」や「利水」の役割がダムと違ってわかりにくく、地域住民が必要性を理解できなかったことが問題を大きくした。その後、河口堰のたもとに資料館「アクアプラザながら」を設置、洪水防止や塩害防止の役割が小学生でもわかるようになった。また、近くにはリゾート施設「なばなの里」が建設され、開閉する河口堰自体が観光スポットとなった。

近年、風水害の被害が続き、長良川河口堰が地域住民にとって欠かせない施設と認識され、河口堰を中心にさまざまな観光の目玉ができたことで、地域振興につながった。リニア「静岡問題」との違いははっきりとしている。

川勝知事は「リニアトンネルは静岡県には何のメリットもない。地域振興なり、地域へのメリットがあるのかといった、基本的な考え方がJR東海にはない」と述べている。この主張に従うなら、JR東海がまず取り組むべきは「地域貢献」をどうするかである。

川勝知事も法廷で証言?

金子社長は4月の第1回有識者会議で「南アルプスの環境が重要だからといって、中央新幹線の着工が認められないのは法律の趣旨に反する」などと述べた。金子発言からは、リニアは国家的プロジェクトであり、静岡県が大井川の水環境問題などで高いハードルを課すのはおかしいという考えが見え隠れし、「地域貢献」をまったく無視してきた。本当にそれでいいのか。

静岡地裁のリニア工事差し止め提訴は非常に長引き、その後棄却される可能性が高い。とはいえ、もし裁判が始まり、原告側証人として川勝知事が「私はリニアの大推進論者だが、自然破壊につながるJR東海のリニア工事は認めない」などと主張すれば、形勢逆転も期待できる。静岡県、JR東海の対立が激しくなればなるほど、反リニアの県民が増えていくことは間違いない。

(小林 一哉 : 「静岡経済新聞」編集長)

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スバル「新型レヴォーグ」乗って感じた超絶進化

2020年9月10日 08:10 東洋経済オンライン

スバルのステーションワゴン「レヴォーグ」の2代目が登場した。水平対向4気筒の新開発1.8Lターボエンジンと80%の部品を新しくしたCVT(Continuously Variable Transmission/無段変速機)、そして随所に見直しを受けたスバルグローバルプラットフォーム(車体の土台)と高剛性ボディ(車体の上屋)をそれぞれ組み合わせた。スバルが誇る先進安全技術群「アイサイト」も大幅に進化。その名は「アイサイトX」だ。



新型レヴォーグの第一印象は、ずばり「塊感」。2019年の東京モーターショーで初対面した「レヴォーグプロトタイプ」とほぼ同じだ。

「これまでお客様からは“スバルのショーモデルはカッコイイけど、市販車になるとずいぶんおとなしくなって残念”と言われてきました。が、今回は失望させません。そのままのスタイルです!」。この言葉は、8月初旬に開催された「新型レヴォーグプロトタイプ試乗会」の取材会場で、説明を担当してくれた技術者の方々から幾度となく聞かれた。

大きな変化を遂げた車内環境

新型レヴォーグ(カッコ内は従来型)のスリーサイズは全長4755(4690)㎜×全幅1795(1780)㎜×全高1480~1500(1470~1500)㎜。全長で65㎜、全幅で15㎜ほど従来型よりも大きくなった。ホイールベースは2670(2650)㎜、前/後トレッドは1550(1530)㎜/1545(1540)㎜と、こちらも僅かに拡大。

見た目の塊感が増したのは、全長が少し伸び、タイヤがより四隅に踏ん張るようになったことに加えて、ボディ前後のフェンダー付近が立体的な造形になったからだ。装着タイヤサイズは215/50R17と225/45R18で、こちらは従来型を踏襲する。



数値や見た目以上に大きな変化をみせたのは車内環境だ。一見すると、縦長11.6インチのセンターインフォメーション(新規採用)が大きな違いのように思えるが、従来型では中央上部に位置していたマルチファンクションディスプレイがなくなり(これまでの表示内容はセンターインフォメーションと12.3インチのフル液晶メーターに分散表示)、周辺のデザインがすっきりしたことで運転席からの視界もずっと広くなった。

エアコン吹き出し口にはじまり、各部には新しいデザイン処理が施されインパネ全体の圧迫感も格段に小さくなった。また、上半身を左側に大きく捻転させた際の視界も従来型以上にしっかり確保され、大きな鏡面をもつドアミラーの視認性も非常に高い。0次安全を大切にするスバルらしい造り込みだ。

新型では2.0Lターボエンジンが整理され、新開発の「CB18」型を名乗る1.8Lターボエンジン(177PS/30.6kgf・m)1本に絞られた。新型1.8Lはなかなか優秀で、走行性能における体感上の余裕(力強さ)は、従来型1.6L(170PS/25.5kgf・m)と比較すると大幅に増えた。

カタログ上の燃費数値にしても、排気量を12.5%大きくしたにもかかわらずJC08モードで16.0㎞/L→16.5~16.6㎞/Lと、わずかだが向上させた。また、従来型1.6Lターボと同じくレギュラーガソリン仕様、さらに走りに余裕があるとすれば所有満足度も高まる。燃料タンク容量にしても3L増えたから、カタログ上の満タン走行可能距離は1000㎞を超える。ロングドライブ派には地味にうれしい。

滑らかになった加速感

従来型1.6Lとの対比で最大トルクが20%増強されたこともあり、新型は力強く、そして日常走行領域での加速感がとても滑らかになった。従来型1.6Lの数少ない弱点として、ある速度域からグワッと躍度(連続する加速度)が立ち上がる領域があり、ドライバーはそれに合わせてじんわりアクセルペダルを戻す所作が求められていた。



新型では普通に踏んでも、グッと踏み込んでも唐突な躍度発生はなくスムーズで踏んだ分だけ素直にトルクが高まり、CVTの変速が静かにそれを後追いする。大げさではなく、2.5Lクラスの自然吸気エンジンのようで扱いやすく、絶対的な加速力も十分。

ちなみにCVTの変速幅を示し、その値が大きいほど発進加速性能と高速巡航時の良好な燃費数値の両立が期待できる指標「レシオカバレッジ」は、従来型の6.3→8.1と29%近く大きくなった。

運動性能の進化もめざましい。操舵フィールの向上を目的に、デュアルピニオン(2ピニオン)式の操舵力可変式電動パワーステアリングを新採用。同時にステアリングはリング内周面(ステアリングの円内側)に平面となる部分を設けて握り心地を向上させた。

確かに、ステアリングを握る掌でスッと押すように動かしたときの反応は気持ちよく、それでいて過敏ではないから疲れない。今回の試乗ではパイロンスラローム路で操作性のよさを実感できたが、おそらく公道では狭い小道などで左右にステアリング操作する際にもスムーズな操作が期待できる。

上位モデルの「STI Sport 」と「STI Sport EX」には、スバルとして初となる電子制御ダンパー(ZF製)を採用。標準仕様の足回りから回頭性と快適性の両面を向上させた。

アイサイトXではステレオカメラ(複眼光学式カメラ)を広角化しつつ、新たに車両前部の左右にミリ波レーダーを組み合わせた。従来型アイサイトが搭載していた車両後部の超音波ソナー、車両後部左右のミリ波レーダーと合わせて、全12項目の先進安全技術が提供される。



アイサイトXでのハイライトは、渋滞時の運転支援が充実した点。「渋滞時ハンズオフアシスト」では、約50㎞/h以下での渋滞時に、正しくドライバーが前を向いて運転操作していると車載のドライバーモニターカメラで認識できていること、新搭載のHDマップが正しく機能していることなど、一定の条件が整うと、ステアリングから手を放した状態で前走車の追従と車線中央維持機能を作動させることができる。

「アイサイトは2008年に初めてレガシィシリーズに実装しました。以降、アイサイトは衝突被害軽減ブレーキにはじまる先進安全技術として進化を重ねています。今回のアイサイトXでは、ハンズオフ機能を追加しました。しかし、われわれはアイサイトXによる手放し運転を推奨しているわけではありません。あくまでも運転支援技術としての位置づけです」(スバル先進安全設計部担当部長兼自動運転プロダクトゼネラルマネージャーの柴田英司氏)

導入された「ドライバー異常時対応システム」

さらにアイサイトXでは、レクサス「LS」や日産「スカイラインProPILOT2.0搭載車」などと同じく、2016年3月に国土交通省により世界で初めてガイドラインが示された「ドライバー異常時対応システム」にも準拠する。



ドライバーが急病など、何らかの理由で突っ伏してしまい運転の継続ができなくなるような突発的な事象に見舞われた際、ディスプレイ表示、警報ブザー、ハザードランプ点滅、ホーン鳴動とともに、完全停止までブレーキ制御。同時に、システム介入による減速の最終段階ではアクセルペダル操作の無効化で誤操作を抑制。そして停止後は、電子制御パーキングブレーキ(EPB)を作動させて停止状態を保持し、2次被害を抑制する。

現状、アイサイトXとの連動は行われないが、独立した装備としてコネクテッド技術である先進事故自動通報(AACN/Advanced Automatic Collision Notification)「ヘルプネット」や「SUBARU SOSコール」などを起動させ、ドライバーや同乗者の安全確保を最優先に行うことも可能だ。

1980年代後半から1990年代後半にかけて日本はステーションワゴンブームだった。トヨタ「カルディナ」、日産「アベニール」、ホンダ「アコード・ワゴン」、マツダ「カペラ・ワゴン」、三菱「リベロ」にはじまり、これ以外にもたくさんのステーションワゴンが各社から発売された。

筆者はこの頃、数年間ステーションワゴン専門誌に籍を置いていた。頻繁に登場する新型モデルを取材するだけでも大変な日々だったことを思い出す。

クルマが売れただけではない。キャンプ道具やBBQセット、サマー&ウインタースポーツ一式も右肩上がりの販売を記録する。90年代も中盤になるとカーナビゲーションの普及とともに、オーディオシステムをセットにした高額商品が売れ行きを伸ばした。

初代「レガシィ・ツーリングワゴン」の功績

いわゆるステーションワゴンに特化したドレスアップ文化も芽生えた。ボディメイクならぬエアロパーツを各所に装着し、インチアップさせたタイヤ&ホイールを履かせつつ、車高を少しだけ低くするローダウンサスペンションで見た目上のトータルバランスを図る。

こうした流行は全国に波及。筆者も、週末ともなれば全国各地に出向いてオーナー取材を行っていたが、ワゴンライフを楽しむ彼、彼女たちはみな楽しげで満面の笑みだった。

そうしたステーションワゴンブームの火付け役にして牽引役とも言えるのが、1989年に登場した初代「レガシィ・ツーリングワゴン」だ。セダンに遅れてステーションワゴンにも追加されたターボモデル(200PS/26.5kgf・m)は本格的なステーションワゴンボディと2.0Lハイパワーエンジンを組み合わせた先駆けとして、その後の競合車に影響を及ぼす。

1996年6月に登場した2代目レガシィ・ツーリングワゴンのマイナーチェンジモデルでは「GT-B」がその名を轟かす。史上初の280PS×5速MT(4速ATは260PS)に、ビルシュタイン製倒立式ダンパーと17インチホイールを装着し、ステーションワゴンのスポーツブランドとして確固たる地位を確立した。



そうしたなか、2代目となる新型レヴォーグが登場。日本市場はSUVや軽自動車、ミニバンにおされ、今やステーションワゴンの人気はそれほど高くはない。

しかし、ホンダアクセスが行った直近のアンケート(N=1000)によると、「家族での長距離ドライブで使うクルマのボディタイプ」では、SUV9.9%、セダン9.5%に次いで、ステーションワゴン8.0%とそれなりの数を維持している。

ステーションワゴン歴20年以上の筆者からすれば、新型レヴォーグがきっかけとなり、改めて日本におけるステーションワゴンの利便性が見直されるといいなと思う。

(西村 直人 : 交通コメンテーター)

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