上野由岐子のグローブには、桜模様と4文字が描かれている。
和顔愛語(わがんあいご)
ソフトボールへの競技愛とリスペクトが込められたグローブだ。
桜模様にも、こだわりがある。桜は、柔らかい花をイメージしていれたもの。
「和顔愛語」とは、後輩たちに伝承していきたい、自身の想いから。後輩を育てる立場にあるベテラン選手ならではの気遣い、愛ある言葉でわかりやすく伝えること。
それを自身で実践できるのか?
日本代表・上野由岐子として、人間・上野由岐子として。マウンドを離れても、ソフトボールという競技に向き合い、チームで強くなるという課題に取り組み続け、規格外の人生を休むことなく歩み続けるアスリート。
オリンピックイヤーのTOKYOで、静かに準備を整えていた彼女の背中。改めて、凄くカッコいい。
東京で掴んだ金メダルが似合う、ソフトボール日本代表の選手たち。心から賞賛したい。
2019年冬、東京五輪までカウントダウンが続くなか、上野は「三井不動産 Presents CRAZY ATHLETES」に登場していた。
2019年12月、全4話に渡って公開された「三井不動産 Presents CRAZY ATHLETES 上野由岐子」。このインタビューは、彼女のホームグラウンドである群馬県高崎市・宇津木スタジアムで行われた。
MCとのキャッチボールから始まり、今もなお現役で走り続けるためのトレーニングについて、そしてあの大怪我についても語られた60分。
「今の自分で金メダルを取るためにはどういうピッチングをしないといけないのか?どういうスタイルにならなきゃいけないのか?どういうピッチャーでなければいけないのか?」
2020年への決意、東京五輪へかける想いも、自身を追い込むような冷静さが際立つ。
沢山のことを同時に考えて、準備を怠ることなく、自分自身に向き合うアスリート。世界の舞台を知り尽くす彼女がカメラの前で語ってくれた東京五輪への想い、その原動力は、ただひとつ。
「誰かのために」
北京五輪を終えたあとの2008年から、周囲の変化と自身の葛藤に向き合った上野。北京が終わってから、ポカンと穴が空いてしまったような感覚に包まれていたようだ。
そんなある日、(当時の監督)宇津木麗華氏からのメッセージをきっかけに、彼女の競技人生は変化する。
「目標がないんだったら、これまで成長させてくれたソフトボールに恩返しするつもりで続けなさい。」
その一言が、上野の心を動かしたという。
「自分のためじゃなく、誰かのために。ソフトボールを楽しもう」
誰かのために、目指した東京五輪。誰かのために、獲得した金色のメダル。誰かのために、挑んだ復興五輪。
「感無量です」
2021年7月27日、22時27分。試合後に、いつものようにTVクルーの前に上野は現れた。インタビューで微笑みながら、照れ臭そうに胸の内を明かしてくれた。
「投げれなくなるまで、投げてやる。その想いでマウンドに立ちました。」
やっぱり、上野由岐子は、日の丸と笑顔が似合う。そして、五輪という大舞台が似合う。彼女が五輪に登場するだけで、日本列島が元気を貰えるアスリートなのだ。
文/スポーツブル 編集部
撮影/スタジオアウパ
Special thanks / HIDE-san, and ALL!