cat_3_issue_oa-smash oa-smash_0_b187urkeahk7_女子テニスに攻撃の概念を持ち込んだマルチナ・ナブラチロワのサービスを見よ!【レジェンドFILE4】 b187urkeahk7 b187urkeahk7 女子テニスに攻撃の概念を持ち込んだマルチナ・ナブラチロワのサービスを見よ!【レジェンドFILE4】 oa-smash 0

女子テニスに攻撃の概念を持ち込んだマルチナ・ナブラチロワのサービスを見よ!【レジェンドFILE4】

2020年11月2日 14:25 スマッシュ

 マルチナ・ナブラチロワがテニス界にデビューしたのは1973年、17歳の時。そして6年間の休止期間を挟み、最後に引退したのは2006年、50歳になる年。最終年に出場した全米オープンのミックスダブルスで優勝しているのだから、まさに不世出の化け物プレーヤーだったと言える。

 ナブラチロワがこれだけ長く現役を続けられたのは、人一倍の身体的ケアがあったからだ。彼女はテニス界に「チーム」を持ち込んだ。コーチやトレーナー、食事のアドバイザーなどと一緒にツアーを回るようになったのは彼女が最初。今ではそうやって世界を転戦するのが普通になっているが、それもナブラチロワの成功があってのことだ。

 そのテニスはというと、クリス・エバートのストロークプレーとは対照的に、ナブラチロワはサーブ&ボレーで一時代を築いた。男子テニス界で攻撃の概念を作ったのがコナーズなら、女子テニス界でそれをしたのがナブラチロワと言っていいだろう。

 ただし、彼女は決して力に任せてボールを叩いたわけではなく(最盛期にはその傾向もあったが)、確かな技術に裏打ちされたスイングを備えていた。このサービスの分解写真でも、適度なヒザの曲げや、後ろから前への体重移動、流れるようなラケットワークなどが見て取れ、強引さは感じられない。彼女が身体的なパワーにのみ依存した選手だったら、選手生命はもっと短かったはずだ。

【プロフィール】マルチナ・ナブラチロワ/Martina Navratilova(USA)
1956年生まれ。WTAランキング最高位1位(78年7月)。グランドスラム通算18勝(AUS:81・83・85年、RG:82・84年、WIM:78・79・82~87、90年、US:83・84・86・87年)。チェコスロバキアから米国に亡命。サーブ&ボレーを得意とし、ウインブルドンでは史上最多の9勝を挙げた。ツアー通算167勝も史上最多。94年に一度引退後、2000年に現役復帰し、06年までダブルスを中心に活躍した。コート外では同性愛者として知られており、LGBTの権利擁護、差別撤廃への活動にも積極的に関わっている。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

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cat_3_issue_oa-smash oa-smash_0_1cahrdiwyh47_テニス界の初代クイーン、クリス・エバート。美しいフォアは教科書そのものだった【レジェンドFILE3】 1cahrdiwyh47 1cahrdiwyh47 テニス界の初代クイーン、クリス・エバート。美しいフォアは教科書そのものだった【レジェンドFILE3】 oa-smash 0

テニス界の初代クイーン、クリス・エバート。美しいフォアは教科書そのものだった【レジェンドFILE3】

2020年11月1日 16:03 スマッシュ

 クリス・エバートとマルチナ・ナブラチロワは、現代女子テニスの礎を築いた2大巨頭だ。先に頭角を現したのはエバート。16歳で初出場だったUSオープンでいきなり準決勝まで進出。ビリー・ジーン・キングの後継者として熱狂的なファンを獲得した。

 プレースタイルはエバートがストローク(パッシングショット)、ナブラチロワはネットプレー(ボレー)と対照的で、2人の対決は常に面白い展開となった。また、エバートは後にコナーズとのロマンスもあり、キングとクイーンの動向にはテニス界だけでなく世界中のスポーツファンが注目したものだ。

 技術面に目を向けると、エバートはその美しいフォームが多くの後進たちのお手本とされた。このフォアハンドの分解写真を見てもわかるように、腕をこねたりせず、丁寧に前に押し出す正確無比なストロークが彼女の武器。とにかくミスが少ないテニスだった。

 フラットでボールを運ぶスイングは、今見ても美しい。特徴的なのは左手の構え方。右手と全く対称になるようにかざすことで、身体のバランスを見事に一定に保っている(4コマ目)。

 このテイクバック時の構え方は、当時の日本でも教科書とされた。現代ならば左手をもっと深く回すところだが、正確性を重視した当時は、このほうが合理的だった。今もビギナーなどには参考になるだろう。

【プロフィール】クリス・エバート/Chris Evert(USA)
1954年生まれ。WTAランキング最高位1位(75年11月)。グランドスラム通算18勝(AUS:82・84年、RG:74・75・79・80・83・85・86年、WIM:74・76・81年、US:75~78・80・82年)。WTA初代No.1にして、30歳11カ月(当時最年長記録)でもNo.1になった。全てのサーフェスで活躍したが、特に球速の遅いクレーコートでは無類の強さを見せ、全仏では歴代最多の7度の優勝を果たした。シングルスのツアー通算タイトル154勝は歴代2位。表情を全く変えることなくプレーすることから、愛称は「アイスドール(氷の人形)」。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

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cat_3_issue_oa-smash oa-smash_0_dqobmdbvjtrw_女子最後の本格的サーブ&ボレーヤー、ノボトナの流れるようなネットプレー【レジェンドFILE18】 dqobmdbvjtrw dqobmdbvjtrw 女子最後の本格的サーブ&ボレーヤー、ノボトナの流れるようなネットプレー【レジェンドFILE18】 oa-smash 0

女子最後の本格的サーブ&ボレーヤー、ノボトナの流れるようなネットプレー【レジェンドFILE18】

2020年10月11日 22:46 スマッシュ

 ノボトナはシングルスにおいて、女子最後の本格的サーブ&ボレーヤーだったと言っていい選手だ。また、ラリーから流れるような展開でネットを奪うのも巧みだった。

 バックハンドは片手打ちのスライスがメインで、相手のボールが短くなればそのスライスをアプローチに使うスタイル。ストロークで一発の破壊力を持たない選手は、このノボトナのようにネットプレーを活用するのが昔のテニスだった。

 現代は選手のストローク能力向上+ラケットの進化で、ベースラインからの強打がものをいう時代。何が何でもネットに出るというオールドスタイルのテニスが、すっかり駆逐されてしまったのは、寂しい限りである。

 ノボトナのボレー能力は、一般に思われているよりもずっと高かった。運動能力に長け、リーチが広く、反応も早い。またボール勘やタッチも抜群だった。

 彼女がフィジカル的にかなり優れた選手だったことは、この連続写真にも表れている。遠いボールに飛びついた状況だが、身体のバランスが全く崩れていないところは見事と言うほかない。6コマ目のインパクト周辺では、咄嗟に左手を後ろに残して上体のバランスを取っており、頭は常に真っすぐに保たれたままだ。

 ノボトナがもっと早く強いメンタルを身に付けていたら、少なくともあと2、3回はグランドスラムタイトルを手にできていただろう。彼女は2017年にガンによりこの世を去った。ナンバー1の座には届かなかったが、記録よりも記憶に残るプレーヤーである。

【プロフィール】ヤナ・ノボトナ/Jana Novotna(CZE)
1968年生まれ。WTAランキング最高位2位(97年7月)。グランドスラム通算1勝(WIM:98年)。スケールの大きいサーブ&ボレーヤー。93年ウインブルドン決勝では、第3セット4-1から突然の乱調でグラフに逆転負けを喫し、心の弱さを指摘されたが、同大会3度目の決勝に進んだ98年、それを克服して涙の初優勝を果たした。ダブルスの名手としても知られ、全てのGSタイトルを獲得し、通算12勝を挙げた。2017年11月、7年間にわたる乳癌との長い闘病生活の末、チェコの自宅で死去。享年49歳。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

↓【動画】49歳でこの世を去ったヤナ・ノボトナ、失意と歓喜のウインブルドン決勝メモリー

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パワーテニスに脚力と戦術で対抗、アランチャ・サンチェスのランニングショット!【レジェンドFILE16】

2020年10月9日 18:44 スマッシュ

 1980年代末から90年代の女子テニス界は、様々な個性がぶつかり合い、輝きを放った時代だ。ステフィ・グラフとモニカ・セレスが強打でしのぎを削り、ガブリエラ・サバチーニが華麗なバックハンドで優位を築けば、アランチャ・サンチェス-ビカリオは卓越したフットワークと戦術、そしてガッツで渡り合った。

 同じ時代、そのサンチェスとライバル関係にあったのが伊達公子。伊達はライジングショットという武器でグラフと死闘を繰り広げ、比較的実力が近いサンチェスとの試合は常にロングゲームになった。また、サンチェスの母国にはコンチータ・マルチネスという強力な同胞もいて、2人を擁したスペインはフェドカップで3連覇も達成している。

 サンチェスはクレーコート育ちのスペイン選手らしく、精度と安定性抜群のトップスピンを武器にし、どんなに振られても諦めずにボールに食らいつくテニスを身上としていた。このランニングフォアハンドの連続写真はそんなサンチェスの姿勢を象徴している。

 何といっても素晴らしいのは、これだけ走らされてもバランスが全く乱れていないこと。スイング中(5~7コマ目)、ずっと頭が倒れず、上体も傾くことがない。つまり軸が真っすぐだから、腕の振りも正確に行なえるわけだ。全てのプレーヤーが見習うべき基本である。

 この写真はトップスピンだが、一方でサンチェスは、スライドフットワークによるフォアハンドスライスを最初に有効利用した女子選手の1人でもある。守備にそれを導入したことでコートカバーはさらに広くなり、トップスピンとの相乗効果で相手のリズムを崩すことにも成功した。パワーテニスが全盛となる中で、一味違った魅力を持った選手だった。

【プロフィール】アランチャ・サンチェス-ビカリオ/Arantxa Sanchez-Vicario(ESP)
1971年生まれ。WTAランキング最高位1位(95年2月)。グラドスラム通算4勝(RG:89・94・98年、US:94年)。強靭なフットワークを持ち味にしたベースラインプレーヤーで、クレーコートを最も得意とする。兄、姉もプロ選手というテニス一家に育ち、89年全仏を17歳5カ月で制覇。決勝では当時GS5連勝中だったグラフを破る大金星を挙げた。94年からキャリアの黄金期に入り、同年の全仏と全米で優勝。95年にはグラフと月替わりでNo.1を奪い合った。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

↓【動画】1994年、サンチェスがグラフを破り歓喜のUSオープン初優勝を遂げた瞬間

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悲運の女王、セレス。フォア&バック双方から攻撃できる両手打ちで世界を席巻【レジェンドFILE15】

2020年10月9日 18:11 スマッシュ

 ステフィ・グラフを女王の座から引きずり下ろした最初の選手、それがモニカ・セレスだ。1990年には16歳6カ月で全仏オープンを制し、グランドスラムにおける女子の最年少優勝記録(当時)を達成。翌91年には長期政権を敷いていたグラフに取って代わって、ランキング1位に上り詰めた。

 しかし、絶頂期を迎えていた93年、試合中に暴漢から背中を刺されるという信じがたい災厄に見舞われ、ツアーを約2年半にわたって欠場。もし、この事件がなければ、女子テニス史においてもっと偉大な記録を残したことは間違いない。

 セレスの武器は、フォア、バックとも両手打ちから繰り出す桁外れの強打だった。両手だとリーチは短くなるが、彼女には俊敏なフットワークがあり、打ち出すボールにはそれを補って余りある威力もあった。

 プレースタイルは「相手に振られる前に先手を取って決める」という作戦が中心。両サイドから攻撃できるので、グラフの十八番であるフォアの逆クロスも苦にせず、むしろ逆に叩き返してしまう。

 さらにセレスは、この連続写真のようにヒジを畳みながらライジングで高い打点から叩くことも得意だった。スピードだけでなくテンポの早さも加わって、攻撃テニスの牙城を築いていったのだ。その点からいえば、現代のスピードテニスを先取りしていた選手ということになる。

【プロフィール】モニカ・セレス/Monica Seles(USA)
1973年生まれ。WTAランキング最高位1位(91年3月)。グランドスラム通算9勝(AUS:91~93・96年、RG:90~92年、US:91・92年)。左利きでフォア、バックとも両手打ち。フラットでパワーのあるグラウンドストロークを得意とした。15歳でプロに転向し、90年全仏では16歳6カ月の若さでGS初優勝。91年にグラフからNo.1を奪取するが、93年に観客から背中を刺されてキャリアを中断させられる。その後復活を果たし、96年全豪で奇跡の優勝を飾った。2003年までプレーを続け、ツアー通算53勝(歴代10位)をマーク。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

↓【動画】セレスが奇跡の復活優勝を飾った96年全豪オープン決勝ダイジェスト

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cat_3_issue_oa-smash oa-smash_0_kzuc61b7ds3w_エキゾチックな美貌に豪快なスイング。サバチーニの片手バックトップスピン【レジェンドFILE14】 kzuc61b7ds3w kzuc61b7ds3w エキゾチックな美貌に豪快なスイング。サバチーニの片手バックトップスピン【レジェンドFILE14】 oa-smash 0

エキゾチックな美貌に豪快なスイング。サバチーニの片手バックトップスピン【レジェンドFILE14】

2020年10月8日 18:03 スマッシュ

 ステフィ・グラフ政権時には数々のライバルが出現したが、その第1号がガブリエラ・サバチーニだった。プロデビューした1985年にいきなり全仏オープンで準決勝まで進出。クリス・エバートには敗れたものの、南米からやってきた野性味たっぷりの美少女は、あっという間にテニスファンの心をつかんだ。

 また、その年の秋には来日し、ジャパンオープンでキャリア初タイトルを獲得。以降たびたび来日し、日本でも多くのファンに愛されたプレーヤーだった。

 クレーコート育ちのサバチーニは、ベースライン深くから放つトップスピンが持ち球。フォアハンドのフラット系ショットを武器としたグラフに、サバチーニは強烈なトップスピンのバックハンドで対抗した。片手打ちバックで彼女ほど強烈にトップスピンをかける選手はそれまでおらず、女子離れした豪快なスイングで人気を呼んだ。

 この連続写真を見てもわかるように、サバチーニは厚く握ったグリップで、腕を突き出すようにしてボールを捉え、急激にこすり上げるスタイル。それは後のジュスティーヌ・エナンなどにも通じるものがある。

 ただし、サバチーニの場合は回転量重視で、ボールのスピードはまだそれほど速くなかった。フィニッシュを見ても身体の横向きを残すなど(8~9)、安定性を優先した当時の基本がうかがえる。言い方を変えれば、ミスを抑えたい一般愛好家には、今も参考になる部分があるだろう。

【プロフィール】ガブリエラ・サバチーニ/Gabriela Sabatini(ARG)
1970年生まれ。WTAランキング最高位3位(89年2月)。グランドスラム通算1勝(US:90年)。女子テニスでは珍しい片手バックハンドで、強烈なトップスピンのグラウンドストロークを得意とした。90年全米決勝でグラフに勝利し、初のGSタイトルを獲得。グラフとの通算成績は11勝29敗だが、彼女から10勝以上を挙げた唯一の選手でもある。エキゾチックな風貌と親しみやすい人柄で高い人気を誇り、現役時代にはファッションモデルとしても活躍。自身のブランドの香水も発表している。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

↓【動画】サバチーニ、生涯唯一のグランドスラム制覇、歓喜の瞬間

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cat_3_issue_oa-smash oa-smash_0_xalzsnqg1typ_女子テニス史上、例を見ない破壊力! ゴールデンスラマー、グラフのフォアハンド【レジェンドFILE13】 xalzsnqg1typ xalzsnqg1typ 女子テニス史上、例を見ない破壊力! ゴールデンスラマー、グラフのフォアハンド【レジェンドFILE13】 oa-smash 0

女子テニス史上、例を見ない破壊力! ゴールデンスラマー、グラフのフォアハンド【レジェンドFILE13】

2020年10月7日 17:53 スマッシュ

 1980年代終盤、エバート&ナブラチロワ時代に終止符を打ち、ステフィ・グラフが女王の座に就いた。84年のロサンゼルス・オリンピックの金メダルを獲得した時の彼女は15歳。いずれは世界の女王になることがわかっていたとはいえ、その戦績は恐ろしいほどである。

 当然のように88年のソウル・オリンピックでも金メダルを獲得し、全盛期には負けるのは年間に数試合だけ。優勝したことではなく、敗戦したことがニュースになる希有な選手だった。

 彼女の最大の武器は、空前絶後の破壊力を持つフォアハンド。従来のテニスの基本では、ジャンプして打つのはタブーとされていたが、グラフはその常識を覆した。分解写真を見てほしい。足のキックを運動連鎖の初期動作とすることで、腕をより鋭く振り出し、ボールを厚く叩くことを可能にしたのだ。

 また、グラフはこの細かなステップにより、フォアに回り込んで逆クロスに叩くという戦術も取り入れ、相手選手のバックを容赦なく攻撃した。以降、グラフの強打をどう封じるかが女子テニスのテーマとなる。

 今、グラフのフォームを見返してみると、グリップ自体は厚くない。前に入り、早めのタイミングで、高い打点からフラット系のボールを打ち出す――それは現代の最新の攻撃テニスと共通する部分だ。彼女は時代の先を行くテニスをしていたのだと気付かされる。

【プロフィール】スフティ・グラフ/Steffi Graf(GER)
1969年生まれ。WTAランキング最高位1位(87年8月)。グランドスラム通算22勝(AUS:88~90・94年、RG:87・88・93・95・96・99年、WIM:88・89・91~93・95・96年、US:88・89・93・95・96年)。80~90年代にわたり、幾多の偉業を成し遂げた女子テニス界のレジェンド。強烈なフォアハンドと鋭く滑るバックハンドスライスを武器に、オープン化以降2位となるGS22勝を挙げた。男女を通じて史上唯一の年間ゴールデンスラマー(五輪とGS全制覇)で、No.1在位377週は史上1位。引退後は男子テニスのレジェンド、アガシと結婚した。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

↓【動画】グラフ、88年ウインブルドン初優勝の瞬間。ゴールデンスラムへ加速!

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cat_3_issue_oa-smash oa-smash_0_cxuotzp067f5_弱冠17歳でウインブルドンを制したベッカー。代名詞の「ブンブンサーブ」を見よ!【レジェンドFILE12】 cxuotzp067f5 cxuotzp067f5 弱冠17歳でウインブルドンを制したベッカー。代名詞の「ブンブンサーブ」を見よ!【レジェンドFILE12】 oa-smash 0

弱冠17歳でウインブルドンを制したベッカー。代名詞の「ブンブンサーブ」を見よ!【レジェンドFILE12】

2020年10月6日 15:08 スマッシュ

 同じサーブ&ボレーのプレースタイルだが、サーブからボレーまでの流れを重視したステファン・エドバーグに対し、ボリス・ベッカーはその爆発的なサービスでトップに駆け上がった。

 センセーショナルだったのはウインブルドンを17歳で制した1985年。人々は、彼の登場でテニスが変わることを感じ取った。それまでのテニスがテクニック中心の静的なスポーツとするなら、ベッカーのテニスは動的であくまでアグレッシブ。届かないボールに躊躇なく飛びつくダイビングボレーに人々は熱狂した。

 紹介した分解写真は彼のサービスだが、フォームで衝撃的だったのは、極端なヒザの曲げだ(5コマ目)。通常ここまで深く曲げると、かえってパワーロスするものだが、ベッカーは恵まれた脚力もあって、下半身でためたパワーを漏らさず上半身へと伝達できた。

 また、スイング段階でプロネーション(前腕のひねり返し)を強烈に使っていたのも、破壊力を生む重要な要素だった。それまでの選手で10~12コマ目のようにプロネーションを使う選手は見たことがなかった。

 一説には時速250キロを超えたと言われるベッカーのサービス。しかも、1stサービスのみならず、2ndでも1stと同じようにフルパワーで強打したデビュー当時の姿は、サービスというものの概念を根底から覆すものだった。彼の登場で男子テニスのパワー化の波は一気に加速することとなった。

【プロフィール】ボリス・ベッカー/Boris Becker(GER)
1967年生まれ。ATPランキング最高位1位(91年1月)。グランドスラム通算6勝(AUS:91・96年、WIM:85・86・89年、US:89年)。85年に17歳7カ月の大会最年少でウインブルドンを制し、衝撃のデビューを果たす。「ブンブンサーブ」と呼ばれた爆発的なサービスと、派手なダイビングボレーで一世を風靡した。ウインブルドンでは3度の優勝、4度の準優勝など大活躍。14~16年にはジョコビッチのコーチを務めた。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

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「貴公子」エドバーグ。端正なマスクと流れるようなサーブ&ボレーに世界が酔った【レジェンドFILE11】

2020年10月5日 14:58 スマッシュ

 現在は選手のグラウンドストローク力が上がり、お互いにベースラインで打ち合うラリー戦が中心だが、1980年代後半から90年代にかけて、サーブ&ボレーヤー全盛の時代があった。

 その時代の先頭を走っていたのがステファン・エドバーグとボリス・ベッカー。ウインブルドンでは85~90年の6年間のうち、5度にわたり2人のどちらかが優勝を飾っている。同時にエドバーグのスウェーデンとベッカーのドイツの両国が、世界一の覇を競い合ってもいた。

 とりわけ世界中のテニスファンを虜にしたのはエドバーグのプレーだろう。彼はサービスとボレーを単体で武器としたのではなく、両者をセットにしてプレーを構成した。滞空時間の長いスピンサービスでより前に詰め、ボレーで仕留める。それは流れるような美しさだった。

 もちろんボレーの技術も超一流。この分解写真はリターンが低く食い込んできた状況だが、低い体勢でボールに入った後、軽くジャンプしながら身体を逃がし、コースをクロスに切り替えている。類まれなセンスを感じさせるバックボレーだ。

 ただし、リターンの能力が格段に進歩した現代テニスでは、残念ながらもうエドバーグのようなサーブ&ボレーは見られなくなった。常にスピン系のサービスでネットに出て行けば、パッシングの餌食になってしまう。それ故に今、彼のプレーを写真や映像で目にすると、その優雅さが余計に際立つのだろう。

【プロフィール】ステファン・エドバーグ/Stefan Edberg(SWE)
1966年生まれ。ATPランキング最高位1位(90年8月)。グランドスラム通算6勝(AUS:85・87年、WIM:88・90年、US:91・92年)。ストローカーの多いスウェーデンにおいては異例のサーブ&ボレーを武器に世界の頂点に君臨。端整なマスクから日本では「貴公子」と呼ばれ、高い人気を集めた。フェアプレーぶりでも有名で、5回にわたりATPの年間スポーツマンシップ賞を受賞。96年には同賞が“Stefan Edberg Sportsmanship Award”と名付けられた。2014、15年にはフェデラーのコーチを務めた。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

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cat_3_issue_oa-smash oa-smash_0_8pzjzavzb92h_オージー伝統のサーブ&ボレーで勝負したキャッシュ。下半身の強さが特徴的【レジェンドFILE10】 8pzjzavzb92h 8pzjzavzb92h オージー伝統のサーブ&ボレーで勝負したキャッシュ。下半身の強さが特徴的【レジェンドFILE10】 oa-smash 0

オージー伝統のサーブ&ボレーで勝負したキャッシュ。下半身の強さが特徴的【レジェンドFILE10】

2020年10月4日 19:34 スマッシュ

 今はあまり聞かなくなったが、かつてテニス界には「アメリカン・テニス」、「オーストラリアン・テニス」という言葉があった。アメリカン・テニスは強烈なサービスをバックボーンにしたパワーテニスを意味し、オーストラリアン・テニスはコート全体を使うオールラウンドプレーのことを意味した。

 その体現者がこのパット・キャッシュや、彼の後継者とされるパトリック・ラフター。ショット単体の威力ではなく、ショットとショットを融合させた流れるような攻撃が魅力で、速いサーフェスを得意としていた。

 キャッシュの生涯唯一のグランドスラム優勝は1987年のウインブルドン。このことからもわかる通り、キャッシュは速いコートで力を発揮したサーブ&ボレーヤーだ。

 ただし、マッケンローやエドバーグのように天才的なボレーセンスを持っていたわけではなく、粘っこく、深くコントロールしていくのが、キャッシュのネットプレーの特徴。練習によって培ったそのボレーは、一般プレーヤーにも参考になるタイプだった。

 このバックボレーの分解写真にも、キャッシュの基本に忠実なボレースタイルが表れている。重心を低くしてボールに入り、打球後もヒザを深く曲げて体勢をキープ。フォロースルーは小さく、ボールを強く叩くタイプのボレーではない。

 足腰の強さを生かした堅実なネットプレーは、オーストラリアの伝統的なスタイルと言える。

【プロフィール】パット・キャッシュ/Pat Cash(AUS)
1965年生まれ。ATPランキング最高位4位(88年5月)。グランドスラム通算1勝(WIM:87年)。特に芝で活躍したサーブ&ボレーヤーで、87年ウインブルドン決勝では、レンドルをストレートで破って優勝。オーストラリアの男子テニス選手としてはジョン・ニューカム以来14年ぶりの覇者となった。デビスカップ代表選手としても、83~90年まで8年連続で出場し、オーストラリアの優勝に2度貢献。ロック好きで知られ、マッケンローとバンドを組んでレコードを発売したこともある。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

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