金子恵美 撮影/森田晃博
「私は夫を許しました。今、とても幸せです」
「怒りよりも悲しみの感情が強かった」
「宮崎からあの話を聞いたのは、出産直後の深夜でした。彼はそれをなかなか切り出せず、肝心の話に入るまでに1~2時間はかかったでしょうか。私も20時間以上かかった初産の後で疲労困憊。ようやく宮崎が“文春に載る”と重い口を開きました。
「“終わった”と思ったそうです。でも、どうしても子どもの顔を見たい気持ちもあって死にきれずに私の病室にやって来た。入って来たときに顔色が真っ青で生気がなく、何かあったことはすぐにわかりました。話を聞いた後、思うところはありましたが、出産の日の夜ということもあって“家族でやっていく”ことを考えました。
“許すチカラ”を与えてくれた息子
「宮崎は本当に弱っていたので1人ではどうにもならない。私が支えるしかない、と思いました。私はそのとき37歳。結婚した年齢もあったかもしれません。今でこそ30代後半での結婚・出産は多いですが、20代で結婚する方に比べて決して早くはない結婚でしたから。
子どもは私たち夫婦に力を与えてくれたし、子どもから父親を奪ってはいけないと私に示唆してくれた。本当の意味で許すチカラを私に与えてくれた息子に感謝しています」
「実は宮崎は、子どもが生まれる直前にも週刊文春から直撃されていたんです。私の出産に立ち会っていたときにも心ここにあらずで。妻が産気づいて、やっと“大変なことをしてしまった”と。そこで気づいても遅いんですけど(笑)。
“生まれた瞬間からわが子に大変な十字架を背負わせることをしてしまった”……とものすごく反省したと言っています。父親になった今では、いずれ不倫の事実が子供にばれたとしても、『あんな父親といたくない』とは決して言われないだろうな、と安心できるくらい父親と息子の関係を日々築いています」
“馬鹿夫婦”でいい。夫婦の形は人それぞれ
「宮崎の第一印象? 議員として登院した初日に声をかけられて“少し軽い印象だな”と思いました(笑)。でも、人間が好きな人なんですよ。騙されやすくて。人の懐に飛び込みながらも憎めない。可愛いなと思ってもらえるギリギリの線で踏みとどまれるんです。
私にない部分だから、そのリスペクトも含めて彼が好きなのかもしれません。政策立案や勉強会でわからないことがあると、“菅先生(現菅総理。当時は内閣官房長官)のところに行って聞いてくる”とか平気で言うんですよ。先生のところにお茶を飲みに行ったりして。
「彼の高校の同級生や最初の会社を立ち上げた仲間が、順番に議員宿舎にこっそり来てくれました。不倫騒動があって不幸だねって周りからは見られていたと思うんですが、あの宿舎の中の日々は実はとても幸せで彼に惚れ直すエピソードもいろいろあったんですよ。石原さとみさんも“結婚相手の方の後輩への指導が素敵”と話していましたよね」
「“損して得取れ”です。“馬鹿夫婦”と言われても、夫婦にはいろんな形があることが世間に伝わればいい。“なぜあんな男と別れないのか”と言われて、私は“いずれ私が宮崎と別れない理由がわかります”と言い返したことがあります。
誰だって、自分の許せること、許せないことがある。自分は自分の価値観を信じればいい。だからこそ他人の考えや多様性も受け入れられるし、それが許すチカラにつながるのだと思います」
金子恵美(かねこめぐみ) 1978年、新潟県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。新潟放送勤務を経て、新潟市議会議員選挙に立候補し当選。県議会議員を経験後、衆議院議員へ。10年間の議員生活を経て、現在はテレビコメンテーターなどを中心に活動。10月、著書『許すチカラ』を上梓
《取材・文/ガンガーラ田津美》