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「いっぺん死んでやり直そう」自殺相談で多くの人を救う僧侶

2018年10月20日 19:51 週刊女性PRIME

「今年はじめ、子どもの高校受験が近づくにつれ、不安や苛立(いらだ)ちが激しくなってきたんです。友人に相談したら、お寺の住職さんがやっているワークショップがあると。大切なものが見えてくるからとすすめられたんです」

 そう話す愛知県の川上久子さん(仮名、40代)が向かった先は岐阜県関市、田園風景の中に佇(たたず)む大禅寺。住職の根本一徹(僧名・紹徹)さん(46)が迎えてくれた。顔はちょっと怖いけど不思議な安心感があった。

大禅師の住職、根本一徹さん

 畳の部屋に案内された。8人の参加者が集まると、根本さんが4つの質問を投げかけた。

「大切な人」

「大切なもの」

「大切な思い出や時間などの物事」

「やり残したこと、もしくはやり続けたいこと」

 それぞれの問いに3つの答えを考える。そして1つの答えを1枚の紙に書く。合計12枚の紙が机に並べられた。川上さんは大切な人に2人の子どもや夫の名前を書いた。

 根本さんは次に、「12枚からまず3枚丸めて捨ててください」と言った。少し迷いながら3枚を取り、感慨深げに丸める。残った9枚から3枚ずつ捨てていき、さらに残った3枚から2枚を捨てる。この段階になると決めるのにかなり時間がかかる人もいる。そして最後に残った1枚も捨てる。

「すべてを失ってしまいました。これが死です」

 根本さんは淡々と、しかし神妙な表情でそう言った。参加者はみな自問自答するような表情をしていた。川上さんもその間、意外な判断を思い返していた。

「2回目に捨てる段階で、最後まで残ると思っていた子どもと主人を捨てていました。ずっとこの子たちを自立させなきゃとか、大丈夫かと心配していたけど、心のどこかで信じていたんだ、だから心配しなくても大丈夫だということに気づいたんです。肩の荷が下りて、イライラすることもないんだと思いました」

 最後に残った1枚、それは「感謝」─子ども、夫、親など、これまで世話になった人への感謝だった。

「子どもに育てる喜びをもらっていたのだとわかったんです。そう思ったら感謝の気持ちがあふれました。信頼関係こそが愛情なんだってこともわかって、ガミガミ言わなくなりました。受験もこの子なら大丈夫だって。私が変わると、子どもは敏感ですね、自立心が芽生えてきました」

 うれしい変化がもうひとつあった。夫が洗濯、食器洗いなどを手伝ってくれるようになったのだ。理由は怖くて聞けないというが、妻の変化に何かを感じ取ったのだろう。

「おかげさまで心が軽くなりました。ワークショップの最後、世の中に残したいことを話して、顔に白い布をかぶせられ、一徹さんの読経を聞いて見送られるんですが、生まれ変わった感じがします。一徹さんの読経も心地よく、大木みたいでブレない存在感とあたたかい感じがしました」

 このワークショップはキリスト教のデス・エデュケーション(死の教育)にヒントを得て、根本さん流にアレンジしたものだ。自身の患者(クライアント)にもこの方法を試した、知人の心理カウンセラー、桜井健司さんによると、

「この方法で、意識と無意識の間にある前意識という、普段は気づけそうで気づけない意識をうまく引き出せます」

 根本さんはこの方法を「旅だち」と呼ぶ。1度死に、生まれ変わって再出発、という気持ちにピッタリはまる。

 川上さんのように、家族や仕事のことなどで、不安や苛立ちを抱えている人はたくさんいる。根本さんは、こうした人が生きやすくなる活動に今、力を入れている。

「心の状態が普通のレベルをゼロとして、川上さんのように少し落ちぎみのマイナス1~3ぐらいのときにケアすれば、わりと簡単に立ち直れる。マイナス9とか10までいくと、死にたくなったり回復に時間がかかるけど、症状が軽くて深みにはまらないうちに手を打とうというわけです」

夜中でも、沈黙30分でも電話相談


 終始、穏やかな表情で話す根本さんだが、実は14年間、自殺願望のある人の相談活動に明け暮れてきた。妻の裕紀子さんによれば、相談の受け方が凄(すさ)まじいという。

「午前中、お寺で相談を始めても夜までかかって結局、泊まっていかれる方もいました。電話による相談も多かったですね。夜にかかってくることが多くて、話が終わったかと思ったら、また別の人の電話を取り、一段落しても夜中1時を過ぎても違う人から電話がかかるという状況でした。東京などにも相談者がいて、必要に応じて会いに行ったりすることもありました」

 とにかく時間を惜しまず、とことん話を聞くのだ。

 根本さんは、何枚もの模造紙を見せてくれた。相談者が話した内容を書き留めたメモだ。いくつもの色で字が書いてある。理由を聞くと、話をしたときの感情で分けているという。例えば、赤は興奮しながら話した内容、緑や青は淡々と自然な感じ、紫はナイーブな感じ……と分ける。色を見ながら気持ちの変化がひと目でわかるのがいいという。

 根本さんが納得いくまで尋ねるのが、「死ななければならない理由」である。

「死ぬって言っている人に説明してもらっても、納得できる回答をくれる人ってほとんどいません。疑問を投げかけていくと説明しきれない場合もあって、“これで死んだらバカですかね?”とか“こんなことで死ぬなんて笑っちゃいますよね”と言い始める人もいる。そんなとき私はこう言うんです。“それなら、死ぬのを先延ばししてもいいんじゃないですか?”って」

 ただ、その気づきにたどり着くまでには時間がかかる。心の中を整理して言葉にするまでの間、ずっと沈黙が続くこともあるという。沈黙はときに30分に及ぶ。

 話だけで難しい場合には、体験によって気づくこともある。前記の「旅だち」で、どの質問にも答えられない男性がいた。自殺願望が強く、未遂を繰り返していた人だ。

「やり残したことがないということは、まだ生きてもいなかったんだと。生きてもいないのに死ぬわけにはいかないですねって。そのとき彼、目から鱗(うろこ)が落ちたと言っていました。それ以来、彼は自殺未遂をしなくなりました」

 相談者との面談では、座禅を取り入れることもある。有名企業に勤務する20代後半の島田理津子さん(仮名)がそうだった。初めて大禅寺を訪れたとき、身体が重そうで表情もどんよりしていた。責任感が強く、優しいからだろう、上司から頼まれた仕事を従順に受けるうち、オーバーワークになり、自殺をすることしか考えなくなったという。

 心療内科の病棟に3か月入院し、強い薬を飲むうち、副作用なのか、誰もいないキッチンで音が聞こえるようになる。眠れないので入眠剤を飲むと、自分の足元に人が立っているのが見えたという。

 ひと通り話を聞いて、座禅をすすめてみた。1回、2回、やってみるとセンスがいい。夕刻、3回目の座禅が終わったとき、号泣していた。

「夕焼けの田園風景がきれいです。光の高さが素晴らしい」

 心の中に光や風が入ったのである。以降、自宅のベランダで夕方、座禅するようにすすめた。すると2週間後、怪現象が消失。薬を手放し、職場にも復帰した。

 島田さんのケースもそうだが、相談を受けた日に何らかの解決策を見つけることを、根本さんは目標に置いている。

「ハッピーエンドになれば、笑顔で見送れたり、電話を切ったりできます。すると私は身体こそ疲れているけど、ストレスがないわけです。達成感がある。だから長く相談を続けられたのだと思います」

 しかし1度はよくなっても再び「死にたい」というメールや電話をしてくる人もいる。そういう人に根本さんは必ず言うことがある。

「死にたくなったら俺の顔を思い出してくれよ。怒るからな、勝手に死んだら。どうして自殺をしなければならないかを最後に聞かせてもらわないと成仏できないからな!」

 そう伝えておくと、みな、自殺寸前に根本さんの怒った顔が思い浮かぶのだという。そうしてまた電話で話をし、解決策を見つけていく。

 これまで数々の相談を受けてきたが、根本さんが直接本人と話して、自殺をした人はひとりもいないという。

派手に遊ぶ“ナイフ”のような学生


 それにしても、なぜ根本さんは、これほど自殺しようとする人に関わるのだろう。

 母親・智恵子さんによると、友達のことを放っておけないタイプで、面倒をよく見る子どもだったという。

「私がサラリーマンになれって言っても、“俺は会社のために身を粉にするのは嫌だ、人のために生きるんだ”と言っていたのを覚えています」

 根本さんが生まれたのは1972年。一徹という名は、当時人気の野球漫画『巨人の星』に登場した星一徹から取った。智恵子さんが「イッテツ」という音の響きが好きだったのだ。育ったのは東京都品川区。友達が多かった。

「空手とか音楽のバンドとかやって、遊び好きで、ぜんぜん家にいないメチャクチャな子でした。性格は悪くないんだけど、いつも“ちゃんとしろ”と言っていました」

 高校を卒業後は、昼間、仕事をしながら慶應義塾大学の通信制で学んだ。仕事は、クルーザーの運転手。サンセットクルーズを楽しむ人やゴルフに行く人を送ったりした。

 大学の学習サークルの仲間だった武田光司さんは当時の根本さんをよく覚えている。

「バイクが大好きで、よく酒を飲んで、クラブなどで踊り狂って、ときにナンパもしていましたね。それに議論が好き。みんなと楽しく飲んでいるのもおかまいなしに、怒鳴り合いながら激論を交わしていることもありました」

 軟派かとも思うが、違う。

「目力の強さは圧倒的でしたね。極真空手をかなり極めていて、ナイフのような鋭さがありました。“触ると切れるぞ”という危うい雰囲気を醸し出していました」

 正義漢でもあった。例えば街角で殴り合いのケンカを見ると放っておけず、躊躇(ちゅうちょ)なく仲裁に入っていた。

「彼の行動の背景には、彼も僕も大好きな中国の歴史や思想があるんです。とくに『義』や『義侠心(ぎきょうしん)』。けっして見返りを求めず、人のために尽くすという精神です」

「カリスマ性」もあった。相手が誰であろうと差別なく受け入れるので、根本さんの周りには自然と人が集まった。

大切な3人の自殺に苦悩


 ’96年、24歳になった根本さんを悲劇が襲う。朝、大学へ向かう途中、停止していた根本さんのバイクに、クルマが突っ込み、重傷を負ったのだ。

 しかし悪いことばかりではなかった。入院先の病院で、将来の伴侶(はんりょ)となる裕紀子さんと出会ったからである。

「私は同室のお年寄りの担当だったんですが、看護学生だった私に、主人が声をかけてきました。第一印象は、ヘンで怖そうな人。でも話してみると面白い人でした。気がつけば、病室の掃除担当の男性も主人の周りに来て、仲よくなっていて、今までに会ったことのない人でしたね」

 交際を深めるうちに、根本さんの意外な一面を知ることになる。それは、「人は何のために生きるのか」といった哲学的なテーマに興味があるということだ。哲学者の小阪修平氏が主宰するグループに入って勉強もしていた。そんなことにあまり興味のない裕紀子さんは最初、不思議に思ったが、のちにその理由がわかる。大切な3人を自殺で亡くしていたからである。

 1人は、幼いころから可愛がってくれた母方の叔父、2人目は、近所の中学の同級生、3人目は、高校時代、ハードロックバンドを組んでいたときの女子メンバー。

「共通しているのは、3人とも自分もこうなりたいと憧れるような素晴らしい人だったことです。中学の彼女なんかは、ゴキブリを手で逃がしてあげるほどの優しい子だった。そういう人がなんで自ら命を絶たざるをえないのか。“生きる意味って何か”ってことは自然と私の問題意識の中心になりました

 大学を卒業したころ、物書き志望でもあった。しかしそれだけでは納得できず、僧侶になろうかと思い始めていた。そんなときである、母親の智恵子さんが「僧侶募集」と書いた求人広告を持ってきたのは。そこには「経験不問」とある。「お寺に入ればちゃんとするだろう」という智恵子さんの親心なのだが、根本さんにとっては渡りに船だった。

 応募すると見事、採用。勤務したのは、都内にあるペット供養で有名なお寺だった。しかし仕事の合間に本を読むと、厳しい修行のことが書かれていた。自分もそこに身を置きたいという情熱がむくむくと湧いてきた。

 同居していた裕紀子さんを東京にひとり残し、根本さんは先輩僧侶からの情報を頼りに、岐阜県の梅龍寺の門を叩(たた)き、弟子入りを志願する。半年ほど小僧修行した後、厳しい修行で有名な正眼寺(岐阜県)の僧堂に入ることを許される。正眼寺はパナソニックの創業者、松下幸之助氏や野球の王貞治氏なども訪れる著名な寺でもある。

 禅宗では、365日24時間すべてが修行といわれる。朝3時半に起きて、掃除や10升のごはん炊(た)き、薪(まき)を山に取りに行くという修行。日によっては家々を回ってお米や食糧などをいただきにいく托鉢(たくはつ)をしなければならない。すぐにお米をくれる人もいるが、水を撒(ま)かれて帰れと言われることも珍しくない。お腹が減る。幻覚で石が饅頭(まんじゅう)に見えて口にする者もいた。身につけた黒の法衣(ほうえ)は4年もたつと日にやけて薄い青に変色した。夜は座禅や経典の勉強で寝るのは12時を回った。そんな当時の夢は、5時間寝ることだった。

 僧堂で3年後輩の木原大萌さんは、異彩を放つ根本さんの姿をよく覚えている。

「上下関係が厳しいのは修行道場の常ですが、根本さんが理不尽なことをおっしゃることは1度もなかったです。食事を煮炊きする役割を任されても、普通は丁寧に教えてはくれないものです。でも根本さんは、できない人にも、どうしたらわかるかを考えながら、いろいろな方法で、ユーモアも交えて教えていました。相手がわからないのは自分の教え方が悪いのだ、という姿勢でした」

自殺予防活動でボロボロに


 修行生活が4年半を過ぎたころ、僧堂への道を開いてくれた老師が亡くなった。根本さんはいったん寺を出て、修行で得たものが、どれだけ社会で役立つか試そうと決心する。

 都内に戻り、ハンバーガーショップでアルバイトを始めたのだ。同じアルバイトの学生たちを相手に話していると、将来に悩みを抱え、自殺願望があることを知る。

 自殺した3人のことを頭の片隅において生きてきた根本さんは、その問題を放っておくことができなかった。学生相手に、ファミリーレストランのドリンクバーで朝まで相談に乗ることもあった。

 ’04年、mixi(ミクシィ)にサイトを開き、生きづらさや悩みを抱えた人が交流を図る場をつくった。

 そのうち「死にたい」と気持ちをはき出せるサイト『消えない人』も立ち上げた。

「書き込みを見て、同じ悩みを抱えた人がこれだけいるのかと知っただけで、私ひとりじゃなかったと思えて、気持ちが軽くなる人がいます。モヤモヤしたものをはき出せる場所って大切なんですよね。“孤独じゃないんだよ、消えないでほしい”という願いを込めて運営していました」

『消えない人』の活動が発端となり、自殺志願者の相談にも乗るようになる。

 ’05年から、いまのお寺の住職になり、自殺予防活動をする僧侶として、メディアにも取り上げられるようになった。それに伴い、講演の依頼も増えたが、当時はまだ新人住職。「住職業務に専念すべき」という周囲の声も多数あった。

 誰の支援もなく、たったひとりの奮闘が続いた。

 そのころ、珍しく友人の武田さんに弱音を吐いたが、

「たとえ活動をやりすぎて、寺の運営が成り立たなくなって破門されても、自殺予防活動はやめないから」

 と話していたという。

 結婚後、数年がたっていたので、成り行きが心配されたが、幸いお咎(とが)めはなかった。

 ただメディアに出るたび、相談者や自死遺族からのメールや電話の数はグンと増えた。そうして前記したように、寝る時間を惜しむように相談に明け暮れる状況に陥り、潰(つぶ)されそうになっていた。いくら解決策を見いだす相談であっても、ほぼ毎日、同じペースで対応すれば、それによるストレスは計り知れない。

自分、妻、息子に目を向けて


 ついに、心臓が悲鳴をあげた。狭心症の発作を起こし、入院。血管の詰まった箇所をふくらませる手術を行った。

 そのときばかりは、日ごろ遠慮がちな母・智恵子さんや妻・裕紀子さんも相談を減らしてはどうかと言った。しかし根本さんは、首をタテには振らなかった。

 次第に考えが変わっていったのは、今年5歳になる息子、徹平君のことも考えた結果だ。

「とにかく忙しくて、父親らしいことはあまりできていなかったのでね。女房から、子どもには言葉で言っても理解できないから、背中で教えてねと言われていました。でも長く生きなければ、伝えたくても伝えられない。人のことを気にかけるのはいいけど、それに家族を付き合わせているわけで、そこは反省しなければいけないと思いました」

 修行時代、老師と交わした会話を思い出したのかもしれない。根本さんは老師に尋ねたことがある。「修行を積むことで人を救えるのか。救えないのなら、仏教は何のためにあるのか」と。老師は答えた。「人を救おうといっても、ひとりを救うことは大変なのだ」

 座禅をしつつ老師の言葉の真意を考えていると、わかったことがあった。「ひとりを救う」のひとりとは、「私」のことではないのか、と。

「相手とともに自分も救われなければ、本当の救いではない」

 言い換えれば、自分が救われていなければ、本当の救いにはなっていないのである。

もっと多くの人を救う新たな手段


 その後、相談ルールを変更した。誰彼かまわず電話での相談を受け入れるこれまでの方法をやめて、最初はお寺で直接会って話をすることを条件にした。それ以降は、電話などによる相談もできる。

 そうした変化と並行して動き始めたのが、楽しいこと、つらいことをみんなで考えるネットワーク『一徹.net』だ。友人の武田さんも事務局長を務め、活動を支えるようになった。冒頭で紹介した旅だち、座禅、ヨガ、アート、音楽などを取り入れたワークショップを開催し、心と身体の健康を整える取り組みだ。時間をかけて死にたいと訴える人を救う水際作戦よりも、ちょっとした生きづらさを感じる人にも目を向けることで、多くの人を救える可能性があると考えた。

 実は、こうしたワークショップでできた仲間を、根本さんは人を救う力にしようと考えている。自分がひとりで救える人は限られているし、自分以外にも救える力をもつ人がいるはずだと思っている。そう考えるのは、厳しい修行で得た実体験があるからだ。

 根本さんによれば、修行僧は、精神的に追い込まれノイローゼ状態になることが多いという。根本さんも経験した。大切なのはそこからだ。

「苦しい状態を脱することができたら、何かを見つけられるんです。それだけ強くなれる。言い換えれば、悩んだまま死ぬのって、すごくもったいないことなんです。文豪だって自殺に追い込まれそうになりながら人の心の中に染みわたる作品を残す。作家でない市井の人だって、苦しみを乗り越えることで、人を救えるようになると思うのです。そういう人を“最強の素人集団”と言っています」

 振り返れば、根本さんは、自殺防止や心理療法を専門的に学問として学んだわけではない。だからこそ、悩みながら慎重にやってきたわけ だが、これまで多くの人を救ってきた。

 心理カウンセラー・桜井健司さん(前出)は、個人で続けてきた相談の受け方は、心理学的に裏づけのある内容と重なるものが多いという。

「座禅も瞑想(めいそう)法によるマインドフルネスと類似する部分がありますし、アートは芸術療法、ダンスも表現芸術療法といって、心理療法の一分野になる。自分の体験からそれを着想できるところが、センスのいい人だなと思います」

 相談の際、いくら話しても「死ぬ」という人には、死なない約束をするのが一般だが、根本さんは相談者に「死んでいる場合じゃないんだよ」と言うことがまれにある。

「それが言えるのは、長い時間をかけて信頼関係を築いて、可愛がってくれている親戚のおじさんに叱られていると、相手が思うような関係性になっているから」と桜井さん。

 9月8日、根本さんの活動を描いた映画『いのちの深呼吸』が公開された。アメリカ人監督ラナ・ウィルソンによる作品で、命を削るように相談を受けるシーンが随所に映し出される。息が詰まるような映像を見ながら、改めて、根本さんを癒す場所はどこなのかと思う。クラブで踊ることもそうだろう。

 最近は、一緒に遊ぶ時間が増えている息子との時間も貴重な時間だ。しかしもうひとつある。それは裕紀子さんの存在である。

 今回の取材で、根本さんが席をはずしたとき、裕紀子さんに聞いた。「ご主人、弱音吐くことないですか?」と。

しょっちゅうです。“疲れたな~”とかはよく言っていますし、シュンとしていることもあります。“もう、俺、いい”って投げやりになっていることもある。そう言われても私も反応のしようがないので、黙って聞いてます」

 そんな夫を支えるのは骨の折れることだと思うけれど、なぜ続けられるのだろう? 

 すると、ひと言、

「飽きないから(笑)」

 これからは新しい仲間づくりの中から、生きづらさを解消する、あるいは生きるのが楽しくなる、いろいろなアイデアが生まれてくるだろう。ますます飽きない根本さんの活動が続くに違いない。

(取材・文/西所正道 撮影/齋藤周造)

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伊調馨に火をつけた谷岡学長のあの言葉

2018年10月20日 19:51 週刊女性PRIME

伊調馨

 1回戦をポイントで10点差以上つけて勝利、2回戦もフォール勝ち。決勝戦は3分34秒でフォール勝ちし、3試合とも格の違いを完全に見せつけての完勝となったレスリング女子、五輪4連覇の伊調馨(34)。

 2016年リオデジャネイロ五輪以来、2年2か月ぶりの実戦となる全日本女子オープン選手権の57キロ級に出場して、優勝を果たした。

 4連覇を達成したリオ五輪後は、現役を続行するか引退かの判断を保留してきた伊調。そして、今年の1月、元強化本部長の栄和人氏によるパワハラ問題が発覚した。

3人へのリベンジ


 第三者委員会によって伊調も被害を受けていた1人として認定を受けた中、春頃から試合を見据えた練習を始めてきたという。

「オリンピック以降は、所属先の広報部でデスク業務などもこなしていて、現役選手に戻る気がないのでは、と思った時期もありました。パワハラ騒動後に、そんな伊調を一番奮い立たせたのは『そもそも選手なのですか?』という至学館大学の谷岡郁子(64)学長の一言だったようです」(レスリング関係者)

 公の場に姿を現さなかった伊調は、ロングヘアーをバッサリと切ってマットに戻って来た。レスリング関係者が続ける。

「編み込みをするなど、ロングヘアーにこだわっていた彼女がショートにするなんて、強い意気込みを感じます。2年前の筋骨隆々とした時に比べれば、やや細身に感じましたが、試合展開は全く問題ありませんでしたね」(レスリング関係者)

 リオ五輪の時には、女子レスリング界を共にけん引してきた53キロ級の吉田沙保里(36)が決勝で敗れる中、伊調は母トシさん(享年65)の死を乗り越え、女子個人種目で世界初となる4連覇を達成した。

 五輪後には国民栄誉賞を受賞。伊調のメンタルの強さ、そして集中力にはすさまじいものがあると、スポーツ紙記者が言う。

「その吉田沙保里も栄コーチ側の人間ですからね。栄コーチの解任後、至学館大学のレスリング部は、谷岡学長に託されています。吉田は選手兼コーチという役割をしていますし、引退後の至学館幹部への道は約束されています。

 そんな吉田は騒動の時も自分は知らぬ存ぜぬで、伊調を擁護することもなく一言も発言しませんでした。伊調にとってこの大会の結果は、栄コーチ、谷岡学長、そして吉田沙保里へのリベンジでもあり、東京五輪へつなげる大切な試合だったのです」(スポーツ紙記者)

 五輪までの道のりの険しさを知るだけに、大会後の会見では「そこまで気持ちを作れていない部分もある。五輪へは覚悟が必要」と言葉を選んだが、「100%の環境を整えつつ(状態が)上がってきたと思えるなら、見えてくると思う」と続けた。

 その目に宿る闘志に、衰えはなかった。

<取材・文/宮崎浩>

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70代監督のお触り・ハグ・キス攻め疑惑に戦慄!

2018年10月20日 19:51 週刊女性PRIME

選手を集めて総監督=写真中央=がげきを飛ばす(東京富士大学HPより、一部加工)

 8月の世界選手権で日本代表が銀メダルをとった女子ソフトボール界に名将のセクハラ裁判の衝撃が走った。

「報道されてから総監督は練習に来なくなって……」

 と困惑した様子で話すのは強豪・東京富士大学(東京都新宿区)女子ソフトボール部の現役部員の1人だ。

おぞましい行為が30分続いた


 昨年12月、同部の元部員で20代のA子さんが70代総監督から度重なるセクハラを受けたとして、総監督と大学に対し計約1100万円の慰謝料などを求める裁判を東京地裁に起こしていたことが今月3日に判明。総監督は国内外の実業団を指導・優勝させた実績もあり、'13~'15年には関東大学選手権で同部を3連覇に導いている。

 訴状などによると、'16年春ごろの合宿で、当時監督だった総監督は当時4年のA子さんを「ひとりで監督室に来るように」と呼び出した。

 部屋でイスに座っていた総監督はA子さんに「ここに座りなさい」と自らのひざの上に腰かけるように何度も訴えてきたという。最初は拒否していたA子さんが押しに負けて従うと、後ろから抱き込むように両手を回し、額を背中にくっつけてきたとしている。

「おぞましい行為は約30分も続き、A子さんが耐えきれなくなって立ち上がると、今度はベッドに座るように言われた。総監督はA子さんの隣に座り、胸や太ももなどを触ったり抱きついたりしてきたそうです」(A子さんの知人)

 抵抗するA子さんに総監督は「赤い糸でつながっている」「私が脱げと言ったら脱げるだろ」などと発言、さらに選手生命を盾に取った口止めもしてきたという。

「彼女は総監督にソフトボール人生を支配されていました。名将である総監督には逆らえないし退部すればソフトボールができなくなり大学にもいられなくなる。就職も危うくなるという状況でした」

 とA子さんの代理人弁護士。

 その後もA子さんは総監督のセクハラに耐えながら練習に参加したが、ストレスから'16年8月に倒れ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と不眠症を診断された。大学に相談すると、すぐさま調査が開始されたという。

「この調査に対し、総監督はA子さんをひざに乗せたことや抱擁は認めている。ただし、セクハラではない、好意はなかったと主張している」(前出・A子さんの弁護士)

 さらにほかの部員からも「私もキスされた」などと被害を訴える声が続いたという。

「大学は'16年9月に当時監督だった総監督を解任しましたが、その1か月後には総監督として復帰させている。処分も謝罪もなかった。A子さんは“このままもみ消されたら後輩たちにもセクハラをするかもしれない”と裁判を起こしました」(前出・同)

 総監督は裁判の準備書面で、A子さんを10~30秒ほどひざの上に座らせたことは認めたが、“腰痛の痛みが強く、立って見送ることがつらかったため”などと主張。スキンシップだったと訴え、1度は認めた抱擁については否定した。

関係者らは回答を跳ねのけ……


 総監督と大学は裁判をどのように受け止めているのか。

 総監督の代理人弁護士に取材を申し込むと「係争中のためお答えできません」。練習に来ず、今どうしているのか尋ねても「何も答えられません」の一点張りだった。

 東京富士大学の代理人弁護士も「係争中の件のため、お答えできません」と答えた。

 専門誌『ソフトボール・マガジン』(ベースボール・マガジン社)の'15年5月号で、総監督は《ソフトボールを通じて人間教育をするということが大事》などとインタビューに答えていたが……。

「学校からも監督からもセクハラ裁判について説明はありません。今は大会中だからまずは練習に集中しようと部員は話しています」

 と前出・現役学生は複雑そうな表情で語った。

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cat_1_issue_oa-shujoprime oa-shujoprime_0_06591c3bd1bb_あなたは好き? 織田裕二のイメージを緊急調査 06591c3bd1bb 06591c3bd1bb あなたは好き? 織田裕二のイメージを緊急調査 oa-shujoprime 0

あなたは好き? 織田裕二のイメージを緊急調査

2018年10月20日 19:51 週刊女性PRIME

織田裕二

 普段感じていること、あるいは口には出せないホンネ、はたまた口が裂けても言えない秘密。──匿名という条件のもとに、ぜんぶ白日の下にさらけ出します! 女性のセキララなアレコレを、いろんな角度からアナリティクス(分析)!  数字はウソをつきませんよ♪

===織田裕二=時代遅れ? 不変のイケメン?

永遠すぎる二枚目への世間の評価===

 27年前の『東京ラブストーリー』で話題になり、『踊る大捜査線』でその地位を不動のものとしたのが、織田裕二。このたび、10年ぶりの“月9ドラマ”『SUITS』で主演、初回視聴率14.2%、第2話も11.1%というかなりの健闘ぶりが話題になっています。しかしネットを見渡すと、なかなか賛否両論を持つ御仁でもありますよね。

 そこで20〜30代の女性200人に緊急アンケートを実施。ぶっちゃけ、織田裕二のイメージって?(全15項目の選択肢から当てはまると感じるものを複数回答)

 まずはズバリ聞いてみました。好き? それとも嫌い? 理由とセットで見ていきましょう!

◆昔も今も興味がない 22.0%

「演技力が低いし今の時代の雰囲気に合っていない」(32歳・兵庫県)

「暑苦しい感じが苦手なので」(30歳・東京都)

◆昔も今も好き 12.0%

「プライドを持って役者をしているように見えるから」(29歳・大阪府)

「踊る大捜査線のときから好きですし、演技も上手だと思うため」(25歳・福井県)

◆昔は好きだったが今は興味がない 10.5%

「東京ラブストーリーの頃の勢いのある熱い感じが好きでしたが、世界陸上での織田裕二があまり好きではなく、そこから興味が薄れていきました」(38歳・北海道)

「昔ほど華がない。 織田裕二が出るから面白いという気持ちはない」(36歳・千葉県)

◆昔は嫌いだったが今は好き 1.5%

※コメントなし

◆昔も今も嫌い 1.0%

※コメントなし

「昔も今も興味がない」が一番多いという結果になりましたが、「昔も今も好き」が12.0%。一方で10.5%が「昔は好きだったが今は興味がない」、すなわち同じくらいの割合で“オワコンだ”と感じているといえそうですが、時代遅れというイメージはあるのでしょうか?

◆今は古くさい/時代遅れだと思う 18.5%

「芝居が一本調子な感じがするから」(29歳・東京都)

「柔軟性のない人だと思うし、今の若者から見たらただのおじさんにしか見えないと思う」(34歳・北海道)

◆今も第一線で活躍していると思う 5.0%

「昔から良くも悪くもイメージが変わらず、安定して活躍している。嫌いになる理由がない」(39歳・東京都)

「あまり芸能人のことを知らない私でも名前を覚えるぐらい活躍している」(26歳・奈良県)

 たしかにここ10年ほどヒット作に恵まれていないため、このような結果になるのもうなずけるかも。そのため「前に見たイメージ」がずっとつきまとう……という見方ができます。

===実際は50歳という立派な中年!

「若いこと」は良いこと? 悪いこと?===

 一方で、世界陸上でのMCや『踊る大捜査線』の青島俊作のように、若々しく瑞々しい印象があるかもしれません。なにせプライベートの話題やゴシップが、公にはまったくないほどのクリーンなイメージですから。「時が止まっているように思える」という解釈もできそうです。そのあたりについてはどうでしょう?

◆明るく元気な雰囲気が好き 15.0%

「俳優のイメージよりも世界陸上での実況のイメージが強い。一生懸命応援していて熱量を感じる」(26歳・埼玉県)

「みんながモノマネするぐらい定着したイメージ」(37歳・愛知県)

◆変わらず若々しいと思う 9.5%

「昔も今も容姿を変えず、幅広い役柄に対応しているイメージ」(28歳・長野県)

「ワイルドで男らしさがあって魅力的に思う」(27歳・神奈川県)

◆無理して若作りしていると思う 7.5%

「年はけっこういってるけど、昔と変わらないように作ってる感じがする」(25歳・三重県)

「織田裕二自身、自己分析が出来ていないように見えるし、世間が求めている織田裕二を演じられていない。だから見ていて滑稽に思う」(33歳・徳島県)

◆明るく元気な雰囲気が嫌い 1.0 %

※コメントなし

 なにせ御年50歳。立派な中年ですから、是非はともかくその年にしては若いと感じる向きはあることでしょう。そしてここが一番大事。かっこいいと思うかを問うと……。

◆かっこいいと思う 14.5%

「昔見てたドラマのイメージ。なんだかんだ言っても今でもかっこいいと思う。そして昔のドラマは面白かった。最近あまり見てなかったからドラマでどんな感じなのか楽しみ」(38歳・北海道)

「役者として努力していると思う。 どの役を演じても上手になりきるので『またか』感がない」(38歳・岐阜県)

◆かっこ悪いと思う 1.0%

※コメントなし



 若竹のように生えては話題をかっさらうイケメン業界のなかでは、すでに第一線クラスとはいえませんが、「昔取ったきねづか」に加え、「鉄壁のプライベート」、「変わらぬ見た目」の“三種の神器”が、織田裕二の好感度を支えているといえるでしょう。

 1991年の大ヒットドラマ『東京ラブストーリー』で共演した織田と鈴木保奈美が再タッグを組んだ今回の『SUITS』は、海外ドラマのリメイク作品。ややイジワルな見方をすれば、過去の栄光にすがりながら、人のふんどしで相撲を取るという他力本願な布陣で話題になるという皮肉な話なのです。

 とはいえ再び浮上のチャンスを得た感のある織田裕二に、本当の意味で「キターーー!!」と叫べるように、今後の活躍に期待したいものですね。

<文/雛菊あんじ>

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中島裕翔の晴れ舞台を食った、菜々緒の破壊力

2018年10月20日 19:51 週刊女性PRIME

菜々緒

 Hey! Say! JUMPの中島裕翔(25)が、第35回『ベストジーニスト2018』の一般選出の男性部門に輝いた。

「このイベント自体が、もはやジャニーズ案件。常に上位に食い込むのがジャニーズ所属タレントですからね。

 中島は2年連続の受賞で、来年選出されれば殿堂入りを決める。本人も狙いたいと色気満々でした。これまでも、木村拓哉や草なぎ剛、相葉雅紀、藤ヶ谷大輔が殿堂入りを決めていますからね」

 とスポーツ紙記者。

「ところが中島は、共演者にすっかり食われて色あせましたね」

 と続ける。誰がジャニーズを食い物にしたのだ? 中島は受賞式で、

「2年連続で取れたこと、平成最後の年に選ばれて、平成(Hey! Sey!~)と名のつくグループにいる私が取れたことを、とてもうれしく思います」

「僕の歴史の中に残る賞です」「ジーンズのように愛されるグループになりたい。来年もよろしくお願いします」

 なとどと気の利いたコメントを連発。

「その段階では、“平成最後に決めた”ぐらいの見出しかなと思っていたんですが……」(前出・スポーツ紙記者)

 中島の影を薄めたのは、3年連続で一般選出部門に輝き、殿堂入りを決めた女優の菜々緒(29)だ。

「コメント自体は『ジーンズのように長く愛される人間でありたい』とか、もらった盾を手に『これは家宝にしたい』というものでした」

 と情報番組ディレクター。

 ところが中島に促される形で繰り出しのたが、“菜々緒ポーズ”。ヒップを突き出し、両足を組み、身をよじるようにして顔を出す独特のポーズだ。

カメラのシャッター音が半端なかったですね。菜々緒のすごいところは、出し惜しみしないところです。カメラマンは左右にずらりと並んでいたのですが、端から端まで、まんべんなく視線を振ったんです。

 その際、壇上には中島以外にも、荻野目洋子、高橋一生、長谷川潤が並んでいたんですが、みんな所在ない感じでしたね」(前出・情報番組ディレクター)

 かくして翌日のスポーツ紙やワイドショーを大々的に飾ったのは“菜々緒ポーズ”。

「菜々緒本人がフォトジェニックで、しかも“菜々緒ポーズ”の破壊力ですからね。中島の存在はかなり薄くなってしまいました」(前出・スポーツ紙記者)

 殿堂入りした菜々緒が、来年の同イベントに登場することはない。3年連続で殿堂入りを狙う中島には、それが救いだ。

<取材・文/薮入うらら>

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川崎麻世・カイヤの離婚騒動にかけられた疑惑

2018年10月20日 19:51 週刊女性PRIME

これまでもたびたび離婚騒動に発展してきたふたりだが……

 いまさら感は強いのだが、いま注目を浴びている、川崎麻世・カイヤ夫妻の離婚騒動。今月10日、川崎がカイヤに対して離婚訴訟を起こしたことが明らかになった。

 これには、世間も「マジか!」と驚いたはず。

 というのも、長年このふたりは、離婚しそうでしない、といった“離婚キャラ”のカップルと捉えられていたからだ。

仲がいいのか、悪いのか


 結婚して28年、川崎は女性問題でマスコミに取り上げられ、そのたびに離婚かと騒がれる一方、カイヤの“恐妻”ぶりも話題になったが、結局別れることはなかった。

 別居状態は14年に及び、最近では離婚の話題が出ることもなくなっていた。

「別居後、川崎さんに女性の噂が出ることはありましたが、真剣交際のようなものではありませんでした。カイヤさんにも外国人男性との噂がでましたが、それもはっきりしないものでした。

 別居中も、お互いの誕生日には一緒に食事をしていますので、本当のところ、仲がいいのか、悪いのかよくわかりません。でも離婚はないものだと思っていた記者は多いです」(週刊誌記者)

 “離婚キャラ”は不動のものだったはずだが……。

 カイヤは自身のブログで、

今回の裁判についてナイーブな家族問題も絡んで降り子供達も大変ストレスを受け体調に変調を来たしております》(原文ママ)

 と明かしており、いつものカイヤらしくないコメントから、離婚が現実味を帯びていることが感じ取れる。

 ただ、子どもたちも29歳(長女)と22歳(長男)。長女は結婚してアメリカに住んでいる。両親の別居生活も長く、離婚話が持ち上がっても、ストレスを感じるとも思えないのだが。

 そして“離婚キャラ夫婦”のリアル離婚ということで、マスコミは大騒ぎ。

 一部女性誌では、スポーツ紙記者の話として、

《麻世が、カイヤの住む自宅の家賃をこれ以上払い続けるのが嫌になった。これまで支払った家賃と同額の5000万円をカイヤに要求。またカイヤは、麻世のこれまでの女性関係に目をつぶってきた慰謝料を求めている》

 と報じていたが、これに川崎が即反応し、自身のツイッターで完全否定した。

 カイヤは過去の発言に関して、ブログで、

《本当は、友人なのに12人の彼氏がいると言って、麻世の心の中に私がまだいるかを確かめたかった》

 と否定し、川崎への思いを綴るなど、複雑な女性心理を見せている。

 ということは、川崎は別れたいが、カイヤは別れたくない、ということなのか。

「本人が理由を語ってないので何とも言えませんが、本当に離婚したいと思っているなら、結婚したい女性ができたということぐらいしか考えられません。ですが、そんな話は聞いたことがないです。訴訟を起こしたことを川崎さんが自らブログで発表したあたりも、違和感がありますね。

 ふたりとも最近話題が少なくなったので、“離婚キャラ”を継続するために“離婚したい夫と、まだ夫を愛している妻”という、新しい展開のストーリーを考えたんじゃないか、という人もいますよ。“離婚キャラ”をバージョンアップさせたかたちですね(笑)」(前出・週刊誌記者)

 しかも、ここにきて30日にカイヤの代理人弁護士が突然辞任し、裁判は延期に。

 う〜ん、ますます怪しい……。

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木村拓哉が“Koki,質問”に見せた「険悪レスポンス」

2018年10月20日 19:51 週刊女性PRIME

Koki,を学校まで送り届ける木村拓哉

「学校に行くときやお仕事の現場には必ず持ち歩いています」

 大塚製薬が新発売する『ボディメンテ ドリンク』のCM発表会に登場し、そう話したのは、木村拓哉と工藤静香の次女・Koki,。

「この日の発表会に集まった報道陣の数は、100社を超え、彼女の注目度の高さがうかがえます。今年5月発売の『ELLE JAPON』(ハーネス婦人画報社)で衝撃的なデビューを果たして以来、目覚ましい活躍を続けています」(スポーツ紙記者)

 今年8月には『ブルガリ』、その翌月には『シャネル』のアンバサダーに就任するなど、15歳とは思えない仕事ぶり。SNSアプリ『Instagram』でのフォロワー数も130万人を突破するなど大人気だ。

解禁されたわけではない


 そんな話題性の高い彼女を、あのキムタクが“ネタ”にしたこともあったほど。

「今年8月に公開された映画『検察側の罪人』で主演した木村クンは、公開前のタイミングで多くの報道番組やバラエティー番組、雑誌に登場して、映画宣伝のために東奔西走していました。

 その中で、8月16日放送の『ミヤネ屋』(日本テレビ系)では、司会の宮根誠司との対談中に、木村クンは次女のKoki,についてのエピソードを披露したんです。“家族話はタブー”と言われていた木村クンなだけに、衝撃を受けました」(テレビ局関係者)

 その懸命な宣伝活動も功を奏し、同作は興収20億円を突破して有終の美を飾る結果に。

 家族の話が解禁されたと思われるキムタクだが、「解禁されたわけではない」と話すのはある映画関係者。

「9月にこの映画に関する囲み取材が行われたのですが、“Koki,さんに関する質問もOK”という話でした。

 そこで、ある記者がキムタクに“いつかはKoki,さんと共演したいですか?”と聞いたそうです。しかし、キムタクはこの質問に対して“何でこの場でそんな質問するんですか!!”とピシャリ。その場が一気に険悪な雰囲気になったらしいですよ

 テレビでの発言はただの例外で、やはりまだまだキムタクにとって“家族はタブー”なんだと思います」

 来年1月公開の映画『マスカレード・ホテル』のPRでは、どんな“ネタ”を披露する?

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沢田研二の屈辱、絶縁メディアの前での謝罪

2018年10月20日 19:51 週刊女性PRIME

頭を下げる沢田研二

 歌手の沢田研二(70)が、さいたまスーパーアリーナでのコンサートを直前に中止したことが波紋を広げている。

「『動員に関する契約上の問題です』と本人は説明し、『空間が多すぎる』『そういうスカスカの状態でやれというのは僕には酷だ』などと言い訳しましたが……」

 と情報番組デスクは冷ややかだ。

それでもやるのが客商売


〈沢田の行為は身勝手すぎる〉〈ファンを第一に考えていない〉などという批判はネットなどに書き込まれているので、ここではその件には触れない。

 批判以上に沢田は今回、屈辱的気分を味わっていたことがある。それは、ワイドショーのカメラの前での謝罪だ。

 音楽業界の古参関係者が口を開く。

「沢田はワイドショーが大嫌いなんです。かつて、暴力事件や離婚問題などで嫌というほど叩かれたので、以来、絶縁状態にある」

 沢田が、ライブコンサートに取材陣を呼び込む場合があるが、

「必ずスポーツ紙だけ。テレビ局には声を掛けないんです」(前出・古参関係者)

 よって、沢田の動く姿がワイドショーに流れることはこれまでなかったのだが、今回の騒動で、沢田はワイドショーのカメラの前で謝罪するハメに追い込まれたのだ。

 情報番組デスクが、舞台裏を明かす。

「騒動の翌日、スポーツ紙やテレビ局は、沢田に事情を聞こうと自宅で直撃しようとしたんです。沢田サイドも、ファンに迷惑をかけたので、沢田の思いを伝えるために急きょ、取材に応じるしかないと判断をし、取材陣に対応しました」

 そこで沢田は、事情を説明すると同時に、スカスカの客席について

「僕には意地があるからね。だから今回は僕はできません」

 と中止の理由を付け加えた。

 9000人を呼ぶと約束していた主催者。実際にさばけたチケットは7000人。

「それでもやるのが客商売。ジャニー(喜多川)さんの『ショー・マスト・ゴー・オン』を聞かせてやりたいですね。そもそも沢田は、長年のファンに支えられているから、コンサートツアーだけで食っていけているんです。

 にもかかわらず以前は、ライブの前列に陣取る熱烈なファンに対し『やる気が失せる』というような暴言を吐いたことがありますからね。今一度、ファンのありがたみを感じた方がいいですよ

 と前出・スポーツ紙記者は突き放す。

 日本レコード大賞を受賞した往年のヒット曲『勝手にしやがれ』(1977年発売)には〈♪せめて少しはカッコつけさせてくれ♪〉という歌詞がある。

 あれから40年。沢田、70歳。時の過ぎ行くままに、である。

<取材・文/薮入うらら>

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カイヤがまだ「鬼嫁」じゃなかった頃に見せていた本当の顔

2018年10月20日 19:51 週刊女性PRIME

ゲッターズ飯田に手相を占ってもらっているカイヤ

 今度ばかりは“ネタ”ではないようだ――。

 約14年間の別居生活を続けてきた川崎麻世とカイヤ夫妻が、ついに離婚訴訟に至ったという。イベントやテレビ出演などで、たびたび“離婚ネタ”を繰り出し話題づくりをしてきた夫妻だが、今回は2年間にわたる離婚調停が不成立に終わり、裁判へと移行する。

 1990年に結婚した川崎麻世とカイヤ夫妻。そもそも別居前から麻世の女性問題はマスコミを賑わしていた。結婚3年後に斉藤由貴との不倫が発覚した麻世は謝罪会見を開いたが、会場では腕を組み仁王立ちしたカイヤが鬼の形相で麻世を睨みつけていた。

夫の不倫の謝罪会見に妻が同席するなんて、前代未聞でしたからね。恐妻ぶりが印象付けられましたが、その後も麻世は何度も浮気。カイヤも、浮気する麻世をお仕置きする“鬼嫁”キャラに変わっていきました」(芸能ジャーナリス)

 夫妻と長年にわたり交流のあるキャシー中島は、コメンテーターを務める『バイキング』(フジテレビ系)で「結婚して5年目ぐらいのころは、カイヤはいつも優しい顔をして麻世のことを見ていて……。浮気が分かった時もいつも泣いていました」と、かつてのカイヤを振り返り、「カイヤをこんな風に変えたのは麻世です」とカイヤを擁護した。

 別居前に一家をよく見かけたという近所の住人は、当時の様子をこう話す。

「2人のお子さんと一緒に、よく近所のお寿司屋さんへ行っていましたね。麻世さんも子どもたちの面倒をよく見ていましたし、カイヤさんも、いつもとっても楽しそうな笑顔で、『麻世、麻世!』と甘えて、可愛らしい奥さんぶりで、本当に麻世さんのことが好きなんだなという感じでした」

 麻世の浮気が報じられる一方、カイヤもお返しとばかりに外人男性とのツーショットを披露するなど自由恋愛を楽しんでいる向きもあったが……。

「カイヤがデヴィ夫人主催の晩さん会に出席した際、『次は外国人と結婚したい』と発言したと報じられましたが、カイヤは『冗談のつもり』とブログで否定しました。また、かつて交際男性が12人いると公言したことについても『本当は、友人なのに12人の彼氏がいると言って、麻世の心の中に私がまだいるかを確かめたかった……』と説明していました」(スポーツ紙記者)

 夫婦のことは夫婦にしかわからないが、2人の気持ちは平行線のまま交わることはないのだろうか。

<取材・文/小窪誠子>

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cat_1_issue_oa-shujoprime oa-shujoprime_0_71b94167ecf3_“生活保護の一歩手前”にある「手遅れ死」 71b94167ecf3 71b94167ecf3 “生活保護の一歩手前”にある「手遅れ死」 oa-shujoprime 0

“生活保護の一歩手前”にある「手遅れ死」

2018年10月18日 19:51 週刊女性PRIME

※写真はイメージです

 生活保護のリアルな実態を描き、話題となった吉岡里帆主演のテレビドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』。ここで焦点を少しだけずらしてみてほしい。“最低限度の生活”の一歩手前で医療を受けられず、手遅れ死する人が昨年は62人いたーー。

「“年金が入るまで薬代をなんとか待ってほしい”。ほかに数人の患者がいる中、自分より何十歳も年上の男性がカウンターに額がつくくらい深々と頭を下げる。彼を目の前にし、どうしてよいのかわからなかった」

 そう語るのは、調剤薬局に勤務する20代の薬剤師のTさんだ。

薬剤師Tさんが見た、最低限度の一歩手前の生活


 Tさんに支払いの猶予を求めてきたのは山田良雄さん(60代、仮名)。心疾患で通院を続けている。昨年まで生活保護を受給していたが、年金が支給されるようになったのを機に自立した。

 生活保護を受けていたときから“人様のお世話になるのは申し訳ない”というのが口癖の、自立心が強い患者だ。Tさんの薬局との付き合いはかれこれ2年ほどになる。

「山田さんの人となりは、それまでのやりとりでわかっていました。決して薬代を未払いにしたまま放置するような方ではありません。でも私がそのとき、とっさに口にしたのは“代金と引き換えでないと薬をお渡しできないんです”という言葉でした」

 そのあとは、ちょっとした押し問答に。「年金が入ったら必ず払います」「でも……」「今まで何年も通ってるから俺ん家(ち)も電話番号もわかるだろ? 必ず払う。薬ないと困るんだ」「でも、会社の決まりで……」。「どうしてわかってくれないんだ!!」と山田さんは激高したという。

 結局、Tさんが本社に確認をとり代金を後日、支払ってもらうことを約束して薬を渡した。山田さんは約束どおり、年金受給日に代金を支払いに来た。

 山田さんは妻とふたり暮らし。妻は足腰が悪いため自宅にこもりがちだ。エレベーターつきの物件を借りることができればいいのだが家賃が高く、あきらめざるをえなかった。現在は、階段しかないアパートの2階で暮らしている。ダウンコートとブーツが欠かせないような冬の寒い日でも、いわゆる“便所サンダル”のようなビニールのつっかけを素足にはいて自転車に乗り、薬局にやってくる。羽織っているのは半纏(はんてん)だ。生活が苦しい様子は薬局で交わされる会話や本人の様子からにじみ出ていた。

 経済的な理由で医療費の支払いが厳しくても、山田さんのように通院を続ける人ばかりではない。受診を控える患者もいる。

 生活保護を抜けて自立をした飯島光江さん(50代、仮名)は、ある日ふらふらしながら倒れ込むように薬局に処方箋を持ってきた。飯島さんは糖尿病の治療中だが、経済的な理由で1か月ほど通院を控えていた。ところが具合が悪くなってやむをえずクリニックを受診した帰りだった。血糖値が著しく高くなり、命の危険もあるような状態だったと医師に指摘されたという。

「糖尿病の治療に使うインスリンの注射は高い。1か月分のお薬代と病院での診察費を合わせると自己負担が1万円を超えてしまう。医療費の支払いが厳しいので通院を控えていた」(飯島さん)

 治療の大切さを飯島さんは理解していたが、家計に余裕がなく医療費を削らざるをえない状況だった。

他者支配により、医療を受けられなかった例


「暴力をふるわれ、アパートの階段から突き落とされて動けず倒れていたところを近所の人が発見。救急車で運ばれ、受診したのをきっかけに支援が必要だとわかり、生活保護を受けられるようになった方がいます。それまではギリギリの生活をしていました」

 この当事者、鈴木聡史さん(40代、仮名)の見守りを行っているのは介護施設の運営などを行う特定非営利活動法人のYさんだ。

 鈴木さんは東京都内で日雇いの工事現場の仕事をしていたが、手の指の切断とひざのケガがきっかけで働けなくなった。そんな鈴木さんに「一緒に食事をしよう。飲みに行こう」と親切そうに声をかけてきたのは同じアパートに住む男女だった。この出会いが、暴力と借金の犠牲になるきっかけとなったという。

 男女は仕事を失い孤独な鈴木さんの心細さ、寂しさにつけこみ、一緒に食事をと言いつつ飲食代をたかった。鈴木さんの少ない蓄えはたちまち底をつく。すると「住むところがないなら家に来ていい。1泊3000円で泊めてやる」と鈴木さんに持ちかけた。もちろん、鈴木さんにお金はない。飲食代と家賃を払えないなら借りてこいと、暴力をふるうようになった。

 明らかにカモにされている鈴木さんに助言をしてくれた人もいた。鈴木さんらが通っていた飲食店の店主だ。

「あいつらとは距離を置いたほうがいい」と心配され、声をかけられたが、そのころの鈴木さんは暴力への恐怖から正常な判断はできなくなっていた。逃げることなどできず、男女に言われるがまま複数の金融業者から金を借りた。ふくれ上がった借金は数百万円にのぼっていた。

「お金がありませんから、その生活から抜け出すために通院してひざを治し、仕事に復帰しようとは当初、思い至らなかったそうです」

 現在、鈴木さんは生活保護を受けて通院している。健康状態も暮らし向きも改善してきた。まだ40代と若いので再び働き、自立したいと考えている。

生活困難者でも無料で医療が受けられる


 生活保護の一歩手前にいる人たちの中には経済的にも精神的にもギリギリの生活のため、必要な医療を受けられずにいる場合がある。全日本民主医療機関連合会によると、昨年、経済的な理由で受診が遅れたり、受診を控えて病状が悪化するなどして死亡した人のうち、生活保護を受けていない人は62人にのぼった('16年は55人、'15年は62人)。

 懸命に働いているのにもかかわらず医療を受けたらたちまち生活が困窮するおそれがある人や、失業などにより収入が絶えて医療費に充てる余裕がない人たちは病気やケガをしたらどうすればよいのだろうか。医療をあきらめなければならないのだろうか。

 そうではない。経済的に困っている人が、医療費の減免を受けられる仕組みがある。「無料低額診療」の制度だ。対象となるのは山田さん、飯島さんのような低所得者、鈴木さんのように病気やケガ、失業などで収入が減少したり、なくなったりして医療費に困っている人。また、ホームレスやDV被害者などの生計困難者だ。

 無料低額診療を利用するには社会福祉協議会、福祉事務所、無料低額診療を実施している医療機関で、現在の経済状況などをまず相談する。制度の利用が認められた場合、交付された無料(低額)診療券を持参して無料低額診療を実施する医療機関を受診すれば、低額もしくは無料で医療を受けることができる。

 援助につながる場所は住まいの近くにたくさんある。例えば、地域包括支援センターや地域の民生委員、いつも通っているクリニックなどの医療機関、薬局などだ。

 当事者にとって、とても勇気のいる一歩。だが、声をあげさえすれば、それがきっかけとなって支援に結びつく。経済的な理由で適切な医療を受けられずに命を縮めるという悲しい事態を避けることにつながるだろう。

(取材・文/高垣育)

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