
日渡容疑者の肩から腕、背中、大腿部には和彫りの刺青が彫られている
「最初は今年の2月でした。スポーツクラブの駐車場で、“ママ、ママ”と泣いている声がしたので、スタッフが行ってみると女の子がいました。上半身は薄手のシャツと肌着だけ。下半身にはオムツ。すっかり身体も冷えていました。迷子かな、とも思いましたが親は一体、何をしているんだって、みんな憤っていましたよ」(同クラブのスタッフ)
鹿児島県薩摩川内市のスポーツクラブでその日、保護された女の子の名は、璃愛來(りあら)ちゃんといった。
17歳で出産、母親はまだ21歳
前出・スタッフは、
「名前が印象的だったので覚えていました。ニュースで璃愛来ちゃんと聞いたときは、もしかしたらと震えました」
と表情を曇らせる。
8月28日、鹿児島県出水市のアパートで大塚璃愛來ちゃんが暴行を受け死亡した事件。暴行容疑で逮捕されたのは、母親の交際相手の建設作業員、日渡駿容疑者だった。死因は溺死で、身体には殴られたとみられる痕が数か所あったという。
取り調べに対し、「風呂に入れていて目を離したすきに溺れた。殴ったのはしつけだった」と供述しているが、古くからの友人は、「意外ときっちりしているし、しつけには厳しいんじゃないかな」と供述を裏づける。その一方で、こうも証言する。
「あいつはやっていないってみんな話してます。だって駿は璃愛來ちゃんのことを可愛がっていました。
刺青もあって見た目は怖いけど、子どもや動物には手を出さない。フレンドリーだし男くさくて、情に厚いタイプ。先輩の子どもとおもちゃで遊んだり、ゲームセンターに行ったこともありました」
しかし、別の知人は明かす。
「あいつは特にお金にうるさい。闇金まがいのこともしていたようだ。後輩に“明日〇〇円持ってこい”と脅したり、駿のおごりだと思ったら後から“返せ”とお金をせびられたやつもいた。自分の思いどおりにならなくて後輩に手を上げるなど強引な面もあり、そういうところが嫌で駿から離れたやつも少なくない」
璃愛來ちゃんを可愛がる反面、気に入らないことがあると手を上げていたのだろうか。
日渡容疑者と母親は、今年春ごろに交際をスタート。17歳で璃愛來ちゃんを出産した母親はまだ21歳。遊びたい年ごろで付き合い始めたばかりの恋人とは蜜月期。関心は娘よりも恋人である日渡容疑者に向いていたのだろうか。
璃愛來ちゃんが保護されたり、虐待を疑う通報があったのもこのころからだった。
冒頭のスタッフは、違和感を覚えることがあった、と振り返る。
「今年2月にもう1回、雨の日に裸足で、璃愛來ちゃんが駐車場で“ママ”と泣いていたんです」
肌着の上に薄いワンピース、パンツははいていなかった。璃愛來ちゃんは3月にも同じ駐車場で保護されている。
特別、やせている感じはなかったというが、クラブの関係者たちはネグレクト(育児放棄)を疑っていた。
「3回とも迎えに来た母親に心配する様子はまったくなく、“ありがとう”も“すみません”もありませんでした」(前出・クラブのスタッフ)
本当に子どもを可愛がっているのか、心配しているのか疑いをもたれても致し方ない母親の態度。
4月までに4度の保護
同クラブの看護師は3度目に璃愛來ちゃんを保護した際、身体のチェックをしたという。
「アザなどはなく、健康な状態だったのでホッとしました。1時間ほどしてお母さんが迎えに来ました。ドアのところから“璃愛來!”と声をかけると、璃愛來ちゃんはニコっと笑ってから椅子から立ち上がってお母さんに駆け寄ってハグをしたんです」
でも、と看護師はその際の母親の表情を忘れていない。
「お母さんの表情は無表情でした。茶髪で今どきの若い子って感じで、“ひとりにするのは危ない、1度目じゃないよね”と言うと、“ハイ”とうなだれて、“すみませんでした”と小声で言いました」
母親の、ネグレクトを思わせる無責任な子育てを、周囲は見逃さなかった。
前出のスポーツクラブだけでなく3月末に夜、ひとりで出歩く璃愛來ちゃんを近所の人が発見、薩摩川内署が保護した。同署は4月までの間に4度保護。県はネグレクトの虐待認定をしていた。
通報を恐れたのか、同時期に早朝、同クラブの駐車場に車を止め、運転席に母親、後部座席で璃愛來ちゃんが眠るのを前出・クラブの看護師は目撃していた。さらに母親の外見の変化も記憶していた。
「髪が金髪になって以前よりも派手な雰囲気になっていました。5月にはお母さんが大きなビニール袋に洋服を詰めて車と自宅を往復しているのを見ましたよ。娘さんは後ろをついてちょこちょこ歩いてました。お引っ越しかな、と思いました」(前出・看護師)
母親は6月12日から18日にかけて、「引っ越しの準備のため」と同市のショートステイに璃愛來ちゃんを預けている。本当に引っ越しの準備をしていたのかは定かではない。
7月前後には事件現場になった出水市の2DKのアパートで、3人で暮らして始めた。
容疑者が仲間と頻繁に来ていたというバーのスタッフは、「璃愛來ちゃんの母親と交際するようになってあいつは変わった」と話す。というのも、
「今年になってから、月に1回来るかどうか。来ても友達を送って来るだけだったり、飲んでいても早く帰っていました。理由を聞くと“夜、女が仕事行っているから子どもの面倒を俺が見てるんだ”って言っていましたし、彼女と子どもと3人で買い物に行ったという話はよく聞きました。意外と子煩悩であいつは璃愛來ちゃんの父親になろうと必死だったんだと思います」
母親は日渡容疑者の子どもを妊娠中で、出産予定は12月。結婚も考えていたという。
璃愛來ちゃんの新しいパパとなるはずだった日渡容疑者との同棲生活は逆に虐待をエスカレートさせていったのか。
璃愛來ちゃんの誕生日の7月22日、「テーブルで頭をぶつけて嘔吐した」と病院を受診。おかしいと思った病院は、8月1日に市に情報提供した。
前出・日渡容疑者の知人も、母親に対し、こんな疑念を抱く。
「8月ごろ母親がSNSに、璃愛來ちゃんのことをつねっている動画を投稿していました。けっこう強めにやっているなと伝わるものでした」
虐待になるかもしれず、それをSNSにアップする心境も妙だ。
娘の面倒は容疑者に丸投げ
同5日には「顔などに青アザがある」という情報が、別の病院からもたらされた。事件現場のアパート近くでは、「うるさい」や「だまれ」と怒鳴り散らす母親の声を、近所の住民が耳にしている。
社会部記者は、
「以前住んでいた鹿児島市や薩摩川内市の自宅、現在の出水市の自宅近くでも、女性の怒鳴り声を聞いたという話がある。直接手は出していないかもしれないが、母親にも問題があったのではないかと思えますね」
母親も虐待に加担していたのでは、と記者たちは母親の逮捕も推測していた。
先月まで母親が勤めていた同市内の飲食店の関係者は、
「夜9時から3、4時間程度。多くても週に4回。娘は自分の母が見てくれていると話していた。でも妊娠もわかっており、8月には辞めました。この月はほとんどシフトには入っていなかった」
事件が起きたとき、母親は「仕事」といって自宅にいなかった。母親は娘の面倒を容疑者に丸投げし、そのストレスは母親ではなく璃愛來ちゃんに向けられたのだろうか。
本来、保護してくれる人に保護されない璃愛來ちゃんの命の針は、確実にレッドゾーンに触れつつあったのだ。
虐待されている子どもに会えないケースが多い虐待事件。
しかし、まったく面会できないというわけではなく、多少は母子の様子を把握することができた。日渡容疑者が暴行をふるう前日も、保健師と面談している。そのことが関係各所が危機意識を共有できなかったことにもつながっている。児相の所長が地元紙の取材に対し「親和性のある世帯で愛着関係を確認した」と答えているほどだ。
児相に県警が伝えた「一時保護」の必要性も重視されなかった。病院から市にもたらされた「アザがある」という情報も児相や警察と共有されなかった。関係各所の温度差は最後まで埋まることなく、結果悲劇を招いてしまった。
日渡容疑者の祖母は、璃愛來ちゃんと会ったことは「ありません!」と、ぴしゃり。祖父は「話すことはない」と口を閉じた。
璃愛來ちゃんの葬儀では、憔悴する母親より誰よりも大声で泣いていたという日渡容疑者。
新たな命が宿る母親の車のナンバープレートは璃愛來ちゃんの誕生日だった。
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電撃結婚を発表したふたりだが……
またもビッグカップルが誕生。今度はアスリートとミュージシャンの組み合わせだ。
「リオ五輪競泳金メダリストの萩野公介選手と、歌手で女優のmiwaさんが結婚することが明らかに。さらに、miwaさんは妊娠していて、冬に出産の予定です。昨年9月に熱愛が報じられ、1年でゴールインとなりました」(ワイドショースタッフ)
miwaがナビゲーターとして出演している『オン マイ ウェイ!』(Eテレ)に萩野が'17年にゲスト出演。テーマは“幸せについて”。
これを機に、4歳年上のmiwaから積極的なアプローチで交際に発展したという。
「萩野選手はリオ五輪のあと不調に陥りました。悩んでいた時期の彼を支えたのがmiwaさんだったのでしょう。交際が発覚したときも祝福ムードでしたから、結婚も好感を持たれていますね」(前出・ワイドショースタッフ)
実家の母は結婚に対し……
ただ、心配のタネは萩野の不調が長引いていること。今年3月に長期休養を発表。4月の日本選手権も欠場した。
「いくら練習してもタイムが伸びず、メンタルが参ってしまったようです。いわゆる“燃え尽き症候群”なのかもしれません」(スポーツ紙記者)
萩野のライバルは瀬戸大也選手。小学生のころから切磋琢磨してきた戦友だ。
「瀬戸選手は絶好調。'17年に飛び込みの女子選手と結婚してから、好成績が続いています。今年7月の世界選手権では200m個人メドレーで金メダルを獲得し、東京五輪内定を決めました。一時は萩野選手が前を行っていましたが、今では完全に逆転した形です」(前出・スポーツ紙記者)
巻き返しを図るには、miwaと家族のサポートが不可欠だろう。結婚が決まった喜びの声を聞こうと、萩野の実家に向かった。インターホンからは母親の声が。
─萩野選手のご結婚おめでとうございます。家庭を持って、東京五輪に邁進できますね?
「離れて暮らしておりますので、特に事情を聞いたりということはありませんので」
声の調子からは、弾んだ様子は伝わってこない。
─miwaさんとは会っていますか?
「何度かはお目にかかりましたけど、特には……」
─miwaさんの印象は?
「……、そうですね。特に私のほうからお答えできることはありません」
─miwaさんとの結婚は……
「ただ、よかったなと思っているだけで。それ以上はございません」
改めて、東京五輪への期待について聞いてみると、
「頑張ってくれればと思っていますが、本人がやることですし、私どもは応援団ですので。これ以上、話せることはありませんので、お引き取りいただければ……」
なぜか、喜んでいる様子が伝わってこない。近隣の住民にも話を聞くと、
「道端でお母さんに会ったときに公介くん結婚おめでとうって言ったんだけど、“暮らしている場所は別々だから”と言うだけ。初孫ができることも、そんなに喜んでいる感じではなかったですよ。公介くんも全然見かけないから、距離ができちゃったのかな。今年の初めごろに、お母さんは “東京オリンピックまではサポートしなきゃ”と話していたんですが……」(近所の女性)
近隣にもうれしさを伝えてはいないようだ。そもそも萩野が帰っていない。インスタグラムでは、地元へ帰ったのは昨年の12月31日だけ。
交際してからの“派手な生活”に
「2年前まではお父さんの仕事の都合で、ご両親も東京にお住まいだったんですよ。週末に地元へ帰ってきたりしていたようですけどね。公介くんのとこにも、ちょくちょく出入りしていたんじゃないかな」(近所の別の女性)
家族の支えがあったからこそ、萩野は小さいころから水泳に熱中できた。過去の雑誌インタビューで思い出を語っている。
《僕の喋り方は母に似ているみたいです。ずっと、母がスイミングスクールの送迎を車でしてくれて、一緒にいる時間が長かったからですかね》
高校時代は1日6食の萩野のために、栄養士に相談しながら弁当を作った。
《小さいときからずっと支えて力になってくれていますから、やはり家族がいちばん大切ですよね。母は明るいけれど、僕に関しては心配性なんです。試合の結果がよければ僕以上に喜び、悪ければすごく残念がる》
かつて、右ひじを骨折した際は、父が風呂で身体を洗ってくれたという。
「萩野さんは芸能界に友人が多く、以前のような水泳漬けの生活ではありません。現在のタワマンに住んでドイツの高級車に乗る生活は、両親には派手に見えてしまうかもしれませんね。手塩にかけて育ててきたのに、miwaさんが息子を変えてしまったと感じたとしても不思議ではないでしょう」(水泳関係者)
環境の激変が、親子の距離を遠ざけてしまったのか。
家族問題評論家の池内ひろ美さんに話を聞いた。
「萩野さんはまだ若い。妻が年上といっても、出産できる年齢ということが親にとってはいちばんありがたいことです。今は、大事に育てたひとり息子が結婚しないことで悩むお母さんも多い時代。さらに、結婚はしたけど、嫁が子どもをつくる気持ちがないことで心を痛めるお母さんも多いんですよ。その点では、このふたりはものすごくいい結婚なのです」
ずっと世話をしてきた息子が結婚することで、複雑な気持ちにはならないのか。
「男性が年下の女性と結婚して、結婚した後に妊娠するという結婚観が今でも日本では強い。そうじゃないというショックな気持ちはあるのかもしれません。ただ、冷静に考えると、年上の女性だから、自分の息子の弱いところをカバーしてくれるかもしれない。プラスの要素を考えて、きっとこれで息子が幸せになるんだということで、母親は自分の中で折り合いをつけていくものです」(池内さん)
両親もmiwaも、いちばんの望みは萩野の五輪出場のはず。200mも400mも個人メドレーの出場枠はあとひとつずつなのだ。
《進めないでいるなら 複雑な感情 全部捨てちゃえ》─これはドラマ『凪のお暇』(TBS系)の主題歌でmiwaが歌う新曲『リブート』の歌詞。8月の復帰戦では結果こそふるわなかったが「足りないものを全部を楽しみながら、できないものができるようになると思うとワクワクする」と前向きに語っていた萩野。伴侶を得て、萩野も“再起動”したようだ。
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写真/'10年、空港でキャッチされた安室奈美恵
安室奈美恵が引退して1年がたとうとしている。昨年9月15日に故郷の沖縄の宜野湾市でラストライブが行われ、翌日に彼女の引退を記念して同市で花火ショーが開かれた。お忍びで来場した姿を最後に、この1年、彼女の目撃情報はほぼ皆無だ。引退後に出た彼女に関する記事も、花火ショーに現れたときに着ていた浴衣が人気になっているというもので、彼女自身に関する話ではない。
マスコミ報道が徹底してなされないのにはワケがある。
それは、ラストコンサートの数日前に、彼女の代理人弁護士から週刊誌をはじめとする各メディアに送られた“取材自粛要請”が“にらみ”をきかせているからだろう。
その内容は、
《安室のプライバシーに関する記事や名誉を棄損する記事等が掲載された場合には、一般私人への権利侵害行為として、しかるべく法的措置を講じることになります》
というものだった。
つまり、「私人となった安室さんを取材したり、記事にしたら訴えますよ」ということだ。
“私人”になったはずなのに
裁判にかかる費用と労力、敗訴の場合は賠償金をとられる危険を冒して“手を出す”メディアは出てこないだろう。
メディアはそうだとしても、目撃情報がなく、SNSなどネットにも何も上がらないというのは不思議に思える。彼女自身もSNSを含め自ら何か発信することは一切していない。メディアにも要求した以上、自分も“一般私人”を徹底しているところは、中途半端な“引退芸能人”と一線を画していて、“さすが安室奈美恵”と感心せざるを得ない。
ただ、ファンの“飢餓状態”は日増しに強くなっているようで、安室の“美学”を尊重しながらも復帰を望む声も多いことは言うまでもない。
そんな折、彼女の故郷・沖縄で、“9月16日”が注目を浴び始めている──。
地元紙の『沖縄タイムス』社と県内50社80店舗が一緒になって取り組む『愛(かな)さ□NAMIEいちまでぃん。』プロジェクトが9月1日から始動した。安室の誕生日である20日まで続くイベントのなか、今年も16日に同市で『WE□NAMIE HANABI SHOW』と銘打った花火ショーが開かれる。
事前に運営サイドは《※安室奈美恵さんご本人の出演はございません 》
とあるのだが、昨年はお忍びで来場していることから、今年も現れるのではとファンの期待は高まっている。
さらに16日が『安室奈美恵の日』になるという話も浮上している。
ファンの「安室さんの記念日を作りたい」という声を受け、宜野湾市観光協会が日本記念日協会に申請したのだという。現時点では正式発表はないが、決まれば同日、メモリアルイベントが開催される予定もあるという。驚くべきは、この申請の前に“本人の承諾を得ている”と報じられたことだ。
「今回のプロジェクトや花火のショーには50社、80店舗もの企業が協賛として名前を連ねています。つまり、それほど“安室奈美恵”という名前はお金を生むんです。ファンを喜ばせたり、沖縄を盛り上げるために特別にオファーを受けたのでしょうが、『引退』を発表し、“私人”になったはずなのに『安室奈美恵の日』制定を許可したのには驚きました。
記念日ができることで毎年、1度はマスコミに取り上げられる機会ができてしまいます。こうなると、彼女が望んでいた私人としての生活から遠のくことになってしまうのではないでしょうか。
一部週刊誌によると、“彼女が申請を喜んでいる”と報じられています。そうなると、彼女の名前を利用して儲けようとする“どじょう”が何匹も出てきてしまいそうですね」(芸能プロ関係者)
ちなみに、すでにイベントの成功がはっきり目に見えている花火ショーチケットは7500円で計2万人が来場するという。すでにグッズの販売も決定ずみだ。
引退して1年たっても安室奈美恵の“経済効果”は衰えを知らない。
(※文中の□の正式表記はハートマーク)
<芸能ジャーナリスト・佐々木博之>
◎元フライデー記者。現在も週刊誌などで取材活動を続けており、テレビ・ラジオ番組などでコメンテーターとしても活躍中。
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写真/親子ツーショットその1(蓮舫インスタグラムより)
「私の子育ては完璧だから」
さすがは舌鋒鋭く追及する立憲民主党・蓮舫副代表らしい言葉だ。
9月2日に放送された、『有田哲平と高嶋ちさ子の人生イロイロ超会議』(TBS系)に出演したバイオリニストの高嶋ちさ子は、青山学院初等部からの先輩である蓮舫氏が子育てについて、そう話していたと紹介した。
その自慢の息子が、ドラマ『ノーサイド・ゲーム』(TBS系)で俳優デビューした村田琳。総務部員でラグビーチーム「アストロズ」のメディカル兼任アシスタントの有馬真吾を好演している。
ドラマで村田を初めて知ったという人も多いが、歌、ダンス、コント、芝居などを披露する男性エンターテインメント集団「VOYZ BOY」のチームリーダーとしても活躍中だ。
「以前からバラエティー番組で、蓮舫氏の息子として紹介されイケメンぶりが話題になっていました。蓮舫のInstagramにも登場するなど、仲のいい親子」(スポーツ紙記者)
『人生イロイロ~』で村田は、母親が子離れできず超心配性であると話し、銀行口座も蓮舫氏が管理しているなど溺愛ぶりを明かした。
「現在、村田はVOYZ BOYのメンバーと2人で暮らしているそうですが、蓮舫氏は週に1度は家にきて掃除や2人分の洗濯をしてくれると言っていました」(テレビ誌ライター)
ギターに夢中だった中学生の息子にはこんなビッグなプレセントも。
「村田も初等部から青山学院ですが、B’zの松本孝弘にギターを習っていたんです」(女性誌記者)
「松本の息子と青学の同級生で保護者参観などで面識のあった蓮舫氏が松本に『息子がギターをはじめまして……』と話したことがきっかけで、教えてもらうことになったそうです。松本が使っていたギターをプレゼントしてもらったそうです」(同)
同級生には、三代目中村福之助もおり「学生時代から仲がよく、今もよく飲みに行ったり、互いの家を行き来している」(スポーツ紙記者)と、なんとも華麗な交友関係である。
小学生の時にはラグビーもやっていて、中学ではギターを、まさに文武両道のイケメン。「完璧な子育て」と自信をもって言えるのも当然だ。
<取材・文/小窪誠子>
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古市憲寿さん 撮影/北村史成
『百の夜は跳ねて』が2度目の芥川賞候補作となりながら、惜しくも受賞を逃した古市憲寿さん。自身のツイッターでは「ちーーーん。」「まただめだった!!!」と残念がりました。今回の作品は、ガラス清掃をしている若者が謎の老女と出会い、緩やかな変化を体験する青春小説かつ都市小説です。
戦略で1冊書けるほど暇じゃない
普段、フジテレビ系『とくダネ!』などの異色コメンテーターとして、たびたび炎上もしている古市さん。小説には自身が反映されている部分もあるのでしょうか?
「自分をどのぐらい出すかっていうのは、『平成くん、さようなら』のときも今回も迷ったんですけど、自分が自然に出ちゃう部分もあります。でも、基本的には作中に出てくるキャラクターの心情に寄り添って書こうかなと。だから自分が出ている部分は意図せずして出た、みたいなところが多いと思います」
主人公は就活が全滅した翔太。彼が目にするのは、タワマンの中の富裕な住人たち。格差社会や非正規雇用という今日的なトピックが見え隠れします。それゆえ、芥川賞の選考委員からは、「いろいろな素材を集めてパッチワークのようにはめ込めば小説になる、という手つきが見え隠れする」と厳しい意見も出たそうです。はたして、その真相は?
「いや、逆に全然狙ってなくて。本当に『百の夜は跳ねて』は1行目から順番に書いていったんです。プロットもなくて。もちろん後から修正しましたけど、基本的には漠然としたイメージだけで書き進めていきました。前作と違う話を書こうっていうのはもちろんありましたけど、せっかく新しい話を書くんだから真逆の話を書こう、ぐらい。正確には、真逆っていうか違うアングルから書こう、ですかね。
それ以外は何も思っていない。逆に戦略で1冊書けるほど暇じゃないっていうか、そんなに人生無駄にしたくないので(笑)。
もちろん賞のために書いてるんじゃなくて自分のために書きたいことを書きました。作中に登場する写真と同じで、ともすれば消えてしまう人物や出来事を残したいという思いが強かったです。特に僕は専業作家ではありません。結果として評価されたらうれしいですけど、それよりも読んでくれる人がいるということのほうが心強く思います」
タワマンに住んだ経験が活きた設定に
主人公が従事する「ガラス清掃」という仕事を描こうと思ったきっかけはあるのでしょうか。
「タワーマンションに住んだときからですね。ガラス清掃屋さんって仕事が面白いなと思ったんです。それがきっかけです。彼らは、いろんなマンションやビルの中も見ることができる。だけど職業倫理をして自らの存在をさも幽霊のように消している場合も多いと思うんです。
いまもタワマンに住んでいるんですけど、清掃の日を月の初めに知らされて、その日にはカーテンを閉めたりしてたんですけど、次第に気にならなくなってきて。外でガラスを磨いていても何も思わなくなってくるというか。その感覚がとても不思議というか面白いなと」
今回の作品で重要な役割を果たすのは老女、そして命の危険と背中合わせのガラス清掃という仕事。どちらも色濃く“死”を意識させます。
「死って、今まで僕が書いてきた社会学の本でも評論でも書きにくいテーマだと思うんです。特に『平成くん、さようなら』の安楽死などはそうだと思うんですけど、結論を述べにくい。“死後の世界があるのかないのか”“死とは何なのか”、これらを主観的に語るって、フィクションじゃないと無理だと思うんです。
“人間が死をどうとらえてきたか”については、もちろん社会学の言葉で語れるんですけど、死が何かとか死んだらどうなるっていうのは、社会学の言葉では語りにくい。
一方、小説の言葉では語りやすくなるなと思っていて、死は小説で書きたいテーマだと。そもそも単行本にしていない小説の1作目を「文学界」で書いているんですけど、これを書こうと思ったのが祖母が亡くなりそうなときだったんです。
元気だった祖母が倒れて入院し、それから亡くなるまで半年あったんですが、そのとき感じた感情とか思いは、ノンフィクションや評論の言葉では書きにくかった。だけど何か残したいと思い、小説なら逆にフィクションだから感じたことを素直に残せるのではないかなと。
それが1作目だったので、“死”は僕の中で小説を書くうえでは、結構、大事というか大きなモチーフではあります」
非正規雇用で働く20代の翔太と富裕層の老女、2人を出会わせた意図は何ですか。
「別々の理由で世界に絶望している2人が出会うことでこの世界も悪くないなと思うような心情の変化を描きたかった。全然違う立場にいるんだけど、実は同じ感情を抱いている2人……っていうのは書きたいことのひとつで、社会ってそういうものじゃないかと思うんですね。
一番トップにいる人の悩みと底辺にいる人の悩みは同じかもしれない。世の中は必ずしも格差ってものだけじゃない。階級・格差を超えて、彼らは共通して感じている寂しさとか何かがあると思うんです。だから実は上と下って近いんじゃないかなと思って書いた部分もあります」
ライターは見た! 著者の素顔
勝手ながら年上女性に可愛がられそうな雰囲気の古市さん。案の定、年上転がし発言を連発!
「僕自身、祖母が大好きでしたし、年上の方との付き合いも多い。作品の老女についてはモデルのような人がいます。モデルというほど直接的ではないのかもしれませんが、台詞とかを考えるときに何となく頭にチラチラしていた人。80歳ぐらいの方なんですけど。そういう年は離れているけど、考えることが通じ合っちゃうような人との交流は僕に影響を与えているかな」

ふるいち・のりとし 1985年、東京都生まれ。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に分析、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)で注目される。著書に『誰の味方でもありません』(新潮社)など多数。
取材・文/ガンガーラ田津美
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黒羽麻璃央 撮影/吉岡竜紀
9月6日公開の映画『いなくなれ、群青』で、孤高の文学少年・ナド役を演じた黒羽麻璃央。
「制服を着られてよかったです! 似合ってました? よかった、ありがとうございます!」
7月に26歳の誕生日を迎えた黒羽は、劇中で学生服を着られたことをうれしそうに笑った。インタビューの前に行われた撮影でも、カメラの前で次々とポーズを変え、くるくると表情を変える姿がとても印象的だった。
“すげー奴”になりたい
「(主演の横浜流星とは)初めての共演だったので、それはうれしかったですね。流星くんのほうが年下ですが、しっかり芯を持っていて、役に対して真摯に、そしてアツく考える役者だなって」
横浜が演じる主人公・七草にとって唯一、心を通わせる友人という重要な役どころ。物語の中では、周りと違った空気をまとい謎めいた存在感を放っている。
「見てくださっている人に疑問を抱かせる役でもあったので、それを意識しながら。自分でも演じていて面白い役だったと思います」
黒羽は2010年の第23回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストをきっかけに芸能界入りし、2012年のミュージカル『テニスの王子様』で俳優デビューを飾った。コンテストで準グランプリを獲得した当時のことを振り返ってもらうと、「スーパースターになっている予定だったんです」と意外な言葉が。
「最初はこの世界をナメていた……という言い方はよくないですが、そんな感じ。例えば、ジュノンボーイになったら、仮面ライダーや戦隊ヒーローの主演が決まって、映画やドラマに引っ張りだこ! みたいな(笑)。誰しもが小池徹平さんとか三浦翔平さんとか、溝端淳平さんとか菅田将暉さんみたいになれると思っていたんです。9年前に思い描いていたのは、今の僕よりずっと上のところ。でも現実はそこまで甘くないし、すごい世界ですよね。
どんな役者になりたいかと聞かれたら、単純に“すげー奴”。よくわからないけど、すげーなって言われる人っているじゃないですか? 芝居にしろ存在感にしろ、周りの人に“すげー”とか“やべー”って思われる役者になりたい。できれば同業者の方から。点数をつけられるものではないと思いますが、将来的には“形”として残る何かが欲しいですね。役者として賞をとるとか」
初めての経験
評価について、“イケメン”と言われることはうれしい?
「うれしいです、容姿を褒めていただけるのは。でも、“イケメン”って言われてる人はたくさんいる(笑)。芸能人って日本の大学生の人口よりも多いんですって。第一線で活躍している同年代の役者はものすごく多いので、戦国時代に生きてるな〜って感じますね」

これまでの俳優生活の中で、初めての経験だったと語ったのが意外にも“誕生日のお祝い”。
「僕、今年初めてリアルタイムでお祝いしてもらいました! 当日にバースデーイベントを開催して、ファンの方からおめでとうって言ってもらえたんです。舞台やテレビを通さず、“役”のフィルターがかかっていない状態でみなさんとお会いできる機会って少ないですし、すごくうれしかったです」
ちなみに、これまでの誕生日は?
「家で、ひとりで、ファンのみなさんから送ってもらうTwitterのコメントを見て楽しませていただいてました。誕生日当日って、みんな気を遣ってなのか、まったく誘ってくれないんですよね(笑)。
普段から、僕は自分から誘わないタイプ。ご飯行こうって誘っても、断られたら“僕のこと嫌いなのかな”って考えちゃうので、誘ってもらえたら行く……というか、もっと誘ってほしいんです!!(笑)」
<作品情報>
映画『いなくなれ、群青』
9月6日全国公開
原作:河野裕『いなくなれ、群青』(新潮文庫nex)
監督:柳明菜
脚本:高野水登
配給:KADOKAWA /エイベックス・ピクチャーズ
(c)河野裕/新潮社 (c)2019映画「いなくなれ、群青」製作委員会

黒羽麻璃央◎くろば・まりお 1993年7月6日生まれ。宮城県出身。180cm、AB型。ミュージカル『テニスの王子様』(2012年)でデビュー。出演ドラマ『パパ、はじめました』(BS日テレ)、『テレビ演劇 サクセス荘』(テレビ東京)、『コーヒー&バニラ』(MBS・TVKほか)が放送中。
<取材・文/たかはしもも子 ヘアメイク/泉脇崇(Lomalia) スタイリスト/ホカリキュウ>
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写真/葉山奨之と一般女性
8月下旬に都内の高級住宅街で催されたとある夏祭り。2日目の夜に裏通りを歩いていたのはドラマ『僕たちがやりました』(フジテレビ系)で一躍ブレイクした若手俳優の葉山奨(しょう)之(の)だ。
「人混みの中でかなりコソコソしていたので逆に目立っていました。隣には女の子もいましたね」(目撃した男性)
葉山といえば、NHK連続テレビ小説『まれ』でヒロイン・土屋太鳳の弟役で注目を集めてからは、ドラマや映画など幅広いジャンルで活躍している実力派若手俳優。そんな彼が、お忍びで女性と祭りに来ていたのだ。
仕事が順調だと……
「連れの女性は原宿系っぽい派手めな格好をされていましたがかなりきれいな人でした。ふたりで楽しそうに屋台などを回っていましたよ。一緒にお祭りに来るってことは、それなりの関係ってことなんじゃないですか」(同・目撃した男性)
これまで熱愛報道や交際宣言はなかった葉山。過去には、雑誌のインタビューで自身の恋愛観についてこう語っている。
《いい人ってきっと、仕事や何かに自分が没頭している時や、ふとした瞬間に現れると思います!》
9月27日に公開が予定されている映画『任侠学園』に加えて、今後も次々に出演作の公開が控えている。仕事が順調だからこそ、”いい人”が現れたということなのだろう。
この女性との関係を所属事務所に問い合わせてみると、
「複数人で祭りに遊びに行っているとは本人から聞いていましたが……。詳細はわかりません。プライベートは本人に任せています」
葉山は現在、恋愛リアリティショー『テラスハウス』に出演中。ひとつ屋根の下で生活する男女6人の恋愛模様をスタジオでモニタリングしながら、時折自らの思いを口にしている。
他人の恋愛を見ているうちに、自分も影響されちゃった!?
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BOYSANDMENファミリーの裸祭り 撮影/廣瀬靖士
今年で2回目となる『ドキッ! 下剋上 男だらけの水泳大会』にBOYS AND MENをはじめ、弟分である祭nine.やBOYS AND MEN研究生、地域ごとのメンバーで結成されたエリア研究生など、“ボイメンファミリー”の男性グループが勢ぞろい。
8月17日に愛知県名古屋市の『日本ガイシアリーナ競泳プール』で行われたこの大会には、泳げる人、泳げない人を合わせて34名が出場し、平均年齢20歳前後というピチピチ(ムキムキ?)の水着姿で、6種目のガチ競技に挑戦!
後輩による下剋上の極み!
最初に盛り上がったのは「猛烈ボートレース!」。大型のビニールボートに2人1組となり、水上でゴールを競うもの。落ちたら大変、ここは日本選手権が行われる本格的な水深のプール。
この種目で1位となった吉原雅斗は、「プールも人間社会と一緒です。波風を立てないように進むのがいちばん」。
また、「真剣!出しろ争奪25mレース」には、ボイメン以外の若手たちがエントリー。祭nine.の寺坂頼我と野々田奏が泳力を発揮し、それぞれ1位に。
「争奪! 紅白旗取り合戦」では祭nine.の高崎寿希也が、先輩の辻本達規をバックキック。赤を蹴落として白が旗を掲げ、後輩による下剋上の極みを見せつけた。
最後はやっぱりガチンコ対決のリレー。紅組の辻本と白組の勇翔、リーダー同士がメンツをかけてアンカーを務め、抜きつ抜かれつ、接戦の末に勝利を奪い取ったのは昨年と同じく白組。
「白が優勝できてうれしいです。でも、今年はとても苦戦しました。赤と白は本当に五分五分だったと思います」と勇翔。涙目になって悔しがる辻本も、「来年は絶対に勝つぞ!」と、笑顔で締めくくった。
BOYS AND MENは9月4日、TOKYO DOME CITY HALLを皮切りに全国ホールツアーがスタート。来年はアリーナツアーも決定している。
祭nine.は、5月1日に行われた令和初めての日本武道館ライブを収録したDVDを、9月18日にリリース。
ボイメンファミリーらしく、点数だけでなく、おもしろさを競う“水泳大会”。毎夏の風物詩に!?
(取材・文/生嶋マキ 撮影/廣瀬靖士)
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YOSHI 撮影/森田晃博
「やべ~これ超緊張する! どうやって挨拶する? タロウ役のYOSHIです、お願いします。イエ~イ!」
実は世界が注目する存在だった
菅田将暉に「こんなに興味深い生き物はいない」と言わしめる16歳の超大型新人・YOSHIが初演技&初主演を務めた映画『タロウのバカ』(9月6日公開)の舞台挨拶に登場。
13歳でルイ・ヴィトンのディレクターに見いだされ、モデルとして活躍。経済誌『フォーブス・ジャパン』にも、次世代を担う30歳未満の30人に選ばれるなど、すでにその注目度は世界レベル。
しかし、あまりにも強烈すぎるキャラクターに共演の菅田や仲野太賀も初対面のときは「絶句でした(笑)」と苦笑い。
「この1年でずいぶん大人になりましたよ。だって、洋服着てますもん。ずっと裸だったし、新人類ですよ(笑)」(菅田)
“奇抜”や“個性”という言葉では、収まりきらないほどの“自分”を持っているYOSHI。ぶっ飛んだ彼から目が離せない!
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ジャニー喜多川さん(享年87)
9月4日に東京ドームで行われたジャニー喜多川社長のお別れ会は、関係者の部と一般の部に分けて行われた。関係者の部に参加したのは、ごく限られた人たちだった。
“関係者の部”の気になる中身
「ジャニーズのタレントとOB、事務所の関係者、彼らと日ごろ付き合いのある会社の上層部など、3500人が出席。報道陣も多く集まりましたが、会場の中には入れませんでしたね。通常、お別れ会では中で読まれている弔辞などをスピーカーで流すのですが、今回はいっさい流されませんでした。そのため、中で何が行われているのかまったくわかりませんでしたよ」(スポーツ紙記者)
そんな厳戒態勢で行われた会だけに、ゆったりとした時間の中で故人との思い出を振り返ることができた。
「'16年10月に、スタッフを1人も入れず、タレントだけで行われたジャニーさんの85歳の誕生日パーティーの映像が流されました。彼を中心に近藤真彦さん、中居正広さんらが囲んでいました。この映像はこれまで1度も公開されることのなかった、門外不出の秘蔵映像だったそうですよ」(会の参加者)
タレントたちが見せたチームワーク
恩師を見送る一大イベントとあって、当日は、タレントたちが見事な連携を見せた。

「大役である弔辞は、事務所の“長男”の近藤さんが読み上げました。その後、安倍晋三首相からの弔電も彼が読みました。文面は会場の正面にあるモニターに映されたのですが、途中で彼が読み間違えたため、早さを修正する場面もありました」(同・会の参加者)
会の“総合プロデューサー”は現在、裏方に回っている滝沢秀明が務めた。
「誕生日会の映像や音楽などは、彼が編集したそうです。当日は、タレントたちが座る場所から離れた会場の後方から見守りつつ、インカムをつけてさまざまな指示を出していたといいます」(ワイドショー関係者)
会が終わった後は、近藤とKinKi Kids、嵐が囲み取材に応じた。彼らは終始、和やかな雰囲気をつくりだしていた。
「堂本剛さんはジャニーさんのモノマネをしすぎたことを明かして笑いを誘っていました。嵐の近くには、たくさんの報道陣が集まっていたので、離れた場所にいるメンバーにインタビューをしにくかったのですが、松本潤さんが“ちょっと貸してください”とインタビュアーからマイクを取って、隣にいた櫻井翔さんに“取材”していましたよ。彼らのおかげで、変に湿っぽくならずに終わりました」(同・ワイドショー関係者)
OBと現役Jが久しぶりの再会!

当日は、元シブがき隊の布川敏和や薬丸裕英、元光GENJIの大沢樹生など、ジャニーズのOBが多数訪れた。
「元KAT-TUNの田中聖さんも来ていました。耳にたくさんピアスをつけて、首にはタトゥーが入っていて派手な外見でしたが、きちんと礼服を着て殊勝(しゅしょう)な表情を浮かべていました」(テレビ局関係者)
この日、大沢は久々の再会に胸を熱くしていたようで、
「囲み取材が始まる前まで、顔見知りらしき事務所のスタッフと楽しそうに話していましたよ。さながら、“同窓会”のような雰囲気でしたね」(前出・スポーツ紙記者)
かつて一世を風靡した先輩に寄っていく人も多かった。
「ジャニーズJr.たちが、大沢さんに声をかけたり、握手を求めたりしていましたよ。この日は、現役のジャニーズとOBの垣根を越えて、“お世話になった人をみんなで気持ちよく送り出したい”という気持ちだったのかもしれません」(同・スポーツ紙記者)
お見送りするメンバーが超豪華
献花が終わると、タレント総出で参列者を見送った。
「近藤さん、V6、嵐など豪華なメンバーがそろっていました。会場を出たロビーには精進落としのためのテーブルが並べられていたのですが、お寿司や瓶ビール、オレンジジュースなどが置いてありましたね」(別の参加者)
ロビーにも、見送りに来たタレントの姿が。
「関ジャニ∞や、風間俊介さん、ジャニーズJr.が並んでいました。最後まで、来てくれた方たちへ感謝を伝えたいということだったんでしょう。この日、弔問に訪れた人たちには歴代のタレントの写真やジャニーさんの誕生日会など、プライベートな写真も入った豪華なアルバムが配られましたよ」(同・別の参加者)
一般の部ではファンから大歓声
午前中の関係者の部を終え、午後からは案内状がなくても誰でも入ることのできる一般の部が行われたが、過去にはない人気ぶりだった。
「中高年の女性から学校帰りと思われる学生まで、8万8000人が参加しました。地方からわざわざ足を運んだ人もいましたよ。中に入るための行列は3km以上になったそうです」(前出・ワイドショー関係者)
会場では、ファンを喜ばせるサプライズが。
「シブがき隊からKing&Princeまで、各グループの代表曲のライブ映像が流れていました。その中には、関ジャニ∞の元メンバーの渋谷すばるクンや元KAT-TUNの赤西仁クンなど、ジャニーズを辞めた人たちもカットされずにきちんと映っていたので、ファンから歓声があがっていましたよ」(訪れたファンの女性)
ひときわ大きな歓声があがったのは、やはり“あのグループ”だった。
「SMAPの5人が『世界に一つだけの花』を歌う映像も流れました。5人全員で歌う映像はかなり貴重なので、大歓声があがっていましたね。中には涙を流す人もいましたよ」(同・ファンの女性)