'91年の結婚報告会見で満面の笑みでお相手の写真を手にする田中好子さん
「好子さんは私から父を奪って、そのせいで私はイジメにもあってきた。私が小学生のときに放送していた人気ドラマの『家なき子』に好子さんも出演していましたが、私は“父親に捨てられた家なき子”と指をさされていました」
『キャンディーズ』の曲を歌わされて
「私は2歳でしたが、テレビのワイドショーに不倫報道での父が映ると“パパだ”と言っていた記憶があります」
「当時は『SPEED』が人気で、空き時間に子役同士でアイドルごっこをしていたんですが、オーディションの設定で私は『キャンディーズ』の曲を歌うように仕向けられました。みんな芸能界の子だから、私の境遇を知ったうえで、やらせていたんです」
「自分なりの覚悟をして会ったのを覚えています。父を奪ったことは事実ですが大人の事情があり、ひとりの女性として誰かを愛する権利はある。それを非難してはいけないと思うようになっていました」
「お葬式のとき、好子さんに初めてお会いしたら、私に分厚いファイルを渡してくれました。そこには、プリクラや雑誌のキリヌキがきれいに整理されていました。“おばあちゃんは、いつもあなたのことを考えていたのよ”と、教えてくれたんです。うれしかった。好子さんも家族なんだと初めて気づきました」
「好子さんが亡くなったとき、私の母も泣いていました。母としては、こっちは苦労しているのに向こうは女優さんできれいな服を着て、おいしいものを食べてと思っていた。でも、いろいろな思いがあったけど、死んでしまうと、ただ悲しいと言っていました」
「さすがに父にキレました。電話で“ふざけんなよ! 病気の好子さんまで泣かしたのか!”と怒鳴りました。しばらくして、父から電話がきて、“好子はお前のことを心配していて、自分が芸能界の母親になってあげたいって言っていたんだよ”と。
好子さんは、自分ができないことを引き継いでほしいと思っていたようなんです。その思いを引き継いでいくことは、この家に生まれた以上、やらねばいけないことだな、と。許せない存在だった好子さんを、許せるようになっていました」