高松城の天守復元について、高松市の大西市長は9日、外観を忠実に再現しつつ、内部の意匠・構造を一部変更する「復元的整備」を目指す方針を明らかにした。高松城は天守の内部が分かる古写真や設計図面などがなく、復元が認められない状況が続いているが、文化庁の有識者会議が先月、往時の意匠・形態が一部不明確な場合でも、条件を付けた上での復元的整備を許容する方向性を出したことを受け、復元に向けた検討を加速させる。
市は今後、2021年度までに策定する史跡高松城跡全体の保存活用計画の中で、「天守復元の方向性」も位置付けていく。
市文化財課によると、文化庁は昨年11月に城の天守復元などの在り方を話し合う有識者会議を設置。文化財の利活用を促進する観点から、復元的整備の考え方を盛り込んだ方向性を8月に取りまとめた。
市長は有識者会議の議論について、「石垣などの遺構を傷めないことが前提ではあるが、高松城天守のように史料が十分ではない歴史的建造物の復元も、基準を設けた上で許容する方向性が出た。これまで要望してきた基準の緩和による復元の可能性が見えてきた」と期待感を示した。
9日の9月定例議会本会議で、神内茂樹氏(自民)の代表質問に答えた。
高松城の天守は明治時代の全国的な廃城の流れの中で、1884(明治17)年に解体された。四国最大規模とされる天守の高さは26・6メートル。3重4階で最上階が下の階よりも張り出した「南蛮造り」と呼ばれる形式を採用していた。
復元に向けては、市が資料や発掘調査を進めてきたほか、天守の内部が分かる資料を募る懸賞金制度を創設。市民や観光客らから10万人分の署名も集まっており、昨年8月には市長らが文化庁へ復元の許可基準を緩和するよう要望した。
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