国内女子サッカー発祥の地とされる県立丸亀高等女学校(現丸亀高)の学生が1911(明治44)年と、12年に学校でサッカーを行っていることをつづった日記が見つかり、丸亀市立資料館(同市一番丁)で展示している。丸亀高女は大正時代の学生がサッカーをする写真が知られているが、明治時代については運動会の式次第の記載やボールの備品簿の記録などしかなく、当時の学生の“生の声”で明治時代からサッカーをしていたことを伝える日記は貴重な資料といえそうだ。
丸亀高女でのサッカーの歴史を整理研究する元丸亀高校長の馬場康弘さん(67)によると、丸亀高女では06(明治39)年から20(大正9)年までサッカーが行われていた。日記は市内の男性が昨年、丸亀高に寄贈。丸亀高女3年の船橋みのりさんが11年11月~12年3月の生活を記している。
サッカーの記述は「フートボール(フットボール)をして遊ぶ」や「外に出て、フートボールをす」などと計15回出てくる。船橋さんは同校の寄宿舎で生活しており、朝礼の前や昼休み、夕食後にサッカーをしていたという。その時の気持ちは書かれていないが、馬場さんは「誰かに指示されたわけではなく、頻繁にサッカーをしているので、きっと楽しかったんだと思う」と話している。
日記は同館で開催中の企画展「丸亀の歴史を彩った女性たち」で8月25日まで展示している。月曜休館。観覧無料。
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