cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_dg8ek2rwso9g_自分を幸せにする約束 ―15歳の少女が選択した、“舞妓”という生き方、家族との別れで得たものとは? dg8ek2rwso9g dg8ek2rwso9g 自分を幸せにする約束 ―15歳の少女が選択した、“舞妓”という生き方、家族との別れで得たものとは? oa-serai 0

自分を幸せにする約束 ―15歳の少女が選択した、“舞妓”という生き方、家族との別れで得たものとは?

2021年1月3日 10:00 サライ.jp

私が今、「お母さん」「姉さん」と慕っている人に、血の繋がる人は、誰ひとりいない。

辛いことがあったとしても、甘えられる人、すがる人はいない。

置屋で暮らす芸舞妓は普段から着物で日常を過ごしている


例え、落ち込んでいようとも、打ちひしがれていようとも、「お母さん」「姉さん」は決して、ありきたりな優しい言葉で、励ましてはくれない。

本当の父母とは遠く離れ、常に張り詰めた空気の中、血の繋がらぬ人たちと生活をしている。

そんな生活を選んだのは誰あろう、中学を卒業したばかりの当時15歳の私自身だ。
私は「花街」という世界で生きていくことを選んだ。


時に、一人涙するような厳しく辛い下積み時代を経て、少女は300年の歴史がある京都五花街の一つである宮川町で舞妓「ふく典(ふくのり)」となった。

彼女は今、「自分を幸せにせなあかんえ」という血の繋がらぬ母からの言葉を胸に芸を極め、さらなる高みである芸妓になることを目指している。

コロナ禍の京都。その時花街は

2020年、全世界がコロナ禍に見舞われた。京都の高級料亭、老舗旅館、観光イベントはことごとく営業自粛・中止に追い込まれ、舞踊・御囃子(おはやし)などの芸で花街の宴席に興を添える芸妓や舞妓は活動の場を失った。

影響は芸妓や舞妓の歌や舞踊の練習場がある歌舞練場にも及び、5月には120年以上の歴史の中で初めての一時閉鎖を余儀なくされた。


しかし、舞妓を育て、お座敷などへ派遣する置屋「お茶屋しげ森」の女将・谷口三知子さんは、少しも慌てることはなかった。

ご贔屓さんからの物心両面の援助や、京都市を始めとする行政機関からの公的支援の動きが大きな心の支えとなったのはもちろん、「この困難を必ず乗り切る」というゆるぎない信念があったからだ。

女将は次のように言い放つ。「ここは気張らなあかん」と。

待ち焦がれていた舞台の再開

2020年11月には京都五花街の新人舞妓による合同公演が行われ、芸舞妓にとって命でもある舞を披露する場が増えてきた。
お座敷から声がかかるようになり、花街は徐々に日常を取り戻しつつある。

中には、「この先どうなるかわからないし、元気なうちにふく典さんの舞が見たい」と声をかけてくれたご贔屓さんもいた。

「お座敷に出られない間、自主稽古を積み重ねてきた舞を、喜んで見てもらえたことが、とても嬉しかった」とふく典さんは言う。


「あなたは舞妓なんやから、暗い顔はあきまへんえ」

舞妓になって早2年。18歳となったふく典さんは、芸の稽古とお座敷、住居でもある置屋を往復する生活を続けている。
舞妓である期間はスマホを持つことやコンビニに入ることすら許されていない。
たまの休日に女将の許しを得て映画を観に行くことが唯一の息抜きだ。


今でもふく典さんは“お母さん”と慕っている女将から、遠慮のない辛辣な言葉を浴びせられる。
生来、人見知りがひどく控えめな性格であるふく典さんは、自分の心を押し殺すところがある。
お座敷に遅れ、きつく叱られたことがあった。自分を責め気弱になった時に、ふと出身地の栃木訛りが出たりして、さらに叱られる。

「あぁ、また出てしもうた…」

落ち込んで暗い表情になってしまうと、「辛気臭いのはあきまへん」と追い討ちをかけるように女将の言葉が飛ぶ。


さらには、「舞妓は夢を売るお商売。一生に一度、舞妓に会いに来る人もいはるんどす。あなたの体調や気持ちなんて、お客さんにとってはどうでもいいこと」と言い放つ。

「今日は無理しなくてもいいのよ」などという、通りいっぺんの優しい言葉をかけ、労ってなどくれない。

「言うことはわかるけど、辛いなぁ…」と思わずふく典さんの口から漏れたりする。

中学卒業後、15歳で置屋に

ふく典さんは、15歳までごく普通の中学生だった。

「勉強も好きだし、学校も楽しかったです。でも、高校へ行ってやりたいことは見つけられませんでした」

進路を悩む中でふと脳裏に浮かんだのは、修学旅行で訪れた京都で見た、本物の舞妓さんの美しい姿だったという。


「このまま何となく生きるのはやめよう。自分の選んだ世界で生きていきたい」

彼女は誰にも相談することなく、不安な気持ちを抱えながらも思い切って置屋に電話をした。

当然両親は「せめて高校卒業した後にしたら?」とすぐには許してくれなかった。
だが「花街は15歳から入れる。だから今、挑戦したい」と熱意を持って説得すると、最後には納得して送り出してくれた。

ふく典さんは、京都の花街という未知の世界へと踏み出した。

「生まれ変わる」ほどの花街の洗礼とは

覚悟はしていた。しかし予想していた以上に厳しい生活が、少女を待ち受けていた。
置屋に入れば、すぐに舞妓になれるわけではない。

「まずは、言葉遣い。寝言さえ京ことばになるように、女将さんから指導を受けました。その他にも、茶碗の持ち方、箸の上げ下ろし、物の受け渡し、足の進め方、扉の開け閉めなど事細かく振る舞いを直されました」


15年間、体に染み付いた習慣や考え方、性格を全否定されるかのような人間矯正の日々が1年以上続く。
さらに、並行して舞妓になるために必要な舞踊を修得しなければならない。

生活すべてが、花街に生きる人間として相応しい女性になるための修業。24時間気を抜く暇はなかった。

「舞妓は憧れだけでなれるものではあらしまへんどした…」

しかし、挫けそうな度に「親の反対を押し切ってまで来たんだし、挫けたらあかん」と15歳の少女は気持ちを奮い立たせた。


初めて気付く女将の優しさ

約1年の矯正期間を終え、舞踊の師匠と女将から許しが出れば、ようやく舞妓になれる日が来る。しかし修業は終わることなく続いていく。

舞妓はさらに芸を極めた芸妓になるための、3~4年ほどの見習い期間という位置づけでもあるからだ。
日々は待ってくれない。

「明けても暮れても姉さん方(先輩芸舞妓)の支度手伝い、自分のお稽古。睡眠時間もあまり取れず、芸の上達も実感があまり出来しまへんどした」

ふく典さんは「私には舞妓としての素質がないんじゃないか…」と女将に弱音を見せたことがあったという。何をしても叱られてしまう。
いっそのこと「あんた向きまへんわ。里に帰りなはれ」と言われた方が楽になるのでは――


すると、普段は鬼のように叱る女将から、意外な言葉が返ってきた。

「ふく典さん、一緒え。私に出来てあなたに出来ないことはない」

かけられた言葉は女将自らの若かりし頃と重ね合わせ、厳しくも温かく見守っていることを示すものであった。

女将は、ふく典さんが慣れないながらも一生懸命に舞妓としての修業に励む姿に応え、大成するためにあえて厳しい態度をとっていた。
それは、花街で女性が幸せに生きていく方法を熟知しているからに他ならなかった。

「女将さんの表面的なところだけに囚われていた自分に気づいたんどす」。
きつく叱られたことも、苦しかった出来事もすべて忘れ、ただ女将の優しさを感じて、一人涙した。


「私はまだ、普段着の時に『どんな仕事をしているの?』と聞かれたら、胸を張って舞妓だとは言えないんどす」とふく典さんは言う。

それは、舞妓としての未熟さを自覚しているからに他ならない。
女将からの厳しい愛情を受け取り、プロとしてまだまだ精進しなければならないことを分かっているからこその言葉なのだ。

舞妓を支え、花街で生きる人たちの誇り

花街で生きる人は置屋だけでなく、古くから地域全体がお座敷に関わり、共助の中で生きてきた。町の人は厳しい修行に耐えて花を咲かせる舞妓を誇らしく思い、見守り続けている。

週2回稽古をつける長唄の師匠・今藤佐志郎さんは、次のように語る。

「私は、舞妓に技術だけを教えているのではありません。長唄の稽古を通じて、日本文化の心を教えます。舞妓としての誇りを持つために」


また、着付師の職について17年になる中山毅一さんは、舞妓を通して自分の存在意義を実感する。

「わずか15歳にして親元を離れ、気張る姿を見ると『負けられん』と思います。そして、自分が着付けた衣装で舞う舞妓たちの姿を見る時、言い知れぬ達成感を得るのです」

宮川町に住む人々もコロナ禍で仕事は一時的に無くなってしまった。しかし、町では困難を乗り越えるべく、支えあい団結していたという。


花街が300年間継承しているものとは

京都の花街は、今や日本文化の象徴とも言われる。
伝統が息づく場所として、旅行ガイドブックでも紹介され、コロナ禍前には外国人旅行客などもカメラを持って殺到していた。

しかし、女将は「私は日本の伝統文化を守っているなんて、一度も思ったことはありません。ただ、先人から教わった花街のしきたりを守り、魂を伝えているだけです」と、こともなげに言う。


花街で継承される“伝統文化”とは携わる人々がお互いを思いやる形なのかもしれない。

芸の師匠や女将は舞妓に幸せになってほしいからこそ、厳しく芸や振る舞いを仕込む。そこには先人が築き上げ、成功して幸せを生んだ歴史があるからだ。

だからこそ、舞妓の心からのもてなしと魂を込めた舞は、300年間、支える人の心とともに変わらず継承されてきたのだろう。


他人同士が家族以上の繋がりを得られたとき

コロナ禍でお座敷が営業自粛となったとき、ふく典さんはこう感じたという。

「置屋に住む人たちと、一緒に過ごす時間が多くなり、不思議と安心感を覚えました」

普段忙しくてなかなかじっくりと話せない舞妓仲間に、決して口にはしなかった泣き言や愚痴を思い切って打ち明けてみると、自分以上に悩んでいたことがわかった。
同じ道に生きる者同士、そうした心の通う会話をすることで、まるで実の家族のような繋がりを強く実感したのだという。


「女将さんからは、舞妓活動が出来ないのだから、諦めて帰ってもいいという言葉も出ました。でも、緊急事態宣言が解除されるまでの間、誰一人として、置屋を離れる人はいませんでした」

「自分を幸せにせなあかんえ」という女将の人生哲学

女将は口癖のように舞妓たちに言っている。「自分を幸せにせなあかんえ」と。

その言葉の裏側にあるものは、己を甘やかし、精進を怠れば、決して幸せにはなれないということだ。

ふく典さんはその言葉を深く心に留めている。日々精進を重ねる中で、自分の大切な人たちと「自分を幸せにする約束」をしていることを実感するのだ。
両親や郷里に残してきた人たち、そして女将や花街の人とも。


私が知った「幸せ」

ふく典さんは今を幸せだと語る。

「私の生活には多くの制約があり、人から見たら不自由な生活だと思われるかもしれません。でも、私には応援してくれる女将さん、姉さんとお互いに理解し合える仲間がいます。さらには、ご贔屓さんや芸事の師匠、花街に生きる人たちが日々、温かい言葉をかけてくれます。街を歩けば、見知らぬ人から『舞妓さんだ!』と喜んでもらえます」

「だから、今後も自分を甘やかすことなく、精進していくことが『私が幸せになる約束』どす」


女将は言う。

「『自分を幸せにせなあかんえ』というのは、置屋の舞妓でいる今だけでなく、女としてこの先の長い人生も一生幸せに生きてほしいということなんどす。卒業した子も“ただいま”って帰ってきてくれはりますし、舞妓辞めて声優さん目指して東京にいる子も上手に私を使うてはりますしね」

「私は自分のしたいことを全部させてもらっているので、それを見ている子どもたちが“なんでも出来るやん”と思えるように育てるのが私の使命ちゃうかな」

血のつながらぬ母との約束。それが果たせた時、ふく典さんは次の世代にバトンを渡せる花街の人間になれるのだ。これこそが、日本の伝統文化を継承していくことに他ならない。


女将の谷口さんは続ける。

「花街で教えてもろたことを次の人に残していかんと、自分が生きてる意味がない」

花街で300年もの間、受け継がれてきた思いやる心と魂。その継承は2021年も、粛々と力強く続いていくのだろう。



取材協力/京都宮川町 お茶屋しげ森
取材・文/末原美裕(京都メディアライン)
撮影/坂本大貴

※当記事はサライとLINE NEWSとの特別企画です。

外部リンク

cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_xjk1z1ul8u2j_【もう君はいない】「離婚せず別居して、お互い自由になろう」妻から卒婚を提案された夫の選択~その1 xjk1z1ul8u2j xjk1z1ul8u2j 【もう君はいない】「離婚せず別居して、お互い自由になろう」妻から卒婚を提案された夫の選択~その1 oa-serai 0

【もう君はいない】「離婚せず別居して、お互い自由になろう」妻から卒婚を提案された夫の選択~その1

2021年1月3日 00:00 サライ

取材・文/沢木文

結婚25年の銀婚式を迎えるころに、夫にとって妻は“自分の分身”になっている。
本連載では、『不倫女子のリアル』(小学館新書)などの著書がある沢木文が、妻の秘密を知り、“それまでの”妻との別れを経験した男性にインタビューし、彼らの悲しみの本質をひも解いていく。

* * *

妻から“卒婚”を言い渡された

お話を伺ったのは、渡辺隆英さん(仮名・60歳・会社員)。隆英さんの妻は、結婚32年目の今年、「卒婚したい」と言ってきた。

「ウチはずっと共働きで、お互いに自由にやってきた。2人の娘も嫁に行って、これから夫婦2人で生きると思っていたら、“卒婚”だって」

隆英さんの夫婦関係はずっと円満だ。隆英さんはシングルマザー家庭に育ち、家事が一通りできる。娘たちの保育園の送り迎えもしてきた。毎朝、朝食を作り、週末にはカレーを仕込む。美味しいものを食べたいときは、自ら腕をふるい、家族や友人にふるまっている。

「そういうことが、他人から見れば“いい旦那さんね”ってことになるのかもしれないけれど、妻にとっては嫌だったみたいなんだよね。ホントは友達とテキトーに飲みに行きたいのに、家で僕がトンカツを揚げていたら帰ってこなくちゃいけないじゃない。クリスマスに有名パティシエのケーキが食べたいのに、僕がシュトーレンを焼いていたら、そっちを食べなくちゃいけないじゃない。そういうことの積み重ねだったみたい」

妻は総合商社に勤務している同じ年の女性だ。有名な女子大学を卒業し、キャリアを積み重ねてきており社交的な性格で、趣味も友人も多い。

「頭もよくて美人で、自慢の妻なんだけれど、そういうことを言われるのも嫌だったみたいなんだよね」

寝耳に水だった“卒婚”話。しかし、妻はこの10年間、ずっと考えていた。
「あなたは楽しくていい人だと思うし、世間的にはデキた夫だと思う。でも、私、他人に合わせて生きるのをやめたいのよ」と言われた。

「起きる時間、寝る時間、食事の時間と内容……妻は24時間、自由になりたいといった。樹木希林さんの名言を持ち出して、“死ぬときくらいは好きにさせてよ”と言われたんだよね」

一人になってみると、孤独が身に染みた

妻が求めていたのは、離婚ではなく別居。自宅マンションの近くに、一人暮らし用のマンションを購入していたという。

「僕も籍を抜くのは抵抗があったし、孤独が一層強くなる。妻の60歳の誕生日に“これが卒婚式”と、いいワインをあけた。コロナだったから、外食ができないからね。乾杯もそこそこに、バタバタと出て行った。住むところが変わると、心がガッと離れてしまう。船のロープが舫いから解かれる感じがした。“ああ、終わったんだ”って」

妻がいなくなっても料理は続けようと思ったが、一切しなくなった。

「食べてくれる人がいるから、張り合いがあってやっていた。妻をそれに付き合わせてしまったのかな。友達を呼ぼうにも、コロナだからうかつなことはできない。仕事もリモートになっているし、5~7月は記憶がないくらい、孤独で苦しかった。一人になると孤独が身に染みた」

外部リンク

cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_fycbnm68h0xg_なぜ食品添加物の危険性が指摘されても使用されるのか? 沖縄が長寿日本一から転落した理由 fycbnm68h0xg fycbnm68h0xg なぜ食品添加物の危険性が指摘されても使用されるのか? 沖縄が長寿日本一から転落した理由 oa-serai 0

なぜ食品添加物の危険性が指摘されても使用されるのか? 沖縄が長寿日本一から転落した理由

2021年1月2日 23:00 サライ

文/満尾正

新型コロナウイルス感染症など、さまざまな病気に負けないための「免疫力」は、日々の食事や生活習慣の改善によって、大幅に高めることができるそうです。
しかし、巷に溢れる健康や免疫力に関する知識は刻一刻とアップデートされ、間違った情報や古びてしまったものも少なくありません。
コロナ禍の今、本当に現代人が知っておくべき知識とは何でしょうか。
著書『世界最新の医療データが示す最強の食事術 ハーバードの栄養学に学ぶ究極の「健康資産」の作り方』が話題の満尾正医師が解説します。

食品添加物の危険性が指摘されているにもかかわらずメーカーがそれを用いるのは、保存性が高くなったり、味わいが増したりするなどの利点があるからです。
ただ、その利点はメーカーにとってのものであって、消費者のためではありません。

「いや、保存性が高いほうが消費者にとっていいではないか」という声もあるかも知れません。
しかし、よく考えてみれば消費期限が長くなって得をするのはメーカーです。そのほうが、廃棄も少なく在庫管理もしやすいわけですから。

では、味わいが増すことについてはどうでしょう。
美味しいものを食べさせてもらえるなら消費者の得になるのでしょうか。

でも、実はその味は本当の美味しさではありません。
「美味しい」と錯覚させられているだけです。

自然の食べ物が持っている力によるのではなく、添加物によってつくりだされた味わいは、私たちを・中毒状態・にします。とくに、「後を引く」ものや、「やめられない」ものにはリンが入っていると考えて間違いないでしょう。
「ちょっとだけ」と思って食べ始めたスナック菓子なのに、結局、一袋食べてしまった。
甘いものを食べないでいるとイライラしてくる。
清涼飲料水を1日に1リットルも飲んでしまう。

このような消費者行動は、食品メーカーにとってありがたいもの。食品メーカーにとって利益率が高いのは、リピート購入されるもの。
消費者に「また、あれが食べたい」と思ってもらえる商品だからです。

大手ファストフードチェーン店は、そのオープンにあたって「いかに子どもたちをつかむか」を考えたと言われています。
子どもの頃にその味に慣れさせ、一種の中毒状態をつくってしまえば、一生リピートしてもらえるからです。

今の働き盛りの世代は、そういう戦略のなかで育った第一世代と考えられます。
もしかして、すでに取り込まれており、その危険性に気づかず、自分の子どもたちにも同じことをしているかも知れません。

回転寿司店やファミリーレストランなど、「家族連れに優しい、子どもに優しい」をウリにしているところは多いですね。
その「優しさ」の1つとして、ソフトドリンク飲み放題、いわゆる「ドリンクバー」があります。

しかし、そこには、リンのような添加物や糖類がたっぷりのドリンクがたくさん並んでいます。
子どもに何杯も飲ませていい代物ではありません。

●沖縄が長寿日本一から転落した理由

沖縄県はかつて、日本一の長寿県として知られていました。
1980年、85年には男女ともに都道府県別の平均寿命でトップになりました。噂は世界に広がり、Okinawanという健康長寿を意味する言葉まで生まれました。
その頃に中高年になっていた世代は、ゴーヤ、島豆腐、もずく、アグー豚といった昔ながらの沖縄の食べ物で育っています。

ところが、沖縄は第二次世界大戦が終わってからも長くアメリカの統治下に置かれ、その間、ハンバーガーやフライドチキン、フライドポテトなどのファストフードや、スパムと呼ばれる加工肉が入ってきました。

こうしたものを食べて大人になった今の中高年世代は肥満が多く、とくに男性は他県と比べて肥満率が突出しています。

肥満が増えるのと同時に、沖縄では糖尿病、心臓疾患が増えて平均寿命も短くなり、今は長寿県の見る影もありません。

このように、食事の影響は「すぐ」には出ません。
腐ったものを食べて下痢でもしたなら別ですが、徐々に太ったり、血圧が上がったり、免疫力が落ちたりしていくために、「こんなものを食べていたら良くないかも」と、なかなか思い至らないのです。

でも、だからこそ怖い。下痢を起こしたなら、適切な治療を施せば体はもとに戻ります。しかし、いったん失われた免疫力はなかなか復活しません。
それになにより、ファストフードや清涼飲料水などの中毒状態になっていれば、それを「食べたい」「飲みたい」という気持ちが優先されます。
「やめようと思っているのに飲み食いせずにはいられない」のです。

こういうものを、いかに遠ざけるか、それとも気にせずに食べ続けるのか。

食べ物については、「いいものを摂る」ことも重要ですが、「悪いものをやめる」のも、とても大事。
いくらランチにサラダを食べたからといって、一緒に甘い缶コーヒーや清涼飲料水を飲んだら台無しです。
「一利を興すは一害を除くに如かず」という中国の古典にある言葉の通りです。

自分に合った「いい食べ物」を選んで食べることが面倒に思える人は、まずはこうした「悪い食べ物」をやめることだけでも始めてみてはどうでしょう。
遠からず体調の変化を実感できるはずです。


満尾正(みつお・ただし)
米国先端医療学会理事、医学博士。1957年横浜生まれ。北海道大学医学部卒業後、内科研修を経て杏林大学救急医学教室講師として救急救命医療の現場などに従事。ハーバード大学外科代謝栄養研究室研究員、救急振興財団東京研修所主任教授を経た後、日本で初めてのアンチエイジング専門病院「満尾クリニック」を開設。米国アンチエイジング学会(A4M)認定医(日本人初)、米国先端医療学会(ACAM)キレーション治療認定医の資格を併せ持つ、唯一の日本人医師。著書に『世界最新の医療データが示す最強の食事術 ハーバードの栄養学に学ぶ「究極の健康資産」の作り方』(小学館)など。

外部リンク

cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_wvh9dx0ecspa_織田信長の「憎悪」「嫉妬心」は、カインコンプレックスが原因だった! 専門医が分析した信長の深層心理 wvh9dx0ecspa wvh9dx0ecspa 織田信長の「憎悪」「嫉妬心」は、カインコンプレックスが原因だった! 専門医が分析した信長の深層心理 oa-serai 0

織田信長の「憎悪」「嫉妬心」は、カインコンプレックスが原因だった! 専門医が分析した信長の深層心理

2021年1月2日 22:30 サライ

大河ドラマ史上初めて、明智光秀が主人公となる『麒麟がくる』は、これまでの「信長史観」によるドラマ作りとは異なり、「光秀目線」の展開になっている。
つまり、従来の信長像や光秀像とは異なる人物像が提示されているのだ。
本稿では、『信長全史』(2011年刊/小学館)で精神科医の影山任佐氏が行なった「専門医が分析した信長の深層心理」を再録する。

***

「地球が丸いことを瞬時に理解する、理工学的で近代合理主義者の信長は、中世の終わりにいち早く気づいた。そこが中世的保守派の光秀と相容れなかったのでは」

と語るのは、精神科医の東京工業大学・影山任佐教授(当時)だ。

「理知的で、裏切り者には潔癖なまでの復讐心を抱く。残忍かと思えば慈悲深く、猜疑心の塊かと思えば驚くほど鈍感な側面もある」

影山教授は、信長の性格は母親との関係に起因すると指摘する。

「信長の母は弟を溺愛しました。兄弟間で愛情に差別があると、嫉妬心や憎悪を抱き、これが周囲に向けられることがあります。これをカインコンプレックスといいますが、信長にはこの傾向が見られます。青年期にはマザーコンプレックスがあったと思われます」

マザーコンプレックスの方は女性の愛情に恵まれたため克服したとみられるが、カインコンプレックスの影響は生涯にわたって信長を支配したのではないだろうか。

信長の居城のひとつ小牧山城。ほかの戦国大名が本拠地から離れるのを良しとしない中で、信長は、清須→小牧山→岐阜→安土と本拠の移転を繰り返した。

●部下に厳しく接するのは幼少期の体験が原因

(辛辣なあだ名作りの名人)
秀吉は「猿」「禿ネズミ」、光秀は「キンカ頭(金柑頭)」など、家臣のプライドを傷つけるようなあだ名で呼んだ。
信長自身はからかっているつもりでも、他者の前で自分の身体的特徴をあだ名された家臣たちの心情は穏やかではなかったはず。

(部下の落ち度で古参を追放)
鷹狩りに出かけた信長の側に、石切り普請中だった丹羽氏勝の家臣が誤って巨石を落とした。
怒った信長はその場で担当者を斬り、4か月後には氏勝を突如追放。25年前の反逆行為を理由にあげたが、直接的な原因は巨石落下事件だといわれている。

(反論や賢しらな意見に激怒)
越前朝倉攻めで敵の追撃を怠った家臣団に対し、信長が叱責すると、佐久間信盛は涙ながらに反論。
すると信長は「お前は自分の男としての器を自慢しておるのか!
何をもってそんなことをいう。片腹痛いわ」と激昂。ますます機嫌を悪くした。

(怒りに触れぬよう常に恐々)
ルイス・フロイスによると、家臣たちはみな顔に地をつけて信長に対応。信長の一声にみなが即座に反応し、少しの合図でみな即座に任務にとりかかった。
少しでも怠慢な態度や落ち度があれば徹底的に罰せられることを家臣たちが知っていたからだ。

* * *

【影山解説】
母親との関係上でライバル関係にあった弟・信勝を殺害して苦痛を断つも、遺恨は自分の中で増幅し、憎しみの矛先は家臣に向けられた。
ただし、現実主義ゆえの無能者への不理解など複合的な要素が絡み合っている。
また、優れた洞察力と強い猜疑心の半面、他人の心の痛みには驚くほど鈍感な部分もあった。

【カインコンプレックス】
自分は愛されず、弟ばかりが愛されたという子供時代の体験が同性への憎悪に変化。

●弟を溺愛した母が信長を「うつけ」にした。

(信長の母)
土田御前は気性が激しい信長より温厚な弟の信勝を溺愛。また経済観念など細かい点で性格が合わず、母子の間に埋めがたい溝を作っていった。
ただし、信長は正室、側室の愛情に恵まれたため、コンプレックスを克服。女性に対して優しい心遣いも見せている。

【信長はマザーコンプレックス?】
派手な格好を好み、名馬や名茶器など、人の持つ貴重なもの、珍しいものを欲しがった。貴重な物品に愛情の代償を求めた。

●信長は、自らの頭で考え、咀嚼し、理解する

(地球が丸いことは理に敵う)
信長は、宣教師が献上した地球儀、時計、地図などをよく理解したといわれる。
当時、世界が丸い物体であることを知る日本人はおらず、家臣たちは地球儀に関する説明を理解できなかったが、信長は「理にかなっている」といい、地球球体説を受け入れた。

(噂の大蛇、生け捕り作戦)
大蛇のいる池の噂を聞いた信長は、大蛇の生け捕りに出かけた。釣瓶を100個用意させ、人海戦術で池の水を減らして大蛇を捕えようとした。
しかし、途中でしびれを切らし、脇差を口に咥えて自ら池に潜ったが、大蛇は結局見つからなかった。

* * *

【影山解説】
因習にとらわれることなく理論的に物事を考えられるため、神仏を信じない。伝統重視の光秀とは対照的。
人、物、時間、風習などすべてにおいて無駄を嫌い、身分や仕えた年数に関係なくその時々で最適の人材を投入した。
楽市楽座などもこれからの社会づくりにおいて必要なものとして採用。また実証的で自分の眼で見たものを信じた。

●裏切り者と期待に違えた者は絶対に許さない

(信玄の背信が長年の鬱憤に)
信長は、同盟を結んでいたはずの武田信玄に裏切られたことを長年、根に持っていた。
信玄が没した2年後に起こった長篠の戦いで武田軍を破った直後に細川藤孝宛ての書状をしたため、「ここ数年の鬱憤を晴らした」と嬉々として報告している。

(裏切り者の髑髏は金の杯に)
妹婿の浅井長政には全幅の信頼を置いていた。そのため、越前朝倉攻めに際して長政に裏切られた後の復讐戦は執拗かつ苛烈を極めた。
勝利後は長政たちの髑髏を薄濃にして正月の宴で披露、最もこれは、死者への敬意をあらわすものともいわれる。

(ねちねちとした折檻状)
宿老の佐久間信盛・信栄親子を突然追放。命令に反して本願寺を攻撃しなかったことが最大の原因といわれるが、その際に19箇条にもわたる折檻状を送っている。
古い話まで書き連ね、詳細を極めた折檻状は、信長の性格を顕著にあらわしている。

* * *

【影山解説】
母親との関係に起因すると思われるが、他人の自分に対する評価が気になる。結果、日常から自己を厳しく管理した。
その厳しさは他人にも向けられ、信頼していた者の裏切りや反発、期待に応えない振る舞いには嫌悪を抱く。結果、感情が不安定になり、制御できないほど激しい怒りになる。信長から裏切り行為をしたことはほとんどなかった。

●冷血と寛容――。信長には矛盾する性格が同居していた

(不憫な物乞いに施しをした)
美濃と近江の境でいつもみかける物乞いが、先祖の常盤御前殺しの因果によるものだと知った信長は、木綿20反をその者に与え、村の住人たちにもその者を保護するように命じた。村の者みなが信長の慈悲深さに涙した。

(油断した女房衆の悲劇)
信長が数名の家臣を伴って竹生島に参詣した時のこと、留守の女房衆は気を緩めて桑実寺へ薬師参りに行ってしまった。
ところが信長は思いもよらぬ早さで帰還。城がもぬけの空だったため、激怒して女房衆を捕えて縛り上げ、刑罰を与えた。

(ねねへの優しさあふれる手紙)
秀吉の妻・ねねに宛てた手紙の中で、ねねが以前からずっと美しくなっており、これほど才色兼備な女性に対し、秀吉が不足を申すのは言語道断で、どこを探してもねねほどの女性を二度とあの禿ネズミが求めることができない、などとほめている。

* * *

【影山解説】
情は厚いが仕事の上では非常に厳しく、情を切り捨てて理に則って動いた。
この見事な切り替えが可能な点が通俗な独裁者と大きく異なる。食欲や性欲など地上的快楽より、知識欲や支配欲など天上的な愉しみが勝るのは統合失調気質とも考えられる。個人的残虐性はなく、新しい時代作りに邪魔なものを果断に排除していった。

【まとめ】
矛盾を内包する極めて複雑な性格の持ち主だった信長。その背景には、母親の愛情に飢えて育った幼少期の心の傷が見え隠れする。
派手好みも、マザーコンプレックス的な自己アピールの要素と、古代的理想主義の要素によるものと考えられる。

外部リンク

cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_boherwyo7e3r_「開眼供養」の「開眼」、何と読む?「かいがん」と読んだ方、要注意!【脳トレ漢字26】 boherwyo7e3r boherwyo7e3r 「開眼供養」の「開眼」、何と読む?「かいがん」と読んだ方、要注意!【脳トレ漢字26】 oa-serai 0

「開眼供養」の「開眼」、何と読む?「かいがん」と読んだ方、要注意!【脳トレ漢字26】

2021年1月2日 06:00 サライ

歳をとるというのは厄介なものですよね。周りからは、年相応に物知りなどと思われたりして… 。
うっかり漢字の読み方なんか間違えたりしますと、とっても恥ずかしい思いをするなんてこともあるかもしれません。
脳の方は、そろそろ錆びつき始めていて、若い時のようにパッパと記憶中枢からひっぱり出せなくなってきているかもしれませんが、「歳とってきちゃって、なかなか思い出せなくて… 。」なんて言い訳するようでは、サライ世代の沽券に関わる?
そんなことにならないように、動画を見ながら漢字の読み書きをすることで、脳のトレーニングとなります。

「脳トレ漢字」第26回目は、「開眼」をご紹介します。眼以外の他の全てが完成した後に仏像や仏画の眼を描き入れる行為のことです。
脳トレ漢字の動画を見ながら“読んで書く”ことで、記憶力を鍛えながら、漢字への造詣を深めてみてください。

■「開眼」はなんと読む?

「開眼」という漢字、読み方に心当たりはありますか?
「開眼供養」といった形で目にすることは多そうですが……

正解は……
「かいげん」です。


『小学館デジタル大辞泉』では次の二つの意味が紹介されています。
1:新作の仏像・仏画を供養し、目を点じて魂を迎え入れること。また、その儀式。
2:真理を悟ること。特に、技術・芸能の道で真髄を悟り、極致を窮めること。 「開眼供養」という場合は、1の意味になります。

ちなみに「手術などで目が見えるようになること」という意味の「開眼」は、「かいがん」です。上述した1、2の意味を持った「開眼」(かいげん)とは別の言葉になります。

■「開眼」の漢字の由来とは?


「開眼」を構成する漢字を一文字ずつ見ていきましょう。
「開」は「あける、解き放つこと」を、「眼」は文字通り「まなこ」を指します。
このことから、「まなこ」を「あける」、即ち「開眼」は「真実の道理を悟ること」「物事の本質を悟ること」を意味します。

■「かいげん」と「かいがん」の違い

上にも記したように、「開眼」には「かいげん」と「かいがん」という二つの読み方があります。
読み間違えることがないように、その違いをご紹介します。

開眼(かいげん)…… 新しくできた仏像や仏画に眼を入れて仏の霊を迎えること/物事のコツを掴むこと

開眼(かいがん)…… 目が見えること/物事のコツを掴むこと

もともと、「かいがん」という読みは「かいげん」を読み誤ったものでした。
しかし、今では「かいがん」にも「物事のコツを掴む」という意味が含まれていますよ。

 ***

いかがでしたか?
今回の「開眼」のご紹介は皆さまの漢字知識を広げるのに少しはお役に立てたでしょうか?
「かいがん」と「かいげん」は、現在では混同して用いられることが多々あります。
文脈から意味を推測して、正しく使い分けたいですね。


文/豊田莉子(京都メディアライン) アニメーション/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)

外部リンク

cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_8xuo9mgthx2c_強すぎる自立心から親に甘えられない…。自分が子どもだったと気づけたきっかけはがんだった~その1~ 8xuo9mgthx2c 8xuo9mgthx2c 強すぎる自立心から親に甘えられない…。自分が子どもだったと気づけたきっかけはがんだった~その1~ oa-serai 0

強すぎる自立心から親に甘えられない…。自分が子どもだったと気づけたきっかけはがんだった~その1~

2021年1月2日 02:00 サライ

取材・文/ふじのあやこ

近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。
本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。

「私は自立が早かったし、いつからか親はしてもらうものではなく、してあげる対象になっていた。仲は良いんですが、甘えることが自然にできなくなっていたんだと思います」と語るのは、美子さん(仮名・37歳)。
彼女は現在、大阪市内で旦那さまとの二人暮らしをしています。旦那さまとは1年前に入籍したばかりで、結婚には両親の後押しがあったのだとか。

両親はいつでもやりたいことを応援してくれた

美子さんは奈良県出身で、両親と4歳上に兄のいる4人家族。父親に怒られた記憶はなし。逆に気を遣って優しくしていたと当時を振り返ります。

「父親は私に甘々でしたね。父親は平日は帰りが遅くて、私は先に寝ていたんですが、私の部屋に来て酒臭い顔を近づけてくることがあって、何度も目が覚めてしまった記憶があります。それに小さい頃ですが、起きているときでもよく頬をこすり合わせてくることがあって……、髭がチクチクして大嫌いでしたね。でも、あまりに嫌がるとわかりやすくしゅんとしてしまうから。一緒にゲームをしようと気を遣って誘っていました(苦笑)」

一方の母親は父親の分まで怖かったとか。

「ニコニコしているんですけど、何か私が言うことを聞かないことがあれば、瞬時にキレて、瞬時に手が出てくるようなタイプでした。何でもハッキリ言うので、何度も傷ついたことがあります。私は小さい頃から大きな鼻がコンプレックスだったんですが、たしか中学生ぐらいに母親が毎日これに鼻を挟んで寝なさいって何かの器具を持ってきたんです。自分でもある程度気にしている部分ではあったものの、親がここまでするほど醜いものなんだって傷ついた記憶が残っています。メイクでは鼻には多めにノーズシャドウを入れてしまうのは、そのせいかもしれません(苦笑)」

それでも2人のことは大好きだったと言う理由に、美子さんは意見を認めてくれたことを挙げます。

「小さい頃でいうと、私がやりたいと言った習い事は全部やらせてくれました。その中で続くものもあれば続かないものもあって、そのときでさえ『合わなかったって早めにわかって良かったね』と言ってくれていました。今振り返るとピアノに水泳にバレエを習っていたんですが、安い月謝じゃなかったはずなのに。高校や専門学校に進学したいと言ったときも、『やりたいことならやってみなさい』と。学校での出来事も積極的に話を聞いてくれましたね」

自分の部屋が祖母の部屋に。急に進む自立に戸惑う時間はなかった

専門学校2年生のときに就職活動を本気でしていなかったこともあり、どこにも採用されなかったそう。
その事実から逃げるように後2年別の専門学校に進学しようと思っていた矢先、父方の祖母が寝たきりになり、母親は仕事を辞めて付きっきりで世話をすることになります。
そのとき初めて自立しなければという思いが強くなったと言います。

「学校は服飾系の専門学校だったんですが、真面目に就職活動もせずに、高校から大学に進学した友人はあと2年も学生で、私も22歳まで働きたくないって思いました。私の家は共働きで結構裕福だったから、また学校に行かせてもらえるだろうと甘い考えもあって。でも、祖母が足を悪くしてしまって、下の世話をする人が必要になりました。母親は潔くスパッと仕事を辞めて、祖母を家に招くために家をバリアフリーにリフォームしたりと、急に色々なことが動きだして。それで子どもから見ても家のお金事情の大変さはわかったというか、何としても就職しないといけないと思いました。当時兄は大学院に進学していてまだ学生だったから、私がお金のかからない子にならなければと」

就職先はシフト制である飲食店の接客業に。就職の少し前に一人暮らしも始めます。


取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

外部リンク

cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_s7dheno1dqv7_【古都の名水散策6回】「麒麟がくる」ゆかりの地に、名水「離宮の水」を訪ねる s7dheno1dqv7 s7dheno1dqv7 【古都の名水散策6回】「麒麟がくる」ゆかりの地に、名水「離宮の水」を訪ねる oa-serai 0

【古都の名水散策6回】「麒麟がくる」ゆかりの地に、名水「離宮の水」を訪ねる

2021年1月1日 06:00 サライ

日本は島国であるとともに、国土の大半が山地であり山国でもある。山地に降った雨は、川となり海へと流れる。
一部の水は地下にしみ込み、やがて伏流水として各地で湧き出す。
湧き出た水は、人々の生活を潤し、その地域の文化を育んできた。恵をもたらした湧水は、逸話と共に名水として語り継がれている。
そんな名水を求め各地を訪ねます。

古都の名水散策 第6回目は、大阪府と京都府との境に位置する「山崎の戦い」で知られる古戦場周辺を取材地に選んでみました。
この地域は、古くは平安時代おいて貴族の別荘地であったと伝えられ、数多くの史跡が点在しています。中でも、今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である明智光秀と羽柴秀吉が激闘を繰り広げた場所として富に有名です。
そんな古戦場近くの由緒正しき神社の境内に、まことに“雅な名水“があるというので、「古都の名水散策」にふさわしき水と思いまして取材に行ってまいりました。


「麒麟がくる」ゆかりの地、近くに湧き出す雅な名水

今回ご紹介する名水「離宮の水」は、大阪府と京都府の境に位置する水無瀬神宮(大阪府三島郡島本町)の境内にあります。
水無瀬神宮は、京都盆地から大阪平野への出口となる地域にあり、天王山と石清水八幡宮のある男山とに挟まれた地峡部に位置します。
その狭いところを、京都盆地から流れ出ている桂川、琵琶湖を源とする宇治川、そして笠置山地を横切って流れる木津川の三川が合流し大河淀川となる地点でもあることから、古より交通の要所として栄え、関所が設けられていた時代もあったようです。そうしたことから、歴史上重要な出来事が起こった場所として、歴史書や映画やドラマなどにもたびたび登場いたします。


特に天王山は、今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である明智光秀の軍勢と羽柴秀吉の軍とが激突した「山崎合戦(天王山の戦い)」があった場所として有名です。
また、幕末期においては“禁門の変”で尊皇攘夷派の一部が天王山の周辺に布陣して、会津藩、新選組等の幕府軍と戦闘を繰り広げた場所でもあります。

こうした歴史上の出来事により、今でも勝敗や運命の分かれ目を意味する「天下分け目の天王山」という表現が伝わり残っています。
歴史ファン、特に戦国武将に造詣の深い方にとっては、一度は訪れてみたい聖地のような場所ではないでしょうか?

因みに「天下分け目の戦い」として、表現される古戦場「天王山」ですが、実際の合戦は、天王山の東側の湿地帯で行われたそうです。秀吉は、山崎の戦い後、大坂城を築城するまでの間、山崎城を本拠地としていたとされています。

その「山崎の戦い」の古戦場跡にほど近いところに、水無瀬神宮は在ります。水無瀬神宮のある島本町水無瀬地区は、平安時代においては貴族の避暑地的な場所であったそうです。特に、後鳥羽上皇はこの地をこよなく愛し「水無瀬離宮」を造営したことが史跡などに記されています。
後鳥羽上皇が詠んだ歌の中にも、如何にこの地を愛していたかを示す和歌が残っておりますのでご紹介いたします。

「見渡せば、山もとかすむ 水無瀬川ゆふべは秋と なにおもひけむ」

後鳥羽上皇が愛でた水無瀬離宮跡に湧く、雅な名水「離宮の水」

後鳥羽上皇は、鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げるのですが、承久の変(1221年)に敗れた後に、隠岐島へ配流され、同地で崩御(延応元年 1239年)します。
後鳥羽上皇の死を悼み、水無瀬離宮の跡に御影堂が建てられたのが、水無瀬神宮のはじまりと伝えられています。その水無瀬離宮跡の井戸であることから「離宮の水」という名がつけられとのことです。何とも雅なお話しですよね。

この由緒ある水無瀬神宮は、水無瀬川の流れがつくった扇状地の扇端部に位置しており、「離宮の水」の出る井戸は、水無瀬川の作る砂礫層に掘られた深さ10メートル程の浅い井戸から採取されています。
「離宮の水」は、かつては神聖な井戸水として、御影堂の昔から神饌(しんせん)だけに用いられていましたが、 茶道の歴史が始まってからは茶の湯としても使用されるようになっております。
「離宮の水」は、大阪府下で唯一環境庁より全国名水百選として選ばれており、水量、水質ともに良好な状態が保たれているそうです。休日には、多くの人が湧水を求め列をなすこともしばしばとか….。

水無瀬神宮には、藤原信実作といわれる国宝の後鳥羽上皇像をはじめ、数多くの絵画・文書類が所蔵されている他、豊臣秀吉が福島正則に造営を命じ寄進した客殿や、後水尾天皇が愛好された茶室は国の重要文化財に指定されています。水無瀬神宮には、承久の変後に地方へ配流され崩御した、後鳥羽天皇(ごとばてんのう)、土御門天皇(つちみかどてんのう)、順徳天皇(じゅんとくてんのう)を合祀しております。

水無瀬神宮の近くには、NHK 朝の連続ドラマ小説の題材になったこともある日本ウィスキーの発祥“サントリー山崎蒸溜所”もあり、サライ世代にはお勧めの散策地です。
この地を訪れれば、古の歴史上の人物に思いを馳せながら、歴史ロマンに浸ることのできる1日が過ごせるのではないでしょうか?

名水を使用した地場産品関連

島本町や商工会が、地域起こしの一環として“離宮の水ブランディング事業”を推進しています。
『離宮の水ブランド』認証商品には『離宮の水ブランドロゴマーク』が貼付されています。現在『離宮の水ブランド』として認証を受けているのは12品目とのことです。
商品を掲載したマップが町内の公共施設や駅などで配布されています。味わってみては如何でしょうか?


名水に関する行事・活動

平成4年には、離宮の水を維持するために「離宮の水保存会」が発足しています。
「離宮の水保存会」は、定期的に水質や水量をチェックをするとともに、採水地周辺の清掃活動なども行なっており水質維持環境が保たれています。

取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)

外部リンク

cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_nlwp73zll98e_【朝めし自慢】石﨑千枝子(ハーピスト・69歳)「煮込み料理と常備菜が並びます」 nlwp73zll98e nlwp73zll98e 【朝めし自慢】石﨑千枝子(ハーピスト・69歳)「煮込み料理と常備菜が並びます」 oa-serai 0

【朝めし自慢】石﨑千枝子(ハーピスト・69歳)「煮込み料理と常備菜が並びます」

2020年12月31日 21:00 サライ

主菜は前夜に仕込む煮込み料理で、主食はなし。
加えて常備菜とゆで卵からなる朝食が、多忙なハーピストの健康の源だ。


【石﨑千枝子さんの定番・朝めし自慢】

前列中央から時計回りに、カチャトーラ(鶏肉・トマト・ズッキーニ・ピーマン・パプリカ・トマト缶・タイム)、柚子大根、キャロットラペ(パセリ)、ゆで卵、ヨーグルト(蜂蜜ナッツ)。カチャトーラはイタリアの鶏肉と野菜の煮込み料理。キャロットラペはフランスの家庭料理で、ラペとは細切りのこと。タイムと柚子は、自宅の庭で育てたものだ。蜂蜜ナッツは生徒さんからの到来物で、ヨーグルトに歯ざわりを添えて美味。


起床は午前6時半~7時。家事を済ませた後、朝食は8時頃だ。「夫はもっと早起きで、朝は別メニュー。常備菜の柚子大根やキャロットラペは夫の酒肴にも」と石﨑千枝子さん。


家で昼食を摂る時は、餅の磯辺焼きになることが多い。「昆布切り餅」を焼き、焼き海苔を巻いて食す。焼き海苔は、『豊洲林屋海苔店』製を常備する。

一服する時に欠かせないのが「さきたま棒茶」と和菓子。和菓子は「昆布切り餅」の『かじわ屋』から取り寄せたもので、写真は年末年始の「福梅」。加賀藩前田家の家紋“剣梅鉢”を象っている。

スタジオジブリのアニメーション映画『千と千尋の神隠し』で、ハープの音色に魅せられたという人は少なくあるまい。

「あの映画の主題歌『いつも何度でも』に登場するのは、ライアーという小型ハープです」

と説明するのは、ハーピストの石﨑千枝子さんである。

石﨑さんは小学3年生でハープに出会ったと、次のように語る。

「私が通っていた板橋区立富士見台小学校(東京)では、昭和35年頃から日本ハープ協会の三村勉先生を招いてハープの指導が始まったのです。そして、生徒を中心にジュニア・ハープ・アンサンブルが編成され、私もその一員でした」

東京・板橋区立富士見台小学校の生徒5人からなるハープ・アンサンブル。使っているのはアイリッシュ・ハープという小型のハープで、持ち運びしやすい。このハープで区内の演奏会やテレビなどに出演していた。石﨑さん小学5年生の頃(左からふたり目)。

こうして 石﨑さんの“ハープ人生”の幕が開いた。小学生が使うのはアイリッシュ・ハープという小型のハープで、ハープの早期教育と家庭楽器を目標に、日本で考案されたものだ。これで指使いを習得すれば、一般的なペダルハープに移行するのが容易だという。

中学から高校時代は個人レッスンを受け、卒業後は三村勉さんが主宰する日本ハープ音楽院に学ぶ。
この頃からアンサンブルメンバーとして海外公演を行なう他、ソロ演奏でも活躍してきた。

都立高校1年生の時には2か月ぐらいかけて、アメリカとヨーロッパを演奏旅行で回った(後列左からふたり目)。「若いうちに世界を見られたのが、貴重な経験になりました」と石﨑さん。後列男性が9歳から師事した三村勉先生。

ハープと出会って60 年。「出産や子育てで4年ほどのブランクはありますが、ハープをやめようと思ったことは一度もない。ひとり娘も5歳でハープを始めました」と石﨑さん。

炭水化物を控える

ハーピストは多忙だ。自らの練習に加えて、ハープ教室の講師や個人レッスンの指導もある。

「料理は練習の合間の気分転換になるので嫌いではないのですが、朝食に限っていえば、朝、作るのはゆで卵だけです」

畢竟、前夜が勝負だ。主菜となる肉類と野菜の煮込み料理は、前夜に仕上げておく。
よく登場するのはカチャトーラやラタトゥイユ、和風なら大根と鶏肉や豚肉の煮物といったところ。主食はない。

「60歳を過ぎた頃から、朝食の炭水化物は控えめに。摂ったとしてもクラッカー2、3枚です」

結婚前に土井勝さんや赤堀千恵美さんの料理学校に通って、基本だけは学んだ。その後の料理の先生は、外食だという。

「食べることが大好きで、外で食べて美味しいと思った料理は試してみる。案外、成功しますよ」

ハープ仲間の家族を招いて、手料理でもてなすのもまた、健康の秘訣だという。

ハープ・アンサンブルの音色が、人々の癒しになれば嬉しい

週1度、自宅で開かれる「ラ・ラミュール」の練習。石﨑さんと弟子4人からなるハープ・アンサンブルで、出張演奏にも。皆、音楽大学を卒業し、プロのハーピストとして活躍している人たちだ。

平成17年、ハープ・アンサンブル「ラ・ラミュール」を結成した。50歳を過ぎて、ハープで社会貢献活動をしたいと思ったからだ。

「公共団体や企業からの依頼で、介護施設や老人ホームなどを訪れています。アンサンブルが醸し出すハーモニーが施設にいる人たちの癒しになれば、これほど嬉しいことはない。今はソロ活動よりも、アンサンブルが中心です」
 
20代で始めた『銀座十字屋』のハープ講師を始め、『池袋コミュニティ・カレッジ』や『よみうりカルチャー川越』のリトルハープ・アンサンブルの講師もある。
リトルハープとは、手軽に持ち運べる小型ハープのことである。

「生徒さんは十人十色で、楽譜が読めない人もいます。けれど、その人が何を目標、目的にしているのかを見極めて接しています。決して押し付けないけれど、その目標のために的確なアドバイスをして、ゴールまで伴走できればと願って指導に当たっています」

現在、生徒は5歳から78歳までと幅広く、40~50人を数える。ハープの優雅で美しい音色を広めるのが使命である。

自宅で個人レッスンをする。生徒の貝塚靖子さん(77歳)は、古稀を迎えた頃に何かひとつ楽器をマスターしようと、石﨑さんに師事して6年目。アニメーション映画『千と千尋の神隠し』を観て、ハープに決めたという。


取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆

※この記事は『サライ』本誌2021年1月号より転載しました。

外部リンク

cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_rfz0alz4umdb_「1日3食」をやめることが健康への第一歩!? がまんしない医者の食卓の中身 rfz0alz4umdb rfz0alz4umdb 「1日3食」をやめることが健康への第一歩!? がまんしない医者の食卓の中身 oa-serai 0

「1日3食」をやめることが健康への第一歩!? がまんしない医者の食卓の中身

2020年12月31日 12:00 サライ

文/印南敦史

「健康を意識した食」と聞いて思い浮かぶのは、「1日3食、バランスよく食べる」とか、「野菜をしっかり摂る」というようなことではないだろうか。

ところが、内科医である『がまんしない医者の食卓』(内海 聡 著、フォレスト2545新書)の著者は、「肉も酒も脂もがまんしないで大丈夫」だと断言するのである。
本能が求める食事を楽しみながら、健康に長生きを目指せばいいのだとも。

これまで生きてきた45年間、病気らしい病気をしたことがないのだという。
あるのはスポーツ時の怪我くらいのもので、虫歯もなく、風邪や胃腸炎になることもないそうだ。

そんな著者が本書で伝えようとしているのは、「なにをどう食べるかによって、健康にも不健康にもなる」ということだ。
そしてそれらの多くは、従来の“常識”とは大きく異なってもいる。

そのいい例が、「朝昼晩と1日3食しっかり食べることが健康のためには大切」だという考え方に疑問を呈している点だ。
それどころか、健康のバロメーターのように推奨されている「1日3食」は、実はさまざまな病気を引き起こす不健康のもとだとすら言うのである。

注目すべきは、日本人の食生活についての問題点だ。先進国のなかでも特に日本人は、普通に食べていても食べ過ぎのカロリーオーバーになっている。
しかもカロリーオーバーなのに栄養は足りていない「隠れ栄養失調」にかかっているそうなのだ。

日本人に多い病気といえば、糖尿病、脳卒中、心臓病、脂質異常症、高血圧、肥満などの「生活習慣病」、あるいはアレルギー、膠原病、悪性新生物(がん)などが挙げられる。しかし、それらすべての元凶は、食べ過ぎにあるといっても過言ではないという。


健康で長生きをしたければ、まずは「1日3食」をやめること。
やれ、栄養価の高い野菜を食べろ、高額な健康器具を導入しろといった面倒でお金のかかる話ではありません。
ただ、食べる量を減らして、ちょっと食べるものに気をつけるだけ。それだけで健康で長生きができるのです。(本書20ページより引用)


かくいう著者自身も、現在は1日1~2食が基本。
朝食は抜くが、それは、そもそも食べたいという欲求が湧いてこないから。
昼食を食べるのは、空腹を感じ、なおかつ時間のあるとき、もしくは仕事上のつきあいがある場合のみ。そして、夕食は普段どおりに食べる。

そんな食生活をするようになって、体調がすこぶるいいそうだ。

しかし、なぜ食べ過ぎるとさまざまな病気につながるのか?
著者によればそれは、人間の消化・吸収する構造にあるらしい。


私たちは食べることで、外から栄養を取り入れて消化し、エネルギーをつくっているわけですが、その食べ物は口で咀嚼され、喉を通って胃に入り、酵素によって消化され、腸管から吸収されるまでは、個人差もありますが、だいたい1日程度かかります。
その間、消化・吸収のために内臓は常に動いているので、食べ過ぎると、内臓はずっと働きっぱなしになっているわけなのです。
そうするとどうなるか。内臓はしだいに疲れていき、どんどん老化していくのです。(本書24ページより引用)


とはいえ人間は、食べて体や心をつくっている。だから食べないわけにはいかないのだが、食べる機会や食べる量を減らすことなら可能だ。
そうすれば内臓を休ませることができるので、体にかかる負担も減るということ。

つまり健康のためには、消化・吸収にかけるエネルギーを必要最低限に抑えることが必要だという考え方なのである。

それは、空腹でいる時間が長かったと考えられ、しかも粗食が一般的だった古代人や野生動物の食習慣を見ても明白だという。

古代人と現代人では体のつくりも違い、生活環境も異なるだろう。
それでも、せめて食べ過ぎることのない“以前の食生活”に戻せば、多くの病気を予防したり、克服することが可能になる。

すなわち、いまよりも健康で長生きができるに違いないということだ。

だからこそ、消化・吸収の負担が大き過ぎる「1日3食」をやめることが健康への第一歩だと主張するのである。

だが一方、著者のなかには「食事は楽しいもの」であるという前提もある。
毒になるものを避け、栄養にこだわることもある程度は大切だが、そういうことにばかりこだわっていると、ストレスになる。
食べることは生きることなのだから、食べることが楽しくなくては、生きることもつまらなくなってしまうということだ。


神経質にとらえないで「70%くらい毒を避けられたらいいなぁ」くらいの感覚で取り組むのが長続きのコツです。
要は、食品に対して害があることを知ったうえで摂取するのか、知らないで摂取するのか。そこがいちばん重要なのです。その後の選択は個人の自由です。(本書157ページより引用)


食べ過ぎは体によくないし、危険な食材も少なくない。とはいえ、これくらいの“ゆるさ”を持っていないと、ストレスにつながっても無理はない。
それはそれで、納得のいく考え方ではないだろうか。


文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)などがある。新刊は『書評の仕事』 (ワニブックスPLUS新書)。2020年6月、「日本一ネット」から「書籍執筆数日本一」と認定される。

外部リンク

cat_8_issue_oa-serai oa-serai_0_h9da65jqkpps_災害時の安否確認に威力を発揮! スマートフォンを使いこなすアプリ選び h9da65jqkpps h9da65jqkpps 災害時の安否確認に威力を発揮! スマートフォンを使いこなすアプリ選び oa-serai 0

災害時の安否確認に威力を発揮! スマートフォンを使いこなすアプリ選び

2020年12月31日 09:40 サライ

そろそろ携帯電話をスマートフォン(以下、スマホ)に切り替えたいと思っているが、使いこなせるか不安を持つサライ世代は多い。
あるいは、スマホは持っているが、電話とメールしか使っていないという人もいるかもしれない。

そもそもスマホとは何か。
インターネットやスマホの情報に詳しいITジャーナリストの高橋暁子さんに聞いた。

「スマホとは“電話機能を持つ、持ち運びができる小さなコンピュータ”です。電話やメールはもちろん、音楽を聴いたり、本を読んだり、写真やビデオを撮ったりと多彩な機能を持ちます。最新のニュースも届きます。外出時にガイドブックやカメラを持たなくても、スマホが一台あれば済むので荷物を少なくすることができます」

反面、多機能ゆえに操作が難しい印象を与える。高橋さんはこう続ける。

「たいへん賢い携帯電話といえますが、スマホはすべてアプリ(アプリケーションの略。スマホで動作するソフトウェアを指す)によってさまざまな機能を果たします。ですから、スマホを使うということはアプリを使うことと同じ。つまり、スマホで何をしたいかは、どのアプリを選ぶかということになります」

分からないことは家族に聞く

アプリにより、その機能をいくらでも変えるのがスマホといえる。
例えば、電話にしか使わないのであれば、スマホは電話機でしかない。
しかし、カメラアプリを使えば写真機になり、料理のアプリを開けばレシピ本になる。スマホはアプリにより顔を変える。

高橋さんにアプリ選びのコツを聞いた。
「これがしたいからこのアプリを使おう──という具体的な目的を持っておくとよいでしょう。孫や友人たちとやりとりをしたいので『LINE(ライン)』を使いたいとか、健康維持のために歩数計を使いたいなど、それぞれの目的に合わせたアプリを選んでいく。なにより、スマホで楽しいことをやろう! と思うことが大切です」

それでも大問題になるのが「どう使うのか」である。
使い方が分からなければ、どんなに優れたアプリでも宝の持ち腐れだ。

「LINEの設定や使い方などは、家族や友人に聞くなど、人を頼りにするのがいちばん習得が早いですね。それだけで交流になりますし。携帯電話会社でも使い方を教える教室を開催しているので、加入している携帯の販売店を訪ねてみるのもいいでしょう」(高橋さん)

LINE、フェイスブック、ツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)によって、人間関係が広がるのもスマホの魅力だ。サライ世代にこそSNSで交流を広げてもらいたいと高橋さんは言う。

「電話やメールは一対一でのやりとりですが、SNSは複数の人たちと同時に交流できるのが魅力です。卒業してから何十年にもなるのに、フェイスブックで同窓生同士がつながったり、趣味の仲間で情報を交換したりと、スマホには楽しみが詰まっています」

<入れておきたい無料アプリ4選>


●LINE(ライン)

特定の個人や複数の相手と無料でメッセージや音声通話、テレビ通話、写真、ビデオなどのやりとりができる。
文字の代わりにスタンプというイラストを使うこともできる。

●毎日歩こう歩数計Maipo(マイポ)

日々の歩数に加え、距離、時間、消費カロリーを自動的に計算し、記録してくれる。
目標の達成度も一目で分かり、カレンダー形式で一覧できる。

●家族アルバム みてね

スマホで撮った孫などの写真や動画を家族で簡単に共有。
コメントをつけたり、感想を書き込んだりすることでコミュニケーションが深まる。
容量無制限で写真は自動的に整理される。

●radiko(ラジコ)

民放ラジオとNHK第一、NHK-FM、放送大学が聴ける。
過去1週間分の「タイムフリー」(聴き逃し聴取)に対応。
有料プランだと全国のラジオ局の番組を聴くことができる。

新しい世界を開くツール

スマホは人間関係を結ぶツール(機器)であり、特に家族をつなぐツールであると高橋さんは言う。

「災害時には、家族がSNSでつながっていると安心です。電話が通じなくても連絡が取れますし、LINEのように、メッセージを読んだことが分かる『既読』表示になればそれだけで安否が分かります。じつはLINEの『既読』は、東日本大震災の教訓を活かして付けられた機能なんです。自然災害が多い日本でこそ、SNSで、家族や知人の連絡手段を確保しておくことをお勧めします。またツイッターは非常時の情報収集に非常に役立ちます」

スマホを持つだけで、すぐに新しい世界が開けるわけではない。
趣味や興味のあることをアプリが手助けしてくれるSNSは、安全や安心にも寄与する。
使いこなせばスマホは日々の暮らしになくてはならないものになる。

「興味のあるアプリを入れ、指先で“トン”とタップ(画面上のアイコン(マーク)の上を指で軽くたたく動作で「押す」「タッチ」と同義語)すると、そこから新しい世界が開けてくることでしょう」(高橋さん)


【スマホを使いこなすための4か条】

一、どこにいても新しい情報が入手できる
外出先でもインターネットに接続できるので、ニュースサイトやSNSなどから、災害や列車の遅延など最新の情報を知ることができる。

二、1台のスマホはパソコンと同じ機能がある
スマホは手のひらサイズのコンピュータ。最新の機種は、高速の処理速度を備え、美しい画面で写真や動画を楽しむことができる。

三、スマホの機能は「アプリ」次第
スマホの機能はアプリの数だけ拡張するが、よく使うアプリは限られてくる。必要以上の数のアプリを入れる必要はない。

四、機種は家族と同じものにする
使い方を家族から教えてもらうことも多くなるので、iPhone(アイフォーン)かAndroid(アンドロイド)か迷ったら同じ機種を買うのがお勧め。



解説:高橋暁子さん(ITジャーナリスト)
SNSの黎明期からインターネット関連の情報を発信。講演、セミナーなどでスマホやSNSの安全・安心利用について語る。著書に『ゼロからはじめるLINE超入門』など。

※この記事は『サライ』本誌2021年1月号より転載しました。(構成・文/宇野正樹)

外部リンク