取材・文/ふじのあやこ
家族の中には、血縁のない『義(理の)家族』という間柄がある。結婚相手の親族関係を指すことが一般的だが、離婚件数が増える現在では、親の再婚相手や、再婚相手の連れ子など、家族の関係は複雑化している。血のつながりがないからこそ生じる問題、そして新たに生まれるものも存在する。義家族との関係を実際に持つようになった当事者にインタビューして、その時に感じた率直な思いを語ってもらう。
今回お話を伺ったのは、杏里さん(仮名・35歳)。
28歳の時に学生時代にアルバイト先で知り合った男性と結婚、現在は兵庫県内にて小学生のお子さまと3人で暮らしをしています。
両親は仕事好きで放任主義。そんな中で姉妹の絆は強くなっていった
杏里さんは兵庫県出身で、両親と4歳上と2歳上に姉のいる5人家族です。父親は商社のサラリーマンで国内外へ出張に行く機会が多くあり、母親も簿記の資格を生かして会計事務所で勤めていたそう。小さい頃は近所に住む従姉の家によく行っていたと言います。
「母親の姉の家が近所にあって、伯母は専業主婦だったこともあってよく遊びに行っていました。従姉も女の子で、私と二番目の姉と間の年齢だったこともあっていつも3人で遊んでいました。一番上の姉は部活などで帰りが遅かったから、あまり一緒に遊んだことがありませんでした。それに一番上の姉はどこか気難しくて、冷めたところがあって、私たちとあまり仲が良くなかったんです。両親も仕事に忙しくて、放任でした。成績についても通信簿をあっさり見るくらいでテスト結果なんて興味がない感じでしたね。頭は真ん中の姉が悪くて、私は普通ぐらいだったので怒られることも褒められることもなかったです」
高校は姉妹それぞれ別々のところへ。杏里さんが高校に進学する頃には姉妹で遊ぶこともなくなっていき、さらに家族団らんといった時間はさらに少なくなっていったとか。
「家族仲は悪くはないんですが、一人ひとりが勝手に生きているという感じですかね。晩ご飯は母親や姉たちが用意してくれていて、夜ご飯と同じタイミングで次の日のお昼のお弁当用のおかずを大皿にたくさん作ってくれていました。それを各自で詰めていきます。これは早い者勝ちで、晩ご飯よりも戦いでしたね(苦笑)。真ん中の姉は高校ぐらいから料理好きになって、暇があると何か作っていました。作るお菓子の種類で付き合っている男性が変わったんだなってわかるぐらいでしたから」
大学に進学した時には、同時期に短大を卒業して就職が決まった姉が実家を出ていきます。そして、その2年後に姉は授かり婚をします。
「22歳での結婚で、家族全員がびっくりしていました。母親はあっけらかんとしていましたが、父親は微妙な顔をしていたことを覚えています。今のように授かり婚に寛容な世の中じゃなかったけど、うちの両親は大丈夫でした。私はなんとなく寂しかったです。姉が1人暮らしを始めてからは前みたいに仲良くなって頻繁に泊まりに行っていたのに、これで行きづらくなってしまったとか、向こうの家の人になってしまうんだなって思って。いずれそうなるとしても、もっと先だと思っていましたから」
姉妹揃って嫁いだ先は男兄弟の家。早くに結婚した姉は義家族とうまく付き合っていた
真ん中の姉が結婚後も心配した疎遠などはなく、今まで通りの関係が続きます。何度も遊びに行くことで相手の家庭の話もよく聞くようになっていったとか。
「義兄は姉より5歳上で、私たち家族とは違い男性の2人兄弟でした。長男でしっかりしていて頼りがいのある優しい人で私にもとてもよくしてくれました。それに姉のところの義母はすごく淡泊な人で、義兄とは別に不仲でもないのにまったく干渉してこないみたいなんです。家族の行事ごとへの参加もほぼなくて、本当に気楽で付き合っていた頃と変わらないと言っていました」
そして杏里さんも大学在学中にしていたアルバイト先で出会った男性と28歳の時に結婚します。旦那さまは義兄と同じく男兄弟の長男坊だったそうです。
「夫とは同い年で7年弱も付き合ってからの結婚で、結婚までに半同棲を2年ほどしていました。付き合っている時から夫はよく私の実家に遊びに来ていたし、姉夫婦とも何度も一緒に食事をしていました。夫は気難しい一番上の姉ともうまく付き合えるような、人たらしなところがあったんです。義両親、特に義母にも夫と同じような人たらしというか人懐っこい雰囲気を感じていました。付き合っている時はいつ遊びに行っても歓迎ムードで、結婚してからも姉家族と同じようにうまくやっていけると思っていました」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。