東日本大震災からはや10年。ペットや家畜など、人とともに暮らす動物たちもまた犠牲になったが、その多くは津波でも放射能でもなく、置き去りにされた後の餓死だった。フリーカメラマンの太田康介さん(62)は震災直後の3月末から福島に入り、飢えや渇きに苦しむ家畜、食べ物を求めてさまよう犬猫たちの写真を撮影し、現状を伝えた。その後もボランティアとして活動しながら撮影を続けてきたが、新型コロナウイルスの感染拡大で仕事が激減したのを機に今年1月、40年以上暮らした東京から母のいる故郷・滋賀県に帰ったと聞き、琵琶湖畔を訪ねた。(聞き手 編集委員・山上直子)
牛の涙に「チクショー!」
「あのときは何をやってもだめでしたね。足が冷たいだろうからせめてもと牛の足元に板を敷いたり、用水路から上がらせようと廃材でスロープを作ったりしたんですが…。もう弱って、この子は立つこともできなくなっていました」
用水路に落ちてうずくまる牛。冷たい雨が容赦なく降り、夜には雪に変わったという。そばの牛舎はまるで地獄絵だった。飢えて死んだ牛、やせ細って足腰が立たなくなった牛…。
惨状を見た誰かが、牛舎の柵を開けたのだ。外に出た牛たちは多少の草を食べることはできたが、今度は水を求めて用水路に次々と落ちた。自力で上がることもできず、弱っていくばかりだった。
「ひと思いに殺してやりたいと思いました。でもこいつらは肉牛なんです。助かってもいずれ出荷される。でも、家畜を飢えて死なせちゃいけないよ…」
3月30日。現地に入った人のツイッターで置き去りにされた動物たちの窮状を知った太田さんは、一人で福島に向かった。車にエサを積み、カメラを持って。動物を探しながら車で福島第1原発から30キロ、そして20キロ圏内へと入った。
「取り残された犬たちは人間を見て近づいてくるんです。痩せておなかが空いているだろうに、あげたエサを食べはしますが、それより人恋しそうにすり寄ってくる。胸がつまりました」
徘徊(はいかい)する犬は見たが、猫にはほとんど会えなかった。
「でも、いるのはわかる。一人でエサをやっていてもきりがないので数日後、東京のボランティアさんたちをつれて再び入りました」。捕まえられる犬猫たちを救出していく。そして4月の上旬、「牛がたいへんなことになっている」と聞いたのだった。
<牛舎に残っていた起き上がれなくなった牛に、水を与えようとしましたが、吐いてしまいました。牛は、涙をポロリと流しました。私は無力です。
チクショー、チクショー。畜生は、私たち人間の方だ>(『のこされた動物たち』から)
決して忘れてはならない、犠牲になった動物たちの苦しみ。
当時の菅直人政権が20キロ圏内に残る家畜について「安楽死とするよう」知事に指示したのは5月も半ばのことだった。
一方で、残された犬や猫はまだまだいた。太田さんは決意する。自宅にも猫がいて自分が保護してやることはできない。
「なんとかここで生きてもらって飼い主が戻る、またはボランティア団体らが保護してくれるのを待つ。写真を撮りながらエサを置いていくことなら自分にもできると思ったんです。自分の方針が決まったのでした」
猫のために…アライグマに悪戦苦闘
平成23(2011)年の春、太田さんの福島通いが始まった。〝のこされた動物〟たちへの給餌活動である。最初の2年はほぼ毎週。東京の自宅から、ドッグフードやキャットフードを車に積んで暗いうちに出発した。
着いたら犬や猫を探し、写真を撮りながら、いるとわかっている場所にエサを置いていく。当初はエサの袋をカッターナイフで切って、次へ、次へ。数をこなすには急がなければならなかった。ところが、人間のいなくなった町だ。置いておくだけではカラスやイノシシなど、野生動物に食べられてしまう。工夫が必要だった。
「最初は段ボールから始まりました。中が見えないとカラスは防げる。次に押し入れ収納ケースを使いました。ところがイノシシなどに壊されてしまう。タヌキも来ます。猫だけが跳び上がって食べられるように、高さを出さないとだめだと気付きました」
最初に足を付けてみたがイノシシに体当たりされて粉砕。「素人ですからね、笑っちゃうような失敗はたくさんありました。一番いいのは屋根のある住宅のカーポート。その足にくくりつけると雨も防げます」
さすがに黙ってだれかの家に、というわけにはいかず、学校などの公共施設などを〝拝借〟させてもらうこともあった。
その数、最大で55カ所にのぼった時期もある。難敵はアライグマだとか。「上れるし器用だし箱をかじって穴もあけることができる。お手上げでした」
猫が来ているかどうか確かめるために監視カメラをしかけると…。中に入ったアライグマが出るときにはおなかがいっぱいになってしまい、出られない映像が。「必死で出ようとして、ようやくポンッて。ちょっとかわいかったなあ」
そうした活動を自身のブログ「うちのとらまる」で逐一、つづった。悪戦苦闘の日々、クスリと笑える失敗談、そして、保護された犬猫たちの後日談も。太田さんが情報提供した猫たちがボランティアに保護されたと聞くと、「本当にうれしかった」。
現地では多くのボランティアも活動していたが、連携や情報交換はしても太田さんは単独行動に徹した。寄付や援助とは一線を画したかったからだ。そして嘘偽りのない現地の情報を伝え続けた。
多くの出合いもあった。そのうちの一つが、浪江町で牛を飼い続けている「希望の牧場」だ。寄付や廃野菜などの物資提供などを受け、ここでは牛が今も生きている。太田さんは福島に行くと今も立ち寄る。
「ここで生きている牛たちはどれだけ幸せかと思います」
福島での給餌活動は昨年まで続けていたが、2年たち、5年たち…しだいに猫たちは姿を消していった。多くは飼い猫ではなく、震災前に住民らが食べ物をやっていたいわゆる外猫や野良猫だ。人がいなくてはもともと、生きられない。
ところが、住民の帰宅が始まると再び猫を見かけるようになった。けれどそれは人とともに新たにやってきた猫たちだ。置き去りにされた動物はもういなくなったのである。
知られざる多摩川の河原猫の物語
昭和33年、滋賀県生まれ。小学校5年生のとき、父に買ってもらったのがカメラとの出合いだった。「学校の遠足とかで、カメラを持ってくる子、いるでしょ。それでした」
高校生のときに一眼レフを手に入れ、地元の写真コンクールで佳作に。「それが勘違いの始まりでしたね。オレ、写真うまいの?って」と笑う。
プロのアシスタントを経て、編集プロダクションにカメラマンとして入社。1980年代からアフガニスタンやカンボジア、旧ユーゴスラビアなどの紛争地帯に入り、戦場カメラマンとして活動した。北朝鮮、中国の中南海地区などにも潜入した経験がある。
「報道カメラマンに憧れて、戦場に行きたいと思っていました。アフガンでは2度逮捕されました」
その後独立、フリーになった。戦場から被災地へ?と思ったらその前に大きな転機があった。猫である。
きっかけは平成21年、テレビで多摩川河川敷の厳しい環境で暮らす野良猫たちのドキュメンタリーを見たことだ。自宅でも猫を飼っていた太田さんは、いてもたってもいられなくなる。「自分にも何かできることはないか」と、河原に通い始めた。そこでは、人に捨てられた猫たちが寄り添いあって暮らしていた。
「それまで家の猫にしか興味がなかった。でも外で生きている猫の存在に気づいたんです」。そこで猫たちを見守るボランティアや、毎日猫にエサをやるために通ってくる男性、河川敷で暮らしながら遺棄された犬猫の世話をするホームレスの男性らと出会った。
東日本大震災直後の23年3月末、おなかをすかせた犬や猫がいると知ってすぐに被災地に駆け付けたのは、その経験があったからだ。「河原猫の仲間たちが、福島で苦しんでいると思ったからでした」。そして約10年に及ぶ、被災動物への給餌活動が始まったのである。
河原猫の後日談があった。太田さんが通い始めて数カ月後に〝救出作戦〟が始まり、猫たちはボランティアに保護された。太田さんも1匹の白猫を引き取り、その物語は昨年9月「おじさんと河原猫」(扶桑社)として出版された。今ごろ刊行したのには理由がある。「高野さん」と呼ばれていたホームレスの男性が、令和元年の台風で増水した多摩川で行方不明になったと知ったのだ。猫たちを心配して河原にとどまったらしかった。
「ホームレスの人たちを当てにして動物を捨てにくる無責任な人たちもいるんです。放っておけず世話をしていた優しい人がそんなことに…。こういう人がいたということを、知ってもらいたかったのです」
カメラマンとしてのテーマが定まったのではなかったか。
今年1月、妻と猫たちとともに東京から故郷の滋賀県に戻った。目標は、また、猫の写真を撮って本を出版することだ。「ただかわいいだけの写真集は私の仕事ではないと思います。動物の遺棄や虐待も後を絶ちません。何かストーリーがあって、それを追いかけて写真を撮っているうちに本にできればいい。そしてそれが猫の幸せにつながるような、そんな本を作りたい」
ボランティア仲間から福島県双葉町の名産というダルマをもらった。復興のシンボルという。今はまだ片目だけだが、「こっちで1冊、本を出せたら目を入れようと思って」。
ノンフィクション猫カメラマンの再出発である。
【プロフィル】おおた・やすすけ 昭和33年滋賀県出身。1980年代後半から紛争下のアフガニスタンや旧ユーゴスラビアなどで戦場カメラマンとして取材。90年代には北朝鮮の取材も。東日本大震災後に被災地に入り、家畜やペットなどの動物たちを撮影して現状を訴えた。その後もボランティアとして警戒区域内で活動。著書に「のこされた動物たち 福島第一原発20キロ圏内の記録」「待ちつづける動物たち」「しろさびとまっちゃん 福島の保護猫と松村さんの、いいやんべぇな日々」「うちのとらまる」「やさしいねこ」「おじさんと河原猫」など。