毎日、家の窓から登下校中の同年代の子たちを眺める、学校に行けない僕。「フツウじゃない」と苦しんだ少年は、どうやって自分の居場所を見つけたのか-。小中学校9年間の不登校体験に基づいた作品を発表している、漫画家の棚園正一さん(38)。今春、新刊『学校へ行けなかった僕と9人の友だち』(双葉社)を出版した。中学時代から社会人になるまでの成長を描いた「不登校のその後」の物語だ。
鳥山明さんとの出会い
棚園さんは小学1年の時、授業中に担任教師から殴られたことをきっかけに不登校になった。前作『学校へ行けない僕と9人の先生』(同)では、自己否定に苦しみながらもさまざまな先生と出会い、成長していく様子が描かれた。
家で過ごす時間の中で、絵を描くことに楽しみを見いだし、漫画『ドラゴンボール(DB)』が心の支えとなった棚園さん。中学1年の時、母親の同級生だったDBの作者、鳥山明さんとの面会がかなう。「学校に行かなくても漫画家になれますか」と問いかけると、「行かなくてもなれるとは思うけどさ 行ったほうが学校の話とか描けるから便利かもね」と鳥山さん。その言葉で、自分を責めなくていいと思えるようになった。
今作のテーマは「不登校のその後」だ。「前作発表後に、講演に呼ばれるようになりました。その時、不登校だった人がどうやって大人になったのか知りたいという声をよくいただいたんです」と語る。
「鳥山さんと出会って一気に道が開けた」という印象を持たれるが、「大きな転機でしたが実際は、いろいろな人との出会いで価値観が少しずつ変わっていったことを伝えたかった」。
大切なのは場所ではない
今作は、棚園さんが中学3年の時点から始まる。通学できる日もあり、「学校に行けない自分が許せない」という状態を脱したが、教室でうまくふるまえず空回り。「不登校だったことを意識しすぎて、うまくコミュニケーションができなかった」と振り返る。
学校への苦手意識が消えないまま、アニメの専門学校を経て、大学受験予備校に通うように。ここでの出会いが、コンプレックスから解放されるきっかけになった。「予備校には、学校になじめなかった人も、なじまなかった人もいました。帰国子女もいたし、もっと先の勉強がやりたいから行かなかった人もいた。不登校にも色んな形があるんだと知りました」
「学校」だけではない、たくさんの価値観に触れ、世界が広がった。友達と過ごす時間を通じ、大切なのは学校という場所ではなく、充実した毎日だと気づいたのだ。
その後は、美術系の大学に進学。「フツウにならなくちゃ」と強迫観念にとらわれていた少年はいつの間にかいなくなっていた。
ただ、漫画家への道のりは平坦(へいたん)ではなかった。出版社への持ち込みがうまくいかず、漫画賞も選外に。「救い」だった漫画に追い詰められた。「不登校の劣等感を、漫画を描くことで埋めていました。だから漫画がうまくいかないと、生きている意味なんてないと考えてしまった」
それでも前に進めたのは、やはり、人との出会いだった。小学校の同級生からチラシにイラストを描く仕事をもらい、雑誌掲載以外の漫画の仕事を知った。コワーキングスペースで会った人たちは、同じように仕事の壁にぶつかっていた。「悩み、迷って生きているのはみんな同じだと知ることで、フラットに漫画に向き合えるようになりました」と明かす。
編集者の勧めで、不登校の経験を描いた前作を発表し、漫画家としての可能性も広がった。
行きたくなったら行けばいい
新型コロナウイルスが拡大する今、子供にとって苦しい時期が続く。警察庁のまとめによると、令和2年の小中高生の自殺者数が統計のある昭和55年以降最多の499人に上る。さらに例年、長期休暇明けは子供の自殺が増える傾向にある。「自分も新学期や休み明けはやり直す絶好のタイミングだと思っていました。でも、やり直そうという気持ちに負けて行けなくなることも多かった」と明かす。
棚園さん自身もかつて、「死にたい」と落ち込んだこともあったし、当事者の悲痛な思いはよく理解できる。「棚園さんは運が良かっただけ」「具体策が知りたい」といった声が寄せられることもあるという。
「自分もそうでしたが、つらい時は、心が痛くて、誰の助言も入ってきません。でも、痛みやつらさに慣れて、ふっと顔をあげることができる時期が絶対に来る。その時に、こういう道もあるんだよ、と示せるような作品になっていたらうれしいです」と語る。
不登校の日々とそこで出会った人々が、今の自分に繋(つな)がっている。「全てが糧になる日がきっと来る。学校に行ったら行ったで楽しいことがあるし、行かないなら行かないで別のすてきな経験ができる。生き方は自由なんです」(文化部 油原聡子)
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