4月に死去していたことが分かった俳優、田村正和さんは、「眠狂四郎」「古畑任三郎」シリーズなど、ニヒルな剣士や飄々(ひょうひょう)とした刑事役など二枚目役を得意とした。コミカルな役もこなしつつ、テレビでスターが大衆化され、二枚目であり続けることが難しい時代にあっても、徹底した美意識を保ち続けた。
フジ取締役「田村さんなくして、あのドラマはありませんでした」
“阪妻(ばんつま)”の名で一世を風靡(ふうび)した名優、阪東妻三郎さんの三男として生まれた田村さん。長兄と弟も芸能界に進む芸能一家の中で、線の細さから伸び悩んだ時期も続いたが、時代劇「眠狂四郎」(昭和47年)で一躍お茶の間の人気を博す。田村さんの陰のある狂四郎は、繰り返しテレビドラマ化された。原作者の柴田錬三郎さんも「最高の狂四郎役者」とほれ込んでいたという。
「二枚目」と自他ともに認める田村さんの転機となったのがドラマ「うちの子にかぎって…」(59年)の教師役だった。生徒にたじたじになるコミカルな演技が幅広い年代に受け入れられ、以後、コメディーにも積極的に出演した。
平成6年には、三谷幸喜さん脚本の大ヒットドラマ「警部補・古畑任三郎」に主演。“和製コロンボ”のような警部補役で、毎回犯人役で出演する大物俳優と対決する推理劇が評判を呼び、以後、シリーズ放映される田村さんの代表作となった。
また、独特の鼻にかかった話し方や、あごに手を当ててほほえむダンディーなしぐさは、バラエティー番組などでものまねされることも多かった。
自身を「照れ屋で恥ずかしがり屋」と語るだけに、素顔も無口。昭和45年に結婚した和枝夫人との間に1女があったが、私生活については「個人的なことは話したくない」とそっけなかった。
最後の出演作となったフジテレビ系時代劇「眠狂四郎 The Final」の撮影が始まった平成29年には、「年相応の役をやる選択肢もあったが、やっぱり『眠狂四郎』がやりたかった」と話し、「姿勢に気を付けたり、メークさんにお願いしてシワを少なくしてもらったり。40~50代の頃の狂四郎に近くしようと思ってね」。晩年まで男の美意識にこだわった希有(けう)な存在だった。
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