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つながりは「インスタ」 総長なき令和の暴走族

2021年5月9日 11:42 産経ニュース

 ど派手にカスタムされたエンジンカバーに、高い背もたれの「三段シート」。ナンバープレートは警察の目を逃れるために跳ね上げた“カチ上げ”仕様…。最近摘発されたある暴走族の改造バイクの一例だ。見た目は昭和時代以来の暴走族と変わらないが、捜査関係者によれば、その集団の構成は、従来型とは一線を画す。「今度一緒に走ろう」。会員制交流サイト(SNS)で緩くつながり、互いに初対面でも、並走して爆音をとどろかせる。警察も難儀する暴走族のニューカマーとは-。(鈴木源也、藤木祥平)

臨海部に響く爆音


 昨年7月の深夜、神戸市中央区の臨海部の国道をバイク13台が暴走していた。計20人の男女がそれぞれバンダナで顔を隠して4車線に広がり、エンジンの爆音を響かせながら違法転回に信号無視と、やりたい放題だった。
 「そこのバイク、危ないから止まりなさい」。パトカーの制止もどこ吹く風、約4分間にわたる追跡の末、集団は散り散りになって逃走した。

 兵庫県警は、付近の防犯カメラやドライブレコーダーの動画を精査し、暴走行為をしていた人物を順次特定。今年5月までに、道交法違反(共同危険行為)などの疑いで16~21歳の計16人を逮捕した。

総長なき匿名集団


 事件の捜査によって、この集団が従来型の「暴走族」ではくくれない構成だったことが分かった。地元だけでなく、大阪や京都からも神戸に参集し、その日まで互いに面識がないメンバーもいたのだ。

 厳しい上下関係を嫌い、特攻服は着ない。グループ名もなく、見た目はいたって普通のバイク好きの少年たち。ある捜査関係者は「昔の暴走族ならトップの総長を捕まえれば芋づる式に仲間を特定できた。今の子たちは集団内の関係が希薄で、一人一人を個別に特定しなくてはならない」と、捜査が複雑・長期化する傾向があると明かした。

〝暴走ツーリズム〟


 少年らを結び付けていたのは、ほかでもないSNSだ。ニューカマーのつながりの一般例を挙げると、1人が写真共有アプリ「インスタグラム」で自慢の改造バイクの写真を投稿すれば、「かっこいい」「今度ツーリングに行こう」とコメントが集まり、ダイレクトメッセージ(DM)で集合場所を連絡しあう。

 指定されるのは街中のコンビニやショッピングモールの駐車場が多く、関西圏から続々と自慢のバイクやビッグスクーターに乗ったライダーたちが集まる、といった具合だ。

 なかでも神戸市中心部は今、ライダーたちの“聖地”になりつつあるという。たとえば同市中央区の人工島・ポートアイランドの東側臨港道路は、道幅が広く直線も長いため、潮風を感じながら疾走できるスポットとして、暴走集団を引き寄せてしまうのだ。

 加えて「神戸メリケンパーク」(同)にある「BE KOBE」のモニュメントも、「インスタ映え」の撮影スポットとして人気。海を背景に改造バイクを並べて写真に納まる集団もいて、港湾道路からの「BE KOBE」訪問という、ありがたくない“暴走ツーリズム”が定着しているという。

動機は十年一日のごとく


 「バイクが楽しい」「自転車とは爽快感が違う」

 兵庫県警の捜査関係者によると、摘発された少年らに悪びれる様子はなく、「追いかけてくる警察をまけたときがうれしい」とスリルを語った。この辺りの動機はニューカマーとはいえ、十年一日のごとく変わらない。集団の最後尾を走る“ケツ持ち”が最高の名誉となっていることも昔ながらだ。

 ともあれ、近隣住民にはたまったものではない。ポートアイランドはマンションなど高層建築物が多く、エンジン音が反響しやすい。それだけに警察への騒音の苦情が絶えないという。

 県警交通捜査課は「現在はほぼすべてのパトカーにドライブレコーダーが設置されており、バイクのナンバーが隠されていても周辺の防犯カメラを駆使してバイクがどこから来たか、誰が乗っていたかを特定していく」と説明。これから夏にかけて夜間の暴走が多くなるといい、「覆面車両も巡回させて警戒を強めていく」としている。

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警察でも広がる女性活躍 警視庁で初の警視正が誕生

2021年5月8日 14:58 産経ニュース

 警視庁で今年2月、同庁採用のノンキャリアで初となる女性警視正が誕生した。命を脅かす犯罪への対処など、危険な職務も少なくなくかつては「3K(きつい・汚い・危険)」職場とされた警察。体力的な面などからも女性の進出には苦労も多いと思われるが、警視庁は令和7年度末までに全職員の12%以上、管理職に占める割合を4%以上にする目標に掲げる。警察における女性の役割は高まっている。(吉沢智美)

戦災孤児の保護などがスタート


 令和2年4月1日時点で、警視庁の約4万人の警察官のうち、女性が占める割合は10・2%だ。幹部では警察署の課長代理など業務管理の要として部下の指揮監督にあたる警部が3・6%。署長や副署長などを担う警視は3・0%となっている。

 同庁は日本で初めて女性警察官を採用した警察だ。

 先の大戦終結から間もない昭和21年、社会が混乱する中、児童を対象にした防犯活動、戦災孤児となった少年らの保護、女性の絡む犯罪や風俗の取り締まりなど、女性に向いた分野を担当してもらおうと、「婦人警察官」の募集をかけた。

 定員65人に対し、応募は1673人と倍率は約25倍に。1期生として、63人が採用された。その後、女性の採用は全国に広がり、47年度末には16都府県の警察で1844人が勤務。61年施行の男女雇用機会均等法などを受け、女性の職域を広げる県警が増加した。

 全国すべての警察で女性警察官が採用されたのは平成6年度。同年には警視庁三田署に全国初の女性署長が誕生した。その後、婦人警察官から女性警察官へ名称を変更。令和2年度、全国の女性警察官は2万6664人、全体の10・2%を占めるまでになった。

 男女共同参画白書によると、15~64歳の女性の就業率は平成25年以降、増加を続け、13年の57・0%から令和元年には70・9%と大幅に増えた。

 一方、常用労働者100人以上を雇用する企業の役職者に占める女性の割合は課長級が11・4%、部長級は6・9%に留まる。警視庁も、令和2年4月1日時点で管理職に占める女性の割合は2・9%。職員の意識改革や女性の働きやすい職場づくりを推進する「女性活躍推進プロジェクト」を立ち上げ、活躍の場を広げる取り組みを続ける。

「女性ならではの視点、アイデアを生かす」


 今年2月、警視庁採用のノンキャリアでは初めて「警視正」に就任した上野署の鈴木佳枝署長は「女性が働きやすい職場は、ひいては男性も働きやすい職場になる」と力を込める。

 全国の警察を統括するトップは、警察階級が適用されない「警察庁長官」。警視庁トップで警察階級最高位にあたる「警視総監」、さらに「警視監」「警視長」に次ぐ地位にあたるのが警視正だ。部長職や、大規模警察署の署長に配属される重要ポストに就く。

 女性警察官は、交通取り締まりなどを担当する「交通課」や、女性・子供にかかわる業務などを管轄する「生活安全課」に配属されるケースが多かった。昭和58年、警察学校を卒業した鈴木さんも池上署交通課に配属。「女性警察官は本当に少なく、こんなに増えるとは思わなかった。今ではさまざまな部署に配属されるようになった」と話す。

 女性警察官の活躍の場を広げるターニングポイントにたびたび関わってきた。女性警察官を初採用することになった長野県警に平成元年から2年間出向。警察学校で女性警察官を教育する体制づくりに尽力した。

 25年には警視庁が立ち上げた「女性活躍推進プロジェクト」の初代リーダーに就任。プロジェクトでは女性管理職を「キャリア・アドバイザー」に指定し、体験を語る講演などでキャリアアップを支援する。また経験豊富なメンター(助言者)が後輩らの課題解決を支援する「警視庁メンター制度」も推進した。

 同じく警察官の夫と娘2人を育てあげ、「大変だったが過ぎてしまえばいい思い出」と笑顔で振り返る一方、「女性は育児休暇取得などの関係で男性と比較して昇任意欲が低い」とも指摘。「きめ細やかな思いやりや共感力を生かし、女性ならではの視点、アイデアを仕事に生かしてほしい」と後進に期待する。

 上野署は上野駅をはじめアメ横商店街や美術館、秋葉原などを管轄する大規模警察署だ。「期待に応えるため、安全安心な上野の街をつくっていきたい」と意気込みを新たにした。

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cat_16_issue_oa-sankeinews oa-sankeinews_0_mi52a1oinxt0_不登校の「その後」を描く 漫画家の棚園正一さん mi52a1oinxt0 mi52a1oinxt0 不登校の「その後」を描く 漫画家の棚園正一さん oa-sankeinews 0

不登校の「その後」を描く 漫画家の棚園正一さん

2021年5月8日 14:19 産経ニュース

 毎日、家の窓から登下校中の同年代の子たちを眺める、学校に行けない僕。「フツウじゃない」と苦しんだ少年は、どうやって自分の居場所を見つけたのか-。小中学校9年間の不登校体験に基づいた作品を発表している、漫画家の棚園正一さん(38)。今春、新刊『学校へ行けなかった僕と9人の友だち』(双葉社)を出版した。中学時代から社会人になるまでの成長を描いた「不登校のその後」の物語だ。

鳥山明さんとの出会い


 棚園さんは小学1年の時、授業中に担任教師から殴られたことをきっかけに不登校になった。前作『学校へ行けない僕と9人の先生』(同)では、自己否定に苦しみながらもさまざまな先生と出会い、成長していく様子が描かれた。

 家で過ごす時間の中で、絵を描くことに楽しみを見いだし、漫画『ドラゴンボール(DB)』が心の支えとなった棚園さん。中学1年の時、母親の同級生だったDBの作者、鳥山明さんとの面会がかなう。「学校に行かなくても漫画家になれますか」と問いかけると、「行かなくてもなれるとは思うけどさ 行ったほうが学校の話とか描けるから便利かもね」と鳥山さん。その言葉で、自分を責めなくていいと思えるようになった。

 今作のテーマは「不登校のその後」だ。「前作発表後に、講演に呼ばれるようになりました。その時、不登校だった人がどうやって大人になったのか知りたいという声をよくいただいたんです」と語る。

 「鳥山さんと出会って一気に道が開けた」という印象を持たれるが、「大きな転機でしたが実際は、いろいろな人との出会いで価値観が少しずつ変わっていったことを伝えたかった」。

大切なのは場所ではない


 今作は、棚園さんが中学3年の時点から始まる。通学できる日もあり、「学校に行けない自分が許せない」という状態を脱したが、教室でうまくふるまえず空回り。「不登校だったことを意識しすぎて、うまくコミュニケーションができなかった」と振り返る。

 学校への苦手意識が消えないまま、アニメの専門学校を経て、大学受験予備校に通うように。ここでの出会いが、コンプレックスから解放されるきっかけになった。「予備校には、学校になじめなかった人も、なじまなかった人もいました。帰国子女もいたし、もっと先の勉強がやりたいから行かなかった人もいた。不登校にも色んな形があるんだと知りました」

 「学校」だけではない、たくさんの価値観に触れ、世界が広がった。友達と過ごす時間を通じ、大切なのは学校という場所ではなく、充実した毎日だと気づいたのだ。

 その後は、美術系の大学に進学。「フツウにならなくちゃ」と強迫観念にとらわれていた少年はいつの間にかいなくなっていた。

 ただ、漫画家への道のりは平坦(へいたん)ではなかった。出版社への持ち込みがうまくいかず、漫画賞も選外に。「救い」だった漫画に追い詰められた。「不登校の劣等感を、漫画を描くことで埋めていました。だから漫画がうまくいかないと、生きている意味なんてないと考えてしまった」

 それでも前に進めたのは、やはり、人との出会いだった。小学校の同級生からチラシにイラストを描く仕事をもらい、雑誌掲載以外の漫画の仕事を知った。コワーキングスペースで会った人たちは、同じように仕事の壁にぶつかっていた。「悩み、迷って生きているのはみんな同じだと知ることで、フラットに漫画に向き合えるようになりました」と明かす。

 編集者の勧めで、不登校の経験を描いた前作を発表し、漫画家としての可能性も広がった。

行きたくなったら行けばいい


 新型コロナウイルスが拡大する今、子供にとって苦しい時期が続く。警察庁のまとめによると、令和2年の小中高生の自殺者数が統計のある昭和55年以降最多の499人に上る。さらに例年、長期休暇明けは子供の自殺が増える傾向にある。「自分も新学期や休み明けはやり直す絶好のタイミングだと思っていました。でも、やり直そうという気持ちに負けて行けなくなることも多かった」と明かす。

 棚園さん自身もかつて、「死にたい」と落ち込んだこともあったし、当事者の悲痛な思いはよく理解できる。「棚園さんは運が良かっただけ」「具体策が知りたい」といった声が寄せられることもあるという。

 「自分もそうでしたが、つらい時は、心が痛くて、誰の助言も入ってきません。でも、痛みやつらさに慣れて、ふっと顔をあげることができる時期が絶対に来る。その時に、こういう道もあるんだよ、と示せるような作品になっていたらうれしいです」と語る。

 不登校の日々とそこで出会った人々が、今の自分に繋(つな)がっている。「全てが糧になる日がきっと来る。学校に行ったら行ったで楽しいことがあるし、行かないなら行かないで別のすてきな経験ができる。生き方は自由なんです」(文化部 油原聡子)

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立憲民主党は「日本に必要ない政党」維新・馬場氏

2021年5月6日 15:21 産経ニュース

 日本維新の会の馬場伸幸幹事長は6日の記者会見で、立憲民主党を「日本には必要ない政党だ」と述べた。立民が6日の衆院憲法審査会で、これまで拒んできた憲法改正手続きに関する国民投票法改正案の採決に応じたことに関連し、記者が「共産党と一体とみられるのが嫌だったとの見方がある」と指摘したのに答える中で言及した。

 馬場氏は、先月投開票された衆参計3つの補欠選挙・再選挙を引き合いに出し、「(立民と共産などは)野党統一候補などという選挙互助組合をつくり、もたれ合い、なれ合い、談合組織で『与党を倒した、自民党に勝った』と言って喜んでいる」と指摘。「言っていることとやっていることがちぐはぐ過ぎる」とも語り、日本には不必要な政党と結論づけた。

 6日の衆院憲法審の国民投票法改正案の採決で、立民は修正案に賛成し、共産は反対した。

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cat_16_issue_oa-sankeinews oa-sankeinews_0_xp90k1cca1ri_「掘れば出る」世界遺産候補なのに知られず ごみ投棄被害も 北海道・千歳 xp90k1cca1ri xp90k1cca1ri 「掘れば出る」世界遺産候補なのに知られず ごみ投棄被害も 北海道・千歳 oa-sankeinews 0

「掘れば出る」世界遺産候補なのに知られず ごみ投棄被害も 北海道・千歳

2021年5月5日 21:54 産経ニュース

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産登録の事前審査結果の公表を目前に控えた「北海道・北東北の縄文遺跡群」。関係者の期待が高まる一方、縄文文化への世間の関心はいま一つ。構成する17遺跡には有名な「三内丸山遺跡」(青森市)もあるが、多くは知られておらず、縄文最大級の墓「キウス周堤墓群」(北海道千歳市)ではごみを捨てにくる人がいるという。世界に誇る文化遺産の縄文遺跡はなぜマイナーなのか。(寺田理恵)

縄文最大級の墓だが


 キウス周堤墓群は約3200年前、エジプトのツタンカーメン王の時代と同じ頃に造られた。ドーナツ状の土手の内側に複数の墓穴がある共同墓地9基が群集し、外径最大84メートルと地表面から分かる縄文時代の墓では最大級の規模を誇る。

 しかし、付近を通る道路からは普通の林にしか見えない。広大な農地に囲まれ、案内標識もなければ公共交通手段もない。普段は静まり返っているキウス周堤墓群で4月25日、約30人がボランティアガイドの予行演習を兼ねてごみ拾いを行った。

 「講演会などの周知活動を続けているが、地元でも知らない人が多い。ごみを捨てていく人がいるので、清掃活動もしている」。主催した民間団体「キウス周堤墓群を守り活かす会」の大江晃己(こうき)会長(80)は話す。

 多くの縄文遺跡が発掘調査後に埋め戻される中、縄文時代の景観が地表で見られる貴重な遺跡だ。それにもかかわらず、埋め捨てられたワインの瓶60本が清掃活動で見つかったこともあるという。

「教わる機会ない」


 周堤墓群は新千歳空港に近く、5月にも出される事前審査結果で登録が確実になれば、見学者の増加が見込まれる。このため、5月中旬からプレハブの解説施設を設け、ボランティアガイドが常駐する計画だ。

 大江会長は「見てもらう活動が価値の理解につながれば、ごみ捨て場にされることはない」と期待する。会員からは「この辺りは掘れば遺物が出る」「学校で教わる機会がない」などの声も聞かれ、認知が広がらない状況への歯がゆさがにじむ。

 周堤墓群は集落があったと推定される場所も含め、ほとんど発掘されていない。市教育委員会は「少し掘っただけでも石器などの遺物がたくさん出た。本格的に発掘すれば、それぞれの墓の向きの違いなどから社会構造を解明できる」とみる。

 認知度が低い原因の一つには全容が解明されておらず、埋葬された人々の生活が謎に包まれているという事情もありそうだ。

ヒスイ玉や漆塗り


 千歳市周辺は縄文時代に、日本海と太平洋を結ぶ交通拠点として物や情報が行き交った。掘れば遺物が出る“宝の山”のようだ。

 発掘調査が行われた遺跡では、ヒスイ玉や赤い漆塗りの櫛などが出土。国指定重要文化財の土製仮面や動物をかたどった土製品も出ている。周辺の遺跡や地形なども含め地域の全体像を推し量れば、その地を選んで定住した縄文人の暮らしが身近になる。

 縄文時代をめぐっては、「稲作が伝わる前の野蛮な時代」という見方が根強くある。そのイメージが大きく変わったのは、三内丸山遺跡の平成初期の発掘調査だった。大規模集落跡が見つかり、集落での暮らしぶりや食べ物、技術、物流などが分かり始めた。

 縄文遺跡群は、約1万5千年前から1万年以上も続いた先史文化の変遷を示す。構成する17の遺跡は造られた時期によって構造が違い、世界最古級の土器が出土したところもある。多くの遺構は地中に埋め戻され、解説がなければ縄文とはどのような時代だったのかを知ることは難しい。

 北海道博物館(札幌市)の学芸員、右代啓視(うしろ・ひろし)さんは「縄文は祖先が築いた文化の源流。欧州のラスコー洞窟壁画などと同等の価値があることを日本人が知るべきだ。それには、ナショナルセンター機能を持つ施設の整備や教科書で取り上げるなど学習環境をつくる必要がある」と課題を指摘している。

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cat_16_issue_oa-sankeinews oa-sankeinews_0_1uqwcdbtmyc1_女子大院生のウミウシ愛 切断頭部だけで再生する生態発見 1uqwcdbtmyc1 1uqwcdbtmyc1 女子大院生のウミウシ愛 切断頭部だけで再生する生態発見 oa-sankeinews 0

女子大院生のウミウシ愛 切断頭部だけで再生する生態発見

2021年5月5日 21:48 産経ニュース

 海に住む軟体動物の「ウミウシ」の仲間が、頭部と体を自ら切断する「自切(じせつ)」をした後、頭部だけから心臓を含めた体全体を再生させる現象を奈良女子大学(奈良市)の研究グループが発見した。現象を初確認したのは同大大学院人間文化総合科学研究科の三藤清香(みとう・さやか)さん(25)。熱心なウミウシへの観察眼が発見へとつながった。(前原彩希)

「最も大規模な再生」


 「自切」の現象は、両生類やトカゲ類、節足動物などでみられる。敵から逃げるため、トカゲが自分で尻尾を切る「トカゲの尻尾切り」が有名で、体を切断されても頭や尾が生えるプラナリアの再生も知られる。

 だが、三藤さんによると、今回のウミウシのように、複雑な構造を持つ動物が心臓を含めた体の大部分を自ら切り落とし、再生するという発見事例はこれまで確認されていなかったという。

 三藤さんの指導教官である同大理学部の遊佐陽一教授(55)は、「知られている限り最も大規模な自切と再生だ」と指摘する。

3週間で完全な形に


 三藤さんが今回の自切を発見したのは平成30年8月。研究室で生態研究のため飼育していたウミウシの一種、コノハミドリガイの頭と体部分が完全に分離しているのをたまたま見つけた。

 その後、体部分は最長3、4カ月生存したが再生はしなかった一方、頭部分には心臓と体ができ、全身が再生した。「まさか再生するとは思わず、本当に驚いた」と三藤さん。

 詳しく調べるため観察を続けた。すると、研究室で飼育していた15個体のうち5体と野外で採集した1体で自切の現象がみられた。うち、一部で頭部分から再生が始まり、約3週間で体も含めてほぼ完全な形となることを確認した。

メカニズム解明へ


 さらに、別のウミウシの一種「クロミドリガイ」でも、3体の自切を確認。うち2体が再生した。いずれも甲殻類のカイアシ類に寄生されていた。寄生されると産卵が抑制されるといい、捕食から逃れるためではなく、寄生種を排除するため自切をしたのではないかと考えられるという。

 また、今回の2種は、海藻から葉緑体を取り込み、光合成をすることができるため、三藤さんは「頭部だけでも光があればエネルギーを獲得できることが関係しているのでは」と推測する。

 ウミウシの自切・再生のメカニズムが解明できれば将来、再生医療などに応用できる可能性があるといい、今後ほかの同種生物も使って調べる方針だ。

「癒やされる」存在


 三藤さんがウミウシに興味を持ち、遊佐教授の研究室の門をたたいたのは学部生のとき。卒業論文ではウミウシを飼育して繁殖させる「継代飼育」をテーマに研究した。謎めいた生態もさることながら、「見た目がかわいく、癒やされ
る」と三藤さん。ウミウシへの愛情は増すばかりだという。

 そんな三藤さんのウミウシ愛を表すエピソードは研究場面でも。糸で絞めて自切するか試してみようと遊佐教授が提案したときは、死んでしまうかもしれないと「絶対嫌です」と拒否。譲らない三藤さんの代わりに、初めは遊佐教授が実験したという。

 遊佐教授は「地道に観察を続けた根気強さが今回の発見につながった」と話す。

 今回の自切と再生の発見をまとめた論文は、米科学誌「カレント・バイオロジー」に3月に掲載された。「海外からも反響があった。研究に興味を持ってもらえてうれしい」と喜ぶ三藤さん。生態の解明をさらに極めようと、日夜研究に打ち込んでいる。

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【一聞百見】関西人の心をつかむ京納豆 藤原食品4代目代表・藤原和也さん 

2021年5月5日 21:33 産経ニュース

 関東と違い、納豆嫌いの人が多いといわれる関西でひそかに人気を集める納豆がある。「京納豆」。商品名から分かるように、意外にも京都産。京都と納豆といわれてもピンと来ないが、業界団体、全国納豆協同組合連合会(東京都、全国約110社加盟)が毎年開く鑑評会では平成28年以降、5年連続でほぼ上位入賞を果たすなど品質も折り紙付き。そんな納豆を作る藤原食品(京都市)の4代目代表、藤原和也さん(42)に、なぜ京都で納豆なのか、話を聞いた。(聞き手・編集委員 岡田敏一)

たれより大豆の味で勝負


 京都市営地下鉄烏丸(からすま)線の鞍馬口(くらまぐち)駅から西に徒歩約2分。京都らしい閑静な住宅街の中に朱色の暖簾(のれん)が見える。慌てていると通り過ぎてしまいそうだが、この暖簾が「藤原食品」の目印だ。「最近はネットで所在地を調べて、直接、買いに来られる方も増えています」と藤原さん。

 新型コロナウイルスの感染拡大が始まった昨年以降、納豆のような発酵食品を積極的に口にする人が増えている。発酵食品が腸内環境を整え、免疫力をアップさせることで感染を予防するといわれるからだ。

 そんなわけで、関東ほど日常に定着していない関西でも大注目される納豆だが、なかでも最近、京都ブームの追い風に乗り、知名度を高めているのが「京納豆」や「鴨川納豆」といった藤原食品が製造する納豆だ。

 京都ではスーパーや百貨店などで買えるが、遠方に住む京都好きの中には、わざわざ足を運ぶ人もいるらしい。「コロナ禍で売り上げは以前の1・5倍弱に増えました。店頭からあっという間に消える感じですね。このご時世、申し訳ない気もします」

 しかし、それもそのはず。京都好きの食通なら食べて損はないのは間違いない。免疫力アップのため、昨夏からよく納豆を食べている記者だが「大粒 京納豆」(1パック80グラムで税込み139円)は確かにおいしい。大粒なので、ひと粒の大きさは一般的な3パック入りの商品の1・5倍はある。付属のたれとからしを入れ、かき混ぜると粘る糸が。特有の臭みも感じられない。口に入れると大豆のうまみがしっかり広がる。

 藤原さんは「うちの商品はたれの味より大豆の味が勝っていて、大豆のうまみを堪能できるはず」と胸を張り、こう付け加えた。「関東の納豆は、せっかちな江戸っ子がご飯に乗せてかきこむのに便利なように小粒。しかし京都の納豆は、ご飯とは別に、おかずとしてしっかり成立する大粒なんです」

 大正14(1925)年創業で約100年の歴史を誇る同食品。「京納豆」のシリーズや「鴨川納豆」など京ブランド認定の納豆7種類を週4日、7000パック製造するが、メディアの脚光を浴びることはなかった。「そもそも、ご近所さんでなければ、ここで納豆を作っていることすら知られていませんでした」

 そんな同社の納豆がなぜ注目を集め始めたのか。理由はコロナ禍だけではなかった…。

気付いた納豆の素晴らしさ


 関東ほど納豆に親しみがない関西、それも京都から、納豆好きの関東の人々もうならせる商品を送り出している「藤原食品」。その4代目代表となった藤原さんだが、当初は納豆が特段、好きというわけでもなく、家業を継ぐ気は全くなかったという。

 地元、京都市で小学校から大学まで過ごしたが、大学時代の21歳の時、友人に誘われ、新潟県の南端にある湯沢町のペンションでアルバイトを始めたところ「楽し過ぎてハマりまして…」。そもそも「家業は絶対継ぎたくなかったし、両親から継げといわれたこともなかった」こともあり、そのまま就職せず「25歳まで年の半分は湯沢でのアルバイトに励む」日々。

 その頃になると結婚する同級生も出てきて「フラフラしているわけにもいかないな」と思い、「昔から本好きなので、関西の複数の出版社の就職試験を受けた」が「いずれも不採用」。

 仕方なく家業を手伝うことになったが「あまりにも面白くなさ過ぎた」ので、1年半で、1カ月分の生活費だけ持って埼玉県浦和市(現・さいたま市)に。「地方から東京をめざすのはダサい」と思い、東京からちょっと離れた埼玉に。しばらくバイト暮らしを続け、地元の飲食グループに就職した。27歳の時だった。

 最初はイタリアンレストラン。年下の上司から怒られ続けるなか、マネジメントの仕事で認められた。「ノーと言わない人間」だったことで担当店舗の異動も頻繁だったが「逆に多くの新しい経験を積めた」ことが功を奏した。その結果、入社4年で南浦和に新規オープンした焼き肉店「焼肉マックス」の店長に抜擢(ばってき)された。

 ところが「場所はビルの4階で、エレベーターが開くといきなりお店」という立地の悪さに加え「何も分からなかった」ため、「最初の1年間は原価率が高過ぎて赤字」に。社内でいろいろ言われたが、へこたれず、ビラを配ったり、最寄り駅から店までの道を掃除したり。ただ、提供する肉は、埼玉県の指定農家でのみ育てられる極上の霜降り黒毛和牛ブランド「武州和牛」だった。「牧場の人と仲良くなり、イベントを手伝ったりして、卸してもらうようになったんです」。地元・埼玉の人でもあまり知らない「武州和牛」のおいしさが評判を呼び、店の噂は店名通りマックス(極限)にまで広がった。開店から2年で赤字店は超人気店になった。

 そして3年たち、ゼロから立ち上げた焼き肉店を超人気店に育てた達成感を感じながら、ある思いが頭をよぎった。「家業でも同じように頑張れる気がする」。焼き肉店に未練はあったが、何より、実家の納豆の素晴らしさに気づかされたことが大きかった。

 実家から納豆をずっと送ってもらっていた藤原さん。それを料理人らにおすそ分けしていたのだが「プロの料理人である彼らが『おいしい』と絶賛してくれて。そんな納豆を世の中から無くすことは、社会的損失ちゃうかなと思ったんです」。平成25年5月、家業を継ぐため藤原さんは京都に戻った。

美食の街で磨いた品質


 自身の頑張りと、実家の納豆の商品的価値の高さに自信を深めた藤原さん。「3年間は、とにかく黙って仕事に専念し、メディアの取材も一切受けず、成果を出そうと決めました」。そして「情報も知識もゼロだったので、関西などの同業他社を見学させてもらった」ことで納豆という食材が持つ深みに気付いた。

 製造工程は同業他社もほぼ同じだ。まず、大豆を洗って水につける。「夏は約8時間、冬は約16時間」。翌日、水を吸って約2倍の大きさになった大豆を圧力釜で約1時間炊き、液状の納豆菌を噴霧器でかけ、パックに詰める。それを約40度の室(むろ)に約20時間置く。その後「出来たてはおいしくない」ので、さらに1日熟成させ、パッケージにつつんで完成。しかし「水の温度や大豆を水につける時間、炊く時間といった小さなことの積み重ねで、味わいが大きく変わる」ことに気付き、さらに興味が深まった。

 なので大豆自体の味と品質にもこだわった。使うのは国産100%。それも信頼できる滋賀県の契約農家のものが中心。武州和牛で「焼肉マックス」を大成功させた手法と同じだ。「業界では珍しいと思います。こうしたこだわりは、埼玉時代、料理人だったことが大きいと思います」。自社製品への自信はますます強まった。

 加えて、当初は、空いた時間にカフェのバイトにも行った。「業界外の若い人たちの考えや趣向を知るためです。業界内に閉じ籠もり、視野が狭くなると面白いことはできません」

 人に会うときは名刺代わりに自社製品の納豆を配った。「僕の名前もお店の住所もみな書いてありますからね(笑)」

 地道な努力が実りはじめ、実家に戻り、4年が過ぎた頃から「京都においしい納豆あるで」「何で京都なん?」と評判に。しかし藤原さんはこう笑う。「納豆って関東の食べ物のイメージですけど、江戸時代、江戸と京都には納豆売りがいて、千利休が茶会で納豆汁を出しているんですよ」

 挑戦は続いた。「別にスーパー以外で納豆売ってもええやん」と思い、平成30年以降「ホホホ座浄土寺店」(京都市左京区)や「大垣書店京都本店」(同下京区)といった書店でも販売し、人気に。毎月第4水曜日には河原町五条近くのカフェバー併設のホステル「Len(レン)」(同)に出向き、納豆定食をふるまうイベントを開催する。

 京都ブランドの強さに加え、伝統を守りながら、美食の街、京都で切磋琢磨(せっさたくま)した確かな品質とおいしさで注目される「京納豆」。商売を継いだばかりの頃、製造は週2回。「大手がほぼ市場を独占していた頃で、本当にギリギリ」だったが、今では製造は週4回に倍増した。

 28年から4代目代表を務める藤原さん。「小さなパイを取り合うことにあくせくせず、新しい販路や市場を作ればよいと思います。うちの納豆、昨年からは香港と上海でも売られているんです」と話し、こう付け加えた。「斬新なことをやりつつ、1日1人でいいから、着実に顧客を開拓することが一番大切です」

 【プロフィル】ふじわら・かずや 昭和54年4月、京都市生まれ。大谷大学文学部を経て、埼玉県浦和市(現・さいたま市)でさまざまな飲食店で働く。平成25年、京都市に戻り、家業である納豆メーカー「藤原食品」を継ぐことに。28年から現職。カフェバー併設のホステルで自ら納豆定食をふるまうイベントや、書店での自社商品販売など、常識破りのスタイルで多くの顧客層に納豆の素晴らしさをPRしている。

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「老老介護」相次ぐ悲劇 追い込まれる当事者 新型コロナも追い打ちに

2021年5月5日 21:18 産経ニュース

 高齢者が高齢者を介護する「老老介護」で無理心中や、介護する相手を殺害してしまう事件が相次いでいる。背景にあるとされるのが深刻な「介護疲れ」。負担が大きい老老介護へのサポートは急務だが、当事者が周囲に支援を求めることに否定的な事例は少なくない。高齢化社会がさらに進む中、新型コロナウイルスの影響も相まって孤立が加速する恐れもあり、「第三者の介入が必須」との声があがる。(王美慧)

 

姉を殺害した妹


 「介護に疲れ手をかけてしまった」。3月20日、東京都北区赤羽台にある団地の一室で、寝たきりだった女性(84)が殺害された。殺人容疑で逮捕されたのは82歳の妹。姉妹は2人暮らしだった。

 警視庁赤羽署や近隣の住民らによると、姉妹は団地に約40年住んでいたが、近所付き合いはなく、親族とも疎遠だったという。4年前には1年間、デイサービスを利用。だが通所が困難になり利用をやめた。

 「2年ほど前から寝たきりだった。経済的にも苦しく、楽にしてあげたかった」。食事や排泄(はいせつ)の介護が必要な姉の世話を1人で担っていたとされる妹は、こう供述した。周囲から生活保護を活用した介護施設への入所を勧められたが、妹は「人様のお金で助けてもらいたくない」と、かたくなに拒んだという。

 東京都内では昨年11月以降、老老介護をめぐる殺人や心中が少なくとも4件発生し、6人が亡くなった。

 介護問題に詳しい介護者メンタルケア協会の橋中今日子代表は「在宅介護者は長期的な疲労が募り、閉塞(へいそく)感や絶望感、経済的負担などが複合的に影響して困窮し、事件に至ってしまうことも多い」と分析する。

 橋中氏は、閉ざされた環境に置かれた介護者の選択肢が狭まり「苦しい状況から抜け出そうと衝動的に自殺や心中を図りかねない」とも指摘。「迷惑をかけたくない」「自分でやり遂げる」などの思いから、行政や周囲の支援を受けないケースは少なくないという。

 

追い込まれる当事者…総合的支援が不可欠に


 家族の介護負担を軽減するための「介護保険制度」が十分活用されていない実態も浮かぶ。厚生労働省によると、令和元年度、家族らから虐待を受けた高齢者は1万7427人(1万6928件)。このうち、68%が介護サービスを利用することが可能になる「要支援」や「介護」の認定を受けていた。

 虐待の要因では「介護疲れ・介護ストレス」が5割近く。同年度、家族らによる殺人、傷害致死、心中などの事件で15人が亡くなっている。被害者の半数以上は、介護サービスを利用していない高齢者だった。

 コロナ禍で孤立の深刻化も懸念される。感染リスクを避けるため外出が控えられた結果、在宅介護者と地域のつながりはさらに希薄になり、周囲も危機的な実情に気づけない状況を招きかねない。

 橋中氏は「施設を利用することは『負け』で介護放棄と誤解されがちだ。介護サービスを利用し、周囲に『助けて』と伝えてほしい。職場や身内、周囲が介護者の状況を気にかけるなど、制度を超えた支援態勢が必要だ」と訴えた。

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「鬼滅」缶コーヒーが大ヒット ダイドー社長に「次」聞く

2021年5月5日 21:07 産経ニュース

「鬼滅の刃」のキャラクターをあしらった缶コーヒー((c)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable)

 新型コロナウイルス禍の中、人気アニメ「鬼滅の刃」のキャラクターをあしらった缶コーヒーが飛ぶように売れたダイドーグループホールディングス(HD)。高松富也社長は「今秋、(鬼滅の刃に代わる)新たなキャンペーンを考えている」と明らかにした上で、同社の自動販売機を「社会のインフラ」と呼ばれる存在にしたいと語った。(聞き手 藤原章裕)

 --鬼滅缶コーヒーの売れ行きは

 「昨年10月に発売し、3週間で5千万本、令和3年1月期に1億本を突破するなど、これまでになかった爆発的ヒットになりました。缶コーヒーの主要顧客は30~40代の男性ですが、今回は10~20代の若者、子供や夫のために買い求める女性など普段は缶コーヒーを手に取らなかった人たちにもご購入いただきました。一部は自販機限定の商品でしたが、これまで自販機で飲料を買わなかった人も購入されていました」

 --鬼滅とのコラボレーションは継続するのか

 「当初はキャンペーン期間を3~4カ月と考えていました。売れ行きが想定以上だったため、数カ月延ばしました。ただ、今回のコラボはいったん終了し、缶コーヒーの最盛期を迎える今秋に新キャンペーンをやろうと考えています。その内容は秘密です(笑)」

 --1月期決算は売上高が前期比6%減にもかかわらず、最終利益は80%増に達した

 「鬼滅とのコラボで(ペットボトルに比べて原材料が安く)利益率の高い缶コーヒーの販売が好調だったことに加え、(コロナ禍での)働き方改革で旅費・交通費や交際費などいろいろな経費を抑制できた結果です。消耗部品の交換などで自販機の耐用年数を5年から10年に延ばしたことも大きな要因です」

 --ダイドーの自販機は面白い

 「私も常日頃、アイデアを出しています。『おしゃべり機能』を搭載した自販機は関西弁や博多弁、英語、中国語などをしゃべります。あるタクシー会社の事務所では、社長さんの声で『今日も安全運転で頼むよ』などのメッセージを伝えます。当社内の自販機は、僕の声で『今日も一日頑張ろう』『健康管理に気を付けてね』と従業員に語りかけています」

 --手を触れずに購入できる自販機も話題だ

 「今年度から本格展開します。顔認証で購入できる自販機は、(事前に自分の顔写真やクレジットカード情報を登録すれば)手ぶらで決済できるため、財布やスマートフォンを持ち込めない企業の工場や事業所からの引き合いが多いです」

 --傘下のダイドードリンコなど飲料事業にかかわる従業員約2400人に5万円の「特別感謝金」を支給した

 「最前線で仕事をやってくれた社員に何とか報いたかったし、コロナでボーナスが減っていたので、少しでも補えればと考えました」

 --平成22年、東京にあったマーケティング関連の部門を大阪に集約した

 「当時、商品の企画や開発は東京、本社の管理部門は大阪に分かれていましたが、連携が図れませんでした。東京は情報面などの利便性は高いが、埋もれてしまう。関西の飲料メーカーとして最初に名前が挙がる位置づけを目指した方
がよいと判断しました」

 --創業家出身として若いころから後を継ぐ考えはあったのか。京都大を卒業後に三洋電機に入社した

 「当初は自分のやりたいことをという思いがありました。大学在学中は文系ですが、パソコンを自作するなど機械が好きでした。就職活動中、モノづくりをしている家電メーカーがいいと思い、三洋はアットホームな社風で自分にマッチしていると感じました」

 --三洋時代、思い出に残った仕事は

 「入社後、ずっと人事部で労働組合との窓口を担当しました。当時、経営が厳しくなる中で事業売却時に従業員の転籍条件をどうするかなどのやり取りをしました。一人一人の人生にかかわり、今の仕事にも影響しています」

 --家業を継ぐ決心は?

 「入社3年目に入るころ、(祖業である大同薬品工業)創業者の祖父が亡くなりました。家業の歴史を振り返る機会があり、父の富博ダイドードリンコ社長(現ダイドーグループHD会長)から『そろそろ手伝ってくれないか』と頼まれ、入社を決めました」

 --ダイドー入社後の苦労は

 「自販機に商品を設置し金銭を回収する担当者について回り、彼らが社を支えてくれていることを実感しました。雨の日に商品を入れた段ボール箱の底が抜けて道端に散乱したり、ホットとコールドの設定を間違えてアツアツの炭酸飲料が出て購入者からクレームが寄せられたりと失敗を経験しました」

 --将来の夢は

 「ダイドーの自販機が『社会のインフラ』と呼ばれるようにしたいです。飲料に限らず、置かれた場所に対応した商品を販売したり、おしゃべり機能など付加価値を搭載したりして、社会になくてはならない存在にしたいですね」


 高松富也氏(たかまつ・とみや)京都大経卒。平成13年三洋電機。16年ダイドードリンコ。副社長を経て平成26年社長。29年1月ダイドーグループホールディングス(HD)社長、ダイドードリンコ社長。令和3年4月からダイドーグループHD社長、ダイドードリンコ取締役。奈良県出身。

 さらに詳しいインタビューの内容は、4月30日と5月7日の午後9時から放送のラジオ大阪「週末ワイド ラジオ産経」(FM91・9メガヘルツ、AM1314キロヘルツ)で。

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阪神・佐藤輝らプロ入り教え子20人の名伯楽 近大野球部監督・田中秀昌さん

2021年5月5日 15:12 産経ニュース

 選手にうまくなってほしい、強くなってほしい。そんな野球への熱い気持ちを大阪弁で語る。田中秀昌さん(64)は高校野球の指導者として母校の上宮高で全国制覇を経験し、現在は大学野球の名門、同じく母校の近大の指揮を執る。指導歴は35年以上で、プロ入りした教え子は阪神の佐藤輝明内野手(22)ら20人ほど。野球の怖さ、面白さを知り尽くした名伯楽は野球を通じた人間教育をモットーに選手と接する。(聞き手 運動部次長 鮫島敬三)

スイングに一目ぼれ


 奈良・生駒市にある近大の生駒グラウンド。その傍らにはプロ入りしたOBのネームプレートがずらりと並ぶ掲示板がある。ミスターロッテこと有藤通世氏(74)、阪神の糸井嘉男外野手(39)らの中に今回、阪神の佐藤輝が加入。開幕1軍入りを果たし、ファンからの注目度は増すばかりだ。

 「佐藤を初めて見たのは高校3年の6月。スイングを見た瞬間、そのスピードに一目ぼれ。プロに行く選手と確信しました」

 高校時代は無名の存在だった佐藤輝は昨秋のドラフト会議で4球団から1位指名されるほどに成長。ただ、気がかりなのがマイペースな性格という。いまでも遅刻をしないか、心配でならないと笑う。

 「佐藤の入団が決まってから、上宮高時代の教え子で主将も務めてくれた筒井(壮)が1軍のコーチ(外野守備走塁兼分析担当)をしているので『壮な、佐藤を育ててやって。お前と全然違うから腹立つと思うけど』と電話しました。でも人気球団でプレッシャーもある。マイペースな方がいいかもしれませんね」

 上宮高時代の教え子の中で最も印象に残る選手のひとりが、エースとして広島や大リーグで活躍した黒田博樹氏(46)。高校時代はコントロールが悪く、3番手投手だった。

 「黒田がプロ入りするなんて当時、誰も思ってなかった。開花は本人の努力のたまものです。私が平成23年夏、東大阪大柏原高の監督として甲子園出場を決めたとき、部にTシャツを差し入れてくれました。前には『感謝』、背中には『苦しまずして栄光なし』の文字。そんないい男です」

 佐藤輝にも黒田氏の話をしたことがある。「人間的な部分で謙虚になること。『黒田は大学時代に声をかけてくれたメーカーの道具をメジャーに行っても変えなかった。世話になった人を絶対に忘れなかった』と」

気緩めず諦めてはいけない


 高校野球の歴史に残る衝撃のシーンといえるだろう。第61回選抜大会は平成元年4月5日、田中さんがコーチを務めていた大阪・上宮高と愛知・東邦高が激突する決勝を迎えた。上宮高は延長十回表に2-1と勝ち越し。その裏、全国制覇まであと1人とした。

 「私はネット裏から見ていました。十回裏は先頭を出したのですが、併殺で2死走者なし。これは絶対に勝ったと思いました」

 しかし、相手も粘る。四球と内野安打で一、二塁とされ、中前適時打を浴びて同点。この後、一塁走者を二、三塁間で挟んだが、三塁手の種田(仁、のちに中日など)が二塁に低投。二塁手は取れず、バックアップに入った右翼手の手前でバウンドが変わり、ボールは右翼フェンスまで転々。一塁走者がサヨナラのホームを踏むと、主将の元木(大介、現巨人ヘッドコーチ)ら上宮ナインはグラウンドに突っ伏した。

 「野球の神様は本当に残酷だなと。この試合は、その後の私の指導に強く影響しています。勝っていても気を緩めず、負けていても諦めてはいけないと」

 諦めないという教訓が生きた試合がある。東大阪大柏原高の監督に転じていた23年夏の大阪大会決勝だ。相手は2年生エース藤浪(晋太郎、現阪神)を擁する大阪桐蔭高。一時、1-6とされたが、四回に送りバントを使って走者を得点圏に送り、1点を取った。戦略があった。

 「藤浪君は前日の準決勝で完投し、球数を放っていた。六回以降、疲れてくるから、それからがチャンスと思っていました」

 七回に3点を取った。

 「試合序盤、選手たちに言いました。大阪桐蔭の西谷監督はベンチで腕を組んで座っている。これが腕をほどいて、立ち上がったらこっちがチャンスやと。3-6になったら、立ち上がっていました」

 藤浪は降板し、2番手投手を攻め立てて八回についに同点。そして九回、満塁からの死球でサヨナラ勝ち。諦めず、食らいついた結果だった。

 「横綱を平幕が倒したようなもの。でも、その年の秋の大阪大会で藤浪君は進化していました。決勝で当たって完敗でした」

 上宮高の監督として全国制覇した5年春の第65回選抜大会。まさかの結果だったと振り返るが、練習はうそをつかないという言葉を地で行くチームだった。

 「平均身長は170センチ以下で、プロが注目する選手はいなかった。元木がいたチームができなかった優勝を成し遂げるのですから、野球は本当に何が起きるか分かりませんね」

 上宮高の監督になって初めてのチームには筒井(壮、現阪神外野守備走塁兼分析担当コーチ)や黒田(博樹、のちに広島など)らがいた。秋季近畿大会で準優勝し、翌春のセンバツ出場は確実視されていたが、前監督時代の不祥事で推薦辞退となった。

 「全国のファンに見てほしいチームでした。大人の事情で夢を奪われ、本当にかわいそうでした」

熱い思い 根気よく伝える


 東大阪大柏原高を平成23年夏、同校初の甲子園出場に導き、目標のひとつは達成した。さらなる高みを目指し、大阪2強の大阪桐蔭高、履正社高に負けない強豪に育てようとしていたところに母校の近大から、監督就任のオファーが届く。25年に部員が窃盗容疑で逮捕され、秋のリーグ戦出場辞退と監督辞任に追い込まれていたのは知っていた。

 「まさかでした。普通の監督交代なら自分でなかったとも思いました。悩みましたが、(東大阪大柏原高を運営する村上学園の)村上靖平理事長から『名誉なことです。気にせずにぜひ受けてください』と背中を押されて決めました」

 母校を立て直そうと大学生の中に飛び込んだが、昭和の体育会で育った自分の大学時代とは違うことを改めて知ることになる。

 「いまの大学生は思ったより子供でした。つい熱くなって『こらっ』と言いたくなり、言葉を選ぶのも難しいですが、大人扱いをして自主性を持たせることで信頼関係を築くようにしています。小深田大翔(こぶかた・ひろと、現楽天)が主将だった代、私が還暦を迎えたのですが、赤いちゃんちゃんこならぬ赤と青のリバーシブルのダウンベストをプレゼントしてくれました。うれしかったですね」

 新型コロナウイルス禍のもと、難しい部の運営が続いている。昨年は4月から約3カ月、活動が停止。その間、SNSで毎日、部員に変化はないかをチェックしたという。

 「自分自身が感染しているつもりで行動してと、耳にタコができるほど言いました。大学生は高校生と違って活動範囲が広いし、いらない知恵も働く。時間を持て余してしまうのが一番怖かったですね」

 指導者として心を砕くことのひとつに「補欠選手」のケアがある。自身、上宮高時代はレギュラーだったが、近大では1試合もベンチに入ったことはない。だからこそ、その立場の選手の気持ちは痛いほど分かるという。

 「自分が補欠だったとき、監督から声をかけてもらったらうれしかった。『きょうは顔色ええな』とかでもいいから、コミュニケーションをとることは大事なことです」

 教え子の結婚式に招かれ、監督冥利に尽きるとうれしくなることがある。周囲から祝福され、社会の一員として活躍している姿を見るときだ。

 「野球を離れた後の方が人生は長い。高校生、大学生とも、卒業してから10年後に愛される人、信頼される人、尊敬される人になっていてほしい。古臭いかもしれませんが、そのためには根気を持って、熱い思いをいかに選手に伝えることができるかが指導者に問われることだと思います」

 近大監督として3度のリーグ優勝を経験したが、満足はしていない。名門の再建は常勝チームになり、全日本大学選手権の優勝を果たしてこそと思っているからだ。近大を10年以来の神宮制覇に導けば、上宮高での5年春の甲子園優勝と合わせ、高校、大学両方で日本一という名将となる。

 【プロフィル】たなか・ひでまさ 昭和32年生まれ、大阪府出身。上宮高(大阪)、近大を経て60年から同高野球部コーチ。平成3年に社会科教諭となり、同年夏から監督を任され、5年の選抜大会で全国制覇。15年に東大阪大柏原高監督。監督として甲子園は春2度、夏1度出場。26年に近大監督就任。教え子には黒田博樹氏(元広島)、元木大介氏(元巨人)らがいる。

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