今年2月に亡くなったプロ野球ヤクルト、阪神などで監督を務め、南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王を獲得するなど名選手として知られた野球評論家、野村克也さん(享年84)が生前、毛筆でしたためた1枚のサイン色紙が千葉県船橋市に寄贈され、市民らに公開されている。亡くなる18日前に同市で行われたテレビ番組の収録で、「ノムさん」が市職員に約束していたサインだった。
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野村さんが揮毫(きごう)した色紙が、撮影に立ち会った市広報課の藤巻健一さんのもとに郵送で届いたのは、野村さんの死去から半年後の8月下旬だった。
収録は野村さんが亡くなる18日前の1月24日、同市運動公園野球場で行われた(実際の放送は2月21日)。フェルトペンを手にした藤巻さんが撮影に同行していたマネジャーを介してサインを依頼。野村さんはいつも筆で書くため、サインは後日送ってくることになった。しかし、その後、間もなくして野村さんの訃報に接する。藤巻さんもサインはあきらめていたが、8月下旬にマネジャーから届いた。「丁寧に筆でしたためたサインをいただき、とても感動した」。直筆のサイン色紙を手にした際、藤巻さんは「目がウルっとした」という。
野村さんの「公式名言集」のホームページによると、野村さんは「野球」と書いて「しごと」と読ませている。「野球が仕事なので『野球』と書いて『しごと』とふりがなをふっているが、これは何にでも置き換えられる」と本人の説明が紹介されている。
「船橋市に書いたサインが見つかったのでお渡しした方がよいと贈りました」。マネジャーによると、野村さんは晩年、サインを頼まれると、この言葉を書くことが多かったという。
「サインを贈るいろいろな立場の人に通じるようにと書いていた。何事も一生懸命になるには、好きじゃなければダメだ。好きなことなら学んで楽しめる、という意味です」
野村さんのサイン色紙は9月から船橋市内で開催されてきた企画展「船橋ロケーションガイド“ふなばし撮ぉりゃんせ”」で展示されてきた。今月は8~13日が船橋駅前総合窓口センター、15~24日が高根台公民館で行われる。
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