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世界的スターは、赤子が泣きやまぬママの気持ちも救った。F・トーレスと佐賀の1年間

2019年9月22日 10:44 佐賀新聞LiVE

元スペイン代表のストライカーで、昨年7月から約1年間、J1・サガン鳥栖でプレーしたフェルナンド・トーレス(35)。
世界中から惜しまれつつ、8月23日のヴィッセル神戸戦で現役を引退した。

その引退試合では、幼い頃からの盟友、アンドレス・イニエスタと対戦。
試合前、キャプテンマークを巻いたトーレスとイニエスタはピッチ上で熱い抱擁を交わした。

佐賀でこんな光景が見られると誰が思っただろうか。世界サッカーの歴史に刻まれる名シーンに、スタジアムは大いに沸いた。

試合は6失点の大敗に終わったが、諦めずに最後までゴールを狙うトーレスにサポーターは声援を送り続けた。

引退試合の様子は、世界中で報じられた。あらためて、世界中で愛されていた選手だったことを再確認させた。

そんなスーパースターは、クラブやチームメートはもちろん、佐賀県にも大きな影響をもたらし続けていた。


世界に衝撃、なぜ佐賀に


世界のフットボールファンに衝撃を与える電撃加入だった。

昨年7月10日、トーレスの鳥栖入りが発表されると、そのニュースは瞬く間に世界中に伝えられた。

トーレスはアトレチコ・マドリードの下部組織で育ち、2001年にプロデビュー。
リバプール、チェルシー(ともにイングランド)、ACミラン(イタリア)など世界の名だたるビッグクラブでプレーした。

スペイン代表としては10年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で優勝を経験。
華麗なプレーに加えてルックスも端正で、世界中から絶大な人気を誇った。

そんなスーパースターがなぜ鳥栖でプレーすることを選んだのか。
口にした理由は明快だった。

「このクラブは常に謙虚な気持ちを持ち、私への信頼感がある。規模としては小さいが、野望と野心を持ってプロジェクトに取り組んでいる」

大切なのはクラブの知名度ではなく、サッカー選手としていかに必要とされているか、そして何事にも挑戦するクラブの勇気だった。

佐賀にやって来たのは昨年7月16日。
佐賀市で当時開催中の幕末維新博メーン会場で行われた歓迎セレモニーには約2500人のサポーターが集結し、チームのチャント(応援歌)を大合唱して出迎えた。

これにはトーレスも驚いたようで、すぐさま自身のインスタグラムで映像を公開したほど。

トーレスが「サガンファミリー」の一員になった瞬間だった。


伝道師の教え、高校生Jリーガーにも


鳥栖に在籍した約1年で公式戦41試合に出場し、奪ったゴールは7。

昨季のホーム最終戦で残留を引き寄せる決勝ゴールを挙げるなど随所に勝負強さを見せたが、スペイン代表で110試合に出場して38得点を挙げた実績を考えれば物足りない数字と言える。

それでも、サッカーに取り組む姿勢は素晴らしく、チームメートから絶大な信頼を得た。

「そこまでやるのかというくらい、ストイックにストレッチやエクササイズ、筋力トレーニングを頑張っていた」とDF高橋秀人。
その"ルーティン"は、6月21日に引退を表明して以降も変わることはなかった。

テレビの向こうの存在だったスーパースターが陰で努力する姿は、選手たちにプロとは何かを改めて植え付けた。

トーレスは試合中、よく審判に「意見」を言いに歩み寄ったが、高橋秀人は「審判をリスペクトした上で『今のジャッジは違うんじゃないか』というコミュニケーションを取っていた。毅然(きぜん)とした態度でものを言うのは鳥栖に欠けていた部分」。

選手たちはトーレスから勝負にかけるメンタリティーを感じ取った。

チーム最年長の35歳は、ルーキーにも分け隔てなく接した。

高校生ながら今年6月にプロ契約し、J1の舞台で躍動するMF松岡大起(18)は、プロ生活を始める上でトーレスから助言をもらった。

「誰に何を言われてもプレーするのは自分。自分を信じて、自分が思ったことをやるべき。ミスを恐れずやってほしい。ミスの数だけ成長できる」

高校生Jリーガーはその言葉を胸に刻んでプレーしていると言う。


「鳥栖」の名、世界も認知


トーレスが鳥栖にもたらした経済効果も見逃せない。

昨季、ホーム戦の総入場者数は25万5004人で、1試合の平均入場者数は1万5千人。
ともに過去最高を更新したが、トーレスが加入した7月以降の平均入場者数は1万7265人と目に見えて増えた。

アウェー戦でも鳥栖のグッズ売り場は盛況で、「ありがトーレス」と印刷されたタオルなどが人気を集めた。

引退試合となった8月23日のヴィッセル神戸戦は、ホーム開催で過去2番目に多い2万3055人の観衆が詰めかけたが、海外からのメディアやファンの姿が目立った。

「トーレスが来たことで、クラブは世界に認知してもらえた」と語るのは鳥栖の金明輝(キン・ミョンヒ)監督。

世界が注目する中でプレーすることは、選手にとって大きなモチベーションになった。


魅力あふれる人間性


ピッチ外の姿勢も愛された。

サポーターからサインや写真撮影を求められると、気さくに応じた。特に、佐賀の子どもたちと触れ合うことに積極的だった。

昨シーズン終了後の12月、トーレスはサプライズで佐賀市内の小学校を訪問。
1、2年生約70人と一緒に給食を味わい、優しいパパの顔で子どもたちに語りかけた。

トップチームの練習場近くの小学校も訪問したが、「いつもあいさつしてくれる。とても感じがよくて好き」と自ら提案した。

普段は、手の届かない雲の上の存在。

しかし、当の本人は「自分も子どもの頃は小さな町に住んでいた。そういう場所に住んでいる子どもは、アイドルやスターを身近に感じることができない。だから、自分が『普通の人間として近くにいるよ、君たちと同じ一人の人間なんだよ』と伝えたかった」と、少し照れくさそうに話した。

人間性の素晴らしさがうかがえるエピソードはほかにもある。

佐賀新聞の企画で子ども記者5人がトーレスを取材した時のこと。取材の場には、子ども記者の兄弟であろう赤ちゃんも一緒に来ていた。
トーレスが質問に答える最中に赤ちゃんが泣いてしまい、室内は少しぴりっとした空気に。

ただ、トーレスは嫌な顔一つせず、「次にこういう場を設ける時は、小さい子が退屈せずに遊べるよう、おもちゃを置くキッズスペースを準備するよ。今日はそれを学べてよかった」

この一言で赤ちゃんの母親がどれだけほっとしたことか。


トーレスと鳥栖の「これから」


「鳥栖に来る前から次のチームが最後になるなという感覚があった」

トーレスは覚悟を決めてやってきた日本で、人や文化に感化された。

「日本人はリスペクトの気持ちが強い。外出しても常に一定の距離を保ち、私と家族のプライベートを守ってくれた。公園や自然に対してもそう。リスペクトする気持ちがあるから、常に清潔に保たれている。そういう部分を私の子どもたちも学んだと思うし、これからも大切に思っていくと思う」

日本を大好きになったことが、キャリア最後の地を鳥栖に決めた理由の一つかもしれない。

引退試合後、ピッチで行われた引退セレモニーに再登場したトーレスは「さまざまなことへの感謝の気持ちを一つずつ伝えたい」。

日本でプレーすることを強く働きかけたクラブの竹原稔社長をはじめ、チームメートやサポーター、そして支えてくれた家族に感謝の言葉を述べ、「全てのことにありがとう。今後もクラブとつながりを持って進みたい」と語った。

家族と一緒にゆっくりとスタジアムを1周すると、スタンドのサポーターはチャントを大合唱。

そう、1年前に出迎えてもらったあのチャントだ。足を止めて聞き入ったトーレスは、笑顔のまま現役に別れを告げた。

トーレスは引退後、クラブのアドバイザーに就任し、ユース世代の育成などに関わる。

「子どもたちにとって何より重要なことは夢を持つこと、やる目的を持つこと。その目的が大きく困難であればあるほどいい。努力を続け、謙虚に取り組んでいってほしい」

誠実で、子どもが大好きなスーパースター。

そんなトーレスが今後も佐賀に関わり続けてくれる。
こんなにうれしく、心強いことはない。


【取材・文=田原一郎(佐賀新聞)、撮影=佐賀新聞コンテンツ部】

この記事は、佐賀新聞によるLINE NEWS向け特別企画コンテンツです。

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