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マハラージャンが語る、脱サラして向き合った社会へ示すオリジナリティ

2021年4月21日 18:00 Rolling Stone Japan

謎のSSW・マハラージャンが、2021年3月24日にEP『セーラ⭐︎ムン太郎』をリリースしメジャーデビューを果たした。

スーツにターバンを巻いた独特の風貌、謎の男性が映ったジャケット写真など独特のセンスを持つマハラージャン。筆者が初めて彼を目にしたときからその特異性に惹きつけられ、楽曲「いいことがしたい」を聴いてみるとそのファンキーなグルーヴとソリッドなキレのあるサウンド、そしてこれまた独特のセンスが盛り込まれたナンセンスなようで含蓄のある歌詞のギャップで、一気に彼の世界観に引き込まれた。音楽作品としてのクオリティの高さはもちろん、社会人に向いていないと感じて脱サラ、音楽に一層のめり込んだ彼の思想が込められた歌詞に共感する人は少なくないはず。

Apple Music、Spotifyをはじめとする各配信サイトのプレイリストや、全国のFM局ディレクターから大注目の謎の新人「マハラージャン」。そんな彼にインタビューを敢行。いまだ謎の多い彼の音楽との出会いから人となり、最新EPまで余すところなく話を訊いた。

ーまず、マハラージャンさんが音楽に興味を持ったきっかけを教えてください。

小さい頃、母親がピアノを弾いていた影響でクラシックを聴いていたのと、小学校4年生でトランペットを始めて、中学で吹奏楽部に入ったんです。卒業生を送る会で「テキーラ」という曲を演奏したとき、僕が16小節の長いアドリブソロを弾いたらとても盛り上がって。「自分はこれがやりたいのかもしれない!」と思ったんですけど、その日が金曜日で。学校のヒーローみたいになったんですけど、月曜日になる頃には皆が忘れていて…… 一切触れられませんでした(笑)。

ーあははは。

高校生になっても吹奏楽を続けていたし、音大に行きたいと思っていたんですけどピアノが弾けなくて。音楽は好きだったので、音大の先輩にどうやったら音代に入れますか? って訊いたら、何でもいいからとにかくいっぱい音楽を聴けと言われたんです。それを愚直に守って色々聴き漁っていました。

ー当時はどんな音楽を聴かれていたんですか?

中学の時はLArc-en-Cielがとても好きで聴いていました。友達からビートルズも聴いた方がいいと言われて聴いたり、オフ・スプリングやボン・ジョヴィなんかも聴きました。高校に入ってからジャズが格好いいと思うようになって新旧問わずビッグバンド、あとはレディオヘッドもよく聴いていました。

ーマハラージャンさんの楽曲には、ジャミロクワイ的なエッセンスもありますよね。

高校でジャミロクワイに出会ったんです。「これはかっこいい!」とすごく衝撃を受けました。ただあまり真似しすぎるとオリジナリティがなくなると思って、10年ぐらい聴かないようにしていたんです。最近また聴き始めて、やっぱりいいなと思っています。他にも民族音楽や高円寺でやっている阿波おどりなんかも格好いいなと思っていたり。格好いいものを見つけるのが好きです。

ー音楽以外のカルチャーではどういったものがお好きなんでしょう。

映画が大好きなんです。学生の頃、映画を勉強していたんですよ。当時、年間300本観ろと言われて、結局2年で300本くらいしか見れませんでしたが。そこで分析しながら観ていく頭になったというか。この映画は何のメタファーだってすごく考えたりするので、それは音楽にも活きていると思います。最近はNetflixでアニメとかにしても、これは何を表現しようとして、この物語になっているんだろうと考えながら観る観方が身についたので、映画を勉強していてよかったなって思いますね。そういうメタファーを散りばめている作品が、音楽にしても好きです。

ーTwitterでは、ご自身で描かれた絵もアップされていますよね。絵ももともと好きで描かれていたんですか?

小学校の頃、チラシの裏側の白い部分がもったいないから、そこに絵描いてなさいって親から言われて描いていた結果、上手くなりました(笑)。

ーでは、作曲はいつぐらいから始められたんでしょう?

大学在籍中から作曲はしていたんですけど、曲が全然出来なくて。元々ギターは弾けたんですけど、パソコンで打ち込みや録音をする中で、ギターだけじゃなくベースも弾けるようになっていきました。大学の軽音部でオリジナル曲を何曲かバンドでやったんですけど、しっくりこなくて。社会人になってからもバンドを組んだんですけど、それもあまりしっくりこなかった。結局、自分の好きな音楽を1人で追求しながら作り続けて、今の形になりました。

ーマハラージャンさんの耳に残る印象的な歌詞のフレーズは、頭の中にいつもあるものなんですか?

僕は他の人が歌っているような歌詞を使いたくないんです。聴いたことがあるような歌詞を発してしまうと、真似をしている気がしちゃって。誰も言っていなさそうなオリジナルな言葉で格好よく魅力的にしたい。社会人生活にまつわる曲や、なるべく自分しか言わない言葉に落とし込みたいと最近は思っています。

ーマハラージャンさんは、社会人生活を経て音楽活動を本格化させるに至ったわけじゃないですか。サラリーマン時代に感じたおかしなことや不条理だなと思うことが歌詞になっているんでしょうか?

「いいことがしたい」という曲ができてから、堰を切ったようにいろいろと生まれ始めるようになったんです。それまで自分は社会人に向いてない違和感があって。向いてないなと思う人は沢山いると思うんですけど、自分はそれを強めに感じていた。音楽をやりたいのに社会人をしている、こんなはずではなかったという気持ちが歌詞になっているのかなと思います。

ーちなみに、どういったところが社会人に向いてないと思われたんですか?

当時、CM制作の仕事をしていたんですけど、早朝3時から撮影の準備が始まって、帰ってくるのも遅い。毎日そんな感じで。もっと自分ができることがたくさんあると思っていたのに全然できていない、そういうつらさがあって。自分には向いていないんじゃないかと思っていたんです。

ー僕は今社会人3年目なんですけど、自分は何かできたかもしれないとたまに思うところがあって。今すごく共感しました。バンドをやったりDTMをやっていた時期もあるのですが、僕でも音楽作れますか?(笑)

僕の場合、執念もあるというか、ほぼ怨念だと思っているんです(笑)。人によるとは思うんですけど、自分の場合はこれまで聴いてきた音楽だったり、抱え込んできたものが上手くまとまったと思います。自分がやりたいことを完全に表現できていたら、それは表現者じゃないかなと思うんです。そこは自分次第だと思います。

ー先ほど、他の人がやっていないことを音楽で作りたいとおっしゃっていましたが、ご自身のオリジナリティは明確になってきている実感はありますか?

誰かと似たことをなるべくしたくないと言ったんですけど、どこかで必ず似ちゃうところはあるんです。それは踏まえた上で、グッとくるもの、おもしろいものを常に探しています。そういう強いインパクトを与えてくれるものを信じているし、みんなにもそれを聴いてほしい。まだマハラージャンってなに? っていう人がほとんどなんですけど、圧倒的に魅力的な音楽でありたいなと思っています。

ー『笑っていいとも』のオープニングのアレンジだったり、Perfumeの「ワンルーム・ディスコ」を生活音でやってみただったり、既存の作品にご自身のニュアンスを入れてオリジナリティを出していったりもされていますよね。

基本的にかっこつけている人が嫌いなんですよ。自分のやっていることに関しては、なるべくモテるとかモテないとかでやってないというか。そういうのを僕は非常に嫌っている(笑)。どうやったらこれがおもしろいか、音としてかっこいいかっていうことだけを考えて作っています。

ーメジャ―・デビュー作『セーラー☆ムン太郎』は、どのようなテーマのもと、作られたんでしょう。

これは、2020年の自分へのセラピーなんです。

ー何か癒やしたいものがあったんですか?

EP『セーラー☆ムン太郎』には、いろいろなことが起きた2020年の世の中で、自分が感じたものを託した曲ばかりが収録されています。正義とは何か、すごく考えたし、それはみんなで考えなくちゃいけないことだと思っていて。例えば日本の政治も、Black Lives Matterも、常に正義を掲げてどこかで対立が起きている。そういった構造がベースになっています。そうした現状の中でも、大体の人は普通に生活しているわけじゃないですか。そういう人たちが本当は尊いし、強いよってことを『セーラー☆ムン太郎』に託しました。

ーEPのジャケットとMVからは、昨今の女性の社会的地位の話だったり、ジェンダーの話といったメタファーを感じることもできます。本作は、社会に対してだったり、外向きな視点を意識されて作られているんでしょうか。

会社を辞めて気づいたことがあるんです。サラリーマン時代は自分対会社でも、辞めてしまったら直で社会と向き合うことになる。コロナがあって、さらにその感覚が強まった感じがするんです。

ー直接社会に触れることで、自分がさらけ出されている感じ?

そうですね。そこで感じたことを、音楽の力を借りてというか、強いメッセージではないですけど、余地のあるものを残すのがおもしろいと思っていて。今起きていることやその人の抱えているものがエンターテイメントで昇華されている方がおもしろい。世の中のためになるとまでは言わないですけど、そういう音楽を僕自身、聴きたいんです。

ー音楽を通すことで、自分の思っていることや伝えたいことを、よりスムーズに人々に伝えられる部分もあると。

人は死にますけど、歌はずっと残っていく。それって伝承的な意味もあるというか。『セーラー☆ムン太郎』が未来永劫残るか分からないですけど、感じたことを残していけば、人は死んでも曲は死なないというか。作った時はそこまで思っていなかったですけど、作り終えてみた今そういうことを思っています。

ー2曲目「示談」はダンサブルなサウンドです。歌詞は駆け引きというか相手の裏側を読むような内容ですね。

そういうギャップがある曲ではあるんですけど、フルートっぽいシンセのリフができた時に、「あ、これは来たな」とバチッときた感じがあって。曲をガンガン作っていく中で、めちゃくちゃな歌詞をつけてやりたいと思って。それで、すぐ思いつきましたね。「滅相もない」って言ってやろうって(笑)。

ー「滅相もない」って言葉は、歌詞にはあまり使われないですよね。歌詞と曲調の組み合わせも意識されたりするんですか?

それこそ「いいことがしたい」ができた時に、自分の中で強い意識が生まれたんです。やっぱり、曲がかっこいいことが大前提で曲を作りたいんです。曲が格好よければ、変わった歌詞だったとしても、みんな好きになってくれると思っていて。世の中にそういう歌詞がいっぱいあれば、別に皆なんとも思わないはずなんですよ。ちなみにライブをやる時に「聴いてください、「何の時間」」「いいことがしたい」」とか言うと、若干初めてのお客さんがざわざわ笑うんです。でも曲が始まるといいねってなるので、そういうことでいいなと思ってます。

ーフェスとかで、遠くから滅相もない♪って聴こえてきただけで「え!?」ってなりますもんね(笑)。

海外の人で聴いてくれている人は、日本語がわからない人がいると思うんですけど、僕も日本人の歌だとしてもほとんど歌詞を聴いて聴かなかったんです。吹奏楽をやっていたこともあると思うんですけど、歌詞よりも音楽がいいかどうかしか聴いてこなかったから、そういう作り方になっているんだと思います。

ー3曲目「適材適所」は、肩の力を抜いて聴ける遊びのあるサウンドですね。

その通りで、作っていて1番楽しかった曲です。どこまでみんなに受け入れてもらえるんだろうと試してみたかったというのもあります。そういう挑戦的なことをやっているアーティストは日本だけじゃなく海外でもいっぱいいると思うんですよ。カオスだけど、ファンクでもある。だけど、ただのファンクに収まっていない。表現の領域に行けたと自分の中では確信してます。

ー今ファンクって言葉が出てきたんですけど、ジャンルレスで音楽を聴いてこられた中でも、ファンクは特別な思い入れのあるものなんですか?

大学生の頃、ダンス・サークルがロック・ダンスをやっているのを見たんです。ロック・ダンスはファンクをベースに踊るんですけど、ダンスと16分のビートがはまっているのがすごくかっこよく見えて、自分もダンスを1年間だけやっていたんです。その時に、踊れるものがいいって感覚が染み付いちゃったんでしょうね。体が動くグルーヴやリズムに今すごくこだわって曲を作っています。

ー「適材適所」は、社会人時代の体験も歌詞に活きているのかなと思いました。

適材適所にハマってなかったんでしょうね(笑)。曲を作ったときは何か分からなかったんですけど、「適材適所」って言葉を乗せた時に上手くハマったんです。そういう意味で、これは自分の適材適所にハマっていなかったことへのセラピーだなっていう解釈です(笑)。

ー4曲目の「空ノムコウ」は、SMAPの名曲をリスペクトした曲なんでしょうか?

全く意識していませんが、どうなんでしょうね。(笑)ただ純粋に曲の雰囲気に合うタイトルとして「空ノムコウ」がいいと思ってつけました。開放感のある曲にしたいと思っていたので、デモを流しながら、空を見上げた時に、これ空ノムコウだなって気がしました。

ー目標や未来に対する不安への一種の開き直りがあるのかなと、聴いていて感じました。そこと開放感は関連性があると思いますか。

繋がっていると思います。この曲に関しては自分が会社を辞める大きな決断をしたことがベースになっているんです。手放すことと言葉のイメージ、曲の持っている開放感が上手くマッチしたと思っています。

ー5曲目「僕のムンクが叫ばない」は前作までに描かれていたような、頭の中をぐるぐる巡る思考が書かれているのかなと思いましたがいかがでしょう。

それはどっちもあります。例えば、SNSで政治的な発言は控えたほうがいいとか、偉い人にこう言われて嫌だったけど言えない、みたいなことってあるじゃないですか。そういうことを考えていたとき、ふと「僕のムンクが叫ばない」ってタイトルを思いついて。「ムンクの叫び」をモチーフにして歌詞にまとめてみようと思ったんです。この曲に関しては全部1人で演奏しているんですけど、叫びをテーマに作っているので、わりとシンセのボコーダーを多用して作っています。

ー参加されているミュージシャンも、ハマ・オカモトさんだったり、Ovallのmabanuaさん、Shingo Suzukiさんだったり名うての方ばかりです。もともと交流があった方たちなんですか。

本当にはじめましての方ばかりだったんです。メジャーになるにあたって、バンドでやりたいとレコード会社の方に言った時、ハマ・オカモトさんと石若(駿)さん、皆川(真人)さんがイメージに浮かんできて。「空ノムコウ」に関してはOvallのイメージなんですよねって言ったんですけど、それが本当に通るとは思わなくて。みなさんオファーを受けてくれたので、すごくうれしかったです。今も実感がないんですけど、全員本当に素晴らしい演奏でした。例えばハマ・オカモトさんと石若さんの2人の共演で作られた曲って、僕だけじゃなく、いろんな方が聴きたいと思うんですよね。そういうものが自分の作品で実現できて本当によかったです。

ー根本的な質問なんですけど、スーツにターバンというスタイルには、どんなコンセプトとかメッセージがあるんでしょう?

本当はサラリーマンをやりつつ音楽をしている象徴ではあったんですけど、もうサラリーマンじゃないので、ただの王としての正装ですね(笑)。

ーライブもそれでやられるんですよね。

ライブはスーツにターバンでやっています。去年はライブがほとんどできなかったので今は今で新しいのを作っているところで。早くライブもしたいです!

リリース情報>


マハラージャン
3rd EP『セーラ☆ムン太郎』

発売日:2021年3月24日(水)
=収録曲=
1. セーラ☆ムン太郎
2. 示談
3. 適材適所
4. 空ノムコウ
5. 僕のムンクが叫ばない

Produced byマハラージャン
Recorded by 小野寺伯文(M 1, 2, 3 ) 、藤城真人(M 4 )
Mixed by 髙山徹
Mastered by 山崎翼

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反マスク・コロナ陰謀論者の右翼ミュージシャン、新型コロナに感染

2021年4月21日 08:00 Rolling Stone Japan

アメリカン・ハードロックの重鎮ギタリストで、トランプ前大統領を支持してきたテッド・ニュージェントが、4月19日にビデオ・メッセージをFacebookに投稿。新型コロナウイルスに感染したことを公表した。

過去数十年にわたり、テッド・ニュージェントの保守派としての過激な発言は物議を醸してきた。昨年はCovid-19の存在を否定することにエネルギーの大半を供給。そして72歳となったニュージェントは、自分がコロナウイルスに感染したことを認めた。

「みんなからは発表することに反対されたけど」と前置きしたあと、彼はFacebookの動画で「この10日間、風邪の症状が出ていた。…死ぬかと思った。とんでもない状態だった」と語っている。そこからいくつかの脱線を経て、彼は煮え切らない表現で要点をまとめてみせた。「今日、陽性反応が出た。『中国ウイルス』にかかったんだ。…頭は重く、身体中が痛くて、尻まで痛むんだ。ここ数日は文字どおり、ベッドから這い出ることもままならないだったが、なんとか抜け出すことができた…だから今日、正式にCovid-19の陽性反応が出たんだ」

そのあと、彼はビデオの残り9分間で、中国への罵倒、ある医師と言い争いになった話、コロナワクチンの成分への疑問、米大手枕メーカー「マイピロー」のマイク・リンデルCEO(トランプ前大統領の支持者)への賛辞などを述べている。

ニュージェントは全米ライフル協会の幹部を務め、動物愛護に反対し、オバマ大統領の存在を嘆き、コロナに関する反中国的な暴言を煽ったドナルド・トランプ前大統領を支持してきた。

Blabbermouthは昨年8月、ニュージェントが新型コロナを「(トランプ氏を)陥れるための左翼のでっち上げ」と表現していたと伝えている。彼は同じ声明の中で、政治家が新型コロナによる死亡者数を多くするために、他の死因で亡くなった人々の数も加えていると根拠なく非難していた。また、ニュージェントは以前からマスクの義務化を非難しており、ワクチンを接種するつもりもなかったという。今月初めには、アメリカで50万人以上がコロナで死亡しているという米国疾病予防管理センター(CDC)の報告に、何の根拠もなく異議を唱えていた。

4月19日現在、CDCの報告によると、56万4千人以上のアメリカ人が新型コロナで亡くなっている。ニュージェントのような65〜74歳のアメリカ人は、そのうち21.4%を占めている。

ニュージェントは別のFacebook動画で、「人生でこんなに具合が悪かったことはない」と語ったあと、このように続けている。「ベッドから這い出るのがやっとだった。俺は同情を求めているのではなく、世界的な医療緊急事態の中で、ニュージェント一族が、俺というギタリストが、コロナ陽性反応に打ち勝つために何をしているのか伝えたい。そして、そのためにも意志の力が必要なんだ」

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今注目すべきはジャンルを超えて活況を呈するイギリス? 2021年1stクォーターを象徴するアルバム4選

2021年4月20日 19:30 Rolling Stone Japan

音楽メディアThe Sign Magazineが監修し、海外のポップミュージックの「今」を伝える、音楽カルチャー誌Rolling Stone Japanの人気連載企画POP RULES THE WORLD。ここにお届けするのは、2021年3月25日発売号の誌面に掲載された2021年1stクォーターを象徴するアルバム4選の記事。

ドレイクやケンドリック・ラマーなど2020年最大のビッグリリースと期待された幾つかの作品がいまだ先送りになったままの3カ月間、もっとも注目すべき作品は未曾有の活況を呈する英国から産み落とされた。アーロ・パークス、スロウタイ、ブラック・カントリー・ニュー・ロード、フー・ファイターズ――今聴くべき4枚を紹介しよう。

1. Arlo Parks / Collapsed In Sunbeams

本人がいくら否定しようとも、「Z世代の代弁者」と呼ばれてしまうのも無理はない。ロンドン出身の20歳、アーロ・パークスのデビューアルバム『Collapsed In Sunbeams』は、同世代の日常に潜む苦悩を鮮やかに描写し、そこに慈愛の眼差しを投げかけている。ビリー・アイリッシュともオリヴィア・ロドリゴとも違う、新世代アイコンのひとつの形を象徴する傑作だ。本作の主なテーマは、メンタルヘルスの問題やセクシュアリティの抑圧。2010年代後半に前景化したポップの主題を継承したものだが、精神不安を扱ってきたエモ新世代の陰鬱としたムード、もしくはアルカ最新作の如く性的マイノリティを祝福するような力強さは表立っていない。BPM80~90後半の穏やかなブレイクビーツと接合された、軽やかなソウル/R&Bのフィーリング。大切な友人にそっと語り掛けるようなパークスの親密な歌声――むしろここで際立っているのは、冬の陽だまりを思い起こさせる、冷えた心と体をやさしく包み込むような暖かさだ。

本作がこのようなムードを持っているのは、パークスがメンタルヘルスやセクシュアリティの問題を当事者の苦悩として歌っているのではなく、そうした問題を抱える友人やパートナーの気持ちに寄り添い、静かに思い遣るような詩作のスタイルを選択していることが大きい。例えば「Black Dog」は、心の病を抱えた大切な人を部屋から連れ出し、ちゃんと食事と薬を取らせるために近所の店まで付き添うという曲。「Green Eyes」は長続きしなかったパートナーについての曲だが、その相手を責めたり未練を歌ったりするのではなく、パートナーが同性愛に理解のない両親から抑圧を受けていることを心配している。2010年代はメンタルヘルスとアイデンティティの不安の時代であり、だからこそセルフケアというアイデアが重視されるようになった。無論それは今も重要だが、パークスの曲にあるのは、セルフケア以上に互いをケアし合うことが重要という発想だ。2010年代ポップの主題を継承しつつ前進させたという意味で、これは2021年の始まりにふさわしい作品と言える。


2. Slowthai / TYRON

まさにアーロ・パークスのアルバムが好例だが、メンタルヘルスの問題は依然としてポップカルチャーにおける重要なトピックだ。「ブレグジットの無法者」を自称し、2019年のマーキュリー賞授賞式ではボリス・ジョンソンのマネキンの生首を掲げてステージで暴れていたスロウタイでさえ、2nd『TYRON』のテーマは自身のメンタルヘルスである。ここには不敵な笑みを浮かべて、社会の底辺から唾を吐く男はいない。この変化の直接的な要因は、2020年のNMEアワーズでプレゼンターに暴言を吐き、ミソジニストとしてキャンセルされかかったこと。それまで歯に衣着せぬ言動で権力者に盾突き喝采を浴びていたはずが、一歩踏み外した途端に掌返しの袋叩きにあうとは、なんとも現代的な事象だろう。本作は2枚組となっており、1枚目はキャンセルカルチャーに真っ向から反撃する「CANCELLED」を筆頭としたアグレッシヴな曲、2枚目は自身が抱える発達障害を曲名に冠した「adhd」など内省的な曲が並ぶ。言うまでもなく、本作の主題は物事の多面性だ。スロウタイという人間にもいろんな側面がある。これはつまり、SNS時代はどうしても人々は物事を冷静にいろんな角度から見ることを忘れ、自分の見たいものだけ見てしまうことに対する批評でもあるのだろう。良くも悪くも当事者の問題として回収されがちなメンタルヘルスというテーマを通し、彼は今の社会の在り方を見つめている。


3. Black Country, New Road / For the first time

ブレグジットの混乱の中でリリースされたスロウタイの1stの表題『Nothing Great About Britain』は秀逸な社会批評だったが、「黒い国、新たな道」という不穏なバンド名も今のイギリスが置かれているハードな状況を否応なしに連想させる。活況が続くサウスロンドンのバンドシーンから登場した7人組、ブラック・カントリー・ニュー・ロードのデビューアルバム『For the First Time』は、今のところ同シーンが生んだ最良の成果だ。ジャズ、ポストパンク、ノーウェイヴ、ミニマルミュージック、クレズマー(東欧系ユダヤ人の民族音楽)などが混濁したフリーフォームなサウンドは、言わばポストジャンル時代に対する英国アンダーグラウンドからの応答。サウスロンドン勢に多いポエトリーリーディング調の歌唱は、言葉の響き以上に意味を強調しているという意味で(ラップに影響を受けた)現行のポップとも緩やかに共振している。だが同時に、彼らは意識的に時流へ背こうとしているのも間違いない。ポップソングがストリーミングやTikTokでのヴァイラルに最適化すべく、短くてわかりやすいフックを重視する傾向が強まっているのに対し、ジャムセッションから発展した彼らの曲はどれも尺長で、あくまで全体の流れで聴かせる構成。その詩的なリリックも、曲全体から抽象的なフィーリングを立ち昇らせることを意識したものだ。プレイリスト向けのポップに慣れた耳には、このアルバムは不親切で、混沌として聴こえるかもしれない。だが、彼らはその混沌の先にこそ「新たな道」が見えると信じているのだろう。


4. Foo Fighters / Medicine At Midnight

BCNRがアンダーグラウンドのロックバンドによる最良のトライアルだとすれば、フー・ファイターズの10作目『Medicine At Midnight』はメインストリームで勝負するロックバンドによる果敢な挑戦の記録だ。これまでよりも明らかに音の隙間を意識し、各楽器の抜き差しでダイナミズムを生もうとするサウンドデザインは、今のチャート音楽に対する対抗心が伺える。デイヴ・グロール曰く、目指したのはデヴィッド・ボウイ『レッツ・ダンス』。わかりやすくヒップホップに目配せするのではなく、グルーヴ主体のポップ音楽として『レッツ・ダンス』を目標に掲げたのは、いい落としどころだろう。少なくともこれは面白く、興味深い。本作が『レッツ・ダンス』に並ぶ成功を収めるとは思わないが、メインストリームの第一線で戦い続けるロックバンドの矜持はしっかりと伝わってくる。

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カネコアヤノが語る、流されやすい自分に「言い聞かせるため」に歌う理由

2021年4月20日 18:30 Rolling Stone Japan

CDショップ大賞に初入賞した『祝祭』が発売されたのは2018年。仕事終わりに駆けつけたインストアライブには店の外まで多くの観客が集まり、彼女がすでに多くのリスナーの心を惹きつけていることを痛感した。

翌年リリースされた『燦々』では、第12回CDショップ大賞<青>に選出。そして2020年、自身のキャリアで最大規模となる中野サンプラザでのワンマンライブをあっという間にソールドアウトにしてみせた。

そして2021年4月14日、6枚目となるフルアルバム『よすが』を発売。5月からは全国8都道府県、9公演に渡るツアーをスタートさせる。

年々加速度的にファンを獲得し続け、その存在感を確固たるものにしてきたカネコアヤノだが、どこまでいっても彼女の音楽が光閃のように新鮮な煌めきを失うことはなかった。この日の取材で彼女が話してくれた言葉の中に、私たちが大切にしている心のありかを再確認してもらうことができたらと思う。

—ここ1年は特に気持ちが内にこもってしまうことも多くありましたが、今回のアルバムは「追憶」の歌詞にあるように、まさに外に連れ出してくれるようなアルバムだなと思いました。「抱擁」のMVもすごく素敵で。一週間前に撮影したって聞いてびっくりしたんですけど。

ありがとうございます。MVは先週撮ってきて、帰ってきたばっかりなんです。

—YouTubeのコメントでも励まされたって声がいっぱいあって。

ありがとうございます、嬉しいです。ああいう壮大なところに一人で立って、衣装はYUKI FUJISAWAのワンピースで、映画の長回しみたいなミュージックビデオを撮りたいんですって奥山さん(監督・奥山由之)に相談して。構想の段階では泣くところまではもちろん入れてなかったですけど、奥山さんが雪山で撮ることを提案してくれて、ありがたかったです。

—場所はどこですか?

長野の八方尾根って山です。標高は割と高くて。
 
—すっごい寒そうでした(笑)。
 
寒かった。天候があるから2日間のチャレンジだったんですけど、初日がマイナス8度とかになっちゃって。
 
—ええ!  時間は明け方ですか?

明け方の5時台かな。2日間のその時間しか撮影できないから、1時間ぐらい長回ししてって感じでしたね。

—本当に素敵なMVでした。「爛漫」が去年の今頃にでて、私自身すごく救われて。当時急に先が見えない世の中になったと思うんですけど、それでも変わらない自然のたくましさに気づかせてくれるような曲でした。「抱擁」しかり、もちろんコロナは関係なくつくった曲だったと思うんですけど。

確かに、そうですね。

ー変わらないことを大事にしたい、みたいなお話をされてましたけど、それもひとつ魅力だなと。

変わってもいいんですけど、我を忘れたくないです。忙しくなったりすると忘れがちになっちゃうけど、自分で選んでここにいるわけだし、それが分かんなくなると多分とっ散らかっちゃうから、「そもそもなんで音楽やってるんだっけ」みたいな一番シンプルなことは、定期的にちゃんと考えるようにしたい。我を忘れたくないです。


バンドなんだけど、バンド名が付いていないだけ


—仕事とか生活のために頑張らなきゃってなると、頭で考えることが増えてしまうんですけど、カネコさんの曲を聴いていると、綺麗な景色を見てるような、自分の五感を思い出せる感覚があります。

あ、嬉しい。大人になったり歳を取ったりするにつれて、腐ってくっていうか。小さいときはまだ全部が新しいから五感も刺激され続けるけど、慣れていくことによって腐っていっちゃうから、そこは意識して保ちたいですよね。例えば小さいときに食べられなかったものが大人になるにつれて食べられるようになるのって、単純に舌がバカになってるかららしいんですよ。苦手がなくなることはもちろんいいことだけど、そんなふうに自分の感性もぶっ壊れていくんじゃないかな。そこはやっぱ壊したくない。保ちたいですよね。「あ、私今腐ってきてる」って思ったら、「なんでここにいるんだっけ」「なんで私この洋服着てるんだっけ」って考えたいです。

—そういうのって、どんな風に気付くんですか?

バンドの場合は毎日やってるから分かる。完全にこれ、全員だるいって思ってるなって。でもそういうときはシンプルに話しますね。自分も含めて、私たち今やばいと思いますって。あとは、人前でやるのが当たり前になってるのも結構怖いと思っていて、明日も明後日もZepp東京でライブできるわけじゃないし、それは甘えないようにしようよって話します。名前がついたバンドじゃないからこそ、話し合いでちゃんと繋ぎ止めないといけないような気がしてて。できるだけ対話をするようにしてます。
 
—バンドって形で固定はしない?

全員の気持ち的には多分バンドだし、この先のレコーディングもアレンジもこのメンバーでやっていこうってことにはなってて、ただ本当にバンド名がついてないだけって状態だと思うんですよね。私はあなた達とやりたいんです、だから、私も強制はしないけど、君達も自分でここにいる選択を取ってくださいみたいな。私のところってわけじゃないけど、何をするにも自分で選んでそこにいるってことをちゃんと考えてやろうよとは言いたいし、たまに言ってる。でも本当に今のメンバーでやっていきたいから、バンドなんですよ。バンドなんだけど、名前が付いてないだけ。名前だけじゃないと思う。


伊豆スタジオの合宿での日々


ー今回「爛漫」を再録音して、ライブ感というか、バンドとしての力強さがより増した印象がありました。その辺はやっぱり伊豆スタジオの合宿での日々も影響してるんでしょうか?

本当はそのまま入れようと思ってたんですけど、録音が全部終わって、曲順も考えはじめて、いろいろ並び替えて聴いてるときに、最初に出した「爛漫」があんまりハマらないな、って私的になっちゃって。「爛漫」ってコロナの真っ只中に出した曲だから、あんまりみんなの前でできてないんです。どの曲もそうなんだけど、やるときにだんだん熱量が上がってきて、どうも違う曲みたいになってんな、みたいな。そこって多分、単純に私の歌がコロナ禍を知ってるかどうかもすごく大きく影響している気がしたし、もういっそみんなが今やりたい「爛漫」を録った方がハマるなって感覚的に思ったから、すいません、録り直したいですって言って、追加の日程を1日押さえて録りましたね。
 
ー一番最後に。

最後に録りました。アルバムの最後に入れたいのもあったから、最後に入れるにはやっぱり録り直したいって言って録りましたね。そしたらみんな勝手にいろいろやってくれたし、林くんも気付いたらアウトロでガシャガシャガシャって入れてたし。みんなそれ聞いて爆笑するからいいですよね、わはは、みたいな(笑)。

ー合宿はどのくらいの期間?
 
1カ月間ぐらい行きました。夏中はずっと伊豆にいましたね。プリプロも含めて行ったから、アレンジ作業も伊豆でやって、その熱量をそのまま持ち込んでレコーディングした感じです。

ー合宿して録ろうっていうのは?

レコーディング自体は私が10代のときからずっと合宿でやってて、今ではそれが当たり前になってる。伊豆スタには、10代の頃からいつもエンジニアしてくれている濱野さん(濱野泰政)がPAさんでいるのと、アナログの卓もヴィンテージの機材もめちゃくちゃいっぱいあるから、それを求めて行ってます。だし、伊豆に行きたいのもある。みんな伊豆に早く行きたいって(笑)。
 
—Instagramにも、海で遊んでる写真が(笑)。

ほぼ毎日海か温泉か、どっかに午前中に行って体を起こして、昼からレコーディングみたいな感じでした。これだけ話すと、本当何しに行ったのって感じ(笑)。夜花見したりバーベキューしたり、夜中に辛ラーメン食べたり。


言葉、メロディ、バンドサウンドの関係


—楽しそう(笑)。カネコさんの楽曲には、言葉だけを切り取ってもメロディだけを切り取っても説明できない、楽曲全体の文脈としての魅力がすごくあるなと思っていて。言葉とメロディ、バンドサウンドはどんなふうに結び付けてるんですか?

どうなんだろう。歌と歌詞はだいたい一緒にできて、バンドサウンドは、ジャケのこういう風にしたい、みたいな漠然としたイメージと一緒で、大体こういうイメージっていうのを伝える。そこから、エンジニアの濱野さんがプロデューサー的な立ち位置でいろいろ提案してくれたり、バンドメンバーが自分の楽器の音作りをしたりします。私は、なんか天使が降りてくる感じ、とか、森みたいな、ってみんなに伝えて、みんなももう慣れてるから、なるほどね、って。エンジニアのヤスさん(濱野さん)はよくわかんないけど大体理解してくれて、あー、わかるわかる、みたいな。

ー最初に歌があって、そのイメージを伝える?

歌をみんなに聞いてもらいます。今回のアルバムも、この曲がどういう人格を持ってるか、みたいな共有をしっかりしてからレコーディングしようっていうのは、めちゃ話しました。私がだいたいのイメージを伝えて、合わせてみて、違ければそういう感じにしたいんじゃなくて、とか、もっとここで急に違う世界に行きたいんだよね、みたいなことを言います。こういう曲だけど暗くしたくないんだよ、とか。セッションに近い感じで作ってんのかな。最初はふわっとみんなでコードさらって、あ、さっきの林君のリフよかったから、それもっかいできる?って言ったら、え、俺何弾いてたかわかんないとか(笑)。簡単なレコーダーで録音して聞いて、徐々に徐々に、少しずつつくっていく感じ。だいたい曲の人格が分かってから後半の方で、何拍目で休んでから入りましょうとか、ここだるいよね、じゃあどうする、みたいな引き算をしてる感じですね。

ー曲の人格ってどんなイメージでしょう?

この曲がどういう印象のものになりたいかっていうか。洋服着せてあげるみたいな感じで、メンバー同士でその意思疎通はすごいしてからやりました。あと音楽として、余白も綺麗に聞こえるアルバムにしようってこともすごい話して。

ー曲と曲の?

曲と曲もそうだし、曲の中にある余白みたいなものも、ちゃんと綺麗になるといいよねって。


バンドの中には「救い」がある


ーなるほど。カネコさんは曲の中でいろんな光の表現をされてると思うんですけど、今回のアルバムは「閃きは彼方」にある”雷光”のような、一筋の希望の光のようなアルバムだなと思いました。去年は音楽活動を制限されてしまうことも多くて、気持ちが沈んでしまうことも?

そうですね。終わりって感じでしたね。入れた曲達をつくるか、止まるか。何をするにもそういう感じ。曲ができた後も、何もできなくなっちゃったりはしました。

—ライブができないことで、やっぱりモチベーションが下がってしまいましたか?

下がりまくりです。コロナ前って、とにかくもうライブしかしてなかったから。ライブないときは週2とかでリハに入って、週末はライブしてって感じだったから、本当にやることが何もなくなっちゃって。抜け殻みたいな状態になりましたね。

ーそうですよね……。

あとサンプラザが、本当にずっとやりたい会場だったし、見てきた中でも好きな会場だったから、自分がやれることになったのも嬉しいし、チケットもソールドアウトしていて、もうすごい楽しみだったんですよ。コロナが感染拡大してきて、さすがに4月末にはおさまっているだろうって思ってたら、だんだん雲行きが怪しくなってきて、また延期になってまたその先も延期になって、ちょうど一年延期になっちゃって。サンプラザがなくなったときに、「あ、もう無理」って。今年は諦められる心を準備しておかないとやられちゃうなって思って、あんまり期待をしないようにしてました。期待しても今年は駄目になっちゃうことが多いなって。

—そんな中でも延期して公演してくれて、ファンのみなさんすごい喜んでると思います。ありがとうって。

頑張ります、ありがたいです。

—ライブには学生時代からよく行かれてたとか。中野サンプラザではどんなアーティストを見てましたか?

サンプラザでは最近だと、細野さんを見に行きましたね。あと学生のとき、ちょうどフジファブリックの志村さんが亡くなって、そのときの追悼がサンプラザだったんですよ。それは行きました。学生時代はすっごいちっちゃいライブハウスばっかり行ってたから、大きいところは、武道館とかZepp東京とかブリッツとかSHIBUYA-AXとかしか行ったことないんですけど。

—カネコさんのライブを見てると、女の私でもドキッとしちゃうような男の子みたいな瞬間もあれば、女性ならではの儚げな表現もあって、性別不詳だなっていつも思うんですよね。

めちゃくちゃ嬉しいです。そうありたいぐらいですよね。こういう時代ですけど、結局性別が一番コンプレックスかもしれない。最近は女性であることは好きになってきたけど、やっぱり、男の子に対する憧れはもう一生消えないと思う。だから、今のバンドの中にいるときって、そこはあんまり考えなくていいことにめちゃくちゃ救いがあるなって思ってる。そういさせてくれるというか。別にみんなはそこは考えなくていいんですけど、自分がそうありやすい場所ではあるかなって思いますね。


考えすぎずに「好き」でいいと思う


ーカネコさんを見てるとすごい女の子っぽい格好もしたくなるし、かっこいいギターをかき鳴らしたくもなる。

私も両方好きです。ぶりぶりのワンピースもいまだにめちゃくちゃ好きだし、T シャツにジーパンも好きだし。全部できたら全部楽しいじゃん、みたいな。化粧はあんまりしないからわかんないけど、肌の色がこれだからこの色が似合いますって提示は、人によっては考えすぎちゃって苦しくなっちゃう人もいるんじゃないかなって。だから本当に、「好き」でいいと思うけどな。好きな服が着れて、自分の気分が上がることが一番なのではって思っちゃう。

—パーソナルカラー診断とか骨格診断とかいろいろありますよね。

そうそう!  ほんとはフリフリが好きなのに、あなたの骨格的には V ネックのブラウスとこういう形のパンツが似合います、とか言われても、「でも全然好きじゃないし自分上がらないんですけど」って。生きづらいなって思う。もちろん洋服があんまりわかんない人だったら助けられるのかもしれないけど、もともと服が好きで、こういう暮らしがしたくてって気持ちがあるんだったら、シカトして生きてみた方がいいんじゃないって最近は思ったりします。

—「春の夜へ」”僕しか分からない美しさよ”って歌詞がすごく好きです。他人からの評価じゃなく、自分が好きなんだからいいって思えるのがカネコさんの強さですよね。

もう自分に言い聞かせるためにも歌ってる。私にしか分からないんじゃ!みたいな。そういう、人に言われた言葉とかがよぎると自分らしさがわかんなくなっちゃうから。私は特に意思が弱いっていうか、本当はすごいネガティブだし人に流されやすいから、こういうことを自分に言ってないと、自分がどっかに行っちゃいそうで。だから歌っていきたいです。

—そういうところがリスナーが惹きつけられるところなんだと思います。
 
いやあ、どうなんでしょう、嬉しいです。暴力的な言葉に勝つには、自分で励ますしかないっていうか。自分のことを自分でちゃんとケアできるようになりたいですね。

ーそういう風に思えるようになったのって、何かきっかけがあったんですか?

どうだろう。もともとすごく消極的で、流されちゃう自分が本当に嫌だったけど、嫌ってことさえも気づかないようにしてた時期が22歳ぐらいまであって。そのタイミングで最初に所属してた事務所を辞めることになってしまって、本当に何もない状態になって。そこではじめて、私ってなんで音楽やってるんだっけって考えたんです。誰かがいないとできないことだったのかな、みたいな。もともと働くことも誰かに従うことも苦手なのに、ここで音楽やめたらそうなるのはまずいって思ってから、とにかく変わりたい方向に頑張ってみました。震えながら意見を言ってみたり、本当につくりたいCDって何だったんだろうとか、今まで自分がどんな気持ちで音源買ってたかな、どういうライブに感動してたんだろうって考えたりしました。そしたらちょっと楽になった。生きやすくなったなって思います。

—自分の軸を取り戻すような感じですか?

今までわかんなかったものが、はっきり見えるようになったっていうか。自分のことなのに。でもやっぱり今もずっと考え中って感じですよね。

ー身を削って音楽をやってくれてる感じが。

いやいやいや、人々が今日あったことを日記に書くのと本当に一緒だと思います。それをみんな楽しんで、一緒につくってくれて、嬉しいです、本当に。


同じ人とずっと同じことをやっていくことの強さ


ー衣装さんやメイクさんも含めて、素敵なチームですよね。どうやってみなさんと出会ったんですか?

衣装はもともとFUTATSUKUKURIが好きで、デザイナーのかえさんと知り合いだった人がいたので、その人に紹介してもらいました。そこから、実は衣装頼みたいんですけどって伝えたら音楽も聞いてくれて、両思いになり、今では大事なときはFUTATSUKUKURIを着ようって決めてる。FUTATSUKUKURIは奥さんがデザインもしながら服を作ってるんですけど、子どもが生まれたら子どもがいることをテーマにシーズンでコレクションを出したり、その時々の暮らしを反映させて製作していて、私もそれに影響を受けてる。かえさんの出す文章とか、今回はこういう気持ちでつくりましたみたいなものに、すごく感化されますね。

ヘアメイクは7年前ぐらいからずっと、同い年の山本さん(山本りさ子)にやってもらっていて、今もめちゃくちゃ仲いいし、ほんと長いから、何も言わなくても伝わる。基本的にお任せです。髪まっすぐにしたい、ぐらい。私がどういう姿でステージに立って歌いたいかも多分もうわかってるから、本当に不安とかはないですね。カメラマンは今回小財美香子さんにお願いしたんですけど、もともと私がInstagramをフォローしていて、いつか一緒にやりたいなって思っていて。で、今回のイメージに合うかなと思って、声かけて一緒にやりました。

ープロデュースされて見え方が決まるアーティストも多いと思うんですけど、カネコさんは本当に、自分がやりたい感じに。

そうですね。自分でジャケのイメージも考えるし、ミュージックビデオでいえば、こういう所へ行きたいとか、映画のワンシーンみたいにしたいんですとか、できるだけ自分から出てくるものをやりたいとはすごい思ってます。

ーカネコさんのつくり出すものって、この先もう見られなくなってしまうって思わせるような儚さがあると思うんですけど、FUTATSUKUKURIのお洋服とか、そういうところからつくられてるんだなと思って。

そうなんですよ。今回のアルバムに関わってる人達以外にも、ライブも基本的に同じ映像のチームだし、照明もずっと同じ人にやってもらってて。前の事務所で一緒にやってた人は、どんどん新しい人とやってどんどん新しい自分に出会わないと、ってスタンスの人だったんです。だけど、私は今よりももっとずっと人見知りがひどかったし、その都度新しい人とやっていたら、もう、ぶっ壊れてしまう、と思って。

ー(笑)

それだけがかっこよさじゃないし、同じ人とずっと同じことをやっていくことの強さとか、頑丈な部分を作ることもかっこよさのひとつだろうって思って、最初の事務所をやめたときから今まで、意地でもそれをやるようにしてる。バンドもレコーディングもそうですけど、阿吽の呼吸みたいなものって絶対そういう人たちとしかつくれないから、それができてきたかなって思います。このままの状態で大きい会場でやるのが一番かっこいいし、最初はそれがやりたい。大きくなってきたからこういうプロデュースをいれなくちゃとか、MVにこれだけお金がかけられるからこういうことをしましょうとか、売れる曲みたいなのは狙ってつくりたくないし、今自分がやりたいことをちゃんとやって、このまま出てくるものだけを貫いて貫いて、大きい会場でやれるのが一番やっぱ、かっこいい気がする。それがやりたいです、ずっと。


目の前にお客さんがいてくれるということ


ー初期衝動みたいなものって技術が高まるにつれてどうしてもなくなってしまうこともあると思うんですけど、カネコさんの場合、技術も高まりつつ、気持ちが揺さぶられるような部分もぜんぜん変わらないというか、むしろどんどん昇華していってるなって。

そうですね……ライブに対してそれってあんまり減ってないかも。だから、去年お客さんの前でまじでできなくなったことがそれを失いそうで怖かった。配信とかもめちゃくちゃいい映像ができたなって本当に思ってるし、もちろん誰かには向けてますけど、そのときの素直な気持ちで言うと、本当に誰に向けて歌ってるのかが分かんなくなっちゃう瞬間がやっぱりあった。目の前にお客さんがいてくれるというか、一人でもいいから聞いてくれる人がいるっていうのが、私が音楽をやる条件の中に一つ大きくあったんだなって思いました。もちろん自分のために音楽やってるし、好きだからやってるんだけど、その中に、どうしても人に聞いてもらいたいって感情がめちゃくちゃあったんだな私は、っていうのに、気づいた。

ーこの1年で。

はい、それはまじで。聞いてくれる人にとって、ずっと想像以上でいたいなって思ってる。楽しいからやってるだけっていうのもあるし、そんなに重く考えてないけど。でも本当に、それは思いますね。ライブができないってそういう感情にもなったなって気づきがありました。

ー去年3月の無観客配信ライブは、リスナーとしては自宅で見れて、とにかくありがとう!って気持ちが強かったんですけど、ライブ会場でメンバーが客席に向かって演奏してるから、見ている側としては私たちがここにいれないなって気持ちにも少しなって。

あぁ、そっかぁ……。

ーでもLIVEWIREのときはメンバー同士で向かい合ってたから、ライブの代わりじゃなくてあれはあれで、ひとつの新しい表現方法だなと思いました。

そうですね。なんかね、ステージに立って、誰もいない客席に4人向いてやってる光景が意味不明になっちゃって、私の中で。なんで? なんなの?みたいな。だって客席のほうを見ててさ、誰もいないから、本当に不安になっちゃって。感情の放出先も分からないし。だから、3人が見える安心感が欲しすぎて、LIVEWIREからは円になってやりました。スタジオだったらいつも向かい合ってやってるから、私の前にはボブがいて右には林くんがいて左には本村くんがいる、みたいなのがめちゃくちゃ安心しました。そして安心して演奏ができて、すごい楽しかった。あれはあれで楽しかったし、やってよかったってすごい思ってます。

ーライブの在り方もだいぶ変わりましたよね。

いやあ、難しいですよね、ほんとに。やれるようになってきてるけど、いつ元通りになるんだろうっていうのは実際まだ見えてないし。でもライブができるだけで嬉しいですね。やっぱお客さんがいて、体温がないとライブしてるって感じがしない。やっぱそれが好きだなって思いましたね。

ー中野サンプラザ公演のあとは、ツアーも始まりますね。楽しみにしてます!

ありがとうございます!  ツアー早くしたいです。すごく楽しみです。

<INFORMATION>

『よすが』
カネコアヤノ
1994
発売中

1 抱擁
2. 孤独と祈り
3. 手紙
4. 星占いと朝
5. 栄えた街の
6. 閃きは彼方
7. 春の夜へ
8. 窓辺
9. 腕の中でしか眠れない猫のように
10. 爛漫 (album ver.)
11. 追憶


「カネコアヤノ ワンマンショー 2020春 -東京公演-」

4月23日(金)中野サンプラザ
昼公演:開場・15:00  開演・15:45
夜公演:開場・18:15  開演・19:00

「カネコアヤノ ワンマンショー 2020春 -大阪公演-」

5月1日(土) 大阪市中央公会堂 
開場・16:30 開演・17:30
5月2日(日) 大阪市中央公会堂 
開場・12:00 開演・13:00

「カネコアヤノ TOUR 2021 ”よすが”」

5月27日(木)広島JMSアステールプラザ 大ホール
18:00 開場/19:00開演
5月29日(土) 福岡市民会館
17:00 開場/18:00開演

6月3日(木)札幌市教育文化会館福岡市民会館
18:00 開場/19:00開演

6月13日(日)仙台電力ホール
17:00 開場/18:00開演

6月26日(土) 金沢市文化ホール
17:00 開場/18:00開演

6月28日(月) 大阪オリックス劇場
18:00 開場/19:00開演

6月30日(水) 名古屋市公会堂
18:00 開場/19:00開演

7月6日(火) ・7日(水) LINE CUBE SHIBUYA
18:00 開場/19:00開演

外部リンク

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ユーミンら1970年代のアルファレコード作品を当時のディレクターと振り返る

2021年4月20日 12:40 Rolling Stone Japan

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2021年4月はアルファレコード特集。第1週は、2015年に行われたライブ「ALFA MUSIC LIVE」の音源を聴きながら、元アルファレコードのディレクター・プロデューサー、現在は株式会社シティレコードのプロデューサー有賀恒夫とともに、1970年代のアルファレコードの作品を振り返る。

田家秀樹(以下、田家)こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは「WE BELIEVE IN MUSIC」。作詞が山上路夫さん、作曲が村井邦彦さんの新曲です。お聞きいただいているのは、2015年9月27、28日に渋谷Bunkamuraオーチャードホールで行われたライブ音源です。このライブのために書き下ろされた曲でした。歌っているのは小坂忠さん、小坂さんの娘・Asiahさん、ギタリスト大村憲司さんの息子・大村真司さん、ドラマー林立夫さんの息子・林一樹さん、村井邦彦さん、そして先日亡くなった村上"ポンタ"秀一さんです。今月の前テーマはこの曲です。

WE BELIEVE IN MUSIC / 小坂忠、Asiah、他

今月2021年4月はアルファミュージック特集。当時24歳だった若手作曲家・村井邦彦さんが1969年に設立した音楽出版社アルファミュージック。その作家契約の第一号が高校生だった荒井由実さん。赤い鳥、小坂忠、細野晴臣、松任谷正隆、吉田美奈子、ガロ。色々な人たちを世に送り出し、新しい日本のポップミュージックの流れを作った会社です。1977年にはレコード会社アルファレコードも発足、そこからはサーカス、YMO、カシオペア、シーナ&ザ・ロケッツなども羽ばたいていきました。

お聞きいただいているALFA MUSIC LIVEは、村井さんが70歳を迎えた2015年に行われたライブでアルファゆかりのミュージシャンが大集結。夢の一夜を繰り広げました。タイトルの「WE BELIEVE IN MUSIC」は、アルファが設立された時のスローガン。今年の3月にこのライブの映像作品が発売されました。今月はそのライブ音源を使いながら、アルファレコードの功績を振り返っていこうという1ヶ月であります。今週と来週のゲストは、元アルファレコードのディレクター・プロデューサー、現在は株式会社シティレコードのプロデューサー有賀恒夫さん。鬼の有賀と呼ばれた伝説のディレクターです、こんばんは。

有賀恒夫(以下、有賀):こんばんは。

田家:「WE BELIEVE IN MUSIC」という曲名はスローガンだったと聞いております。

有賀:そうですね。当時からこの言葉は村井さんが大声で叫んでいたんです。どういう意味かというと、いい音楽は金に変わる、というのが根底にありまして。いい音楽は金に変わると信じて働いていましたね。

田家:経営者としてはそういうビジョンがないとやれないでしょうしね。実際、鬼の有賀と呼ばれながら働いていた頃は、こういうライブが実現する日が来る思われました?

有賀:当時はそんなことはまったく。振り返ってみると、こんなに偉大なアーティストたちを扱うことができたんだなと改めて思いましたね。

田家:それは当日現場で感じられたんですね。どの辺でご覧になっていたんですか?

有賀:僕は主に楽屋で……(笑)。

田家:なるほど(笑)。今回有賀さんにはこのライブの中で忘れられない思い出のある曲を選んでいただきました。1曲目はガロの大野真澄さんが歌っている「学生街の喫茶店」です。

学生街の喫茶店 / 大野真澄(GARO)

田家:この曲を選ばれた理由は?

有賀:この曲は、すぎやまこういちさんと山上路夫さんの作ったものなんですね。GAROのアーティストとしてのアイデンティティから考えると、他人の曲は歌いたくないというのがどこかにあるんです。それでTOMMY(日高富明)もMARK(堀内護)も自分で歌うのが嫌なもんだから、一番気の弱いVOCAL(大野真澄)が歌うことになった。でも、VOCALが歌ったGAROの曲が瞬く間にヒットしてGAROの中心になってしまうわけですね。それは”プロデュース”ということの顕著な例だと思うんです。だから私はこの曲がとても好きなんですね。

田家:当初はB面だった曲が、A面になって大ヒットしましたね。ライブでは、松任谷正隆さんが演出・構成されているんですが、素晴らしいと思ったのがプレゼンターが登場して出演者を紹介するという構成。オープニングはユーミンが出てきて、彼女が初めて書いた曲を歌う加橋かつみさんを紹介する始まりです。「学生街の喫茶店」の曲紹介をしたのは、GAROのプロデューサーだったミッキー・カーティスさんで。今、有賀さんが仰ったことを、ミッキーさんがご自身の口でお話されながら曲が始まるという。このミッキー・カーティスさんのプレゼンターとして紹介は長いので、番組ではご紹介しきれないのですが(笑)。

有賀:話し出すと止まらないんです(笑)。

田家:お聞きいただいたのは、2015年9月に行われたライブ「ALFA MUSIC LIVE」から、GAROの大野真澄さんが歌われた「学生街の喫茶店」でした。

プレゼンターMC(服部克久)

田家:ただいまプレゼンターとして登場されたのが服部克久さん。J-POPの父、服部良一さんの息子でありますが、服部さんにはどんなことを思われますか?

有賀:まずこの雪村いづみさんの繋がりで言えば、『スーパー・ジェネレイション』という大きなアルバムがありまして。これは、服部良一さんの作品をティン・パン・アレーのリズムセクション、それと歌のしっかりした雪村いづみさんに歌っていただこうとという企画で、それをまとめていただくのはやっぱり服部克久さんにお願いしたという感じです。

田家:1974年に出たアルバムで、当時キャラメル・ママと名乗っていたティン・パン・アレイの演奏ですね。あのアルバムは細野さんがやりたいと仰ったんですか? 村井さんが?

有賀:僕のところには村井さんから降りてきたものですから、どちらがやりたいと言ったかは分からないんですよね。

田家:細野さんの才能をいち早く見抜かれたのが村井さんでもありますからね。細野さんと雪村さんという組み合わせを村井さんが描いたのは当然かもしれませんね。

有賀:そうですね。先鋭的なリズムセクションとしっかりした楽曲、アレンジ、歌ですよね。

田家:雪村いづみさんはユーミンの「ひこうき雲」を歌ったとお聞きしたことがあるのですが。

有賀:ありましたね。それも僕がやったんです。ユーミンが作家としてまず生きていきたいんだというのが当初にありまして、それじゃあこの曲を広めるのに雪村いづみさんに手伝ってもらおうとしたんです。ところが、歌ってもらうと、音程も正しいし感情もあるので歌としては申し分なかったんですけど、ユーミンの楽曲がこの歌で表現された時にどこか違和感があると思った。それで、僕なんかはこの曲は、ユーミンが自分で歌う方がいいんじゃないかと思っていたもので。結局、雪村さんが歌った「ひこうき雲」はお蔵入りです。

田家:ユーミンの話はまだこの後も続きます。そんな有賀さんが選ばれた雪村さんの曲で選ばれたのが次の曲「蘇州夜曲」。

蘇州夜曲 / 雪村いづみ

田家:1974年に発売の名盤『スーパー・ジェネレイション』の曲です。有賀さんがこれを選ばれたのは?

有賀:服部良一さんの曲は、コードの流れが実にジャズ的というか。すごく工夫に工夫を重ねて感情が出てくるようなコード進行なんです。それはとても尊敬しているところなので。

田家:J-POPの父と語られてきていますが、アルファミュージックの人たちにとっても服部良一さんは特別な方ですか?

有賀:特別です、本当に素晴らしい。

田家:そういう服部さんが日本の音楽でやろうとしたことを僕らも受け継いでいくという意識も当時ありました?

有賀:そこまで大きくは構えていませんが、他とは違うものをやろうとしていましたね。

田家:村井さんは慶應義塾大学の老舗ジャズクラブ「ライト・ミュージック・ソサエティ」のメンバーで、有賀さんもその後輩なんですよね。

有賀:そうです。でも、実は村井さんは僕の中学からの先輩でクラリネットなんかを習った記憶があります。

田家:その頃はまだ音楽出版社を作る方だと思っていなかった?

有賀:思ってなかったですね。大学を卒業して「今度アルファレコードっていうレコード会社始めるのでよかったら来たら?」って誘われたんです。

田家:その村井さんが見つけてきた高校生が荒井由実だった。この話はこの後お伺いしていこうと思います。有賀さんが選ばれた今日の3曲目「中央フリーウェイ」。

中央フリーウェイ / 松任谷由実(荒井由実)

田家:これも演奏はティン・パン・アレイですね。ライブでは「ひこうき雲」も歌っていましたが、有賀さんはこの曲で思い出されることがたくさんあるでしょうね。

有賀:当時はその素晴らしさにどこか嫉妬していたような気がしますね。「中央フリーウェイ」の素晴らしいところは、実は何回も転調してサビに入って、またAメロの戻る時に大きな転調があるものですからコードも含めて曲全体が素晴らしい。そして歌詞が素晴らしい。これは嫉妬以外ないですね。

田家:何回素晴らしいと言ってもキリがないほどに素晴らしいと。嫉妬の感情は、ディレクターとアーティストの間では微妙なものでもあるんでしょうね?

有賀:彼女の持ってくるものは全部素晴らしくて、駄曲っていうのがなかったんです。メロディも歌詞も完成度が高くて、どこもツッコミようがないくらいで文句を言ったことは一回もないくらいです。

田家:でも、ユーミンにビブラートを直せと言ったら彼女が泣いて、「ひこうき雲」のアルバムのレコーディングに一年もかかったと伺ったことがあります。それも有賀さんのディレクションだったんですよね?

有賀:というのは、彼女がもともと持っていた私のビブラートは、山本潤子さんのような綺麗で大きなビブラートじゃなくて、細かく震えているようなものをビブラートだと言い張ったものですから。それはちょっと違うなと思って、ボイストレーニングとか色々連れて行った。という風に彼女は私のことを言うんですが(笑)。そんな失礼なことあったかな? という感じで僕は忘れてましたね。

田家:今回の「ALFA MUSIC LIVE」は、Blu-rayとCDでそれぞれ二枚組で収録されていて。ライブ音源の曲はスタジオ盤のCDにもなっていますが、ライブでユーミンの「ひこうき雲」をずっとライブでご覧になっていて気づかれたことはありますか?

有賀:「ひこうき雲」は、彼女の特別な曲でして。彼女の大事な友達が亡くなったことを歌詞にして、それを曲にして歌っているものですから。後に色々な人がこの曲をカバーしたりしていますけど、何の意味があるのかと変な感じで聞いています。

田家:有賀さんが当時ユーミンと交わした約束があったと聞きました。

有賀:そうですね。レコード会社としては後に色々なコンピレーションアルバムを出すと思うのですが、この曲は収録しないでくれと彼女からの希望があって。私が在籍している間、「ひこうき雲」は一回もコンピレーションに入れずに、オリジナルアルバムだけ収録されているんです。

田家:そういうエピソードがあります。お聞きいただいたのは「中央フリーウェイ」、BGMでスタジオ盤の「ひこうき雲」でした。

プレゼンターMC(細野晴臣)

田家:今のプレゼンターは細野晴臣さんでした。細野晴臣さん、小坂忠さん、演出を担当した松任谷正隆さんの関係も強いものがありますね。この「ALFA MUSIC LIVE」が普通のトリビュートのスタイルとちょっと違うのは、当事者がプレゼンターとしてそれらの関係性を説明していく。ライブ自体が一つの歴史の証明になっていることですね。

有賀:この演出はとてもよかったし、流れがすごく自然なんですね。だから私がプレゼンしてるんだという気持ちがプレゼンターにあって、そこから導き出されるアーティストの関係性も垣間見えて楽しいですね。

田家:当時を知らない人にもつながりが分かるようになっていたと。細野さんと小坂さんも1969年にエイプリル・フールというバンドを組んでいましたが、小坂さんがロックミュージカル「HAIR」のオーディションを受けるのでいなくなってしまう。その後に細野さんが、大滝詠一さんを代わりに連れてきて作ったのがはっぴいえんどだった。ミュージカル「HAIR」を日本で上映したプロデューサーが、村井邦彦さんの盟友である川添象郎さんだった。川添さんと村井さんが作ったレーベルがマッシュルームレーベルで、そこから小坂さんもデビューしたと。有賀さんの中で、このマッシュルームレーベルとはどんな場所なんですか?

有賀:誰もが気づかないところで、すごいことが行われてるという感じですかね。

田家:川添さんと村井さんの関係性はどうご覧になってたんですか?

有賀:僕がアルファにいた頃は、川添さんも僕の上司でしたからね。その二人の関係は良く存じてましたけど、考えている方向が一方向といいますかね。いつでも他の人がやらないことをやろうとしていて。音楽的に正しくて説得力もあって美しいというものをいつも目指していたような気がしますね。

田家:上司としての川添象郎さんはどんな人でした?

有賀:普通のレコード会社の組織とは毛頭違うんじゃないかと思ったんです。会社員としては落第、でもそういう悪い点を私なんかが追っちゃったのかなと思います(笑)。僕もやりたくないものはやらないし、それが会社員として正しいかと言われれば、正しいとは無縁な存在だったんじゃないかと思います。

田家:川添さんは日本のサブカルチャーの生みの親と言ってもいい方であります。マッシュルームレーベルで発売された曲です、小坂忠さんの「機関車」。

機関車 / 小坂忠

田家:小坂さんは「機関車」と「ほうろう」の2曲を歌ってましたが、有賀さんはこの「機関車」を選んでおります。この曲のライブの演奏はティン・パン・アレイと高橋幸宏さんでした。これを選ばれた理由は?

有賀:もともと彼らも何回も録音してるんだと思うんですけど、アルファでも僕が一回担当したことがあって。この曲は好きでしたね。

田家:このライブ演出をされている松任谷正隆さんのプロデビューは、小坂忠さんのバックバンド・フォージョー・ハーフだったんですよね。

有賀:これは僕がビクターで小僧をやっていた時期がありまして、その時に子供向けのレコードを一枚作ったんですけど、その中に小坂忠さんと松任谷正隆さん、細野晴臣さんもいた気がします。「機関車」をやったかは覚えてないですけど、その時から小坂忠は知っていてとても素敵なボーカリストですね。

田家:小坂さんの1972年のアルバム『もっともっと』のバックで松任谷さんがデビューしたんですよね。フォージョーハーフは四畳半フォークの英語読みだったという。有賀さんはどぶ板フォークじゃない音楽をやろうとしたって仰っていたことがありましたね。

有賀:そんなこと言ってましたっけ(笑)。口が悪いものですからね。申し訳ないです。

田家:四畳半フォークって、そういう意味ではどぶ板フォークですね。

有賀:そうですね、フォージョーハーフとは全然違いますね。

田家:フォージョーハーフは四畳半と違うものをやるんだということで、ジョークで英語にした。そこにティン・パン・アレイになる林立夫さんがいた。ティン・パン・アレイの功績ってどう思われますか?

有賀:皆すごいですね。ミュージシャンとしては本当に尊敬しています。

田家:ユーミンのアルバムは彼らがいなかったら、あの形にはならなかった?

有賀:そうですよね。彼女は最初いかがなものかと思ったらしいんですけど(笑)。でも、ティン・パン・アレーはユーミンをすごく大事にしてましたね。楽曲を聞いて、自分らが演奏するに値する音楽だと最初から思っていたと思います。そういう意味の尊敬が根底にあったんじゃないかな。

田家:テイン・パン・アレイは当時『キャラメル・ママ』と言ってましたけど、彼らの起用は村井さんが考えて?

有賀:村井さんが皆考えて。私は補佐ですからね。

田家:村井さんが言い出したんですね。その時はどう思われました?

有賀:一番いいんじゃないかなと思いましたね。僕はブリティッシュとか拘らないタチですから。いいもんはいいもんだと思っていて。

田家:ユーミンは自分はブリティッシュだと拘ってましたね。でもそういう村井さんが起用される人たちは、売れているからというような実績で選んでいる感じはなかったですね。

有賀:実績は大して信用してないんです。自分で聞いて、このバンドが素晴らしいというのは彼が判断したんだと思いますよ。

田家:有賀さんもご自身の目でそういう風にミュージシャンをご覧になっていたんですね。お聞きいただいたのは、2015年の「ALFA MUSIC LIVE」小坂忠さんの「機関車」でした。

Mr.サマータイム / サーカス

田家:今流れているのは、3月に発売になった映像作品「ALFA MUSIC LIVE」からサーカスの「Mr.サマータイム」。有賀さんが本日選ばれた5曲目ですね。1978年のカネボウ化粧品のCMソングでミリオンセラーになりました。この曲は有賀さんが手掛けられたわけですよね?

有賀:そうですね。「Mr.サマータイム」っていうのは最初「Mr.メモリー」っていうタイトルだったんですね。竜真知子さんが作詞をされて、これはフランスのミッシェル・フュガン&ル・ビッグ・バザールが作った曲ですね。

田家:1972年の曲だそうですね。この曲をピックアップしたのはどういう経緯で?

有賀:サーカスの前に私はハイ・ファイ・セットというグループをやっていて。ハイ・ファイ・セットは3人組で山本潤子が女性一人で、男が二人だったんですけど。レコーディングする時には、山本潤子に2ndをもう一回歌ってもらって四声にしてミキシングしてたんです。でもライブをやるとなるとハーモニーがちょっと未完成なところもあったんですが、サーカスは元々4人ですからハーモニーとして充分な声量が出せるんですよね。それで、この「Mr.サマータイム」は「Mr.メモリー」としてレコーディングして完成していたんですけど、キャンペーンの謳い文句が「Mr.サマータイム」なので、今から変えてくれと言われて。全部歌い直したんですよ。

田家:アルファレコードの中にはシンガーソングライターの流れ、ジャズフュージョンなどインスト主流の流れ、そして赤い鳥やハイ・ファイ・セット、サーカスとコーラスワークの美しいグループの流れと、それぞれのスタイルがありましたよね。

有賀:そうですね。ソロアーティストもいいんですけど、ハーモニーを出すというのが私の好きな分野だったのかな。何かとユーミンの作品でもコーラスを山下達郎さんに頼んだりしてましたね。

田家:サーカスは3人姉妹と従兄弟というファミリーのグループでしたが、こういう大人のコーラスをやるファミリーはいなかったですね。

有賀:ファミリーだといい点は、たくさん家で練習できるんですよね。練習すると、ハーモニーを作る声の出し方とか圧力が身についてくるんですよ。上手い人だけ集めてその場ですぐできるかと言うと、なかなかそうもいかない。だからハーモニーはチームワークが大切じゃないかな。

田家:有賀さんが選んだ本日最後の曲です。2015年の「ALFA MUSIC LIVE」から「アメリカン・フィーリング」。

アメリカン・フィーリング / サーカス

田家:作詞は竜真知子さん、作曲が小田裕一郎さん、編曲が坂本龍一さん。1979年のJALのキャンペーンソングでした。これもエピソードがありそうですね?

有賀:JALに選んでもらったのはありがたいのですが、選んでもらったのはサビの部分なんです。Aメロがないので、小田裕一郎さんにAメロも作ってくださいって頼んでできたものがよくなくて。グッと来なくて、とてもサビまでもたないんです。それでもう一回やり直してもらったんですけど、やっぱり良くない。彼は「僕はこれでいいと思います」と言ったんです。そうじゃなくて、私が判断する立場なので。どういう風に良くないかというのを細かく説明して。サビが映えるようにするAメロが必要なんだと伝えて、3回目に持ってきたのが今流れているAメロです。

田家:なるほど。鬼の有賀に鍛えられた小田さんは、1980年代に松田聖子さんの一連のヒット曲で開花するわけですね。有賀さんの中で「アメリカン・フィーリング」という言葉に対する思い入れはあるんですか?

有賀:変な英語だったから(笑)。変な英語でしょう。

田家:(笑)。でも1979年当時はアメリカっぽさがトレンドになってましたもんね。アルファレコードはアメリカ的な何かが一つの目指すものになっていたんでしょうね。

有賀:そうですね、特にこの曲は西海岸っぽいですよね。空が青そうで。

田家:そのアメリカの話はまた来週。ここまでがDisc1の話で1970年代ですね。来週はDisc2、1980年代の話です。来週もよろしくお願いいたします。

有賀:よろしくお願いします。

田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」アルファミュージック特集Part1。日本のポップミュージックの流れを変えた音楽制作会社アルファミュージックの特集。2015年のライブ「ALFA MUSIC LIVE」の映像作品が今年3月に発売されました。それを使いながらの特集です。ゲストには、元アルファレコードのディレクター・プロデューサー、現在はニューヨークに拠点を置く株式会社シティレコードのプロデューサー有賀恒夫さんをゲストにお送りしました。流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

歴史というのは一人の人間の力で変わることはない言っていいと思うんです。どんな英雄が登場しても、それを支えるたくさんの名もない人がいて英雄が英雄になる。そうやって歴史は変わっていくものですが、音楽はそうじゃない。これが面白いですね。一人の才能や突出した個人がいて流れが変わっていく。

アルファミュージックは、作曲家で当時24歳の村井邦彦さんが作ったもの。僕らが村井さんの名前を見たのは、ザ・モップスの「朝まで待てない」とかザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」ですね。彼が音楽出版社を作って、そこに賛同した山上路夫さんも当時頭角を現してきた作詞家。そして、そもそもの発端、六本木の伝説のレストラン「キャンティ」のオーナー川添象郎さんは、ロックミュージカル「HAIR」を日本で上演した人です。そういうサブカルチャーのレジェンド3人が新しい何かを作ろうと始まったのがアルファミュージック。そこから歴史が始まった。そうやって始まった流れに参加した、誘われた、そういう若いアーティスト達が一堂に会したのが「ALFA MUSIC LIVE」でした。もし、村井邦彦さんがいなかったら、ライブに参加した人たち、あの頃の音楽ファンの人生はどうなってただろうな? と思いながら、今月も聞いていただけると嬉しいです。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
radikoなら、パソコン・スマートフォンでFM COCOLOが無料でクリアに聴けます! 

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地下室の人食い殺人鬼、出会い系アプリに潜む恐怖

2021年4月20日 06:45 Rolling Stone Japan

それは一夜限りの関係で終わるはずだった。

2019年12月24日午後5時頃、米ミシガン州フリントから南西に20分の場所にある住宅地、スワーツ・クリークに住む美容師ケヴィン・ベーコンさん(当時25歳)はゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー男性向けマッチングアプリGrindrで出会った男に会いに出かけた。

ベーコンさんの心は暗かった。家庭に問題があったと、彼の長年の友人でルームメイトのミシェル・マイヤーズさんは言う。その日の午後、自宅の向かいにある美容室での仕事を終えた彼は姉と母の髪をセットしていた。ローリングストーン誌が入手したメッセージのやり取りによると、会いたくない人物が夕食を食べに来ると2人から聞き、その間外で気晴らしをするため、Grindrを開いた。

マイヤーズさんや他の友人たち曰く、これは特に珍しい行動ではなかった。一般的な若い男性同様、一夜限りの関係を友人たちによく自慢していた。しかし、悩みからの逃避手段としてもよくセックスを使っていたと友人たちは言う。田舎臭くて刺激のないスワーツ・クリークが嫌いなのもその悩みの一つだった。「ここにあるものはみんなすごく時代遅れで、色々な機会を逃してる気になるんです」とマイヤーズさんは言う。

派手好きで、ハンドバッグを持ち歩き、有名デザイナーが手掛けた服に詳しい、身長6フィート(約183センチ)以上でがっしりとした体格のベーコンさんは郊外地で目立っていた。20代半ばにして既に生え際が後退していた髪を様々な色に染めていた。「みんなケヴィンを知っていました」と彼の近しい友人サラ・ホープ・スペンサーさんは言う。「大きくて、背が高くて、いつも何かすごいことをしていました」

2019年は全体的に苦しい一年だったが、それを変えようと動いていた。友人たちが住み、より規模の大きいゲイ・コミュニティのあるシカゴに引っ越そうと計画していたが、普段からお金の管理で困っていたベーコンさんにとって、決められた支出額を守るのは容易ではなかったため、まだしばらくスワーツ・クリークに留まることになっていた。

そのクリスマスイブにマイヤーズさんとルームシェアしていたアパートに戻ると、今晩の相手を探し始めた。友人の家に集まって酒を飲みながらゲームをする予定だったルームメイトと話しながら画面をスクロールしているうちに近くに住む男を見つけた。彼女によると、ベーコンさんは身支度を済ませると午後5時過ぎに車で出かけたという。家を出る様子をドアベルのカメラが捉えていた。だが、帰って来ることはなかった。

翌日、家族とのクリスマスの朝食に姿を現さないと、父は警察に通報した。3日間の捜索に地元メディアも同行し、フリントや近くの町に住む友人たちも駆けつけ、警察と家族と共に線路や茂み、畑の中を捜した。もし死んでいるとしたら、どこかの野原など、開けたところにいると考えていた。

皆が外を捜索していたその頃、ケヴィンさんは町から20マイル(約32キロ)離れた田舎にある石造りのコテージの地下室で吊り上げられ、喉をかき切られていた。会いに行っていた相手のマーク・ラタンスキーはすぐに容疑を認めた。しかし、ベーコンさんの身に起きたことは彼を心配する人たちが想像するより遥かに恐ろしかった。


素朴な田舎町、スワーツ・クリーク


地方都市の郊外にある住宅地の例に漏れず、スワーツ・クリークは素朴な町だ。栄えているフリントから車ですぐのところでのんびりと暮らせると住民たちはよく言う。

何エーカーもの耕地の間を抜けると人口5500人のスワーツ・クリークに辿り着く。町の至るところに小型のショッピングセンターや田舎風のレストランがあり、雨と雪にさらされ老朽化した、町の名を冠した給水塔がそびえ立つ。同じくスワーツ・クリークという名の支流と並行してメインストリートのミラー通りが南北に33マイル(約53キロ)走る。町の端に沿って流れる川は長い砂利の私道の先に建つ平屋の裏庭を彩り、町の中心部に近づくにつれ手入れされた小さな庭付きの2階建ての家が増える。

ダラーストアや大衆酒場、小型のショッピングモールを通り過ぎながらさらに数マイル進むと、かつてベーコンさんが駆け出しだった頃受付係りとして働いていたJ.C.ペニーが入っていた大型ショッピングモールのジェネシー・コモンズが見える。

生前のケヴィン・ベーコンさんは楽しく美容師として働き、シカゴに拠点を移すのが夢だった。(Courtesy of Vanessa Woodley)

美容師は天職だった。高校生の頃、新しい髪型を思いついては女友達で試していた。実験的過ぎて不安になることも時々あったものの彼は常に全力で、経験を積むと友人の息子や、後にルームメイトの髪をセットするようになった。包装技術者の父カールさんは有名スタイリストなどという非現実的な夢を追うのではなく、工業の道を進むことを望んでいたとケヴィンさんは友人たちに話していた(カールさんとご家族はこの件についての電話やメールに応じなかった)。

友人たち曰く、志望校のイースタンミシガン大学に入れたものの、200ドルの寮の敷金が払えなかったため、近所のベイカー大学に通い始めた。しかし、在学中も美容師になる夢を諦めきれなかったベーコンさんはじきに中退し、美容師免許を取ったとマイヤーズさんは言う。

それでも、給料の低さへの不満は残っていた。友人たちに仕事で行くとだけ伝え、アッパー半島へ消えたことがあった。給料が良い以外、仕事の具体的な内容などは聞かされなかったが、9日後には田舎はつまらないという理由で帰って来た。特に、ゲイ男性の出会いの場が存在しないと彼は語っていた。

その後ミシガン大学フリント校に通い始めたベーコンさんは美容師のアルバイトをしながら、2019年には一時大学のジェンダー・セクシュアリティー・センターで活動し、誇りを持てる未来に向かっているようだった。

しかしここでも問題を抱えていた。友人たちによると、ベーコンさんは以前から鬱やボディ・イメージで悩まされており、拒食と過食を繰り返したり、腕や脚を切りつけたりするなど、自傷行為に至ることもあった。衝動的に行動してしまうことも多く、マイヤーズさんとベーコンさんの母とのメッセージのやり取りによると、2018年に『アリー/スター誕生』を映画館に観に行った際、首を吊るシーンを観た後マイヤーズさん曰く「呆けていた」ベーコンさんは翌日睡眠薬を過剰摂取し、病院で胃の洗浄が行われた。1カ月後、心が苦しいと言う彼を母親が病院に連れて行ったとマイヤーズさんは言う。

2019年11月、マイヤーズさん曰く「肌が見えないほど」自分を切りつけたベーコンさんは2週間後、再度精神科に赴いた


マッチングアプリに依存していた理由


鬱の対処としてよく取っていた方法がインターネット上でパートナーを探すことだった。「ケヴィンは常に愛に飢えていましたが、男性とか、そういう人に普段受け入れてもらえたと感じることはありませんでした。だからTinderとかのマッチングアプリにあんなに依存していたんだと思います」と長年の友人のヴァネッサ・ウッドリーさんは言う。

しかし、ベーコンさんの持った関係は精神をより追い詰めるばかりだった。付き合った男たちの多くに心理的虐待を受けていたと友人たちは言う。マイヤーズさんによると、ベーコンさんは浮気したと激しく迫って来たり、体だけが目当てで近づいて来るような男を惹きつけ、どうにか更生させようという”プロジェクト”をよく行っていた。

このような破綻した関係が彼をさらに鬱の深みへ突き落としていったと友人のキンバリー・グエンさんは言う。2019年にミシガン大学フリント校のジェンダー・セクシュアリティー・センターで共に活動していたが、後にシカゴに移り住んだ。「色々な問題を抱え込み過ぎて自分を見失っていました」

ベーコンさんがシカゴにいるグエンさんを訪ねると、2人はゲイの人たちが集まる街ボーイズ・タウンで遊び、いつか自分もここに住むと誓った。しかしスワーツ・クリークに戻るとまた財政難に陥り、鬱が悪化し、インターネットで愛して治せる男を探す生活に戻ってしまった。

彼が一番のどん底にいたのは付き合っていた人と別れた2019年後半だったとウッドリーさんは言う。車で精神科に連れて行ったことがその秋2度もあった。「あんな状態の友達を見るのはつらいです。(別れたことが)本当につらくて……彼はとにかくあの感情から逃れたかったんです」

あまりに残酷だったからか、はたまた有名人と同姓同名だったからか、事件はワシントン・ポスト紙やデイリー・ビースト、イギリスのデイリー・メールなどにも取り上げられ、世界的に注目を集めた。そして、この惨劇の予兆があったと地方紙が報じるまでそう時間はかからなかった。ラタンスキーの被害に遭ったのはベーコンさんが3人目だった。(ラタンスキーの弁護人はこれについての複数回の取材依頼に応じなかった)

2019年10月10日、ジェームズ・カールセンさん(48歳)は誘拐され地下室で目覚めたと警察に通報。怒りに満ちた声で電話に話す。「ある男に会った。自分はバイセクシャルで、カワイイ男が口説いて来るから車の方で話した。店に行ってソーダを飲んだ。気がついたら地下室にいた」

手首を繋いでいた革のベルトを肉切り包丁で切り、そのまま包丁を片手に誘拐犯の車で州間高速道路69号線と平行に3マイル(約5キロ)走るタイレル通りを逃げて来たとオペレーターに伝えた。

「こんなことは初めてだ。薬を盛られたのかはわからない。地下室に閉じ込められてたことしか知らない。わかったか? 地下室で縛られてたんだ」と話した10分後に駆けつけた州警察に保護された。男は知り合いではないと言うカールセンさんは起訴しなかった。

ところが2020年6月、カールセンさんが連邦裁判所へラタンスキーを起訴すると事件の全容が明らかになった。カールセンさんはラタンスキーとセックスをするためニューヨークからミシガンへバスで移動したが、到着したと思ったら「ラタンスキーに縛られ地下室に監禁された」と起訴状にある。


「変な男から逃げている、地下室で縛られた。追われている」


カールセンさんの事件から6週間後の11月25日の午後、29歳の男が同じ家から逃げ出し警察に通報した。ラタンスキーの革製の腰巻を履いて逃げる男の後をラタンスキーが追う。「変な男から逃げている、地下室で縛られた。追われている」と群が公開した録音で男はオペレーターに言った。(名前は伏せられていた)

その後すぐに近隣住民の家に駆け込み、警察に住所を伝えたいと頼む男の声が録音されている。

住民の家に州警察が駆けつけたが、またもや不起訴に終わった。(ラタンスキーが追いかけていたのは腰巻が高価だったからと州警察は後日地元紙に説明)監禁され逃げているという決死の通報があったにも関わらず、大ごとにしたくないだろうと、警察は真剣に取り合わなかった。

州警察はその夜のことを隠したい2人が起訴しないと判断したため、自分たちに出来ることはなかったと主張。「大ごとにしたい人は誰もいません。誰も警察沙汰なんて望んでいないんです。このような人たちの多くには職場での顔とプライベートでの顔があり、その2つを交わらせたくありません。プライベートの秘密は絶対に守られなければなりません」とミシガン州警察デヴィッド・カイザー警部補が2020年1月に述べた。(現在カイザー氏は退職しているが警察の公式見解は変わっていないと代表は言う)

カールセンさんの弁護人を担当するジョン・マルコ氏はこの説明を批判。「そんなわけがありません。警察に来て欲しいから呼ぶんです。でなければ呼びません」

ミシガン州警察を相手にした裁判で複数回弁護人を務めたことがあるマルコ氏によると、カールセンさんは交通費も帰る手段もないままガソリンスタンドで降ろされ、事情聴取も行われなかった。彼がゲイ男性でなければ対応は違っただろうと述べている。

「より深く調査、より行き届いた対応をすべきだったんです。警察が基本的な対処、対応をしていれば事態は変わっていたはずです。ベーコンさんも生きていたでしょう」と言うマルコ氏にベーコンさんの友人たちも同意する。「なぜその時(ラタンスキーを)調べなかったのですか? ゲイの男たちが地下室で何かしているだけだったからですか?」とマイヤーズさん。ベーコンさんの死後、彼女の友人が挙げた点について語る。「もし地下室で縛られて逃げ出したのが女の子だったら? もし彼女が気にしなくていいと言っても、警察はそれでも(きっと)調査していたでしょう」

「同棲している人や交際関係にある人たちの間で起きた問題だと州の判断で起訴出来る場合もありますが、会ったばかりの人たちや一夜限りの関係だとそうもいきません」とDV事件を扱うウェイン群のトリッシュ・ジェラルド検事は言う。「交際関係の定義に州議会は長い時間を要した」ことに加え、カールセンさんやもう1人の被害者の男性のようにマッチングアプリを通して知り合ったような間柄では強制捜査や逮捕に至らないと語った。

しかし、シアワシー郡検事スコット・ケーナー氏によると、今回のような見知らぬ人による暴行事件の際、警察は被害者に訴訟を起こすよう説得することが出来る。「(警察は)出来る捜査はすべきですが、被害者が起訴しない以上、それには限りがあります。さらに、警察は被害者の意見を尊重し、彼らが求める対応と加害者を罰したいという世間の声とのバランスを取らなければなりません。その手段の一つとして、捜査に協力してもらえるよう被害者を説得します」


ミシガン州で暴行罪は最長10年の懲役刑


とはいえ、たとえ警察が捜査を行っていたとしても結果は変わらなかっただろうと言う者もいる。暴行事件、特に被害者が追及に積極的ではない場合は起訴するのが難しく、刑も短いことが多いからだ。ミシガン州で暴行罪は最長10年の懲役刑と5000ドルの罰金を言い渡されるが、被害者の協力なしでは罪に問われる確率が激減する。

「1回目の時に調べていれば3回目の事件は起きなかったと主張する声は絶えませんが、その主張は様々な勘違いを基にしています」とメリーランド大学キャリー・ロー・スクールでジェンダーに基づく暴力について教えるリー・グッドマーク教授は言う。「その一つがもし逮捕されれば起訴され、起訴されれば有罪判決が下り、有罪判決が下れば服役し、他に関わった男との接触を試みないほどの長期間投獄されるだろうというものです」だが、もしラタンスキーがすぐに逮捕されていればどうなっていたか、今となっては知る由もない。

ランシング・ステイト・ジャーナル紙によると12月27日の夜遅く、警察がラタンスキーの家を訪ねると、革製の腰巻を履いたラタンスキーが玄関に出た。特に焦る様子もなく家宅捜査に応じたと地元紙は報じている。警察が地下室でベーコンさんの遺体が吊り上げられているのを発見するとラタンスキーはすぐに容疑を認め、黙秘権の告知をされるとベーコンさんの血と骨を庭に撒く肥料に、肉はジャーキーにしようとしていたと話した。(地元紙によると殺害から数日後に食品乾燥器が郵便局に届けられた)その間に睾丸を揚げて食べたと供述。殺人と死体損壊の罪で逮捕された。初めはウィルク・オリコス・ヴィルカスと名乗ったが、その後ウェールズのトーマス氏族のエドガー・トーマス・ヒルと名乗り、最終的に保身のため本名を名乗った。

若い男の殺害と食人で逮捕される遥か昔、ラタンスキーは普通の生活を送る4児の父だった。デモイン・レジスター紙によると1991年に大学を卒業した後ダウ・ケミカルでインターンとして勤務し、4年後にアイオワ州立大学で化学の修士号を取得。2001年に結婚した元妻は離婚裁判所で判事にラタンスキーは多い時に年間で10万ドル以上稼いでいたと報告した。しかし精神衛生に問題が生じ始め、2010年と2012年に医師による診断を受けている。デモイン・レジスター紙が入手した調書には「深刻で慢性的な回帰性の精神病性大鬱病、鬱による適応障害、妄想型統合失調症から来る社会不安症、及び境界性パーソナリティ障害」を患っていると記録されている。2013年に離婚。元妻によると服薬を拒み、効果が切れると情緒が不安定になり、スプラッター映画を観たり子供たちのペットを処分すると脅したりしていたという。

「被告人は複数の国家が関与している陰謀論に強く固執しており、複数の信託財産も関わっている」とラタンスキーの弁護人は精神鑑定を請求する書類に記している。


インターネットで殺人犯に出会わないようにするために


当初ラタンスキーはベーコンさんに殺すよう頼まれたため喉をかき切ったと主張していたが、ランシング・ステイト・ジャーナル紙によるとベーコンさんは事前に自分の安全の保証を相手に確認していたことがベーコンさんの携帯から見つかったメッセージにより明らかになった。ラタンスキーの弁護人ダグラス・コーウィン氏は主張を支持するため自殺幇助罪を求めたが判事に却下された。

2020年1月、コーウィン氏は心神喪失抗弁を申し立て、2月に責任能力がないと判断されたが、裁判所は10月それを撤回した。2021年7月より始まる裁判で終身刑を言い渡される予定だ。

マイヤーズさんは友人の死の責任を問うより、あの夜ベーコンさんを助けるため、少なくとも今日を生きて迎えるために自分に何が出来たかを考えている。

ベーコンさんの失踪以降マッチングアプリで知り合った男性が相手の男性に殺される事件が少なくとも2件あり、ベルリンで起こったそのうち1件では教師がGrindrで知り合った相手を食べている。マイヤーズさんはこれら一連の事件から、一夜限りの相手を見つけるのが匿名でこんなにも簡単に出来てしまう今の時代にどうすれば自分の身を守れるかを考えるようになった。

Grindrはメールで「ベーコンさんのご家族ご友人の皆様にお悔やみ申し上げます。今回の恐ろしい事件に社員一同大変心を痛めており、プライバシーの観点から特定のアカウントや警察当局との連携について公式に言及することは出来ませんが、捜査の協力を依頼された際は惜しみなく力を尽す所存です」とコメントした。

マイヤーズさんはインターネットで殺人犯に出会わないようにするためには、アプリの安全性の確保から始めるべきだと考えている。「位置情報を使って出来ることは色々あると思います」とTinderがNoonlightと提携した例を挙げながら、アプリにセーフティネットを組み込めるのではないかと語った。「でも今回のような事件の場合、他にどんな手が尽くせたかわかりません」

12月にベーコンさんの家族と友人たちはフリント・ロックに向かい、彼を偲ぶ壁画を描いた。前年にも同じように虹とトレードマークの紫色の髪のベーコンさんの似顔絵を描いたが、今年はシンプルに名前だけ。

一方でマイヤーズさんと、ベーコンさんを病院に送ったウッドリーさんは家に残った。ウッドリーさんの姉は彼女にベーコンさんの似顔絵を贈り、12月半ばに新型コロナウイルスに感染したマイヤーズさんは静かに彼を偲んだ。

快活で、優しくて、思いやりに満ちた友人が生きていると願いながら大勢の人と彼の行方を捜し、最悪の結果に終わってしまったあの日のことをマイヤーズさんは忘れない。「みんなで捜してた去年のあの日のことが未だにフラッシュバックします。クリスマスはいつも変な感じがしますが、少しずつ良くなると願うばかりです」

外部リンク

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電気グルーヴ、自身の音楽ルーツを語るマルチプラットフォーム番組配信開始

2021年4月19日 20:00 Rolling Stone Japan

電気グルーヴが、自身の音楽的ルーツとなったアーティストについて語るトーク番組『Roots of 電気グルーヴ ~俺っちの音故郷~(仮)』動画版を2021年4月19日にYouTubeにて公開した。

同番組は、株式会社ビーアットが運営するプロジェクト「BE AT TOKYO」のサポートのもと、同社が運営するコミュニティスペースBE AT STUDIO HARAJUKU(2021年4月23日ラフォーレミュージアム原宿にオープン)で収録。番組のジングルは、石野卓球が書き下ろしものとなっている。YouTubeでの動画版の他、Spotify、Apple Musicなどでの音声版(Podacast)。さらには4月21日にQJWebではテキスト版が順次配信される。

さらに、SpotifyとApple Musicでは、同番組内に登場する楽曲をまとめたプレイリストも公開。番組は今後、複数回に渡って不定期に配信される予定となっている。

<番組情報>

『Roots of 電気グルーヴ ~俺っちの音故郷~(仮)』
『Roots of 電気グルーヴ ”New Order”プレイリスト』
・Spotify
・Apple Music

外部リンク

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米ディズニー、テーマパーク従業員のドレスコードをジェンダーニュートラルに改訂

2021年4月19日 14:00 Rolling Stone Japan

米ディズニーが、米現地時間2021年4月13日に関連テーマパークの従業員のドレスコードに関する制限を緩和することを発表した。

ディズニーのテーマパーク部門のジョシュ・ダマロ会長は、ディズニーが「ヘアスタイル、装飾品、ネイル、コスチュームの選択や、目に見える場所へのタトゥーのような個人の表現に関してより柔軟な対応を許可する」ことを発表。

ディズニーのテーマパーク従業員たちは、1950年代にカリフォルニア州アナハイムに最初のディズニーランドが開業して以降、非常に厳しいドレスコードを課されてきた。これまでも、2020年にはリーダーズ・ダイジェスト誌により爪の長さやピアスといった、伝統的なジェンダー役割を示すような一部の規定が明かされ、それらは既に改定されていた。また、オーランド・センチネル誌もこれまで幾度かこうしたルールの緩和について発表しており、例えば、1994年には女性の従業員たちがアイシャドウとアイライナーの使用を許可され、2010年には袖のないトップスとサブリナパンツ(女性用の細身の八分丈程度のズボン)、つま先がオープンになったスリングバックシューズの着用、2012年には男性に短い髭を生やすことを認めている。

これらの基準はディズニーの定める行動基準である安全・礼儀正しさ・ショー・効率の「4つの鍵」の一部であった。しかし、近年ダマロ会長は5つ目の鍵である「多様性の受け入れ(inclusion)」を加えたことを発表した。ダマロは「これまで4つの鍵だったものは多様性を受け入れるという新たな一つを加えて、5つの鍵になります。この5つの鍵に則り、私たちはお客様と交流し、協力してディズニーテーマパークの次の時代を作り上げ、私たちのビジネスの未来に関する決定をしていきます」と、語った。

また、ダマロ会長は、この改革のゴールを「より多彩な表現と責任を組織中で共有すること」としている。彼は、ディズニーがドレスコードを改定した理由として「現代の職場として適切なものであり続けるというだけでなく、従業員たちが自分たちの文化や個性をより自由に表現できるようにするためだ」と、語った。

ディズニー従業員たちのドレスコードの緩和は、テーマパークに於ける時代にそぐわない側面の改修を決定した中で行われた。1月には、ディズニーランドの開業当初からある古株のアトラクション「ジャングルクルーズ」の内容が刷新されることを発表。同アトラクションには、アフリカ先住民の描写を含め、人種差別的な要素が含まれているが、それらの描写が削除されるようだ。フロリダ州オーランドのマジックキングダムにあるアトラクション「スプラッシュマウンテン」では、そのテーマを1946年の映画『南部の唄』としていたが、ディズニー作品では初めてとなるアフリカ系のプリンセスを題材にした2009年の『プリンセスと魔法のキス』をテーマにしたアトラクションに変更すると発表している。

外部リンク

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性的人身売買の疑いで窮地に立たされた米下院議員、捨て身の一手

2021年4月19日 06:45 Rolling Stone Japan

性的人身売買をした疑いで司法省の捜査対象となっている米共和党のマット・ゲーツ下院議員(フロリダ州選出)の政治活動委員会が、一連の性的容疑から弁護する目的で数十万ドル相当の広告枠を購入する手段に出た。

3月後半、ニューヨーク・タイムズ紙は、同議員が17歳の少女に売春させた容疑で連邦捜査を受けている、と報じた。違法活動や関連性を示す証拠が山積みの中、当然ゲ-ツ議員は、これらはみな自分を破滅させようとするリベラル派の企みだと主張している。「すべての黒幕は分かっています。アメリカ合衆国議員の排除を目的とした、民主党とメディアを中心とした中傷行為です」。政治情報メディアPoliticoによると、政治活動委員会Friends of Matt Gaetzの広報担当者は広告枠に購入に関する声明でこう述べた。今となっては、同委員会がゲーツ議員の友人代わりだ。

政治基盤のパンハンドル地区と全米で放映予定のこのCMは、評判回復を図るゲーツ議員が唯一放送上で得られる支援をいささか示すことになるだろう。というのも、通常なら影響力を持つ仲間がMAGA軍団の同胞の擁護にかけつけるが、彼らの大半が彼を見限ったからだ。

CM枠の購入は最善の宣伝方法とはいえない。このことは誰よりもゲーツ議員本人がよく知っている。いかにも信頼できる人物が――この場合、連邦議員はうってつけだ――TVに出演して、これら嫌疑は自分を陥れようとする民主党やフェイクニュースやディープステートが画策したものだ、自分がこれほどアメリカを愛しているのが気に入らないのだ、と強調するのが一番いい。そもそもゲーツ議員も、トランプ前大統領のために数百ものメディアに出演してその名をとどろかせた。議員仲間が彼のために同じことをしてくれたなら、おそらく彼も自分の身を守るために6桁相当の献金をはたいてCM枠を買う必要もなかっただろう。

だが、議員たちはそうしなかった。

ケビン・マッカーシー下院少数党院内総務(共和党、カリフォルニア州代表)は、今年初めにマージョリー・テイラー・グリーン議員の人種差別的、陰謀論的、その他さまざまな虚言を擁護してきたが、ゲーツ議員の疑惑は「深刻だ」と述べ、人々は「あらゆる情報を知る」必要がある、と指摘した。おわかりだろう。同じく少数党幹部のスティーヴ・スカリース下院議員(共和党、ルイジアナ州代表)も14日、捜査について慎重に言葉を選びながらコメントした。「噂に基づいて憶測するのは難しいが、もし司法から何らかの正式な動きがあれば、もちろん我々も対応と措置を講じるだろう」


共和党議員の大半が口を閉ざしたまま


ゲーツ議員には、ジム・ジョーダン下院議員(共和党、オハイオ州代表)がおざなりな助け舟を出している。ゲーツ議員とはビーヴァス&バットヘッドのような間柄のジョーダン議員は、ゲーツ議員の否認を「信じる」と発言した。また非常に熱心な連邦議員、グリーン議員も支持を表明している。彼女は先ごろ、Black Lives Matterの抗議デモ参加者と対峙した警察官に「金メダル」を授与する法案を提起する、と発表したばかりだ。「私を信じてください、噂やニュースは真実と同じではありません」。Qアノン大好きの陰謀論者は先月、このようにツイートした。「私は@mattgaetz議員の味方です」 グリーン議員は以前からゲーツ議員のもっとも熱烈な擁護者で、その都度、彼女なりの「真実」を吹聴している(グリーン議員はこれまでにも、銃乱射事件はやらせだ、オバマ元大統領はイスラム教徒だ、カリフォルニアの山火事の原因は高速鉄道の用地を確保するために宇宙空間から放たれたレーザー光線だ、と主張している)。

だが他の共和党議員はほとんど口を閉ざしたままだ。自分と寝た女性たちの写真を議員仲間に見せた他は、ゲーツ議員が議会内でとくに友人を作ろうと努力してこなかったことを考えれば、さして驚くことでもあるまい。

ゲーツ議員はFOCニュースのエコシステムに受け入れられる努力は惜しまなかった。だが同ネットワークも今回は距離を置いている。これはおそらく、ニューヨーク・タイムズ紙が捜査について報じた夜に『タッカー・カールソン・トゥナイト』に出演して、ぶざまな姿をさらしたせいでもある。FOXではいつでも口達者なゲーツ議員だが、この日のインタビューでは始終口ごもり、何度となくカールソンに助け舟を促した。カールソンは明らかに不機嫌そうだった。「今までやってきたインタビューの中でも、とくに奇妙なものでした」 ゲーツ議員が去った後、司会者はこう発言した。

ではショーン・ハニティー氏は? NPO団体Media Mattersによると、2017年8月以降ゲーツ議員は彼の番組に127回も出演した。議員としては、リンゼイ・グラハム上院議員(共和党、サウスカロライナ州選出)の次に多い。ハニティー氏もかつてオフレコでゲーツ議員を称賛し、2018年フロリダ州知事選の際にはロン・デサンティス候補の選挙集会で、ゲーツ議員を「連邦議会のミッキー・マントル」と呼んだ。ちなみにデサンティス州知事も、性的人身売買疑惑でゲーツ議員の擁護を拒んだ友人の1人だ。「とくに言うことはありません」。スキャンダルについてコメントを求められた州知事はこう答えた。

ディープステートがトランプ前大統領を陥れようとしている、とあれだけ騒いでいたハニティー氏も、ゲーツ議員の捜査の黒幕として司法省内の悪党を名指しするには至っていない。事実、ハニティー氏は捜査に言及してすらいない。かつてフロリダ州議員にとって連邦議会よりも居心地のいい場所だったFOXでも、今回のスキャンダルははほとんど取り上げられていない。「しばらくは彼の姿を見ることはまずないでしょう」 FOXニュースの情報筋も先ごろ、情報サイトDaily Beastにこう語っている。


頼るのはトランプ前大統領のみ?


議会もだめ、FOXニュースもだめ。きっとトランプ前大統領なら――ディープステート陰謀論者で、自身も複数の性犯罪疑惑をかけられ、ゲーツ議員が政治生命を捧げてきた彼なら――議員の弁護に回るはず……だろう? 実はそうとも言えない。前大統領は数日間スキャンダルについて口を閉ざした後、ようやく短い声明を発表し、タイムズ紙が報じたように、ゲーツ議員から恩赦を求められたことは一度もない、「本人が疑惑を完全に否認している点を忘れてはならない」と述べた。

それから数日後、捜査が報じられたのを受けてゲーツ議員はトランプ前大統領を訪問しようと打診したが、面会を断られた、とCNNが報じた。議員はこの報道を否定している。

議員生命の終わり、ともすれば刑務所生活の始まりを告げるかもしれないセックススキャンダルを打破しようとするゲーツ議員にとって、唯一の真の友はQアノン信奉者とごくわずかな右派Twitter著名人だ。議員は先日ランディ・クウェイド氏をリツィートした。これは大事件だ。

広告枠の購入をゲーツ議員が14日に発表したのは、彼が有力者から必要な支援を得られなかったこと、そして従来のワシントンのやり方からさらに大きく逸脱していることを示している。性犯罪捜査を受けた政治家は、ニュースにできるだけ自分の名前が出ないようにするのが普通だ。だが代わりにゲーツ議員は、スキャンダルをリアリティ番組の一幕のように扱い、議会の仲間よりも、スキャンダルにまみれたトランプ軍団の面々と親睦を深めようとしているかのようだ。ロジャー・ストーンやマイケル・コーエン、ジェイソン・ミラーと違って、ゲーツ議員はたまたま現職の連邦議員であるにすぎない。

自らの意思に反して、あるいは自主的にゲーツ議員が議会を去るとしても、おそらく実際の彼の行動には対して影響はないだろう。TVネットワークが彼を出演させて好き放題させる限り、彼はリベラル派をこき下ろすだけだ。捜査報道が出る以前にささやかれていたように、有罪を阻止できればメディアと一種の独占契約を結ぶかもしれない。だがそれまでは、議員がTVでメッセージを発信するには、献金者の金を使って30秒のCM枠を買い占める以外に方法はない。

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プレイボーイ・カルティが語る、ラップスターの孤独と沈黙

2021年4月17日 19:45 Rolling Stone Japan

『Whole Lotta Red』が全米1位になったアトランタ出身のラッパー、プレイボーイ・カルティは最近のムードを、「パンク・モンク(Punk Monk)」と形容する。その表現には様々な意味合いが込められている。毎日足を運ぶスタジオで作業に没頭する彼の姿は、敬虔な信者を思わせる。

彼は現在、最近作『Whole Lotta Red』のデラックス版の監修に取り組んでいる。ロクに寝ていないと話す彼は、スタジオでのクリエイティブプロセスにこそ安らぎを覚えるのだという。拠点であるアトランタと息子が暮らしているカリフォルニアを頻繁に行き来している彼は、ニューヨークのロウアー・イースト・サイドに引っ越すことを検討している。「あの街は俺を夢中にさせてくれる」。彼はそう話す。

「パンク・モンク」は、昨年12月にチャートの頂点に立った『Whole Lotta Red』収録曲のタイトルでもある。彼は容易に口を開かないことで知られるが、同曲からは彼が考えていることを伺い知ることができる。具体的な名前を挙げて、カルティは音楽業界に対するフラストレーションを残酷なほどストレートに表現する。「ヤツらは俺を白人アーティストにしようとする でも俺はリル・ディッキーとは違う」。新たに身につけたヴォーカススタイルである、声帯の限界に挑むかのような唸り声で、彼はそうまくし立てる。異なるヴァイブスを羅列するような同曲は、モッシュピットでの瞑想を思わせる。現在24歳の彼はパンクロックからの影響を頻繁に口にしているが、今はそれに心の平穏のようなものを見出そうとしている。「孤独に耐えられない人もいるけど、俺はそれが大好きなんだ」。カルティはそう話す。「『パンク・モンク』はこの世界に生きる一匹狼のアンセムだ。自分のすぐそばにいる人々だけが、唯一の味方なんだよ」

『Whole Lotta Red』はクリスマスの直前にリリースされた。「俺からのプレゼントだと思ってもらいたかったんだよ。だからあのタイミングでリリースしたんだ」。カルティはそう話す。同作はソーシャルメディア上で賛否両論を巻き起こし、ハードコアなファンがすぐさま飛びついたのに対し、よりラフなエッジに否定的な反応を示す人々もいた。攻撃的なドラムパターンを中心とするプロダクションと、カルティのユニークなヴォーカルスタイルのコンビネーションが描くのは、混沌としたランドスケープだ。「Stop Breathing」では、憤怒を滲ませた荒ぶる息遣いと歪んだドラムが絡み合い、ヒプノティックな効果を生み出している。同作のハイライトであり、ラップトラップというよりもパンクバラードに近い「Control」は、2020年屈指のラブソングだった。「Ever since I met youooouu」というラインの語尾を情感たっぷりに伸ばすさまは、カルティの圧倒的なヴォーカルレンジを体現している。


カルティがトレンドセッターである理由


『Whole Lotta Red』のリリースに伴って、彼はヴィジュアル面とイメージも一新した。現在はキャンディーレッドのドレッドヘアをトレードマークとし、時にはオルターエゴの吸血鬼に変身する(「Vamp Anthem」ではドラキュラのテーマソングとなっているバッハの「トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565」をサンプリングしている)。彼のエキセントリックさは、他にも様々な面に現れている。アルバムのアートワークは、70年代にロサンゼルスで発行されていたパンク同人誌Slashへのオマージュだ。彼の新たな名刺のひとつでは、彼の楽曲タイトルの多くで見られるように、大文字が不規則に用いられている。そのアイディアを思いついたきっかけは、文字変換予測テクノロジーT9を採用していた携帯電話でメールを打っていた頃の記憶だった。「リリックにも出てくるよ。『ヤツらに俺は理解できない 俺の会話手段は造形文字』っていうやつだ」。彼はキッド・カディを客演に迎えた「M3tamorphosis」についてそう話す。「くだらないことであっても、俺は自分にとってリアルなものについて語るようにしてる。人はそういうものに共感するんだよ」

Photo by Josiah Rundles for Rolling Stone

カルティが自身をトレンドセッターと捉えるのには根拠がある。彼が2018年にリリースした『Die Lit』が、以降のラップシーンに与えた影響の大きさは計り知れない。最近では「ベイビー・ボイス」と形容される高ピッチでアドリブを多用するスタイルを、甘美で幽玄なプロダクションと組み合わせるというやり方は常套手段となっているが、カルティのヴォーカルのユニークさは抜きん出ている。沈黙を守っていた数年間においても、彼のオンラインプレゼンスが衰えることはなかった。YouTubeでPlayboi Cartiを検索すると、ファンがアップロードした数々のリーク音源やスニペット、リミックス等をコンパイルしたページが数多くヒットする。過去数年間におけるカルティの勢いは、リスナー層の大部分を占める若く熱狂的なファンによって支えられていた。

実験性の強い野心作『Whole Lotta Red』によって、プレイボーイ・カルティは未来のスタンダードを確立しようとしている。「それが今俺がすべきことだからね。しばらく先の未来において主流になるようなサウンドを確立したいんだ」。彼は新曲についてそう語っている。「それは新しいものを生み出そうとするプロセスの一環に過ぎないんだ。誰もがすぐ理解できるようなものって、要するに他と一緒ってことだからね」。カルティは『Whole Lotta Red』のデラックス版の内容について多くを語ろうとせず、彼らしい曖昧な表現に終始している。「デラックス版はモンスターアルバムのパート2だ」。彼はそう話す。「すごい曲が収録されてる。いま言えるのはそれだけさ」


マンブル・ラップの立役者の一人


プレイボーイ・カルティことジョーダン・カーターはアトランタ南部に生まれ、10代の大半をバスケットボールと折衷したクリエイティヴィティの発散に費やした。メンバーとして所属していたアトランタのAwful Recordsコレクティブを通じて、彼はラップにおける実験的プロダクションに興味を持つようになった。プロデューサーのEtherealの作品での彼のパフォーマンスは、類まれな才能の片鱗を既にうかがわせていた。2015年発表の「Beef」での控えめなドラムパターンに乗せた軽快なライムからは、後にトレードマークとなるヴォーカルスタイルと打ち寄せる波のようにランダムなアドリブの原型が見て取れる。彼はヴァイラルヒットを記録した「Magnolia」を収録した、セルフタイトルの初ミックステープを2017年に発表する。同曲における「ニューヨークにいるときはドラッグを靴下の中に忍ばせてる」という耳に残るフックは無数のミームを生み出し、ネット上における音楽の消費方法が一変する前兆となった。その1年後にリリースされた『Die Lit』で、彼はその存在感を確固たるものにした。カルティと彼を起点としたマンブル・ラップ(ラップのサブジャンル)の一大ブームは、以降のシーンにおけるキーワードとなった。

『Die Lit』と『Whole Lotta Red』の間の空白期間、カルティは頑なに沈黙を貫いていた。ファンベースが急速に拡大していたにもかかわらず、新たに曲が公開されることはなかった。同世代のライバルたちとは対照的に、ソーシャルメディアをほとんど活用しないことも、彼の謎めいた存在感に拍車をかけている。「俺はこれまでもずっとそういうタイプだった」。露出を控える姿勢について、彼はそう語っている。「俺が口を開くのは、そうすべき理由がある時だ」

私生活についてほとんど語ろうとしない彼だが、世間の議論の的となることはある。『Whole Lotta Red』のリリース後、カルティの元ガールフレンドであり、彼との間に子供をもうけているラッパーのイギー・アゼリアが、彼が父親としての義務を放棄していると語ったことを受け、カルティはネット上で激しい非難に晒された。カルティはアゼリアの主張について回答しなかったが、後に息子であるOnyxとの写真をTwitterに投稿した。電話取材の場で、彼は自分の私生活についてこれ以上世間に知られたくないと語っていた。「俺は大勢の人間の面倒を見てる」。彼はそう話す。「俺には子供がいる。でも俺が世間と共有したいのは、俺のクリエイティブプロセスと作品なんだ。世間はプレイボーイ・カルティの普段の姿に興味があるんだろうけど、そういう期待に応えるつもりはないよ」


ロックスター的な価値観


ファッションにこだわるカルティにとって、ニューヨークは理想的な街なのかもしれない。『Whole Lotta Red』には、フランスの高級ブランドGivenchyのクリエイティブディレクターを務めているマシュー・ウィリアムズが、エグゼクティヴプロデューサーとしてクレジットされている。音楽ビジネスとファッション業界がタッグを組んだ前例は多く存在するが、このコラボレーションは両者の共存関係の加速を象徴している。特にウィリアムズは、これまでもファッションと音楽のコラボレーションの第一人者として活動してきた。ドレイクが「トゥーシー・スライド」で、彼のブランドAlyxに触れていたことも記憶に新しい。

「彼は俺が信じることのすべてを体現してる。俺が言葉にしようとしているものを、彼は服で表現しているんだ」。長い付き合いだというウィリアムズについて、カルティはそう話す。

パンデミックの最中にありながら、カルティは『Whole Lotta Red』を制作している間、ライブパフォーマンスのことを常に念頭に置いていた。「オーディエンスがどう反応するかを想像するんだ」。彼はそう話す。すべてのロックスターと同様に、カルティの音楽はライブでこそ本領を発揮する。そういう意味では、本作はこの上ないタイミングでリリースとなった。「『Whole Lotta Red』は、パフォーマーとしての自分の力量を示す上で理想的なレコードなんだ」。彼はそう話す。「今このアルバムがリリースされれば、ショーができるようになる頃には、その魅力が十分に理解されているだろうからね」

今や完全に確立されたカルティのロックスターとしてのモードは、音楽やファッション以外の面にも現れている。彼との電話取材には、あまのじゃくなロックミュージシャンを相手にする時と同程度の忍耐を必要とする。『伝説のロックスター再生計画!』や『あの頃ペニー・レインと』を思い浮かべるといいかもしれない。カルティにつきまとうミステリアスなイメージは計算されたものではなく、普段の彼のライフスタイルから自然に派生したものであり、パンク・モンクとしての生き様の一部といってもいい。電話を切る直前に、筆者は彼が吸血鬼を新たなペルソナとした理由について尋ねた。その質問に対する彼の回答は、カルティのミュージシャンとしてのアイデンティティを端的に表現している。

「ヴァンパイアは不死身だ」。彼は当たり前のようにそう口にした。「あれほどファッショナブルなキャラクターは他にいない」

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