2010年2月、レディー・ガガはKISS-FMとのインタビューで、ビヨンセとのコラボレーション「Telephone」について語った。同曲のミュージックビデオがE! NewsとYouTubeのプラットフォームVevoで同時に世界初公開される1カ月前のことだ。「私が気に入っているのは、これが真のポップミュージックイベントだということ」とガガ。「私が子供の頃、ポップミュージックで何か大きな出来事が起きるたびに胸を躍らせていた。今回はそういうものにしたかったの」
その2年前に「Just Dance」でミュージックビデオ・デビューを果たした直後、レディー・ガガはMTV Newsに対し、この手のイベントが少ないと不満を漏らした。「ここ最近のポップミュージックには、アーティストのビジュアルやイメージと音楽との融合が欠けている。どちらも大事なのよ」と彼女。「みんなは私の楽曲の能天気な面に飛びついているけど、インタラクティヴで、マルチメディアな一面にも目を向けてほしいわ」
ガガがオーディエンスに向かって、生肉ドレス以外でもビジュアル的な側面に「目を向けて」と呼びかけなくてはならない時期があったとは、なんとも想像しがたい。今日では「インタラクティヴで、マルチメディアな」アーティストがもてはやされている。ポップ界では、InstagramやTwitterがストリーミング回数やフェスティバルのチケット売上枚数と同じくらい重要だ。ファン発信のコンテンツやネット上での交流は、大手レーベルと契約を結んだアーティストを世界的スターに押し上げる原動力であり、最近では無名のアーティストが一躍セレブに変身することもある。「Old Town Road」がその最たる例だ。そんなデジタルビデオ革命の旗頭にいるのが、何を隠そうYouTubeだ。
MTV全盛期、大手レーベルがテレビ局にミュージックビデオを売り込む際、基本的には広告宣伝が目的だった。ビデオは自分たちが宣伝するアーティストやシングルへの関心を高め、長期的投資が(すなわち、アルバム1枚から複数のシングルやビデオをリリースして)アルバムの売り上げに繋がると期待されていた。80年代後半から90年代初期にかけてビデオの製作費は次第に膨れ上がっていったが――マイケル&ジャネット・ジャクソンの「Scream」の製作費1070万ドルは、今でも歴代最高額と言われている――レーベルがビデオ自体から収入を得ることはなかったし、ビルボード・シングルチャートの順位にも反映されなかった。だが先々の利益を見越して、派手で、大掛かりな演出が施される傾向にあった。マイケル・ジャクソン、マドンナ、ニルヴァーナ、その他アーティストがカルチャーシーンを席捲したのは、ミュージックビデオに寄るところも少なくない。こうしたビデオは、初公開時には世間を揺るがす一大事件と騒がれ――ガガも懐かしく振り返っているように、何百万人の人々が一斉にMTVにチャンネルを合わせた――翌年以降はMTVでヘビーローテーションされた。90年代後半にはMTVの『トータル・リクエスト・ライブ(TRL)』によって、ミュージックビデオのローテーションはレースと化した。ファンは局に電話をかけ、お気に入りのアーティストやグループを何度も放映してもらおうとした。
YouTube黎明期のミュージックビデオ
Napsterやその他ファイル共有サイトがレコード会社に風穴を開けた。レーベル各社は躍起になって新たな収入獲得の方策を模索し、ミュージックビデオのような”おまけ”への予算を削減した。2000年代初頭から中頃には、ミュージックビデオはすでにお先真っ暗の状態だった。ミュージックビデオとYouTubeの変遷をまとめた『Unruly Media(原題)』で著者のキャロル・ヴァーナリス氏も書いているように、ハイプ・ウィリアムスやジョナス・アカーランドといった有名監督の年間製作本数も激減した。業界一の稼ぎ頭だったデイヴ・マイヤーズ監督の場合、2000年には41本のビデオを制作していたのが、2003年にはたった11本。2006年にはわずか3本だった。
業界への還元は尻すぼみになっていったものの、ミュージックビデオが完全に姿を消すことはなかった。ガガは「Just Dance」のインタビューで、TRLで火が付いたバックストリート・ボーイズやインシンク、ブリトニーといったアーティストの人気に言及している――どのアーティストも、楽曲と同じくらいビジュアルで10代のファンをがっちり掴んだ。YouTube前夜、ミッシー・エリオットの「Get Ur Freak On」、ジェニファー・ロペスの「Jenny From the Block」、ブリトニー・スピアーズの「Toxic」、ビヨンセの「Crazy in Love」といった2000年代初期のビデオには、古き良きMTVの華美さがそこはかと感じられた。
2005年のYouTube設立の頃には、MTVはすでに番組編成をリアリティ番組にシフトしていたが、ファンがお気に入りのミュージックビデオをネットで検索できるという新たな利便性は、ケーブルTVでミュージックビデオをオンエアするというビジネスモデルに追い打ちをかけた。同じ頃、YouTubeで”バズって”いたミュージックビデオ以外の動画は、全く新しいあっと驚くコンテンツを作り上げていた。プラットフォームに投稿された「Chocolate Rain」や「Shoes」といった奇妙奇天烈なビデオは、自然体で、いかにも低予算で、どこまでも変わっていたがゆえに、メインストリームカルチャーの仲間入りを果たした最初期のインターネットミームになった。
当然ながら、一部のミュージックビデオもこれを真似るようになった。オーケー・ゴーなどは、2006年の「Here It Goes Again」のようなギミック満載のローテクビデオでキャリアを築き上げたと言ってもいい。彼らは固定カメラを前に、ランニングマシーンに乗って一発録りダンスルーティンを披露した。2020年のTikTokにふさわしいような動画だが、YouTube黎明期にはこのようなミュージックビデオは珍しかった。実際、オーケー・ゴーは2006年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでもこのダンスを披露した――MTVにしてみれば、図らずとも新規プラットフォームにバトンタッチする形になった。
ビヨンセとレディー・ガガの登場
そしてビヨンセの登場。2008年、ビヨンセは2本のビデオを同時に公開したことで、偶然にもバズる動画を作る方法(と真似してはいけない方法)を世に示すことになった。これほど素晴らしい実験は他にあるまい。『I Am... Sasha Fierce』の収録曲で、どちらもジェイク・ナヴァが監督し、どちらもモノクロのミュージックビデオ。「If I Were a Boy」は、男女の立場を入れ替えた設定で、演出も凝ったコンセプチュアルな作品。一方「Single Ladies (Put a Ring On It)」は、懐かしのボブ・フォッシーを思わせるシンプルなダンスビデオで、真っ白なスタジオで撮影された。2本のビデオがTRLで立て続けに公開されたが、注目を浴びたのはひとつだけ。大々的ダンスブームを巻き起こし、翌年のビデオ・ミュージック・アワードを総なめにした。
「あんなにたくさんのパロディが出てくるなんて、誰も予想していなかったんじゃないかな」 後にナヴァ監督は「Single Ladies」についてこう語った。「ビヨンセの型破りな才能と、シンプル・イズ・ベストを証明したね」
ほどなくして、ガガが音楽シーンに現れる。メリーナ・マツォウカスやフランシス・ローレンス、ジョナス・アカーランドといった先見の明を持つ監督らと組んで、自らのビジョン――彼女が長年崇拝してきたニューヨークのクィアなアート系アウトサイダーを豪華絢爛に生まれ変わらせた。彼女のビデオが素晴らしいのは、バズらせるのに余計なギミックを使っていない点だ――彼女自身がギミックなのだ。これはジャクソンやマドンナの傑作ビデオにも言えることだ。だが「Paparazzi」や「Bad Romance」などデジタル志向のビデオと、初期のビデオを隔てているのは、派手さの中にもちょっとした不条理な瞬間が稲妻のごとくあちこち飛び交っていることだろう。『メトロポリス』風の松葉杖、モデルの死体、ミニー・マウスのメイク、バスタブでのデカ目、吊るされたクリスタル、モンスターの爪。ミームというものが存在する前から、ミーム的な要素が満載だ。
「Telephone」がリリースされる頃には、YouTubeはVevoとすでに業務提携を結んでいた。Vevoはユニバーサル、ソニー、EMIの合弁会社で、3社はここから直接広告収入を得ることができ、ひいてはYouTubeもミュージックビデオの主要プラットフォームとして業界からお墨付きを得た。その後数年間で、ミュージックビデオ文化も進化を遂げた。雇われVJの裁量とレーベルの投入資金で決まるMTVのローテーションに組み込む代わりに、ミュージックビデオはアラカルトでアクセスできるようになった。インターネットさえあれば、いつでも好きなものを好きなだけ見られるようになったのだ。
ビジネス的にはミュージックビデオの再生回数は重要だが(2013年以来、ビルボード・シングルチャートのランキングにも反映されるようになった)、YouTubeに投稿されたミュージックビデオがどうカルチャーに広まるかは、必ずしも再生回数だけが問題ではない――むしろYouTube以外のメディア、TwitterやReddit、あるいは実生活での浸透具合にかかっている。そこへやってきたのが、Psyの「江南スタイル」現象だ。2012年、このビデオはティーンエイジャーやネット市民の笑いのツボを全て押した。レディー・ガガのビデオ同様、「江南スタイル」にも(ソウルのエリート層をおちょくるという)強いメッセージの上に、ちょっとした笑いや遊び心が散りばめられている。社会風刺は韓国以外のユーザーにはピンとこなかったが、笑いとバカバカしさはしっかりヒットした。
2010年代以降のミュージックビデオの進化
2010年代中盤になって、アーティストたちはようやくビジュアル重視のプラットフォームInstagramをフル活用するようになった。当時は(まだ)ミュージックビデオを1本丸ごとアップロードすることはできなったが、いい宣伝にはなった――ただし、Instagramが重視するような、お洒落で明るいトーンのビデオに限られるが。Apple Musicで初公開された後、YouTubeで大々的に宣伝されたドレイクの「Hotline Bling」は、まさにインスタ映えするビデオだった。カラフルかつミニマルな宣材写真に大勢の人々が引き寄せられた。
だがもちろん、誰もが「Hotline Bling」をリピートした理由はドレイク本人にある――小さな箱の中でアホっぽく踊る姿は、ミームに息が吹き込まれ、スマホの画面から直接飛び出してきたかのようだ。「Hotline Bling」のミームは、およそ2年間ネットジョークの宝庫として名を馳せたTwitterの6秒動画アプリVineで、まさかの大ヒットを飛ばした。テニスをプレイするドレイク、ライトセーバーを振り回すドレイク、ナトリウム・カリウムポンプなどの科学原理を教えるドレイク。Vine以外でも、ビデオのスチール画像を使った「ドレイク的にあり/なし」ミームがインターネット語録に殿堂入りした。『サタデー・ナイト・ライブ』は、ドナルド・トランプ氏を使ったこの動画のパロディを放映した。
こうした長期に及ぶファンの適応力が、アーティストに再びミュージックビデオに重きを置かせるようになった。ストリーミング独自の性質とCDアルバムセールスの激減ゆえ、新規ファンを取り込んでかつ既存のファンとの関係を深めるには、ミュージックビデオが絶好の手段となる。YouTubeか否かを問わず、昨今のミュージックビデオの進化はこの関係性をさらに推し進めようとしている。ビヨンセはビジュアルアルバム『Lemonade』のリリースをHBO特別番組として放映した後、自ら共同オーナーを務める配信プラットフォームTidalで限定公開した。YouTubeのプレミア公開機能をいち早く活用したアリアナ・グランデの「Thank U, Next」のライブ動画配信とチャットルームには、推定82万9000人のユーザーが集まった。シングルはミュージックビデオの数週間前にリリースされていたが、グランデのチームはシングルのストリーミング回数を伸ばそうと、1曲フルに使ったミュージックビデオの「予告編」とメイキング動画集を投稿。おかげでシングルチャートの順位もさらに上昇した。
近年ミュージックビデオ全体に見られる最大の変化は、モバイル端末への最適化だ。Instagramのグリッドディスプレイやスマホに合わせた、正方形や縦長のビデオも珍しくない。最近ではポスト・マローンが「Circles」で、”2画面ビデオ”を公開した。再生するには、2台のスマホを並べて、別々のプレイリストで同時に再生しなくてはならない。
だからといって、ミュージックビデオがYouTubeを離れることはしばらくないだろう。Googleも事あるごとに、音楽業界の動画プラットフォームの旗振り役であり続けると発言している。だがそのためには、プラットフォームやビデオだけでなく、アーティスト側の創意工夫も必要だ。今や枠に囚われず、ビジュアル的な試みを実現することができるようになったのだから。