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「日本より深刻な超高齢社会へ」中国経済に迫る"一人っ子政策"の深刻なツケ

2021年7月24日 12:00 PRESIDENT Online

中国政府は5月31日、産児制限を緩和し、夫婦1組につき3人までの出産を認める方針を示した。ジャーナリストの高口康太さんは「中国の少子化は日本よりも深刻。2020年における合計特殊出生率は日本が1.37なのに対し、中国は1.3と日本を下回っている。いまさら産児制限を撤廃しても、出生率が回復することはないだろう」という――。

「一人っ子政策」の方針転換を迫られる中国

「近年、高齢化がさらに深刻化している。出生政策のさらなる改善を進め、それぞれの夫婦に3人目の出産を認める政策と関連支援策を実施する。これらの政策は、中国の人口構造の改善、人口高齢化に着実に対応する国家戦略、そして人的資源という天賦の優位を保持するために有利に働くものとなる」

中国共産党中央政治局は2020年5月31日、「出生計画の改善と人口の長期的な均衡ある発展に関する決定」(以下、「決定」)を決議した。冒頭の文章はその一節だ。

中国がいわゆる「一人っ子政策」から方針を転換したのは2013年のこと、両親のどちらかが一人っ子の場合には二人目出産が認められるようになった。その3年後には全夫婦に対し二人目出産を解禁。そして、今回の三人目出産の全面解禁へと、この8年で規制は次々と緩和されている。

段階的な制度変更は効果を確かめながらの慎重な態度と言うよりも、計画生育(出産抑制政策)を全面撤廃するふんぎりがつかず、ずるずるとひきずったと見るべきだろう。

出生率は日本以下の水準に

2020年における中国の合計特殊出生率(15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもの)は1.3と、日本の1.37を下回る危機的な水準にまで落ち込んでいる。本来ならば全般的な少子化対策に踏み切ってしかるべきだ。

「決定」では教育費や住宅費に対する配慮から若者の恋愛観、結婚観の誘導(従来は若い間は恋愛などせず勉学にいそしめというのが社会の風潮だったが、今後は習近平総書記の号令の下、恋愛バンザイへと変わるのだろうか?!)まで、広範な分野で少子化対策に取り組むとの内容が盛り込まれているが、それでも夫婦1組あたり3人までという形で、出産数制限そのものを撤廃するにはいたっていない。

現実問題として3人も子どもを作りたいと考えている中国人はほとんどいない。出産数制限を3人にしようが4人にしようが、あるいは撤廃しようが、たいした違いはない。

それにもかかわらず、出産数制限という制度そのものを維持したことは、中国が抱える病巣の深刻さの表れだ。なぜ、中国は出産抑制政策を始めたのか、なぜ少子化が深刻になってもやめられないのか。その理由を知るためには歴史をひもとく必要がある。

世界的なトレンドだった「人口抑制策」

悪名高き「一人っ子政策」だが、その起源には長い歴史がある。

イギリスの経済学者トマス・ロバート・マルサスが1798年に出版した『人口論』において、指数関数的に増加する人口に対し食糧生産の増加ペースは追いつかないため、人口を抑制しないかぎり貧困が拡大するとの考えを示した。この主張は後に優生学につながるなど、長年にわたり大きな影響をもたらした。

特に第2次世界大戦後には、途上国での貧困拡大は社会主義化につながるとの懸念が広がり、1960年代に入ると人口抑制策は具体的なアクションとして実行されていく。

米国が経口避妊薬や避妊リング、避妊薬を援助物資として途上国に提供する。世界銀行は貸付の条件として不妊手術の実施を求めた。今となってはおよそ信じがたいような話が現実に存在していたのだった。

中国もまた、こうした世界的なトレンドの影響を受けていた。1949年の中華人民共和国建国当時に5億4167万人だった人口は、55年に6億人、65年に7億人、70年に8億人、74年に9億人と、増加ペースを速めていく。

人は国力だとして人口増に肯定的だった毛沢東も考えを変え、1970年から始まる第4期5カ年計画には「一人は少なすぎる、二人がちょうどいい、三人は多すぎる」というスローガンが採用された。

「たとえ血流が川となっても、一人っ子政策違反は認めない!」

晩婚の推奨や子どもは2人までにとどめようといった啓蒙活動が中心だった中国の人口抑制策が、急激に転換するのは1979年のこととなる。

1975年にオランダを訪問したミサイル研究者の宋健(ソン・ジエン)はマルサス主義に触れ、人口抑制策の信奉者となる。啓蒙活動や避妊具の配布にとどまらず、強力な出産政策を実施して、人口を減少させることが中国の発展につながると説いた。

当時の中国において、「両弾一星」(原爆、弾道ミサイル、人工衛星)にかかわる研究者はエリート中のエリートであり、専門分野のみならずさまざまな政策において強い影響力を持っていた。宋の考えは次第に中国共産党上層部に浸透していく。

こうして、きわめて強圧的な一人っ子政策が誕生することになる。一人っ子政策を順守すると宣言した場合には保育費の支給や託児所や学校への優先入所、医療費支給など多くの優遇策が与えられた。

一方、2人目を出産した女性に対する不妊手術の実施や、違反者に対する罰金(社会養育費)、賃金カットや昇進昇給の停止、さらに公務員の場合には罷免されるなど多くの罰則が動員された。

「たとえ血流が川となっても、一人っ子政策違反は認めない!」
「殴れ! 流産させろ! 生ませるな!」
「不妊手術をやれ、逃げたら捕まえろ、吊して薬を飲ませるのだ」
「1人目は生ませる。2人目は不妊手術だ。3人目4人目は殺せ」

かつて中国の農村にはこうした過激な一人っ子政策関連のスローガンがでかでかと掲げられていたが、たんなる脅し文句ではなかった。政策実施を担う地方政府は時に暴力的な手段を使うことをいとわず、着実に出産抑制政策を実施していった。

その原動力となったのが「一票否決制」の導入だ。

地方官僚の政治業績を判断する際、経済成長など他の分野で高得点をあげていたとしても、計画生育の実施で規定を満たせなかった場合には失格とみなされるというものだ。計画生育がきわめて優先度の高い政策とされていたことの表れだが、不妊手術の規定実施数を満たすために、若い女性を拉致してまで手術したという話もあった。

この恐怖の政策は当初、国際社会からは人口抑制策を果断に実施する優等生として歓迎されていた。一人っ子政策の制度立ち上げを担った銭信忠(チエン・シンジョン)は1983年、国連人口賞を受賞している。

「一人っ子政策」の前から出生率は大きく低下していた

国家の一大事業として始まった一人っ子政策だが、その効果はどれほどのものだったのだろうか。中国政府は2013年に「一人っ子政策により4億人以上もの出産抑制を実現し、人口の過剰な増加による資源と環境に与える圧力を大きく軽減した」との公式見解を表明している。

しかしながら、データを見ると異なる実像が浮かび上がる。出生率のピークは1960年代半ばであり、強圧的な一人っ子政策が始まる1979年までに出生率はすでに大きく低下していた。

経済成長や医療の充実、教育の高度化などの条件が重なれば少子化社会へと移行するのは世界共通のトレンドだ。たとえ一人っ子政策が導入されなかったとしても、中国が少子化へと向かったことは間違いない。

むしろ将来確実に起きる、急激な人口減が問題だったはずだ。国の人口維持に必要な出生率は2.1とされるが、中国は1990年代初頭に割り込んでいる。世界的にも人口増から少子高齢化へと懸念する対象は代わった。

本来ならば、中国も柔軟に政策を変化させるべきだったが、前述のとおり2013年の一部緩和まで規制は維持された。

約1億2700万円の罰金を払った映画監督も

その理由を突き詰めると、結局のところ、トップの意向が強く反映される独裁国家においても、一度動き始めた国家の重要政策を変化させることは難しいことに尽きる。

特に一人っ子政策については中国全土の津々浦々にまで、担当者が置かれる巨大な官僚組織が作り上げられた。人口抑制政策の撤廃は彼らの仕事を失わせてしまう。官僚組織は自分たちのポストを守るために激しく抵抗する。

また、一人っ子政策違反の罰金である社会扶養費は平均所得の3~6倍を徴収するもので、高額所得者には応分の追加負担が求められる。たとえば、中国を代表する映画監督の張芸謀(チャン・イーモウ)は2013年、3人の子どもがいることが発覚。749万元(約1億2700万円)の社会扶養費を支払った。

こうした社会扶養費は農村など基層自治体では主要な財政収入源となっていた。罰金徴収額のノルマを定める事例も多かった。2人目を生んでもらってはいけないという制度だが、ルールを破って罰金を支払う人がいないと基層自治体が維持できないという本末転倒の状況となっていたわけだ。

中国の国勢調査は10年に1度、実施される。2010年の前回調査時点でもすでに少子化は深刻であり規制の一部緩和へとつながったわけだが、2020年の調査によって状況がさらに悪化していることが確認された。こうしてついに中国政府も重い腰をあげることとなった。

方針転換をしても人口減は免れない

では、政府方針の転換で少子化は改善するのだろうか。

少子化につながる要因としては、教育コストや不動産価格が高すぎて子どもを育てる金銭的ゆとりがないことが指摘されている。中国政府は「決定」において、これらの問題について支援する方針を表明している。しかし、問題はそれだけではない。

晩婚化や生活スタイルの変化など多くの要因が関連しており、世界的に見ても一度低下した出生率を回復させた事例はほとんどない。

他国と同様の取り組みでは効果を上げられないとするならば、政府が強力な力を持つ中国ならではの対策もありうるかもしれない。

ある中国の人口研究者は「子ども1人当たり100万元(約1700万円)の支援をすべき」と提言しているし、一部では「3人以上生んだ家庭の子どもには大学入試で加点すべき」という不思議な提案もあった。人生の一大事である大学入試で有利に働くとあらば、無理にでも子どもを産むインセンティブが働くのではないかというわけだ。

こうした奇想天外な対策でもしないかぎり、中国の出生率が回復することはないだろう。近い将来、人口減を迎えることは確実だろう。

人口増以外の“成長エンジン”を見いだすべき

いや、一部ではすでに人口減は始まっているとの疑惑の声もあがっている。毎年1月に中国当局は人口統計を発表するが、今年は国勢調査の発表にあわせるとして見送られた。その国勢調査の結果も当初予定されていた4月末から3週間近い延期となった。この間に英紙フィナンシャル・タイムズは「総人口14億人割れという衝撃的な結果が出たため、延期された」との関係者のリークを報じている。

この報道は“誤報”となったわけだが、釈然としない印象を残す。というのも、2020年の出生数は1200万人。4年前の約3分の2という激減ぶりだ。過去の出生統計を足しあわせると、フィナンシャル・タイムズの指摘通り14億人割れとなる。

中国当局は過小だった過去の出生統計を修正したためと説明しているが、中国のネットでは責任逃れのための隠蔽工作ではとの疑念の声もあがっている。

国勢調査の数字が真実かどうかを確かめることは難しいが、中国の人口が増加から減少への曲がり角を迎えていることは間違いない。この転換は中国経済にとって決定的に重要だ。

改革開放政策以来、40年以上にわたり中国は高成長を享受してきたが、その背景にあったのは潤沢な労働力の供給と人口増に支えられた未来の成長市場であった。この要素が失われつつあるいま、これまでとは異なる成長の方法を模索する必要がある。

人口増以外の成長エンジンはイノベーションしかない。中国政府は教育レベルの向上やさまざまなイノベーション支援策によって、さらなる成長を継続しようという未来図を描いているが、その道がたやすいものではないことは一足先に人口減社会に突入した我々日本人がよく理解している。

[ジャーナリスト/千葉大学客員准教授 高口 康太]

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会議中に"頭が真っ白になりやすい人"に共通する意外な特徴

2021年7月24日 12:00 PRESIDENT Online

話すことは決まっていても、大勢の前に立つと頭が真っ白に……。人気カウンセラーの大嶋信頼さんは、「そうなるのは決して、能力が低いからでも、心が弱いからでもない」と言ます。頭が真っ白になりやすい人の共通点とは――。

※本稿は、大嶋信頼『チクチク・いやみ・理不尽と感じる「ほんのひと言」に傷つかなくなる本』(大和書房)の一部を再編集したものです。

頭が真っ白になってしまう人の特徴

頭が真っ白になる、その本当の正体は「相手の立場に立って、相手の苦しみを請け負ってしまう」ことです。

頭が真っ白になった瞬間には、すでに誰かの苦しみを請け負ってしまっている。

自分の苦しみだったら「なんとかなる」と苦しみを軽減することができますが「相手の苦しみ」だと相手のものだから「自分では処理できない」とパニックになってしまいます。

でも、頭が真っ白になっている人は「自分がパニックになっているだけ」と、まさか他の人の苦しみを請け負ってパニックになって苦しんでいるなんて想像することもできません。

頭が真っ白になってしまう人は、他の人から見ると「この人には自信がある」という印象を持たれがちで、本人も「私には何も問題がありません」というように振る舞ってしまいます。

でも、その中身は「自分には何の価値もない」と自己肯定感がものすごく低かったりするんです。

そして、自己肯定感が低ければ低いほど、それを人に悟られないように「私はすごいんです」と虚勢を張らなければならなくなります。

そして「私はすごい」という虚勢を張れば張るほど、自分の中身の自己肯定感がどんどん下がってしまって「自分には何も価値がない」となってしまう。

そうなると常に「周りの人の気持ち」に敏感になります。

「自分に価値がないことがバレてしまうのでは?」とビクビクしているからです。

虚勢を張って周りから期待されているのに「期待を裏切って失望させてしまったらどうしよう」と怯えているから「周りの人の気持ち」にものすごく敏感になります。

自己肯定感が低いほど、人の苦しみを請け負ってしまう

本人は「無価値なのがバレる恐怖」でパニックになってしまう、と思っています。

人の反応にものすごく敏感で自分の恥ずかしさ、虚しさが相手にバレてしまう恐怖で「頭が真っ白になる」と心のどこかで思っています。

でも、実際は「自分には価値がない」と思っていると、「他人の苦しみを請け負うしか価値がない」となってしまうんです。

そうして自己肯定感が低ければ低いほど、他人の苦しみを請け負う役割を自動的に選択してしまうようになります。

会議の場面で「頭が真っ白になる」というのも、それは「自分が緊張してパニックになっている」と思っているのですが、実際は「会議の司会者が苦しんでいる」のを請け負ってしまって「頭が真っ白になる」という状態です。

隠してきたコンプレックスも「頭が真っ白」の原因に

私は学生時代に「グループで輪になって、一人ずつ立って演技をする」という授業を受けさせられました。

もちろん私は演技が苦手だったので「どうしよう?」とビクビクしていました。

そして「私は人前で恥をかくのが怖いんだな」と思っていました。

ところが、私の順番が来るはるか手前で、綺麗な女の子が演技をしているのを見ていたら、隣にいた友達に「お前、何でそんな真っ赤な顔になっているの?」と指摘されてびっくりしました。

確かに、その女の子の順番になって立ち上がった瞬間、私は頭が真っ白になって「ここから飛び出して逃げたい!」という気持ちになってしまっていました。

しかも、真っ白な頭とは真逆に、自分の顔が赤くなっていることなんて全く気がつきもしませんでした。

女の子の演技が終わったあとには私の顔の赤さも引いたので、周りから「お前、あの子のことが好きなんだろ!」と冷やかされるほどでした。

私は、周りからは自己肯定感が低いとは全く思われていなかったのですが、自分の心の中のどこかではものすごく惨めで薄汚れていて醜い存在と感じていて、その自己肯定感の低さを見ないようにしていました。

自分から見ないように隠していた自己肯定感の低さによって、他人の苦しみを請け負う役割を自動的に選択するようになっていたのです。

自己肯定感の低さの原因は「幼少期」

こうした自己肯定感の低さは、どうやって出来上がってしまうのでしょうか。

私の場合は、兄が生まれてすぐに亡くなったため、次に生まれてきた私は「どんなすごい子が生まれてくるんだろう?」と期待されていました。

ところが親から「あんたにはがっかりだよ! 兄さえちゃんと生きていれば!」ということを思われていました。

最初の子供が亡くなってしまって親の期待が高まるのはわかります。しかし、次の子供は、その期待に応えられず親から「がっかりだよ!」という態度をとられるたびにどんどん自己肯定感が低くなってしまいます。

「自分は人の苦しみを請け負うしか価値のない人間」と思うようになってしまって頭が真っ白になる。

そして、頭が真っ白になればなるほど、さらに自己肯定感が下がってしまうので「ありとあらゆる人の苦しみを請け負う」ということになり、頭が真っ白になってどんどん自己肯定感が下がってしまうのです。

がっかりされる度に自己肯定感が下がる

プロスポーツ選手のお子さんが「あのお父さんはすごい選手だからお子さんもすごいはず」と思われていたのに「がっかりだよ!」と親からもそして、周囲からもやられてしまう。すると本人が知らないうちに自己肯定感が下がってしまいます。すると自己肯定感が低いから「虚勢を張らなきゃ」と偉そうに振る舞います。それをすればするほど「がっかりだよ!」という反応が多くなるから「さらに自己肯定感が低くなる」のです。

ある女性は「ものすごく容姿が美しい」と評判になっていて「会う前から期待されちゃう!」とプレッシャーになっていました。

周りが勝手に想像を膨らませて期待しているだけなのに実際に会った時に「がっかりだよ!」という反応をされるたびに自己肯定感が下がってしまいました。

外見と内面の差がどんどん開いてしまって「人の苦しみを請け負うしか価値がない」というぐらいまで自己肯定感が下がっていることに本人も気がつかないまま、「どうしてこうなるの!」と頭が真っ白になってしまったんです。

「頭が真っ白」になる人の隠れた才能

頭が真っ白になってしまう人は、「人の苦しみを請け負う」ということをしている、つまり「人の気持ちが良くわかる」という共感力が高いことになります。子供の頃にアニメとかを見ていて「人の気持ちがわかる超能力があったらいいな?」と思ったことがありますが「共感力」がそれになります。人の気持ちが勝手に伝わってきて頭が真っ白になってしまう。「子供の頃に思っていたのと全然違うじゃない!」とツッコミを入れたくなります。

共感力と言われると、人の気持ちが手に取るようにわかって、傷ついた人の心を癒してあげられる、というイメージでしょう。

それなのに、共感力が高いと、相手の苦しみを請け負ってしまう。「こんな惨めな状態になるんだったら、人の気持ちなんてわからないほうがいい!」と思ってしまうわけです。

そして、実際に「頭が真っ白になる」人は、周りの人から「この人は、ほかの人の気持ちがわからない」と思われていたりするんです。

「え? あんなに人の苦しみを請け負ってパニックになってしまうのに?」と思いますよね。

そうなんです。本当だったら「頭が真っ白になる」というのは「才能」なんですけど、本人がその才能を自覚していない。

無自覚なままでいるとマイナスにしかならない

才能を自覚していないと「頭が真っ白になる」という時に「これは自分の才能で他の人の感情を請け負っているから」と認識することができない。

才能を自覚していないと「他人の苦しみ」を自分のものにしてしまうから「頭が真っ白になる!」になってしまう。

この時に「自分だけが苦しんでいる」と一人でもがいてしまい、「この人は自分の苦しみだけに注目して相手の気持ちに寄り添うことができないんだ」と周りの人に思われてしまいます。

頭が真っ白になってしまう人は、ぱっと見た限り「あ、人の気持ちをわかってくれるような優しい人だな」という印象を持たれるから期待されるわけです。

けれども、人から請け負った苦しみを自分で処理できずに「苦しくて他の人のことが考えられない!」となるから、「人の気持ちがわからない自分勝手な人」と見られてがっかりされてしまう。実際は人の気持ちがちゃんと伝わってきているから「苦しい!」となっているだけで、共感力は高いのです。ただ、自分がちゃんとその才能に気がついていないだけなんです。

「共感力」の才能は今すぐ自覚すべき

ですから「頭が真っ白になる」というのは共感力という才能なんだ、という自覚をちゃんと持つだけでいいんです。

実際に頭が真っ白になった時に「あ! これは誰かから伝わってくる苦しみだな」とわかって、その苦しみを自分のものにしなければ頭が真っ白になることはなくなります。

そして頭が真っ白になった時に苦しみに注意を向けて「これは誰からのもの?」と考えて、「あなたはこんなに苦しんでいるんですね」と苦しみを抱いている本人にフィードバックができれば「この人、すごい共感力!」とびっくりされるようになるでしょう。

[心理カウンセラー 大嶋 信頼]

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心理カウンセラーが解明「すぐキレる人」の体内で起きている"ある変化"

2021年7月22日 08:00 PRESIDENT Online

嫌なことを言われると頭が真っ白になって言い返せない、あるいは怒りが溜まってキレてしまう……。心理カウンセラーの大嶋信頼さんは「そうした反応は気持ちの問題ではなく、体質の問題」と言います――。

※本稿は、大嶋信頼『チクチク・いやみ・理不尽と感じる「ほんのひと言」に傷つかなくなる本』(大和書房)の一部を再編集したものです。

言い返せないのは「気持ちの問題」じゃない

私は嫌なことを言われると、「頭が真っ白」になって頭がいつものように働かなくなります。時間が経ってから「なんであの時何も言えなかったんだろう?」と後悔して「ああ言えばよかったのに」「こう言えばよかったはず」といろいろ考えが浮かんでくる。

でも、その場になると何も言えなくなって涙目になってしまう。

これって「自分がヘタレだから」とか「弱虫だから」とずっと思っていました。

しかし、心理学のストレス刺激実験をお医者さんと一緒にやっていたとき、「あ! これは弱虫とかヘタレの問題じゃない」ということに気が付きました。

なぜなら「嫌なことを言われたら頭が真っ白になってしまう」という人が「大きな音のストレス刺激」を受けた時「血糖値を抑えるホルモンが大量に分泌されて、血糖値が下がった」という働きを目の当たりにしたからです。

「言い返せる人」は血糖値が上昇

嫌なことを言われたらちゃんとその場で言い返せる人は「大きな音のストレス刺激」で血糖値が上がっていました。

嫌なことを言われたストレスで血糖値が上がり、「頭がフル回転で働く」となって「その場で言い返しちゃうぞ!」と反応することができるんです。

ところが「頭が真っ白になってしまう」という人は嫌なことを言われたら血糖値が下がってしまうから「頭が働かない」となってしまい、低血糖状態になるから、手が震える、涙目になる、体に力が入らない……といった弱々しい状態になっていたんです。

「言い返せない人」は時間が経つほどイライラする

そしてもっと興味深かったのは「頭が真っ白になってしまう」という人は「後から血糖値が上がってなかなか下がらない」となっていたこと。

普通、人は「嫌なことを言われた」となったら、その場で「ムカつく!」と言い返して、それさえ済めば後から血糖値が上がることはありません。

ですが、「真っ白になる」という人は後から上がってなかなか下がらなかったり、血糖値がアップダウンを繰り返したりします。

これによって後から「ああ言えばよかった」という後悔や相手への怒りが次から次へと湧いてきてしまう、というあの現象の説明がつくんです。

その場では血糖値が下がってしまうので何も言えないのですが、後から血糖値が上がってものすごい怒りが湧く。

でも、いざとなったらまた血糖値が下がってしまうから何も言えない。

「頭が真っ白になってしまう」というのは体質の問題だったんだ! ということがわかってきました。

空腹でイライラする人は要注意

さらに、このストレスで脳が低血糖になってしまう、ということで、もう一つ大変なことがわかってきました。

それは「頭が真っ白になって後先のことを考えないでキレてしまう」という現象です。私も「頭が真っ白になって言いたいことが言えなくなる」という子供だったのですが、学校で授業中にみんなから間違いをはやし立てられてしまうと頭が真っ白になったまま「もう嫌だ!」と学校を飛び出してしまっていました。

「頭が真っ白になる」というのだったら「その場から動けない」というイメージがあるかもしれませんが、実際は「キレて言っちゃいけないことを言ってしまう」や、私みたいに「キレてやっちゃいけないことをやってしまう」状態となって学校を飛び出したりしてしまいます。

脳は電気信号で考えたり身体に指令を送ったりしています。

嫌なことを言われたりして急激に血糖値が下がることで脳内の電気信号に異常が起こり「破壊的な人格」になってしまうのを、一般的には「キレてしまう」といいます。

私たちはストレスの影響で低血糖となり脳内の電気異常から破壊的な人格に変身してしまうのを「発作」と呼んでいます。

この低血糖による発作は起こす人と起こさない人がいて「お腹が減ったらイライラする」という人は「頭が真っ白になる」ことや「発作を起こして破壊的な人格になってしまう」ということがちょっと疑われます。

“いい・悪い”を気にしすぎていないか

「いい・悪い」で考えすぎる人は、自分がいい・悪いで考える、いわゆる「白黒思考」である自覚があまりなかったりします。

「みんなと同じようによく考えて行動しているだけ」と思っていますが、実際は「いい・悪い」を考えすぎて左脳が活発に働きすぎの状態です。

そして、左脳が活発に活動しすぎていると、必ずといっていいほど理不尽なことが自分にだけ起きてしまう。

例えばスーパーのレジに並んでいたらレジの店員さんの態度が自分に対してだけ悪かったりして「なんで私にだけ?」と頭が真っ白になってしまいます。

車を運転していたら図々しい車がわざと自分の車の前に割り込んできて、「なんでそこに割り込んでくるの?」と頭が真っ白になってしまう。

理不尽なことが起きたときは自分の「白黒思考」を疑おう

「いい・悪い」の「白黒思考」は自分では気が付きにくいけれど、目の前で理不尽なことが起こって頭が真っ白になったら、「あ! 私は『いい・悪い』で考えすぎちゃっているんだ!」とわかります。

「なんで自分だけ」というような理不尽なことは「いい・悪い」で左脳が活発に活動して、右脳との電位差でサージが起きた時に発生します。

脳のサージ電流が起きて理不尽なことが起きるのか、それとも理不尽なことが起きたからサージ電流が発生するのか。

どちらなのかは「鶏が先か、卵が先か」のようですが、どちらにしても理不尽なことが起きる時は「いい・悪い」の「白黒思考」が影響している可能性があります。

[心理カウンセラー 大嶋 信頼]

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橋下徹「どんなに厳しい質問をされても慌てずに堂々とできる人の共通点」

2021年7月22日 08:00 PRESIDENT Online

人の心を動かすには、なにが重要なのか。元大阪市長の橋下徹氏は「どんなときも『自分の言葉』で話すことだ。たとえばコロナ対応をしていたときの吉村洋文大阪府知事の話し方がいい例だろう」という――。

※本稿は、橋下徹『決断力 誰もが納得する結論の導き方』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

議論の過程もメディアにさらけ出す

吉村洋文大阪府知事も、「手続的正義」の手法を使って、リーダーとしての信頼を集めています。大阪府庁の幹部たちから聞くところによると、僕のやり方よりもさらに時間をかけて議論をしているようです。幹部たちの話では、吉村さんは反対意見をじっくりと聞いて、議論を重ねているそうです。

※注釈:手続的正義……結果に至る過程・プロセスに正当性があるなら、正しい結果とみなす、という考え方。

吉村さんは、腹の中にストンと話が落ちるまでは結論を出さない。リミットの時間は決めているでしょうが、とことん意見を言わせてもらえるので、反対派も吉村さんの判断に納得をするようです。

吉村さんは議論をフルオープンにすることにこだわっています。議論の過程もできる限りメディアにさらけ出します。そしてカメラの前で記者からの質問にもできる限り答えています。大阪府民の多くが吉村さんのこのやり方や判断に納得し、彼の支持率が高まっている大きな理由の1つになっています。

吉村府知事はみんなが納得するプロセスを踏んでいる

大阪で感染者数が増えると、TVのコメンテーターたちが批判したがるのは、実体的正義の考え方に基づくものです。「感染者数が増えたから吉村知事の判断や対策は失敗」という短絡的な見方をする。

しかし、何をやれば感染者数が減るのか、絶対的な正解は誰にもわかりません。感染者を減らすためには社会経済活動を抑制すればいいのでしょうが、そうするとまた別の弊害が出ます。しかも知事に与えられている法律上の武器は非常に限られており、基本的には府民や医療機関に呼びかけることしかできません。

このような状況下において、いつ何をどのようにやればいいのか。ウイルスの増殖、感染者数は今後どのように推移するのか。これらについて絶対的な正解を常に見つけられる者など、この世には存在しないでしょう。学者やコメンテーターたちは、後の結果を見てから、こうすればよかった、ああすればよかったと後付けで言うばかりです。だからこそ、手続的正義の考え方に基づいて、そのときに「正しいとみなせる」判断をしていかなければならないのです。

吉村さんは賛成派、反対派による議論を尽くして、適切なプロセスをきちんと踏んでいます。東京のコメンテーターたちがどれだけ吉村さんの批判をしても、大阪での吉村さんの評価が高いのは、大阪府民はこのプロセスをよく見ているからです。吉村さんが正解を出し続けているから評価が高いというより、みんなが納得するプロセスを踏んでいるから評価が高いのです。

なぜ厳しい質問に答えられるのか

吉村さんの記者会見やテレビ出演を見れば一目瞭然ですが、彼はすべて自分の言葉で語っています。記者会見のときにも原稿に目を落とすことなどないし、プロンプターも使わない。ペーパーもプロンプターも見ないで、カメラの向こうの府民に語りかけています。だから、テレビを見ている人たちにメッセージがよく伝わるのだと思います。

なぜ、ペーパーやプロンプターを見ずに自分の言葉で話せるのか。様々な立場の人の様々な意見を、手続的正義に基づく適切なプロセスの中でしっかりと聞いているからです。

だから吉村さんの頭の中には、自分の考えだけでなく、反対の意見や持論の問題点、それに対する対処方法などもインプットされている。そのため、反対意見側からの厳しい質問を受けても、彼は自分の言葉ですべて答えられるのです。

実体的正義、すなわち絶対的な正解を追求する人は、持論が絶対的に正しいという前提なので、自分の考えだけを頭の中に残そうとします。そうすると反対意見側からの見え方に気付かない。自分の考えの問題点が見えず、それに対する対処法などについても意識が向きません。自分の考えの正当性は強く主張できますが、問題点を指摘されると慌てふためいてしまいます。

自分の言葉には説得力がある

役人は優秀ですから、会見などの際には一応念のための回答案を作ってくれています。しかし、自分の頭の中にないことを話そうとすると、ペーパーの棒読みになりますし、そもそも役人の回答も、通り一辺倒のもので、周囲の者を納得させるものになっていないことが多い。様々な意見をぶつけ合った適切なプロセスを踏んでいないので、役人自身も表面的な問題点の指摘とそれに対する一応の回答しか用意できないからです。

手続的正義を重視する人は、適切な議論のプロセスをきちんと踏んでいるので、自分の考えへの賛成派、反対派の議論が頭の中に入っています。吉村さんも、自分の考えへの反対派の意見を十分に知っていて、それに対する自分なりの回答を用意しています。だから何を聞かれても答えられるし、ペーパーを見る必要もありません。堂々と自分の言葉で答えているため、説得力があるのです。

危機におけるリーダーのあり方として、重要なのはこの点です。質問されるたびに手元の紙や資料を見ているリーダーでは、「この人で本当に大丈夫?」と、周囲の者や組織のメンバーは不安になります。手続的正義を踏まえているリーダーは、平時であろうと危機であろうと、ペーパーを見ずに自分の言葉で話せます。それが力強いメッセージとして、見聞きする側に伝わるのです。

安倍前総理の演説が心に響かない理由

先ほど話に出たプロンプターとは、演説の原稿を読んでいる雰囲気を視聴者に見せないために、原稿内容を映した透明な板を演説者の視線の先に置く装置です。演説者は演台上の原稿に目を落とさず、目の前の透明な板を見て話せばよいので、視線は必然的に前を向きます。ただ、演説原稿を読んでいることに変わりはありません。

演説原稿を事前に用意すると、どうしても演説の格調や文章の美しさを気にしはじめます。また、色々な情報を盛り込もうとして力が入っていく。原稿を何度も修正しながら、文章のかたちや情報量の多さにエネルギーを割くようになってしまう。結果、話し言葉として弱く、聴衆の心情に響かないスピーチになりがちです。

安倍前総理は、新型コロナ問題に関する演説ではプロンプターを使っていました。たしかに語り口はきれいで、情緒的なフレーズが多かった。ですが、ウイルスへの対処に関する肝心なメッセージの強さが抜けてしまい、聞いている側からすると迫力が足りないように感じました。

ウイルスへの不安を抱える国民が最も知りたかったところが不明確で、メディアの論調などを見ると、すこぶる評判が悪かった。つまり、聞く側のハートに突き刺さる力が弱かったということです。

リーダーの役割は「説明すること」ではない

役人の説明は、表現の正確さに重きが置かれます。情報量も多く、聞いている者の「脳ミソ」に「論理的に」働きかけるものになりやすい。ゆえに、小難しく味気ない説明になってしまいます。ミスをしないようにすることが役人の本分なので、ある意味仕方がありません。

しかし、リーダーが発するメッセージは、聞いている者の「ハート」にズバッと情熱的に届くものでなければなりません。ハートを揺さぶるものです。リーダーは誤りなく正確に「説明すること」が役割ではない。メンバーのモチベーションを上げ、一定の目標・方向性に向かって組織・集団を動かしていくことが使命です。

この点、吉村さんの会見ではプロンプターを使うこともなく、原稿も用意されていない。必要で重要なポイントを、自分の言葉でズバズバ語っています。無駄で余分な言葉や回りくどい表現、ポエムのような話はそぎ落とされています。平時の場では、スピーチライターが練り上げる格式ばった表現や情緒的な話は許されます。が、有事の場合には厳禁。中身のない話をもっともらしく話す語り口は、緊急事態のスピーチとして最悪です。

コロナ禍で先行きが不透明な社会状況において、国民は一筋の光明を求めているのです。長く暗いトンネルを走る中で、はるか先でもいいから、とにかく出口の光を見たい。自分の言葉で語るリーダーのメッセージにかすかな光を見出したい、と願うのが、国民の感覚ではいでしょうか。

[元大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹]

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「わが子の"頭脳"が先細る」親が絶対させちゃいけない勉強法3つ

2021年7月22日 08:00 PRESIDENT Online

平凡な学力のわが子を「後伸び」させるにはどうしたらいいのか。中学受験塾代表の富永雄輔さんは、「テストの点数を取らせようと親が対策を立てたり、先取り学習させたり、テストの点数に一喜一憂したりしていると、完全に逆効果。特に小学校低学年のうちは勉強以外のことで何かに没頭していたら、決してそれを邪魔してはけません。その集中力があとで勉強に役立ちます」という――。

わが子の“頭脳”が先細るか、後伸びするか、すべては親次第

そろそろ1学期が終わる。小学生の子を持つ親の中には、子供が持ち帰ってくる高評価の通知表を見て褒める人もいれば、低得点のテスト結果に落胆して遊ぶ時間を制限させて勉強へと促す人もいるかもしれない。

だが、こうした行為は逆効果になると、中学受験塾VAMOS代表の富永雄輔さんは指摘する。なぜか。夏休みに入る今、低学年の子にやりがちな親の「NG行為」と、「OK行為」を教えてもらった。

まずは、科目の中でも最も学習量が実力に反映されやすい、算数から。

◆やってはいけない勉強法①「公式算数の先取り教育」

進学塾に通っていると、通常4年生から習う学習を低学年で教わる機会もあるだろう。あるいは、親が先取りして問題集を買うこともあるかもしれない。だが、「公式算数」だけは前倒しすべきではないという。

「鶴亀算をはじめとする算数の公式(※)を教えると、それ以外の思考方法が出てこなくなり、パターン問題の一部しか解けなくなる恐れがあります。つまり、考える習慣が損なわれるのです。パターン以外の思考方法も身につけるべき低学年に、公式を教えることは、『安直に答えを出すカンニングペーパー』を渡しているようなものです」(富永さん、以下同)

※【鶴亀算】亀の数:(足の合計-2×頭の合計)÷(足の差)、鶴の数:(4×頭の合計-足の合計)÷(足の差)、【植木算】一直線上に立ち両端に木がある場合:木の本数=間の数+1、一直線上に立ち両端に木がない場合:木の本数=間の数-1、など。

公式算数を覚えるのは4、5年の後半からでも間に合うが、後述する思考力や集中力は、時間に余裕のある低学年でしかじっくり鍛えられない。勇み足は禁物だ。

◆やってはいけない勉強法②「テスト対策」

小学校などで行われるテスト。親子一丸となって高得点を取り、子供の自己肯定感を高めたい。だが、そんな親心がアダとなることもある。

「学校や塾でテストの範囲や時期がわかっていると、その前に出そうな問題を教えてサポートする親御さんがいます。子供に自信をつけさせること自体はいいことですが、一夜漬けで点数を取らせる勉強をして乗り切ったとしても、『いざとなれば親に頼ればいい』といった依存心を生むなど、あまりいい結果になりません」

◆やってはいけない勉強法③「点数に一喜一憂」

ましてや、テストの結果を見て褒めるのもご法度。

「低学年のうちは点数を取ることの意味合いもわかっていません。そんな中、親が点数にフォーカスして褒めたりご褒美を与えたりすると、褒められたいがために、カンニングをしてでも『効率的に点数を取る方法』を取る子が出てきます。実際、そういう子は毎年一定数存在します」

テストの目的は、高得点ではない。“弱点”を知り、そこを強化することだ。また、褒めるとしたら、点数ではなく、テストを受けるまでの努力行為である。

褒めるタイミングは、テストを受け終えた後がベスト。言葉は、「よくできたね」より、「よくがんばったね」が子供心に響く。極端な話、点数は見なくてもいいのだ。

「僕の教え子で小学低学年から外部の模擬試験を受けている子がいますが、テストを受け終えたら、親御さんはがんばったご褒美をあげているそうです。日曜日にわざわざ朝起きてテストを受けに行くという行為自体、小学生にとってはあまり楽しいことではありませんから。学校のテストも同様のようです」

とにかく、小学3、4年生までは点数にこだわらず、勉強のプロセスや自ら机に向かう行為をほめることで自己肯定感を高めることが先決だと、富永さんは強調する。特に難解な問題に挑む中学受験の場合、多くの子は高学年になると壁にぶち当たり、否が応でも自信喪失気味になるからだ。

■じっくり取り組める時間を持てるのは低学年

では、子供の自己肯定感をどのように育てればいいのか。

富永さんは、低学年のうちから親が次の3つの力を意識して伸ばす工夫をするといいという。それは、①計算力アップ、②図形センス磨き、③没頭体験だ。3つに共通するのは、時間をかけてじっくり取り組む作業であること。

いずれも、コロナの感染対策に追われて忙しい学校ではなかなか育めない。

「1~3年生の学校の算数では、本来、足し算、引き算、九九などを教わります。いずれも“やり方”を教えてもらってから、しっかり理解して早く解けるようになるまでには時間がかかりますが、今の学校では繰り返し復習する時間が限られています。そこで、日々の宿題や夏休みの宿題として課され、家で“補習”することが必須になります。ここで基礎を叩きこんでおかないといけません。中学受験組の場合、4年生からそうした初歩のテコ入れをしようとしても、受験対策のカリキュラムに追われるため時間はあまり残されていません」

◆低学年でやるべき算数①「計算力アップ」

中でも重視すべきは、「計算ドリル」だ。何ケタもあるような計算でなくていい。1ケタの計算だ。侮るなかれ、算数全般において、この1ケタ計算こそが最重要なポイントだ。

「複雑な分数や小数の四則計算も筆算も、答えを導きだす際に、1ケタの小さな計算を一つひとつ積み重ねていきます。繰り上がりや繰り下がり……ある部分の1ケタ計算が仮に6秒かかる子と1秒で解ける子とでは、回答までに5秒も差ができ、最終的な答えを出すまでにかなり大きな差になります。高学年になって慌てずにすむよう、低学年のうちに、1ケタの簡単な計算を一定量こなしておくべきです」

◆低学年でやるべき算数②「図形のセンスを磨く」

もうひとつ、算数の中でも壁にぶつかりやすいのが「図形」問題だ。

「例えば立方体の展開図を問われた時、立方体を見ただけで展開図がパッと見える子がいます。立方体が頭の中で組み立てられるわけですが、これはテクニックではなくセンスによるもの。このセンスは、数多くの“立体遊び”に触れることで養われます」

立体遊びとは、折り紙に始まり、レゴブロックを代表とするブロックや、立体パズルなど、工夫しながら何かを組み立てる遊びだ。実際、図形のセンスに優れている子は、立体遊びの経験量が多い傾向にあるという。

「例えばブロックでお城を作るにあたり、まずどういうお城にするのか、頭の中で描きますよね。そして次の段階でどうするか、左右対称にするにはどうすべきか、一生懸命考えます。これがすごく頭を使うとともに、上から見る視野、横から見る視野、裏側から見る視野も養われていくのです」

前出の富永さんの教え子も立体遊びの経験量が多く、今は図形が大得意。

「彼は、図形の問題集やドリルは小学一年生まで一切やっていませんでしたが、トイレットペーパーの芯を解体してみる、立体のパズルを何十種類もひたすら作ってみる、磁石で立方体や正六角形を作ってみる――といった実体験をたくさん積んでいたそうです。偏差値の高い中高一貫校では、折り紙部が作るものとレゴ部が作る作品が秀逸だと評判なのも、折り紙やブロック遊びが算数力につながるっている証といえます」

◆低学年のうちにすべき算数③「没頭体験」

立体遊びにも通じることだが、ただただ考える時間や、何かに没頭する体験も低学年時代に是非とも体験する必要があるという。

「4年生以降になると覚えないといけないことも増える上、中学受験をする子は受験対策や大量の宿題に追われ、集中したり思考したりする時間が限られてしまいます。工作でも折り紙でも、読書(図鑑・漫画含む)でも何でもいい。スタートからゴールまでたどり着くまでにひたすら考える“迷路”遊びでもいい。時間のある低学年のうちに、何かに没頭させて、集中力や思考力を養っておくといいでしょう」

この時、本人が黙々と取り組んでいる最中に親が答えを教える“横やり”は、タブーである。同じく、没頭できる趣味があるにもかかわらず、その時間を削ってまで、本人が嫌がる学習塾に行かせたり、没頭している最中に「食事の時間よ」「お風呂に入りなさい」などと声かけしたりすることも、場合によっては“横やり”になる。

「先ほど紹介した教え子とは別の子は、年長の終わり頃から公文式に通っていたそうですが、8カ月で退会しました。集中すれば15分程度でできる問題をダラダラと1時間半もかけていたので、スパッと辞めたのです。結果、大正解。彼は浮いた時間でブロック遊びに興じたり、図鑑を読んだりすることに没頭し、(前述のように)図形が得意になりました」

“1時間半のダラダラ勉強”より、“1時間半の集中遊び”の方が何倍も価値はあるのだ。

「集中ゾーンに入った経験をたくさん積んでいる子は、その力が勉強に転換されたら成績は間違いなく伸びます。仮に、好きなことへの集中力が100%だとすると、勉強にはその50%以下しか使えません。好きなことへの集中力をMAXまで上げておけば、いざ嫌なことに出会った時でもその半分くらいは出せる。だからこそ“絶対集中力”を高める経験を積んでほしいのです」

以上の3つの力は、学力とほぼ直結する。つまり、3年生の学期末まではこの3つの時間さえ優先させればいいわけだ。やるべきことは、シンプルだ。

[進学塾VAMOS(バモス)代表 富永 雄輔 構成=プレデントオンライン編集部]

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「から揚げの味が急変」60代認知症妻の大便済オムツを黙々と替える年下夫の乾いた涙

2021年7月22日 08:00 PRESIDENT Online

4年前に統合失調症と診断された60代の母親。薬のおかげで次第に症状は軽くなったが、別の問題が次々に発生。30代の娘は2人の幼子を抱えつつ、仕事を辞めて母親を在宅介護する父親を懸命にサポートするが、これでもかというほど困難が降りかかってきた。

【あらすじ】
現在30代の柳井絵美さんが60代の母親の言動がおかしなことに気がついたのは2012年のこと。「あいつら私を見張ってるのよ!」と家の近くの農道に路駐する車のナンバーをメモしたり、柳井さんを自転車泥棒扱いしたり。母親の妄想がエスカレートする中、柳井さんは結婚し、海外挙式を行うが、ハワイでも母親の妄想は改善せず、やっと2017年に心療内科を受診すると、統合失調症と診断された。

料理だけは続けていた認知症の母「から揚げの味が変わった」

2017年9月、統合失調症と診断された60代の母親は処方された薬を飲み始めると少しずつ穏やかになっていった。「昼間、ひとりで家にいると危険だ」と考えたらしく、毎日のように車で30分ほどのところにある自分の姉の家に出かけるようになった。

その途中、自分の姉に「今、宅配便のお兄さんに追跡されている。このままだとお姉さんの家がバレてしまう。バレないようにまいてから向かう」と電話を入れることもしばしばで、母親の姉は、母親の異常さを確信した。

柳井さんは伯母にこれまでのことをすべて話した。

2018年5月、母親は、数年間付き合いがなかった友人の家に突然押しかけたようだ。友人は母親の様子がおかしいことに気づき、家まで送り届けてくれた。どうやら母親は、行き方はわかったが、帰り方がわからなくなってしまったらしい。

お弁当を作り、コーヒーを淹れ、新聞を読む…すべてやめた

また、母親は買い物に行くとレジのピッという音や赤い光におびえるようになり、宅配に切り替えていた。

「母は昔から整理整頓が苦手な人。宅配を利用するようになって、毎回使い切れない量を頼んでいましたし、冷凍のものを冷蔵庫に入れて、よく食品をダメにしていました。私は母のことを、食品管理もできないだらしない人だ……と思っていました」

同年8月のお盆明け。母親は統合失調症を患いながらも長年続けてきた父親(夫)と妹(次女)の弁当作りを突然やめてしまう。また、これと同じタイミングで、毎朝の習慣だったコーヒーを淹れ、新聞を読むこともぱったりとやめてしまった。

夕飯だけは作り続けていた母親だが、異変があった。それは、得意のから揚げの登場回数が増え、その味も安定しなくなったことだ。から揚げ以外の料理も、食べ慣れてきた母の料理の味とは違うものになっていった。

実は統合失調症ではなく「意味性認知症」だった

11月になると、母親は現金や免許証、下着などを隠すように。自分で隠してどこに隠したか忘れてしまうため、「盗まれた!」「あのやろー! 勝手に家に入りやがって!」と口汚くののしるが、大抵の場合、犯人は母親自身。お金や下着が家のあちこちから見つかったが、不思議なことに、免許証だけは現在も見つからない。

2019年2月、統合失調症の薬に限界を感じた柳井さんは、脳神経外科を予約。1カ月待ってさまざまな検査を受けた結果、4月になって「意味性認知症」の診断が下りた。

意味性認知症とは、側頭葉に左右差のある萎縮があり、主に意味・記憶障害が起こる認知症のひとつだ。65歳未満で発症することが多く、左優位萎縮では「みかん」「桜」といった一般物品についての意味・記憶障害が現れ、右優位萎縮では人物についての意味・記憶障害が現れやすい。

脳外科医は、「初めから統合失調症ではなく、意味性認知症だったのかもしれません」と言った。その後、心療内科医と相談して統合失調症の薬をやめたが、問題は起こらなかった。

「70代で統合失調症を発症するのは珍しいと言われますし、母の問題行動が現れ始めたのもちょうど65歳くらいです。あのとき頭の画像を撮っていれば、認知症を早期発見できたかもしれないと思うと悔やまれます……」

家とは反対の方向に歩いていった母親が行方不明に

母親は要介護1と認定され、週3日デイサービスの利用を開始。

2019年3月には妹が結婚し、実家を出ていった。4月、柳井さんは職場復帰のために、長女をならし保育に預け、母親とランチに出かけた。

すると保育園から「熱があるようなのでお迎えに来てください」という電話が。母親に伝えると、「心配ね。早く行ってあげなさい」という。柳井さんは実家の近くで母親を車から降ろし、「ここで大丈夫?」と訊ねると、「大丈夫、大丈夫! 早く行ってあげて!」と手を振る。柳井さんは「ありがと! じゃ、迎えに行ってくる!」と母親と別れた。

去り際にバックミラーを見ると、母親は家とは反対の方向に歩いている。不審に思ったが、「いつもの自動販売機に飲み物でも買いに行ったのかな?」と思って保育園へ向かった。

長女を車に乗せると、柳井さんはだんだん母親が心配になってきた。母親の携帯電話にかけてみるが、出ない。実家の固定電話にかけてみても、出ない。「これはおかしい」と思った柳井さんは、仕事中の父親に電話をした。

「お父さんごめん。お母さんが行方不明になっちゃった」

父親は、「仕事にキリがついたら向かう」と言った。柳井さんは車で母親を探し回るが、どこにもいない。一度家に帰って長女の熱を測ると、少し下がっていた。水分を摂らせると、柳井さんは再び車で母親を探す。

警官「お母さんはもう、家にひとりでいるのは危険です」

母親と別れたのが13時ごろ。父親と合流した頃には、もう16時になっていた。2人で交番へ行き、警官に母親が行方不明になった経緯を説明する。書類を書いていると、父親の携帯電話が鳴った。会社からだ。

どうやら母親は、自宅ではなく、自分が生まれ育った実家に向かって歩いている途中で迷子になり、不審に思った人に交番へ連れてきてもらったらしい。母親の自宅と実家とは、8キロほど離れていたが、母親が保護されたのは、母親の実家まであと2キロほどの交番だった。

母親は交番で「女の人に車から降ろされた」と話し、自分の名前は言えたが、自宅の住所や電話番号は言えず、自分の実家の地域名を答えていた。かろうじて父親の会社名が言えたため、警官が会社に連絡し、会社から父親の携帯電話に連絡が入ったのだった。

柳井さんも父親も、母親の症状がここまで進んでいたことにショックを受けた。そして警官からの「お母さんはもう、家にひとりでいるのは危険です」という言葉で、父親は退職を決意。柳井さんは何度も「私のせいだ」と自分を責めたが、父親や妹のおかげで、何とか気持ちを立て直すことができた。

69歳の父親は土木関係の仕事を辞め、72歳の母親の介護に専念

2019年6月末、69歳の父親は、長年勤めた土木関係の仕事を辞め、72歳になった母親の介護に専念。

朝、昼の食事の支度と母親の服薬管理は父親が、洗濯・食器洗い・夕食の支度は2人目の子を妊娠していた柳井さんが担当した。

10月、柳井さんは次女を無事出産。

11月、母親は腰の痛みを訴え始めた。整形外科を受診し、MRIなどの検査を行うと、脊柱管狭窄症と診断。痛み止めと湿布を処方された。しかし一向によくならず、母親は激痛のために食欲も落ち、寝たきり状態に。

父親は、「痛そうでかわいそうだし、こんな状態では預かれないだろう」と言い、デイサービスはしばらくお休みすることにした。

12月、母親はデイサービスを3週間休み、その間、ずっと在宅で介護していた父親に疲労の色が濃くなっていた。母親はトイレにも行けなくなり、オムツを使い始めるが、それでもトイレには行きたがるため、父親は痛がる母親を支えてトイレまで連れて行く。寝たきり状態が続いたせいか、母親は意味不明なことを言うことが増え、昼夜逆転生活に陥っていた。

父親を心配した柳井さんが、デイサービスに相談すると、「お母様の状態に合った対応をしますので、預かりますよ」という。柳井さんも父親も、「もっと早くデイサービスに相談すれば良かった」と後悔。柳井さんは、生まれたばかりの次女の世話に必死で、両親のことを考える余裕がなかったことを反省した。

デイサービスの職員は、腰を痛がる人の介助を心得ていた。体を拭くだけで3週間入浴できなかった母親は、デイサービスで入浴させてもらうことができ、栄養バランスのとれた食事や最適なレクリエーションによって、顔色が良くなってきた。

看護師「余計なお節介だけど、お母さんは入院したほうがいい」

しかし母親は突然、38度を超える高熱を出し、柳井さんと父親はかかりつけの内科へ母親を連れて行った。内科では、抗生物質を処方され、点滴を打って帰宅。

それでも熱は引かないばかりか、高いときは39度を超える。

12月22日、父親は「病院に連れて行きたいけど、もうお母さんを起こすことができない。救急車を呼ぼうと思う」と電話をしてきた。柳井さんは急いで長女を保育園に預け、次女とともに実家へ。

母親はうつ伏せの状態で寝ていた。げっそり痩せて、柳井さんが話しかけても、ピクリとも動かない。悩んだ末に柳井さんがデイサービスに相談すると、デイサービスの職員が病院まで運んでくれることに。

デイサービスの職員の車とサポートでかかりつけの内科を受診すると、医師は、再び点滴して終了。柳井さんは「え? こんな状態なのにそれだけ?」と唖然とする。そんな様子を見たのか、診察室を出ると、2人の看護師さんが小声でこう言った。

「余計なお節介だし、ここまで言ってはいけないのは承知しているけど、お母さんは入院したほうがいい」
「異常な痩せ方でびっくりした。どこか入院できる施設に無理にでも頼んだほうがいい」

「つらかったね」母親への献身的な介護を医師に労われ、涙した父

柳井さんは驚きとともに、明らかにおかしい状態の患者を前に、紹介状さえ書いてくれない主治医に対して怒りがこみ上げてきた。すると送迎を請け負ってくれたデイサービスの職員が、「病院のアテがある」という。何とかその病院にかかって紹介状を書いてもらい、24日に大学病院へ予約を入れることができた。

その夜、柳井さんは母親のことが心配になり、娘たちを寝かしつけた後、実家へ向かった。

実家では両親とも寝ていたが、母親が目を覚まし、「絵美? どうしたの?」と声をかけた。

「お母さん大丈夫? 来週大学病院行けるからね。早く元気になってね」と答えると、柳井さんは涙が溢れてきた。それを見て母親は、優しく頭をなでてくれる。

柳井さんは号泣したくなるのをこらえて、「長生きしてね。孫たちが大きくなるのを見ててね」と言うと、「大丈夫よ〜。気をつけて帰りなさいね」と微笑んだ。

不思議とこの時の母親は、認知症になる前の母親のようだった。24日、クリスマスイブ。結婚して遠方で暮らす妹を呼び、2人の娘を預け、母親を大学病院へ連れて行った。

母親は待合室でも人の目を気にせず、「助けてくれ〜! 痛い〜! 早くしてくれ〜!」と大声を出す。30分ほどして問診や検査が始まっても、母親は叫び続けた。医師は父親と柳井さんに、約1カ月前から母親の腰が痛くなった経緯を細かく聞き取る。

診察の最後に医師は体を正面に向け、柳井さんと父親の目を見てこう言った。

「お父さん。お母さんの栄養状態がこんなに悪い中、褥瘡(床ずれのこと)がこの程度ですんだのはお父さんのおかげ! よく頑張りました! お父さんすごいよ! つらかったね。本当によく頑張りました!」

父親は黙って下を向き、涙を拭った。

母のオムツをうんちまみれになりながら一生懸命替えていた父

「父は、寝たきり状態になってしまった母のオムツを、うんちまみれになりながら一生懸命替えていました。正直、父がこんなに母の面倒を見てくれるとは思っていませんでした」

検査の結果、母親は「椎体椎間板炎」と診断。腰の筋肉に膿疱があり、脊髄も菌に侵されているとのことだった。

「最初にかかった整形外科医も、かかりつけの内科医も見逃した重大な病気がようやく明確になり、父も私も力が抜ける思いがしました。この病院に来ることができなかったら今頃どうなっていたか……」

柳井さんは背筋が寒くなった。

「オムツいじりが始まったので、介護服を用意してください」

母親は大学病院に入院すると、手にはグローブのようなものがはめられ、腹部はベルトでベッドに拘束された。母親が勝手にベッドから降りたり、点滴を抜いたりしてしまうのを防ぐためだ。

母親は「腰が痛い!」と言い出した辺りから、「イケメン!」「お姉ちゃんいい顔してるね! 素敵!」などと看護師など誰彼構わず褒めまくるようになっていた。

「認知症になる前の母は、口数が少なく、人前に出るのが苦手で、冗談など言うタイプではありませんでした。どんなに変わってしまっても私のお母さんであることには変わりないのですが、私はどうしても以前の母と比べてしまう自分と戦っていました……」

保育園が年末年始休みに入ると、柳井さんは生後2カ月の次女を病院まで連れて行き、待合室で父親に預け、長女は家で夫に預けて母親の面会に出かけた。しかしまだ2歳の長女は、柳井さんにべったりで、離れようとすると大泣き。それでも夫と2人がかりでなだめて出かけると、母親と面会している間も長女のことが気になって落ち着かない。結局足早に帰宅すると、今度は夫が不機嫌に。

「そんなイライラしないでよ!」と柳井さんが言うと、「そっちだってイラついてるだろ!」と夫。

気軽に「母の面会に行きたい」と言い出せなくなってしまった。

2020年1月、インフルエンザにかかった父親に代わって伯母と面会へ行くと、母親はうんちをしたオムツを自分で外し、振り回していた。翌日看護師から「オムツいじりが始まったので、介護服を用意してください」と声をかけられる。

柳井さんは初めて聞く「介護服」をインターネットで検索し、購入した。

白髪と骨と皮ばかりのやせ細った母親の背中

2月、母親は車椅子で散歩ができるまでに回復。柳井さんが車椅子を押して外に出ると、母親はご機嫌だ。一方で柳井さんは、白髪と骨と皮ばかりのやせ細った母親の背中を見て、悲しくなった。

「私は高校の頃、荒れていて、毎日のように母とケンカしていましたが、こんなに痩せた母では、もうケンカもできません。本当は泣きながら、『お母さん! 弱っていかないで!』と、母にすがりつきたい気持ちでいっぱいでした」

2月末、感染拡大し始めた新型コロナの影響で面会謝絶に。父親は、母親の退院後の在宅介護に備えて、断捨離を始める。母親は、要介護5と認定された。

3月、退院に向けて看護師やソーシャルワーカーとの話し合いが持たれ、看護師やソーシャルワーカーは施設を勧めたが、父親が「デイサービスやヘルパーを利用しながら在宅介護する」と言うので、母親は自宅に戻ることに。

母親の妄想から長年換気をしなかった築30年の実家は、あちこち傷んでいた。父親が退職して掃除や換気を行うようになり、だいぶ改善されたが、居間にあったピアノを査定に出したところ、業者に「カビやホコリがすごいのですが、長年倉庫にあったものですか?」と言われた。

ピアノ買い取り業者の言葉でエアコンの中が気になった柳井さんは、母親の退院前にクリーニングを依頼。そして3月24日、母親は自宅に戻った。

父親を他人だと言う母「男の家には泊まれない」

初めはケンカばかりだった父親による母親の在宅介護は、1カ月も経つと手慣れたものになっていた。

4月になると、緊急事態宣言が発出され、柳井さんの長女の保育園が閉鎖。柳井さんは、娘たちを連れて実家へ行き、一日中父親のサポートをした。

ある夕食時、父親がビールを飲んでいると、長女が「じーじのビール、く〜だ〜さい」と言い始め、父親や柳井さんが何度ダメだと言っても聞かない。すると突然「あ〜、うるせ〜!」と言いながら母親が長女の頭を叩いた。瞬間、柳井さんも父親もフリーズ。長女が泣き出すと、柳井さんは「お母さも、そのくらいで叩かなくても……」と言った。

しかし母親は、「うるせーからしつけ!」と平気な顔だ。

「ショックでした。腰の病気をする前までの母なら、絶対にしません。娘が叩かれたことよりも、母の認知症の進行を感じた悲しさが大きかったです。正直『こんな母、嫌だ』と思いました」

5月、母親は突然「家に帰る!」と言い出し、玄関で急いで靴を履こうとして、頭を床にぶつけてしまう。父親から連絡をもらい、娘たちを寝かしつけてから駆けつけた柳井さんは、何とか母親を落ち着かせたが、6月になると母親は、まばたきをパチパチ繰り返し、呼吸する間も惜しむように喋り続け、献身的な介護を続ける父親を他人だと言い、「男の家には泊まれない! 実家に帰らなきゃ!」と言って家を出ていこうとするように。

認知症の薬が増量されていたことが発覚

医師に相談すると、認知症の薬が増量されていたことが発覚。以前の量に戻して1カ月経つと、落ち着きを取り戻した。

8月になると、母親は顔つきに覇気がなく、着替えができないばかりか、立つこともできず、トイレに行きたいとも言わなくなる。柳井さんや父親が何を言っても、「いや〜、何だか今日は何言ってんだかさっぱりわからねぇ」と何度も繰り返した。

その変化に父親まで不機嫌になり、柳井さんに当たってくる。

「お父さんがきつくなる前に施設も考えて、調べたり見学行ったりしないと……」と柳井さんが言うと、「わかってるよ! 少し様子見てちゃんと考えるから!」と父親。柳井さんは10月で復職する予定だ。そうなれば両親をサポートできる時間は減る。柳井さんは内心焦っていた。

2021年1月、「母親はもう息をしていなかった。73歳だった」

2020年9月、母親は微熱が続き、嚥下機能が落ち、意識混濁状態に。脳神経内科を受診すると、そのまま入院に。さまざまな検査の結果、なんと、余命4週間〜6週間と宣告される。

医師は、「お母様は普通の方と比べて頭の中の水分量が多く、うまく循環できていません。水頭症の状態です」と説明。髄液を採ったところ、がんの数値を示すCEAが高く、がん性髄膜炎の可能性が高いが、がん性髄膜炎は治療ができないという。

「がんを特定するには詳しい検査が必要になってきますが、お母様の体力では難しいと思います。治療ではなく、今後どのように過ごされたいかをご家族で決めてください」

この日から、父親はすっかり元気をなくしてしまった。

10月で1歳になる次女は、10月入園では保育園に落ちたが、11月入園という形で合格の連絡がきた。11月、転院が決定。母親は誤嚥を避けるため、経鼻経管栄養に切り替わった。

12月、柳井さんは職場復帰。

そして2021年1月、正午過ぎに母親の入院する病院から緊急電話があり、上司に事情を話し、会社を飛び出す。コロナ禍のため、体温測定や消毒、帽子やエプロンの装着を終えて病室に入ると、母親はもう息をしていなかった。73歳だった。

「お母さんありがとう! よく頑張ったね!」

まだ温もりの残る母親に、柳井さんは何度も声をかけた。

「ありがとう」「幸せだよ」そう言われることにさえイラつく

柳井さんは、病気の母親を、そして母親を介護する父親を懸命に支えてきた。幼い2人の娘を育てながらの通い介護は、想像に絶する苦労があったに違いない。

「母は、言ったことをすぐ忘れてしまうため、何度も何度も『ありがとう』『お母さんは幸せだ』と言ってくれました。当時はその言葉にさえもイラついてしまったことがありましたが、亡くなってしまった今となっては、母を介護できて良かったと思わせてもらえる言葉です」

父親は、母親が亡くなってから意気消沈し、毎日泣いて暮らしていたが、1カ月ほど経った頃、ようやく笑顔が見られるようになってきた。

「どんな形であれ、その人を思い、考え抜き、対応したこと全てが介護だと私は思っています。私は最初、恥ずかしくて母のことを誰にも相談できませんでしたが、相談することで、とても楽になることを知りました。また、どんなに家族が大事でも、自分が壊れては元も子もありません。ダブルケアの中の自分時間がいかに大切か、実際に経験してわかりました」

70歳になった父親は耳が遠く、高血圧と言われているが、他は健康だ。

「コロナが落ち着いたら、母にはしてあげられなかった旅行を父にプレゼントして、私と妹の家族とで行きたいと思います」

近年、介護のキーパーソンに介護の負担が偏るケースが少なくないが、柳井さんの場合は姉妹仲も悪くなく、父親がキーパーソンを買って出たことで、うまくバランスがとれていた。父親はなるべく娘たちには頼らないようにしてきたし、柳井さんは主介護者の父親を尊重し、離れて暮らす妹には逐一現状報告。遠方に住む妹は月に2回は面会に来ていたほか、両親を優先し、突発的な事態にも最大限対応した。

おそらくこの先、父親に介護が必要になったとしても、柳井さん姉妹ならうまく切り抜けられることだろう。

[ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂]

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「払わせた家賃は総額1560万円」13年で7人に寄生した31歳早大卒男性が働かないワケ

2021年7月22日 08:00 PRESIDENT Online

1989年生まれのふみくんは、自身は働かず彼女に生活費を負担してもらう「ヒモ」生活を13年間続けている。なぜ働かないのか。ふみくん『超プロヒモ理論 浮いた家賃は1000万、寄生生活13年の逃げきり幸福論』(二見書房)から一部をお届けしよう――。

予想外のコメント「こいつはヒモとは呼べない」

浮かせた家賃は1000万円超。衣服などの生活必需品から仕事で使うパソコン、ゲーム機の娯楽品に至るまで、そのほとんどは女性からのもらいもの。

僕は人生で一度も会社に勤めたことがなく、早稲田大学在学中からこれまでずっと女性に助けられて生きながらえてきた「ヒモ」です。

しかも「お前の生活態度はクズだから特集を組もう」と知り合いのライターさんにいわれてはじめて「ヒモ」を自覚したので、いわば「ナチュラルボーンヒモ」、よりタチの悪いヒモでもあるのでしょう。

そのライターさんが書いてくれた僕のヒモ生活の記事がYahoo!ニュースで発表され、どんな罵詈雑言が浴びせられているのか、おそるおそるコメント欄をのぞいたら、

「こいつはヒモとは呼べない」
「これは主夫」

など、予想に反して肯定的なコメントが多く、僕はますます自分が何者なのか混乱することになりました。

ヒモになった経緯やなぜ彼女が変わってもヒモ生活を送ることができるのか、これまでの例も出しつつ長い自己紹介をしようと考えているのですが……。

そもそも「ヒモ」とは、「プロヒモ」とはいったいなんでしょうか?

家事はするが、主夫ではない

大前提としてこの記事における「ヒモ(僕の場合)」を定義することにします。

大辞林第三版によれば「ヒモ」とは、

女を働かせ金品をみつがせている情夫を俗にいう語

だそうです。

僕は「同棲する彼女の給料で家賃を払って借りる家」に転がりこんで生きています。

彼女との外食でのお会計のときにも、僕は「ワォン!」と電子マネーの決済音をまねることしかしません。

たしかに僕は辞書的な意味の「ヒモ」にあてはまるような気もします。

しかしややこしいのは、僕が世間一般のイメージ、たとえば同棲している女性からむしりとったお金をギャンブルに使い、あげくダークネスな商売に突きおとす……といったヒモではないことです。

「お金をくれ」
「貢いでほしい」

などといったことも一度もありません。正直に白状すれば借金は頻繁にしますが、ライター業を細々とこなすことで自分のおこづかいは自分で稼いでいます。

「これは主夫」のコメントのとおり、朝・晩の食事はもちろん、彼女がお昼に会社で食べるお弁当も作ります。掃除・洗濯の家事のほか、駅までのお見送りやお迎え、会社での愚痴を聞くことも僕の日課です。

そのような行動だけを見れば、たしかに主夫のようにも思えますが、結婚をしたことは一度もないので(いまのところは)主夫でもないでしょう(専門的に家事をやる人に対し、なぜ性別を強調するような名前をつけるのかもわからないので、正直主夫と呼ばれることにも違和感をおぼえています)。

彼女に「買ってあげようか?」ときかれる

また主夫とちがい、「ヒモ」は職業ではありません。彼氏のいち「状態」であるように思います。

なので、正確に僕を表現するとこのようになります。

“同棲をしたうえで、女性が働くかたわら家事で彼女をサポートすることを得意とし、屋根・壁代を払わずにすんでいる彼氏”

ここでは、そういった状態の彼氏(僕)を「ヒモ」と定義することにします。

また、自分自身をヒモ状態であると説明することにも合点がいっています。「ヒモ」という言葉自体に「不当に得をしている」イメージがついているからです。

家賃・光熱費といった生きるうえで絶対に必要となるお金をこれまでずっと払わずに済んできたほか、彼女と買い物に行った際には服を試着するたびに、「買ってあげようか?」ときかれるシーンを切りとって見ても、やっぱり普通の「彼氏彼女」の関係ではなく、僕が「ヒモ状態」であることがわかります。

ときに「私のお金で海外留学するか?」なんて血迷った提案をされることもありますが、いずれの場合も僕は極力拒否をします。

それはやはり、

「ヒモの僕がいうのもおかしな話だが、お金の使い方を考えてくれ! エコノミーな僕を長く飼ってくれ!」

と強く思っているからです。

彼女を何度変えてもヒモでありつづけた

まったく苦に思わない家事をやることで会社に行かずにすむうえ、生きるうえでの必要経費がかからずに生活できてしまえることは、やっぱり少しズルい生き方であるという自覚はあります。

それでは、「プロヒモ」とはどういうことでしょうか。

「プロヒモ」に対し「アマヒモ」がいるわけでもありません。

「これまでとは一味ちがうヒモだぜ!」と強調したかった理由による造語にほかなりませんが、なにが「一味ちがう」のでしょうか。

僕は、「当方ボーカル、それ以外募集」と音楽になにも造詣がないのにもかかわらず武道館でのライブを夢にかかげたり、パチスロに行ったりすることが日課のイケメンでもありません。

みなさんが想像されるテンプレートなヒモ像とも異なりますが、それは別に「プロ」と呼ぶための材料にはならなそうです。

ヒモは一人の女性に「ベタ惚れ」させ、切っても切れないドロドロした関係のなかで女性に養われているような印象があるかもしれませんが、僕は彼女を何度変えてもその女性の家に転がりこみつづけることに成功してきました。

それだけ「モテる」といいたいわけではありません。

何度も経由してきたということは、それだけ「フラれてきた」ことも意味するのです。

最後は「お前との未来が見えない」「待てども待てどもお前は会社に勤めない」と結構あっさりと関係は終わってきました。

それでも飼ってくれそうな女性を見きわめ、その人の家に寄生しつづける努力だけは惜しまなかったことで、次の飼い主がまえの飼い主の家まで車で僕を迎えにきたこともあります(まるでペットの引きわたしと変わりません)。

ヒモ生活で浮かせた家賃は1560万円

さらには浮かせたお金の額にも「プロ」が見いだせるかもしれません。

女性の家によっても異なりますが、家賃は6万~22万といったところでしょうか。プラス光熱費と食費が13年分浮いた計算になります。これまでの寄生先を順に並べると、こんな感じです。

1軒目 所沢のマンション 家賃7万円
2軒目 明大前の木造アパート 家賃6万円
3軒目 勝どきタワマン 家賃22万円
4軒目 上野のマンション 家賃12万円
5軒目 松戸のマンション 家賃8万円
6軒目 中野のアパート 家賃6万円

紆余曲折あり、いまは沖縄の家賃7万円のマンションに住んでいます。光熱費をふくめ平均約10万円が毎月浮いたとして、12カ月が13年なので……、10万円×156カ月=1560万円くらいでしょうか。

これ、ひと財産ですよね。

とはいえ具体的な家賃を聞いたことも、金額を数えていたわけでもありません。

取材のときに初めて計算し、だれよりも自分が一番驚きました。

そんな金額、口座にマックスで20万しか入ったことがない僕からしてみれば天文学的な数字です。ゲームやテレビ番組以外で見たことがありません。

他人事のようですが、僕自身「プロヒモ」とはなんなのかわかっていません。

理解してもらいやすいように自称していますが、僕は「ヒモ界で天下をとってやる!」なんて誓ったおぼえもありません。

自分自身「ヒモの強い版」くらいにしかとらえていないのです。

人生の「嫌なこと」から逃げつづけた

なぜ僕は、このようなヒモ生活に至るようになったのでしょうか。

あたりまえのことですが、ほとんどの人にとってみればヒモは架空の生き物です。

マンガやドラマなど作り話で見かけることはあったとしても、そうそう周りにいるものではありません。ヒモであることを公言しているヒモも少ないので、見つけることも難しいと思います。

僕自身、好奇心から……またお説教の前フリとして……「なんでヒモになったの?」と周りからたずねられることも非常に多いです。が、正直なところわかりません。

小さいころからヒモになりたい願望を持っていたわけではないですし、「ヒモになって楽してやるぜ~!」と思ったこともありません。

振りかえって考えると、人生におけるさまざまな「嫌なこと」から逃げつづけた結果ヒモ生活に漂流していた。そう表現することが正しいように思います。

定刻に決まった場所に行くことがどうしてもできなかった

僕をヒモ生活にいざなった「嫌なこと」があります。

なにか明確なできごとがあったわけではないのですが、僕は幼いころからずっと「同じ場所に同じ時間に行くこと」に対してものすごい抵抗を感じて生きてきました。

会社勤めこそしたことはありませんが、まったく働いてこなかったわけではありません。いまはライターのフリをしていますが、放送作家見習いをしていた時期もあります。

放送作家はひとつの番組にかかわると週に1回必ず定例会議があるのですが、その1回ですら僕にとっては「嫌なこと」でした。

会議は1週間のうちの2~3時間くらいなので会議自体に強いストレスを感じていたわけではありません。

会議が終わった瞬間、次の会議が定刻に予定されていることが僕にとっての「嫌なこと」でした。次回の会議が近づくにつれ、なぜ「心的拘束給」が発生しないのか疑問に思うくらいに気が重くなってしまうのです。

つまり、週1の定例会議に苛まれる時間は会議そのものが行われる2~3時間ではなく、僕にとっては1週間まるまるでもあるといえるのです。

1週間にひとつでも定刻に決まった場所に行かなくてならない状況では、長期海外旅行にも出かけられません。

無尽蔵にお金があるわけではないので実際にはそんな頻繁に海外旅行ができるわけでもないのですが、僕のむこう1週間に楔めいたものが打ちこまれ、行動の選択肢が減ってしまうことにストレスを感じるのです。

そんな僕が会社勤めをできるはずもありません。運よく会社に入れたとしても2日もたなかったんじゃないかな? と考えています。

企業側だって、「社会人の基礎の基礎が無理なんです」なんて人間を雇いたいとは思わないでしょう。

発端は幼少期に行かされた学習塾

振りかえれば僕は、幼稚園から大学までまともに通えていた時代がありません。

高校3年生のときなど朝のホームルームから帰りのホームルームまでいた日数は6日でしたし、大学も卒業までに7年を要しました。

これまで30種類くらいのアルバイトを転々としてきましたが、どれも長つづきしませんでした。ステーキハウスに居酒屋、ファストフード店の飲食業で働いていた時期もあれば、交通量調査員としてカチカチカウンターを押していた日もあります。早朝に銭湯浴場を清掃したあと、建設現場で鉄筋に付着したコンクリートをかたっぱしから破壊していた夏もあります。

東北地方まで木の高さを測りに行き、「この作業のどこにお金が発生しているのか」疑問に思いながら獣道を長靴で歩いたこともありました。

内容はどれも面白かったのですが、結局同じところに同じ時間に行くことに耐えられなかったがためにやめてしまったのでした。

「同じ場所に同じ時間に行く」という、みんながあたりまえにできることがなぜ僕には できないのでしょうか。

いまさら幼いころの教育環境に原因を追及するつもりもありませんが、同じ場所に同じ時間に行かされることをはじめとする「あたりまえ」に拒否反応を示しはじめたのは、幼少期の学習塾が発端でした。

いわゆる教育ママの元に育った僕は、2歳のころから公文式に通わせてもらっていました。

絵を描くことが好きな子どもだったこともあり鉛筆や紙にはなじんでいたはずなのですが、入塾前に渡されたペーパーテストに、

問 点Aから点Bまで線を引っ張れ

という指令が書かれていたことに、ものすごく窮屈な気持ちになってしまったのです。ものごころつくのが早かったからか、なにかその紙に「義務感めいたもの」を感じたうえに

「この線を引っ張ってしまったらこれから先、厄介な紙がたくさんやってくる」と直観的に感じとってしまいました。

「僕サラリーマンむりだわ!」と4歳で悟る

その場で泣きだした記憶こそありますが、なんせ2歳でしたので「お母さん、息子の意志を尊重してくれ。むしろペーパーテストを疑問視するこの姿勢に賭けてみよう」などと切りかえすこともできず、結局僕は公文式に通うことになりました。

ここでも勉強する内容自体を嫌いになることはなく、ほめられることがうれしくて算数も国語も漢字の書きとりもどんどんすすんでいきました。

転機は4歳のときでした。学習塾からの帰り道、「僕サラリーマンむりだわ!」と突如天啓のようなものが降ってきたのです。

マセていた僕は、大人は月から金の間、同じ時間に同じところに通う生活を送っていることを知っていました。そして決められた毎日がつづくであろうこれからの将来に対してえもいわれぬ不安が襲ってきたのです。

月曜と水曜に必ず学習塾に行かされていることと、2歳のころの直感的な「義務感めいたもの」が同じ違和感として重なったのだとも思います。

皆がお遊戯をしているのをのぞき見る不気味な幼稚園児だった

これから増えていく「義務」からどう逃げるかで頭がいっぱいになり、自分の意思に反する「やらなくてはいけないこと」にこのときから抵抗していくことになりました。

幼稚園はバスが迎えにくるため登園から逃れることはできませんでしたが、お遊戯に参加した記憶はありません。

「一挙手一投足、指示通りに動かなくてはいけない」こと、それを「疑問なく受け入れる」周りに異様な不気味さをおぼえ、裏山に逃げかくれお遊戯がすすめられていく教室をのぞき見る不気味な園児でしたが、小中高と学校生活自体にはなにも不満を感じていませんでした。

たくさんの習いごとをさせられていた僕は、習いごとの数だけ「つづける/逃げる」の判断を行う訓練もくりかえしていました。

毎週長時間の活動をするボーイスカウトに入団させられそうになれば、「この服を着たくない」とはねかえし、英語教室に通わされれば「あそこにはお化けが出るから行きたくない」など、嫌な習いごとにはありとあらゆる方向から抵抗の姿勢を見せてきました。

しかし、好きな習いごとはつづけられた

なかでも逃げに逃げたのは剣道です。毎週日曜早朝6時に道場に行き、2時間の座禅をしたあとは道場の掃除を1時間、昼まで稽古……。

子どもの精神を鍛えることに重きをおいた剣道場は真心から子どもの成長を願う先生たちが運営していましたが、こんなきついこと、僕に耐えられるはずがありません。

取りたてていいわけをするでもなく、「きつい! 無理! やめる!」と伝えたところ、母からは「やめたいなら自分の口でやめることを伝えなさい、それが武士道」との答え。

まったく話が通じていません。僕はあの道場になんとしてでも近づきたくないのです。

苦肉の策で僕はやめる旨を手紙に書き、道場の戸口にはさむことにしました。

生半可な言葉では「たるんでる!」と連れもどされてしまうかもしれないため、「まったくやる気がありません! つづける気力がまるでなくてごめんなさい!」と強気の逃げメッセージを記したことをおぼえています。

「どうか僕を見捨ててほしい!」という願いは先生の心をくじき、電話がかかってくることもなく無事見放されることに成功しました。

「そんな逃げてばっかじゃロクな大人になれない、あなたより小さくてもがんばっている子もいるのに……」なんて母親に嫌味もいわれましたし(事実ロクな大人に育っていませんが)、水泳やお絵かき教室など好きな習いごとはいっさいやめようとは思いませんでした。

僕にとってみれば、嫌なことをつづけるよりも、好きな習いごとをすることや友達と遊ぶことの方がよっぽど重要だったのです。

やるべきことから目を背けることにまったく抵抗を感じなかった

中学高校も「なにかに青春を燃やした」経験がまったくありませんし、大学受験も本当は美大・芸大に行きたいという希望を持っていましたが、入試科目のデッサンを乗り越えることもデッサンの練習を毎日つづけることも不可能だと自覚しリタイア。

母の「早稲田以上の大学ならお金を払う」という言葉に、「タダで4年間のモラトリアムを手に入れられる」とそのとき取りうるもっとも楽な道と感じての大学進学でした。周囲の異様にギラついた雰囲気になじめず受験塾には1年で2日しか行きませんでしたし、大学も所沢キャンパスへの往復4時間の通学時間に心がくじけ、早々に通わなくなりました。

大学卒業後もヒモ生活を続行しつつ、しばらくは放送作家事務所でリサーチ業務やバラエティ番組で出題される簡単なクイズを考えたりイベント現場に行ったりしていましたが、テレビ番組の会議の見えざるタテ社会の窮屈さにたえられなくなり、事務所通いも長くはつづきませんでした(テレビ局の人間、製作会社やフリーの放送作家が数十人集まってすすめられるのですが、あまりに大人数のため、だれが偉いかわからない……。大人を叱る見えない「大大人」のような見えざる大きな存在にビクビクしながらすすめられていくんです)。

そんな生活をしていれば、普通は「このままではマズい」とどこかで思い立つのだと思います。僕も「このままではマズい」と思うタイミングがやってくるものだと考えていました。

しかし、僕は部活で汗を流しているクラスメイトや就活生に囲まれながらもボンヤリしつづけることだけは筋金入りでしたし、やるべきことから目を背けることにまったく抵抗を感じませんでした。

ヒモ生活は“あるべき像”から逃げつづけた結果

さらに「このままではマズい」と思わなかった僕ですから、計画性だってありません。

「その日を自分なりに楽しく終えられればいい」ということだけを念頭に生きてきた結果、僕は自分がストレスに感じない家事能力などを必要とされる人に使うことで居場所をつくりだす生活スタイルに流れつきました。

世間ではこの生活を「ヒモ」と呼ぶということを知ったのは、他人から指摘を受けたあとのことです。

教育ママの意向むなしく、

「母のいうことを守って勉学に励み、いい大学に行き、大企業に勤める」

“あるべき像”から逃げつづけるようになった僕の姿勢は、ある種現実逃避をする引きこもりにも通ずるものがあるかもしれません。

しかし、大学卒業後も実家に居れば会社に勤めていない僕のもとに、母親から毎日のように就職情報が届けられることも安易に想像できたので、家の中にこもりきる生活もストレスに感じてしまいそうです。

「嫌」を発端とする原動力が内向きに現れ「ひきこもる」のではなく、僕の場合は女性の家に「出ずっぱる」。単に外に向く力として現れただけなように思います。

どうすれば悔いなく生きられるか

こんな生活をいつまでもつづけることはできないのかもしれません。しかし計画性も皆無な僕は、人生設計など考えたこともありません。

「人生を悔いなく生きろ!」とよくいいますが、僕も本当にそのとおりだと思います。しかし、この言葉を真正面から受け止めるなら、「どうすれば悔いなく生きられるか」を自分で判断したり、都合よく解釈したりすることも同じくらい大事だと思っています。

僕の場合は、本来なら通過しなければならなかった雑事から逃げきることができれば、死ぬ直前に悔いがないような気がしているのです。

[プロヒモ ふみくん]

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「なぜ勉強したほういいのか」本当に頭のいい人だけが知っている"シンプルな答え"

2021年7月22日 08:00 PRESIDENT Online

なぜ勉強しなければいけないのか。東京大学法学部を「オール優」で卒業した山口真由さんは「勉強をすれば、そのぶんだけ活躍できる場所が社会には用意されている。勉強ほどコスパがいいものはない」という。セブン‐イレブン限定書籍『東大首席が教える 賢い頭をつくる黄金のルール』からお届けする――。

※本稿は、山口真由『東大首席が教える 賢い頭をつくる黄金のルール』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

勉強が苦痛なのはあたりまえ

世の中に「勉強が好きな人」は、いったいどのくらいいるのでしょうか?

「勉強が好きなのね」と小さいころから言われ続けてきたわたしは、身もふたもない実感として「勉強はとくに好きではないな」と思っています。だって、勉強より楽しいことは、世の中には山ほどありますから。遊んでいたほうが楽しいに決まっています。

だからこそ、勉強が嫌いだったり苦痛を感じたりしている人に、わたしは強く伝えたい。

「勉強は楽しいものではない」と。

むしろ、これを認めないと、面白くもないことを続けることはできません。もちろん、勉強をしていて難しい問題が解けた瞬間や、知的好奇心が広がっていく感覚を楽しいと感じるときはあります。

でも、それはあくまで一時的なもの。勉強の大部分は、覚えるべきことをひたすら覚え、同じルーティンを繰り返していく、まさに忍耐の連続です。そんな勉強に苦痛を感じるのは、むしろ正常で、あたりまえの状態だと思いませんか?

では、いったいなんのために、人生の貴重な時間を費やして、楽しくないことに延々と取り組むのでしょうか?

それは、「目標を達成するため」です。

苦しい勉強に時間を費やす自分に思い悩むのではなく、そのように割り切ってしまう気持ちこそが大切です。

「面白くもない」勉強をどう続けるか

勉強は手段に過ぎない。

わたしは、いつもこのように考えて勉強を続けてきました。あくまで、自分が設定した目標を達成するための手段と割り切っていたのです。だからこそ、つねに最小限の勉強で目標を達成できる方法を模索し、それを実践してきました。

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、かつて「目的合理的行為」という概念を提唱しました。これはある結果を得るために、最適な手段を取ることを指します。

これと対比されるのが、「価値合理的行為」という概念。結果はどうであっても、自分の信条などに従って行動することを指します。

そして、この概念でいうなら、わたしはつねに「目的合理的」に勉強を続けてきたといえます。勉強が好きではなかったわたしは、このように考えないと、面白くもない勉強を続けることなんてできなかったのです。

もちろん、これはどちらが良いか悪いかという話ではありません。「価値合理的」に勉強ができるなら人生や生活はきっと充実するし、学問に魅せられて研究者を目指す道が拓かれるかもしれません。

だけど、わたしと同じように、勉強が面白く感じられなかったり、挫折しがちだったりする人がいたら、「勉強は手段に過ぎない」と声を大にしていいたい。

勉強を「目的合理的」にとらえたときにはじめて、勉強の方法も戦略も変わります。

いかにして、最大の成果を上げるか。

これがわたしの勉強に対しての考え方なのです。

勉強は「コスパ最強」

「勉強は好きではない」「楽しくもない」「手段に過ぎない」と書いてきましたが、勉強には、良いところももちろんあります。

それは、取り組んだぶんだけの成果が手に入る点です。猛烈に勉強したらすごい結果が出るだろうし、より大切なのは、ほんの少しの勉強でも、一歩ずつ前へと進んでいけることです。

たとえば、音楽やスポーツなどは、プロとして稼いで裕福に生活していけるのは上位5%程度の厳しい世界。でも、勉強は活躍できる裾野が広く、勉強さえしていればがんばったぶんだけなにかが確実に手に入ります。

つまり、たとえ勉強で上位5%に入れなくても、勉強したことが無駄になることはないのです(もちろん、音楽やスポーツの分野でも、上位5%に入れなかったからといって、それまでのすべてが無駄になるわけではありませんが)。

勉強はオール・オア・ナッシングではなく、社会にさまざまな受け皿があります。そのため、社会で生き抜いていくためには、じつは勉強はかなりコストパフォーマンスが良い方法だと見ることができます。

なにごとも、将来の目標をしっかり持っていれば、努力を続けていくモチベーションになります。でも、ぜひみなさんにお伝えしたいのは、たとえその目標に勉強が必要なさそうに思えても、勉強はしておいたほうがいいということです。

勉強がいつ役に立つのかは、人それぞれです。もちろん、受験や就職だけに役立つものではありません。勉強で得た知識そのものが役立つこともあれば、考える力や課題解決力、分析力、計算力など、人生のあらゆる場面において勉強した経験は役に立ちます。

勉強をすれば、そのぶんだけ活躍できる場所が社会には用意されているのです。

ハーバードで見た“本物の秀才”たち

数年前、わたしが自身の勉強法(「7回読み」勉強法)を提唱したとき、こんな声をたくさんいただきました。

「7回も読めないよ」
「教科書を読むこと自体がつらいんだよ」

たしかに、勉強に慣れていなかったり、目的があいまいだったりすると、退屈な教科書を読む作業は苦痛かもしれません。わたしも、英語で「7回読み」に挑戦したとき、はじめてそのことを思い知りました。

「人によっては負荷の高い勉強法なのかも……」

そう思って、不安になりかけたこともあります。

でも、いまでははっきりお伝えできることがあります。それは、どんなアプローチだとしても、努力や勉強に「楽な近道」はないということ。

このことを証明する光景に、わたしはハーバード大学院で出くわしました。そこにいる学生たちは、世界中から集まった秀才ばかりです。しかし、そんな彼ら彼女らでさえ、少しでも暇があれば、教科書をぼろぼろになるまで繰り返し読んでいたのです。

芝生に寝転びながら、ジムで自転車をこぎながら、授業に備えて飽くことなく教科書を読みふける姿を目にして、わたしは「やっぱり勉強に近道なんてないんだ」と再認識できました。

大きな結果を出すのは、けっして要領良く点数を稼ぐような人ではありません。

時間をかけて、努力し続けた人が、最終的に伸びていくのです。

高校時代の教訓……勉強法は「命綱」だった

努力を続けていても、勉強の成果はスムーズに上がり続けることはありません。まるで上り階段のように、途中に必ず「踊り場(停滞期)」があります。

がんばっても、なかなか成果が現れない踊り場にいると焦ります。

そんなときに限ってまわりの人が気になるもので、「あの方法がいいのかも」とつい他人の勉強法に手を出しがちになります。

じつは、わたしにもそんなことがありました。高校生のときに成績が停滞し、自信を失って「7回読み」勉強法をやめたときがあるのです。「7回読み」勉強法は教科書などを丸ごと頭に入れていく方法ですが、それをやめて、応用問題を解いていく方法に切り替えました。

結果はさんざん。停滞どころか、成績がどんどん下がっていきました。わたしはこのとき思い知りました。

「勉強法は、命綱のようなものかもしれない」

人には、それぞれ自分に合った命綱(勉強法)があります。たとえ、上に登れないからといってそれを手放してしまうと、無残にも落ちていくだけなのです。

自分の勉強法は、変えてはいけません。改善することは必要ですが、停滞していても信じて続けることが大切。やはり、勉強は反復と継続に尽きるのです。

自分だけは、努力した自分を否定しない

努力すると、少しずつでも前へ進んでいけますが、そのことと他人からの評価はまた別のこと。自分の努力と環境とのタイミングが合わないときもあれば、まわりの人から完膚なきまでに努力を否定されることもあります。

わたしにも、そんなことがたくさんありました。わたしのような「努力型」の人間にとっては、努力を完全に否定されるのは人格を否定されることに等しく、しばらくのあいだは絶望感に襲われます。

「これ以上は、がんばれないんじゃないか」
「あきらめてしばらく休もうかな」

そんなことを思ったときもあります。

それでもわずかに残った力を振り絞って、なんとか進んできました。なぜなら、そんな自分の努力にいちばん期待していたのは、まぎれもないこの自分自身だったからです。

ここまで読んで、「わたしも努力して生きていこう」と思ってくださった方に、ぜひ伝えたいことがあります。それは、誰が否定してこようとも、自分だけは、努力をした自分を否定してはいけないということ。否定した瞬間、自分の歩みは完全にとまります。

誰もあなたの足をとめることはできません。最終的にとまることを選択するのは、やはり自分自身なのです。

努力するということは、自分の足で一歩でも前へと進んでいくという、無言の「意志表明」なのでしょう。

[信州大学特任教授/ニューヨーク州弁護士 山口 真由]

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営業コンサルがあえて伝授「迷惑な営業電話を一発で撃退する"鉄板フレーズ"」

2021年7月22日 08:00 PRESIDENT Online

迷惑な営業電話をスマートに処理するためにはどうすればいいのか。営業コンサルタントの大塚寿さんは「大きく5つの種類に分けられる。それぞれ効果的な撃退方法がある」という――。

旧態依然とした営業で若者をつぶすのは日本経済の損失

営業マンと営業を受ける側の企業との攻防は常にイタチごっこでしたが、長引く景気低迷(失われた30年)、インターネットの普及、個人情報保護法、働き方改革がそのゲームのルールを変え、ついに直近のコロナ禍でその攻防はさらに難解になったように見えます。

私は新卒でリクルートに入社し、営業のキャリアをスタートさせました。それから36年がたちましたが、特に新規開拓営業は右肩上がりにその難易度を高めています。

バブル期以前にもお客さまにとって迷惑な営業マンは山ほどいました。いわば“お行儀の悪い”営業マンです。飛び込みで受付をしゃがんで通過し、オフィスに潜入してしまったり、キーパーソンの自宅住所を調べて、日曜日に偶然を装って待ち伏せしたりする人もいました。敏腕営業マンほどそのようなやり方をしていました。

しかし、時代は変わりました。ゲームのルールが変わった最大の理由は、日本経済が成長期から成熟期になってしまったことです。成長期には気合と根性で成果を出すこともできました。そのいい時代を生きた人たちが管理職や経営陣になって、同じような営業スタイルを若手に押し付けている企業も散見されます。

もちろん、そうした企業の若手の離職率は高いのですが、せっかく夢を抱いて社会に出た若者が、旧態依然とした営業のやり方を強要されてつぶされているとしたら、日本にとっては大きな損失なのではないでしょうか。

営業マンは「営業は断られたところから始まる」と考えている

そうした若者を救うために、自分に何ができるかを考えました。

これまで、営業コンサルである私の立場は常に営業マン側にありました。どうしたら売れる営業マンになれるのかを指導するのが私の仕事です。

しかし、その方法論の一部だけが切り取られて、すでに効力を失った“お行儀の悪い”営業を強いられ、営業のキャリアを捨ててしまう若者が少なくありません。

私の使命は、この令和の時代に成果を上げる営業方法を後進に伝え、「お客さまから迷惑と思われる営業マン」を減らすことに他なりません。

その目標達成のためには、まずはお客さまのほうに「迷惑な営業のかわし方」を徹底していただくことも必要と考え、本稿で迷惑な営業の手口とその対処法を共有することにしました。

最初に言っておきますが、新規のテレアポで「会議中です」「外出中です」と居留守を使って、かわしたつもりになっていても、ほとんどの営業マンは、気にせずに、戻り時間を聞いてくるでしょう。「営業は断られたところから始まる」のですから。

賢い営業マンたちは架電した時間を記録し、今度は曜日や時間帯を変えて電話してきますし、業界によって何曜日の何時頃が一番着席率が高いかも膨大なデータベースを蓄積して、割り出しています。

迷惑な営業マンは、簡単には撃退できないのです。そこで、ここではよくある迷惑な営業マンがやりがちな7つの手口とそれぞれの対処法を紹介していきます。

テレアポ(代表受付、部門受付<ゲートキーパー>)での迷惑手口

①社名を名乗らない

これは某業界の営業マンの常套手段ですが、社名を名乗らず、個人名で電話してきます。目的は個人的な要件と幻惑させるためですが、もちろん多くの企業の受付電話マニュアルには「要警戒」の怪しい電話とされます。

対処法としては「どちらの○○様でしょうか?」と聞き返すこと。組織に属さない人物は港区の○○ですが、とか××の親族ですが……と応答するかもしれませんが、親族なら最初からそう名乗ります。

基本、こうした電話は取り次がないことです。

②用件を言わない

「人事の酒井部長お願いします」「人事の採用のご担当の方お願いします」と相手先の個人名があってもなくても用件を言わない電話も迷惑電話の可能性が高いので、必ず「どのようなご用件でしょうか?」と聞くに違いありません。

その返答が「ごあいさつ」「ご案内」「情報提供」のいずれかで、そのフレーズに「御社」「貴社」「取次先の個人名、役職名」がなかったら取り次がないようにしましょう。

取り次がせようとする営業マンに使える万能テクニック

③「社長はいらっしゃいますか?」

100名以下の中小企業に対しては最初から社長をターゲットに営業を仕掛けてくる企業もあります。ちなみに、私がリクルートの現役時代は300名以下の企業に対しては基本的に社長にアプローチしていました。

もちろん、「社長はいらっしゃいますか?」などというトークは使いませんでしたが。

もし、「酒井社長いらっしゃいますか?」と言われたら、「どのようなご用件でしょうか?」と反応するとして、ただ「社長はいらっしゃいますか?」言われたら、基本、「外出中です」「会議中です」と居留守を使う企業が多いと思います。

ただ、迷惑な営業マンは「お戻りは何時頃になりますか?」と聞いてくるので、「どなたさまのご紹介になりますでしょうか?」という返答のほうが撃退率は高くなります。「申し訳ありませんが、こちらからはご紹介者のいない電話は取り次げない規則になっております」と言われるほうが、営業マンとしては困ります。

この方法は万能で、社長宛てでなくても「今度御社の担当になりました○○社の××ですが……」とか「○○代理店の……」と紛らわしい表現を用いる営業マンにも効果的です。

④「採用のご担当の方、お願いします」

アポ取り電話としては、このケースが一番多いのではないでしょうか。こうした営業電話に対しては、「弊社では、まずは資料をお送りいただいて、興味があるようでしたらこちらからご連絡させていただきます」という対応が主流になっています。

そうしたケースでは「どなたさま宛てにご送付差し上げればいいでしょうか?」と担当者名を聞いてくるので、「部門宛てで結構です」と応答しましょう。

実は、資料を送った後にフォローの電話をして案件化し、受注することもあるので、まっとうな企業は資料送付から再スタートします。ですが、中には「資料送付に受注なし」と、あきらめてしまうケースも散見されます。

虫けらのように扱われることでたどり着いた正解

ここからは、代表受付や部門受付を何とか突破し、アポイントを取りつけたい相手にたどりついたケースです。受付突破できても、ここから営業マンにとっては一気に難易度が高くなります。

⑤「ごあいさつにお伺いしたい」「情報交換にお伺いしたい」「ぜひ、ご提案させていただきたい」

これらすべて定番フレーズですが、今時、そうした飛び込みの電話がかかってきたら、「時節柄、不要不急の面談は禁止されております」でいいでしょう。

ここでのポイントはこの言葉の後に相手の反応を待たずに、「スミマセン」と事務的に言って電話を切ってしまうことです。

正直に言います。

新規開拓の営業マンにとって、一番、へこむのはこちらが話している最中に電話を切られてしまうことです。「無視されること、無関心に扱われること」は実は怒られるより、つらいものです。

私はリクルートの新人時代、左手にガムテープで受話器を巻かれ、1日100本のアポ取り電話をしていました。営業トークや声色もいろいろと試しました。リクルートのトップセールスだけではなく、当時、日本で「営業が強い」という企業のトップセールス全員に会ってリアルな営業を見せてもらい、どうしたらニーズのある顧客からアポが取れるのかの正解を知りました。

なぜ、その正解にたどりつけたかは「ガチャ切り」や「虫けらのように扱われること」に腹が立ったからです。

人を邪険にするということは、邪険にしたほうも心中穏やかではないでしょう。しかし、ほとんどの人が仕事に追われているのに「ごあいさつ」に対応する余裕はないでしょう。

「ガチャ切り」は勧めませんが、「時節柄、不要不急の面談は禁止されております」と伝え、「スミマセン」の後に相手の反応を待たず、受話器を置くのはアリではないでしょうか。

「スミマセン」と謝罪していますし、こちらも自分にとってはどうでもいい話で、仕事を中断させられているのですから。

「ぜひ、ご提案させていただきたい」「5分でも結構なので」というゴリ押しもしかりです。

これが迷惑な営業マンがやりがちな「5つの手口」です。それぞれの対処法をぜひ参考にしてください。

商談で観測される迷惑手口

ここからは「商談」での迷惑な手口を2つ紹介します。

①一方的な売り込み(プロダクトアウト型)系

商談で最も迷惑がられるのは、人の話を聞かずに一方的な売り込みをする営業マンです。そもそも「お困りごと」や「課題」、「興味・関心がどこにあるか」などお構いなしで、相手の課題やニーズに自社商材を絡めることすらできません。

それでも、役に立つ情報やヒントになる事例などが聞ければいいのですが、そうした話題もなく、ひたすら商品説明を続けてしまう……。

そうした営業マンをかわす方法は、時間の制約をつけることです。

つまり、そのまま商談を続けても時間の無駄と判断した時点で、「申し訳ない、○○さん、急な会議が入ってしまって……」と商談を切り上げてしまうのです。

その後、連絡があったら「他社で決まった」と告げてクローズにするのがスマートです。

営業マン側からすると「2回目訪問ができない」ということになるのですが、非常によくあるケースです。

「For You感」のない営業マンは存在価値がない

②取りあえず、会えばなんとかなる系

客側の業界知識もなく、訪問先について知らずに、これといった準備もせずに商談に臨む営業マンも相手にとっては迷惑に違いありません。

迷惑というより「失礼」というべきでしょう。

私は「For You感」という言葉を使いますが、「御社のために」とか「○○部長のために」という意識が欠如した営業マンは存在価値を問われます。

その営業マンが担当する製品やサービスによって、お客さまがどんな恩恵を得るのかを分かりやすく伝えられない、「取りあえず会えばなんとかなる」と思っている営業マンは迷惑以外の何ものでもありません。

それをキッパリ伝えて逆恨みされるのも不本意でしょうし、場合によってはキズつけてしまう可能性もあるので、ここはフェードアウトするのがいいでしょう。

もう、会わなければいいだけの話です。

こちらも、営業マンからすると「2回目訪問ができない」ということになります。

以上が「迷惑営業マンの手口と撃退方法」になります。これらの営業手法は古い時代のやり方そのもので、今の時代に全く即していません。

[エマメイコーポレーション代表・営業サプリ監修者 大塚 寿]

外部リンク

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「あっという間に猫背が解消」唱えるだけで姿勢がよくなる"2つの言葉"

2021年7月22日 08:00 PRESIDENT Online

肩こりや腰痛の根本原因は「姿勢の悪さ」だといわれる。それでは、どうすれば姿勢はよくなるのか。理学療法士で、アレクサンダー・テクニーク国際認定教師の大橋しん氏は「あるフレーズを唱えると、脳が錯覚を起こして、自然とよい姿勢をつくることができる」という――。

※本稿は、大橋しん『魔法のフレーズをとなえるだけで姿勢がよくなるすごい本』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

イメージするだけで脳が錯覚する

よい姿勢にしたい。そう思っても、体にこわばりがあってバランスが崩れていたりすると、自分でよい姿勢にするのは難しいものです。理学療法士に指導してもらえればいいかもしれませんが、毎回教えてもらうわけにはいきません。そこで私は、誰でも自分で簡単にできる方法を考案しました。

それが、魔法のフレーズです! 魔法のフレーズをとなえると、頭の中でイメージが生まれます。そのイメージは感覚的な体験をもたらし、本当にそうであるかのように感じられます。

脳は柔軟なので、それを実現しようとします。その実現させようとする過程で、体のかたいところがゆらいでいく、というからくりです。

たとえば、「梅干し」を口に入れるところを思い浮かべてみてください。「レモン」でもOKです。

口元の筋肉が緊張して、だ液が分泌されるのが感じられませんか? 梅干しやレモンを実際に口に入れていないのに、イメージしただけで脳が錯覚したのです。

こういうことを、姿勢で行うのが魔法のフレーズです。一般的に姿勢と結びつかない、ちょっと変なイメージもあるのですが、それは狙ってのこと。その意外性や驚きの力も借りて、ふだんの習慣からスルリと抜け出せるように設計しています。

具体的なやり方はこれから紹介していきますので、ぜひみなさん、これらのコツをつかんで、筋緊張を断ち切って、骨で立つ感覚をつかんでください。

そして、崩れてしまった姿勢や、不調・トラブルをリセットしていきましょう。

まずは気楽な気持ちで、これから紹介する魔法のフレーズを1つずつとなえてみてください。声に出さなくても大丈夫です(もちろん、声に出してもOK!)。

緊張のかたまりがとけて、背骨がスッと伸びていくのが感じられると思います。いつでもどこでも、どんな体勢でとなえていただいてもかまいません。立っていても、座っていても、歩いていても、仕事中でも、打ち合わせ中でも、家事や育児をしているときでも、何をしているときにとなえても、大丈夫です。

そもそも、姿勢は固定すべきものではなく、常に動きの中にあるものです。なので、改まった態度で「よい姿勢をつくろう!」と努力する必要はありません。日常生活の中で、ふんわりとラクにゆらぎ続けていることがとても大切です。

姿勢には「急所」がある

その前に、1つだけ、どうしても覚えておいてほしいことがあります。それは、「姿勢の急所」という重要ポイントの存在です。

何事にも、「ここだけ押さえておけば大丈夫」という勘所や急所があります。たとえば営業マンなら、決裁権を持つ部長を口説き落とせば契約が取れますよね。姿勢にとっての勘所や急所を、「姿勢の急所」と呼ぶことにしましょう。

「姿勢の急所」とは、頭と背骨が接するところ。専門的には、環椎後頭関節といい、私の専門であるアレクサンダー・テクニークでは最重要視している部位です。この部分が緊張しておらず、背骨と頭がお互いに自由であるとき、バラバラだった頭、首、筋肉、背骨などが1つにつながり、骨でラクに立てるようになります。

姿勢の急所がふんわりとゆらいでいれば、体全体もふんわりとゆらいでいます。逆もしかりで、体全体がふんわりとゆらいでいれば、姿勢の急所もふんわりとゆらいでいます。それほどまでに、背骨と頭のバランスは重要なのです。

ここで、「姿勢の急所」の位置を確認しておきましょう。ほお骨の出っ張りの下側のキワ、耳の穴からほお方向へ水平に4センチくらいの位置です。

その位置を人差し指、中指、薬指の3本の指先で軽く押さえてみてください。慣れるまでは、特に1と2のフレーズは、指先で「姿勢の急所」を押さえたままとなえることをお勧めします。もちろん、慣れたら押さえなくてもOKです。

では、さっそく魔法のフレーズを紹介していきましょう。

頭をうまく支えるためのフレーズ

【魔法のフレーズ1】頭の中で小舟が静かにゆれています。

姿勢以外に改善できる症状

・頭痛
・目の疲れ
・表情筋の緊張
・あごの緊張
・飲み込み力の低下
・鼻づまり

重たい頭が「上方向」にふわふわ浮かぶイメージ

人間の頭は、体重の10%ほどの重量があるとされています。体重50キロの方なら、約5キロ。かなりの重さです。この重たい頭を支えきれていないことが、姿勢の崩れや、さまざまな不調をもたらす大きな原因の1つになっています。

なぜ頭の重みを支えきれないかというと、首や背中の筋肉で頭を固定しようとするからです。これだけの重さを、筋肉で固定して支えきることはできません。

そもそも、頭部は知らず知らずのうちに緊張させやすい部位です。悩みごとや考えごとがあったり、嫌だなと思うことに遭遇したときに、眉間にしわを寄せて頭を緊張させてしまう。歯をくいしばって、ぐったりと疲れてしまう。みなさんも身に覚えがあるのではないでしょうか。

では、どうすればいいのか。頭を背骨や「姿勢の急所」の上に、ふわっと載せればいいのです。

この魔法のフレーズをとなえて、頭と背骨が接する「姿勢の急所」に、水面が広がっている様子をイメージしてみてください。

そこには小舟が浮かんでいて、ゆらゆらとさざ波にゆられています。頭が空にぷかぷかと浮かんだような心地になると、自然と首の筋肉がゆるみ、頭が背骨の上にまっすぐ載るようになります。これにより、頭の重みから解放されて、何もしなくても背骨や姿勢が自然と伸びていくわけです。

背骨をのばすフレーズ

【魔法のフレーズ2】背骨が鎖のようにゆれています。

姿勢以外に改善できる症状

・肩こり
・腰痛
・疲れやすさ
・冷え、むくみ
・坐骨神経痛
・静脈血栓症(予防)

背骨がゆれながら「下方向」に垂れ下がっていくイメージ

背骨はとても誤解の多い部位です。私が診てきた患者さんのほとんどは、背骨は「首から腰まで」「棒のように固定されたもの」というイメージをお持ちでした。実はこの誤ったイメージが、姿勢のゆらぎを妨げているのです。

正解を申し上げましょう。背骨は「姿勢の急所から尾てい骨まで」「くさりのように椎骨がつながって、しなやかに動くもの」です。本来、背骨は「姿勢の急所」から下に垂れ下がっているべきなのです。

しかし姿勢が悪いときはその逆で、背骨が頭を突き上げてしまっています。すると、本来はふわふわと浮かせるべき頭を、首の筋肉をかためて固定せざるを得ません。その結果、ねこ背やストレートネックなど悪い姿勢を招いてしまいます。

2つのフレーズはセットで行うのがオススメ

このフレーズは、基本的にフレーズ1とセットで行うことをお勧めしています。小舟のゆらぎとともに頭が浮かんでいるように感じられてきたら、そこから下へ向かってまっすぐ垂れている「背骨という鎖」をイメージしてください。

その鎖は体の中心ラインを通っていて、小舟のゆらぎに合わせて穏やかにゆらゆらとゆれています。この際、実際に体を少しゆらがせても構いません(もちろん、ゆらがせなくてもOKです)。

ふわっと浮かぶ頭の小舟と、ゆらゆらと垂れ下がる背骨の鎖。この2つに優しく挟まれた姿勢の急所が静かで、ラクな感じがしたら、成功した証拠です。

[理学療法士、アレクサンダー・テクニーク国際認定教師 大橋 しん]

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