cat_11_issue_oa-president oa-president_0_755a7b8vj5us_「生産台数は1億台」ホンダのスーパーカブが世界一売れたバイクになった"本当の理由" 755a7b8vj5us 755a7b8vj5us 「生産台数は1億台」ホンダのスーパーカブが世界一売れたバイクになった"本当の理由" oa-president 0

「生産台数は1億台」ホンダのスーパーカブが世界一売れたバイクになった"本当の理由"

2021年8月19日 08:00 PRESIDENT Online

ホンダの「スーパーカブ」は世界で一番売れたバイクだ。なぜそんなに売れたのか。経営学者の楠木建さんは「スーパーカブは1957年の発売から現在まで、技術や構造をそのまま維持している。つまり余計な機能を加えていない。そこがすごい」という。独立研究家の山口周さんとの共著『「仕事ができる」とはどういうことか?』(宝島社新書)より一部を抜粋する――。

「役に立つ」より「意味がある」モノに価値がある

【山口周】スキルがここまでもてはやされてきたのは、「時代の要請」という側面があったと思います。端的に言えば「スキルが金になった」ということです。それは「役に立つ」ということが価値になったからですね。

ところが昨今では「役に立つ」ということがそもそも求められなくなってきている。「役に立つこと」から「意味があること」に価値の源泉がシフトしていると思うんです。「役に立つ・役に立たない」「意味がある・意味がない」という二つの軸を組み合わせて世の中で売られているサービスや商品を整理してみると面白いことがわかります。

「役に立つモノ」よりも「意味があるモノ」のほうが高い値段で売られているんですね。例えば自動車の世界では、日本車のほとんどは「役に立つけど意味がない」に整理されます。

人も荷物もちゃんと積めて静かで快適で燃費もよい――つまり移動手段としてはもちろん「役に立つ」わけですが、一方で、そのクルマがあることで人生の豊かさや充実感が得られるというような「意味的価値」はありません。

「アコードのない人生なんて考えられない」とか「プリメーラのハンドルを握っていると人生の手応えを感じる」という人ってあんまりいないわけです。一方で、例えばポルシェやBMWといった自動車は「役に立つうえに意味もある」ということになります。

価格で言うと標準的な日本車の3~5倍くらいの価格で飛ぶように売れているわけですが、では3~5倍も役に立つのかというとそんなことはない。「役に立つ」という点で日本車と高級外車を比較してもほとんど差はないわけです。

じゃあ何にそれだけのプレミアムを払っているのかというと「意味的価値」なんですね。

なぜフェラーリに数千万も払う人がいるのか

【楠木建】世の中では移動手段としてほとんど役に立たない自動車も売れていますね。

【山口】そうなんです。さらに上をゆくのが「役に立たない、意味しかない」という自動車で、例えばランボルギーニやフェラーリなどがその典型ですね。車体は巨大なのに人間は2人しか乗れず、荷物はほとんど積めない。

悪路が走れないのは当然のことで、車高が極端に低いので段差のあるガソリンスタンドにも入れない。つまり「移動手段として役に立つ」という点から評価すればまったく評価できない、単に爆音を出して突進するだけのシロモノなんですが、数千万円の対価を支払っても欲しがる人が列をなしているわけで、これは「意味的価値」にお金を支払っているということになります。

この「役に立つこと」から「意味があること」に価値の源泉がシフトしているというのは、いろんなところで見られる現象で、例えば昨今では家を新築する際に薪ストーブを入れたがる人が増えていますけど、これも同じですよね。

エアコンというきわめて効率的に部屋を暖めてくれる器具が備わっているにもかかわらず、あえて不便な薪ストーブを高いお金を払って入れようとする、というのも「役に立つ」から「意味がある」へのシフトとして整理できます。

「役に立つ」ものでしか世界進出できなかった日本企業

【山口】ちょっと大げさな表現をすれば、これは「近代の終焉」ということだと思うんです。「役に立つ」「便利にする」というのは、ここ200年くらいの間は必ず価値を生んだんですが、最近になって機能や利便性を高めても売れないという状況がいろんなところで発生しています。

これは日本にとって非常に大きな話です。というのも、日本企業の多くは「役に立つ」ことで世の中に価値を生み出してきましたから。

【楠木】トヨタやホンダ、パナソニックやヤマハといった昭和時代に確立したナショナルブランドはことごとく「役に立つ」。

【山口】そうなんですよ。日本企業でいち早く世界進出に成功した企業の多くは「役に立つ」という便益を提供することで成功しているんです。一方で「意味がある」という便益で世界進出に成功した企業となるとそんなにないんですね。

すぐに思い浮かぶのは、川久保玲さんのコム・デ・ギャルソンや、ヨウジ・ヤマモトといったファッションブランドです。

【楠木】ヨウジ・ヤマモトの服は普段着としては必ずしも機能的ではありません。僕は女性がヨウジの服を着ているのは大好きです。日本の女性をもっとも美しく見せる服ではないかと思っていますが、ユニクロで売っている服の10倍の値段で売られています。

【山口】欲しがる人にとっては「意味がある」ということですよね。僕が問題だと思うのは、ああいうデザイナーの輩出が1980年代以降はパッタリと止まってしまったということです。

「意味がある」はスキルでは作れない

通常は社会の文明的側面が一定の水準を超えると文化的側面での価値創出へとシフトするんですけど、日本ではその流れはバブル崩壊の冷水で出端を挫かれてしまうんですね。

その結果、相変わらず「役に立つ」という軸での価値創出からシフトできないでいるんですが、「役に立つ」ということを追求していると、そのうち逆に「役に立たない」ものを生み出すことになります。

典型的な例が家電製品のリモコンですね。うちのテレビのリモコン、ボタンが65個付いているんですよ。普段使うボタンは4つなので残りの61個はそれこそ「役に立たない」んですね。

どうしてこういうことになっちゃうのかというと、「役に立つ」という軸から離れられないからです。なぜ離れられないのかというと、「役に立つ」はスキルとサイエンスでなんとかなるけど「意味がある」はセンスとアートが必要になるからです。

【楠木】今の山口さんのお話で僕が思ったのは、まず、今までは「問題の量」が「解決策の量」を大きく上回っていた。それが、だんだん解決策のほうが過剰になってしまうという量的な問題。

もうひとつは、昔あった問題というのは今そこにある誰が見ても同じ、明らかな問題だったということ。「暑い」とか、「食べ物が腐った」とか。ところが、「意味」が問題になると、人によって違う。

「意味があるのか、ないのか」という問題になると、これは人によって違うということが出てくるわけです。これは質的な問題ですね。

「役に立つ」を突き詰めた結果、大ヒットしたホンダのスーパーカブ

【楠木】グローバルで成功を収めた日本の会社というか、特定の商品と言ったほうが正確ですが、ホンダのスーパーカブ。これは化け物のような工業製品です。

最近、ある本を読んで「へぇ?」と思ったんですけど、スーパーカブがこれまでに世界でつくられたモビリティ商品のなかで、もっとも累積で売れているんですね。世界生産台数が1億台を超えている。

しかも、現役の商品として今でも日々記録を更新し続けている。何がすごいのかというと、日本で売っているスーパーカブは1957年の最初のモデルと基本的に同じ技術や構造をそのまま維持しているということです。

これは掛け値なしに偉業だと思うんですね。スーパーカブはものすごく「役に立つ」ものだったんですけれども、それが本質みたいなものをがっちり捉えすぎちゃっていて、「もっと役に立つ」の方向に行くというよりも、結果的にそれとは別系統の何かしらの「意味」を持つところまでいった。

そういう日本発のケースというのはほかにもあって、僕が手伝っている会社で言うとファーストリテイリングのユニクロ事業はそこを目指していると思うんですよね。大衆に向けたマス・プロダクションだけれども、「用の美」というか、役に立つを突き詰めていった先に美意識が出てくる。独自の意味を持つようになる。

これは日本発のイノベーションのひとつのモデルだと思います。ところが、多くの会社は先ほどのリモコンの例にもあるように、効用がどんどん小さくなるにもかかわらず、余計な機能を使う、加えるという形で「役に立つ」の方向へ無理していってしまう。

スーパーカブのほうがビックバイクよりも“情緒的”なものになった

【山口】スーパーカブが面白いのは、スーパーカブを製造して提供する企業側ではなく、その製品を受け止める市場側が意味をつくっていった、というところにあると思うんです。もともとホンダはハーレーダビッドソンのようなビッグバイクでアメリカ市場に進出しようとしたけれども、なかなかうまくいかなかった。

そんなときにスーパーカブを営業の移動用に使っているホンダの社員を見た販売店員に、「むしろあっちのほうが欲しいんだけど」と言われて売り出したら、それまでの「ヘルズ・エンジェルスのような無頼漢たちの乗り物」というバイクの凶悪なイメージが、善良でナイスな人たちによって「健全ですごく便利な乗り物」というイメージに変わっていった。

市場の中でユーザー側が勝手にスーパーカブのイメージをつくっていったというところがありました。ビッグバイクというのは移動手段のツールというよりも情緒的なツールで、そういう意味では「役に立つ」より「意味がある」ものですね。

それを売ろうとして結局はうまくいかなかったところ、移動手段としてきわめて便利で「役に立つ」スーパーカブが売れたところ、市場の中で「善良でナイスな人たちの乗り物」という意味まで生まれてしまった。

[一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授 楠木 建、独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 山口 周]

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「こんなの小学生でも覚えられるよ」職場で敵を作りやすい人の"残念な3つの口癖"

2021年8月19日 08:00 PRESIDENT Online

人に嫌われない話し方にはどんな特徴があるのか。心理研究家の津田秀樹さんは「相手の気持ちを不快にさせる会話には、人を傷つける『言葉のトゲ』がたくさん含まれている。極端語や悪意の比喩は使わないほうがいい」という――。

※本稿は、津田秀樹、西村鋭介『会話の9割は「言いかえ力」でうまくいく』(アスコム)の一部を再編集したものです。

円満な人間関係に欠かせない言葉の使い方、選び方

「そんなつもりはなかったのに、相手を怒らせてしまった」
「周りの人となかなかうまく関係が築けない」

こんなコミュニケーションの悩みを抱えている人は、多いのではないでしょうか。

言葉は本当にこわいもので、一度発してしまったら取り消すことはできません。

ちょっとしたひと言で職場、家庭、友人などとの人間関係を壊してしまい、取り返しのつかないことになる場合もあります。職場などでは、不用意な発言がハラスメントになってしまう可能性もあります。

自分の話し方や言い方を客観的に見ることはあまりないので、無意識に人を傷つける口癖が習慣になってしまっていて、なんで自分は周りの人とうまく関係が築けないんだろうとひとりで悩んでしまうケースも多いです。

そんなつもりじゃなかったのに、誰かから嫌われたり恨まれたりしてしまうのは本当に損ですし、もったいないことです。

言葉で人を傷つけ、嫌な思いをさせてしまう人と、言葉で人を明るい気持ちにさせたり、好感を持ってもらえる人の違いは「言葉の使い方・選び方」にあります。

相手に嫌な思いをさせてしまうような会話には、人を傷つける「言葉のトゲ」がたくさん含まれていることが多いです。そのトゲをなくし、言葉を柔らかくすることができれば、同じことを伝えるのでも、相手の受け取り方はまったく違うものになります。

今回は拙著『会話の9割は「言いかえ力」でうまくいく』(アスコム)より、言葉のトゲを抜き、「損する会話」を「好かれる会話」に変えるコツをいくつかご紹介します。

相手を注意するときは「極端語」を使わない

× どうして、いつも遅刻するの?
◯ どうして、遅刻するの?

最初に抜くべき言葉のトゲは、≪極端語≫です。

たとえば、相手が2、3回くらい同じミスをしたとき、「いつも同じミスばかりして!」と注意することがありますよね。この「いつも」が極端語です。「2、3回」を「いつも」というように極端に表現してしまっているわけです。

極端語には、「まったく」「絶対」「ちっとも」「なんにも」「全然」などたくさんの言い方があり、会話の中に頻繁に登場しがちです。「自分の気持ちをもっと相手に伝えたい!」という思いが強くなるほど、極端語は増えていく傾向にあります。

良いことを伝えるときに使うならよいのですが、人を叱ったり注意したりするときに使うと、必要以上に相手を責め立てることになり、傷つけたり反発を生んだりしてしまうのです。

会話例のように「どうして、いつも遅刻するの?」と言われると、相手は「今回は遅刻したけれど、前回は間に合うように来たのに」と反論したくなってしまいます。大抵の場合、事実はそこまで極端ではないため、極端語で叱られると相手はその極端語に対して「そんなことないのに」と反論・反発してしまうわけです。

例の他にも、「ちっともわかってない」「全然できてない」「◯◯ばっかり」などの言い回しは、職場の部下や同僚、恋人やパートナー、子どもを叱るときなどに、つい使ってしまいがちですが、それでは相手の反省を促すこともできず、逆効果になってしまいます。

人を叱るときや注意するときは、極端語を使わないことを心がけると、相手も素直に反省することができ、関係を拗らせずに済むでしょう。

負の感情を強める≪悪意の比喩≫に要注意

× 小学生じゃないんだから、一度聞いたらちゃんと覚えて
◯ 一度聞いたらちゃんと覚えて

≪極端語≫の次に気を付けた方が良い言葉のトゲが、≪悪意の比喩≫です。比喩を使うと、表現が強く鮮やかになり、面白みを出すこともできます。それだけに、相手を注意するときなどに使うと、相手の感情を余計に逆撫ですることになります。

たとえば、あまり働かない人に対して「給料泥棒」という表現を使ったりしますが、「もっと仕事に身を入れてください」などと言うのに比べて、何十倍もの破壊力を持っています。

しかし、「給料泥棒」と言われて、反省して「そう言われないように働こう」などと思う人は、まずいないでしょう。そんなことを言ってきた相手を嫌いになったり、悪意を持ってしまう場合の方が多いと思います。ですから、絶妙に相手に合う例えを思いついたとしても、グッとこらえて使わないようにしましょう。

ネガティブな言葉は相手に届きやすい

人を叱ったり怒ったりしているときに、相手があまりにも平気な顔をしていたり、こちらの言葉が響いていないようだと、「この人には普通に言っても効き目がないな」と思い、つい≪悪意の比喩≫というトゲを混ぜてしまいがちです。

でも、相手は本当は最初からすごく傷ついていて、必死でそれを表情に出さないようにしていたのかもしれません。そこにさらにひどい比喩で追い打ちをかけられては、深刻なダメージを与えてしまうこともあり得ます。

実際、なかなかパソコンの操作を覚えられなかった中年男性が、同年代の親戚から「パソコンくらい小学生でも覚えられる」と言われ、それがきっかけでアルコール依存症になってしまったという例もあります。

言葉で思いを伝えようとしても、思っていることの半分も伝えられないものです。しかし、人はネガティブな情報に注意が向きやすいという性質を持っているため、ネガティブなインパクトだけは、10が20になって相手に伝わってしまいます。

相手を注意したり文句を言ったりするときには、そのつもりで言葉の配慮や加減をすることが大切だと思います。

AをほめるためにBを否定しない

× AはBとは比べ物にならないね
◯ Aはとてもいいね

「Aをほめたい、良さを伝えたい」と思うときに、ついやってしまいがちなのが、別のものBと比較し、Bをけなしてしまう言い方です。

考え方や好みは人それぞれであり、当然Bが好きな人もいます。なので、こういう言い方をしてしまうとBが好きな人を傷つけてしまったり、「この人とは話が合わないな」と思われてしまう可能性もあります。

一番の目的はAをほめることであり、Bをけなすのはそのための補強に過ぎません。それなのに、Bのことで誰かを不快にさせたり、人間関係に問題が起きてしまっては、こんなにもったいないことはありません。

何かをほめるときには単体でほめるだけにして、「Bとは比べ物にならない」というような、ほかを否定する余計なトゲは付け足さないようにしましょう。

「A店のランチは微妙だけど、B店はすごくおいしい」「ドラマAは面白いけど、ドラマBはつまらない」など、ちょっとした雑談のときなどについ使ってしまいがちな言い回しなので、注意が必要です。

言葉のトゲを抜けば、誰も傷つかない

このように、「損する言葉のトゲ」を抜き、「好かれる言葉」に言いかえる「言いかえ力」を身につけることができれば、ちょっとした雑談や初対面の人との会話など、あらゆる場面で信頼や好感を持ってもらえる話し方ができるようになります。

言葉のトゲがなくなれば、相手も自分も傷つかない&傷つけない、あたたかい会話を楽しめるようになれるでしょう。

会話やコミュニケーションに悩みやストレスを感じている人は、言葉の使い方を意識してみることをおすすめします。

[心理研究家 津田 秀樹、精神科医 西村 鋭介]

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cat_11_issue_oa-president oa-president_0_66ikx5d8nb2g_「"ダメになっていく日本"を強く感じた」若者たちが東京五輪に失望した理由 66ikx5d8nb2g 66ikx5d8nb2g 「"ダメになっていく日本"を強く感じた」若者たちが東京五輪に失望した理由 oa-president 0

「"ダメになっていく日本"を強く感じた」若者たちが東京五輪に失望した理由

2021年8月19日 08:00 PRESIDENT Online

緊急事態宣言下で開催された東京オリンピック。閉会を迎えた今、若者たちはどんな思いを抱いているのでしょうか。期間中をどう過ごし何を感じたか、大学生と高校生の総勢10人が語り合いました。司会と解説は『Z世代』(光文社新書)の著者、原田曜平さんです――。

【座談会参加者】

國武/立教大学3年生
森/青山学院大学4年生
鈴木/慶應義塾大学4年生
土井/立教大学2年生
矢追/早稲田大学3年生
山崎/慶應義塾大学2年生
池上/日本大学1年生
青野/専修大学2年生
岡田/高校2年生
赤峰/高校3年生

若者たちは大会をどう見たか

【原田】開催前には多くの反対があった東京五輪ですが、いざ始まってみるとテレビ視聴率も高く、若者も含めて多くの人が見ているようです。皆さんはどうしているのか、また開催前と現在とで五輪に対する気持ちに変化があったのかどうか聞かせてください。

【池上】私は開催前から「無観客なら賛成」でした。いざ始まってみると選手の試合にかける思いを強く感じるようになり、今も賛成の立場です。周りも始まってからはほとんど賛成派になって、選手の姿を見て励まされている人もたくさんいます。

【國武】私は開催前も今も「無観客でも反対」です。だから試合も五輪関連の話題も本当は見たくないんですが、実際に始まったら友達がSNSで話題にしていたりパートナーがテレビ観戦していたりで、どうしても目に入ってきちゃうんですよ。それで感じたのは、やっぱりグダグダだなと。開会式は直前まで問題だらけだったし、SDGsを掲げていたのに大量のお弁当を廃棄するし、東京の感染者数は爆上がりしているし。他にもひどいなと思うことがたくさんあって、こんな日本の姿が世界に伝わってしまうのは恥ずかしいです。

【土井】僕は一貫して「アスリートのために開催すべき」と思ってきました。テレビでもよく見ていましたし、日本人選手がいい結果をたくさん残してくれて本当にうれしいです。一方で、メダルラッシュによって、今回浮き彫りになったさまざまな政治の問題がかすんでしまっている気がして、そこはよくないなと。本来ならこの問題をもっと追及すべきだし、忘れちゃいけないと思います。

開催反対でも競技は観戦

【森】僕は開催前は反対派でした。移動制限とか飲食店への休業要請とか、国民の生活を制限してまで開催するのはいかがなものかと思っていたので。でも、いざ五輪が始まったら観戦はしましたね。サーフィンやスケボー、競泳など好きなスポーツをテレビでやっていたらやっぱり見ちゃうし、戦っている選手を見たら応援もしたくなる。反対派だったけど、自分でも意外なほど観戦も応援もしていました。

【青野】僕は「無観客なら賛成」派で、始まった後はとにかくエンターテインメントとして楽しんだっていうのが率直な感想です。もともとスポーツが好きで、特にサッカーやバレーは楽しみにしていたので、テレビでずっと見ていました。あと、選手のSNSもよく見ましたね。選手村の様子とかがわかって楽しかったです。

【矢追】僕はスポーツに興味がなくて、以前は五輪にも無関心でした。でも五輪が始まったら、SNSで友達のコメントとか選手の素の顔を目にするようになって、何だか楽しそうだなと思って初めてサッカーの試合をちゃんと見てみたんです。そうしたらスポーツ観戦の面白さに気づいてしまって、今後もっと見てみたいと思うようになりました。

【赤峰】私の高校ではコロナでほとんどの学校行事がなくなりました。部活の公演とか、高校生活最後の行事が本当にたくさん中止になって、小さな行事はダメなのに世界的なイベントはOKなんて納得がいかなくて。だから五輪開催にも反対でした。でも始まったら、やっぱり感動しました。ソフトボールとか、13年ぶりの実施でまた金メダルってすごいなって。

「メダルラッシュでよかったね」で終わらせてはいけない

【山崎】私は今も開催には反対です。最初に掲げていた「復興五輪」はどこかへ行っちゃって、開会式の直前まで問題が山積みで、そんな状態で開催するなんてどうなんだろうって疑問だらけです。でもそういう問題とスポーツは切り離すべきかなと思うようになりました。母がずっとテレビをつけていることもあって、せっかく自国開催なんだから見ておこうかなって。結局、開会式から全部、ほぼすべての競技をテレビで見ました。今回集まった皆の中では私がいちばんよく見ているかもしれないです。

【原田】開催前には反対していて、始まったら応援するというのは矛盾しているのではという意見もありますよね。「自分は反対だから一切見ない」という人もいる中で、自分の変化をどう思いますか?

【山崎】矛盾しているのかなとは思いますけど、やっぱり選手はちゃんと応援してあげたいです。私は「やるならやるで応援しよう」っていうスタイルですね。ただ、今後は「メダルラッシュでよかったね」で終わらせず、見えてきた問題をしっかり解決していくべきだと思っています。

他国で開催される大会と変わらない

【原田】皆さんの大部分は割としっかり競技を見て、選手を応援したりして楽しんだようですね。開催前は反対だった人も、始まってみるとやっぱり見て応援して盛り上がったと。ただ、皆さんが言うように今回の五輪は問題続きでした。1964年の東京五輪は「戦後日本の復興の証し」といった形で語り継がれているけれど、今回の五輪は後世にどう伝えられるのか。将来、皆さんが子どもや孫に「こんな五輪だったよ」と伝えるとしたら、どんな言葉で表現しますか?

【土井】確かに楽しかったけど、皆で集まって盛り上がることもなく、ただテレビやネットで見るだけだったので、「バーチャルオリンピック」かなと思います。その意味で、東京じゃなくて他国で開催される大会と変わらない大会でしたね。

【矢追】僕は「SNSオリンピック」ですね。今回は選手がいろいろな画像や動画を上げてくれて、意外な素顔や裏舞台を見られて本当に楽しかった。選手との距離が近いように感じられて、個人的にはいい五輪だったなと感じています。

日本がダメになっていく様子を強く感じた

【鈴木】僕は「衰退五輪」ですね。1964年の五輪は経済成長とか、何か日本が上昇している様子の象徴だったと思うんですけど、今回は五輪をきっかけにさまざまな問題が明らかになって、逆にダメになっていっている様子を強く感じました。世界に日本のいいところをアピールしようとしていたはずなのに、ダメなところばかり出てきて、皆が「日本って大した国じゃなかったんだ」って気づいてしまった感じがします。

【山崎】この五輪をきっかけに色々な膿が全部出て、ここから日本の政治が変わっていったんだよって伝えられたらいいな。その願いを込めて、私は「きっかけオリンピック」です。そうなれたら、この問題だらけの五輪にも少し意味があったのかなと思います。

【國武】1964年の五輪はこの先も折に触れて思い出したいものかもしれませんが、今回は「忘れたいオリンピック」。私は将来、子どもにどんな五輪だったか聞かれたら、きっと「聞かないでよ、忘れたいんだから」って言っちゃいますね。

【森】IOCに迎合しまくったという意味では「ご機嫌取りオリンピック」が露呈していたかなと思います。あと、結局はお金重視だったっていうところで「商業主義オリンピック」。一方で、選手はコロナ禍で大変な中すごく頑張っていたので、子どもには「色々よくない点があった」と言いつつ、でも選手たちは頑張っていたよってことは必ず伝えたいです。

【原田】印象的な言葉がたくさん出ましたね。今回の五輪では、若者はスポーツの力や選手の頑張りは素直に受け止めているけれど、一方で色々な真実が見えてきて、政治や日本の問題をより強く感じ始めているようですね。次回は、たくさんあった問題の中でも特に許せなかったことや、今後どうすべきだと思うかといった点を聞いていきたいと思います。

[マーケティングアナリスト 原田 曜平 構成=辻村 洋子]

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cat_11_issue_oa-president oa-president_0_uvdhbedzogdg_「石ぐらい投げられてもいい」歴代天皇として初めて戦地・沖縄を訪問した上皇陛下の覚悟 uvdhbedzogdg uvdhbedzogdg 「石ぐらい投げられてもいい」歴代天皇として初めて戦地・沖縄を訪問した上皇陛下の覚悟 oa-president 0

「石ぐらい投げられてもいい」歴代天皇として初めて戦地・沖縄を訪問した上皇陛下の覚悟

2021年8月19日 08:00 PRESIDENT Online

上皇上皇后両陛下は、太平洋戦争で激しい戦闘が行われた数々の島へ慰霊訪問を続けてきた。中でも沖縄県への訪問は11回におよぶ。元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーさんは「慰霊の旅は、戦争の反省から生まれた『現代にふさわしい皇室の在り方』を体現するものではないか」という――。

※本稿は、マーティン・ファクラー『日本人の愛国』(角川新書)の一部を再編集したものです。

非常時には国民の命よりも国が優先される

日本兵の戦死者は、日清戦争の約1万3800人から、軍事力が増強された日露戦争では約8万5000人へとはね上がっている。

国と政府、そして国民が一緒くたになり、国民の考え方や価値観、戦争に代表される非常時には国民の尊い命よりも国が上位にくる図式を示したのが、前述したように大日本帝国憲法だった。第1条で天皇主権が定められ、1890年11月29日に施行された。

大日本帝国憲法は、第28条で「信教ノ自由」を定めていた。国家神道については、仏教やキリスト教よりも上位に置くことは大日本帝国憲法とは矛盾しない、とする公式見解が存在し続けた。国家神道は、明治維新後に明治政府によって形成・振興され、国民に天皇崇拝と神社信仰を義務づけた国民宗教的な性格をもっていたにもかかわらず、である。

また教育勅語も家族的国家観に基づく忠君愛国主義と儒教的な道徳を主旨としており、国家神道の実質的な教典になった。

このように、大日本帝国憲法のもとで国家神道は、宗教と政治、そして教育を一体化させる役割を果たした。1931年の満洲事変から太平洋戦争の終戦に至る約15年間で、軍部は「天皇の軍隊」として独立した地位を与えられたが、徐々に神聖化されていった軍部が掲げた超国家主義的思想と聖戦思想のよりどころが、国家神道だった。

軍隊の神聖視が圧倒的な支持を集めるなかで、思想家やジャーナリストたちも主義主張を愛国主義へと転向させざるをえない状況に追い込まれていく。

非戦論を訴えれば処刑される時代

明治初期でいえば、ジャーナリストの徳富蘇峰があげられる。明治政府が掲げた国家主義や貴族主義に対抗する平民主義を訴え、後の総合雑誌の先駆けとなる「国民之友」を創刊した徳富は、日清戦争を境に考え方を180度転向。皇室中心の国家主義を奨励する、代表的な思想家として活動した。

大正から昭和にかけて自由主義の立場からファシズムへの批判活動を展開した、元新聞記者の長谷川如是閑も忘れてはならない。終戦後も日本を代表するジャーナリストとして、「民本主義」という明治憲法に合う形の民主主義の徹底と国際平和確立の重要性などを訴え続けた。しかし、第二次世界大戦に突入してからはリベラルな矛を収め、沈黙する期間が長かった。

対照的だったのは、幸徳秋水。幸徳は、日露戦争が開戦される前年の1903年に「平民新聞」を創刊。非戦論を訴え続けた日本の最初の社会主義者の一人だった。しかし、激しい弾圧を受け続けるなかで思想が過激化し、明治天皇の暗殺を企てた大逆事件の首謀者の一人として検挙され、1911年に処刑された。

しかし、戦後に発見された数々の資料を通じて、自由主義者や社会主義者の一掃を図っていた当局が、幸徳に濡れ衣を着せたことがほぼ確実な状況になっている。

国全体が太平洋戦争へと駆り立てられた反省から、戦後の日本人は異なる国家観を作りあげようとした。その象徴が国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が三大原理として定められた日本国憲法だろう。

海外メディアは「日本は反省していない」と報道するが…

日本国憲法は「平和憲法」とも呼ばれる。憲法の前文および第9条で規定された平和主義に由来するものだ。

かつて取材した零戦パイロットの原田要さん、硫黄島で戦った金井啓さんをはじめとする、太平洋戦争から生還した元日本兵の方々の多くは、すでに天寿をまっとうされた。原田さんも金井さんも、晩年は太平洋戦争の悲惨さを伝える語り部を率先して務めた。

よく海外のメディアは、日本は反省していない、戦争の教訓を学んでいないと報道するが、これは完全に間違っていると私は思う。確かに日本はドイツほど、日本帝国主義の被害を受けた国に謝罪していない。しかし、日本も日本なりに、あの戦争の教訓を生かしてきた。それは、日本国憲法の平和主義に反映された、二度と戦争は繰り返さないという決意である。

それだけではなく、宗教と政治を混ぜた、究極の力を持っていた明治国家への反省として、国家の力に対して、戦後の日本社会は警戒心を抱き続けた。

二度と戦争をしない決意は、社会党や他の野党だけではなく、ずっと与党の座についていた自民党も見せていた。軍事予算はGDP比1%以内にほぼ抑えており、自民党の歴代総理大臣は、憲法維持を明言してきた。

憲法前文を「みっともない」と評価した安倍元首相

それまでにない動きを見せたのは元首相の安倍晋三氏だ。

06年9月に行われた自民党総裁選に出馬した安倍氏は、施行から60年を迎えようとしていた日本国憲法を改正する公約を掲げた。52歳で、なおかつ戦後生まれで初めて内閣総理大臣に指名された直後の臨時国会では、改憲に対する持論を答弁している。

「現行の憲法は日本が占領されている時代に制定され、60年近くをへて現実にそぐわないものとなっているので、21世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を、憲法として書き上げていくことが必要と考えている」

安倍氏は1993年7月の総選挙で初当選を果たしたときから、改憲の意向を明言。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が謳うたわれた日本国憲法の前文を「敗戦国のいじましい詫び証文」「みっともない」と発言したこともある。

安倍氏の後を引き継いだ菅義偉首相は、安倍氏ほど明確に憲法改正を掲げていないが、それも今のところコロナ対策に忙殺されているからなのかもしれない。私から見ると、菅首相は、安倍氏と比較するとイデオロギーの色が薄く、もっと実践的(pragmatic)であると思う。

菅政権下の自民党は、安倍氏が持ち上げた「日本の復活」という壮大なゴールではなく、デジタル庁の設置や東京五輪の実現などという、もっと限定的な目標を目指すようになった。

そうした状況の中で、直截的ではないものの、数々の発言や行動を通して現行憲法へのメッセージを発していたのは、先の天皇で今の明仁上皇ではないだろうか。

「平和と民主主義を守るべき大切なもの」と明言

私の記憶に色濃く刻まれているのが、第125代天皇として在位していた2013年12月18日に行われた、傘寿となる80歳の誕生日を前にした記者会見での言葉だった。以下、敬称は原則として取材当時のものとする。

80年の道のりで特に印象に残る出来事を尋ねる代表質問に、明仁天皇は「やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです」として、こう続けた。

「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」

日本国憲法を作った主体を、明仁天皇は「連合国軍の占領下にあった日本」と位置づけていることがわかる。

大日本帝国憲法第1章で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定されていた天皇は、日本国憲法第1章では「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と大きく地位を変えている。

象徴という立場から逸脱することなく、それでいて日本国憲法の立ち位置を「平和と民主主義を、守るべき大切なもの」と明言した。このときの言葉から、改憲派である安倍氏や政権与党へのアンチテーゼを私は感じた。

11回におよぶ沖縄への「慰霊の旅」

明仁上皇は即位する前の皇太子時代から、毎年8月6日、9日、15日、そして6月23日になると黙とうを捧ささげてきた。広島および長崎の原爆忌、終戦記念日、そして太平洋戦争における沖縄戦で組織的な戦闘が終結した日だ。慰霊祭の時刻に合わせた祈りは、外国訪問と重なっていても欠かさなかったという。

「終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです」

80歳の誕生日前会見で太平洋戦争に対してこう言葉を残している明仁天皇は2018年、天皇として臨んだ最後の誕生日会見で、18万8136人もの日本人が命を落とした地上戦の舞台と化した沖縄へこう言及した。

「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」

「石ぐらい投げられてもいい」という覚悟だった

2人が初めて沖縄県を訪問したのは、皇太子時代の1975年7月。昭和天皇の名代としてであり、皇族では第二次世界大戦後で初めてのことだ。

本土を死守するうえでの捨て石にされた、という思いが戦争中から沖縄にはあった。1941年に「米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」を出した昭和天皇の戦争責任を問う厳しい声が飛び交っていた。

明仁皇太子は当時、「石ぐらい投げられてもいい」と語っていたという。不測の事態が起こることも覚悟したうえでの訪問だったと考えられる。

実際、テロ未遂事件も発生している。糸満市内のひめゆりの塔を訪れて献花を捧げていたときに、付近の洞窟のなかに潜んでいた2人の過激派から火炎瓶を投げつけられたのだ。

火炎瓶は献花台を直撃して炎上したが、幸い2人に大きなけがはなく、犯人たちは現行犯で逮捕された。明仁皇太子は事件を非難するどころか、事件が起こった夜に「沖縄の苦難の歴史を思い、これからもこの地に心を寄せ続けていく」とする談話を発表。その後もスケジュールを変更することなく、慰霊の旅を続けた。

即位後に初めて行われた記者会見で、明仁天皇が言及した「現代にふさわしい皇室の在り方」とは、おそらくは初めて沖縄を訪れた1975年7月の延長に位置づけられていたのではないだろうか。

「天皇陛下、万歳」と身を投じた断崖に立ち…

1993年4月に歴代の天皇として初めて沖縄を訪れると、1994年2月に硫黄島、戦後50年の節目を迎えた95年の7月から8月にかけては、特に戦火が甚大だった長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂を訪ねる慰霊の旅を行った。

戦後60年の2005年の6月には、1944年6月から7月にかけて日本軍とアメリカ軍の戦闘が繰り広げられ、日本軍が全滅した北マリアナ諸島の中心、サイパン島を訪れている。

即位後から続けてきた慰霊の旅で外国の戦場を訪れるのは初めてだった。

日本の委任統治領だったサイパンの戦いにおける日本人の戦没者は、約5万5300人にのぼった。厚生労働省によれば収集できた遺骨は約3万柱で、いまだに約2万6000人分の遺骨が地中に眠っている。

サイパン島の北部には、追いつめられた多数の日本兵や民間人が身を投じことから、スーサイドクリフと呼ばれるようになった絶壁がある。その下に建てられた中部太平洋戦没者の碑の供花台に、2人は白菊の花束を捧げた。

さらに日本兵や民間人が「天皇陛下、万歳」や「大日本帝国、万歳」と叫びながら自決したバンザイクリフにも足を運び、青い海へ向かって黙礼した。

バンザイクリフからは80メートルも下の海へ、1万人が身を投じたという。明仁天皇は断崖に立ったときの気持ちを次のように詠んだ。

「あまたなる命の失せし崖の下海深くして青く澄みたり」

「天皇の島」ペリリュー島への訪問で語ったこと

戦後70年となる2015年4月8日には、日本から直線距離にして南へ約3200キロ離れたパラオ共和国を訪れた。

それまでドイツの植民地だったパラオは、第一次世界大戦後には日本の委任統治領となった。

パラオを形成する主要な島のひとつ、ペリリュー島も太平洋戦争の激戦地の一つだ。日本兵1万200人、アメリカ兵2336人が命を落とした。日本兵の遺骨約2400柱がまだ発見されていない。

長くて4日とアメリカ軍が想定していたペリリュー島の戦いは、最終的にアメリカ軍が占領するまでに74日もの時間を要した。島全体の地下にまるで迷路のように広がる洞窟を要塞化した日本軍が仕掛けた、徹底したゲリラ戦が戦局を長期化させ、アメリカ軍にも多大なる犠牲を払わせたからだ。

想定外だった奮闘が大本営を喜ばせたのか。ペリリュー守備隊には、大元帥の昭和天皇から「お褒めのお言葉」である御嘉賞が11度も与えられた。

いつしか「天皇の島」と呼ばれるようになったペリリュー島を、平成の天皇皇后はパラオ滞在2日目に訪れた。パラオへの出発にあたっては、ペリリュー島の戦いに対してこうお言葉を述べていた。

「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」

[元ニューヨーク・タイムズ 東京支局長 マーティン・ファクラー]

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「風俗に沈めて3年間で1億円以上を搾取」シングルマザーを洗脳した強欲占い師の手口

2021年8月19日 08:00 PRESIDENT Online

占い師にマインドコントロール(洗脳)され、3年間で1億円以上を奪われた女性がいる。フリージャーナリストの田中周紀さんは「占い師のX子は、シングルマザーとして悩んでいたA子さんを脅迫し、風俗店での勤務を強いて、1億円以上を奪った。意外にも、A子さんが洗脳から脱することができたのは、税務調査がきっかけだった」という――。

※本稿は、田中周紀『実録 脱税の手口』(文春新書)の一部を再編集したものです。

洗脳され占い師に1億円を貢いだ30代女性

強欲極まりない女占い師にマインドコントロール(洗脳)され、風俗店などで稼いだ1億円超のカネを貢いでいた30代の女性が、東京国税局の税務調査をきっかけに、洗脳状態から解放されるという、何とも笑えない調査事案がある。

洗脳された当事者にとってはさぞ深刻な事態だったことだろう。手口自体は単純無申告で、マインドコントロール下に置かれた女性に仮装・隠蔽の意図はない。そこでこの事案は当事者をA子さん、占い師をX子と匿名扱いとする。

1982年12月に群馬県内で生まれたA子さんは、幼い頃から「両親に愛されていない」と感じ、他人に対する不信や自己否定、孤独などを強く感じながら育った。

21歳の04年3月に“できちゃった結婚”し、地元で暮らしていた彼女は同年8月に長男、06年6月に長女を出産したものの、08年6月には離婚。2人の子どもの親権はA子さんが持った。

離婚から半年後の08年末、人生に行き詰まりを感じ始めたA子さんは、人気の女性ファッション誌に広告が掲載された占い相談「カッシーニ」(仮名)に電話する。相談料は1分間210円。この時、A子さんからの相談に応対したのが、東京都港区内に住む占い師のX子だった。

A子さんはこれ以降、シングルマザーの自分が子どもを養っていく方法や、長年患っている過食嘔吐の症状、さらには男女関係の問題など、何かにつけてX子に相談するようになる。

「私を敵に回すと何が起こるか分からないよ」

09年に入ると、A子さんはほぼ毎日X子にメールを送り、電話相談も週2回程度行って、その度に数万円の相談料を支払った。同年10月、彼女はX子のアドバイスに従って2人の子どもを元夫に預け、東京都内で一人暮らしを始めた。

X子に紹介された飲食店でアルバイトとして働き始めると、同月末にはX子からのアドバイスを受け入れ、2人の子どもの親権を元夫に譲り渡した。

そして10年になると、頃合いを見計らっていたX子は、本格的にA子さんのマインドコントロールに取り掛かった。

「10代の頃に一度吸ったマリファナのせいで、あなたの脳細胞は破壊されている。職場の人たちもあなたを嫌っていて、あなたの味方は私だけ。私を頼れば状況は良くなるけれど、敵に回すと何が起こるか分からないよ」

孤独感に苛まれ、何一つ疑うことなくX子の発言を受け入れるようになったA子さんは、脅迫とも受け取れるこうした言葉をX子から日常的に浴びせられた結果、「味方はX子さんだけ」と信じ込むようになった。

家賃27万円のマンションで一人暮らしが始まる

10年4月末に港区内の総合病院の精神科に通院を始めたA子さんは、担当医師から「双極II型感情障害」(軽い躁状態と抑鬱状態を繰り返す障害)と診断された。

彼女から病名を聞かされたX子は同年7月、自宅マンションがある港区白金から程近い渋谷区広尾のマンションに移り住むようA子さんに提案するが、最終的にこの話はまとまらず、X子に「実家に帰りなさい」と宣告されたA子さんは翌8月、埼玉県内に移転していた実家に舞い戻った。

A子さんとX子との直接的な関係は、ここで半年以上途絶える。だがこの間もX子は、「あなたを広尾のマンションに住まわせる準備にかかった壁紙の張り替え費用など、50万円を支払ってほしい」などと請求。X子の言いなりだったA子さんは、何一つ疑うことなく、X子に月数万円を支払い続けた。

そのA子さんに11年3月、X子から7カ月ぶりのメールが届く。幼い頃から自分に自信が持てず、完全にX子のマインドコントロール下にあったA子さんにとって、このメールはむしろ待ちかねていたものだった。

「私の身の回りの手伝いをしてくれれば、マンションの家賃を支払える程度の報酬を出すから、東京に戻って来なさい」

メールが届いた翌月の同年4月、再び上京したA子さんは、実家に戻る前にX子から指示された渋谷区広尾のマンションで一人暮らしをスタートさせる。家賃は月27万円。

これを捻出するためアルバイトを始めたA子さんだったが、すぐに辞めてしまう。さらにX子の指示でこなしていた買い物などの雑務も、X子に「仕事の質が低いので、報酬は支払わない」などと難癖をつけられ、収入の道を閉ざされてしまった。

「あなたも風俗店で働けばいいじゃない」

窮地に追い込まれたA子さんは、消費者金融から合計40万円を借り入れ、何とか4月分の家賃を支払ったものの、月27万円もの家賃を支払い続けることは到底不可能。途方に暮れるA子さんを前に、X子がとうとう本性を現した。

「相談者の中には、風俗で稼いで相談料を支払っている子もいる。あなたも風俗店で働けばいいじゃない」

マインドコントロールされているX子から勧められると、A子さんは何も逆らえない。11年6月5日、A子さんはX子が指示した港区新橋のファッションヘルス店のコンパニオン嬢として働き始める。1週間後、そんなA子さんをX子がさらに追い詰めた。

「あなたがマンションで過食嘔吐を繰り返すから、排水管で異臭がして、管理業者や住民から苦情が殺到しているの。排水管を調べたり修理したりするのに大金が必要で、最悪の場合は一棟丸ごと買い取ることになり、あなたは何十億円も支払わなければならなくなる。ファッションヘルス店で早番(午前9時~午後1時)と遅番(午後4時~翌日午前零時)の両方に出勤しないと、とてもおカネが追いつかないよ」

1日に使える生活費は100~200円

もちろん、実際に苦情など届いているはずもない。だが、恐怖感を煽るX子の言葉に判断力を失っていたA子さんは、入店から10日後の11年6月15日以降、早番と遅番の両方で働くようになった。

これを見たX子は、嵩にかかってA子さんに命令した。

「苦情への弁償金支払いに充てるため、さらにはあなたが過食しないようにするため、ファッションヘルス店の稼ぎは私に全額渡しなさい」

そこでA子さんは、ファッションヘルス店から日払いで受け取る報酬(現金)の中から、わずかな生活費分を差し引いた残額について、その額を記したメモとともにX子の自宅マンションのポストに投入し、日々の売上高もメールで報告した。X子は当初、一日数千円を生活費としてA子さんに渡していたが、11年9月頃に一日100~200円にまで減額し、その後は全く渡さなくなった。

A子さんは万引きしたり、友人や客から食べものを分けてもらったりして飢えを凌ぎ、広尾の自宅マンションから店がある新橋まで、徒歩で1時間かけて通勤。電気、ガス、水道すべてを止められても、X子の命令に従った。マインドコントロール、恐るべしである。

手渡した現金は3年間で約1億909万円

X子に恐怖心を煽られ、すっかり洗脳されたA子さんは、X子に紹介された港区新橋のファッションヘルス店で連日12時間働き、日払いの現金で受け取る稼ぎのほぼ全額をX子に渡した。A子さんの11年中の売上高は1829万500円に上ったが、彼女は何とその98%に当たる1789万7500円をX子に渡していた。

X子から食費を与えられず、自宅マンションの電気、ガス、水道も止められ、空腹に耐えかねたA子さんは、X子の自宅に入り、冷凍食品を無断で食べていた。ところが、それがX子に露見して、「二度としません」とする念書まで書かされた。

恐怖心を煽るX子の手口は一段とエスカレート。「異常者」と決めつけた非難のメールを送りつけたり、「私の言うことに従わないと、警察に捕まって刑務所送りになる」などと脅し、世間知らずのA子さんをパニックに陥れたりした。さらに多額の借金の存在を信じ込ませるため、A子さんに何度も借用書を書かせた。

昼も夜もなくファッションヘルス店で接客を続けた結果、A子さんの売上高は11年分が前述のように1829万500円、12年分が3614万6000円、13年分が3193万5000円の合計8637万1500円に上った。ファッションマッサージ嬢やソープランド嬢は店員ではなく、個人事業主として店に施設費を支払って利用する立場だ。

A子さんが店側に支払った3年分の経費185万8820円を差し引くと、彼女の所得額は8451万2680円に達していたが、何とこの98.5%に当たる8321万4680円が、X子に現金で渡されていた。

まさに絶好のカモだった

さらに「あなたの借金額が膨らんでいる」というX子の嘘に煽られたA子さんは12年5月以降、店の通常サービスとは別料金のオプションサービス(いわゆる本番行為)を行ったり、月に数回は閉店後の深夜に客と落ち合い、個別のサービスを行ったりした。

A子さんのオプションサービス料は一回当たり4万2275円。12年5月1日から13年12月10日までの589日間に受け取った2489万9975円の現金は、すべてX子に渡った。

ただ、のちにA子さんがX子を相手取って起こした返還訴訟で、東京地裁は「メモが存在している日を除けば、オプションサービスによる収入を裏付ける客観的な証拠が存在しない」などと判断。

その結果、A子さんのオプションサービス収入は2年間で合計135万2800円分を認定されるにとどまった。

話をもとに戻そう。A子さんがファッションヘルス店で稼いだ金額(店から経費分を差し引かれて日払いで受け取る所得額)と、オプションサービスで稼いだ金額の合計は1億941万2655円。

ここから、2年半で僅か32万2600円という生活費を差し引いた1億909万55円もの大金を、A子さんはX子に現金で渡したことになる(東京地裁のオプションサービス収入の認定額に従うと8586万5480円)。

まさにA子さんはX子にカネを貢ぐ奴隷そのもので、X子にすればA子さんは絶好のカモだった。

税務調査契機にマインドコントロールから脱出

A子さんの恐怖心を煽る目的でX子が創作した数々の事態は、傍から見れば明らかな嘘と分かりそうなものだが、地方出身で世事に疎く、自己肯定感に乏しいA子さんには、悩みの相談相手として依存するX子を疑う発想自体がなく、いとも簡単にマインドコントロールされた。

皮肉にもこうしたA子さんの絶望的な状況を打破してくれたのが、13年11月の東京国税局課税第1部資料調査第1課の税務調査だった。

所得税の任意調査を担当する課税第1部料調第1課がX子とA子さんを調査した際、税務の知識が皆無のA子さんは、ファッションヘルス店のコンパニオン嬢という個人事業主でありながら、3年間で1億円超の事業収入について一度も確定申告していなかった。

それでは料調はなぜ、A子さんの無申告を把握して調査に踏み切ったのか。国税OB税理士が説明する。

「同じ個人事業主といってもファッションヘルス嬢やソープランド嬢の場合、ホステスとは異なり、店側の源泉徴収義務が明文化されていません。

店側が支払調書などを提出しなければ、税務署側がファッションヘルス嬢の収入を把握するのは困難。それに本局の料調がファッションヘルスを個別に調査するケースはあまり聞いたことがない。むしろA子さんから巻き上げたカネを自身の口座に入金したX子の預金残高が急増し、これを把握した料調がX子をターゲットに調査した結果、A子さんの無申告が判明したと考えた方が納得できます」

国税局の調査がマインドコントロールから救い出した

料調の調査開始当初、X子は「国税局には『私が稼いだお金はすべて、X子さんに渡して預かってもらいました。稼いだお金で私が過食しないよう、X子さんは預かってくれていたんです』と話しなさい」などとA子さんに指示し、この趣旨に沿った内容の確認書まで書かせようとした。

だが13年12月初旬、調査を担当した料調の実査官から「これまでX子があなたに話してきた中身はすべてデタラメ。あなたはX子に強烈にマインドコントロールされている」と説得され、A子さんはようやくマインドコントロールを脱け出すことができた。

同年12月11日午前の売り上げを最後に、A子さんは店やオプションサービスで得た稼ぎをX子に差し出す行為を取り止め、彼女との関係を清算して埼玉県内の実家に帰った。料調はA子さんの3年分の事業所得を8586万5480万円と認定し、無申告加算税を含めて4100万円超を課税したもようだ。

A子さんは弁護士を通じて14年2月、渡したカネを返すようX子に請求した。しかしX子はこれに応じず、A子さんはX子を相手に、東京地裁に損害賠償請求訴訟を起こす。

そして17年1月18日、同地裁は「A子さんから受け取ったのは、家賃の未払い分や相談料としての100万円程度に過ぎず、1億円ものおカネは渡されていない」とするX子の主張を退け、X子に対し、A子さんに慰謝料と弁護士費用合わせて9824万4880円を支払うよう命じる判決を下した。

料調の調査という“外圧”が、結果としてA子さんをマインドコントロールから救い出したのだ。

幼い頃に自営業の実家が納税に四苦八苦したり、社会に出たあとに医療費や住宅ローンの控除、相続税の納税などに直面したりする機会でもない限り、日本国民が国税当局の存在を認識する機会はまずない。

そんな国税当局に徴税に関する絶大な権限を与えている以上、義務教育期の国民に納税についての最低限の知識を与えておくことは、政府に課せられた義務の一つではないのか。

[フリージャーナリスト 田中 周紀]

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「10代から親の介護で"人生が棒"」定職につけず、恋人に捨てられた30男を鬱病にした身近な真犯人

2021年8月19日 08:00 PRESIDENT Online

30歳独身の男性は高校時代から13年間も父親の介護をひとりでしている。父親は脳梗塞の後遺症や糖尿病網膜症などを患い、要介護4。ギャンブル狂の母親は父親と離婚し、パチンコで知り合った男性と再婚。男性は、昼夜を問わない介護で消耗するだけでなく、底意地の悪い親戚や自分の陰口をたたく職場同僚などにも悩まされ、心を病んでしまう――。

【あらすじ】

子煩悩だが、酒を飲むと暴れて手がつけられない土木関係の仕事をする父親。借金までしてパチンコにのめり込み電気やガスを止められる事態を招いた看護師の母親。夫婦ゲンカが絶えない家庭で育った九州在住の和泉直也さん(現在30歳・独身)は、小学校高学年の頃から不登校に。中学に上がる頃には、母親はパチンコがきっかけで知り合った男性と暮らし始め、両親は離婚。和泉さんは同じような境遇の仲間とつるみ、酒やタバコを覚え、深夜まで遊び歩くようになる。夜間高校に進んだ和泉さんがまもなく高校2年に進級しようとしていた2007年2月、57歳の父親は脳梗塞を発症。右半身にまひと、失語症が残ったが、リハビリをしたかいあって杖歩行ができるまでに回復。しかし、高次脳機能障害で正常な判断力を失っていた父親は、和泉さんの高校生活の妨げになるのだった――。

10、20代の青春時代を父親の介護に捧げた30歳男性

2010年春、和泉直也さん(現在30歳・独身)は夜間高校を卒業し、学童保育の職員として働き始めた。

しかし、働きながら脳梗塞の後遺症に苦しむ父親(当時60歳)の介護をするのは想像以上にハードだった。自分が中学の頃に、両親は離婚し、母親が家を出ていってしまったため、父親をサポートできるのは自分しかいない。

朝、6時頃に父親に呼ばれて起床。朝食を準備して父親の服薬を介助し、デイサービスがあるときは見送ってから仕事へ出かける。昼休みに一時帰宅し、父親が家にいるときは昼食の準備をして、服薬を介助して仕事へ戻る。夕方は、仕事が終わったら買物をして帰宅。掃除や洗濯などをして、終わったら1時間ほど仮眠を取る。その後、夕食の準備、父親の服薬介助、入浴介助などを行う。

父親が就寝したあとはゲームをしたり本を読んだりして過ごすが、約1時間おきに父親に「おーい!」と呼ばれる。父親は目が覚めたとき側に和泉さんがいないと呼ぶのだ。呼んでも来ないと、だんだん大きな声になり、最終的には叫ばれる。

常に側にいればいいのだが、そうもいかない。まとまった睡眠がとれない和泉さんは、仕事と介護と睡眠不足で疲弊していった。

そんなある日、大好きなプロレスのテレビ放送を見ていた和泉さんを、いつものように父親が呼ぶ。返事をしたものの、プロレスから目が離せずにいると呼ぶ声がだんだん大きくなり、ついに叫ぶような大声に変わる。思わずカッとしてした和泉さんは、洗濯して取り込み、畳んでいたTシャツで父親を何度も叩いてしまい、後悔に苛まれた。

脳梗塞の父親が糖尿網膜症に、唯一の味方の伯母の死

2007年に父親が脳梗塞になって以降、和泉さんをいろいろと気遣ってくれていたのが近くに住む伯母(父親の姉)だった。だが、2008年に伯母に乳がんが見つかる。すでに末期の状態だった。伯母はしばらく隠していたが、闘病生活を続ける中で、これ以上隠しておけないと思ったのか、和泉さんと父親に告白。初めて伯母が末期がんだと知った日、和泉さんと父親は声も出ないほど大きなショックを受け、すぐには事態をのみこめなかった。

「自分がやるしかないんだ」。伯母に依存することもできないなか、当時10代の和泉さんは夜間高校に通学しながら、また学童職員として働きながら懸命に父親の介護をした。だが、病状は刻一刻と悪化してしまう。

2011年の年末頃、61歳になった父親は、「目が見えんがね……」「テレビが見えん……」としばしば和泉さんに言い始めた。確認したところ、父親の両目が充血している。眼科に連れて行くと、医師から大学病院を紹介され、そこでさまざまな検査を受けた結果、糖尿病網膜症を発症していることがわかった。

「母によると、父は会社の健康診断などで随分前から糖尿病だということが分かっていたみたいです。それなのに、母がどんなに説得しても、『自分の身体のことは自分が一番わかっとる!』と言って、絶対に病院へ行こうとしなかったのだとか。母いわく、父は、病院が怖いとか、嫌いとかだったようです」

糖尿病網膜症は、糖尿病腎症、糖尿病神経症と並び、糖尿病の三大合併症といわれ、糖尿病が原因で網膜が障害を受け、視力が低下する病気だ。網膜は、目の中に入ってきた光を刺激として受け取り、脳への視神経に伝達する組織で、カメラでいうとフィルムの役割をしている。定期的な検診と早期の治療を行えば病気の進行を抑えることができるが、現状、日本の中途失明原因の代表的な病気となっている。

これをきっかけに、和泉さんに父親のインスリン投与が課されることになった。

2012年10月、和泉さんと父親は、約4年にわたり乳がんで闘病していた伯母を、緩和病棟で看取った。痛み止めのモルヒネを投与され、意識が朦朧とした中で、「あんた、きてくれたんかい?」と和泉さんに向かって言ったのが、伯母の最後の言葉となった。63歳だった。

「自分だけお金がもらえるように、裏工作でもしたんやろう!」

両親も夫も亡くし、子どももいない伯母の喪主は、本来ならすぐ年子の弟である父親が務めるべきだったが、父親は脳梗塞の後遺症で杖をつかなければ歩けないばかりか、失語症と高次脳機能障害もあるため難しい。そこで生前から、喪主は和泉さんが務めるよう伯母に頼まれていた。

伯母を看取った和泉さんは、思いの外大きな精神的ダメージを受けていた。そのダメージは、伯母の葬儀を滞りなく終えたあとも一向に回復しなかった。回復しない理由は、伯母に対する悲しみや寂しさが深かっただけではなく、落ち着いて伯母の死と向き合う時間がとれなかったためだ。

6人きょうだいの伯母と父親は、伯母が長女、父親が長男で、次女は遠方に嫁いでからは、長年会っていない。三女は結婚して同じ市内に住んでいる。次男は自衛隊に勤めてていたが、49歳で突然練炭自殺してしまった。三男はもともと遠方で暮らしていたため疎遠になっていたが、数年前に病死している。

このうち、同じ市内に住む、伯母より6歳下、父親より5歳下の、三女である叔母が、和泉さんと父親に連日嫌がらせをしてきたのだ。

父親によると、伯母と叔母は、子どもの頃から仲が良くなかったらしい。夫に先立たれ、子どももいない伯母は、自分の家や土地など、財産すべてを和泉さんに相続させるつもりだった。そのため伯母は、亡くなる2週間前に緩和病棟で公証人立ち会いの下、公正証書遺言を作成する形で手続きを行ってくれた。

しかし、叔母はこれが気に入らない。葬儀後、相続のことを知った叔母は、「自分だけお金がもらえるように、裏工作でもしたんやろう!」と大騒ぎし、毎日のように和泉さんの家に押しかけてきては、ドアをどんどんと叩き、外で暴言を叫び続けた。

こうした嫌がらせが10日以上も続き、和泉さんは仕事に出かけることもできない。結局、退職に追い込まれた和泉さんは、ついに警察に相談。警察が仲裁に入ってくれたことでようやく叔母は引き下がったが、この騒ぎのせいで和泉さんは精神的にボロボロに。気付けば伯母の葬儀から2週間も経っていた。

「『いろいろ精神的にきついけど、僕がしっかりせないかん……』とは思うものの、ふと気が付くと県営住宅の3階にある家のベランダからぼーっと下を覗き込んで、『このままいっそ飛び降りてしまおうか……』と思うようになっていました」

数年前、父方の叔父が49歳で自殺していることから、「このままではまずい!」と思った和泉さんは、心療内科を受診。診断は、不眠症、適応障害、軽度な鬱病だった。

父親の糖尿病網膜症、伯母の死と、度重なる身内の不幸に、和泉さんにさらに追い打ちをかけたのは、高校2年から付き合っていた彼女からの別れ話だった。

「おそらく、父親の介護があり、僕はフルタイムで働くことができないため、将来が不安だったからだと思います……」

2014年。父親はかれこれ半世紀近く県営住宅3階の同じ部屋に住んでいるが、建物自体がかなり老朽化しているだけでなく、エレベーターがない。そのため脳梗塞になってから、杖をついて3階まで上がらなければならない父親のことを心配した他の住民が、県に相談してくれたおかげで、和泉さん父子は1階の部屋へ移ることができた。

転々とする職場の人間関係が常に悪く、定職につけない

学童職員を辞めてからの和泉さんは、伯母が住んでいた家の片付けに明け暮れ、それが1年ほどして落ち着くと、自分の家に引きこもる生活を続けていた。

しかし2015年10月、「このままでは自分がダメになる!」と考えた和泉さん(当時24歳)は、従兄弟が勤めていた人材派遣会社に登録。油断すると引きこもりたい気持ちになる自分にむちを入れて面接に行き、車の部品工場で、3カ月ごとの更新契約で働くことに決まる。

ところが、数日もすると頭がぼーっとしてきて集中力が続かず、たびたび不良品を出してしまう。和泉さんが出した不良品を、正社員が残業をして探す……という事態を引き起こしてしまい、これ以上働き続ける自信がなくなった和泉さんは、3カ月で辞めてしまった。

その後、介護人材バンクセンターに登録したところ、2017年の7月1日からデイサービスで働く話が来た。だが、今度は働き始めてからしばらくして、他の女性職員たちから陰口を言われるようになり、1年を過ぎる頃には完全に無視され、結局1年半で退職。

失業給付を受けながら、次は介護タクシーの運転手になろうと普通自動車二種免許とホームヘルパーの資格を取得し、2018年2月から介護タクシー事業とお弁当の宅配を行う会社で、お弁当の宅配員兼ヘルパーとして働くように。

しかし、そこでは何かと厳しい口調で和泉さんに注意する年配女性職員に目をつけられ、次第に和泉さんはその女性職員に話しかけられるたびにパニックを起こすようになってしまう。

和泉さんは昼休みに、失禁や排便の失敗が頻繁になった父親のオムツ替えや昼食準備、インスリン投与のためにいったん家に帰るが、その女性職員は、和泉さんのいない時間を見計らって和泉さんの様子を施設の重役に逐一報告していたため、突然重役に呼び出されて叱られることが増える。そんな毎日に耐えられなくなった和泉さんは、わずか2カ月で辞めてしまった。

2019年7月。今度は市役所の清掃職員として働き始めた和泉さんは、最初の頃は、お昼に余ったお弁当を持ち帰らせてもらうなど、リーダーから良くしてもらっていたが、ある時から急に仕事量が増え、疑問に感じる。どうやら同じ清掃職員の女性からの嫌がらせだった。

この頃、和泉さんの父親は、転倒することが増えた。そのため和泉さんは、自分が不在の間の父親が心配で、父親の部屋にウェブカメラを設置。仕事中でも時々スマホを確認し、父親が転倒している様子が映し出されると、リーダーに事情を話して早退させてもらっていたのだが、それが女性職員は気に入らなかったようだ。

2020年4月、深夜から明け方にかけて父親が腹痛を訴えたため、救急外来に連れて行ったところ、医師から「便が消化しきれないことによって、お腹にガスが溜まっています。しばらく入院し、絶食と点滴でよくなるでしょう」と言われた。

翌朝、ほとんど睡眠がとれないまま仕事に行くと、「動きが遅い! 何日も休んだくせに!」と女性職員から言われ、何もかもどうでも良くなった和泉さんは、その女性職員と言い争いをして、そのままリーダーに退職を相談し、25日付で辞めることに決まった。

「軽度のうつ病」から「うつ病」に診断が変わった

無職になった和泉さんは、「このままではダメだ!」と思い、社会とのつながりを求めて8月からB型就労継続支援所で働き、人間関係に対する苦手意識を少しずつ克服していこうと考えている。

腹痛で入院した父親は、コロナ禍で面会がまったくできなかったこともあり、認知機能が急激に衰えた。失語症の症状も進み、「おーい!」と呼んだはいいが、「あれ……? (言葉が)出てこん……」と言って黙ってしまうことも頻繁に。

1カ月半ほどで退院した父親は、要介護4に介護度が上がった。排便や排尿の失敗もさらに増え、和泉さんが後始末をする度に、父親は無言のまま、悲しそうな、申し訳なさそうな表情をした。

和泉さんは、2012年から月1で通院している心療内科に行くと、「軽度のうつ病」から「うつ病」に診断が変わった。

主治医は、「介護疲れでしょう。きみの場合、とても長い期間お父さんを介護していますから……」と言った。

高校卒業から30歳になるまでの間、職場をいくつもわたり歩き、細々とした収入を得ながら父親の介護をしてきた和泉さんは、いまこう話す。

「急に排泄の失敗が増えて、その度に父は申し訳なさそうな顔をするのですが、僕は時々カッとなり、叩いてしまうこともあります。内心、『早く死んでくれないかな』『父ちゃんさえいなければ、今頃恋人もいたかもしれんのに』と思うこともあります。つるんでいた仲間が都会へ出ていき、結婚したとか、子どもができたとかの知らせを聞く度に、『自分は何をしているんだろう……』と、虚しくなります」

そんなモヤモヤしたどす黒い気持ちの一方で、「4トン近い山鉾を担いでいた父の姿は、今でも忘れられません」と父親を尊敬し誇りに思いながら、「父ちゃん、いつまでも元気で長生きしてほしいのに……なんでや!」と、もがき苦しむ。

「高校1年の頃、当時は自分がグレて遊び歩いていた後ろめたさもあったので、父が脳梗塞になったことがきっかけで、『こうなった以上は、僕が面倒を見るしかない!』と腹をくくりましたが、(離婚して、他の男性と再婚した)母のことは今でも許せず、ずっと恨み続けています」

父親が脳梗塞になってから、母親は月に1度、1泊2日で介護を手伝いに来てくれていたが、たびたび母親と和泉さんでケンカになり、それ以降、泊りがけの介護は断っている。

「母は、僕と父を置いて家を出たくせに、今さら戻ってきて、父の入所のこととか介護のことなどに口を出してくるんです。さすがにムカついて、『話がややこしくなるだろ! ふざけるな!』と言うと、ケンカになります。父は母とよりを戻したがっていましたが、母は再婚相手とうまくいっているようで、その気はありませんでした」

それでもやはり母親は、拭いきれない罪悪感があるようだ。介護を手伝いに来る度に、「私があんたに苦労かけた。私だけ家を出て、13年間も一人で介護をさせて悪いと思ってる。毎日家で泣いてる。あんたのことを考えない日はないからね」と言い続ける。

和泉さんは、母親にどんな形で父親の介護をサポートしてもらうのがベストなのか考えるとともに、要介護4になってから申し込んだ8施設の空きを、今か今かと待ちわびている。

プロレスラーの夢と八方塞がりの未来

10代後半、20代の時間のすべてを父親の介護に費やした和泉さんだが、幼い頃から抱いていた、「プロレスラーになる」という夢に少しでも近づくために、2018年頃から生活費を切り詰め、ない時間を捻出し、格闘技教室とプロレスのトレーニングジムに通い始めた。

すると地元のレスラー好きの仲間と知り合い、交流ができた。介護や仕事とは関係のない時間は和泉さんにとってかけがえのないものだった。だが、2020年のコロナ禍以降、格闘技教室は休校になり、仲間との交流も途絶えてしまった。

ただ、和泉さんは、約8年前に大仁田厚さんの試合を見に行った際に、本人と話したことを今でも覚えている。うれしさと緊張のあまり、何を話したのかはよく覚えてないが、大仁田さんと話している最中にスマホが鳴ってしまったときに、「おい! お前はまだスマホ持てるんだからいいよ! 俺なんて団体立ち上げた頃、携帯持つお金もなかったもん!」と言われたことと、「俺もヘルパー2級の資格を持ってるぞ!」と言っていたことだけは忘れられない。

大仁田さんは、その後も和泉さんが試合を見に行くと、話しかけてくれるようになった。

2018年頃には、「お前のSNS見てるからな! どん底かもしれないけど、あとは上がって行くだけだぞ!」という激励の言葉をかけられた記憶が、和泉さんの心にずっと残っている。

和泉さんは高校卒業後、中学や高校時代の仲間たちとは距離を置き、極力会わないようにしてきたが、年末年始やお盆などになると、今でも家の玄関のドアノブに、都会から帰省したと思われる旧友からのお土産がぶら下がっていて、袋の中には一言『今はコロナ禍やから、会わずにお土産だけ置いとくね』と書かれたメモが添えられていることがある。

「中学や高校時代の仲間たちとは、つらくなるだけなので会わないようにしています。トレーニングジムでの練習を再会したいのですが、金銭的に苦しいことと時間がないこと、そして父が退院したので、家に一人でいる父のことが気になってトレーニングに集中できないため、近々辞めようかと悩んでいます」

和泉さんにとって、トレーニングジムを辞めることは、プロレスラーになる夢を諦めることに等しい。近年、和泉さんのように10代の頃から身内を介護せざるを得ない状況に追い込まれるケースが顕在化してきている。少子高齢化、晩婚化・高齢出産傾向が止まらないわが国では、介護問題の深刻化が決定的となり、2025年問題、2050年問題が迫る。

和泉さんのようなヤングケアラーはもちろん、子や孫、配偶者など身内による介護は、その人との楽しく幸せな思い出さえも、つらく苦しい思い出に上書きし、時には恨みや憎しみに変えてしまうことも少なくない。

誰だって大好きだった人に対して、「早く死んでくれ!」などと思いたくない。

しかるべき施設で専門職による介護サービスが、必要な人に必要なだけ行き渡るよう、早急に整備する必要があるだろう。

[ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂]

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cat_11_issue_oa-president oa-president_0_k6np07dvhl6u_日本と同じアメリカの同盟国なのに、韓国が中国には「いい顔」を見せる本当の理由 k6np07dvhl6u k6np07dvhl6u 日本と同じアメリカの同盟国なのに、韓国が中国には「いい顔」を見せる本当の理由 oa-president 0

日本と同じアメリカの同盟国なのに、韓国が中国には「いい顔」を見せる本当の理由

2021年8月19日 08:00 PRESIDENT Online

なぜ日韓関係はこれほど悪くなってしまったのか。東京大学大学院の木宮正史教授は「日韓は歴史問題をめぐって対立を深めているが、それは関係悪化の根本的な原因ではない。ここまで関係が悪化した根本的な原因は、激化する米中対立に対する立場の違いにある。しかし、この立場の違いは決定的なものではない」という――。

関係悪化の一途をたどる日韓問題

小渕恵三政権と金大中政権との間で合意された1998年の日韓パートナーシップ宣言で、日韓関係は歴史問題をめぐる対立に一区切りをつけて、新たな段階に進むと期待された。

しかし、その後の日韓関係は、

韓国の盧武鉉(進歩)→李明博(保守)→朴槿恵(保守)→文在寅(進歩)


日本の森喜朗→小泉純一郎→安倍晋三→福田康夫→麻生太郎(以上、自民)→鳩山由紀夫→菅直人→野田佳彦(以上、民主)→安倍晋三→菅義偉(以上、自民)

と、それぞれ政権交代を経過したが、関係悪化の流れに歯止めがかからなかった。こうした関係悪化の原因となったのは、第一義的に、日韓の間に存在する、歴史問題や領土問題であった。

特に、慰安婦問題や徴用工問題など歴史問題に関して、1965年の日韓請求権協定や2015年末の慰安婦問題に関する日韓政府間合意などによって、日韓政府間で解決が合意されたにもかかわらず、韓国の司法が、加害者である日本の政府や企業に損害賠償を命じる判決を下したのである。

こうした判決は、政府間合意を受け入れ難いとする韓国の被害者および支援団体、そして、それを基本的には支持する韓国社会の世論に支えられたものだった。

2018年10月の韓国最高裁(大法廷)は、劣悪な条件での苛酷な労働という反人道的な人権侵害に対する慰謝料請求などを含む損害賠償請求は未解決であるとして、被告である日本企業に対する損害賠償を命じる判決を確定した。

この確定判決に基づき、日本企業の在韓資産に対する現金化措置の手続きが進まざるを得なくなったのである。

協力的だった経済や安全保障まで対立が拡大

慰安婦問題に関しては、文在寅政権は、日韓政府間合意を破棄するとは言わないが、これでは問題解決にはならないとして、合意に基づいて創設された「和解癒やし財団」を解散した。

さらに、2021年1月、ソウル中央地裁は、「主権免除」の国際慣習法によって外国政府を被告とした裁判は成立し得ないという原則を適用せず、元慰安婦女性に対する日本政府の損害賠償を命じる判決を出し、従来から訴訟に参加しないという日本政府の原則に則って控訴もしなかったために、判決が確定した。

こうした一連の韓国の司法判断に対して、日本政府は「国際法違反」だとして、韓国政府に対して、その是正を求めたが、韓国政府は「三権分立」なので司法判断には介入できず、日本政府の要求全てに応えることはできないという立場であった。

そして、今度は、日本政府が、そうした韓国政府への実質的な対抗措置として、2019年7月、対韓輸出管理措置の見直しを行い、これに対して韓国では官民挙げての対抗措置が採られることになった。

さらに、そうした渦中、韓国海軍による自衛隊哨戒機へのレーダー照射問題が起こり、これに関する日韓両政府間の見解が対立するなど相互不信が増幅した。このように、歴史問題をめぐる対立が、それまで日韓の協力分野であった経済や安全保障の領域にまで拡大する様相を示し始めたのである。

非対称的な関係から、対称的な関係に変化した日韓関係

従来、日韓間に歴史問題や領土問題は厳然として存在した。にもかかわらず、関係が必然的に悪化したわけではなかった。それではなぜ、近年、日韓関係が急激に悪化することになってしまったのか。

7月に岩波書店から上梓した『日韓関係史』では、その原因として日韓関係が「非対称で相互補完的な関係」から「対称で相互競争的な関係」に変容したにもかかわらず、日韓双方の政府、さらに社会が、そうした構造変容に適切に対応できていないという点に注目している。

1980年代の冷戦期、下記の点において日韓は“非対称な関係”にあった。

①日本の力の優位
②日本の市場民主主義と韓国の開発独裁という体制の違い
③政府・財界関係のみの関係
④関心・情報・価値の日本から韓国への一方的流通

こうした非対称な関係の下で、日韓の経済協力によって韓国の経済発展と政治的安定を達成し、それによって北朝鮮に対する韓国の体制優位を確保することで日本の安全保障を確実なものにするという相互補完的な関係が形成されていた。そして、その共通目標は見事に達成された。

しかし、1990年代以降、冷戦の終焉と韓国の先進国化・民主化によって、日韓の関係性は、

①日韓の力の対等化
②市場民主主義という価値観の共有
③地方政府間関係、社会文化関係を含む多層で多様な関係
④関心・情報・価値の流通における日韓の双方向化

などによって対称的に変化した。

そして、それに伴って、日韓間には競争関係が強く刻印されることで、相互に自分のほうが進んで譲歩し難いという関係になってきたのである。

互いに協力する目的を失ってしまった

このように、冷戦体制下において、日韓協力を通して韓国の経済発展と政治的安定を確保し、北朝鮮に対する韓国の体制優位を確実なものにすることで、日韓の安全保障に資するという共通目標自体が達成されてしまったが故に、一体何のために、どのように協力するのかが不透明になったのである。

さらに、不透明になるだけでなく、場合によっては、外交目標に関する日韓の乖離が目立つようになった。そのような状況のなかで、日韓の間に存在する歴史問題や領土問題に起因した対立関係がエスカレートしないように管理するという課題を、日韓双方とも共有しなくなった可能性が高い。

そうした対立争点を妥協に導くためには、日韓双方の相対的な強硬世論に対して、そうした対立争点があるにもかかわらず、より一層重要な分野、具体的には経済や安全保障に関して協力する必要があるので、そうしなければならないと説得する必要がある。

しかし、そうした協力の必要性が低下すると、強硬な国内世論を説得してまで、対立を妥協に導く必要がないということになってしまうからである。

しかも、日韓が対称で相互競争的な関係になることで、「相手には絶対負けられない、譲歩できない」と双方の国内世論、特に、従来はそれほどでもなかった日本の国内世論がより一層強硬になることで、政府としてはあえて強硬な国内世論の支持を相当程度失うかもしれないというリスクを負ってしまう。

そのようなリスクを取ってまで、相手国との妥協を試みるという選択をするだろうか。

日韓対立の原因となっている「二つの乖離」

日韓対立の原因として、外交目標に関する二つの乖離があると考えられる。

第一に、対北朝鮮政策に関する乖離を指摘することができる。

日本では、韓国文在寅政権の対北朝鮮に関して、「南北関係の改善」を重視する余り、「北朝鮮の非核化」という目標が疎かになっているのではないかと不信感を募らせる。

それに対して、韓国では、韓国の対北朝鮮政策を実施するためには、米朝交渉に対する米国の前向きな対応が必要なのだが、それを日本が邪魔しているのではないかと不信感を募らせる。

従来であれば、北朝鮮に核ミサイル開発という軍事的脅威への対応が、冷戦の終焉以後の日韓協力を支える重要な契機になってきたたわけであるが、文在寅政権の登場以後、対北朝鮮政策をめぐる日韓の相互不信が顕著になったのである。

米中対立の激化に巻き込まれた韓国

第二に、中国の大国化、さらに、それに起因する米中対立の激化への対応に関する日韓の乖離である。

日本は、一方で中国の大国化への関心と対応を米国に共有してもらうために「インド太平洋」構想を「売り込み」、現状では一応それに成功しているように見える。

他方で、米中対立激化の中で日中関係までも悪化しないように管理しておきたいと中国が考えるであろうことを念頭に置き、米中対立激化の中で日本の選択の幅を何とか確保する外交を展開してきた。

但し、今後、米中対立がより一層激化することが予想される中で、こうした日本外交の選択の幅が持続的に確保されるという保証はない。そこに、日本外交の「悩み」がある。

そうした中で、領土問題や人権問題などに起因する対中世論の悪化なども背景にあり、日本は日米同盟を強化して中国に対抗するという選択しかないのではないかという、「諦め」にも似た世論が強まっているようにさえ思う。

それに対して、韓国外交は「安全保障は米国、経済は中国、北朝鮮問題は米中」に依存する状況である。

北朝鮮の軍事的脅威、対中関係、対日関係などを考慮すると、駐韓米軍の存在は必要不可欠であるという点で、韓国社会の合意は形成されてきた。韓国は朝鮮戦争で北朝鮮に侵略された経験もあり、北朝鮮の軍事的挑発に何度となく晒されてきた。

さらに、北朝鮮の核ミサイル開発が顕在化したことで、米国の拡大抑止に依存せざるを得ない状況が強まっている。ますます軍事大国化する中国に対応するためにも、米国の軍事的関与は必要である。日本による侵略、支配の歴史的経験があるだけに、日本に対する安全保障を確保するためにも米国の軍事的関与は重要だと考える。

このように、韓国の安全保障にとって米韓同盟は複合的な目的を持つものであり、放棄し難いものであるという意味で、「安全保障は米国」に依存せざるを得ないのである。

経済的にも軍事的にも中国に依存せざるを得ない

次に、韓国にとって、2019年、韓国の対中(香港を含む)貿易額は約2771億ドルで、対日米貿易額の総額約2112億ドルをはるかに上回り、貿易額全体の26.5%を占めるまでになっている。

その意味で「経済は中国」に依存せざるを得ない。もちろん、韓国としても、米中対立の激化というリスクを見越して、貿易や投資における中国依存を減らそうという試みがないわけではないが、一朝一夕に成し遂げられるものではない。

しかも、韓国にとって中国の存在感は経済面だけに限定されない。北朝鮮の軍事的挑発を抑え、南北の平和共存へと向かうためにも、北朝鮮に最も大きな影響力を持つ中国との関係を良好なものに管理しておくことは何よりも重要である。

特に、文在寅政権は、非核化をめぐる米朝交渉を仲介することで、北朝鮮の非核化と韓国主導の南北関係改善を進めようとしてきた。このように北朝鮮の行動を変えるためには米中両国の影響力行使が必要だというのが、文在寅政権の基本的な立場である。

さらに、その先にあるのは韓国主導の南北統一であるが、韓国主導の統一が中国の安全保障環境にとって決して不利にはならないと中国を説得するためにも、良好な中韓関係を管理することが必要である。

このように、北朝鮮の軍事的挑発を抑制し、韓国主導の統一を現実のものとするためには、韓国にとって、米中に可能であれば協力してもらうことが重要であった。

したがって、米中対立が激化して、韓国がどちらの側につくのか踏み絵を踏まされるような状況は何としても回避されなければならないと考える。これが「北朝鮮問題は米中」に依存せざるを得ない状況なのである。

米中対立をめぐってすれ違う日韓の思惑

このように考えると、米中対立が適度に存在したほうが日米同盟における日本の比重が高まるので望ましいと考える日本と、米中対立の激化が韓国外交の前提条件の充足を困難にしてしまうと考える韓国、このように日韓の間には、どのような米中関係が望ましいのかに関する乖離が存在するのは間違いない。

日本から見ると、本来であれば、民主主義という価値観を共有し、米国との同盟も共有する韓国が、米中関係に曖昧な姿勢を示すことに苛立ち、さらに疑念を募らせる。韓国から見ると、韓国が回避したい米中対立の激化を日本は望ましいと考えているのではないかと疑念を募らせる。

このようにして、米中関係に関して異なる選好を持つ日韓は、外交的に協力する必要をそれほど感じないということになる。したがって、日韓間に存在する対立争点に関してあえてリスクをとってまで妥協するという選択をしようとはしないことになる。

日韓における外交目標の乖離は決定的なのか

ただし、本当に外交目標に関する日韓の乖離が決定的なものであって、もはや日韓の間に存在する問題に起因する対立が激化するのに任せるしかないと「諦める」のか。

本書は、日韓の構造変容に適切に対応するということは、そうした現状に直面して「諦める」という選択をするのではなく、もう一度、相互の外交目標を接近させることを通して、日韓の間に存在する問題が対立にエスカレートしないように管理する必要があるということを主張するものである。

①対北朝鮮政策をめぐって

対北朝鮮政策をめぐる日韓の相互不信、乖離はそれほど決定的なものと考えるべきなのだろうか。日韓は、軍事的手段ではなく、あくまで「平和的な手段」によって北朝鮮の非核化を実現するという点で、米中など他の関係国と比較しても、最も利害を共有する。

ともすれば、軍事的手段の行使に傾斜しがちな米国、さらに北朝鮮の非核化よりも北朝鮮の安定や中朝関係の堅固化の方を重視する傾向にある中国などと比較しても、北朝鮮の核ミサイルによる軍事的脅威を最も敏感に感じ、しかも、それを平和的な手段によって達成しなければならないのが日韓である。

そして、北朝鮮の非核化のためには日韓がばらばらに米中に働きかけるよりも協力して働きかけたほうが影響力を行使することができる。また、北朝鮮の行動変容に関しても、日韓はそれぞれの経済協力という手段を組み合わせることで、北朝鮮の非核化に向けて影響力を行使することができる。

このように、一見、乖離が目立ってきた対北朝鮮政策をめぐって、いま一度、相互の乖離を点検し、相互の目的と手段を再確認することで、協力の可能性を探ることが、日韓の外交目標を実現するためには、最も合理的ではないのか。

対立点ではなく共通利益を見出すべき

②米中対立への対応をめぐって

米中対立が激化して、日本が米国の側につくことを明確にして中国と敵対することが、日本の外交や安全保障にとって決して望ましいわけではない。日本にとって、米中の緊張関係がある程度の範囲内で持続することが望ましいということになるかもしれないが、問題は、それを日本がコントロールできないことである。

韓国にとっても、米中対立の激化に伴って米中のどちらにつくのかという踏み絵を踏まされることは望ましくないわけだが、だからと言って、そうした状況を作り出させないようにする力があるわけではない。

このように考えると、日韓があたかも反対方向を向いて外交政策を選択することが合理的であるのかどうか、相当に疑問である。

確かに、米中関係をめぐる日韓の指向の違いが存在することは否定しないが、それは譲れないものであり協力できないものだと考える必要はない。むしろ、米中関係が極度の対決に至らない範囲に収めることに、日韓は共通利益を持つと見るべきではないか。

しかも、そうした共通利益を実現するためには、日韓が協力して米中に働きかけることが重要である。米中対立が不可逆的に激化するリスクに対して、日韓は手をこまねいているだけでは、結局「二者択一」を迫られ自らの外交の選択の幅を狭めてしまうことになる。

こうした状況に陥らないように自らの外交の選択の幅を少しでも広げる可能性を切り開くこうとするべきではないか。そして、そのためには日韓の外交協力をさらに深化することが必要である。

[東京大学大学院 総合文化研究科 教授 木宮 正史]

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「万引きGメンは見た」セルフレジを堂々とスルーする犯人に共通する"ある行動"

2021年8月16日 08:00 PRESIDENT Online

商品の登録から支払いまでをお客に任せる「セルフレジ」の導入が広がっている。一方で、「ちゃんとレジを通した」といって代金を支払わない新手の万引き犯も増えている。これまで5000人以上を捕まえたという万引きGメンの伊東ゆうさんは「不審な人には共通する動きがある」という。『万引き』(青弓社)より一部を紹介する――。

盗むつもりがないのに「未払い」で持ち帰ってしまうことも

普段通っているなじみのスーパーで、図らずも盗んだと疑われても仕方がないことをした経験がある。無論、商品をエコバッグに隠匿するような行為をしたわけではない。商品の読み取りから会計まで、すべてを自分ですませるフルセルフレジで精算して家に帰り、ポイントを確認するべくレシートをチェックしたところ、レシートに記載されていない商品があったのだ。

その商品は2キロの新米。バーコードを読み取り機に当ててチェック音を聞いた記憶もあるのに、なぜだか支払いがなされていない。店に電話をかけて、使ったレジの位置と時間、ポイントカードの番号を伝えて事情を説明すると、次回の来店時に支払ってくれればかまわないという。それも気持ち悪いので、すぐに行って支払いをすませることにした。

「このたびは、失礼しました。こういうことって、ほかにもあります?」
「ええ、たまにありますよ」
「ピッていう音、鳴っていたんですけどね」
「混雑する時間ですし、ほかのお客さまの音と混同されたのかもしれませんね。重い商品なので、読み取るときに揺らいで、うまくスキャンできなかったとも考えられます。どうか、お気になさらないでください」

サービスカウンターに出向いて事情を話すと、電話口に出たと思われる女性スタッフがいやな顔ひとつ見せずに対応してくれた。帰りの道中、過去にあったセルフレジを悪用した捕捉事案と、自分の行動を照らし合わせながら家路をたどる。

[もし、現場で同じことをする人を見かけたら、きっと声をかけていることだろう。悪意がないとはいえ、もし声をかけられていたら、どうなっていたことか……]

少しでもタイミングが悪ければ自分のキャリアが崩壊していた可能性まで考えられ、肝が冷える思いがしたものだ。ここでは、フルセルフレジを悪用する万引き犯について話していく。

セルフレジ導入で「商品を隠す万引き犯」はいなくなった

当日の現場は大型ショッピングセンターYだった。挨拶のため総合事務所に到着すると、店長は休みで、強面の副店長が対応してくれた。挨拶をすませていつものように注意事項を確認すると、副店長が苦虫を噛みつぶしたような顔で言う。

「ここは、セルフレジでチェッカーをスルーする人が、たくさんいてさ。導入してからは、売り場で商品を隠す人を全然見かけなくなったくらいなんだよね」

この店は将来的に店舗の無人化運営を見据えているようで、店員が商品をスキャンして支払いだけ機械でするセパレート式のセルフレジだけではなく、精算行為のすべてを客がおこなうフルセルフレジも複数台導入している。客に精算の手間を預けることで、確かに人員コストは下げられるかもしれないが、不正行為による被害を考えると、逆に収支が合わない気がしてならない。

「そういう人も、捕まえられるの?」
「はい、何人も扱ってきました。否認する人が多くて、大変なんですよ」

高性能な防犯カメラで「犯意」は確認できる

フルセルフレジでの犯行は、捕捉後に犯意を否認されることが多く、その処理によけいな時間がかかる。悪い目つきで監視スタッフの様子をうかがい、おかしな手つきで商品を隠しているにもかかわらず、精算したつもりだったと居直る人が多いのだ。

一見して、言い訳しやすい環境と思われるからだろうが、各台には比較的高性能な防犯カメラが設置されていて、とっさに思いついたような嘘は通用しない。精算の様子は一部始終記録されていて、その映像からも犯意を確認できるのだ。

「そうなんだ。大変でしょうけど、きょうはセルフレジを中心に警戒してもらえるかな。期待していますよ」

セルフレジを中心にと言われても、商品を手にするところから見ないとなにも始まらない。通常どおりに巡回をして不審者の発見にいそしみ、その結果として、そうした手口を用いる被疑者が現れるのだ。いつもどおり、比較的高価で万引きされやすい商品を手に取る人たちを確認して回ることに決めた私は、化粧品や高級食材などの売り場を中心に警戒することにした。

バーコードを手で隠して商品をレジ袋へ

すると、勤務中盤にさしかかったところで、五十代前半とおぼしき髪の長い痩せた女性が目に留まった。ポイントデーでもないのに比較的高価なオリゴ糖と蜂蜜のボトルを3本ずつカゴに入れるところを目撃してしまい、ちゃんと買うのか気になったのだ。

追尾すると、次に複数の輸入調味料をカゴに入れた女性は、牛すね肉、スペアリブ、菓子パン、モッツァレラチーズ、そして最後に高価な赤ワインを2本カゴに入れて、レジのほうへと向かっていく。

入り口に設置された5円のレジ袋を手に取ってフルセルフレジのエリアに入った女性は、サポート役の店員からいちばん離れた台に陣取った。店員に背中を向けるようにして、レジ袋をスキャンしないまま精算台にセットすると、何食わぬ顔で商品の精算を始める。

ちらちらと女性が店員のほうを気にしている隙に、女の手とレジのモニターが確認できる位置まで移動して精算状況を確認すると、バーコードを手で隠す手口でレジを通さないまま、いくつもの商品をレジ袋に隠しているのを現認できた。

会計時、酒類を購入したことから年齢確認のためにサポート役の店員が駆けつけたが、女の悪事に気づいている様子はない。店員が離れ、スキャンした商品だけの精算をすませた女は、かなりの早足で店を出ていく。後方を振り返りながら店の外に出た女が、出入り口脇に止めた電動自転車に手をかけたところで、そっと声をかけた。

買ったモノより盗んだモノの方が多い

「あの、お客さま? 店の者ですが、そちらのお会計、ちょっと確認させていただけますか?」
「はあ? なんですか? お店開けなきゃいけないから、時間ないんですけど」
「すぐに終わりますよ。申し訳ないですけど、レシートの確認だけさせてください」
「ええ、これですけど……」

なぜだかわからないが素直にレシートを出してくれたので、レジ袋に入れた商品と照合させてもらうと、案の定、複数取りした商品の精算が一部しかなされていない。はっきり言ってしまえば、買ったモノよりも盗んでいるモノのほうが多い状況だ。

「お支払いすんでないモノ、たくさんあるんですけど……」
「え? ウソ? 私、全部通しましたよ」

そう言い張るので、直接本人に照合してもらうと、どこかわざとらしく狼狽した様子をみせた女が、意味不明の言い訳を始めた。

「もしかして、機械が壊れているんじゃないですか」

「あれ? ホントだ。なんでだろう? もしかして、機械が壊れているんじゃないですか?」
「お釣りまで出ているのに、壊れているわけないじゃないですか。そんな言い訳、通りませんよ」
「はあ? あたし、本当に知らなくて……。以後、気をつけますね。お金、払ってきます」

店内に戻ろうとする女を呼び止め、事務所で払ってもらうよう促すと、時間がないと言いながらも同行に応じてくれた。事務所に到着して、身分証明書の提示を求めると、女は52歳。ダンナと二人、隣町で小さな洋食屋を営んでいるそうで、店を開けないといけないので時間がないのだと繰り返している。

この日の被害はレジ袋を含めて計10点、合計8000円ほどになった。

どうにも落ち着かない様子の女は、被害品の伝票を確認して、現金の持ち合わせがないのでカードで払いたいと、まるで悪気がない感じで話している。

「ブラックリスト」に写真が載る常習犯だった

すると、事務所内のロッカーから「不審者ファイル」を取り出してパラパラとめくっていた副店長が、興奮ぎみに声をあげた。

「ウチのブラックリストに、あんたの写真があるんだけどさ、同じこと何度もしているよね?」
「いえ、本当に払ったつもりでいました。すみません。これからは気をつけます」
「いや、あんた出入り禁止だから、二度と来ないでくれる? きょうは、いままでの被害も含めて、きちんと警察に調べてもらいますから」

おそらくは言い訳を用意したうえでの犯行と思われ、保安員に声をかけられたときの対応もシミュレーションしてきたのだろう。間もなく臨場した警察官に引き渡された女は、否認を続けたことが影響したのか、犯歴がないにもかかわらず基本送致されることになった。

「店で使うモノだって話しているから、仕入れ目的みたいな感じだろうね。本人は認めないけど、計画的にやっている感じだよ。コロナのおかげで、お店やっている人の万引きが増えてきたよなあ」

処理を終えて警察官と一緒に地域課を出ると、女のガラウケ(身柄引受人)にきていたダンナが、廊下に設置されたベンチシートに大股を広げて座っていた。前を通ると、憎悪にあふれた目でにらまれ、目を合わせぬよう早足で通過した。

[万引きGメン 伊東 ゆう]

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橋下徹「オリンピック賛成派・反対派の双方が見落としている一番大事なこと」

2021年8月16日 08:00 PRESIDENT Online

東京オリンピックが閉会した今、国民の多くは「開催してよかった」と感じる一方、新型コロナ感染症の感染拡大には不安を覚えている。しかし、世間のインテリ論者は「オリンピックと感染拡大」の因果にこだわり、こうした民意が見えていないのではないか。

大批判の中でオリンピックをやり切った皆さん、お疲れ様でした

開会前からあれだけ物議を醸した東京オリンピック2020が閉会した。直前まで「開催反対」の声が上がるほどの大批判にさらされながら、現場では見えないウイルス相手に対策を講じなければならない。そんな中で世界規模のイベントを実行するのは、ほんと大変なことだったと思う。

批判すること、問題点を指摘するだけのことはどれだけ簡単か。

そのような批判や問題点に対策を講じながら実行することが、どれだけ知恵と忍耐力とエネルギーのいる作業か。

選手はもちろん大会運営に当たった実務者の皆さん、本当にお疲れ様でした。

これは政治をやってきた僕の経験から身に染みて分かること。

問題点は外野からいくらでも指摘できる。そして実行する側はそんな問題点は十分把握している。重要なことは、その問題点をどう乗り越えるかの案。

政治を批判する者の多くは、その案を示さずに批判だけする。

今回のオリンピック批判もそれと同じで、典型的な「案なき批判」が多かった。

インテリのステレオタイプよりも信頼できる国民大多数の声

そして世間に向けて発信しているそれなりの人たち、いわゆるインテリの中の賛成派・反対派の人たちのオリンピックに対する態度もおかしかった。

感染リスクを懸念してのオリンピック反対派は、オリンピックが始まっても素直にオリンピックを応援できない。それまで反対していたから、ということで躊躇しているようだ。

他方、賛成派は、「オリンピックと感染リスクは関係ない。日本の感染状況など世界からみたら大したことない」と言い続ける。オリンピックが始まり、テレビのオリンピック番組の視聴率が上がり、世論調査でもオリンピックをやってよかったという国民の声が多数を占めると、「ほらみたことか! 反対派・中止派はおかしかったのだ!」と勝利宣言をする。

特に、オリンピック関係者約4.8万人のうち、陽性者は404人。しかもそのうちの267人(いずれも8月7日現在)は日本在住の委託業務従事者だったとのこと。この点を捉えて、「やっぱりオリンピックと感染拡大は関係なかった!」と言い張る。

これは、賛成派・反対派どちらも、「オリンピックと感染拡大リスクの関係性」という「論理」のところだけに注目しているからこのようになってしまうのだ。

感染拡大を心配する側は徹底した反対派になる。
リスクはないと考える側は徹底した賛成派になる。

でも、やっぱりこのようないわゆるインテリたちのステレオタイプの態度振る舞いよりも、国民大多数がとった態度振る舞いの方が、大きな方向性として信頼できると感じたね。だから僕は、国民大多数の声で最後は決するという政治の仕組みを支持するんだ。

[元大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹]

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「なぜ東京五輪は最悪の結果に終わったのか」日本人を蝕む"3だけ症候群"という大問題

2021年8月16日 08:00 PRESIDENT Online

感染爆発と巨額の開催費用負担が残った

問題ばかりの東京オリンピックが終わりました。

私は今回のオリンピックに関しては、新橋でアイリッシュパブを営む大学同期の親友K氏が新型コロナで亡くなり、彼が「都はアスリートの流す汗は高貴で我々飲食業者の流す汗は不潔とでもいうのか」という遺言のようなメッセージを生前つぶやいていたことから、開会式だけはネタ探しのために観ましたが、あとの競技については基本生中継の観戦はせず、ニュース速報や新聞で接するといういわゆる「喪に服す」形で接していました。

基本的に落語家になるような人間ですから、「感動」しやすい体質で、前回までのオリンピックはかなり熱狂したものでした。またプライベートでも、アテネ五輪自転車競技銀メダリストの長塚智広さんや北京五輪男子4×100mリレー銀メダリストの塚原直貴さんらとも個人的にも仲良くさせていただいていますので、アスリートに対して心底リスペクトもしています。

だからこそ今回は、最初の誘致段階から首脳部の裏の部分が目立ち、参加した選手や陰で支えるボランティアスタッフらの志の高さと尊さに泥を塗った形に見えてしまいました。いや、というよりは、「主催者側のダメな部分を、選手とスタッフの高貴さでごまかそうとしているような感じ」にしか見受けられなかったのです。

K氏が生きていたらきっと嘆いていただろうなという印象しか持てない大会でした。

新型コロナは誰の責任でもない天災です。不可抗力です。

が、取り消しはしましたが「自粛要請を遵守しない飲食店には金融機関に働きかけをする」などの西村大臣の発言、「頼みの綱のはずなのに供給が遅れているワクチン整備体制」などその後の政治の迷走ぶりというか後手後手感は明らかに人災そのものです。

こう思っているのは私だけではないはずです。自国開催で、金メダルラッシュなのにまったくと言っていいほど支持率が上がっていないのが何よりの証拠でしょう。

オリンピック終了後には、現実問題として喫緊の感染爆発真っ最中の新型コロナ禍が待ち構えています。そして長期的には、当初は既存の施設を使っての「コンパクト五輪」とまでうたわれていたものの、その実経費がかさみ数千億から兆単位もの負担を背負わねばなりません。

どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?

コロナより深刻な日本人に蔓延する感染症

ここで「実は日本人はコロナ以上に怖い感染症に罹患していたのでは?」と一つの仮説を述べてみたいと思います。

それはどんな感染症かと言うと、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」という宿痾ではないか、と。

これらが顕著になった結果が積み重なったのが、このコロナ禍に開催されたオリンピックで、つまり、オリンピックはそのいびつな積み重ねが露見したキッカケなのではと。

「今だけよければいい」という考え方は人々にとても短期的な行動を促します。「自分さえよければいい」という捉え方が「他人のことを想像する」感受性を奪います。「カネさえ儲ければいい」という価値観は、公害を招き環境を破壊します。

実際、温暖化のあおりを食らったのが今大会におけるマラソンでしょう。当初東京で開催を予定していた時なぞは「沿道の店舗の入り口を開けっぱなしにしてクーラーの冷気を当てる」などという奇天烈なアイデアまで散見しました。「もう夏季オリンピックでのマラソン開催は不可能だ」という主張にもうなずけます。競歩と共に札幌に試合会場を移したのに、何人もの選手がリタイアしたのがその証拠かもしれません。

いま問題になって浮かび上がっていることすべてに通底するのが「いまだけ、カネだけ、自分だけ」ではないでしょうか。

分断や不寛容、ネットでのいじめや一斉攻撃、そして30年以上も続く景気低迷などの諸悪の根源は「いまだけ、カネだけ、自分だけ」だったのです。

いや、むしろ、昭和の高度経済成長期には、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」に基軸を置く生活様式は、欧米から輸入する形で定着した「個人主義」とも親和性があり、個々人の経済面での享楽という最大多数の最大幸福を可能にするいわば「優秀な装置」として機能していました。それぞれが自分のことだけきちんとやってさえいれば、自動的に安定的な収入を約束してくれたはずのこの「推奨された行動様式」が、いまや逆に人々を分断させ、過酷な環境に追いやってしまっているのではないでしょうか?

情けが回りまわって日本を、世界を救う

では、このコロナ禍が続くオリンピック後の日本人は、このような「精神的感染症」に対して、一体どうすればいいのでしょうか?

「押してもダメなら引いてみよ」です。

「今だけ、カネだけ、自分だけ」の真逆をひとまずやってみましょう。つまり「長期的に、お金もうけのことはひとまず置いて、他人様とのつながりを重んじる」という生き方です。

ここで、「佃祭」という落語をご紹介します。

あらすじは――佃の祭りを見に来ていた次郎兵衛さんという小間物屋の旦那が最終便に乗ろうとしていたところを若いおかみさんに止められる。聞けば、そのおかみさんが5年前に吾妻橋から身を投げようとしていたところを、5両の金をめぐんで救ってくれたのが次郎兵衛さんだったのだという。当初すっかり忘れていた次郎兵衛さんだったが、だんだん思い出してくる。おかみさんは「亭主は船頭ですから向こう岸までお送りします」といい自宅へ次郎兵衛さんを案内する。そしてその後、亭主が帰宅したのだが、亭主の口から出たのが「先ほどの最終便は転覆してしまって、誰も助からなかった」という驚愕の事実だった――。

落語にしては珍しいサスペンスっぽい展開ですが、この後は「次郎兵衛さんが死んでしまった」と早とちりする長屋の連中が葬式の準備をしたり、悔やみの席に惚気たりするバカバカしい落語らしい展開へとなってゆきます。

つまり、この落語は「情けは人の為ならず 巡り巡りて己が身のため」という、「人に情けをかけることは結果自分の利益になるんだよ」という「迂回生産的なメリット」のことを笑いと共に描いているのであります。時節柄もピッタリのこの落語の世界観にぜひ触れてみてください。

暑さも落語に学べば乗り切れる

最後に、厳しい暑さが続きますが、それを乗り越える知恵として、もうひとつ江戸の小噺を紹介したいと思います。

「おい、権助、呆れたよ。なんだいまのお前の挨拶は?」
「いや、隣の旦那様だ。おはようございますなんてえからな、ちっとも早くねえって言ったんだ」
「バカかお前は。まだ何か言っていたな」
「ああ、それから、お寒うございますなんてえからな、おらのせいじゃねえって言ったよ」
「なんてえ奴だ。おはようございますと言われたらおはようございます、と返すんだ。お寒うございますといわれたら『お寒うございますな、この分なら山は雪でございましょう』。言われた方は悪い気持ちはしない。『たまには遊びに来なさい』と言われてお茶の一杯、羊羹の一切れもごちそうになれるだろう」
「はあ、じゃあ何かね、おはようございます、山は雪だんべちゅうと羊羹が食えるかね」
「そういうわけじゃないが愛嬌がなくっちゃいけないよ」

小言を言われた翌日。

「権助さん、おはよう」
「ああ、おはようございます」
「お、返事するね、珍しいな。お寒うございますな」
「お寒うございますな。この分は山は雪だんべ」
「世辞がいいね。こっちでお茶でも飲むかい?」

評判がいいと当人も悪い気持ちはしないもんで、毎朝雪だんべ雪だんべやっていますが、そうそう寒い日ばかりは続かない。たまには暖かい日があるもんで。

「権助さん、おはよう。今日はなんだね、いつになくあったかいね」
「あったかいですな、この分じゃ山は火事だんべ」

ま、くだらない江戸小噺ですが、エアコンがない時代に、「暑いね」というと「暑いですね」と言いあって暑さを紛らわせたり、「寒いね」というと「寒いですね」と返すことで、心を温めたりしていたと想像します。つまり、コミュニケーションこそが、心のクーラーやヒーターだったのです。

当時の江戸っ子ったちは、いまの東京以上に密集していたはずの狭いエリアで、さらには身分制度もあり、いまの東京以上にストレスフルな日々を送っていたはずですが、苦労を分かちあったり、笑い話にかえることで、それを和らげていたのでしょう。日本人はこれから、オリンピックの後処理という難しい課題に取り組むことになりますが、それを乗り切りヒントもここらへんにありそうだなと思うわけです。

環境負荷の少ないこのエアコンを使って、「佃祭」でもYouTubeで聞きながら、暑くて厳しい夏を乗り切ろうじゃありませんか。

[立川流真打・落語家 立川 談慶]

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