国民的アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動休止する。最大の理由はリーダーの大野智さんが「自由な生活がしてみたい」と言い出したことだ。組織人事コンサルタントの小倉広氏は「大野君の脱退宣言が『ワガママ』と受け取られない理由を考えると、嵐というグループの本質が見えてきた」という――。
大野君の人気にビックリした
人気アイドルグループの嵐が2020年いっぱいで活動を休止することになった。
メンバーの大野智さん(以下、親しみを込めて大野君と書く)が「一度、何事にも縛られず、自由な生活がしてみたい」と言い出したのがその理由だという。一般的に考えれば、リーダーとしてはいささかワガママな休止理由に聞こえる
それにもかかわらず、ほとんどのファンがそんな大野君を熱烈に擁護しているのを聞き、僕はとても驚いた。しかも、そのコメントが、単なる擁護や疑似恋愛の対象を越えて、実に深い人間愛に満ちているように見えたのだ。
アイドル事情に乏しい僕にとって、大野君はほかの4人のメンバーよりも特徴がボンヤリとしていてつかみ所がなかった。だから、彼がこんなにも熱烈にファンから「好かれている」ことに僕は気づかなかった。そして職業柄、深く興味を持ったのである。
センスと能力があれば愛されるのか
僕はアドラー派の心理カウンセラー、組織人事コンサルタント、企業研修講師をなりわいとしている。
そのため、チームとしての嵐、それを束ねる一見、無気力なようにさえ見えるリーダー大野君の印象について興味があり、周囲の女性たちにさりげなく聞いてみた。すると、予想通りに続々と熱いコメントが返ってくるではないか。
いわく、ダンスが(桁外れに)うまい、歌がうまい、習字がうまい、絵がうまい、コメントがおもしろい、場を読む力がある、リーダーとしてまとめ役がすごい、脱力しているのに才能がある、釣りなど趣味が多彩……。
そうだったのか。どうやら、大野君は才能とセンスが大いにあるようだ。しかし、それは、本当に好かれる理由になるのだろうか。
僕は長年心理学の勉強を続けているが、その観点から見ると、能力があるだけの人は意外に好かれにくい、と思っている。むしろ、嫌われたり、うとまれたりしやすい。
なぜならば、一方の優越は他方の劣等を呼び覚ますからだ。人は誰しも劣等の地位に長くとどまることを好まない。その比較対象がアイドル歌手のような縁遠い世界の人間であっても、多くの人にとってそれは同じだ。
では、なぜ、大野君は、才能とセンスがあるのに、あんなにも幅広い人から好かれるのだろうか?
もしかしたら、それは、能力やセンスが優れているのが原因、というわけではないのかもしれない。僕は、考え方を少し切り替えてみた。
ワガママなのに好かれる構造
能力やセンスなどの長所がある、から好かれるのではなく、逆に、短所があるから好かれる、と考えることはできまいか? 大野君は、何かが「ある」から、ではなく、何かが「ない」から好かれるのではないか?
人は何かしらが欠落し、欠点がある方が好かれやすい。それを隠さずに、他者へ見せることができると欠点が愛嬌に昇華される。そして好かれる。
女子から寄せられたコメントで、大野君の「ない」ものを見てみると、ぼんやりとそれが浮かび上がってくる。
いわく、大野君はワガママでマイペースだ。マネジャーの言いつけに背いて勝手に釣りに行って、一人だけ真っ黒に日焼けしている。高校をたった一日で辞めた。若手ジャニーズが自分を売り込む番組の出演を数回で辞めた。リーダーなのにまったくしゃべらないでボーッとしている。振り付けを考える時にスタジオでメンバーを待たせてあぐらをかいて一人で考える。そして極めつけは、いきなり嵐の活動を休止したい、と言い出す……などなど。
そうか。大野君は、ワガママなのか。しかし、それは愛嬌にもつながるけれど、一歩間違うと相当嫌われるぞ。
にもかかわらず、大野君はやっぱり好かれている。ワガママなのに好かれる、ってなぜだ? 「ない」から好かれるって、どういうことだろう?
“ワガママ”ではなく“あるがまま”を許す大野君
こういうことかな、と僕は思い当たった。
大野君は“ワガママ”ではなく“あるがまま”なのかな、と。
完璧な人間は世界中に一人もいない。誰だって欠点がある。その欠点を隠したり、いい人のふりをすると、他者から嘘っぽく、不自然に見られる。そういう人は好かれない。
逆に、欠点のある不完全な自分を自分で認め、そのまま他者にさらけ出せる人は好かれやすい。
人は相手が不完全であることを知るとホッとする。相手の劣等を知ると自分が優越を感じる、という面があるからだ。
しかし、それだけではない。不完全な相手を見ることで、まるで、自分もまた、不完全であることを許されたように感じるからだ。
僕には、大野君がこんな風に言っているように聞こえるのだ。
「僕は欠点もある不完全な人間。だけど、それでいいじゃない。僕が僕らしくあってもいいよね」
「だから、君も欠点があってもそのままで、ありのままでいいよ。君も君らしくいてね」
そんな声が聞こえてきそうなのだ。
自分を責める人は相手を責める。自分を許す人は相手を許す
心理学の世界では、対人関係の基本は「自分との対人関係」である、と考える。だから、自分の欠点を責めてダメ出しばかりしている人は、無意識に相手の欠点を責めて、ダメ出しをする。そういう人は嫌われやすい。人間関係がうまくいかない。
逆に、自分の欠点を受け容れて、OKを出す人は、相手の欠点を受け容れて、OKを出すことができる。そういう人は好かれやすい。人間関係がうまくいく。
大野君がこれだけ老若男女に好かれるのはこの一面、すなわち「自分と相手の欠点を受け容れ、OKを出している」ことこそが大きいのではなかろうか。
それだけではない。リーダーが自分を責めず、相手も責めない、自分にも相手にも「あるがまま」を許すことで、チームに心理的な安全性がもたらされる。
この心理的安全性はチームにとてつもなく大きな成果をもたらす。グーグルによる「プロジェクト・アリストテレス」という調査からも明らかなように、心理的安全性の高いチームこそが高業績を生むからだ。
心理的安全性の低いチームでは、一人ひとりが「叱られないように」「失敗しないように」「バカにされないように」と自分を殺す。そしてチャレンジを避ける。下手に挑戦して失敗するよりは、挑戦しない方が安全だからだ。
一方で、心理的安全性の高いチームは一人ひとりが「あるがまま」「自分らしさ」を表出し、自分を活かす。そして、チャレンジを楽しむ。チャレンジに失敗はつきものだが、失敗が許容される風土がチャレンジを促すのだ。そして、チャレンジを多くしたチームこそが結果を出す。当然のことだ。
大野君は、“ワガママ”なのではなく“あるがまま”なのだ。
そして、心理的安全性で嵐というチームを包み込み、だからこそ、嵐は国民的アイドルにまで上り詰めることができたのではなかろうか。
「大野君、どう? この推測、合っているかなぁ?」
ぜひ本人に訊いてみたい。でもきっと、大野君はそんな理屈になんか興味はなさそうだ。そして、だからこそ、大野君は人に好かれるのだと思う。
[組織人事コンサルタント 小倉 広 写真=時事通信フォト]