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眞子さま駆け落ち婚で"母の評価"が逆転、紀子さまと雅子さまの「子育て」シーソーゲーム

2021年9月20日 08:00 PRESIDENT Online

秋篠宮家の長女、眞子さまと小室圭さんの結婚報道で、賛否両論の議論が巻き起こっている。その一方で、武蔵大学社会学部教授の千田有紀さんは「眞子さまの結婚騒動が、母である紀子さまの評価にも大きく影響している」という――。

紀子さまの評価がどう変わるのか

4年にわたる眞子さまの婚約騒動に、なんとか結婚というかたちで、目処がつきそうである。とりあえず、ホッとした。

それと同時に私の頭に浮かんできたのは、「この結婚騒動が決着したら、紀子さまの評価はどう変わるのか」という疑問である。

2006年に悠仁さまを出産されてから、紀子さまは「国民が心配している後継ぎ問題を解決した」と、人気がうなぎのぼりだった。「皇室における理想の女性」と褒めたたえられてきたが、眞子さまのこの婚約騒動から「子育てを失敗した」と評価が変わりはじめた。

一方、2019年に今の天皇皇后陛下へと代替わりしてからの雅子さまの華麗な「皇室外交」デビューに、国民は「さすが雅子さま」と舌を巻いた。皇太子妃時代には、「そんなにまでして海外に行きたかったのか」と批判にさらされてきたことなど、まるでなかったかのような評価の変わりようである。

雅子さま人気と紀子さま人気の関係

皇室をめぐる反応で興味深いのは、雅子さまと紀子さまの人気がシーソーゲームのような関係にあることだ。「あなたは雅子さまが好き? それとも紀子さまの方が好き?」と聞くと、とくに私の年代の女性たちは、非常に饒舌になる。そして、雅子さま派、紀子さま派と、女性のなかでは、はっきりと「贔屓」が分かれる傾向がある。「どちらも好き」という人は、意外に少ない。

おそらく私たちは、このお2人に「女性はいかに生きるべきか」という女性のロールモデルを見出しているのだろう。そもそもこれまで、いち宮家の妃でありながら、紀子さまほどに注目された人はいない。それはまず、紀子さまの結婚の事情が大きく影響している。

「3DKのプリンセス」紀子さま

昭和天皇の喪中という暗い時期に、皇太子の弟が結婚するというニュースは、当時、非常に明るい話題として受け入れられていたように思う。紀子さまが、基本的にはノーメークにも見えるような装いであるとか、実家の川島家にはテレビがないとか、職員宿舎に住んでいらっしゃるとかいうことが、バブルの狂乱の時代のなかでとても新鮮に映った。「キャンパスの恋」で出現した、若く清楚な女性に皆は色めき立ち、「紀子さまスマイル」は皆を虜にした。

戦後、美智子さまが初めて「平民」から皇室に入り、「開かれた皇室」のシンボルとなった。しかし、軽井沢での「テニスコートの恋」は、庶民の生活からはかけ離れた、仰ぎ見るようなものであったし、美智子さまは平民といえども、立派な社長令嬢であった。

それに比較すれば、「3DKのプリンセス」と呼ばれた紀子さまは、本当に私たちと地続きの、庶民と皇室を結ぶ絆だったといえよう。

そうしたなかで、若い夫婦の結婚や子育てのニュースは、テレビや週刊誌をにぎわした。2003年ごろの雅子さまのご静養以降、女性週刊誌の巻頭の皇室ニュースはめっきり減ったが、雅子さまのご結婚までは、女性週刊誌の巻頭は、美智子さまと秋篠宮家の話題で占められていた。当時の皇太子の結婚がなかなか決まらないのは、「紀子さまが完璧すぎるからだ」という報道すらあったと記憶している。

「外務省勤務のキャリアウーマン」雅子さま

難航した「皇太子妃選び」が雅子さまで決着がついたとき、国民からは「こんなすごい人が」とため息が漏れた。皇太子妃の条件として、容姿端麗、皇太子より身長は低いこと、皇太子妃に上司がいるのは不適切であるから就労経験はないこと、外国語が堪能で、楽器が得意で、もちろん親族にも問題のない人、等というものがあった。雅子さまは、外交官だった父親の転勤についていき、海外暮らしも長い。アメリカの名門ハーバード大学を卒業し、東大に学士入学し、英語を初めとする外国語を何か国語も使いこなしている。「こんなすばらしい人が皇太子妃に」と国民は熱狂した。

さらに雅子さまは、外務省に勤務しており、その時点では皇太子妃候補の条件からは外れていたバリバリのキャリアウーマンだった。「雅子さまが皇室に入るのはもったいない、いや、雅子さまなら伝統を変えてくれるのだ」という議論が白熱した。紀子さまに代わって、今度は雅子さまが、皇室における「新しい女性」の象徴となったのである。

明暗を分けた“お世継ぎ”問題

就労経験なく若い時に学生結婚し、子育てに励む紀子さまと、外務省に勤務していたバリバリのキャリアウーマンだった雅子さま。この2人の生き方は正反対に見え、「『女性の生き方』はどうあるべきか」という問題を、それぞれに仮託しやすいのである。

しかし、なによりも雅子さまにとって誤算だったのは、すぐにお子さまに恵まれなかったことだろう。皇室に入っていなければ、「DINKs(共働きで子どもを持たない夫婦)という生き方もある」と言われたかもしれないが、あらためて皇太子妃の役割は、まず子どもを産むことであると気づかされた。それを浮き彫りにしたのが、雅子さまと紀子さまの存在である。

報道から察するに、雅子さまは自分の保身をあまり考えない、のんびりとした方なのだろう。上皇陛下が「(お世継ぎを)国民が待っているからね」とお声がけされたときに、雅子さまが気色ばんだという報道があった。それは一般の女性の偽らざるを本音であるし、端的にいえば、一般社会では「マタハラ」である。

しかし、“お世継ぎ”を産むことは、実は皇室での雅子さまの地歩を固めることにもなる。計算高いひとなら、まずそれを考えるだろう。子どもを望まれながらも、そういう思考法をされない雅子さまは、実に人間らしい方なのだという印象を受ける。

皇室で「男児を生む」ということ

一方、紀子さまは、かつて「どうしたら男の子を産めるのか」と主治医に聞いたと報道されていた(のちに、紀子さまの発言ではなかったと訂正された。が、そういう発言をされたと聞いても、違和感はない)。男児が不在の皇室で、男の子を産むことは、母としての自分の存在を確かにするものである。事実、紀子さまが悠仁さまを産んだことで、再び紀子さまの存在感は増した。

紀子さまが浮き彫りにしたのは、いくら学歴があって華麗な経歴があったとしても、少なくとも皇室のなかでまず女性に求められるのは、男児を産むことだという、身も蓋もない、胸の痛む事実である。

このまま「やっぱり女性の本分は子どもを産むこと」ということで、紀子さまが逃げ切るのかと思いきや、どんでん返しとなったのが、眞子さまの婚約騒動である。

紀子さまの子育て、雅子さまの子育て

「秋篠宮家の子育ての失敗」「このような宮家から、将来の天皇が出せるのか」「紀子さまと悠仁さまとの親子密着」……。婚約騒動によって、眞子さまが学習院大学を進学先に選ばなかったこと(「もし学習院に行っていれば、眞子さまは小室さんと出会わなかったのに」)を含め、紀子さまの子育てがやり玉に挙がった。

それに対して、雅子さまは華麗な皇室外交が評価され、愛子さまがすくすくと育ち、現在学習院大学で日本文学を専攻されていることが評価されている。国民の間では、「ぜひ、愛子天皇を」という待望論も盛り上がる。雅子さまは、2019年の即位の関連行事で、大粒の涙を流されていたが、それすら「人間らしい皇后さま」という評価を受けた。雅子さまが人前で感情を露わにすることは、かつては批判の対象となっていたのに。

つきまとう「母」の役割への評価

女性に期待される、子ども、とくに男児を産むという役割では、紀子さまは圧勝した(断っておくが、不妊は女性の側に原因があるとは限らない)。しかし、子どもを産むことだけが、母の評価の対象ではない。子育てという側面で評価されれば、今度は雅子さまの圧勝のように見える。

良くも悪くも、皇室に入った女性たちは、「母」という役割の評価から逃れられない。それは実は、私たちの年代の女性たちに付きまとってきた評価でもある。だから私たちは、雅子さまや紀子さまの報道に熱狂するのではないか。

こういう話を、私が教えている大学の学生たちにすると、「皇室には関心がなかったからまったく知りませんでした」「おばさんたちは、皇室報道が好きですよね」と言う。彼ら、彼女らは、皇室にはまるで関心を持っていないことがわかる。今の若い世代には、母であることの呪縛や、女はどう生きるべきかというプレッシャーが少ないからなのか。それとも年代が上がればまた、母親であることの圧力に、彼らも直面するのだろうか。

[武蔵大学社会学部教授 千田 有紀]

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「余命1カ月の小学生の娘にプリンを食べさせたい」医師が危険を承知で母の願いを許したワケ

2021年9月20日 08:00 PRESIDENT Online

大切な人の死期が近づいたとき、周りの人はどういう行動を取るべきだろうか。大阪大学大学院の村上靖彦教授は「治療も大事だが、残された時間でその人の好みや望みを話し合うことが重要だ。それらを尊重することで、奇跡的な延命につながることもある」という――。

※本稿は、村上靖彦『ケアとは何か』(中公新書)の一部を再編集したものです。

寝たきりになってもオロナミンCを飲んでいた祖母

終末期医療に限らず、〈小さな願い〉は人生のかけがえない価値である。日々の〈小さな願い〉の積み重ねが、その人自身を形作る。そこでは、医療の規範に縛られない柔軟性が求められる。以下でいくつか具体例を見ていきたい。

願い事は、しばしば体の快適さや五感に関わる。たとえば「これを食べたい」という望みは誰しも基本的な欲求として持っているもので、それだけに大事な望みである。私の祖母は亡くなる直前、寝たきりになってからも甘いものを好んで食べていた。固形物を口から食べられなくなっても、オロナミンCをいつも飲んでいた。もともと食べることが好きで、私も子どものころはいろいろなお店に連れていってもらったものだ。そうした飲食へのこだわりは、最後まで変わらなかった。

持ち込み食があふれる病室で「食べれるっていいなー」

次の語りは、HCU(高度治療室)に勤める若手看護師が、初めて看取りを経験した場面を語ったものである。私のゼミ生だった岡部まやさんの修士論文から引用する(「急性期領域の若手看護師がもつ死生観に関する現象学的考察」、〔…〕は中略を表す)。

【Bさん】その次の日に一般病棟いって亡くなったんですけど、〔…〕なんか〔心臓のお薬〕もうめちゃくちゃな量いってて。〔…〕で、なんかもう先生も治す治す、みたいな感じではなくって。ある程度ひろーい感じで見れる人だったので。「本人がどうしたいかだよねあとは」っていう感じだったので、「どうしたいですか?」って。


「どこそこのプリンが食べたいんよー」っていう話とか。「生ものなんやけど、お寿司が食べたくってー」っていう話とかしてて、『病院でお寿司かあ』って思ったんですけど。先生にいったら、「こっそりやったらええんちゃう」みたいな話になって。ははは。


「家族さんに自己責任で持ってきてもらいねー」って感じで、結局、次の日かなんかに食べてはったみたいで。「何飲んでもいいの」っていわれたって言ってて、部屋にDCM〔拡張型心筋症〕の人にはありえないぐらい持ち込み食がぶわーって置いてあって。本人もそれがすごい満足してて。「食べたいもん食べれたー、食べれるっていいなあー」みたいな。

〈小さな願い〉と悪化リスクとの天秤

食べることは「〈からだ〉とは何か」という問いに直結する。一連の食べる動作や、美味しいという感覚、それらすべてが本人にとっての〈からだ〉となる。それゆえ、「大好きなお寿司を食べて満足する」というようなことが、病気による衰弱と医療による制限のなかで失われかけた自分の〈からだ〉を回復する出来事となる。

末期の心臓病で厳格な食事制限を強いられている最中に、プリンや寿司が食べたいという願い事をされたとき、どうするべきか医療者なら悩むだろう。病気を悪化させるリスクだけでなく、衛生管理の問題などもあるかもしれない。つまり、この場合には食べることが医療と対立している。ケアが医療と乖離するケースだ。

しかし、医師も「食べたい」という願いの重要性を経験上理解している。その願いが叶うことで、本人は「食べたいもん食べれたー、食べれるっていいなあー」と大きな満足を得る。

この「満足」というのは、〈からだ〉を再発見する出来事でもある。本人にとっても家族にとっても、人生の最期に悔いを残さないための大事な経験であろう。一見すると些細なことだけれども、こうした願いの充足は生活上の大きな意味を持つ。

もしも「食事制限があるからだめ」「安全を確保できないからだめ」と言って、ルール優先で切り捨ててしまったとしたら、本人にとって大事な願いが叶えられないままになってしまい、当事者が置き去りになったまま亡くなってしまうことになるだろう。

家族に見守られながらの「お食い締め」

「お食い締め」という実践がある。人生の最期にさしかかって、自由にものを食べることがついに難しくなってきたとき、家族に見守られながら、本人がとりわけ食べたいものを食べるという行為だ。先のお寿司の例もその一種といえるだろう。

お食い締めを実践してきた言語聴覚士である牧野日和の本から、もうひとつ例を引く(牧野日和『最期まで口から食べるために2』、52頁、〔…〕は中略を表す)。

裕子ちゃんは小学3年生のときに神経難病にかかり、胃ろうを造設し禁食になりました。裕子ちゃんは食べたいと訴えましたが、お母さんは「元気になったら食べようね」とごまかしました。そして、裕子ちゃんはみるみるうちに身体機能が低下。胃ろうのまま約2年間過ごしました。〔…〕裕子ちゃんの身体はやせ細り、全身の筋力が衰え、ぐったりとしています。余命1カ月となり、お母さんは焦りました。「また食べようね」とごまかしたことを罪悪感として背負い続けてきたからです。お母さんは訪れた私に、なんとかして最期に口から食べさせてあげたいと懇願しました。

余命1カ月の娘は奇跡的に生気を取り戻した

裕子ちゃんの「食べたい」という願いは医療的な判断によって妨げられてきた。だが、死が近づいてきたとき、そのことに母親は「罪悪感」を感じる。それゆえ、願いを叶えたいと懇願する。母親の懇願は、子どもが食に対して抱いた〈小さな願い〉が、本質的な重要性を持つとう直感(確信)に由来するのだろう。

誤嚥性肺炎のリスクがある際には、通常はタンパク質を食べることは避ける。「すぐに命を落とすかもしれません」と牧野は母親に告げた。しかし、主治医は母親の熱望に背中を押され、母親が食べさせたいと願った手料理のプリンを食べさせることに決める。続く場面を引用する(同、55頁)。

二口めのプリンも一口め同様、のどの奥にゆっくりと落ちていくのが見えました。しかし、すぐには嚥下反射が起きません。「誤嚥したのでは!」と危惧した瞬間です。裕子ちゃんののどがゴクンと反応しました。様子を見守っていたお母さんは、「食べた、食べた!」と言って号泣しました。そして、「裕子もありがとうって言ってます」と言うのです。その言葉で私は裕子ちゃんを見て、魂が震えました。なんと、無反応、無表情だった裕子ちゃんの頬を大粒の涙が大量に流れていたのです。母の言うように裕子ちゃんは食べたかったのです。

すれ違ってきた親子をつなげた手づくりのプリン

プリンを食べたことで「無反応、無表情だった裕子ちゃんの頬を大粒の涙が大量に流れて」、失いかけていた生気を裕子ちゃんは取り戻す。生気とは〈からだ〉そのものだ。このあと裕子ちゃんは主治医の予想を遥かに超えて10カ月間生きた。「食べる」という〈からだ〉の基本的な快と願いが、生を支えた。

こうした実例は、統計的なエビデンスとは異なる次元で重要な意味を持つ。むしろ、内側から感じられる体感であるがゆえに、その重要性は客観的なデータには現れにくく、個別のライフストーリーを通して見えてくる。

ここでは、母がつくったプリンを食べるという経験は取り替えようのない個別性を持つ。誤嚥性肺炎のリスクを冒してまで、母がプリンにこだわったことには理由があっただろう。裕子ちゃんの人生と母親との関係全体に関わる何かが背景にある。母親がつくったプリンは、裕子ちゃんが元気だったころの好物だったのかもしれない。〈小さな願い〉は、個別的なものであり、それゆえ必然的に人生のストーリー全体を背負う。

大事なことは、食べたいという裕子ちゃんの願いが叶ったことだけではない。願いを叶えることで、齟齬が生まれていた親子がもう一度つながり合ったということも大きな意味を持つ。本当に裕子ちゃんが「ありがとう」と言おうとしたのかどうか、それはわからない。しかし、涙を流すという応答は、母親によって感謝として受け取られた。このとき、〈出会いの場〉が開かれたといえる。

本当の気持ちをごまかし、避け続けるなかですれ違ってきた母娘が、願いを叶えることにより、コミュニケーションを取りなおしている。食べ物という〈小さな願い〉は、実は親子関係全体の焦点であったのだ。〈からだ〉の肯定が〈出会いの場〉を開き、親子関係を再編成したのである。

[大阪大学大学院人間科学研究科 教授 村上 靖彦]

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「小6女子いじめ自殺」校長はいじめを否定し、両親は"お騒がせしてすみません"と頭を下げた

2021年9月20日 08:00 PRESIDENT Online

昨年11月、東京都町田市の小学校で、小6の女の子がいじめを苦に自殺した。遺族は同級生から「どうして学校に来ないの?」と聞かれたが、校長から「子供たちに影響がある」とクギを刺され、亡くなったことを伝えられずにいた。遺族は学校の対応を待っていたが、徐々に校長は「いじめはなかった」という態度を示すようになる。

「絶縁ドッキリ」「彼氏ドッキリ」「自殺ドッキリ」

12月25日(金)の夕方、週一回の恒例である「聴き取り調査の結果報告」を聞きに、山根夫妻(仮名)は校長室を訪れた。

その席で、前日にA校長から電話で説明があったとおり、「ハングアウトでA子とB子が詩織さん(仮名)の悪口を書いていたことは事実だが、なぜか履歴が消えていた」と説明を受けた。さらに「“○○ドッキリ”が、A子とB子によってたびたび行われていた」という報告を受ける。

“○○ドッキリ”とは、A子とB子が計画した詩織さんへの悪質ないたずらだ。

仲良くしているなかで突然、絶縁を伝えて無視をする「絶縁ドッキリ」。詩織さんには好きな男の子がいたが、その人は自分と付き合っているから近づくな、周りの友達にもみんな彼がいて、彼がいないのは詩織さんだけだという嘘を伝える「彼氏ドッキリ」。A子が学校では禁止のエクステ(髪につける付け毛のアクセサリー)を持ってきて、詩織さんに「大切なものだから預かって」と渡したあと、A子がそれをこっそり取り出して隠したうえで「詩織がなくした」と責める「エクステドッキリ」。いずれも嘘で、数日~数週間時間を空けてから「ドッキリでした」と伝えるという悪趣味なものだ。

筆者がとりわけ残酷だと感じたのは、B子による「自殺ドッキリ」だ。これは遺族が同級生から聞いたもので、給食中にB子が詩織さんに「自殺したい」「自殺するほどつらいことがあるから、自殺の方法を考えてほしい」と相談を持ち掛けるというもの。同じ班で給食を食べていた同級生の男の子がその話を聞いていた。詩織さんは、相談を真に受けて心を痛めていたという。

「いじめ防止対策推進法」の重大事態に該当

24日の電話や25日の校長室での報告で、A校長が繰り返し伝えていたのは「チャットよりも○○ドッキリが自殺の原因になっているのではないか」ということだった。

「私たちもいじめのすべてが端末上で起こったとは思っていません。ただ、チャット上で誹謗中傷を受けていたことがわかっているのに、その履歴が消えていたり、自殺を公表したいと伝えても拒否されることに隠蔽を疑うようになりました。私の調査でははっきり出ているC子、D子からのいじめについても、学校側は把握できていませんでした。『第三者委員会を立ち上げてください』と伝えました」(弘美さん)

「第三者委員会」とは、客観的な第三者の視点で調査する調査機関のことだ。いじめの場合には学校からの要請で市の教育委員会が立ち上げる。委員の人選においては、調査に関する専門性に加え、公平性・中立性が求められる。

実は、A校長の行動には重大な法律違反という疑義がある。

2013年に制定された「いじめ防止対策推進法」では、第28条第1項に「いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑いがあると認める」事態(自殺等重大事態と呼ばれる)を「重大事態」と定義。重大事態が起こった際には「速やか」に教育委員会などに報告し、第三者委員会を立ち上げて調査することが求められている。

山根夫妻の代理人で、2013年1月から2016年7月まで国会議員の政策秘書として「いじめ防止対策推進法」の制定にも携わった金子春菜弁護士は次のように語る。

「A校長は、学校長としてこの法律の存在を知っていたにもかかわらず、重大事態としてすぐに報告していませんでした。今回の自殺事件が、重大事態に当てはまるのは誰の目にも明らかです。たとえ、遺族に『子供には自殺を伝えないで調査してほしい』と言われたとしても、町田市教育委員会に報告のうえ、第三者委員会を立ち上げることはできます。それをしていなかったということは法律に違反していると言わざるを得ません」

「遺族の意向で詮索しないでください」

年明けから山根夫妻は「一日も早く全校生徒と保護者に詩織が亡くなったことを伝えてください」と何度も依頼した。A校長は「後追いが怖いので、待ってください」と断りつづけていたが、ようやく1月13日の朝に「14日に6年生の親向けに臨時保護者会を開いて、子供たちに詩織さんが亡くなったことを伝えます」と連絡があった。ただし、「学校が混乱するので、山根さんご夫婦は来ないでください」と言われた。

詩織さんと同級生の娘を持つ加藤和江さん(仮名)は、この日の臨時保護者会のことを次のように話す。

「1月13日の午前中に、メールで臨時保護者会開催のお知らせが届きました。緊急事態宣言が延長された最中で、何があったのかと思いました。14日夕方、体育館に行くと『子どものストレス反応と対応について』という1枚のプリントを渡され、先生たちが皆、黒い服を着ているので胸騒ぎがしました。そして、A校長が短く、一方的に詩織さんが亡くなったことを伝えて、終わってしまったんです」

A校長が伝えたのは、次のような言葉だった。

「悲しいお知らせがあります。6年生の山根詩織さんが亡くなられました。明日、児童には私から話をしますし、担任の先生からも話してもらいます。ご家族の意向で、これまで発表は控えてくださいと言われていたので、今日、発表することになりました。なぜ亡くなったのかは遺族の意向で伝えられません。なお、すでにご葬儀は済まされていますので、いきなり弔問に行くようなことはなさらずに、伺う際には必ず事前にご家族へ連絡のうえ訪問するようにしてください」

明らかな嘘がいくつも混ざっていた。

コロナで死亡? 臆測が飛び交った

詩織さんが亡くなった事実だけを伝えた1月14日の臨時保護者会の帰り道、保護者たちの間では臆測が飛び交った。

「学校があるのは、学年の半分くらいが中学受験をする受験率が高いエリアです。1月14日は、1月受験が始まる3日前。なぜ、こんな時期に発表するのか、受験生の親子を動揺させたいのかと怒っている保護者もたくさんいました」(加藤さん)

別の保護者も言う。

「理由が話されなかったので、コロナで亡くなったのでないか、いや、詩織ちゃんはいじめられていたから、自殺ではないか、交通事故なのか、といろんな臆測が飛び交っていました」(鈴木さん/仮名)

翌日には学校で全校児童に伝えられた。6年生にはA校長から、それ以外の学年はクラス担任が、14日と同じ内容を伝えた。つまり、「遺族の意向で、亡くなった理由は伝えられない」ということだ。このため子供たちが学校で詩織さんの話をすると先生に「シーっ」と注意された。

「理由を言わなかったので、子供たちは余計に混乱状態に陥っていました。詩織の友達だった低学年の男の子がうちに来て『なんで詩織ちゃん死んじゃったの?』って聞きにくるし、問い合わせの電話がたくさんかかってくるし、誰にも聞けずに家で泣いているとお母さんたちから話を聞くお友達もいるし、子供たちが本当にかわいそうでした」(母・弘美さん/仮名)

翌日、臨時保護者会が開催されたという話を聞いて驚いたのはPTA会長だ。

「A校長から臨時保護者会を開くことや、子供たちに伝えることは何にも聞かされていませんでした。保護者の皆さんからPTAに問い合わせがたくさん来ていたので、16日に校長室を訪ねて、『いじめで亡くなったという噂があるけど本当ですか?』とA校長に聞きました。すると、『いじめはあった。だけど、9月に解決していて、亡くなったことは関係ないんです』、そして、『本当のことを伝えたいけど、遺族の方の意向で伝えられなかった』と説明を受けました。私が、問い合わせがたくさん来ていると伝えたら、『では、1月19日に代表委員会があって各学年の代表の方が来ているから、伝えましょうかね』と提案いただいたんです」(PTA会長)

遺族は「代表委員会」への出席も止められた

1月19日、クラス委員とPTA役員の保護者が集まる「代表委員会」の席で、詩織さんが亡くなったことを伝えることになった。それを聞いた山根夫妻は、「今度は自分たちも出席したい」と申し出たが、A校長は「来ないでください、なんで来るんですか!?」と出席を止めたという。

「ひと言、あいさつをさせていただくだけなので、参加させてくださいと頼んでも、『いやいや大丈夫です。混乱するだけですし、そもそも代表委員会は詩織さんが亡くなった話をするための場所ではありませんし』と大変なけんまくでした」(弘美さん)

18日の夜、A校長はPTA会長を呼び出した。

「A校長に呼ばれて、夜7時に学校に行きました。そして、『山根さんが代表委員会に出ると言っています。困りますよね、そんなことをされたら』と聞かれました。『いえいえ、別に何も困らないです』と伝えたら、『まだ本当に出席するかわからないので、山根さんにこのあと連絡を入れますね』と言われました」(PTA会長)

実際にはA校長から山根夫妻への連絡はなかった。翌朝、山根夫妻が改めて出席の意向を伝えると、A校長は「来ないでください」の一点張り。それでも山根夫妻は、代表委員会に強行突破で出席することを決めた。

「どうか子どもたちを気にかけてください」

代表委員会が開かれる前に、PTA会長はA校長から「事前の打ち合わせ」を頼まれた。

「私が改めて『いま、いじめで亡くなったという噂がどんどん広がっているので、そのことについてきちんと伝えてほしい』と言いました。すると、校長先生は『あなたから質問をもらう形でなら話す』と言ってくださいました。でも、この時も細かいオーダーが入って、『いじめで亡くなったのは本当ですか?』と聞こうとしたら、『いじめで亡くなったとは言わないでください。いじめと亡くなった理由は別なので、いじめがあったのは本当ですか? と聞いてください』と言われて、そのように言いました」(PTA会長)

代表委員会では、このような流れで質問が出て、A校長が「あったけれども、9月に解決している」と回答。山根夫妻は、それを同じ教室の一番後ろの席で聞いていた。

代表委員会が終わって、山根夫妻が保護者に向けて話をしようと立ち上がると、A校長は席を立ち、そのまま教室を出ていってしまった。山根夫妻は驚いたが、A校長以外は教室に残っていたので、父の達彦さん(仮名)があいさつをした。

「山根詩織の両親です。娘は昨年の暮れに、いじめを書きつづった遺書を残して、自殺をしました。恥ずかしいけれども、私たちは何も、知りませんでした。皆さんの身近なところで、いろいろなことが起きています。うちはもう手遅れで、私がいうのを僭越ですが、どうかお子さんたちをしっかりみてあげてください。お騒がせをして、すみません」

教室のあちこちから、保護者のすすり泣く声が聞こえてきた。

[プレジデントオンライン編集部 森下 和海]

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「すべての軽自動車メーカーが格安EVを発売予定」日本車の"脱エンジン"は軽から本格化する

2021年9月20日 08:00 PRESIDENT Online

「軽EV」は補助金を加えれば100万円台半ばで買える

軽自動車の電気自動車(EV)化が加速している。EV化の中核部品である電池の価格が高く、手頃さを売りにしている軽自動車に導入するのは難しいとみられていたが、搭載する電池量を減らし航続距離を短くしても日常的な使い勝手に支障はないと判断し、価格を下げる動きが出ている。2025年までには国内のすべての軽自動車メーカーがEVを発売することになりそうだ。

日産自動車と三菱自動車は8月末に新型の軽自動車サイズのEVを2022年度初頭に発売すると発表した。提携関係にある日産と三菱の共同開発で、開発は主に日産が担当し、三菱の水島製作所で生産する。国の購入補助金を使った実質価格は約200万円とし、自治体の補助金を加えれば100万円台半ばの購入価格になるとみられている。日産の軽自動車、デイズやルークスの売れ筋価格は150万~170万円で、フルに補助金を使えば既存の軽自動車とほぼ同じ価格帯となる。

低価格を可能にしたのは1回のフル充電で可能な航続距離を約170キロと短くし、搭載する電池の容量を20kWhと少なくしたこと。日産リーフ(航続距離458キロ)に搭載されている電池容量の3分の1程度だ。軽自動車は自宅近くの買い物や通勤などに使われることが多く、一日の走行距離は20~30キロ程度とみられており、1回の充電で400キロ以上走れなくても不便さを感じることはないという判断から航続距離を約170キロと短くしたのだ。

EVの普及には400~500キロの航続距離は必須というのが「常識的」な見方となっている。それを実現するには大量の電池を搭載しなければならず、価格は高くなるというジレンマをEVは抱えている。電池の搭載量が増えると今の技術では充電時間も長くなるので使い勝手もよくない。現状ではそのジレンマが解消されないため、購入をためらう消費者が多いのが現実だ。

街乗りに割り切ることで、これまでの「常識」を打ち破った

一方メーカーは電池の高性能化とコストダウンという難問に取り組み、ジレンマの解決を目指す。トヨタ自動車は9月7日に新型の電池開発に2030年までに5000億円をかけて性能アップと50%のコストダウンを実現するという。こうしたメーカーの改善努力は今後も続くだろう。

だが今回の日産と三菱の軽自動車サイズのEVは航続距離を短くし、街乗りに徹すると割り切ることで、これまでの「常識」を打ち破った。

日産の日本マーケティング本部の柳信秀チーフマーケティングマネージャーは「お客さんのニーズを徹底的に分析し、EVを買っていただけるように考えた。軽自動車のEVは日本のEV化の足掛かりになると思う」と話す。

想定される客層は一戸建てに住み、登録車と軽自動車を併有している家庭だ。軽自動車より大きな登録車を保有しているので、家族で長距離のドライブも可能なので、軽自動車の方は街乗りに徹することができる。そういった家庭なら軽自動車のEVは十分購入対象になる。

「軽のEV化が地方の移動弱者といわれる人を助ける」

また自治体からも公用車として使っている軽自動車をEVに代えたいとの要望が多く日産には寄せられているという。8月末に来年4月以降の軽タイプのEVの発売を発表したのは、来年度予算での各自治体によるEV導入を促したいからだ。

軽自動車のハイブリッド化やEV化といった電動化は難しいと見られてきたが、私はむしろ軽自動車こそEV化を進めるべきではないかと考えていた。拙著『2035年「ガソリン車」消滅』(青春新書)では、軽タイプのEVの航続距離を150キロほどでいいと割り切れば、電池容量は20kWh程度となり電池コストは中国製なら30万円程度、日本製でも60万円程度で収まると指摘した。EVの場合、車体価格の3分の1が電池コストといわれている。軽タイプのEVの価格を100万円台に抑えることは十分可能だと拙著で書いた。

初代日産リーフの電池開発者であり、現在はベンチャー企業の代表を務めている堀江英明さんも「私は軽自動車こそEV化に向いていると思います。また軽のEV化が地方の移動弱者といわれる人を助けるとみています」と話す。

ガソリンスタンドの減少が、地方では深刻な問題に

軽自動車は公共交通機関が減少している地方にとってはまさに「生活の足」なのだが、ガソリン車を支えるインフラがどんどん弱くなっている。2000年3月末に5万5153カ所あったガソリンスタンドは20年3月末には2万9637カ所となり、20年間で半分近くまで減った。ハイブリッド車など低燃費のクルマが増え、ガソリンの消費量が減ったためである。電動化が加速する今後もガソリンスタンドは減り続け、過疎地ではさらに給油が不便になる。軽自動車がガソリン車のままでは「生活の足」としての地位を失いかねない。

一方、自宅で充電できるEVを使えば、ガソリンスタンドでガソリンを給油する必要はなくなり、地方に住む人たちの社会課題の解決につながるのだ。

他社の動きはどうか。

2025年までには軽メーカー全社がEVを発売することになる

2040年までにガソリン車とハイブリッド車を廃止し、EVと燃料電池車(FCV)に移行することを4月に表明したホンダは軽タイプのEVを2024年に発売する。日経新聞によると、7月に複数のメディアの取材に応じた三部敏弘社長は「軽自動車の利用者を分析してどういうEVが受け入れられるかを考えている」と答えた。

またスズキの鈴木俊宏社長は7月のトヨタ自動車、ダイハツなどとの共同記者会見で「軽自動車ならではのやり方でEVを開発する。EVの特長であるゲタ代わりのポジションを極める。バッテリーの量を減らしながら、どうやって走らせることができるかを考える」と語った

三部社長、鈴木社長の発言から透けて見えてくるのは、消費者が軽タイプのEVに求める航続距離がどの辺にあるのかを見極め、電池量を減らすことで手頃なEVを開発するという方向性だ。

軽タイプのEVはホンダの2024年に次いで、スズキが2025年までに発売すると表明している。日産・三菱の市場参入の動きを受けて、それぞれ発売が前倒しされる可能性もある。

ダイハツもそうした動きに追随せざるを得ず、国内の軽自動車メーカーは全社が2025年までにはガソリン車並みの価格のEVを発売することになるだろう。

国内のEV市場の牽引役は、当面の間、軽自動車になる

宅配便などの分野ではすでに軽タイプのEV化が進み始めた。佐川急便は2022年秋ごろから中国製の軽タイプのEVを導入し、2030年までに宅配用の軽自動車をすべてEVに切り替える。こうした動きはヤマト運輸や日本郵便にも広がっている。配送センターから個人宅などへの近距離の配送には航続距離が長い必要はないからだ。

2050年のカーボンニュートラル(CO2排出量の実質ゼロ)の実現に向けて、政府が電動化、中でもEV化促進の旗を振っても、その使い勝手やお買い得感がなければ普及は進まない。だが2022年に登場する軽タイプのEVが先駆けとなって、商用車、公用車、そして自家用車としてEVが身近な存在になっていくだろう。2025年までに軽自動車メーカー全社がEVを出すので消費者には選択肢も増え、市場は活性化する。

全個体電池などの高性能な電池が実用化されるのは2020年代の半ば以降である。それまでの間は登録車ベースのEVは多くの消費者を十分に満足させる航続距離と値ごろ感を実現できないだろう。EV化には不向きと見られていた軽自動車が実は当面の間、国内のEV市場の牽引役になるとみてよい。

[Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト 安井 孝之]

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「目立つ経歴は"眞子さまのフィアンセ"だけ」小室圭さんとの"NY暴走婚"は本当にうまくいくのか

2021年9月20日 08:00 PRESIDENT Online

「結婚とは、まさしく相互の誤解に基づくものである」

小室圭と結婚が決まった秋篠宮眞子さんに聞いてみたいことがある。

あなたは両眼を見開いて小室圭という男を見ているか。結婚はいかなる羅針盤も発見したことがない荒海だということを覚悟しているか。

イギリスの詩人、オスカー・ワイルドは「結婚とは、まさしく相互の誤解に基づくものである」といっているが、その美しき誤解が解けたとき、あなたはどうするのか。

読売新聞(9月1日付)が「秋篠宮眞子さま年内結婚」と報じて以来、各メディアの凄まじい取材合戦が始まった。

特に、女性週刊誌や週刊文春、週刊新潮は、秋篠宮眞子さんに厳しい論調に終始している。

「暴走婚」(週刊文春9/16日号)「プリンセスはどこで道を踏み外してしまったのか」(週刊新潮9/16日号)「もはや眞子さまは皇室から“追放”されるかのようだ」(女性自身9/21日号)

それ以上に気になったのは、母親の秋篠宮紀子さんが9月11日の誕生日に、記者から寄せられた質問に文書で回答したが、内容がほとんど昨年と同じだったことである。

読売新聞の報道が出た後だったので、紀子さんの口から娘が結婚しますという言葉が聞けると思っていたが、空振りに終わった。

これが何を意味するのか。結婚はさせるが、私たち両親は、この結婚を決して認めていないという意志表示なのだろうか。

スケジュール的に切迫しているこの時期に、いまだに沈黙を守っている秋篠宮夫妻には、どういう腹積もりがあるのだろう。

いずれにしても2人の結婚は認められ、早ければ眞子さんの誕生日である10月23日前に、入籍、皇籍離脱となるのだろう。

2人の結婚生活はいったいどうなるのか

私は秋篠宮眞子さんと小室圭の婚約延期のときから、2人の意志は固く、間違いなく結婚すると見ていた。

それが成就し、喜びに溢れる2人の笑顔を見てみたいと思う。だが、週刊誌とはやや違った観点からではあるが、秋篠宮眞子さんと小室圭の結婚後について憂慮している。

当然のことだが、恋愛と結婚はまったく違う。冒頭書いたように、結婚前は相手のことを両眼を見開いてしっかり見ろ、結婚してからは片目をつぶれといわれる。

報道によれば、2人が出会ったのは国際基督教大学の3年、20歳のときだそうである。6月に交換留学の説明会で言葉を交わしたのがきっかけで、7月には初デートをしたという。

「“しっかり者のお姉ちゃん”とされていた眞子さまにとって、小室さんは甘えられる唯一の相手だった。眞子さまは交際開始から早い段階で結婚を意識され、その思いに小室さんも、すぐに応えられたのです」(秋篠宮家関係者)

眞子さんが英国留学しているとき、三菱東京UFJ銀行(当時)にいた小室圭が会いに行き、仲睦まじい様子が何度か報じられている。

文春は「婚約前からマンションに何度も通っていた」

さらに週刊文春は、眞子さんは婚約前から横浜市北東部にある小室圭の2DKのマンションに何度も通っていたと、衝撃的な“事実”を報じている。

最初に訪れたのは眞子さんが英国留学を終えた後だという。

「女性は自らの両親にも、彼の紹介を済ませていた。彼からはすでにプロポーズを受けていたし、その後、英国に留学したときにも、彼は大型連休を利用して会いに来てくれた。帰国後、ようやく彼の自宅を訪れることができたのだ」(週刊文春)

交際を始めた翌年の2013年12月、小室圭は眞子さんに、こうプロポーズしたという。

「将来、結婚いたしましょう」

だが、留学から帰ってからは外で会うわけにはいかなくなった。

「人目を憚ったのか、お二人の逢瀬は“おうちデート”が多く、(中略)小室さんが秋篠宮邸に遊びに来るときは、眞子さまの部屋で二人きりで“おこもり”状態になることもあったそうです」(宮内庁関係者)

愛は順調に育まれていった。だが、小室圭の母親・佳代と元婚約者との金銭トラブルが報じられ、婚約が延期になる。小室圭は弁護士資格を取得するためにニューヨークへ行ってしまうが、毎日やり取りは欠かさなかったようだ。

「自由に羽ばたきたい」という願望は秋篠宮家の教育方針か

週刊新潮で佳代の知人が、こう語っている。

「佳代さんは『圭と眞子さまは、いつもスカイプを使ってやり取りしています。圭は画面の眞子さまに“君はいつでも可愛いね”と話しかけているんですよ』とも自慢していました」

口の悪い週刊新潮は「さながらジゴロの口上」のようだと評しているが、それはともかく、小室圭がニューヨークへ行ってから3年以上、会話はできても、直にお互いが触れあうスキンシップは一切できていないのである。

普通のカップルなら、交際中に何度か諍いを起こして別れたり、よりを戻したりしながらお互いをよく知るようになる。

だがこの2人には、そうした時間がないまま、眞子さんの思いだけが募っていったのではないだろうか。

多くの週刊誌が書いているが、眞子さんには昔から、籠の鳥のような皇室での生活から飛び出して、自由に羽ばたいてみたいという願望があったようだ。

それは、学習院ではなく国際基督教大学に進ませた秋篠宮夫妻の教育方針でもあったはずだ。 これは私の推測だが、秋篠宮が紀子さんと結婚するとき、さまざまな異論が宮内庁などから噴出し、苦労した経験が彼の中にあったからではないか。

こんな窮屈な皇室という身分から離れ、一人の人間として自由に生きてみたいという思いが秋篠宮の中に残り、子どもたちには自由を謳歌してほしいと考えた。そんな秋篠宮の教育方針が悪いと批判する向きもあるが、私は、その秋篠宮の思いは、眞子さんと佳子さんに確実に伝わっていると考えている。

皇室から脱出するには結婚という選択しかなかった

眞子さんの願望を現実のものにするために、眞子さんと小室圭はだいぶ前から工程表を作っていたのではないかという見方がある。

女性自身(9/21日号)がこう報じている。

「息苦しい皇室での暮らしを抜け出して、自由に生きたい――。小室さんなら、その願いを叶えてくれるとお考えになり、プロポーズを受け入れられたのでしょう。8年前のプロポーズの時点から、お二人の“海外脱出計画”は始まっていたのです」(宮内庁関係者)

眞子さんは英国留学をはじめ海外に公式訪問などで赴き、英語に磨きをかける。一方、小室圭は、海外支店勤務の可能性がないとUFJを2年で辞め、パラリーガルをやりながら、海外で弁護士資格を取得しようと考えていたのではないか。

なぜなら、アメリカのビザ取得は年々難しくなってきている。弁護士資格を取り弁護士事務所に就職できれば、就労ビザ(最長6年)取得のハードルは下がり、眞子さんも配偶者ビザを取ることができるからだ。

「私をここから出して、自由な世界に連れていって」くれる人ならば、小室圭でなくても誰でもよかったとは思わないが、彼女が皇室から脱出するには、結婚するという選択しかなかったのである。

「小室さんの入社依頼が断られていた」と報道

だが、恋愛は夢物語でいいが、生活は現実である。

彼女たちのニューヨーク新婚生活にはいくつもの障害があることが、これまでも報じられている。

愛情は溢れるほどあるから心配ないが、第1はカネの問題である。一部では、小室圭は弁護士事務所に就職が決まったという報道があったが、弁護士経験が全くないパラリーガルのような人間に大枚をはたくところはないのではないか。

年収2000万円程度ではないかといわれるが、税金も物価も高いニューヨークで余裕のある生活を送るには十分な額ではあるまい。

週刊朝日(9/28日号)は、アメリカの有名弁護士グループのA氏を引っ張り出して、小室圭からの入社依頼を断ったといわせている。

全米トップ100と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士Aがいうには、昨年の秋ごろある弁護士を通じて小室圭から「働かせてほしい」と、経歴書のようなものが送られてきたそうだ。

小室は、ニューヨークなど大都市で弁護士の仕事を探していて、ビッグローかミッドローでM&Aの仕事をやりたいと書いてきたそうだ。

だがAは、小室圭は弁護士になるために必要なJD(法務博士)コースに入らず、LLM(法学修士)のコースに入り、1年後にJDに編入していることを問題にしている。

経歴で目立つのは「眞子さまのフィアンセという一点」だけ

「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります」

ビッグローのインターンはハーバードやエール、コロンビアといった有名大学から来る成績優秀者の中から絞っていくそうだ。

競争は熾烈だが、インターンに採用された学生には1年目から2000万円以上の給与が支払われるという。

その点、小室圭の経歴には目を見張るものがなかった。あるのは「眞子さまのフィアンセという一点」だけ。

M&Aを扱っている弁護士事務所の70%超はトップ100が扱っているので、小室圭はM&Aにこだわらないほうがいいともいっている。

眞子さんは約1億4000万円といわれる一時金を辞退するようだが、眞子さんが働いて家計を助けるという選択肢はあるのだろうか。

「若くて職歴がほとんどない場合、米国ではいきなりどこかに就職するというのは難しいです。インターンなどを経て、初めて同じスタートラインに立てます。眞子さまとはいえ、すぐに仕事というのは難しいのでは」(ニューヨーク在住のジャーナリスト津山恵子)

いいこともある。津山がいうには、アメリカでは小室圭には関心がないが、眞子さんを応援している人は多いというのである。メーガン妃の父親もトラブルメーカーだったが、「大事なのは本人」というアメリカ的な考え方からだが、眞子さんにとっては心強いだろう。

眞子さまに降りかかる「さらに深刻な問題」

セキュリティーのための費用もバカにならない。

将来、秋篠宮が天皇になれば、天皇の長女であり、悠仁さんがなれば、天皇の姉君になる眞子さんにもしものことがあってはならない。そのための警護やセキュリティーを堅固にするための費用は相当なものになるようだ。

女性自身で、警視庁でSPを務め、現在は「身辺警護SP学院」で講師を務める伊藤隆太が、「一流の会社に依頼するとなれば、1人を1カ月間雇うだけでも100万円以上は必要です」といっている。

眞子さんには、成人してから年915万円の皇族費が支給されているそうだ。それが1億円ぐらいにはなっているのではないかと週刊新潮は推測している。

庶民にとっては大金だが、新居の購入や毎月のセキュリティー費用を考えれば、あっという間に吹っ飛んでしまう額であろう。

さらに深刻な問題は、トラブルメーカーの異名をとる母親の佳代が、横浜の家を出て、祖父とともにニューヨークへ移り住み、一緒に暮らすのではないかという「佳代問題」である。

小説やドラマによくあるが、マザコンの夫は、嫁姑戦争が起きると母親側につくことが多い。まして、母一人子一人で暮らしてきた小室圭にとって、母親は嫁さん以上に大切な人かもしれない。

前途多難などとは言い表せないほど険しい道のりだが…

万が一、離婚という最悪のケースになっても、眞子さんは皇室に戻れない。バツイチとして、秋篠宮家の近くで住むといっても、世間のまなざしは厳しいことが予想される。

前途多難などという言葉ではいい表せないほど、秋篠宮眞子さんのこれからの人生は険しいと思わざるを得ない。

眞子さんという女性は、こうと決めたら梃子でも動かない強靭で「烈しいご気性」(週刊文春)は持っていると思う。

だが、彼女が思い描いていた理想と現実の間に大きな齟齬が生じた場合、それに耐えられる靭さを持っているだろうか。

とまあ、老婆心からいろいろなことをいってきたが、好きな人と一緒になるのだから、サンデー毎日(9/19日号)で森暢平成城大教授がいっているように、

「眞子さまと小室さん、逃げるは恥だが役に立つ。この絶望の国からNYに、はばたけ!」

と明るく送り出してあげるのがいいのだろうな。(文中敬称略)

[ジャーナリスト 元木 昌彦]

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「警察庁長官と警視総監、本当に偉いのはどっち?」日本人もよく知らない"警察2トップ"の違い

2021年9月20日 08:00 PRESIDENT Online

日本の警察は、警察庁と都道府県警察という2つの組織に分かれている。例えば警察庁のトップは警察庁長官だが、警視総監は警視庁のトップとなる。そのほかには一体どんな違いがあるのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが解説する――。

※本稿は、野地秩嘉『警察庁長官 知られざる警察トップの仕事と素顔』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

「警察庁」と「都道府県警察」

日本の警察はふたつの組織に分かれている。

ひとつは中央官庁である警察庁だ。職員は国家公務員で、霞が関にある合同庁舎内で働いている(図表1)。

警察の総職員数、約30万人のうちの8000人前後が警察庁の職員で、東京大学卒、京都大学卒を主とするキャリア官僚の組織である。仕事は各県警を束ねる行政管理、政策を作るための企画立案、広域捜査の指導、連絡、調整など。企画立案というのは法律を作ることなのだけれど、憲法では立法は国会議員がやることになっている。そこで、企画立案という表現にしたのだろう。しかし、警察関連の法律は実際のところは警察庁の人間が作っていることは間違いない。

もうひとつの警察は都道府県警察だ。各都道府県には警察本部があり、地方公務員の職員が働いている。数は28万8000人。そのうち、警視庁(東京都警察本部のこと)に所属するのが4万6000人(図表2)。

「ノンキャリア」と呼ばれる警察の道

都道府県警察の職員は高校や大学を出て、各都道府県で採用され、警察学校を出た人たちだ。なかには東京大学、京都大学を出た人もいるけれど、ノンキャリアと呼ばれる。

都道府県警察に勤める警察官のうち、一部の人は警察庁に異動することもある。ただし、地方公務員として採用されているので、最終的には採用された都道府県に戻る。都庁や県庁に採用された職員が国の官庁に出向するケースと同じである。

また、県警本部で長年勤め、警視正となった場合、本人が望めば地方に勤務しながら国家公務員になることができる。この場合、県によっては給料が下がってしまうこともあるのだが、たいていの人は給料より国家公務員になる方を選ぶという。

巡査部長、警部、警視正…階級は数多い

前項で警視正という階級呼称を使ったので、ここで階級とそれに対応する役職について整理しておく。

階級は巡査から始まり、巡査部長、警部補、警部、警視、警視正、警視長、警視監、警視総監となっている。

ノンキャリアの場合、巡査で入る。巡査から警部までの昇任はすべて筆記試験の成績や勤務成績等の総合評価で決まり、年功序列ではない。ノンキャリアの警察官は仕事と試験に追われる生活だ。

ただ、警部から上の警視、警視正、警視長に昇任する場合には筆記試験はないが、一方でポストに空きがなければ昇任しない。

そして、ノンキャリアの昇任は警視長までだ。警視監、警視総監にはならないというか、なれない。たとえ警視長まで昇任したとしても、その時にはすでに定年年齢の60歳に限りなく近くなっている。そこで定年を迎えることになるから警視監、警視総監にはなることはできない。もっとも警視総監は東京都にある警視庁のトップ、たったひとりだけの階級だ。

高学歴卒でも官僚の道を選ばない人間もいる

目安で言えば都道府県警察の警視正とは大規模署の署長もしくは本部の部長にあたる。県警本部の部長とは本部長のすぐ下の職位だから、県の治安を預かる大きな権限を持つ。ノンキャリアで入って都道府県本部の部長まで行けば大したものと言えよう(図表3)。

なお、東京大学、京都大学を出ても地方採用として警察組織に入る人間がいるのは自分が生まれた町の治安をよくしたい、加えて、現場で犯人を追いかけたいというふたつの気持ちが主ではないかと思われる。

警察庁で法律を作ったり、管理職になるよりも「オレは一生、現場の刑事として事件を解決したい」という人の気持ちはよくわかる。刑事は休みも少ないし、大変な仕事だけれど、人のために尽くす仕事だ。やりがいという意味では命を救う医師、消防士に匹敵する。

県警本部長を経て部長、局長…と上がっていく

さて、階級の話に戻る。

警察庁に入ったキャリアのスタートは警部補だ。以後の昇任にも試験はない。警察庁内と全国各地の警察本部を異動しながら経験を積んで地位は上がっていく。

警察庁に入った後、地方に出て交番や捜査の現場を経験する。その後、警察庁に戻り、係長として行政業務を担当する課長になる。

30代中ごろになってから現場の警察署長、もしくは県警本部の部長になる。

50歳前後で警視長になるので警察庁の課長や小規模県の県警本部長をやり、その後警視監として大きな県の県警本部長になる。

その後、警察庁に戻ってきたら、警察庁本庁の部長、審議官、局長を務める。

本庁の局長職は5つ。別に長官官房がある。5つとは生活安全、刑事、交通、警備、情報通信の各局だ(図表3)。

各県警本部には地域部(交番のおまわりさんや白バイ警官が所属する)、公安部(国家体制を揺るがすような事案に対応する警備警察で、東京都のみにある)があるけれど、警察庁にはそれに該当する局はない。地域部は現場の仕事だから、中央官庁の警察庁には必要ないのだろうし、公安は警備局のなかに含まれている。

また、警察庁は2022年から、サイバー攻撃やサイバー犯罪に対処する体制を強化するため、「サイバー局」を新設することにした。警察庁が直轄する「サイバー直轄隊」も設置する。これにより、現場の捜査権限は都道府県が持つ従来の警察のあり方が変わることになる。

警察庁長官と警視総監、本当に偉いのはどっち?

テレビのクイズバラエティでは「警察庁長官と警視総監はどちらが偉いのか」といった問いが出る。ためらうことなく、「警視総監」と答える人がいるくらいだから、世の中の大半はどちらが偉いのかよりも、まずは警察庁と警視庁の違いがわからないのではないか。

国税庁、資源エネルギー庁、海上保安庁、公安調査庁など、「庁」が付くのはほぼ国の組織だ。警察庁もしかりである。そして、「庁」は、府や省の「外局」として置かれているものを言う。

ところが、警視「庁」は国の組織ではない。東京都に属するのに、庁が付くところが、ややこしい。警視庁は東京都にある都道府県警察のこと。神奈川県警や北海道警と同格だけれど、呼び名が警視庁となっているだけだ。

どうして? と問われたら、明治以来の由緒正しい呼称だから変えられない、と答えるしかない。長官は国税庁にも海上保安庁にもいるけれど、総監と名の付く人物は日本に数少ない。

「総監の方がいかめしそうだし、偉いんじゃないか」と誤認する人がいても仕方のないことだろう。

階級序列は「長官、次長、官房長、警視総監」

だが、事実は警察庁長官がもちろん警察組織全体のトップだ。

警視総監は東京都の警察組織、警視庁のトップである。警視総監は警察組織全体では序列は2番目と書いてある資料もあるけれど、実際は違うと思う。

というのは警察庁のナンバー2は警察庁次長だ。ナンバー3は官房長。そして、官房長、次長を務めた人は長官に昇任するのが通例だ。また、次長と警視総監の入庁年次や年齢を見ると、次長の方が警視総監よりも年次が古い。つまり、先輩なのである。

ただし、ここにもまた例外がある。95代の三浦正充警視総監(2018~20年)は「24年ぶりに警察庁次長から就任」だった。そして、彼以外の歴代総監の前職を見ると、警備局長、官房長、刑事局長だった人もいる。つまり、警視総監は局長を務めてから就任するポストだ。

一方、警察庁長官は前述のように別格の局長とも言える官房長になり、そして次長を経てから就く。年齢にすると、2歳くらい、警察庁長官の方が年上になる。

わたしの見たところ、警察組織全体の階級序列は長官、次長、官房長、そして、警視総監となるのではないか。

長官の月収は117万5000円、総監は110万7000円

給料も長官は指定職(※)では最高の8号俸で、総監は7号俸。

長官は各省の事務次官と同じ額で、事務次官等連絡会議にも出席する。つまり、各省の事務次官と同格だ。一方、警視総監の給料は内閣府審議官、公正取引委員会事務総長、財務官、外務審議官など、各省の審議官、国税庁長官、海上保安庁長官と同じ俸給である。

指定職の年俸とはあくまで本俸で、これに地域手当がつくから本俸の1.2倍くらいにはなる。ただし、フェアな意見としては公務員幹部の給料は民間会社の社長に比べると、安い。

総理大臣でさえ年間4049万円だ。総理大臣の責任の重さ、年中無休の24時間営業を考慮すると、総理大臣の俸給は外資系企業エグゼクティブ、外資系金融マンの給料と比べると、不当とも言えるくらい安い。

ただし、よほどのインフレにでもならない限り、総理大臣や大臣の俸給は上がらないだろう。国会議員が総理大臣や公務員幹部のそれを増額する法律を提案することは考えられないからだ。ただ、国家公務員幹部ともなれば子どもも成長しているだろうし、趣味を楽しむ時間もない。食事もすべて仕事上の会合と言っていいから、お金を使うシーンはほとんどないと思える。

※指定職とは事務次官、外局の長、試験所又は研究所の長、病院又は療養所の長などが該当し、一般職国家公務員のなかでも最高幹部を指す。

昇進に必要な「入庁年次」と「重大事件に遭遇したか」

ここまで階級、序列について、書いたけれど、わたしの調べたところでは、警察という組織で、階級、序列と共に重んじられているのは入庁年次、任官年次だと思う。旧陸軍では「星(階級)の数よりメンコ(食器のこと)の数」とされ、軍隊で何年、生活していたかが重要だった。メンコの多い古参軍曹は新任の少尉を呼びつけてマウンティングしていたと書いてある本もある。

警察組織も軍隊同様、男子中心のマッチョな世界だから、キャリア、ノンキャリアの別よりも、現場では年長者の意見が通りやすい。

「なぜ、どうして、そんなことがわかるの?」と聞かれたら、長く取材しているし、警察庁長官経験者からもそうした例を聞いたことがあるからだ。

たとえば……。

「若くして警察署長になったとする。殺人事件の捜査方針に対して大学を出たばかりの署長がリードできることはない。地元で長く働くノンキャリアが捜査を進める」

こうしたことは警察内部の人間からも聞いた。

ただ、民間会社でも現場を持つところは同じようなことがあるのではないか。大学を出た若造が、工場へ行って、「鍛造工場のベルトコンベアのスピードを上げろ」と指示したとしても、現場の人間はちゃんとした根拠がなければ従わない。

名長官として名が挙がる後藤田正晴長官

そうしてみると、日本の会社は軍隊、警察に限らず、「星の数よりメンコの数」的な構造がある。

また、わたしは警察関係者と20年近く付き合っているけれど、同じ席で食事をしているうちに感じたのが、やはり「星の数よりメンコの数」だ。退官した後の警察幹部たちが礼節として意識しているのは先輩、後輩の間柄なのである。入庁年次が上の幹部に会ったとする。自分の方が肩書が上であったとしても、「先輩」と呼んで敬う。

それを見ていて、わたしは警察庁キャリアの世界は男子だけの中高一貫校みたいだなと感じた。

そして、警察庁キャリアのなかで、重んじられるのは「星の数より事件の数」である。在籍中、大事件に遭遇した長官、総監は平時の在任者よりも、風格が増すというか、激戦の戦場から帰った老将軍といった気配を身にまとう。

警察関係者が名長官として名を挙げるのが「カミソリ後藤田」「日本のジョゼフ・フーシェ」と呼ばれた後藤田正晴、第6代警察庁長官だ。

退官後、政界に入って副総理にまでなるのだから極めて優秀な仕事師なのだろうけれど、長官在籍中には大事件が頻発している。

任期は1969年から72年までの3年間だが、その間、起こった事件は以下の通りである。

よど号ハイジャック事件、瀬戸内シージャック事件と犯人射殺、三島由紀夫割腹事件、成田空港建設反対闘争で機動隊員3名死亡、あさま山荘事件、連合赤軍の群馬県妙義山での12人リンチ殺人、テルアビブ空港乱射事件……。後藤田長官は頻発する重大事件に対してパニックになることなく、冷静に対処している。

「暗い夜道の一人歩きはやめましょう」の看板に憤慨し…

しかも、舌鋒鋭いというか、人を食った発言が残っていて、それがまた彼の魅力と奥の深さともなっている。

以下は長官時代の発言からだ。

「新聞は警察官が過激派の火炎びんを浴びて殉職すると『死亡』と書く。どうして『殺人』と書かないんだ。あれは誤報だ」(鈴木卓郎『警察庁長官の戦後史』ビジネス社)

この発言を聞けば第一線の警察官たちは快哉し、後藤田正晴を尊敬し、信頼するだろう。

ただし、一方で、身内に対しても遠慮はしない。叱る時は厳しい。

「『暗い夜道の一人歩きはやめましょう│警視庁』というあの看板、あれはなんだ。暗い夜道を一人で歩いても大丈夫なようにするのがわれわれの役目じゃないか。警察の無能、無策を宣伝するようなあの看板はすぐに撤去せよ」(同書)

政治家に対してもひるまない。

「きょう、某大臣に会ったら『後藤田クンのゴルフは、よくボールが飛ぶそうだが、どんなショットをするのか』と聞かれたんだ。そこでセンセイ、ゴルフなんて簡単ですよ。あの小さなボールをバカな政治家か、意地悪な新聞記者の頭だと思って力いっぱい殴りつけるんですよ。よく飛びますよって答えてやったよ」(同書)

阪神大震災、地下鉄サリン事件を指揮した國松孝次長官

もうひとり名長官と呼ばれている第16代長官、國松孝次もまた災害、大事件に遭遇した。

長官時代の1995年には阪神・淡路大震災があり、さらに地下鉄サリン事件を始めとする一連のオウム真理教事件が起こった。そのうえ、警察庁長官狙撃事件の被害者となった。3発の銃弾を浴びながらも復帰し、警察トップの威信を守った。普通の人間なら1発でもショック死するところだけれど、彼の場合は気力と体力があったのだろう。殺されずに生き残ったことが警察官全体の士気を高めたと言える。

「狙撃犯を捕まえられなかったじゃないか」と猛烈な批判を浴びたけれど、死ななかったことが警察の威信を守った。それが第一の勲功ではないか。

ただし、撃たれてしまったことについては、彼と警察組織の不徳だ。同情の余地はない。しかし、狙撃事件以降、警察全体が警護を見直すきっかけとはなった。

彼もまた後藤田正晴と似て、そして、歴代長官の常として、正義感が強い。不羈でもある。

阪神・淡路大震災の時は誰よりも早く現場に姿を現して、現場を督励するとともに被災者を見守った。暴力団対策法を作り、また、被害者救済の道を開いたのも彼だ。

※編集部註:初出時、リードと本文に事実と異なる記載があり、確認の上訂正しました。(9月16日10時45分追記)

[ノンフィクション作家 野地 秩嘉]

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「この会社に定年までいられる気がしない」心理カウンセラーが転職を悩む人に出す"ある宿題"

2021年9月18日 12:00 PRESIDENT Online

あなたはいまの勤め先で無事に定年を迎えられるだろうか。心理カウンセラーの根本裕幸さんは「『転職するべきか悩んでいる』という相談を受けたとき、私は辞表を書いてみることをお勧めしている。辞める、ということに意識を向けてみると、視点が変わる」という――。

※本稿は根本裕幸『なぜ、あなたは他人の目が気になるのか?』(フォレスト出版)の一部を再編集したものです。

社会人になってから迎える反抗期とは

一般的に中学生くらいは反抗期の真っ盛りと言われています。親の言うことにいちいち反発したり、無視を決め込んだりする時期ですね。この反抗期は親からすれば面倒な時期ですし、本人としても自分の感情に振り回されて繊細な思いに悩む時期でもあります。しかし、これは「親から精神的に自立する時期」として成育上、とても大切なものなのです。

そして、この反抗期は何も思春期にだけ起こるものではなく、あらゆる人間関係で起きる問題でもあるのです。

恋愛でも付き合いはじめて数年すると関係性が変わります。それまで大人しかった相手がだんだん自分の意見を言いはじめて、2人の間に険悪な空気が漂った、という経験をされた人も多いでしょう。仕事においても、はじめは先輩や上司の言うことを素直に聞いていたのに、何年か経つと自分のやり方や考え方を持つようになり、上司や先輩に反抗的になる時期がきます。

そして、「この会社にずっといていいんだろうか?」ということも考えるようになります。それを私は「社会における反抗期問題」としてよく取り上げています。

「オレの気持ちを会社はわかってくれない、けど仕方ない」

「社会における反抗期問題」は先に挙げた疑問以外にも、さまざまな問題として感じられるようになっていきます。

「上司のやり方はもう古いのではないか?」
「今までのやり方よりも、このほうが効率的なんじゃないか?」
「新しい○○という方法を取り入れたほうがより生産性が上がるんじゃないか?」
「この会社のシステムはもう時代遅れだ。このままでは生き残れないんじゃないか?」

などの思いがどんどん強くなっていくのです。これは社会人として、あるいは組織人として、自分の意見を持ち、自信を持っている証拠で、それなりの実績や経験を糧に、自分なりのやり方や考え方を構築しはじめたことを表しています。

社会人としては実に素晴らしいことなのですが、とはいえ、そういう意見を持ったとしても、すぐに意見を通してくれる会社は少なく、たいていは否定されてしまうことになります。

すると、「オレの気持ちを会社はわかってくれない」となり、否定的な思いを持つようになりますし、そこから「独立して自分の会社をつくる!」という思いになればよいほうで、多くの人は「仕方がない。この会社は変わらない。ここにいるなら会社の方針に従うほかない」とあきらめてしまうものです。

でも、それってすごくもったいないことですよね。

会社から離れるメリットとデメリットを冷静に考える

私は30歳前後のまさに社会人としての思春期を迎えた方からの相談を受けることが多いのですが、その都度、その思いに賞賛を送りつつ、次なる課題を提案しています。それはやはり自分軸という話で、自分をしっかりと持ちつつ、その会社とどうやって付き合っていくか? という方法です。

自分というものをきちんと持つことがやはり前提になります。そのうえで、今の組織について、あるいは今の会社のやり方について理解を深めます。思春期というのは悪く言えば短絡的な「正しさ」にこだわってしまうところで、融通が利きにくいところなのです。

したがって、なぜこの会社がその方法を取り入れているのか? そのメリットは何なのか? その方法が生み出す問題点は何なのか? について、まずは「理解」してみることが大切です。すると、メリットとデメリットが見つかってくるものです。

中身の薄い会議を改善するための成功の秘訣

ある事例をご紹介しましょう。職場から無駄な会議を一掃したケースです。

彼は毎週のように開かれる中身の薄い会議に疑問を持ちました。それに気づいた彼は「何の意味があるんですかね?」と先輩に毒づいていたんですね。しかし、その会議がお互いのコミュニケーションを図ることを目的としていることと、上司が部下の状況を把握することに役立っていることに気づきました。

そこで彼は先輩と相談を重ねつつ、懇親を目的とした場と、物事を決定する会議を別にすることを思い立ち、その先輩を巻き込んで上司に提案してみたのです。この「先輩を巻き込んだ」というのは彼の成功の秘訣だったんですね。1人で提案するよりもより効果的に物事が進みますから。

そこで、懇親を目的とした場として「朝礼」を提案し、毎週月曜日か火曜日の朝、それぞれの状況について報告する場を設け、会議は議題が上がったときにのみに開催するようになったのです。

その朝礼では、公私を含めた今の自分の状況を部員それぞれが発表する場となりました。はじめはぎこちなかったものの、上司自ら最近の夫婦ゲンカによって小遣いを削減された話を面白おかしく暴露するなどして徐々にオープンな場となり、ある人は婚約を発表し、ある人は親の介護について告白する場ともなり、以前よりもずっと部内の風通しがよくなりました。その一方で、会議は短時間で目的を持ったものとなり、それまでのような数時間もだらだらと続くことはなくなったそうです。

周囲を巻き込むと思いがけない道が開ける

彼はその後も、まわりを巻き込みながらさまざまな提案を通していくことに成功し、1年後にはその部署の業績が上がり、職位も年俸も一気に上がりました。今では、ほかの部署も、彼らのやり方を取り入れるようになり、全社的な変化を生み出しているそうです。

社会人としての反抗期もやり方次第によっては会社そのものを変えるきっかけになるのです。もちろん、1人で孤軍奮闘する必要はなく、自分の意見に耳を傾けてくれる先輩や同僚がいてこそ成り立つのです。

このことは冒頭でもお伝えしたように、恋愛や夫婦関係にも言えることです。急に冷めることや、これまで溜まっていた不満が爆発するときがあるでしょう。そこで一気に解消する前に、もう一度冷静に関係性を問い直せば、また、周囲の人たちに相談することで、思いがけない道が開けることもあるのです。

カウンセリングで「自分がしたいことは何?」と尋ねる理由

仕事を続けるのがいいのか、転職すべきなのか……カウンセリングでは当然そうした話題に触れることも多くなります。私はカウンセラーなので、「どうして辞めたい気持ちになるのか?」という感情、気持ちについての質問が多くなります。

たとえば、「仕事が面白くないから」という気持ちにも、さまざまな感情的背景が考えられます。仕事の中身が単純作業の繰り返しで飽きてしまっている場合もありますし、職場の人間関係がギスギスして居心地が悪い場合もありますし、苦手な上司と馬が合わなくて苦労している場合もあります。

そのとき、私は「自分がしたいことは何?」という質問をよくさせていただくんです。正直な気持ちは何? という意味で。

たとえば、上司が変わったら今の会社にいることが幸せに感じられるのでしょうか? それとも、上司が変わろうが変わるまいがこの仕事を辞めたいと思うのでしょうか?

そこでポイントとなるのが「自己評価」です。

転職しようか悩む人には「辞表を書いてみてください」

あなたは自分のことをどれくらい信じられるでしょうか? どれくらい自分のことを高く評価しているでしょう?

つまり、どれくらい今の自分に自信が持てるか? が大事なんです。ここで自己評価が低いと、他者評価に依存することとなり、他人軸になってしまいます。それだと自分が行動を起こす際にどうしても受け身に回ってしまいます。

「こんな実力のない自分なんて転職しても同じことを繰り返すだけ」とか「ほかの人はうまくやっているのにあの上司とうまくできないのは自分がダメだからだ」と思い込んでしまったら、思い切った行動はできませんよね。

それは転職すべきかどうか? という課題のときはもちろんですが、自分が取り組みたいプロジェクトがあってもそれを提案することに躊躇してしまうでしょうし、部内の意思疎通に問題があると気づいたときも改善案を提出する勇気が持てないでしょう。

そんなときにちょっと過激な宿題を出してみることがあります。

「辞表を書いてみてください」

「辞める気になりゃなんでもできる」

一度、辞める、ということに意識を向けてみることで、視点を変えるのです。「死んだ気になりゃなんでもできる」という昔ながらの言葉がありますが、それをアレンジしたようなものです。

何人ものクライアントさんにこれを書いてもらいました。そうすると、不思議なことに気持ちが強く、大きくなって、今までなら我慢してしまっていたことも上司にどんどん言うようになったし、取引先に対しても今までとは違うより強い態度に出られるようになったのです。

もちろんその一方で、辞表を書いたら清々しい気持ちになって、「やっぱり本当にこの会社を辞めたいと思っていたんだ」と本音に気づいた方もいます。

辞表や離婚届は悩める人を強くさせる

ある人は、いつもスーツの内ポケットに辞表を忍ばせて出勤していました。

彼は古い考え方の上司といつも衝突し、ずっと我慢を繰り返してきたのですが、「いざとなればこの辞表を叩きつけてやる!」と思いながら、上司と話をしてみると、不思議なことにそんなに抵抗なく彼の意見を上司が受け入れたのです。

その後も、不思議と彼の意見を上司は尊重してくれるようになったんです。ある日、上司との面接で彼は意外な言葉を耳にします。

「最近の君はとても頼もしく思っている。以前は実力はあるがどこかひ弱な感じがして、素晴らしい提案を持ってきてくれてもイマイチ説得力に欠けていた。しかし、最近の君は一皮剥けたように意志の強さを感じるし、きちんと筋が通った提案をいつも上げてくる。何かあったのかね?」

辞表を書く、というのは「覚悟を持つ」ことにつながります。そうすると自分では気づかないうちに意識が変わり、積極的だったり、強く出られたり、意思をはっきり持てるようになったりするのです。

ご紹介したのは仕事編ですが、夫婦編でも相談に来られた方に「離婚届」を書いてみることをおすすめすることがあります。一度、意識を反対側に振ってしまうことで見方が変わるし、しっかり「今」と向き合おうという覚悟が生まれるのです。

[心理カウンセラー 根本 裕幸]

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cat_11_issue_oa-president oa-president_0_gy7rof0441sb_「小6女子いじめ自殺」チャットに書かれた誹謗中傷はなぜ消されていたのか gy7rof0441sb gy7rof0441sb 「小6女子いじめ自殺」チャットに書かれた誹謗中傷はなぜ消されていたのか oa-president 0

「小6女子いじめ自殺」チャットに書かれた誹謗中傷はなぜ消されていたのか

2021年9月18日 12:00 PRESIDENT Online

昨年11月、全国に先駆けて「一人一台端末」を配った東京都町田市の小学校で、小6の女の子がいじめを苦に自殺した。遺族は女の子の遺書を持って学校に行き、調査を依頼。しかし、GIGAスクール構想の旗振り役として知られる校長は「いじめは解決していた」と繰り返すばかりだった。

「最初は学校を信じていました」

町田市の小学校に通う6年生の山根詩織さん(仮名)が、自室で亡くなっているのが発見されたのは、2020年11月30日(月)の0時半頃。兄の信哉さん(仮名)が0時を過ぎても部屋の明かりがついているのを不審に思って部屋をのぞいたところ、首をつって絶命していた。

部屋を探すと、鍵がかかった机の引き出しの中から日記形式で書かれた遺書が見つかった。そこには、「A子とB子にいじめられている」「こいつらのために自分は死ぬ」「もうラクになりたい」などと綴られていた。

いじめについて、両親はまったく気づいていなかったという。

「娘は学校を欠席したこともなかったし、友達の悪口を言うこともありませんでした。だから、亡くなった娘を見た時に、一体、何が起こっているのか……理解できませんでした。遺書を見つけて、いじめを受けていたと書かれていたのですが、初めて知る内容ばかりで、混乱しました」(母・弘美さん/仮名)

翌朝、学校に電話で亡くなったことを伝え、夕方にはA校長を訪ねた。そこにはA校長と副校長、6年生の担任3名が待っていた。

「いじめのことが書き綴ってあるから、調べてくださいとお願いして、遺書のコピーを渡しました。私たちは何もわかっていなかったので、学校に助けを求める気持ちでした」(弘美さん)

そして、最初は子供たちに自殺したことは言わないでほしいと伝えたという。

「自殺したと聞いたら、子供たちがショックを受けて、本当のことを話してもらえなくなると懸念したんです。だから、まずは子供たちに死んだことは言わずに調べてくださいとお願いしました。あとからわれわれはこのときのことを後悔することになるのですが、学校を信じていたんです」(父・達彦さん/仮名)

心のアンケートでSOSを出していた

山根夫妻から調査を依頼されたA校長は、「ちょうど今、ふれあい週間で、これから人権週間が始まるので、それを理由にそれとなく子供に聴き取りを行います」と請け負い、結果は毎週金曜日の夕方5時半に報告することになった。

報告のなかで学校側から、9月10日に実施した「心のアンケート」で、詩織さんが「友達関係に悩みがある」と書いていたことを知らされた。

「学校は9月10日の心のアンケートのあと、詩織に話を聞いて、A子とB子にいじめられていることを聞いていました。詩織はA子とB子には言わないでほしいと言っていたそうですが、担任のB先生は二人に伝えてしまったのです。9月14日、放課後の委員会活動で3人が集まった時に、当事者だけで話し合いをしたそうです。その時、A子とB子は詩織に謝罪していじめは解決したとB先生に報告したと言うのですが、とんでもないと思いました。詩織は、遺書を9月23日から書き始めていたからです。当事者同士で話し合いをさせた結果、解決どころか、エスカレートしたのだと思いました」(弘美さん)

弘美さんは、詩織さんが書いた心のアンケートのコピーをもらいたいと頼むと、「情報管理の手続き上、渡せない」「ご自身で市役所に取り寄せに行ってください」という回答だった。このあたりから、学校だけに任せていては本当のことはわからないかもしれないと思うようになったという。

「いやな予感は11月30日の時点でありました。夫が担任のB先生に『山根詩織がいじめられているのを知っていましたよね?』と聞いたら、『はい、知っていました』と即答しました。すると、A校長が『いやいやいやいや、B先生、そういうことではないですよね?』と制止したんです。B先生が口をつぐんでしまったので、私は『人が一人亡くなっているので、きちんと調査してください』とお願いしましたが、このあとの聴き取り調査の報告で学校から上がってくるのは、『9月にいじめは解決した』という話だけでした」(弘美さん)

リーダー格の女子4人に振り回されていた

学校任せにできないと思った弘美さんは、12月5日から詩織さんが亡くなったことを伏せたまま、同級生への聴き取り調査を始めた。そこで、学校で配られたクロームブック上で「詩織、まじキモイ」「ウザイ」「死んでほしい」などと書かれていたことがわかった。

「詩織の友達から聞いたことを伝えて、そのことを学校でも調べてほしいと頼みました。すると、実際にA子本人が先生に『チャット(ハングアウト)で悪口を書いていて、B子に送っていた』と認めました。それは二人だけのやりとりだけだったのですが、詩織のパソコンの調子が悪くて、その時は仲良くしていたB子の端末を借りて作業したときに、A子からB子に『まじキモイ』『ウザイ』『死ねばいいのに』などのメッセージが送られてきたのをたまたま見てしまったようです。戸惑った詩織が、友達のC子とD子に相談したことを、学校の聴き取り調査でC子とD子が話しています」(弘美さん)

保護者の話によると、A子・B子、C子・D子は、「6年生女子のスクールカーストの上位4人で、A子・B子コンビ、C子・D子コンビはライバル関係で何かと張り合っていた」という。詩織さんは誰とでも仲良くするタイプで、もとは4人と仲良しだった。

チャットで悪口を書かれたことをきっかけに、C子とD子と過ごすことが増えた詩織さんだったが、誘われればA子・B子とも遊んだり、帰ったりしていた。すると、C子・D子が「かばってやったのに、裏切り者」とクラスの同級生の前で絶交を宣言。どちらからも見放される形となり、同級生たちも4人の報復を恐れて、誰も表立っては詩織さんと仲良くできない状態に陥っていたという。

チャットの履歴がハッキングで消された?

12月中旬に、弘美さんはチャットの履歴を見せてほしいと学校に依頼する。

すると12月24日にA校長から電話がかかってきて「チャットで悪口が書かれていたのは事実でした。でも、私たちも不思議なんですが、履歴が消えています。書き込んだと認めたA子さんも、『あれ、ない?』と戸惑っていました。誰が消したかわからない、ハッキングにあったかもしれません」と報告があった。

“ハッキング”というと大がかりな事件のようだが、この学校ではIDは出席番号、パスワードは123456789と全員が共通だった。だから、誰でもやろうと思えばA子のアカウントにログインして、チャットの内容を見ることも消すこともできた。

詩織さんの同級生の男の子はこう証言する。

「11月30日以降、詩織が学校にこなくなってから、なぜ学校に来ないのか、それはA子・B子、C子・D子がいじめていたからだとみんなが噂するようになりました。そのとき、C子・D子の子分みたいな男子の孝(仮名)が、C子とD子のせいじゃないと証明するために、A子のアカウントにログインして、悪口を見つけて僕に見せてきました。そこには『死んでほしい』と書かれていて、ひどいなって思いました」

「加害者の後追い自殺が心配です」

山根さんの家には、12月になると詩織さんの同級生から「早く学校に来てね」という手紙が届いたり、「なぜ、学校を休んでいるの?」と問い合わせが来るようになった。

山根夫妻は「子供たちに嘘をつくことがつらい」と感じるようになり、A校長に対し「年明け早々には自殺を公表してほしい」と依頼した。

するとA校長は「とんでもない。加害者が後追い自殺する危険性があります。後追い自殺って本当にあるので、公表はできません」と断った。山根夫妻が何度頼んでも、「いまの段階では厳しい」と口止めされ、子供たちに嘘をつき続けるしかなかった。当時、子供たちの間では、「山根詩織は不登校になった」と受け止められていたという。

このあと、学校の隠蔽ともとれる対応は露骨になっていく――。

[プレジデントオンライン編集部 森下 和海]

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cat_11_issue_oa-president oa-president_0_yq07gfveg6v4_「突然の引退勧告に屈せず」PL学園KK世代"5番ライト"が外資系金融でブイブイ言わせているワケ yq07gfveg6v4 yq07gfveg6v4 「突然の引退勧告に屈せず」PL学園KK世代"5番ライト"が外資系金融でブイブイ言わせているワケ oa-president 0

「突然の引退勧告に屈せず」PL学園KK世代"5番ライト"が外資系金融でブイブイ言わせているワケ

2021年9月18日 12:00 PRESIDENT Online

挫折をバネに這い上がる人は何が違うのか。かつて大阪の高校野球の名門PL学園でレギュラー選手として甲子園で活躍した黒木泰典氏(54)は、今、プルデンシャル生命の支社長だ。スポーツライターの清水岳志氏は「黒木さんは桑田・清原のKK世代で、PL時代には頂点を極めましたが、大学野球・社会人野球では辛酸を舐めました。それでもつらい経験を大いに今の仕事に活かしています」という――。

PL学園「KK世代」の54歳が野球選手から華麗なる転身

「PLで全国制覇するために努力したことが、今、ビジネスに生かされています」

高校球児には、高3の夏までの2年半の間に5回の甲子園出場のチャンスがあるが、多くの球児は1回も果たせない。

黒木泰典(54)は4回出た。同級生のチームメイトには、桑田真澄(現巨人コーチ)や清原和博(元西武・巨人など)がいた。

2016年に野球部が廃部になった大阪のPL学園。だが、KKコンビを筆頭とした超高校級の選手が集結した1980年代半ばのチームは無類の強さを誇った。特に1985年の夏、黒木は高校最後の夏の甲子園でレギュラーとして打撃に守備に大車輪の活躍をして優勝に貢献した。

あれから40年弱……。今、プルデンシャル生命保険・大阪第二支社長を務めている。大阪・梅田で待ち合わせると、紺のスーツにピンクのネクタイをして笑顔で出迎えてくれた。いろんな試練を乗り越えてきた顔だった。

人生の糧になったPL学園「研志寮」での“刑務所のような生活”

1967年、宮崎県生まれ。地元の小中学校に通い、高校も県立校に進学予定だった。そこに大阪の名門、PLで入部枠が空いたと勧誘され、進学可能になるから人生はわからない。

「推薦してくれたのが中学のチームで対戦していた相手の監督でした。僕はピッチャーでしたが、試合中にこの人によく『グローブの色が紛らわしい』とか、『牽制がボークだ』とか注意されて……。なんで推してくれたのか不思議なんです」

中3の正月、鹿児島の指宿でPLに翌春に入部予定の一部の選手による合宿があった。清原、桑田のほかに、中学生にして190cmの大男もいた。それぞれがブルペンで投球練習を披露。「そこでピッチャーはあっさり諦めがついた」と黒木は振り返る。

PL野球部員は入学とともに親元を離れて、寮(研志寮)に入る。複数人が相部屋で寝食を共にし、1年生が3年生の身の回りの世話をするのが決まりで、新入りに一切の自由はない。

「食事当番、道具当番、日課当番の3班に分かれるんです。朝起きてから寝るまで、やらなければいけない決まり事が100ぐらいありました。1年は、風呂でバスタオル、シャンプー、リンスは使ってはダメで、石鹸のみ。3年生の食事中は直立して待つ。練習より寮生活がピリピリしていました」

1年生同士でよくいさかいが起きたという。掃除当番をサボった、グラウンド整備の手を抜いた、洗濯物を勝手に動かした……。些細なトラブルは頻発したが、同じくPLの門をたたいた仲間だ。すぐ関係修復する。そして、また喧嘩。

「まるで刑務所のような場所」。多くのPLのOBが入部したばかりの過酷な時間をこう表現する。年下は年上に逆らえない。命令に従わされる。社会に出れば、理不尽なことに直面することも多い。黒木たちはそのような“社会の縮図”を10代半ばの高校時代で経験したわけだ。人間的に鍛えられたことは確かだろう、いい意味でも悪い意味でも。

4番清原の次の5番を打った「自分の野球人生で一番、輝いていた」

「PLでの3年間は、挫折をどう克服するか、どうやって常勝チームを作るかなど、社会に出てからの生き方の基礎を学んだ時間だったのかもしれません」

寮に入ってホームシックにかかった自分を支えていたのは、親の存在だ。それが逃げずに、野球を続けられた原動力だった。

「親のありがたみをひしと感じました。背番号をもらって喜ばせたい。野球をやりたい希望をかなえてくれた親への恩返しをしたいと思っていました」

大阪府予選を勝ち上がり、甲子園出場を決めた3年夏。黒木は主に4番清原の次の5番を打った。「自分の野球人生で一番、輝いていた年です」。

ところが……。栄光のKK世代の一員として名を馳せ、進学先の法政大学でもさらなる活躍を見せるだろう、と多くのファンも黒木自身も思っていた。だが、そうはならなかった。

法政大学と大和銀行で味わったことのない大きな挫折を2度も

「甲子園では通算100打席ほど立っています。これ、かなり多いんですよ。でも、法政では東京六大学の公式戦で1度も試合に出場していません。(リーグ戦ではない)春の新人戦で3打席立ったのみ。暗黒の4年間でした」

このまま不完全燃焼で野球人生を終わらせたくない。監督がPL時代のコーチだった縁もあり、大和銀行(現りそな銀行)で社会人野球を続けることにした。ほかの社会人の強豪チームでプレーし、PLの同期たちのようにプロ入りを模索する手もあっただろうが、黒木にはある思いがあった。

「何より大学でレギュラーでもない自分を誘ってもらったことがありがたかったです。それに両親への罪滅ぼしもしたかった。『神宮に野球を見に行くねん』と言ってくれていたのに、1回も出られず、学費だけ出してもらって。本当に申し訳なかったです。だから、銀行だったら安心してくれるだろうと思いました」

「明日から仕事しろ」「お前は犠牲になってくれ」

しかし、理想通りにはいかない。社会人チームで黒木は2度目の挫折を味わうことになる。4年目の26歳のときのことだ。3番バッターでキャプテン、選手として脂が乗っていたのに突然、チームから引退勧告される。

「『明日から仕事しろ』と言われたんです。自分より実績のない選手が現役を続ける。『なんで俺やねん』。愕然としました」

監督に直談判すると「高卒の選手を育てて、プロに入れないといけない。お前は犠牲になってくれ。俺もつらい」と逆になだめられたでも、これがサラリーマンか。小学生時代から約20年やってきた野球人生にピリオドを打たされた。とても納得いかないが銀行マンに専念するしか生きる道は残されてなかった。

野球選手をクビになって、残されたのは銀行マンの道

銀行では枚方支店、瓢箪山支店、野田支店に配属された。いわゆる外回りで個人も法人も区別なく営業した。新規出店の瓢箪山では開発準備員に選ばれ、立ち上げから参加。ゼロからの新規開拓の日々でやりがいがあった。

今でも付き合いのある当時からの顧客がいるという。人と接するのが嫌ではなく、相手の懐に入るのがうまかったのかもしれない、と自己分析する。「個人預金」「融資」「ローン」などの部門で上期と下期の年に2回、グラフで張り出され表彰された。

黒木はいつも全国10位あたりの優秀な銀行員に変貌した。だが、本人はどこか釈然としなかったという。ワクワクしながら仕事をできていない自分がいた。それはここで自分が打てばチームは勝つ、というバッターボックスの緊張感や、全国制覇の高揚感を知っていたからかもしれない。

入行して数年経った30歳手前、バンカー人生の先も見えてしまった気がした。たとえ成功してもサラリーは決まっている。課長、副支店長、支店長と昇進できても、年齢がくれば出向されるだろう。規定通りに定年して年金生活入り。地道に勤め上げて、家族を養う。そんな平凡な人生こそ幸せという人もいるが、どこかしっくりこなかった。

「このままでは定年した時、僕は『この人生はなんなんやろ』と振り返ってしまうと思ったんです」

そう考えた背景にはKKの存在もある。彼らのニュースは日々嫌でも耳に入ってくる。同期としてうれしい半面、なにくそという気持ちが沸いてきたのも事実だ。

「彼らと食事に行ったりして、近況報告していると、こんなに差がついてんのかと思わされることばかりで。車も家も、持っているものが違う。なんか居心地が悪かった(笑)。人生にリベンジをかけたくなったんです」

KKが眠っていた反骨精神に火をつけた。そこに、プルデンシャル生命が転職の誘いをしてくれた。大学も社会人も、野球は中途半端だった。野球の借りを金融の仕事でやり返す。それも悪くないと思ったのだ。

転職したプルデンシャルの社員2400人中、成績は最上位

転職した20年前、プルデンシャルは知名度も今ほどではなく、イチからキャリアを積み直すにはうってつけだと感じた。

企業のサラリーマンは若くしてトップのセールスをしても、報酬は年功序列が一般的だ。頑張っているのに正当な評価をされない人も多い。そうした日本式の評価に枠にはまらない上昇志向のある人がプルデンシャルには集まっていた。

当時の全営業社員が約2400人いて、転職1年目の成績はその上位5%に入る好成績だったが、「もっと上がいるのか」とレベルの高さに強い刺激を受けたという。それは危機感にもなった。

ランキングを公表され、順位付けされることにはPL時代から慣れている。数字(打率)は常についてまわった。「周囲の人にも、自分にも負けたくない」と黒木はそこから数年間、がむしゃらに営業に飛び回った。

マネジャーに昇進して年収は銀行員時代の数倍、そして支社長へ

そして2006年10月に管理職であるマネジャーになる。数十人の部下を持つ立場だ。自身のトータルの契約数は平均を大幅に上回る件数で、 年収も銀行員時代と比べて数倍大きくなった。

マネジャーに昇格した黒木は新しく立ち上がった新大阪の京阪支社第一営業所で、PLや社会人野球で培ったリーダーシップを発動させた。「単に大きいだけではなくて、強い営業所を作りたいと思っていました」。

同営業所は全国でもベスト5に入る成績を収めるまでに成長した。

「部下たちがみんな、『僕たちは黒木組。誇りを持っています』と。あるとき『新たに(黒木組の)支社を作りましょう』とまで言ってくれたんです」

そして、信頼できる部下のマネジャーらとともに2017年4月、“新しい支社”の大阪第二支社長に就任した。5人のマネジャーが付いてきてくれたが、普通はマネジャーが3人いれば多いほうで、5人は黒木がいかに慕われていたかの証だ。そこに現場で顧客に相対するライフプランナーが56人。現在、全国に約150ある支社の中で10番目ぐらいの規模の大きさを誇る。

常に頭の片隅にあるのは、数十人の部下は「転職して良かった」と感じているか、ということ。ライフプランナーが初めて営業に出る時は励ましの動画を作って送り出す。

「ライフプランナーがタイヤで、マネジャーがエンジン。野球なら、ライフプランナーが選手で、マネジャーがコーチ。支社長はハンドルを握る監督のような役割でしょうか。部下たちが足で稼いできたものを受けて、どれだけ正しく運転できるか。大きな責任を伴いますが、そういう仕事をまっとうし楽しむこと。それによって組織をさらに上向かせたいです」

「PLで野球をしてなかったら、コーチの重要性はわからなかった」

黒木の目下の最大の任務は、優秀なライフプランナーを育てることだが、直接の指導はコーチに任せている。

「PLもコーチ、スタッフの方がとてもよかったんです。野球をしてなかったら、優秀なコーチの重要性はわからなかったかもしれません」

コーチにしっかり責任を与えるので、監督から選手に対して不満もある場合でもぐっとこらえる。コーチが選手をマネジメントして育成するプロセスを見守っている。

ただ、誰でも仕事が惰性になって手を抜く瞬間もある。そんなプランナーが目に止まると、マネジャーを呼ぶ。「あいつ、最近、大丈夫かな。見てあげてくれないか」。

夏の大会の全国制覇には個人の力ではなく、チーム力がものをいう。ビジネスも同じだ。集まる社員たちの転職してきた理由や働く価値観、描いている将来の夢などはそれぞれ。それらの方向性を一致させ指揮を執るのが、監督である自分のミッションだ。

人生のゲーム「6回裏が終わった感じ。残り3イニングが楽しみ」

プルデンシャル生命では支社長は制度上60歳まで。それ以降はまた、営業に戻って80歳まで働けるという。過去に契約した顧客をそのままフォローしていくのが仕事の柱だ。

最近、ふと考えることがある。野球人生を辞め、あのまま銀行にい続け、そのレールに乗っていたら、終着駅は見えていただろうと。だが、今の仕事のレールに終点がない。歳下にもすごく頑張る社員がいて、勉強させられる。

支社長となって多くの部下を束ねている今、KKと肩を並べる位置に立てただろうか。

「どうですかね。桑田はここ4、5年で対等に接してくれるようになったかな。こちらから食事に誘えるようになったし、ゴルフも行ってます。口には出さないけど、認められてきたかなと。僕も桑田も清原も、人生、順風満帆かというとそうじゃない。失敗、つらい思いと紆余曲折があるからこそ人生は面白いんです」

しみじみという。

「人生の節目でいろんな人に導いてもらってきました。つらいこともありましたが、そういう時は何年か経って笑い話になっている、と前向きに考えること。人生80歳と考えれば、今は6回裏が終わった感じ。ここからの3イニング。自分に何が起こるかワクワクしています。物事への貪欲さは野球をやっていて備わったんでしょうね。僕は、王道を歩きたい。陰じゃなくて、おてんとさんの下を」

人生というゲームの前半戦では、野球という武器で大量の得点をあげた。だが、その後、手痛い失点を喫し、中盤戦では、戦いの場を変え、外資系金融の熾烈な世界でV字回復……。まだ54歳。時間はある。逆転サヨナラ勝ちだったとして、それはどんな結末だろうか(文中敬称略)。

[フリーライター 清水 岳志]

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【告発スクープ】小6女子をいじめ自殺に追い込んだ「一人一台端末」の恐怖

2021年9月18日 12:00 PRESIDENT Online

子供たちに「一人一台端末」を配る国の「GIGAスクール構想」の被害者が出た。昨年、全国に先駆けて端末を配った東京都町田市のICT推進校で、小6の女の子がいじめを苦に自殺したのだ。配布端末のIDは出席番号、パスワードは全員「123456789」で、なりすまし被害が横行していた。当時の校長は、20年以上前からICTを学校教育に取り入れてきた先駆者で、GIGAスクール構想の旗振り役として知られる人物だった――。

学校で配られた端末でYouTube見放題

「あれ、和哉(仮名)、まだYouTube見ているの?」

昨年9月某日の夜11時。ベッドの上で寝転びながら、動画を見ている小学6年生(当時)の和哉さんを見て、母の小林愛菜さん(仮名)は驚いた。小林家では夜9時以降、クロームブックは使えない設定にしていた。「宿題をやっていた」と言い訳する和哉さんからクロームブックを取り上げて、YouTubeからログアウトしてみたら、家庭で使っているIDとは別のものが入っていた。

「005○○-○○○」

それは、和哉さんの学校で配られたクロームブックのIDだった。

昨年の5月下旬、和哉さんが通う町田市立小学校では、休校中の学習に使えるようにと6年生に一人一台、クロームブックが配られた。

文科省が推進する「GIGAスクール構想」――学校のインターネット環境を整備し、生徒一人に一台ずつ端末を配って教育の情報化を進めていく――で、全国の自治体に「一人一台端末」が行き渡ったのは、今年3月末のこと。この学校での配布はこれより10カ月も早い。一学年だけとはいえ一人一台を配備できたのは、ICT教育推進に熱心なA校長(当時)の方針だった。

A校長は20年以上前から授業でICTを取り入れてきた先駆者で、現在のGIGAスクール構想につながる「学校教育の情報化に関する懇談会」(2010年~2013年、座長・安西祐一郎氏)に第一回から参加。ほかにも文科省の「教育の情報化に関する手引」作成委員(2009年)、「学びのイノベーション推進協議会」委員(2011~2014年)を務めるなど、日本のICT教育推進の旗振り役として知られている。

A校長をそばで見てきたPTA会長は次のように振り返る。

「A校長は、とにかく『一人一台端末』を強く求められてこられました。先生がいらっしゃることでICT推進校に選ばれていた本校ではいちはやく6年生に配れることになったんです。2019年11月には全国から500人くらい先生たちがくる大規模なICT教育の研究報告会が学校で行われて、文科省や経済産業省の方と座談会をされていました。その翌日に、『国で一人一台が決まった。一生懸命、訴えてきたからね』と大変喜ばれていたのを覚えています」

こうして配られた端末は、ゲームし放題、YouTube見放題の設定になっていた。制限がかかっていたのは一部の成人向けや暴力的なサイトだけで、利用時間などの制限はない。やがてこの端末が、家庭や学校に混乱を招き、最悪の事態を招くことになる。

「最初は気づいていませんでした。学校で配られたタブレットなら、当然、時間や検索に制限がかかっていると思っていたんです。ましてやICT教育の第一人者で知られるA校長がいるので、信頼していた。でも、子供の様子がおかしかったので調べてみたら、なんでも検索できるし、ゲームもできてしまう。学校からはクロームブックを使った宿題が出ていて、やけに時間がかかっているなと思っていたのですが、9月の一件で遊んでいたんだとわかったんです」(小林さん)

家庭のコントロールが効かない端末

ほとんど制限がない形で渡されたクロームブック。学校側が“設定ミス”をして、このような仕様になっていたわけではない。

和哉くんの同級生のお母さん、木村聡子さん(仮名)は教えてくれた。

「A校長は、あえてルールを設けず、子供の自主性に任せて、失敗のなかで学ばせるという方針なんです。クロームブックを持ち帰らせる際も『長時間や深夜の使用はしないようにしてください』『勉強以外に使わせないようにしてください』と書いたお便りを渡すだけ(写真参照)。でも、これは家庭に押し付けているだけ。無責任だと思います」

A校長が先駆者としてICT教育について取材を受けた記事がある。そのなかでA校長は「ルールをつくらなかったことで自主運営できるようになった」と話しているが、木村さんは「これはウソ。実際にはめちゃくちゃな状態で、記事を読んだ時はどこの学校の話かと思いました」と断じる。

2人が何より迷惑だと語るのは、家庭で使っている端末も学校のID・パスワードでログインすると、使い放題になってしまうことだ。

「わが家には学校で配られる前からクロームブックがあったのですが、それについては私のメールアドレスでアカウントを作成し、検索のフィルタリングをしたり、使用は1時間以内と制限をかけていました。しかし、子供は制限のかかった家庭のアカウントからログアウトし、使い放題の学校アカウントでログインして、ゲームをしてしまう。家庭でのルールが無意味になってしまうんです。学校が管理権限者なので、私たちは設定に触れることができません。家庭に管理を押し付けるなら、せめてコントロールできるようにして、って言いたいです」(小林さん)

授業中もゲームし放題。ICT推進校の実情

子供たちが配られたクロームブックで遊んでいたのは、家庭内だけではなかった。

和哉くんと、その同級生である勇くん(仮名)、直之くん(仮名)は「授業中も自由に検索したり、ゲームしていた」口を揃える。

学校で人気だったのは、「slither.io」というヘビのゲームや「VENGE」というシューティングゲーム。VENGEはオンライン上で待ち合わせて一緒にプレイする子もいたという。

「友達とはハングアウトというチャットでやりとりできました。部屋(対戦するステージ名)を伝えれば、そこで待ち合わせできます」(勇くん)

先生に見つかって叱られないのかと聞くと、「厳しい先生だと没収されることもあるけど、優しい先生だと『やっちゃダメだよ』くらいにしか言われない」(直之くん)という。さらに、クロームブックは授業中に先生の目を盗んで遊びやすい機能もあるのだという。

「クロームブックは、Alt+Tabを押せばすぐに画面が切り替わるので、先生が通ったときだけ課題の画面にすればいい。みんな課題はさっさと終わらせて、残り時間は遊んでいました」(勇くん)

人のアカウントを使う「なりすまし」が横行

端末を“正しく”使った授業中でも、トラブルは多発していた。

「スプレッドシートを使って、授業の感想や気づいたことなど、みんなで書き込みをするのですが、全部消されて15分くらい授業が止まってしまうことがよくありました」(勇くん)

これは操作ミスで、意図せず消してしまったケースもあったが、なかにはいたずらで消した子もいたという。被害を訴えるのは、勇くんの友達の蓮くん(仮名)だ。

「スプレッドシートが消えたときに、履歴をたどればだれがやったかわかるのですが、身に覚えがないのに僕がやったことになったんです。5回くらい続いて、違うっていっても信用されませんでした。だけど、クロームブックから離れて友達と話していた時間に、俺が操作したことになっていたことがあって、それで別の人がやっているってわかってもらえたんです」

つまり、授業中に誰かが蓮くんに“なりすまし”て、いたずらをしたのだ。

なぜ、こういうことができたかというと、IDはクラスごとに前半が同じ数字で、末尾の3ケタが出席番号、そしてパスワードは、全員共通で「123456789」だったからだ。同じクラスの児童なら、出席番号がわかるので、簡単に蓮くんになりすますことができた。

「いろんな人が『なりすまし被害』にあっていて、書いていたものが消されたり、勝手に書き込まれたりしていました」(勇くん)

別の同級生の女の子も、「なりすましされるのがイヤすぎて、自分でパスワードを変えた子もいました。そうしたら先生に勝手に変えるなと怒られていました」と証言する。なぜ、同じパスワードにしたのか理由はわからないが、子供たちは意地悪したい相手や気になる相手のアカウントにログインして、作成中のスライドに“スタ連(スタンプを連打する)”したり、チャットに入って会話を覗いたり、とにかくやりたい放題の状態が続いた。

チャットで悪口を書かれた女子児童が自殺

A校長のいう「自主性に任せて、失敗の中で学ばせる」方針は、結局、取返しのつかない事態を招くことになる。

昨年11月30日の夜、当時6年生の山根詩織さん(仮名)が、自宅の部屋で首を吊って亡くなったのだ。部屋にあった遺書には「学校でいじめにあって自殺する」「A子とB子にいじめられていた」などとはっきりと書かれていた。

A子とB子がチャット上で「詩織、ウザイ」「まじで死んでほしい」とやりとりしていることは、“なりすまし”で覗くことで多くの同級生が知っていた。そして、詩織さん自身もクロームブック上でそれを目撃し、C子とD子に相談していたが、その後、C子とD子にもいじめられていた。これらは遺族が同級生からの証言を集ることでわかったことだ。

母親の弘美さん(仮名)は語る。

「わが家でスマホは与えていませんでした。パソコンもリビングに家族共有のデスクトップを一台置いていただけ。でも、クロームブックがわが家にきて、娘は部屋に引きこもるようになりました。クロームブックで悪口を書かれ、娘自身が自殺のことを調べていたこともわかっています。自殺の直接の原因はいじめですが、学校で配られたクロームブックがそれを助長し、娘を追い詰めた面もあるのではないでしょうか?」

山根夫妻は11月30日のうちに、遺書を持ってA校長を訪ねて調査を依頼する。しかし、その後、学校の対応に不信感を募らせていくことになる――。

[プレジデントオンライン編集部 森下 和海]

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