cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_d945fshxebb0_石原さとみが非公表の理由 「コロナ感染発表」に関する芸能界ルール d945fshxebb0 d945fshxebb0 石原さとみが非公表の理由 「コロナ感染発表」に関する芸能界ルール oa-newspostseven 0

石原さとみが非公表の理由 「コロナ感染発表」に関する芸能界ルール

2021年2月3日 16:05 NEWSポストセブン

 クランクインを迎えた新ドラマが、突如、撮影延期に。理由は主演の“退場”だという。

「新型コロナの感染予防として、新しい現場では必ずといっていいほどPCR検査が行われます。1月中旬、撮影初日に実施された検査で、主演の石原さとみさん(34才)の陽性が発覚したんです。無症状だったようで、本人はとても驚いていました。石原さんの出演シーンは、すべて撮影が延期に。幸い、濃厚接触者に該当する共演者はいなかったので、ほかのシーンから撮影が進められることになりました」(テレビ局関係者)


 これまで芸能人が感染した場合、名前が大々的に報じられてきた。しかし石原が感染したのは1月の中旬だというのに、2月3日の時点で公表されていなかった(※2月4日、所属事務所が石原が新型コロナウイルスに感染していたことを発表)。

 実は芸能界には、公表か非公表か、あるルールが存在している。

「感染によって、すでに公になっている出演番組を欠席したり、上演中の舞台を降板した場合などは、その理由を説明する必要が出てきます。そのために公表という形をとる。石原さんは、撮影が始まったドラマがまだ正式発表されておらず、撮影の欠席を関係者以外に説明する必要はありません。公になっている仕事を欠席することもなかったので、公表を控えたとみられています」(芸能関係者)


 逆に、情報解禁前のドラマだったから「制作サイドとしては公表してほしくないのが本音」と言うのは、別のテレビ局関係者だ。

「石原さんの感染を公にすると、『いまどんな仕事をしているのか?』『どの仕事に影響があるのか?』という部分も発表せざるを得ません。ドラマの情報解禁は、宣伝期間を決めて戦略的にやるものです。制作側は出演者の感染発表のついでにドラマの情報解禁、というのは避けたかったはず。共演者の中には、『世間に伝えなくていいの?』という声もあったようで、石原さんとしては苦渋の決断だったのかもしれません」(前出・別のテレビ局関係者)

 公表にはこんな“デメリット”もある。現在の芸能界では現場ごとにPCR検査を行っており、多忙な芸能人ほど検査の回数が増える傾向にある。

「たとえ前日のドラマの現場で陰性だったとしても、翌日に別の作品の撮影があれば改めてPCR検査を受けることになります。週に2~3回検査を受けているタレントもいて、これだけ受けていれば偽陽性の反応が出てしまうこともあるんです。ある俳優は陽性反応が出てすぐに公表したものの、翌日以降はずっと陰性。でも一度陽性と公表してしまった手前、2週間の隔離を強いられました」(前出・芸能関係者)


 芸能界では今後、石原のようにあえて公表を控える動きも出てくるかもしれない。

「芸能人の感染の公表は、名前と顔がわかってしまい、現実感を持って受け止められるので、社会不安を煽っていると指摘する専門家も出始めています。公表するデメリットも考え、石原さんのように臨機応変に対応することが、芸能界にとっても一般社会にとっても都合がいい場合もあるのです」(医療ジャーナリスト)

 感染者の人数や名前に一喜一憂せず、粛々と自粛生活を続けよう。

※女性セブン2021年2月18・25日号

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cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_xxwvwbo9j0kc_クラスター報告はゼロ 「西成・あいりん地区」の新生活様式 xxwvwbo9j0kc xxwvwbo9j0kc クラスター報告はゼロ 「西成・あいりん地区」の新生活様式 oa-newspostseven 0

クラスター報告はゼロ 「西成・あいりん地区」の新生活様式

2021年2月3日 16:05 NEWSポストセブン

 背後にそびえ立つのは日本一の高さを誇るビル「あべのハルカス」──ここは結核や赤痢の罹患率の高さに悩まされてきた大阪・西成の通称「あいりん地区」だ。

 コロナ第3波が押し寄せるなか、この地でクラスター発生というニュースは聞かない。“緊急事態”のドヤ街の風景に、どんな変化が生じているのか。

 大阪市西成区萩之茶屋。日本最大の日雇い労働者の街といわれるあいりん地区の三角公園には、この日、50人近い路上生活者が集まっていた。カップ酒や酎ハイ缶を手にし、何をするでもなく、等間隔にベンチや花壇の縁石に腰を掛けている。


 公園でのマスク着用率は50%に満たないように見える。マスクをつけている人でも、あごまでマスクを下げたり、鼻を出していたり。あいりん地区に10年以上暮らしているという72歳の男性は「コロナは怖くない」と話した。

「オレは5年前に結核にかかった。死の病や。でも、薬で治った。オレの体の中にはいろんな菌が住んどる。コロナなんかには負けん」


 マスクはしないのかと尋ねると、こう答えた。

「緊急事態宣言? ワシらは毎日緊急事態や。宣言するまでもないわ」


 アーケード商店街に足を向けると、地面に弁当を置いて食べる人や座りこむ路上生活者の姿が。決して衛生状態が良いとはいえない。それでも、あいりん地区でコロナが多数発生したという発表はない。西成区役所保健福祉課の生活支援担当者はこう話す。

「第1波の時はクラスターをかなり心配しましたが、コロナ患者はそれほど多くありません」(区ごとの感染者数は非公表)


 結核罹患率が全国平均の約15倍といわれているこの街で、なぜコロナは感染拡大しないのか。現地の生計困難者のために無料・低額診療を続ける大阪社会医療センター付属病院の工藤新三副院長はこう話す。

「あくまで推測ですが、一人暮らしが多いからではないでしょうか。元々密になるようなつながりがある人は少ない。検診に来る生活保護者の中にも、“コロナが怖い”と言って家にこもる人が増えています」


 無料宿泊施設「あいりんシェルター」の運営を市から委託されているNPO法人・釜ヶ崎支援機構事務局長の松本裕文氏は感染対策についてこう話した。

「シェルター内は禁酒禁煙で、会話も自粛するルール。ルールを破れば即退去となっています。昼間は一度退室してもらい、全てのベッドや手すり、床までアルコール清掃する。その作業は入居者から希望者を募り、もちろん日給も出ます。10月にシェルターでコロナ感染者が2人出ましたが、時期もズレており、濃厚接触者もいなかった。クラスターにはなっていません」


 ドヤ街にも、新しい生活様式が生まれつつある。


取材/鵜飼克郎 撮影/杉原照夫

※週刊ポスト2021年2月12日号

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cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_1syanlyrfk1b_医療崩壊の一因か? 開業医の意向が反映されやすい日本医師会の実像 1syanlyrfk1b 1syanlyrfk1b 医療崩壊の一因か? 開業医の意向が反映されやすい日本医師会の実像 oa-newspostseven 0

医療崩壊の一因か? 開業医の意向が反映されやすい日本医師会の実像

2021年2月3日 16:05 NEWSポストセブン

 新型コロナと戦う医療従事者に敬意を表し、感謝を捧げる、それは国民の総意だろう。だが、上から目線で恐怖を煽る物言いに、拭い切れない違和感。

「コロナ慣れだ」「気を抜くな」「このままでは医療崩壊だ」……そんな中川俊男・日本医師会会長の発言に疑問を抱いたのは、意外にも現場の医師たちだった──。

 日本医師会とはどのような組織か。医療制度に詳しい中央大学教授の真野俊樹医師が指摘する。

「日本医師会は、日本の医師資格を持つ医師を加盟要件とする任意団体です。日本医師会、都道府県医師会、都市区医師会の3層構造で、組織を支える都市区医師会の圧倒的多数は町の開業医のため、勤務医より開業医の意向が反映されやすい」


 日本医師会には全医師の52%が加入し、うち開業医は48%だが、「執行部はほぼ開業医」(京都大学名誉教授で呼吸器科医の泉孝英医師)だという。ちなみに、中川会長も北海道で新さっぽろ脳神経外科病院の理事長を務める開業医で、日本で初めて脳ドックを行なった脳神経外科の権威である。一方、コロナ治療の経験はなく、同病院もコロナ患者の受け入れやPCR検査は行なっていない。


 開業医に有利な制度の象徴が、公的保険の「診療報酬制度」だ。初診料などで開業医が優遇され、継続的に多くの薬を出す医師ほど治療費を請求できる仕組みになっている。このため日本は世界的に見ても民間病院や診療所が圧倒的に多くなった。

「日本は民間病院が多いので、政府が政策的な医療体制を取ろうとしても、権限を欠いて実効性がありません。それゆえベッドはあるのにコロナ病床が少なく、入院できない陽性者が出ているのです。

 国が入院患者をコントロールすべきですが、民間病院などに入院する高齢患者が重要な収入源となる医師会が現状維持を求め続けた結果、コロナ患者を受け入れられない病床ばかりになりました」(泉孝英医師)


 1月20日に開かれた記者会見で、民間病院のコロナ受け入れが少ないことを問われた中川会長はこう答えた。

「コロナ患者を診る医療機関と通常の医療機関が役割分担した結果だ。民間病院は面として地域医療を支えている」

 真野医師はこれに反論する。

「PCR検査や発熱外来など、開業医ができるコロナ対策はあります。それなのに医師会は1年近く開業医の役割を決めなかった。今からでも医師会は、開業医がコロナ対応をサポートできる体制を整えるべきです」


※週刊ポスト2021年2月12日号

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『ウチカレ』の菅野美穂 嫌味のない明るさはもはやブランドだ

2021年2月3日 16:05 NEWSポストセブン

『うちの娘は、彼氏が出来ない!!』での数年ぶりの連ドラ主演が話題の女優・菅野美穂。彼女の姿を楽しみに、水曜夜を待っているファンも多いようだ。

 ドラマオタクのエッセイスト・小林久乃氏が、その魅力について考察する。

 * * *
 菅野美穂さんが久々にドラマに主演している。それが『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』(日本テレビ系)で演じる、恋愛小説家の水無瀬碧(みなせ・あおい)役だ。このニュースを知った時に「おお、民放ドラマで菅野美穂が見られる……」とちょっと浮き立ってしまった。

 仕事の現場でも、私生活でも彼女のことを「嫌いだ」という人を聞いたことがない。むしろ皆好きなはずだ。その理由のひとつに菅野さんの演じる“癖のあるキャラ”に強烈なインパクトがあり、魅力的だと感じることを挙げたい。ドラマも話題に上がっているこの辺で、詳しく理由について考えてみたい。

◆43歳には見えない可愛らしさに“視聴欲”がそそられる


『ウチカレ』の主人公は20代で恋愛小説家としてデビューして、人気を博していた水無瀬碧。シングルマザーだ。変わりゆく時代の変遷についていけず、何を書けばいいのか迷走している。碧がどんなふうに小説家として立ち上がっていくのかが注目ポイント。もうひとつのポイントは碧の20歳になる娘で、マンガオタクの空(浜辺美波)が人生初めての恋をして、彼氏が見つかるかどうか。この母娘の模様を描いたドラマなのだ。

 碧は底なしに明るい、現代言葉でいう“陽キャ”だ。恋愛小説家のはずが感覚を鈍らせているし、ミステリーを書いたらボツ。出版社に作品を売り込もうとすれば失敗。成功の証しとして購入したタワマンのローンも返済が残っている。そんな状況なのに、落ち込んでも必ず60分間の放送時間内に戻ってくる。まるで朝ドラのヒロインのような根性の太さを感じさせる。

 こういう役は演じるのが難しい。一歩踏み外すとたちまち崖へ落下するかのように、視聴者へ“イタい”印象を与えることになりかねない。その惨事をカバーしているのが菅野さんのパブリックイメージと、確かな実力だ。


 女優さんなので当たり前だけど美しく、エイジレス。今回、浜辺美波さんの母親役で実年齢に近い44歳の女性を演じているけれど、見た目にはどうにも無理がある。公式写真を見ていると明らかに姉妹なほど、若々しい。これだけで“視聴欲”はそそられるけど、さらに彼女の魅力を加えるとしたら、底抜けの明るさだ。番宣で出演しているバラエティで見事な天然ぶりと、全力疾走ぶりを見せている。

 2020年末の『絶対に笑ってはいけない大貧民Go Toラスベガス24時!』(日本テレビ系)では、完璧なまでの変顔と“ホホホイダンス“を披露。面白いことは間違いないけれど、完全に芸人潰しだと笑ってしまった。嫌味と明るさ表裏一体にある碧の“陽キャ”も、菅野さんにかかればいい化学反応のようなものが発生して、完璧な演技になるんだろうと納得をした。

◆振り切ったギャグと演技は、菅野ブランドと呼びたい


 菅野さんの“癖キャラ”ハマりはまだある。最近出演したドラマだと『監獄のお姫さま』(TBS系・2017年)で演じた経済アナリストは、脱税で実刑を受けてもめげることのない明るいおばさんだった。ドラマ内で『ライク・ア・ヴァージン』をクネックネで踊り、途中から、唇を突き出して親指を立て、にゃんこスター(お笑いコンビ)のモノマネも挟んでいた。古い作品だと『働きマン』(日本テレビ系・2007年)の松方弘子役でも、24時間、編集者の仕事に全てを捧げる、猪突猛進なスクープバカ姿が本当によく似合っていた。

 普通の人の役であれば、演じたい人も演じられる人もたくさんいる。演じる枠だってたくさんある。でも上記に挙げてきたような“癖キャラ”は、ジグソーパズルのようなものでハマるまでは難しい。そこをクリアしている菅野さんにはこれからも振り切って、演じ続けてほしいのだ。その振り切ったギャグと演技は、菅野ブランドと呼びたい。

 さて『ウチカレ』。北川悦吏子による脚本について色々とネットで言われているらしいが、個人的には大御所の説得力があると思っている。それに気づいたのは「誰かのためになんかやれるって幸せなことなんだよ。自分のためになんかできることなんてたかが知れてる」「恋ってもっと気まぐれだよ?」と、メモりたくなるワードが飛び出していたからだ。これは若手クリエイターから湧き出てくるものではないはず。第4話の放送からは碧が新しい恋に目覚めるらしいので、またメモワードが飛び出すことを期待している。

【プロフィール】こばやし・ひさの/静岡県浜松市出身のエッセイスト、ライター、編集者、クリエイティブディレクター。これまでに企画、編集、執筆を手がけた単行本は100冊以上。女性の意識改革をライトに提案したエッセイ『結婚してもしなくてもうるわしきかな人生』(KKベストセラーズ刊)が好評発売中。

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cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_itufnru8rezm_【書評】室井滋の最新絵本 コロナ禍でも変わらぬ優しさと祈り itufnru8rezm itufnru8rezm 【書評】室井滋の最新絵本 コロナ禍でも変わらぬ優しさと祈り oa-newspostseven 0

【書評】室井滋の最新絵本 コロナ禍でも変わらぬ優しさと祈り

2021年2月3日 16:05 NEWSポストセブン

【書評】『会いたくて会いたくて』/室井滋(作)・長谷川義史(絵)/小学館/1200円+税

【評者】本間悠(明林堂書店南佐賀店文芸・実用・児童担当)

 まるでSF小説だ。

 2020年4月、勤務する書店のレジカウンターに物々しいビニールシートを張り付けながら、私はぼんやりとそんな事を思っていた。

 4月16日、緊急事態宣言は対象地域を全国に拡大し、それを受けて書店には人々が殺到した。何でもない週末の売り上げがクリスマスシーズン並みに跳ね上がる予想外の特需だったが、混雑する店内に感染への恐怖は募る一方で、とても手放しでは喜べなかった。

 マスクの着用と手指の消毒が義務付けられたが、どちらも容易には手に入らない。トイレットペーパーも飲料水も買えず、休校で在宅になった子どもたちのためにやらなければならないことはぐんと増えた。SNSには、日々垂れ流される、人々の不安と不満があふれていた。

 あの日から約9か月。

 来年には落ち着いているんじゃないか。私の呑気な素人目論見はやはり外れ、世界を大きく狂わせた小さなウイルスは、未だその猛威を振るい続けている。

 マスクも消毒液も手に入るようになったし、学校も再開した。2回目の緊急事態宣言を受けても、もうあの日のように混雑することはなかったけれど、日常は確かに変わってしまった。

 年末年始、帰省出来なくなったお孫さんに送る絵本を選ぶお手伝いをした。お正月のおもてなし料理の本はさっぱり売れず、それは「会わない」ことを決めた人たちの無言のアピールのようだった。「今年は会えますように」いただいたどの年賀状にも、再会を願うメッセージが綴られていた。

 そんななか手元に届いたのが、室井滋さん・長谷川義史さんがタッグを組んだ新刊『会いたくて会いたくて』だ。


 大好きなおばあちゃんが入居するひまわりホームへの訪問を楽しみにしている少年。きれいな花を届けようかな、上手に出来たてるてる坊主を見せたいな……明るく綴られる絵日記に、落とされる暗い影。ホームが面会謝絶となってしまうのだ。

 あぁコロナだ。大胆な筆遣いと鮮やかな色彩が特徴的な長谷川義史さんの絵も、いつもとは違う、どこか暗く寂しい雰囲気をまとっているようで、心が騒めく。

 しばらく訪問はダメだと母親にたしなめられても、諦めきれない少年は母親や職員の目を盗んでホームを訪ねた。おばあちゃんの部屋はあそこかなと窓を見上げる少年に気付いた祖母が用意したのは、祖母お手製の、昔懐かしい糸電話だ。糸電話の赤い糸が、思い合う二人の言葉を繋ぐ。

「会えない分、思いは強くなるよ」

 その力強い一文と、見開きで描かれる美しい星空のグラデーションに、思わず目頭が熱くなる。「会いたい」という気持ちは、行き場を失ったとしても、決して消えてなくなったりしない。

 そんな当たり前のことを、私はすっかり忘れてしまっていた。室井滋さんの紡ぐ、どこまでも真っ直ぐで、誠実な言葉たちが、するすると溶け込んで、心地よく身体を満たしてゆく。

 コロナ禍で変わってしまった日常を描いたお話でありながら、作中にそのような言葉は一切使われていない。それはきっと作り手の優しさと、込められた祈りだ。

「会いたくて会いたくて」いつの時代も変わらない、原始的で、当たり前の感情。いつかコロナ禍が過去になる日が来たとしても、会いたい誰かがいる限り、このお話は読み継がれてゆくだろう。

 覆されてしまった私たちの日常の中で、決して覆されることのない思いは、この本の中で星のように煌めいている。

【評者プロフィール】
本間悠/明林堂書店南佐賀店 文芸・実用・児童担当。地元紙などで本を紹介する連載を持つほか、「ほんまくらぶ.com」の名でツイッターでも発信する。

※女性セブン2021年2月11日号

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cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_jxa19diqgyz5_「シン」と「重光」 ロッテ創業者・重光武雄の生涯 jxa19diqgyz5 jxa19diqgyz5 「シン」と「重光」 ロッテ創業者・重光武雄の生涯 oa-newspostseven 0

「シン」と「重光」 ロッテ創業者・重光武雄の生涯

2021年2月3日 16:05 NEWSポストセブン

 今年に入りソウル地裁が慰安婦訴訟で日本政府に賠償を命じるなど、韓国では「反日」の動きがいまだ収まらない。かつてないほど冷えきった日韓関係を回復する手立てはもう存在しないのか──。

 解決の糸口を探るには、両国の戦後の歩みを詳しく知る必要がある。その際に避けて通れないのが、裸一貫から巨万の富を築き、両国間でフィクサーとして暗躍した経営者の存在だ。気鋭のジャーナリスト・西崎伸彦氏が、週刊ポストの集中連載で日韓裏面史を克明に描く。(文中敬称略)

 * * *
 人間に表と裏があるように、歴史にも華やかな表舞台と年表には載らない裏面史がある。

“戦後最悪”と言われるほどに拗れた日韓関係を紐解くと、その節目には必ず両国のパイプ役となる大物の存在があった。彼らは表の外交交渉ではなく、バックチャンネルで蠢き、1965年の日韓国交正常化や韓国の経済成長である“漢江の奇跡”の礎を築くために奔走した。

“昭和の妖怪”と畏れられた岸信介元首相の懐刀だった「国策研究会」の矢次一夫、歴史研究者でありながら日韓のフィクサーとして暗躍した崔書勉、暴力団「東声会」を率いて日韓の裏社会を生きた町井久之……。

 そしてもう一人、日韓裏面史を語るうえで欠かせない存在がロッテの創業者、重光武雄だ。

 重光は日本統治下の1922年に韓国で生まれ、十代で海峡を渡り、戦後の1948年に日本で菓子会社「ロッテ」を設立。やがて祖国に“凱旋”し、日韓を跨ぐ総資産約9兆円の企業グループを作り上げた。日本でロッテは老舗の菓子メーカーとして知られるが、韓国では流通、石油化学、建設、ホテル、レジャーなどをカバーする一大財閥だ。

 重光の元側近で、ロッテ球団の代表も務めた松尾守人が語る。

「重光さんはマスコミ嫌いで、自分について多くを語らなかった。ただ、彼が日韓のパイプ役として果たした役割は非常に大きかったと思います。一時は親韓派を中心に20数名に及ぶ日本の政治家に多額の寄付をしていました。その一方で母国を愛し、日韓国交正常化の交渉過程では韓国側の一員として会合にも立ち会っています。彼と一度、日韓の補償問題について話したことがあるのですが、『立場上、韓国側で話はしたよ。ただ、僕は日本の事情も分かるから、折り合いがつく金額で話をしたさ』とだけ語っていました」

 重光の“政商”としての人脈は幅広かった。それを象徴するのが東京・赤坂の通称“コロンビア通り”に面した12階建てのヴィンテージマンションだ。重光一家は1970年ごろ、ここに居を構えていたが、その上階にはロッテに縁の深い二人の大物が住んでいた。一人は岸元首相の筆頭秘書だった中村長芳。彼はのちにロッテが球団を買収した際のオーナーとなる。そして、東京タワーを望む12階のロッテ所有の部屋は、1963年に韓国で発足した朴正煕政権で、駐日大使や中央情報部、通称KCIAのトップに就いた李厚洛が別宅にしていた。この人脈が日韓関係に与えた影響については、この連載で後ほど詳しく記していく。

 長い月日を経て日韓に人脈を築いた重光は昨年1月19日、98歳でその生涯を閉じた。

 晩年は決して華やかなものではなかった。2015年から続く二人の息子の経営権争いや一族の不正経理事件でブランドイメージが失墜。韓国では「ロッテは日本企業なのか、韓国企業なのか」という命題を最後まで突き付けられた。

 その重光も鬼籍に入った今、繋ぎ役が機能しなくなった日韓関係は、解決の糸口すら見失ってしまった。しかし、その手掛かりは重光が背負った日韓の相克にこそあるのではないか。

 日本では“重光武雄”、韓国では本名の“辛格浩(シンキョクホ)”という二つの名前を使い分けた男。一体彼は何者だったのか──。


◆家族を捨てた「両班の長男」


 辛格浩は1922年に韓国南東部、蔚山の貧しい農家に十人兄弟の長男として生まれた。

 実弟で、辛家の四男の宣浩(85)が振り返る。

「両班(特権的な身分の官僚)の出だと聞かされていましたが、田舎の両班ですから貧しかったです。父はまったく仕事をせず、いつも麻の白い服を着て、長いキセルをくわえていた。子供が騒いだらそれで頭を叩くのです。働き者の母が家族を支えていました」

 辛は地元の農業学校を卒業後、種羊場で働き始めた。そして17歳で近隣で一番の富農の娘と結婚するが、翌1941年、彼は身重の妻や両親に何も告げることなく、忽然と姿を消す。釜山から関釜連絡船に乗り、日本に渡ったのだ。事情を知るロッテの元役員が解説する。

「重光さんがいた種羊場には獣医出身の日本人場長がいました。その場長は礼儀正しく頭もいい重光さんのことを高く評価し、『彼をこのまま農場の作業員にしておくのは惜しい』と言って、日本行きの手配をしてくれたそうです」

 重光は後年になっても当時の詳しい経緯を語ろうとはせず、「あの頃は役場の仕事を手伝うか、郵便局か、バスの運転手くらいしか仕事がなかった」と話すのみだったという。

 長男が突然失踪した辛家は騒然となった。前出の宣浩が述懐する。

「まだ幼かった私にも、大変なことが起こったと分かりました。家族が亡くなったかのような重い雰囲気が漂い、父は警察に捜索願を出した」

 出奔時の所持金は、給料の約2か月分の83円だったという。だが、その詳細は本人が語るたびに変節し、所持金が120円になることもあれば、時には14歳で家を出たと話すこともあった。彼にとって若き日の決断は、誇らしい思い出であると同時に、忘れ去りたい“原風景”だったのかもしれない。

 下関で下船し、初めて日本に足を踏み入れた。そこで特高警察の洗礼を受けた。彼は後年、知人に「自分の態度が警察の癇に障ったらしく、ひどく殴られた」と打ち明けている。差別の対象である韓国人としての“苦悩”の始まり。彼はこの日を境に、“辛格浩”から創氏改名による通称名“重光武雄”として生きる道を選んだとされる。ロッテOBが語る。

「東京に辿り着いた重光は、牛乳配達や工場の雑役、トラックの荷の積み下ろしなど様々なアルバイトを経験したそうです。昼間は働きながら、夜は早稲田高等工学校の応用化学科で学び、苦学して卒業したとされています」

 ロッテを設立するのは渡日からわずか7年後の1948年。登記簿上の住所は杉並区荻窪で、資本金は100万円だった。公務員の初任給が約3000円の時代、100万円は宝くじの特等賞金と同額だ。


◆終戦後に手にした「100万円」


 草創期のロッテに囁かれていた謎の一つが、この100万円の創業資金の出所である。重光はいかにしてこれほどの金を手にしたのか。

 その転機は1944年に訪れた。重光はアルバイト先の質屋で60代の“花光”と名乗る老人と出会う。その後の人生を決定付ける恩人との邂逅だった。

「その老人が日頃の重光の熱心な働きぶりを見て、『資金を出すから旋盤用の切削油を作る工場をやってみないか』と声を掛けたのです」(同前)

 戦時下、軍用機などを作る軍需工場では、金属の切削加工に不可欠な切削油の需要が高まっていた。そこにビジネスチャンスを見出した花光は5万円という大金を重光に出したという。5万円は今の貨幣価値で億は下らない。20歳そこそこの学生に気前よく大金を出資すること自体、にわかには信じられない話だ。

「重光の成功譚としてたびたび語られる逸話です。重光はそのカネを元手に大田区大森で工場を始める。しかし、空襲で全焼してしまうのです」(同前)

 再起を期した重光は八王子に拠点を移す。ここで過ごした約1年半が重光の人生の岐路となった。

 かつて八王子で洋品店を経営していた父親が、重光と深く関わっていた小島恒男(79)が語る。

「田園調布で洋品店も営んでいた花光さんと私の父は問屋仲間で友人でした。花光さんが疎開するにあたり、引っ越し荷物を置いたのが八王子の農家の蔵。重光さんは門番も兼ねて、そこで暮らすようになったのです」

 花光はビジネスパートナーでもあった当時30代の小島の父に「優秀な男だ」と重光を紹介。切削油の事業は、八王子の染物屋の工場を借りて継続した。

「実務を担った父も出資者の一人だったようです。無口な印象だった重光さんから身の上話を聞き、父は『彼は絶対に成功する。成功しない限り、韓国には帰ることもないから大丈夫だ』と話していたそうです」(同前)

 重光には知恵と勤勉さがあった。ある時、上着が盗まれ、彼がいつになく落胆していたことがあったという。

「その上着には、重光さんが学んできた応用化学の知識が書き込まれた手帳が入っていた。彼は上着よりも、手帳を失ったことをひどく残念がっていたそうです」(同前)

 重光らが作った切削油は立川飛行場などに納品され、順調な滑り出しをみせた。だが、軌道に乗りかかった矢先に八王子を大規模な空襲が襲う。そして約2週間後、日本は終戦を迎える。

 工場は全焼、重光は無一文どころか、多額の借金を抱えたまま終戦の玉音放送を聞いたと伝えられている。ただ、小島によると事実は少し違うという。

「工場は全焼してはいなかったはずです。父たちは切削油の原材料を大量に仕入れていて、それは手付かずで残っていたのです。重光さんはその在庫を使って石鹸を手作りするようになりました。釜で炊いた液状の石鹸を花光さんの持っていたタンスの引き出しに流し込んで固める。それを切り分けて闇市で売ると飛ぶように売れたのです」

 重光の作る石鹸は「よく落ちる」と闇市で評判だったという。

 小島の父親はこの頃、体調を崩し、終戦の年の12月に39歳で急逝。残された重光はその正念場で、反転攻勢に出た。そして終戦からわずか半年で出資金を全て返済する離れ業をやってのけた。

 1946年2月。時の政府は終戦直後の未曾有のインフレの対抗策として「新円切り替え」と「預金封鎖」を断行、通貨の流通量を制限しにかかった。しかし、重光は旧円が新円に切り替わる、わずか数日前に借金をまとめて完済。運を味方につけた彼は、儲けた旧円が紙くずになるロスを最小限に抑える絶妙のタイミングで過去を清算したのだ。

 その3か月後、重光は荻窪に事業拠点を移して石鹸を軸に化粧品も扱うようになった。そしてロッテの前身となる「ひかり特殊化学研究所」を設立。彼が次に目をつけたのは、進駐軍が持ち込んだチューインガムだった。

「苦学していた時代に進駐軍がくれたガムを剃刀で均等に分け、それを綺麗に包装し直して高田馬場で売っていたことがあったそうです。化学を学んだ彼は、ガムの作り方を覚えて改良を加えていったのです」(重光の知人)

 高品質のガムは評判を呼び、重光は20代半ばにしてロッテの創業資金となる巨万の富を手にするのだ。

◆借金の恩を「倍返し」


 重光は苦しい時に助けてくれた恩人との縁を金の貸し借りだけで片付けなかった。前出の小島は、重光が当時流行りのアメリカ車を駆ってきた姿を憶えている。

「父が亡くなった時、私は4歳。三人の子供を抱え、苦労していた母の背中を見て育ったので、私は中学を出て働くつもりでした。中学卒業間近にちょうど学校の求人にロッテの人材募集が出ていたため、母に重光さんのところに頼みに行ってもらったことがありました」

 重光は会いに来た小島の母親を「どんなことがあっても高校に行かせるべきだ」と強く諭した。

「私が改めて挨拶に行くと、重光さんは『来月から学費を取りに来い』と。それから2か月に一度、ロッテ本社に1万円を受け取りに行きました。月5000円は学費には少し多い額です。それを3年間頂きました。その後、私はロッテに入社し、一従業員としてお世話になりました。重光さんは花光さん一家には社宅を用意して住まわせ、息子をロッテで採用していました」(同前)

 それだけではない。彼は蔚山で世話になった種羊場の場長の親族も、東京での下宿先の大家の息子もロッテに入社させている。詳しい事情は一切語らないが、恩には必ず報いる。その誠実な姿勢は、のちに彼のカリスマ性を際立たせていく。

取材・文/ジャーナリスト・西崎伸彦

※週刊ポスト2021年2月5日号

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cat_1_issue_oa-newspostseven oa-newspostseven_0_pke7lepjcmoo_ビートたけし「菅首相の言葉が安っぽい理由」を語る pke7lepjcmoo pke7lepjcmoo ビートたけし「菅首相の言葉が安っぽい理由」を語る oa-newspostseven 0

ビートたけし「菅首相の言葉が安っぽい理由」を語る

2021年2月3日 16:05 NEWSポストセブン

 後手に回った新型コロナウイルス対策をめぐって、菅義偉首相のリーダーシップに疑問の声が上がっている。内閣支持率も低下の一途だ。

 国民がこの国のトップに抱く不信感の正体について、「庶民派として好感を持たれようとする安っぽさ」だと指摘するのがビートたけし氏だ。新刊『コロナとバカ』の中ではこう分析している。

 ***
 安倍(晋三)さんに代わって総理大臣になった菅さんのほうも、これまでを見る限り大したことはできなさそうだよな。まず、言葉のセンスがまるでダメだよね。いきなり「国民のために働く内閣」ってスローガンを掲げたのには笑っちゃったよ。

 それじゃあ、まるで安倍政権が「国民のため」じゃなく、「自分のため」に働いていたってバラしちまったみたいなもんじゃないの。「いえいえ、前の政権も国民のために働いてましたよ」って言うんなら、「じゃあ前と何も変わってないじゃねェか」ってオチでさ。どっちにしろテキトーに考えたのがバレバレだよ。

 菅内閣の閣僚のメンツも、まるで寂れた地方の商店街のジジイ店主の寄り合いみたいでパッとしないしさ。まァ、そもそも菅さん自体が電器屋のオヤジみたいな風貌だから仕方がないんだけどさ。

 菅さんは酒がほとんど飲めないけど、パンケーキが大好きなんだって? オイラは何のことかよくわからなかったけど、大流行した『鬼滅の刃』ってマンガのセリフを引用して、国会で「全集中の呼吸で」なんて答弁してたこともあったよな。


「令和おじさん」として人気が出たのはまだいいとして、「かわいいおじさん」ぶるのはいい加減にしといたほうがいいんじゃないの? 庶民派として好感を持たれようという狙いかもしれないけど、自分から「私は小物です」ってアピールしてるみたいで、安っぽく感じちゃうんだよな。

 たとえば、田中角栄が「アタクシ、スイーツが大好きなんで」とか「あのマンガ、全巻読んで泣きました」なんて絶対言わない。良くも悪くも本当の大物は、そんなやり方で国民にすり寄ろうなんて考えないよ。

 安倍さんだって似たようなもんだったけどね。外出自粛の中、星野源ってミュージシャンが「うちで踊ろう」って動画を配信して、いろんな人がそれにコラボして話題になったんだけど、安倍さんもコレに乗っかってさ。


 星野源の音楽に合わせて、優雅に自宅でくつろいでる姿をアップしちゃったもんだから「何様のつもりだ」「国民感情をわかってない」とブーイングの嵐になっちまったというね。アーティストがこういう活動をするのは面白くていいと思うんだけど、一国の宰相がそれに便乗してどうするんだっての。

 そもそも総理大臣が「若者に人気のタレント」とか「トレンド」みたいなものに敏感である必要はまるでない。「若いヤツはこういうの好きなんだろ?」ってすぐ流行にすり寄ろうとする魂胆が見え見えなんだよな。だから「桜を見る会」にもポッと出のアイドルとか芸人を呼んじゃうしね。

 まァ、オイラを含めて「ニッポンの政治家はスケールが小さくなった」って文句を言ってばっかりだけど、もしかしたらそれは「平和」の裏返しなのかもしれないね。

 そもそも「国のトップが目立つ時代」なんてのはロクなもんじゃない。世の中が不穏な空気に包まれてて、「何か変えなきゃいけない」という時代の要請があるから、指導者が注目されたり大物扱いされるわけで、何事もない平和な時代なら誰も気に留めないわけでさ。

「あの頃の総理大臣って、一体誰だったっけ?」って時代のほうが、実は後から振り返れば素晴らしいのかもしれないぜ。

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結成10周年のDa-iCE 初めましてのかたにおすすめする1曲

2021年2月3日 16:05 NEWSポストセブン

 結成10周年を迎え、1月20日にはニューアルバム『SiX』をリリースしたばかりの、ダンス&ボーカルグループDa-iCE。

 パフォーマンスの確かな実力と親しみやすいキャラクターで熱い注目を集める5人に、グループについて、そしておすすめの1曲について語ってもらった,

◆LOVE Da-iCE


工藤大輝:Da-iCEって、新しいグループをつくりたいという思いを持っていたマネージャーさんが、個人的に一人ずつ声をかけて集めたんですよ。

花村想太:オーディションで選ばれたとかではない形で集められてできたグループで、「あとは自分たち次第だぞ!」って言われて始まったという。

大野雄大:そもそもぼくは、自分が踊ることになるなんて全然、思っていなかったんです。Da-iCE歴=ダンス歴。最初は簡単なステップもできなくて、いまでも踊る自分にびっくりしますね!

花村:もうダンス歴10年だよ?

工藤:びっくりしすぎでしょ(笑い)。

全員:あはは!

和田颯:でも、ダンス歴10年で……って考えるとすごいな。

岩岡徹:1月で結成10周年を迎えたけど、結成したことも、デビューしたことも最近のようにも感じる。

花村:デビューまでの下積みの3年間も、仕事はすごく楽しかったから辛いと思ったことはなくて。一歩、一歩、楽しく進ませてもらいました。

工藤:メンバーでケンカしたことも、10年間で全然ないしね。ぼくたちとマネージャー1人で何をしたら効果的かということを考えながらやっていた経験が、いまでも生きている。最初から温かい環境にいて、言われことだけをやっていたら、また違う未来だったのかな……と思います。


◆LOVE FUN


工藤:初めましてのかたには、とにかく曲を聴いてファンになっていただきたい! ぼくたちの人となりには、興味が持てなくてもいいんですよ。まずはこの曲を……という1曲を挙げるなら『FAKE ME FAKE ME OUT』。Official髭男dismの藤原聡さんに提供していただいた曲で、ぼくたちのアーティストイメージを司るような曲なので.

和田:ぼくも同じ曲。ダンス&ボーカルが好きな人にも、バンドが好きな人にも幅広く好きになってもらえると思う。

花村:ぼくは『CITRUS』。ドラマ『極主夫道』の主題歌だったので、最近いちばん耳にしていただいたと思うから。

岩岡:いっしょ! 構成もカッコイイ曲でダンスもしっかりと堪能できる。何より、2人のボーカル力が際立ってる。

大野:ぼくは『TOKI』。温かい楽曲で自分自身も大好きなんですよ。以前から応援してくださっているファンの皆さんには、全部、自分たちのことをお見せしてきているので。知られていないような秘話を話したくてもない(笑い)。

和田:秘密がない!

花村:何でも言っちゃうから。

工藤:特に雄大と想太が(笑い)。

岩岡:見るものすべてを口にしちゃうからね。

全員:あはは!

※女性セブン2021年2月11日号

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パニック障害の症状緩和、お守りが効果的 「大丈夫」の言葉は逆効果

2021年2月3日 11:05 NEWSポストセブン

 心臓がドキドキする、恐怖を感じて手足が震える……そんな症状が突然表れる「パニック障害」。ストレスを抱える人がなりやすいというが、内科などでの検査では異常が認められないこともあり、周囲に理解されないことも多い。

 漫画家・イラストレーターのほりみきさんが、パニック障害を発症したのは2005年、娘のせいなさんが3才のときだ。

 子育てに加えてイラストレーターの仕事や家業の手伝いとハードスケジュールが続くなか、めまいや倦怠感を感じても、「疲れているだけ」とごまかし続けていたという。ところがある日の深夜、突然動悸が止まらなくなった──。

「救急車で病院に運ばれたものの、検査では異常なし。不思議に思いながらも変わらぬ日々を過ごしていたら、数か月後にまた発作が起きたんです」(ほりさん)

 今度は、食後リラックスしているときに突然動悸が止まらなくなり、再び救急車で運ばれた。その様子は、幼いせいなさんにとってもインパクトが強かったという。

「びっくりしましたね。母がレストランの駐車場で突然座り込んだので、“ママ、大丈夫?”って何度も必死に話しかけたのを覚えています」(せいなさん)

 そんな愛娘の叫びは、ほりさんに届いていた。しかし、体の中から「ドン」と叩かれるような大きな動悸、そして頭が回り暗闇に落ちていく感覚がして、立ち上がれない。しかしこのときもまた、病院では異常なしと告げられた。

◆症状や感じたことのメモが診察に役立った


 さすがにおかしい──。ほりさんは病気の正体を探るため病院を巡った。そんなとき偶然にも友人から「自分と症状が似ている」と、パニック障害の可能性を告げられた。すぐに、専門の心療内科を受診したという。

「私は小さなノートを持ち歩いていて、そこに症状や発作のときの気持ちを書いておいたんです。書くとホッとするものですから。これが診察に役立ちました」(ほりさん)

 そしてほりさんは、ここで正式に「パニック障害」と診断された。

「原因がわからないことがつらかったので、ホッとしました。それに、薬(メイラックス)がよく効いたんです。初めてのんだ日の翌朝から、世界の輝きが違う感じがしました」(ほりさん)

 その後何度か再発したものの、薬などでコントロールをしながら病気と向き合い、2012年にはパニック障害の体験をエッセイ漫画にして出版。それがきっかけで、テレビの取材や、講演の話も来るようになった。


◆愛娘のサポートに救われて……


 ここまで回復できたのは、そんな母親をそばで見守り、支え続けてきた、せいなさんの存在も大きいという。

「せいなは嫌な顔もせず、愚痴を聞いてくれるんです」と言う母の感謝の言葉に、現在高校3年生になったせいなさんはこう返す。

「母の病気は、私が物心つく頃から見ていますが、そのなかで、否定することがいちばんダメだと思うようになったんです。ですから、基本的には“つらかったね、嫌だったね”と、聞くようにします」

 せいなさんの協力で断酒にも成功したという。

「パニック障害に飲酒はよくないとわかってはいたんですが、毎日ビール6缶くらい飲んでいたので、体にも影響が出ていました。がまんしていたけれど、どうしても飲みたくなったとき、せいなに“やっぱり飲んでええやんな”と聞いたら、低い声で、“いいの? どうぞ。知らんで。私は別にいいんやけど”と言われて……。そのときは、頭にきて“わかったよ、飲まへんよ!”ってキレ気味に言い返しちゃったんですが、それがきっかけで断酒できましたね」(ほりさん)


◆「大丈夫」という口癖は大丈夫じゃない!


 薬をのみ、仕事を調整し、酒を断つ。これで症状がだいぶ緩和したが、さらに効果的なのは、“お守りを持ち歩く”ことだったとほりさんは言う。

「気分がすっきりするミントのタブレットと水を持ち歩いています。交感神経が活発になっているとき、水を飲むと鎮静化できると聞いたので。あと、タオルハンカチ、リュックなど、手触りや抱き心地のいいものを持つようにしています」(ほりさん)

 発汗や震え、死ぬかもしれないという恐怖感などの症状は電車内などでよく起きたが、そういうとき、これらのお守りが役に立ったという。

「お守りも試行錯誤の末にたどり着いたもので、お守りにならなかったものもあります。それは“大丈夫”という言葉。口癖にしていたときがあるのですが、これは逆効果で、もっと焦ってしまいました。人に言われるのはいいんですけど、自分で言い聞かせると力んじゃう。どうしてもしんどいときは、すべてをあきらめて寝ることにしています(笑い)。調子のいいときに頑張ればいいかなって思えるようになりました。あと、つらいときはがまんしないで人に頼る。これも病気になって学んだことですね」(ほりさん)

 パニック障害の人は、人に頼ってもいいんだと語るほりさんだが、せいなさんのことを話すときは、「本当にありがたい」と同時に「申し訳ない」という言葉が頻繁に出てくる。しかし、せいなさんはこう返す。

「母が病気なのは、私にとって当たり前のこと。症状が出たら対応するのが普通になっているので、気を使ったりはしていません。母が発作で動けなくても大丈夫なように育ててもらったことで、心に余裕を持って動けるようになったと思います。焦ったり慌てたりすることは誰にでもあるし、慣れればいいかなって。病気と意識しすぎないで接した方がいいと思っています」

 普段は普通に接し、頼られたときには手を貸す。パニック障害で苦しむ人にとって、そういった対応がいちばん助かるのだと、ほりさんは言う。

「以前は“早く治して、前みたいにやりたいことをやりたい”と思っていましたが、病気がきっかけで、心理学やカウンセリングについての勉強を始め、資格も取りました。パニック障害になって不自由になったこともあるけれど、気持ちが穏やかになり、人生観が変わりました。悪いことばかりじゃないと思っています」(ほりさん)

【プロフィール】
ほりみきさん/漫画家・イラストレーター。1972年生まれ、滋賀県出身。2005年からフリーのイラストレーターとして活躍。主な著書に『もう大丈夫 パニック障害でもがんばれる!』(講談社)。 

※女性セブン2021年2月11日号

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河野ワクチン担当相起用で菅・二階に亀裂 総裁選前哨戦の様相

2021年2月3日 11:05 NEWSポストセブン

 菅義偉・首相は1月18日、コロナワクチン接種の総合調整を行なう「ワクチン担当相」に河野太郎・行革相を起用する人事を発表した。その翌日には、菅首相は河野氏とともに小泉進次郎・環境相を官邸に呼んでワクチン対応を協議し、進次郎氏を河野氏の事実上の“補佐役”に任じた。

 河野氏のワクチン担当相起用は政権の屋台骨に亀裂を広げている。大いに不満を鳴らしているのが菅首相の後見人でもある二階俊博・自民党幹事長だ。

「党は人材豊富だが、とりあえず河野君だけでいい」

 会見で二階氏は“とりあえず”と人事を渋々認めたものの、ワクチン接種のスケジュールをめぐる河野氏と坂井学・官房副長官の官邸内バトルが勃発すると、“そら見たことか”といわんばかりに、「論評するに至らない。発言を片方が取り消すとか面倒くさい。よく調整してもらいたい」と、突き放した。


 二階氏は河野起用の裏に菅首相の“叛意”を感じて警戒している。いまや菅首相と二階氏の関係は急速に冷えつつある。

 内閣支持率が急落すると二階氏は距離を置き、ポスト菅の総裁選に野田聖子・幹事長代行を擁立する構えを見せたからだ。

「とにかくこの悪いムードを変えないと選挙を戦えない。そのためには憲政史上初の女性首相とか思いきったことが必要だと二階さんは考えている。野田後継なら選挙はなんとかしのげる」

 二階派幹部からそうした情報が流され、党内でも野田氏がポスト菅の有力な総理・総裁候補との見方が広がっていた。ところが、菅首相が「河野カード」を切ったことで目算に狂いが生じた。「ワクチン担当相」という人事一つで、河野氏が野田氏に代わる有力な次期首相候補としてクローズアップされたからだ。政治ジャーナリストの野上忠興氏が語る。

「このまま支持率が回復しなければ、菅首相は9月の自民党総裁選への出馬は見送らざるを得なくなる。“万が一”に備えて後継者として河野氏を擁立し、河野首相・小泉官房長官コンビで総選挙を戦うシナリオも念頭にあるのではないか。党内基盤に乏しい菅首相が退陣後も党内に影響力を残すにはその選択肢しかない」


 河野氏にとっても二階氏は人事で“煮え湯”を飲まされた相手だ。

「昨年の菅内閣の組閣の際、菅首相はいったん河野氏を総務相に“内定”して地方創生を担わせようとしたが、二階氏の横槍で土壇場で当時、国家公安委員長だった二階派の武田良太氏が総務相に“昇格”、河野氏は外相から格下の行革相に回ることになり、『ハンコ廃止』というパフォーマンスに走らざるを得なかった」(自民党幹部)

 菅首相にとっても、河野氏の抜擢は二階氏の横槍に一矢報いるもので、総裁選は二階氏が担ぐ野田氏と、菅首相が後継者に立てる河野氏の対決の構図が生まれている。

◆そして誰もいなくなる


 ワクチン接種の国家プロジェクトは、自民党総裁選の前哨戦の様相を呈してきた。政権中枢に残った総裁候補たちは、コロナ危機乗り切りで手腕を発揮できるかが問われた。

 しかし、加藤勝信・官房長官と西村康稔・コロナ担当相は危機に有効な手を打てず、ワクチン接種の「総合調整」からも外された。


 茂木敏充・外相は、「米国のバイデン新大統領が就任したのに、菅首相との電話会談が大幅に遅れてしまった」(自民党閣僚経験者)とこちらも失格の評価で、有力候補が次々に消えている。

 いまや残っている有力候補は河野氏くらいだ。だが、ワクチン供給に不安があるうえ、ワクチン接種券、接種シールの印刷や発送など自治体の準備次第では希望者が受けられない「ワクチン格差」が生じる可能性は十分ある。元厚労省医系技官の木村盛世氏が言う。

「欧米ではワクチン接種で混乱が起き、『接種拒否』が広がるなど決して計画通りには進んでいません。日本は地方自治体の保健所が有能なので単純な比較はできませんが、国内でも問題は山積みです。一番の問題はコロナ対応に追われる医師や看護師が接種する時間的余裕があるのかどうか。それが遅れると国民全員への接種も遅れかねない。河野ワクチン担当相の手腕にかかっていると言えます」


 混乱やワクチン格差への不満が高まれば河野氏は批判の矢面に立たされることになる。

「ワクチン頼み」の菅首相だが、河野氏の起用が裏目に出れば、“副反応”で官邸崩壊どころか「官邸沈没」となる危うさをはらんでいる。

※週刊ポスト2021年2月12日号

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