最強の柱たちと産屋敷耀哉の間に何があったのか?
『鬼滅の刃』に登場する産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)は、鬼殺隊第97代当主として、隊士たちに敬われ、慕われていました。彼は、隊士たちを「私の子供たち」と呼び、自身は「お館様(おやかたさま)」と呼ばれました。
鬼殺隊でもっとも上の位の剣士である柱たちは、とくに耀哉を敬い、慕う気持ちが強く、彼らは耀哉に心酔していたとも言えるでしょう。柱合会議の場で、鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)について竈門炭治郎(かまど・たんじろう)を質問攻めにしているときでも、耀哉がそっと人差し指を上げだけで、あの超個性派ぞろいの柱たちが一瞬にして静まり姿勢を正すほど、耀哉のもとではビシッと統制がとれていました。
ファンの間でも、「理想の上司」と言われる耀哉。なぜ彼は柱たちに敬われ、慕われたのでしょうか? この記事では、柱たちの心に耀哉に対しての「ラブ&リスペクト」の絆が生まれるきっかけとなったエピソードをご紹介します。
●「信頼」岩柱・悲鳴嶼行冥の場合
現・柱のなかで耀哉ともっともつき合いが長いのは、鬼殺隊最強といわれる盲目の岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじま・ぎょうめい)です。
悲鳴嶼が耀哉と初めて出会ったのは18歳のときで、耀哉は14歳。父親である第96代当主は、隊士たちが鬼たちとの戦いで負傷したり命を落としたりすることに耐えられず19歳のときに自殺したため、耀哉は4歳の時から当主の座につき、重責を担っていました。
入隊前、悲鳴嶼は寺で身寄りのない子供たちの世話をしていましたが、そのなかのひとりの少年の裏切りによって、悲鳴嶼と子供たちが暮らす寺に鬼が押し入り、子供たちが次々と殺されてしまったのです。ひとり生き残った少女を守るため、悲鳴嶼は夜明けまで鬼と戦い続けました。しかし、駆けつけた人々に少女が子供たちを殺したのは悲鳴嶼だと誤解されるような発言をしたことで、悲鳴嶼は殺人犯として投獄されたのでした。
それを助けたのが耀哉です。その頃の輝哉はまだ病に侵されておらず、澄んだ目で悲鳴嶼をまっすぐに見つめて言いました。「君が人を守る為に戦ったのだと私は知っているよ」「君は人殺しではない」と。自分を信じてくれる、その言葉は、悲鳴嶼がもっとも欲していたものでした。このときから、耀哉と悲鳴嶼の絆が結ばれたと言えるでしょう。
悲鳴嶼は耀哉について、生涯、「荘厳」であったと表現しています。「荘厳」とは、おごそかで立派なことやそのさまの意味で、盲目で耀哉の姿を見たことのない悲鳴嶼は、耀哉のまとう空気や声、言葉にそれを感じていたのかもしれません。というのは、悲鳴嶼は耀哉について、「その時、人が欲しくてやまない言葉をかけてくださる方だった」とも言っているからです。耀哉は持ち前のするどい勘で相手の心を読み、悲鳴嶼を洗脳したり取り入ろうとしたりしているわけではなく、彼の心に寄り添ってその思いを共有し、苦悩やつらさ、不安、恐怖などを一緒に背負ってくれることが分かったからこそ、悲鳴嶼は耀哉を信じ、その出会いによって救われたのでした。
●「感謝」音柱・宇髄天元の場合
宇髄天元(うずい・てんげん)は忍の頭領である父のもとで、厳しい訓練を受けて育ちました。しかし人の意思を尊重せず、命ですら道具のように扱う冷酷な父や父の生き写しのように育った弟を見て、「俺はあんな人間になりたくない」と、忍の世界を抜け、3人の妻たちをともなって鬼殺隊の隊士になったのです。
そんな天元と妻たちは、耀哉から思いがけない言葉をかけられます。「ありがとう」「君は素晴らしい子だ」と。
忍の世界では、命を賭けて任務を遂行するのは当然のことで、それだけが己の価値を決めるものでした。本来、人の命の重さや個人の意思を考える余地はない特殊な世界です。天元は頭領の息子として、子供の頃からその教えを叩き込まれて育ったにもかかわらず、彼はドロップアウトの道を選びました。それは完全なる自己否定でもあったわけです……。
耀哉はそんな天元が抱える苦悩についても、「つらいね 天元」「君の選んだ道は」とストレートに言葉にしました。あまりに的確に自分の胸の内を読まれたからなのか、天元は驚いたように目を見開き、後ろに控えた妻・まきをは汗びっしょりになり、妻・須磨は今にも泣きだしそうな顔……。
「俺の方こそ感謝したい お館様 貴方には」と天元が心の中でつぶやくように、彼の心の中に渦巻く葛藤を理解し、それを肯定してくれる耀哉との出会いは、どんなに天元や妻たちの心を救ってくれたことでしょう。「感謝」これが天元と耀哉の絆の根っこです。
傷ついた心に沁みる耀哉の優しさと言葉
●「解放」恋柱・甘露寺蜜璃の場合
甘露寺蜜璃(かんろじ・みつり)は、自分より強い、素敵な男性との出会いを求めて鬼滅隊に入ったという変わり種ですが、明るく優しい、そして楽しくてかわいい、魅力的な女性です。強い柱の人たちに会うため、自分も頑張って柱になったと言って炭治郎を唖然とさせました。
蜜璃の肉体は少々特殊で、見た目にはグラマラスな女性らしい体型なのですが、筋肉の密度が常人の8倍もあって、すばらしい怪力ぶりを発揮します。そして、その筋肉を維持するためか、「相撲取り3人よりもまだ食べた」というほどの大食漢ぶりでした。さらには独特のピンクと緑の髪の毛も、1日170個の桜餅を8か月間食べ続けた結果の“桜餅カラー”なのだそう。
しかし、お見合い相手にその特殊な体質と髪の毛を指摘されて破談したことで、蜜璃は自信を喪失……。髪を黒く染め、食べたいのを我慢し、か弱いふりをして、ついに結婚相手が見つかりましたが、自分にウソをつき続けることに疑問を感じ、ありのままの自分でいられる場所として鬼殺隊を選んだのでした。
そんな蜜璃に耀哉はこう言いました。
「素晴らしい 君は神様から特別に愛された人なんだよ 蜜璃 自分の強さを誇りなさい」
耀哉は蜜璃の特殊な体質を「才能」と呼び、縮こまっていた彼女の心を解放してくれました。ありのままを認め、自己肯定感を与える。それによって耀哉は蜜璃の心を解き放ち、さらなる才能を開花させたのです。
●「慈愛」風柱・不死川実美の場合
不死川実弥(しなずがわ・さねみ)は、母を鬼にされ、その母によって弟妹が殺され、生き残った弟の玄弥とも行き違いから不仲になったため、人一倍強い鬼への憎悪や敵意を抱いています。
実弥が鬼殺隊に入ったのは、ひとりで無鉄砲に鬼狩りを続けていた際に鬼殺隊の隊士、粂野匡近(くめの・まさちか)と出会ったことがきっかけでした。粂野とはその後、ともに戦って下弦の壱を倒したものの粂野はその戦いで命を失い、実弥だけが柱になったのです。
そのことで実弥は耀哉を当初、憎んでいました。実弥は柱になって初めての柱合会議の場で耀哉を「おい、テメェ」と呼びつけ罵倒します。耀哉は実弥の言葉に耳を傾け、そして直に「ごめんね」と自らの肉体的な弱さを認めて謝り、真摯に自分の思いを話すのでした。
実弥は耀哉のあまりに謙虚で、誠実な物言いに言葉を失い、「親が我が子に向ける溢れるような慈しみに優しく頬をくるまれる気がした」と、鬼となったため自分が殺してしまった母親を思い出すのでした。耀哉から、自分が特別なわけではなく、自分も皆と同じ立場であり、実弥には、自らの本分をまっとうすることを一番に考えて欲しいと言われ、実弥が兄のように慕っていた粂野の遺書を受け取る頃には、実弥も耀哉にたてつく態度を改め、その言葉を素直に聞くようになっていました。
母のことや兄弟のこと、玄弥のこと、粂野ことで心に負った大きな傷を負っていた実弥。うそ偽りのない耀哉の温かさに心動かされ、敬い、尊敬し、心からの忠誠を誓うようになったのはこの柱合会議からでした。(もちろん会議の後、実弥は悲鳴嶼や天元、カナエにはしっかりガミガミと叱られました……)
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作中では、耀哉の声には「1/fゆらぎ」を帯び、聴く者の心を落ち着かせて、穏やかにさせるとされています。さらには人間的な温かさにあふれ、打倒・無惨の強い思いと覚悟がありました。そして何より、ひとりひとりと向き合い、相手の心に寄り添うリーダーだったからこそ、柱たちは彼に心酔したのではないでしょうか。皆さんは、お館様のどこに惹かれますか?
(山田晃子)
(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
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