cat_18_issue_oa-kyoto oa-kyoto_0_b38995b816f3_「Greatになるため」東京パラへ スイマー 一ノ瀬メイの挑戦 b38995b816f3 0

「Greatになるため」東京パラへ スイマー 一ノ瀬メイの挑戦

2019年5月10日 11:00 京都新聞

You don’t have to be great to start.You just have to start to be great.

3月23日、東大阪市にある近畿大学の卒業式。一ノ瀬メイは緊張で少しだけ声を震わせながら、約6000人の卒業生を前に呼び掛けた。

「始めるときにgreat(偉大)である必要はない、greatになるために始める必要がある-という私の大好きな言葉です」

2020年東京パラリンピックを目指すスイマーの一ノ瀬は生まれつき右腕が短い障害がある。水泳だけでなく、テレビCMやファッション雑誌でも、その姿を見るパラ・アスリートだ。

知人の家族から借りた振り袖姿。まっすぐ前を見ながら、大学時代の思い出を語り続けていく。

最初はなじめなかった水上競技部の体育会の雰囲気のこと。

想像以上に厳しかったリオデジャネイロ・パラリンピック代表への道のり。

その険しい道を仲間の声援で乗り越え、初めてパラ代表切符をつかんだ喜び。

You don’t have to be great to start. You just have to start to be great.

出典: YouTube

4年前の入学式。新入生代表としてあいさつしたときも、この言葉を口にした。だが大学の4年間で、言葉の意味が変わったという。

「入学式であの言葉を言ったときの私は、greatになるためには、一人で努力するものだと思っていました」

「でも大学4年間、近畿大学水上競技部の仲間と過ごしてわかったことは、チームで取り組めば、一人では絶対にできなかったことが可能になる。そして、一人で頑張っているつもりでも、たくさんの人のサポートがあって、自分が頑張れているということです」

一呼吸置いて、力強い言葉を口にした。

「今、新たに私の目標を宣言します。私の目標は東京パラリンピックで表彰台に上がることです」


水泳が仕事になった


22歳で迎えた今年4月。近畿大学の職員に採用され、水泳に打ち込める環境がさらに整った。

「学生のときは同い年のみんなと同じ学生生活を送りながら、プラスで水泳をしているという感覚があった。でも今は水泳が仕事になって、責任感が違うなと感じています」

4月中旬、午前6時半から学生とともに2時間ほど練習した後のプールサイドで、社会人になった心境を語った。学生時代とはまた違う、引き締まった表情を見せた。

4月下旬から再びオーストラリアを拠点に練習に取り組んでいる。

オーストラリア東部のゴールドコーストから、車で2時間ほどのサンシャインコーストに、パラや五輪を目指す男女の選手20人が所属するクラブチーム「USCスパルタンズ」がある。一ノ瀬は昨年の冬から訪れ、練習に参加してきた。


最大のメリットは、東京パラを目指すトップ選手と競い合いながら練習できることだ。

日本の競泳は五輪で多くのメダルに輝いている花形競技の一つだが、その指導方法がパラ選手には、必ずしも当てはまるとは限らない。

全盲、片腕欠損、まひ、知的障害…。パラのトップスイマーたちは、自分たちの体に合わせた泳ぎ方を模索しながら、タイムを伸ばしている。

日本ではパラ選手の数が少なく、多くの選手で競り合いながら練習する機会はほとんどない。

生まれつき右腕の肘から先が欠損している一ノ瀬は、9歳から本格的に水泳を始めた。

「周りに片腕欠損の選手が日常的にいることがなかったので、コーチからアドバイスをもらってうまくいかなかったとき、自分の技術力が足りないのか、コーチの思っている方法と違う方がうまくいくのか、一人で判断することが多かった」

オーストラリアの「USCスパルタンズ」には、一ノ瀬とほぼ同じで腕が短い、リオパラ金メダリストのカナダ人女性選手も参加しており、貴重な存在になっている。

泳ぎで悩めばアドバイスをもらい、逆に相談に乗ったりもする。「一人で悩まなくてすむ。お互いに勉強になっている」という。

「みんな前例がないから、試行錯誤しながらやっている。その試行錯誤を共有できれば、試す時間を減らせて、成長のスピードを上げていける」と笑顔で話す。

出典: YouTube

オーストラリアは競技環境だけでなく、日常生活の環境も魅力的だという。

「気に入っています。とてもゆったりしているから」

食事は自炊で、和食を多く作るという。

「やっぱり米がいいですね。鍋で炊いていたんですよ。自炊だと体もいい感じで締まる」

「でも薄い肉が売ってないのが困る。肉じゃがとかカレー、牛丼とかで使うのはスライス肉やないですか」

休日に車で1時間かけてブリズベンの日本食品店を訪れてお目当ての食材を買い込むといい「ポイントカードも持っていますよ」と笑った。

生まれ育った京都は「癒やし」


京都市生まれ、京都市育ちの京女だ。

だからこそ、京都は「癒やし」と表現する。友達と会って、ご飯を食べる。母親と過ごす。ショッピングを楽しむ。

「最近気づいた。趣味は銭湯巡り。同じ値段やのに場所によってサウナ、水風呂とか内容が違うから、お気に入りの場所を見つけるのが好き」と少し興奮気味に魅力を語った。

英国人の父と日本人の母との間に生まれた。プールに通い出したのは1歳半の頃だ。

「お風呂嫌いだったので、水に親しむためにプールで遊ばせてみよう」という母のトシ美さんの考えだった。

子どものころから多才だった。

クラシックバレエや、タップダンス、シンクロナイズドスイミングなど、何でも積極的に挑戦した。勝負度胸のある性格で、本番に強かった。

小学4年の時。留学した母とともに1年間、英国に住み、英語に親しんだ。京都市立紫野高校3年の時には、全国高校英語スピーチコンテストで、障害をテーマにしたスピーチを行い、見事優勝している。

9歳から本格的に始めた競泳は、その中の一つだった。

中学校では陸上部に所属しながら競泳を続け、2年生の時のアジアパラ競技大会50メートル自由形で銀メダルを獲得した。

だが、進学した紫野高校の水泳部は強豪ではなく、のんびりと練習する毎日だった。それでも高校2年のアジアユースパラ大会では、3種目で金メダルに輝いた。

3年のヨーロッパ遠征でパラリンピックへの情熱が一気に高まり、進学先は強豪の近畿大学を選んだ。

大きな注目と大きな重圧


近畿大学は関西の大学で唯一、屋内の50メートルプールを備え、水上競技部はアテネ五輪バタフライ銀メダリストでOBの山本貴司監督が指導している。

OB、OGの顔ぶれも豪華だ。プールサイドの一角には、山本監督のほか、ロンドン五輪の銀の入江陵介、銅の寺川綾らメダリストの写真パネルが掲げられている。

だが、一ノ瀬が大きく変わった環境になじむまでには時間がかかった。

朝5時に起きて練習し、授業を受け、夕方からまた練習。親元を離れ初めての1人暮らしで、晩ご飯を作るのも一苦労だった。

これまで経験する機会がなかった上下関係を重視する体育会の雰囲気にも戸惑った。

東京パラ開催が決まり、リオパラへの期待が一気に高まると、一ノ瀬は大きな注目を浴び、大きな重圧がのしかかった。

体と心が悲鳴を上げ、1年の冬ごろには過呼吸になった。

「24時間、普通に息ができないんですよ。よう、やったなと思います。若さですかね。常にその状況で何ができるかを考えていた」と振り返る。

「いい距離感」で見守る母


苦しい日々の大きな支えとなったのが、母のトシ美さんの存在だ。

休日に京都の実家に帰ると、手料理でもてなしてくれた。練習を終えて自分の部屋に戻ると、おかずを詰めたタッパーが置いてあることもあった。

「水泳だけが人生じゃないよ」

「記録に残る選手よりも記憶に残る選手の方がいいって友達のお母さんが言ってたよ。私もそう思う」との言葉にも支えられた。

「自分が水泳しか見えていなくて、しんどいときに、言ってもらえるとすごい楽ですね。とてもいい距離感で見守ってくれて、救われるときがたくさんある」と感謝する。

出典: YouTube

娘の成長を見守ってきたトシ美さん。大学での成長をどう感じているかを聞いた。

「やりたいことをするために自分で交渉して、自分で切り開くようになったと思いますね。そして、応援してくれる人の期待に応えたい気持ちが出てきた。それが卒業式の言葉につながったのだと思います」と語った。

そして水泳が仕事になった娘に向け、「パラのメダルではなく、何かの役割を果たせる人になってほしいかな」と温かいエールを送る。

迫る東京「気持ちは必ず上がる」


大学最後のレースで、一ノ瀬は号泣した。

3月上旬、静岡県富士市で行われた世界選手権(9月・英国)の代表選考会。代表に入るためには、自己ベストを超える派遣標準記録を出さなければならないハードルの高さだった。

得意種目の400メートル個人メドレーと100メートルバタフライで、ともに記録を突破できなかった。昨秋から力を入れていたバタフライは0秒48届かなかった。

レース後に涙を流した理由を、こう振り返る。

「今までにないくらい毎日、選考会のことを考えていて、そのために練習してきてたから、あかんかったときの反動が大きかった」

「今まで以上に本気になっていたことに自分でも驚きました。こんなに気持ちがこもってたんや、本気やったんやなあって」

だからこそ、まだ気持ちは切り替えられていない。

「気持ちが正直、切れてしまった。でも根はアスリートなんで、絶対やる気は出てくる」

穏やかな笑みを浮かべて素直な気持ちを語った。

「今のテーマは心を追い込まずに体を追い込むこと。淡々と無心で自分の課題を一個一個クリアして行ければ、気持ちはそのうちに上がってくるので、いいかなって」

東京パラ開幕まであと500日を切った4月下旬、一ノ瀬メイは再びオーストラリアに飛んだ。

You don’t have to be great to start.You just have to start to be great.

もっとGreatになるための、スタートになると信じて。

【取材・文=河北健太郎(京都新聞社運動部)、撮影=三木千絵(京都新聞社写真部)】

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cat_18_issue_oa-kyoto oa-kyoto_0_8ce110c3225a_自分らしさを追い求めたら着物にたどりついた 長崎の少女が図案家・川原マリアになるまで 8ce110c3225a 0

自分らしさを追い求めたら着物にたどりついた 長崎の少女が図案家・川原マリアになるまで

2019年1月29日 11:00 京都新聞

格子柄の赤いアンティーク着物を装い、純白のベールをかぶった姿は、聖女のようだ。

大島紬にサングラスとブーツを合わせた着こなしは、クラシックな洋画のポスターを思わせる。

衰退著しい着物業界に、独特のファッションセンスで輝きを放つ女性がいる。

京都の図案家、川原マリア(32)だ。

「いいですね!」

昨年11月20日、京都市内の写真スタジオ。カメラを構えた男性が声を上げた。

レンズの向こうには、朱色の生地にボタンやバラをあしらった振り袖を身にまとい、艶っぽく体を横たえた川原がいる。

シャッターが切られるたび、表情やポーズをくるくると変えていく。

着物は女の子を「3割増し」に


9日後にも大阪市のスタジオで撮影があった。この日の装いは明るいピンクの着物。頭にはふさふさしたうさぎの耳がぴんと立っていた。

「私は身長が157センチと高くないし、丸顔でこけしみたいでしょ。でも、着物は女の子を3割増しにかわいくするんです」

着物の魅力を語り始めると、川原の口調は次第に熱っぽさを帯びる。

着物姿で撮影した写真はSNSで発信しており、インスタグラムのフォロワーは国内外で合わせて1万7千人に上る。

「写真なら説明しなくても魅力が伝えられる。着物のイメージを変えられるかもしれない」

着物にサスペンダーをあしらったり、帯を細い革ベルトで留めたり、帽子やヒールを合わせたり。

遊び心あふれるコーディネートは、奇抜ととられかねない、ぎりぎり手前で調和している。たぐいまれなセンスが若い女性を引きつける。

「どこまで表現として昇華できるかを探りたい。『そんな面白いことする?』という見せ方をしたい」

”常識外”の図案を着物に


本職の図案家は、着物の模様や配色を考える、いわばデザイナーにあたる。

勤め先は、多くの和装業者が集まる京都の呉服問屋「京商」。パソコンとにらめっこしながら、どんな図柄が女性の心をつかむかイメージを膨らませる。

伝統的な市松模様を赤や黒、黄色で大胆に彩ったこともある。ストライプやアーガイルといった西洋柄も巧みに取り入れてきた。

2年前には子会社の社長になり、念願のオリジナルブランド「MICO PARADE」を立ち上げた。

「若い私にできるのは間口を広げること。着物を着たことがない女の子が『買いたい』『こういうことがしたかった』って言ってくれると、すごくうれしい」

少女のような愛らしさを残す顔に笑みを浮かべた。

信仰と受難の歴史を背負って


12月2日、川原は長崎市にいた。

市が主催する着物イベントで、和装で撮影する際に美しくきまるポーズを参加者に教えるためだった。

「女性らしく見せるには腰から足のラインを出し、S字を意識して」

「着物の柄が見えるよう、腰は横を向きすぎないで」

独学で身に付けた着物姿が映えるこつを、熱のこもった言葉で惜しみなく参加者に伝えた。

講座は好評のうちに終了。川原は、たくさんの女性たちに囲まれ、笑顔で写真に収まった。

長崎県は川原が生まれ育った土地だ。

6人きょうだいの末っ子で、両親は信仰心のあついカトリック教徒。難産で生まれたことから「マリア様からの贈り物」という意味を込めて名付けられた。

母方の祖父は被爆者。最近分かったことだが、その先祖は長崎市浦上地域に住んだ潜伏キリシタンで、明治初期に棄教を拒んで流罪にされたという。

川原の少女時代は、そうした土地や家に深く刻まれた信仰と受難の歴史を背負い、自分らしさを探し求める日々だった。

小学生のころから「自立したい。どこかへ飛び出したい」と願っていた。卒業文集には「ビッグな大人になる」と書いた。

小学校を出ると、自分の意思でカトリックのシスターを目指す長崎市の「志願院」という寄宿舎に入り、母も通った系列の中高一貫校で学び始めた。


立て続けに襲う不幸


志願院の生活は厳しかった。

生活するのは4人部屋。テレビはほぼ禁止で、外出は月1回3時間まで。お祈りの時間も1日に何度もある。

それでもひたむきに勉学に励んだ。

そんな生活に慣れてきたころ、川原家を立て続けに不幸が襲った。

中学3年の時、2番目の兄が病気で25歳の若さで亡くなった。

高校2年の冬には、工業デザイナーだった父にがんが見つかった。すでに末期だった。

川原は伏し目がちに当時の思い出を語る。

「年末年始に家族が集まった時、パパにせがまれて着物を着たんです。そしたら『かわいい』って言ってくれて」

年が明けてすぐ、父は世を去った。

気力を失い、生きるとはどういうことなのかと自問を繰り返した。

高校卒業後の進路を決める時期が間近に迫っていた。

志願院にいながら大学に進むには、看護師か介護士、教師を目指さなければならない。

でも、どれにもなりたくなかった。

「自分らしく生きたい」

大学には進まないと決め、志願院を出た。

着物に出会うまでの「紆余曲折」


着物イベントがあった翌日。長崎は雨が降ったり、やんだりの一日だった。川原は14年ぶりに母校を訪問した。

志願院でお世話になったシスターや恩師らに会い、近況を報告した。

シスターたちは「何も変わっとらんね」と川原を抱きしめ、デザインした着物の写真を見て「すごかー」を連発した。

担任だった槌本六秀(51)は優しい目で教え子を見つめた。

「昔から自分の軸のある子だった。心配しとらんかったよ。でも、ここにたどり着くまでどれだけ苦労したんだろう」

槌本が想像した通り、高校を卒業した川原が着物の仕事に就くまでには紆余曲折があった。

長崎を出ると、名古屋市にいた一番上の兄の家に転がり込んだ。

ケーキ店のアルバイトやスポーツショップのスタッフ、大手電機メーカーの事務職。転職を繰り返し、生計を立てた。

そして5年が過ぎた。

ある日、自分が志願院を出る時に抱いた気持ちを忘れ、生活の糧を得るためだけに働いていることに気づいた。

天国の父が示した”天職”への道


本当にやりたい仕事は何か、自分を見つめ直した。

思い浮かんだのは父の職業だった。

「デザイナーになりたい」

とはいえ、デザインの仕事は幅広い。考えをめぐらせるうち、直感が働いた。着物業界がいい。

「海外でも通用する日本のアイデンティティーは着物だから」

生前の父に着物姿を見せて喜ばれた記憶も、頭の片隅にはあった。

思いつきに近い選択だったが、行動は素早かった。

着物の本場は京都。インターネットを検索し、図案を専門にする会社が弟子を募集しているのを見つけ、すぐに連絡した。

その半年後には、京都で働き始めていた。23歳だった。


「お金がないから」輝きだすセンス


弟子の間は給料が出ないのがこの業界のしきたりだ。貯金を切り崩しながら生活した。必死で技術を身に付け、1年後には社員に登用された。

修業にいそしむうち、着物が持つ奥深い魅力にあらためて気づかされた。

「ひらひら揺れる袖、腰より高い位置の帯。着物は日本人を美しく見せる。長い年月をかけてたどり着いた形なんだ」

もともとおしゃれ好き。自分で着物を買いたかったが、社員になっても懐具合は厳しいままだった。

アンティークの着物や帯は安く手に入るものの、襦袢や帯締め、草履などの小物まではとてもそろえられない。

そこで、襦袢はタートルネック、帯締めはベルト、草履はブーツでそれぞれ代用した。見栄えが良くなるよう、色やデザインの組み合わせには気を配った。

「お金がないから、アレンジした」

それが結果として、川原ならではの着物ファッションを生んだ。

さらに、着物姿の自撮り写真をフェイスブックに投稿し始めたことで運が開けた。

写真を見た広告関係者から声がかかり、2014年にJR東海の「そうだ京都、行こう。」キャンペーンの広告モデルに採用された。

16年には、クラウドファンディングで資金を募り、着物の新しい魅力をアピールするオリジナル写真集を出した。

その前年には着物づくりを直接手がける今の勤め先に移り、以前より消費者に近い立場で仕事ができるようになった。

「試練も神の思し召し」祖父の教え胸に


その後もすべてが順調だったわけではない。着物業界は男社会だ。提案が「前例がない」とはねつけられたこともある。

それでも今、実力派の若手図案家として、周囲に認められつつある。

母校を訪ねた折り、川原は敷地内にある礼拝堂にも立ち寄った。

思春期の悩みをマリア像に相談した場所は当時のままだった。祈り始めると、涙をこらえきれなくなった。

「志願院を飛び出した私を、見守ってくださってありがとう。帰ってこさせてもらってありがとう」

心の中でそう感謝の言葉をつぶやいた。

被爆した祖父が通った浦上教会も立ち寄った。「信者ですが、いいですか」と中に入ると、再び祈りをささげた。

「おじいちゃんの代から、ここまで来られたことにお礼をいいました」

教会を出ると、雨の中を平和公園まで歩いた。

沖縄から来たという中学生たちが、平和祈念像の前に立ち並んでいた。代表の生徒が、慰霊の言葉を読み上げていた。

「おじいちゃんは試練を与えられても、それが神の思し召しならと受け入れてきた。私も、そういう精神を忘れずに未来を考えられる大きな人になりたい」


伝統産業を、若者の「選択肢」に


川原の夢は若い図案家を自分の手で育てることだ。

図案家の多くは70~80代。若手が入っても、修業の厳しさや給料の低さが原因ですぐに辞めていく。

それはいくつもの分業で成り立つ和装産業全体に言えることだ。

伝統的な技のいくつかが、後継者がおらず、途絶えかねないといわれている。

「私の写真や着物を入口に、和の奥深さを知ってほしい。子どもたちや若い人たちに、伝統産業も将来の仕事の選択肢にしてもらいたい」

もがき、迷いながら着物と出会い、その素晴らしさを知り、自分らしさを表現できる仕事にできた。

そんな川原だから、伝えたい思いだ。


【取材・文=今口規子(京都新聞社報道部)、撮影=松村和彦(京都新聞社写真部)、今口規子】

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cat_18_issue_oa-kyoto oa-kyoto_0_69d47df9187c_交雑種サル、不妊手術か安楽死か 問われる人間の功罪 69d47df9187c 0

交雑種サル、不妊手術か安楽死か 問われる人間の功罪

2019年1月4日 13:53 京都新聞

 和歌山市周辺に最近まで、変わったサルが生息していた。タイワンザルとニホンザルの交雑種。いずれも見た目は似ているが、しっぽの長さが異なる。「日本在来の霊長類は、人間とニホンザルだけ。世界的にも貴重な環境は維持しないといけない」。霊長類学者たちは強調する。今は、交雑種もタイワンザルも姿を消した。和歌山県が捕獲して安楽死処分したからだ。

 「環境保全も研究者の重要な役目。積極的に県に協力して、わなを仕掛けて駆除しました。サルにはかわいそうでしたけど、仕方ない」。県に協力した京都大理学研究科の中川尚史教授は説明する。

 ■原因つくった側が生死判断

 タイワンザルが広がったのは、人間が原因だ。タイワンザルを飼育していた和歌山市付近の動物園が1950年代に閉園した頃、タイワンザルが逃げ出したと推測されている。2000年頃には数百頭のタイワンザルと交雑種が確認された。

 日本霊長類学会は、交雑種の拡大を危惧し、01年に県へ全頭捕獲と安楽死を求める要望書を提出した。

 和歌山県のサル問題は、通常の外来種の広がりとは趣を異にしていた。外来種が在来種を駆逐する訳ではないが、交雑が進むことでニホンザルの「純系」が失われることが懸念されるという点だ。ただ自然界では、近縁種の交雑は知られている。進化の過程では、種が分かれるだけでなく融合する現象も重要とされる。すべての交雑が忌避されるという訳ではない。

 ではなぜ、和歌山の交雑種の駆除が必要だったのか。大きな理由は一つ。人間が原因で交雑種が生じたからだ。人間は船や飛行機といった交通手段を手にして、自然な状態よりも圧倒的に早く動物を移動させられる。「現代の人間はかなりほかの動物とは違う存在。その人間の手が加わってできた新たなサルが日本に根付くのは自然を乱す」。中川教授は、説明する。

 駆除への反対意見が多く寄せられたこともあって、県は01年度、交雑種やタイワンザルに不妊手術をして飼育する案と、全頭を安楽死する案について県民にアンケートを実施。全頭処分が6割を占める結果となった。この結果を踏まえ、県は02年度から駆除を始め、17年度には同市周辺で根絶宣言を出した。

 ■守護者で仲間 二面性抱え

 和歌山県は市民の理解を得ることに苦労したが、05年には、日本の生態系に被害を及ぼす外来種の駆除などを盛り込んだ外来生物法が施行。外来生物に対するスタンスが、法律で定まった。環境省は「人為的な原因で入ってきた特定外来生物は、許可を出した場合をのぞき原則として殺処分対象」とする。現在、タイワンザルなど148種類が特定外来生物に指定されている。

 人間の場合、海を越えて自由に行き交うことは「多様性」の実現とされる。しかし人の手を介して海を越えてきたサルや、その結果生まれた交雑種は、殺処分の対象となってしまう。そこに釈然としない思いが残りはしないか。

 ニホンザルに名前を付けたり、チンパンジーの「心」を研究したり、日本の霊長類学には、人間もほかのサルたちと同じ「仲間」だという価値観が脈打ってきた。しかしサルの暮らす自然を守ろうとすると、事情は変わる。自然の一部であるはずの人間が、自然の守護者でもあるという側面が浮かんでくるのだ。もちろん

いずれの立場も重要だが、そんな人間の抱える二面性を、サルたちにじっと見られている気がする。



 1948年12月、今西錦司ら京都大の研究者が宮崎県の幸島でニホンザルの調査を始めたことから日本の霊長類学は始まったとされる。70年の歴史を刻む間、ニホンザルの芋洗い行動の発見からチンパンジーの「心」の解明まで世界をリードする成果を上げてきた。研究で明らかになった霊長類の多様な生態は、人間に何を教えるのか。「家族」や「平等」「暴力」といった現代人が抱える課題を、サルの視点から考える。

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cat_18_issue_oa-kyoto oa-kyoto_0_7199db62c83b_「チンパンジーも薬草食べる」 自己治療、種を超える“習慣”か 7199db62c83b 0

「チンパンジーも薬草食べる」 自己治療、種を超える“習慣”か

2019年1月2日 11:35 京都新聞

 30年前のアフリカ・マハレ。京都大霊長類研究所のマイケル・ハフマン准教授は、1頭の雌のチンパンジーを観察した。食欲がなくうまく排便できない。眠るばかりで、明らかに病気だった。ある時、ベラノニアというキク科の植物を食べ始めた。とても苦く、普段は口にしないのに解せない。しかし翌日に疑問は氷解した。走り回れるまでに体調が回復したのだ。「チンパンジーも薬草を食べる」。そう直感した。

■チンパンジーも薬草摂取

 ハフマン准教授は後に、この事例をチンパンジーの「自己治療行動」として世界で初めて報告した。以降、ほかのチンパンジーも、体調を崩した時にだけベラノニアを食べることが観察された。さらにベラノニア以外でも、表面がざらついた葉を丸めて飲み込んで腸内の寄生虫をかき出していることが分かっている。

 「良薬口に苦しという諺があるように、おいしくない物を、体調を回復させるために食べることは医療に通じます」。ハフマン准教授は説明する。

 人間の社会では医療が高度に発達し、風邪などの感染症や生活習慣病、がんに至るまで多様な治療法がそろっている。西洋医学の祖は紀元前5世紀頃のギリシャを生きたヒポクラテスとされるが、薬草や外科手術の使用はさらに遡り有史以来、医療は人とともにあったと言える。そんな私たちの暮らしに不可欠な「医療」は動物にも見られるようだ。

 しかしハフマン准教授は人間とそのほかの動物で決定的な違いがあると指摘する。体調を崩したほかの個体のために、薬草を持って食べさせることはしないという点だ。「薬草だけでなく食べ物も、チンパンジーがほかの個体に直接渡すことはありません」

 医師や看護師ら医療関係者は、患者という他人のために治療を施す。医療の本質にも関わる点で、人間とチンパンジーは大きく異なる。一方で、チンパンジーの行動からは、人間が学べることもある。

■病気やけが 悲観せぬ感覚

 霊長類研究所の中で、ほかのチンパンジーとは離れて1頭だけで暮らしている雄がいる。36歳のレオだ。

 レオは2006年9月、原因不明の脊髄炎を発症した。当初は首から下が動かず、寝たきりになった。床擦れもできた。しかし目が覚めている時のレオは、口に入れた水を人に吹きかけていたずらするなどいつも通り。「人間のように、未来に不安を覚える様子はなかった」。同研究所の林美里助教は振り返る。今も足がうまく動かないが、手を使って自力で歩けるようになった。

 レオは隔離が長いため、同研究所で暮らす群れに戻すことは難しいが、動物園では、片腕の肘から先がないチンパンジーが群れの中で生活するケースが報告されている。ほかの子どもがその肘につかまって遊んでも、特にいやがらない。「ほかと違う体だからといって、こだわることなく接している。『差別』がないのはうらやましい」。林助教授がふと漏らした。

 病気やけがに悩まされるのは、チンパンジーも人間も変わらない。ただ他人を思う想像力を持った人間は、大切な誰かを失いたくないという願いから医療を発展させてきたのかもしれない。一方でチンパンジーは病気やけがを「忌むべき物」と捉えず、悲観することは少ないようだ。どちらが病気やけがとうまく向き合っているのか。一概に言えないのではないだろうか。

 ◇

 1948年12月、今西錦司ら京都大の研究者が宮崎県の幸島でニホンザルの調査を始めたことから日本の霊長類学は始まったとされる。70年の歴史を刻む間、ニホンザルの芋洗い行動の発見からチンパンジーの「心」の解明まで世界をリードする成果を上げてきた。研究で明らかになった霊長類の多様な生態は、人間に何を教えるのか。「家族」や「平等」「暴力」といった現代人が抱える課題を、サルの視点から考える。

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cat_18_issue_oa-kyoto oa-kyoto_0_d26d279d9c43_ニンジンとゴボウのごま酢あえ  <旬の献立を探しに> d26d279d9c43 0

ニンジンとゴボウのごま酢あえ  <旬の献立を探しに>

2019年1月2日 04:42 京都新聞

 <旬の献立を探しに 小平泰子>
 粉さんしょうはたっぷり使うとおいしいです。香りのおかげで、ついつい箸が進んでしまいますよ。

 【材料】(2人分)

金時ニンジン     70グラム
ゴボウ       100グラム
いりごま        大さじ3
粉さんしょう        適量
A=だし大さじ3、薄口しょうゆ大さじ11/2、米酢大さじ1

 【作り方】
(1)ニンジンとゴボウは0.5センチ角ぐらいの拍子木切りにし、それぞれ水から、歯ごたえが残る程度にゆでる。
(2)すり鉢にいりごまを入れてすり、Aを加えてさらにする。
(3)ゆで上がった(1)をざるにあげて水を切る。熱いうちに(2)に入れ、ざっくりと混ぜ合わせる。仕上げに粉さんしょうを振り、器に盛る。

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cat_18_issue_oa-kyoto oa-kyoto_0_60ca5fa9cf70_日本酒「憲法と人権」で一献 京都・佐々木酒造、大吟醸など3種 60ca5fa9cf70 0

日本酒「憲法と人権」で一献 京都・佐々木酒造、大吟醸など3種

2018年12月31日 16:35 京都新聞

 京都弁護士会や佐々木酒造(京都市上京区)が共同企画したオリジナル日本酒「憲法と人権」が今冬も京都市内の酒店で販売されている。

 2005年に誕生し、毎年約千本を醸造する。後味のよい「大吟醸」、爽やかな味わいの「しぼりたて新酒」、程よい酸味の「吟醸あらばしり」の3種。四合瓶と一升瓶があり、約千~5千円。

 京都弁護士協同組合は「憲法と人権を身近なものとして考えるきっかけに一献を傾けて」と話している。販売は中京区の酒店富屋本店075(231)0561。

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平成の野菜は「パクチー」 タキイ種苗発表、ネット調査で3冠

2018年12月31日 16:21 京都新聞

 タキイ種苗(京都市下京区)は、平成を代表する野菜についてインターネット調査を行い、パクチーが1位になったとこのほど発表した。「流行」「代表」「定着」の各分野で1位の3冠だった。

 平成の30年間で流行した野菜、代表する野菜、定着した野菜について全国の310人を対象に複数回答でアンケートを行い、3部門とも1位がパクチー、2位はアボカド、3位はフルーツトマト、4位はズッキーニとなった。

 パクチーはコリアンダーや香菜とも呼ばれるセリ科の野菜で独特の風味があり、主に東南アジア、中国で薬味として用いられる。

 平成の30年間でタイやベトナムなど東南アジア料理が普及し、風味を生かしたソースやスナック菓子なども製品化されている。近年は国内でも栽培され、生鮮野菜としてスーパーの店頭にも並ぶ。こうした背景もあってか、「流行」では半分以上の人がパクチーを挙げた。

 新たな元号のもとで流行しそうな野菜については、ブロッコリーやダイコンなどの新芽にあたるスプラウトが1位で、パクチーも2位に入った。同社は「パクチーはタイやベトナム料理店の増加とともに広まったのではないか。栽培も難しくなく、身近な野菜になっている」としている。

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ひこにゃん、気分はスペイン代表 ハンドのユニフォーム着用図柄

2018年12月29日 16:34 京都新聞

 滋賀県彦根市は26日、2020年東京五輪・パラリンピックで同市がホストタウンとして登録されているハンドボール・スペインチームのユニホームを、市のキャラクター「ひこにゃん」が着用した図柄を発表した。

 王立スペインハンドボール連盟のロゴを付けた赤いユニホーム姿のひこにゃんがハンドボールを手に笑顔を見せるデザイン。同連盟から使用許可を受けている。今後、ホストタウン登録を周知するホームページやチラシで使う。

 彦根市はホストタウン登録のほか、五輪事前合宿地として協力するとの覚書を同連盟と交わしている。来年1月7~10日には市民会館(同市尾末町)で東京五輪・パラリンピックの旗の展示やスペイン代表のPR動画を流すコーナーを設ける。

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伊根の地元食材料理をキッチンカーで 舟屋を眺めながら味わって

2018年12月29日 16:34 京都新聞

 京都府の伊根町地域おこし協力隊員の増田一樹さん(32)=同町泊=が、舟屋の立ち並ぶ景観が人気の伊根浦地区などでキッチンカーによる軽食や飲み物の販売を始めた。町特産「筒川そば」のそば粉や郷土食「へしこ」など町内各地の食材を生かしたユニークなメニューを提案している。

 増田さんは7月から町地域おこし協力隊員として町観光協会で働いている。観光客から「食べるところを増やしてほしい」という声を受け、舟屋を眺めながら手軽に地元食材を楽しんでもらおうと、11月から、キッチンカーでの営業を始めた。

 これまで筒川そばのガレット(そば粉をクレープ状に焼いて具材をくるむ料理)やへしこを入れたキッシュ(パイ料理)とグラタン、地酒の酒かすを使った酒まんじゅうと甘酒ラテなど個性豊かなメニューを発案してきた。増田さんは「『こんな食べ方があるの』と驚かれることもある。地のものを食べたい観光客にも新しいものを求める地元の人にも喜んでほしい」と話す。

 営業は現在不定期だが、今後は週1回程度の定期化を目指す。増田さんは「使えていない食材がまだまだあり、メニューは開発中。わな猟免許も取ったのでジビエ料理も提供したい」と意気込む。

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cat_18_issue_oa-kyoto oa-kyoto_0_21c780011c34_サザエやアワビ密漁、ボート事故目立つ 8管京都府内海難犯罪 21c780011c34 0

サザエやアワビ密漁、ボート事故目立つ 8管京都府内海難犯罪

2018年12月29日 16:33 京都新聞

 第8管区海上保安本部(京都府舞鶴市)は27日、2018年の京都府内の海上犯罪取り締まりと海難発生の状況を発表した。書類送検数は67件、海難は船舶が43隻、人身が28人(いずれも速報値)で、海水浴ついでの密漁やプレジャーボート事故などレジャー関連で目立った。

 海上犯罪の送検は全て書類で前年から16件減。内訳では漁業関係法令違反が37件と半分以上を占め、レジャー客が「バーベキューで食べる」「持って帰って近所で配る」などの理由でサザエやアワビを密漁する例が多かった。船舶の検査を行っていないなど海事関係法令違反が13件と次いだ。

 船舶海難の種類別ではプレジャーボートが29隻で、うち1隻は転覆して2人の死者が出た。人身海難で6人が海水浴中に溺れるなどして亡くなった。

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