You don’t have to be great to start.You just have to start to be great.
3月23日、東大阪市にある近畿大学の卒業式。一ノ瀬メイは緊張で少しだけ声を震わせながら、約6000人の卒業生を前に呼び掛けた。
「始めるときにgreat(偉大)である必要はない、greatになるために始める必要がある-という私の大好きな言葉です」
2020年東京パラリンピックを目指すスイマーの一ノ瀬は生まれつき右腕が短い障害がある。水泳だけでなく、テレビCMやファッション雑誌でも、その姿を見るパラ・アスリートだ。
知人の家族から借りた振り袖姿。まっすぐ前を見ながら、大学時代の思い出を語り続けていく。
最初はなじめなかった水上競技部の体育会の雰囲気のこと。
想像以上に厳しかったリオデジャネイロ・パラリンピック代表への道のり。
その険しい道を仲間の声援で乗り越え、初めてパラ代表切符をつかんだ喜び。
You don’t have to be great to start. You just have to start to be great.
4年前の入学式。新入生代表としてあいさつしたときも、この言葉を口にした。だが大学の4年間で、言葉の意味が変わったという。
「入学式であの言葉を言ったときの私は、greatになるためには、一人で努力するものだと思っていました」
「でも大学4年間、近畿大学水上競技部の仲間と過ごしてわかったことは、チームで取り組めば、一人では絶対にできなかったことが可能になる。そして、一人で頑張っているつもりでも、たくさんの人のサポートがあって、自分が頑張れているということです」
一呼吸置いて、力強い言葉を口にした。
「今、新たに私の目標を宣言します。私の目標は東京パラリンピックで表彰台に上がることです」
水泳が仕事になった
22歳で迎えた今年4月。近畿大学の職員に採用され、水泳に打ち込める環境がさらに整った。
「学生のときは同い年のみんなと同じ学生生活を送りながら、プラスで水泳をしているという感覚があった。でも今は水泳が仕事になって、責任感が違うなと感じています」
4月中旬、午前6時半から学生とともに2時間ほど練習した後のプールサイドで、社会人になった心境を語った。学生時代とはまた違う、引き締まった表情を見せた。
4月下旬から再びオーストラリアを拠点に練習に取り組んでいる。
オーストラリア東部のゴールドコーストから、車で2時間ほどのサンシャインコーストに、パラや五輪を目指す男女の選手20人が所属するクラブチーム「USCスパルタンズ」がある。一ノ瀬は昨年の冬から訪れ、練習に参加してきた。
最大のメリットは、東京パラを目指すトップ選手と競い合いながら練習できることだ。
日本の競泳は五輪で多くのメダルに輝いている花形競技の一つだが、その指導方法がパラ選手には、必ずしも当てはまるとは限らない。
全盲、片腕欠損、まひ、知的障害…。パラのトップスイマーたちは、自分たちの体に合わせた泳ぎ方を模索しながら、タイムを伸ばしている。
日本ではパラ選手の数が少なく、多くの選手で競り合いながら練習する機会はほとんどない。
生まれつき右腕の肘から先が欠損している一ノ瀬は、9歳から本格的に水泳を始めた。
「周りに片腕欠損の選手が日常的にいることがなかったので、コーチからアドバイスをもらってうまくいかなかったとき、自分の技術力が足りないのか、コーチの思っている方法と違う方がうまくいくのか、一人で判断することが多かった」
オーストラリアの「USCスパルタンズ」には、一ノ瀬とほぼ同じで腕が短い、リオパラ金メダリストのカナダ人女性選手も参加しており、貴重な存在になっている。
泳ぎで悩めばアドバイスをもらい、逆に相談に乗ったりもする。「一人で悩まなくてすむ。お互いに勉強になっている」という。
「みんな前例がないから、試行錯誤しながらやっている。その試行錯誤を共有できれば、試す時間を減らせて、成長のスピードを上げていける」と笑顔で話す。
オーストラリアは競技環境だけでなく、日常生活の環境も魅力的だという。
「気に入っています。とてもゆったりしているから」
食事は自炊で、和食を多く作るという。
「やっぱり米がいいですね。鍋で炊いていたんですよ。自炊だと体もいい感じで締まる」
「でも薄い肉が売ってないのが困る。肉じゃがとかカレー、牛丼とかで使うのはスライス肉やないですか」
休日に車で1時間かけてブリズベンの日本食品店を訪れてお目当ての食材を買い込むといい「ポイントカードも持っていますよ」と笑った。
生まれ育った京都は「癒やし」
京都市生まれ、京都市育ちの京女だ。
だからこそ、京都は「癒やし」と表現する。友達と会って、ご飯を食べる。母親と過ごす。ショッピングを楽しむ。
「最近気づいた。趣味は銭湯巡り。同じ値段やのに場所によってサウナ、水風呂とか内容が違うから、お気に入りの場所を見つけるのが好き」と少し興奮気味に魅力を語った。
英国人の父と日本人の母との間に生まれた。プールに通い出したのは1歳半の頃だ。
「お風呂嫌いだったので、水に親しむためにプールで遊ばせてみよう」という母のトシ美さんの考えだった。
子どものころから多才だった。
クラシックバレエや、タップダンス、シンクロナイズドスイミングなど、何でも積極的に挑戦した。勝負度胸のある性格で、本番に強かった。
小学4年の時。留学した母とともに1年間、英国に住み、英語に親しんだ。京都市立紫野高校3年の時には、全国高校英語スピーチコンテストで、障害をテーマにしたスピーチを行い、見事優勝している。
9歳から本格的に始めた競泳は、その中の一つだった。
中学校では陸上部に所属しながら競泳を続け、2年生の時のアジアパラ競技大会50メートル自由形で銀メダルを獲得した。
だが、進学した紫野高校の水泳部は強豪ではなく、のんびりと練習する毎日だった。それでも高校2年のアジアユースパラ大会では、3種目で金メダルに輝いた。
3年のヨーロッパ遠征でパラリンピックへの情熱が一気に高まり、進学先は強豪の近畿大学を選んだ。
大きな注目と大きな重圧
近畿大学は関西の大学で唯一、屋内の50メートルプールを備え、水上競技部はアテネ五輪バタフライ銀メダリストでOBの山本貴司監督が指導している。
OB、OGの顔ぶれも豪華だ。プールサイドの一角には、山本監督のほか、ロンドン五輪の銀の入江陵介、銅の寺川綾らメダリストの写真パネルが掲げられている。
だが、一ノ瀬が大きく変わった環境になじむまでには時間がかかった。
朝5時に起きて練習し、授業を受け、夕方からまた練習。親元を離れ初めての1人暮らしで、晩ご飯を作るのも一苦労だった。
これまで経験する機会がなかった上下関係を重視する体育会の雰囲気にも戸惑った。
東京パラ開催が決まり、リオパラへの期待が一気に高まると、一ノ瀬は大きな注目を浴び、大きな重圧がのしかかった。
体と心が悲鳴を上げ、1年の冬ごろには過呼吸になった。
「24時間、普通に息ができないんですよ。よう、やったなと思います。若さですかね。常にその状況で何ができるかを考えていた」と振り返る。
「いい距離感」で見守る母
苦しい日々の大きな支えとなったのが、母のトシ美さんの存在だ。
休日に京都の実家に帰ると、手料理でもてなしてくれた。練習を終えて自分の部屋に戻ると、おかずを詰めたタッパーが置いてあることもあった。
「水泳だけが人生じゃないよ」
「記録に残る選手よりも記憶に残る選手の方がいいって友達のお母さんが言ってたよ。私もそう思う」との言葉にも支えられた。
「自分が水泳しか見えていなくて、しんどいときに、言ってもらえるとすごい楽ですね。とてもいい距離感で見守ってくれて、救われるときがたくさんある」と感謝する。
娘の成長を見守ってきたトシ美さん。大学での成長をどう感じているかを聞いた。
「やりたいことをするために自分で交渉して、自分で切り開くようになったと思いますね。そして、応援してくれる人の期待に応えたい気持ちが出てきた。それが卒業式の言葉につながったのだと思います」と語った。
そして水泳が仕事になった娘に向け、「パラのメダルではなく、何かの役割を果たせる人になってほしいかな」と温かいエールを送る。
迫る東京「気持ちは必ず上がる」
大学最後のレースで、一ノ瀬は号泣した。
3月上旬、静岡県富士市で行われた世界選手権(9月・英国)の代表選考会。代表に入るためには、自己ベストを超える派遣標準記録を出さなければならないハードルの高さだった。
得意種目の400メートル個人メドレーと100メートルバタフライで、ともに記録を突破できなかった。昨秋から力を入れていたバタフライは0秒48届かなかった。
レース後に涙を流した理由を、こう振り返る。
「今までにないくらい毎日、選考会のことを考えていて、そのために練習してきてたから、あかんかったときの反動が大きかった」
「今まで以上に本気になっていたことに自分でも驚きました。こんなに気持ちがこもってたんや、本気やったんやなあって」
だからこそ、まだ気持ちは切り替えられていない。
「気持ちが正直、切れてしまった。でも根はアスリートなんで、絶対やる気は出てくる」
穏やかな笑みを浮かべて素直な気持ちを語った。
「今のテーマは心を追い込まずに体を追い込むこと。淡々と無心で自分の課題を一個一個クリアして行ければ、気持ちはそのうちに上がってくるので、いいかなって」
東京パラ開幕まであと500日を切った4月下旬、一ノ瀬メイは再びオーストラリアに飛んだ。
You don’t have to be great to start.You just have to start to be great.
もっとGreatになるための、スタートになると信じて。
【取材・文=河北健太郎(京都新聞社運動部)、撮影=三木千絵(京都新聞社写真部)】