美を紡ぐ人 神崎千帆さん(料理人)【前編】
取材・文/ルロワ河島裕子
2人目の美を紡ぐ人は、2019年「ミシュランガイド」フランス版で、日本人女性として初めて星を獲得したパリ12区にあるレストラン「ヴィルチュス(VIRTUS)」シェフ、神崎千帆さん。快挙を成し遂げた彼女の料理人としての軌跡を追いました。
美しい空間で味わう見目麗しい料理に、五感が刺激される体験
友人からランチに誘われ、何の予備知識もなくパリ12区のレストラン「ヴィルチュス」を訪れたのは、2019年1月中旬のこと。
パリ在中20余年の食通の友人が「今、私がパリで一番おすすめするレストラン」というので、ただただワクワクしながら、店のエントランスを入ったのを覚えています。
そこは、スパイシーかつシックな色合いのインテリアで彩られた、洗練されていながらも居心地がいい空間。料理をいただく前から、すっかり気分は舞い上がっていたのですが、彩り豊かな前菜が供され、ひとさじ口に含んだ瞬間から、感動の時間へと変わっていきました。
日本人女性初、本場フランスで1つ星を獲得
そのわずか1週間後、ヴィルチュスが2019年「ミシュランガイド」フランス版で1つ星を獲得したというニュースが飛び込んできました。
その結果に深くうなずくとともに、食事の最後に言葉を交わした神崎シェフのキュートな人柄を思い出し、まるで友人が快挙を成し遂げたかのような嬉しい気分になったのでした。
2019年のフランスのガストロノミー界では、女性、そして外国人の活躍が目覚しかったそうですが、同店シェフの神崎千帆さんとアルゼンチン人のパートナー、マルセロ・ディ・ジャコモ氏は、まさにその象徴ともいえる2人。
小さな体に弾けるようなパワーを秘めた神崎シェフは、口を開けばとても気さくで明るく、そのポジティブなエネルギーが、料理にも注ぎ込まれているようです。
「落ちこぼれだった自分」を奮い立たせた初渡仏の経験
今や、国際的な食イベントにも引っ張りだこのスターシェフの一人となった神崎さん。しかし、インタビューの中でも度々「私は才能がないから」と口にするほど謙虚。同時に「でも、私、諦めが悪いんです」とにっこり微笑む姿が印象的です。
調理師学校の在学中に和食、フレンチの店の調理場で経験を積んだのち、卒業とともにそのままフレンチの店に就職。
しかし20歳の頃、「当時おつきあいしていた料理人の彼がフランスに修業に行くというので、勢いでついて行ってしまった」のだとか。
「行けば何とかなるかもという甘い考えと、所持金がほとんどなかったせいで、本当に大変な思いをしました。ただ、いろんな人から反対されてフランスに来てしまったので、このままでは帰れないという意地もあり、必死でしがみついていたという感じです」と笑いながら振り返ります。
いつか見返したいという思いとともに再びフランスへ
初渡仏では、語学学校に通いながら200以上のレストランに手紙を送っては、「残念ながら採用できません」という返事を受け取る日々。
さらには電車を乗り継ぎプロヴァンス地方のレストランに訪れ、憧れの女性シェフに「働きたい」と直談判するも、労働許可証がないゆえ門前払いされるなど、苦々しい経験もたくさんしたという神崎さん。
でもその後、アヴィニヨンにあるレストランで研修する機会を得て、さらにはそこの部門シェフの紹介でパリの3つ星レストラン「ルカ カルトン」で研修できることに。「一度、3つ星で働けたらあとは楽」だったと、ビザが切れるまでいくつものレストランで経験を重ねます。そして帰国。
しかし「いつかフランスで認められて、見返してやりたい」という思いから、5年間飲食店で経験を積み、2007年に1年間のワーキングホリデービザとともに再びフランスへ旅立つのでした。
2度目のフランス滞在でビッグチャンスを得る
2度目となる渡仏では、断られながらも粘りに粘ってアルボアの2つ星レストランの厨房で働けることに。
でも「研修生だったので、最初は給金ももらえず、あまりの極貧生活に、恥ずかしながら料理人であるのに自宅ではポテトチップスを主食にしていました。友人たちもそんな私に気を使いおごってくれたりと、お金がないとこんなに惨めな気持ちになるんだ、と初めて実感した出来事です」。
そんな極限状態を味わいながらも、10か月研修生として働いた同レストランでまかない担当となり、どんな料理にも毎日ソースを一から作って添えるというルールが課せられた経験は、その後の神崎さんの料理人人生において大きな財産となっていきます。
そして残りの2か月はイタリア国境近くの街、マントンの「ミラズール」で働くことに。熱心な働きぶりが評価され、シェフから労働許可証の申請を提案され、晴れて正規の料理人としてフランスで働くことになるのです。
世界的レストランでスーシェフに抜擢
神崎さんがその後7年間席を置くことになった「ミラズール」は、2019年に3つ星に昇格し、「世界のベストレストラン50」でも1位に輝いた、今世界で最も熱い視線が注がれるレストラン。
当時からシェフのマウロ・コラグレコ氏の求めるレベルはとても高く、多くのスタッフが音をあげて辞めていったといいます。
「シェフの要求が大変であればあるほど、それは私にとっては可能性でしかなかった。シェフはやる気があればどんどんチャンスをくれ、正当に評価をくれる方だったので、シェフに喜んでもらいたいという一心でした」。
そこで前菜・ハーブ、肉・魚など一通りの部門シェフを務めたあと、ついにスーシェフに。「ようやく自分の居場所が見つかった」、そう思えた瞬間でした。
そして彼女の奮闘もあり、ミラズールは2012年2つ星を獲得。また、最後の1年間はシェフ・ド・キュイジーヌを務めるなど、一流レストランで様々な爪痕を残してきました。
美食の街・パリで“自分たちの色”で勝負
その後、マウロシェフの南米に出店する計画に、ミラズール時代に出会い現在も公私ともにパートナーであるマルセロ・ディ・ジャコモ氏とともにシェフ&シェフパティシエとして出向する予定でしたが、頓挫。紆余曲折あり、2014年パリへ。
7区の大きな有名店を任されたのち、パトロンの支援を受け、ついに自分たちの求める形の「ヴィルチュス」をオープンしたのは2016年4月。2017年には現在の場所に移転しました。
いつでも“間”の気持ちがわかる料理人でいたい
「移転前の店は本当に小さくて、私は前菜とサービスも担当していたんです。いろいろな苦情をいただきながらも、必死に厨房とホールを行き来する私を可哀想に思ったのか(笑)、『頑張って』と多くのお客さまが励ましてくださって。
それが私には大きな学びになったんです。
それまでは、サービスに『パン出して』と言われても、取り掛かっている料理を優先してしまいがちでした。でも最後の一口というときにパンがない状態なんて、嫌じゃないですか? そういう瞬間の空気を汲み取るということがとても大切だと体感しました。
常にお客さま、サービス、研修生も含めた調理場の“真ん中”でいたいと思っています」
ついに夢を叶えた瞬間、涙があふれた
こまやかな気遣いと努力で、自分たちの描くレストラン像を形にしてきた神崎さんとマルセロさん。2019年1月、ミシュランのセレモニーが行われるわずか2日前のランチタイム、ついに一本の電話が。
「直前まで全く連絡がなかったので、今年もダメだったか、と諦めていました。電話で『あなたたちは星を獲得しました』と伝えられたときは、文字通り号泣し、スタッフ全員で歓喜しました」
実はこの1つ星獲得は兼ねてからの念願だったといいます。「セレモニーでは、『星を持ち望んでいましたか?』と聞かれ、皆さん『全く意識していませんでした』と答えていたのですが、私は即答で『本当に待ち望んでいました!』と答えました(笑)。何しろヴィルチュスをスタートしたときからの目標だったので」
そして、次世代へ繋ぐことが新たな目標に
星獲得というひとつの目標を達成した神崎さんに、次に挑戦したいことは?と問うと、こんな答えが返ってきました。
「スタッフを育てること、ですね。自分たちの理想を共有し、一緒に形にしてくれる協力者を増やすことは、そう簡単なことではありません。互いに高みを目指すことのできるスタッフは、替え難い宝なんです。そして、彼らとともに、さらに自分たちらしいスタイルを作り上げていきたいですね」
次回(後編)は、ヴィルチュスの料理とサービスに見る美の形をお届けします。
神崎千帆/Chiho Kanzaki
料理人。パリ12区のレストラン「ヴィルチュス(VIRTUS)」シェフ。調理師専門学校卒業後、フレンチレストランに勤務。20歳のときに初渡仏。2年間研修生として経験を積んだのち帰国。5年間のフレンチレストラン、パティスリー、バーでの修業を経て、再び渡仏。2007年から7年間在籍した南仏マントンの名店「ミラズール」(2019年現在3つ星)では、スーシェフを務める。2016年、公私ともにパートナーであるマルセロ・ディ・ジャコモ氏とともに、オーナーの支援のもとパリ12区にレストラン「ヴィルチュス」をオープン。2019年「ミシュランガイド」フランス版で1つ星を獲得。世界が注目するスターシェフの一人に。
ヴィルチュス(VIRTUS)
29 rue de Cotte Paris 12
電話 09 80 68 08 08
営業時間 火曜 19時〜21時、水曜〜土曜 12時〜13時、19時〜21時
定休日 日曜・月曜
ランチメニュー「Formule Découverte Déjeuner」39€~、
ランチ&ディナーメニュー「Menu Dégustation」85€~
(2020年2月現在)
ルロワ 河島 裕子 / Hiroko Kawashima Leroy
ファッションライター。『家庭画報』をはじめ大人の女性に向けた雑誌で、ファッションやジュエリー、時計を中心に幅広く執筆。2018年より、家族とともに、拠点をフランス北部の田舎に移す。2019年夏、ついに憧れのブルゴーニュに家を購入! 夢は夫とともにB&Bを営むこと。パリで道ゆくおしゃれな人に体当たり取材する「パリ、大人のおしゃれの見本帳」、行き当たりばったりのフランス移住エッセイ「意外となんとかなる!? 40代のフランス移住」を同サイトで連載中。
写真/水島 優 編集・取材・文/ルロワ河島裕子
表示価格は税抜きです。
※神崎千帆シェフの「崎」の字は、正しくは「大」の部分が「立」です。