さまざまなクリエイターに“情熱”について聞く、J-WAVEで放送中の番組『ROPPONGI PASSION PIT』(ナビゲーター:DEAN FUJIOKA/三原勇希)。5月23日(土)のオンエアでは、野村訓市がリモート出演。J-WAVEでは『TRAVELLING WITHOUT MOVING』のナビゲーターとしてもおなじみだ。野村が旅で影響を受けたことや、親交の深い映画監督のスパイク・ジョーンズについて語った。
■若い世代も憧れる存在の野村、初対面で進路相談されることも…
野村は1973年生まれ東京出身。慶應義塾大学卒業後、バックパックを背負って世界各国を旅する。1999年に辻堂海岸で海の家「Sputnik」をプロデュース。2004年に友人と、店舗設計などを手がける「TRIPSTER」を設立。現在は雑誌の原稿執筆から店舗などの設計、企業のブランディング、ラジオパーソナリティまで多岐にわたって活躍している。
DEANと野村は出会って間もないが、三原が「そうとう仲良しですよね」と話すほど意気投合している様子。
DEAN:以前、雑誌で訓ちゃん(野村)の記事を読んだことがあって、「おもしろい人がいるな」とすごく印象的でした。それでこの前、大阪でばったり会ってね。
野村:またここで話せるって(うれしいですね)。
DEAN:今日は楽しみにしていました。
三原のまわりには、野村に憧れる友人が多いという。DEANも「たしかに訓ちゃんに憧れる男子って多いだろうね」と共感した。
野村:若い子にそういうことを言われることはあります。初対面の人に進路相談をされたりしますね。
DEAN:初対面で! いきなりそんな重い話(笑)。
野村:「楽しそうにやっているけど、どうやってるんですか?」って訊かれるので、「君たちが思うほど若くないからだよ」って言います(笑)。
DEAN:積み上げたものがあるからね。
■「好きな仕事=ラク」ではない。でも苦じゃないから幸せ
話題は、野村がこれまで訪れた世界50カ国の旅の話に。
三原:どれくらいの期間で旅をされたんですか?
野村:トータル6年くらいしていましたね。日本に1カ月帰って、ガッと働いて、また旅に出て数カ月や1年帰ってこないようなことを繰り返していました。最初はすごく楽しくて、どこかで「自分探し」って言うと青くさいかもしれないけど、旅をしていて何かが見つかると思っていたんですよね。でも、途中から薄々と何も見つからないなと気づいていて(笑)。日本に帰ってきて、これから何をしようかとすごく悩みましたし、考え込んだ時期もありました。何でもいいから体を動かして働き出すうちに、これを一生やりたいかはわからないけど嫌いじゃないなってことをやめなかったら、いろんなことをたくさんやる職種みたいになってしまいました。
旅を通して、人との付き合い方にも変化したと振り返る。肩書や経歴ではなく、人間同士として向き合えることが財産になったそうだ。
野村:僕は東京で生まれて東京で育って、いろんなところを出歩いて知った気になっていたけど、すごく世界が狭かったですし、自分では仲のいい友だちもたくさんいると思っていました。「自分たちは家族みたいだ」なんて言っていたけど、そこまでの付き合いじゃなかったり、打算で付き合ったりすることもたくさんあるじゃないですか。でも、旅で知り合った人たちって、たとえば僕が東京で何をしてるとか、いい学校に行ってるとか、すごい仕事をしてるとか、そういうことが全く通じない。それでも仲良くしてくれたり、初対面でいきなり家に連れて行ってくれてそのままずっと泊めてくれたり。そういうふうに人に親切にされた経験は何物にも代え難いですし、逆に僕もそういうことはできるだけ返していきたいなと、今もすごく思います。
DEAN:なるほど。そういうところを知らず知らずのうちに感じて、訓ちゃんに相談にのってほしくなるんだなと、すごく納得しました。
野村は、周囲から「ふらふらと楽しそうにやっていると思われているのでは」と話す。しかし、楽しい=ラクではない。
野村:実際に僕は楽しく生きているから、「好きなことしかやらない」って言うと「ナメた人だ」とか「恵まれている」と思う人もいるみたいだけど、「好きな仕事=ラク」ってことはないじゃないですか。僕は47歳になったんですけど、まだ仕事で徹夜もします。僕の同い年の学校に行っていた人たちは、普通の勤め人だと20時以降に仕事をしている人っていないですからね。普段、僕はまともな時間に夕飯なんか食べる暇もなかったし、お酒が好きで飲みにいくけど、最初の一杯を飲むのは24時以降ですものね。
三原:ええっ! それまでは働いてから。
野村:働いて。ただ、好きなことなので苦にならないから、自分はすごく幸せだなと思います。だから楽しそうに見えるのかもしれませんね。
多忙な野村のひとつが『TRAVELLING WITHOUT MOVING』。三原が「落ち着いた声でお話を聞けるのが、すごく好きです」と伝えると……。
野村:普段からあんなにテンションが低いんですかと訊かれるんですけど、テンションを上げようと思えば上げられるんですけどね(笑)。もともと本職ではないから、自分でおもしろいことを言えたと思っても、ガラス越しにプロデューサーさんの肩が動くくらいで……それでああいうふうになっちゃったんですけど。
三原:いえいえ、あれがいいんですよ!
DEAN:癒やされてる人、たくさんいるんだろうなあ。
野村:僕的には癒やされてないんですよ。
DEAN:ご本人的には(笑)。あはは。
■スパイク・ジョーンズはイタズラ好き
野村は海外アーティストとの繋がりも深く、そのうちのひとりが映画監督のスパイク・ジョーンズだ。
野村:スパイクは無表情で、いきなり突拍子もないことをいつもするんですよ。それがおもしろいですね。
DEAN:「Apple TV+」で公開された、スパイク・ジョーンズが監督を務めたビースティ・ボーイズのドキュメンタリー映画『ビースティ・ボーイズ・ストーリー』も、わざと間違えて見せたり、ビースティ・ボーイズが困らされている様子が、逆にすごいエンターテインメントだなという印象だったから、「突拍子もない」と聞いて、確かになって思いました。
野村:スパイクが作るビデオって、いろんな人がおもしろい踊りをするんですけど、それも本人が考えているんです。ファットボーイ・スリムの『Praise You』のミュージックビデオで、ショッピングモールで勝手に人々が踊り出す、その中のリーダーが実はスパイク本人なんです。真顔で踊ってますけど。
三原:思いつきでやっちゃう感じですか?
野村:そうだと思います。
DEAN:衝動的に?
野村:そう。一緒に歩いていても、いきなり変な動きをしたり、よくやるので、何か持ってるんだと思うんですけどね。
DEAN:じゃあ、あれは考えてやっているんじゃなくて、その瞬間にやりたくてやってしまうイタズラなんだな。
野村:イタズラは好きですね。なんて言ったってテレビ番組『ジャッカス』を考えた人ですからね。
DEAN:確かに(笑)。
野村:真顔でわけのわからないことをやるじゃないですか。あれがスパイクですね。
DEAN:そうなんだ。
野村はもともとスパイク・ジョーンズの元妻、映画監督のソフィア・コッポラと仲が良く、それがきっかけでスパイクとも仲良くなったと明かす。
野村:スパイクと初めて会ったのは、ふたりが結婚するくらいのときだったのかな。だから、もう長いですね。
三原:ソフィア・コッポラと仲がいいって、どんな繋がりなんですか?
野村:ソフィアと初めて会ったのも1990年代の終わりだったと思うんですけど、僕が会った人たちって、だいたい会った頃はそんなに売れていないっていうか、普通ではないけど、みんなこんな感じじゃなかったんですよね。向こうにしてみたら、それこそ僕なんて「おまえ、おもしろいけど何やってる人だか全くわからない」と思うわけじゃないですか。それでも気にしないような人たちだから仲良くなったんだと思います。長く付き合ううちに有名になっちゃったり、すごくいい仕事をして注目されたりして、こっちもビックリする感じですね。あんまり仕事で会ったというわけでもないので、だから友だち付き合いができてるのかなと思います。
番組では、野村が映画監督のウェス・アンダーソンとの関係について語る場面もあった。
■真っ白に燃え尽きるまで、なんでもやりきりたい
この番組では毎回ゲストに、自分が思う「情熱」について訊いている。野村は「情熱がないと生きてはいけないんじゃないかな」と語る。
野村:何でも嫌々やることがすごく嫌いで、やる以上は楽しく燃えてやりたいので、それがなかったら生きていけないかなと思っています。気分は『あしたのジョー』ですね。
三原:そんなに燃えていたんですね!
DEAN:炎っていろんな色があるなと思っていて、赤い炎もあれば青い炎もあるじゃないですか。見た目は赤い炎のほうが熱そうだけど、青い炎のほうが熱いとか、そんなことをいま思いました。
野村:僕は、温度は何度でもよくて、赤でも青でもいいんです。『あしたのジョー』って言いましたけど、やる以上は真っ白に燃え尽きるまで、なんでもやりたいと思います。それがパッと燃えるのか、長くチョロチョロ燃えるのかは考えたことはないですけど、あとに何も残らないような感じでやっていきたいなとは思っています。
野村は「いつも大きい目標があるわけじゃなく、日々楽しく『生き切った』と思って一日が終わればいいなと思っている」と話し、今の外出自粛が続く生活から「早く外でみんなとお酒が飲めるような日がくることを願っている」と希望を口にした。
「野村訓市が語る、好きなことを仕事にする感覚」音声版(radiko.jpタイムフリー)